2012年12月28日

石原慎太郎に庇を貸して母屋を取られた橋下徹

ある光景  京都市北区衣笠大祓町 (2012年12月15日)  Fujifilm Finepix X100

先の衆院総選挙で自民党が大量の議席を獲るだろうということは予想していたが、日本維新の会の得票率には驚いた。比例得票率は上位から順に自民27.66%、維新20.37%、民主16.3%、公明11.84%だった。何と民主党を上回り、自民党と拮抗する勢いだったのである。54議席も新党としては立派な数字である。いや立派と表現してはまずい、脅威的な数字である。今月25日に遡るが同党は両院議員総会を開き、国会議員団政調会長に片山虎之助元総務相、同総務会長に藤井孝男元運輸相を充てる党役員人事を決定した。そして平沼赳夫国会議員団代表と、松野頼久同幹事長は続投とした。これはまさに旧太陽の党の関係者が中心の布陣で、彼らが国会運営などの主導権を握ってしまったと言える。旧維新、つまり大阪維新の会の人気が頂点にあったころ、合流を目指してすり寄る他党や、落選しそうだから鞍替えしようとする議員に対し橋下徹は「政策の一致が最優先」と強気の主張をしていた。

ところが「官僚支配を打破するためには、小異を捨てて大同につくべき」という石原慎太郎の主張に飲み込まれ、みんなの党との連携を反故にし、旧太陽の党、遡れば立ち上がれ日本と合流したのである。党名に「維新の会」という文字が継承されたので、旧太陽の党を吸収したかのように見えなくもなかったが、私は乗っ取られたと思ったものである。早晩「石原慎太郎+平沼赳夫」対「橋下徹+松井一郎」の主導権争いが起こると想像していたが、案の定表面化した格好になったわけである。前者は国会議員である、後者は地方の首長に過ぎない。前者が国会で主導権を握るのは自明の理だが、披露された維新国会議員団幹部の古色蒼然たる顔ぶれに呆れる。橋下徹は石原慎太郎に庇を貸して母屋を取られた。第1ランドを失ったが、第2ラウンドで奪回を狙い、次なる狡猾な手を暗策しているに違いない。ところで写真は選挙中に近所で撮ったものだが、掲載に関しちょっと躊躇った。顔を見たくない実に鬱陶しい連中だからだが、現代史を記録するという内なる使命で載せることにした。そういう意味では自民党の選挙ポスターも撮っておけばよかったと反省している。

2012年12月27日

未来への灯がひとつ消えた日本未来の党の分裂


日本未来の党の両院議員総会が今日、国会内で開かれ、同党の「分党確認書」が了承された。今月24日両院議員総会で嘉田由紀子代表が提案した阿部知子副代表の共同代表起用案に、旧国民の生活が第一の議員らが反対した。そして逆に小沢一郎氏を共同代表にするよう要求したが、これを嘉田代表が拒否、二つの勢力の争いが表面化した。翌々日26日の衆参両院での首相指名選挙に自主投票で臨む方向となったが、小沢氏に近い議員が森ゆうこ副代表に投票、分裂が決定的となってしまった。同日午後には滋賀県議会が、知事に日本未来の党代表との兼務を解消するよう求める決議案を賛成多数で可決した。また同夜、嘉田由紀子代表は滋賀県庁で会見を開き、小沢一郎氏と平和的に分党する方向で協議していることを明らかにした。分党の呼びかけは同日朝に小沢氏側からあったという。嘉田氏自身は分党後も代表にとどまる意向を示したが、なぜ離党しないか私は不思議だった。これに関しては同党から出馬し落選した生活系の中村哲治氏のブログ記事「衆院選落選 反省と未来(3)分党という結果」が参考になるので、その一部を引用したい。
[2012/12/26]嘉田代表は「小沢氏のグループとは年内をめどに平和的に分党できる方向を探っている」と仰ったということですが、嘉田党に所属する国会議員は何名になるのでしょうか。おそらく、所属する国会議員は阿部さんだけになりそうです。ただ、政党要件は、比例区の得票数でも満たすことになるので「分党」という手段が取られることになるのでしょう。112人も落選し、比例区だけでも3億円余りの供託金の没収がされていて、「未来の党」は現時点で億単位の負債を負っていると思われます。党会計を党幹部で支えていく必要があるのは当然のことですし、党幹部で負担をしきれない部分については、党を党員全体で支えていく必要があります。代表である嘉田さんや副代表である阿部さんが、党本部が負担すべき供託金相当の負債について自分は知らないとして未来の党を去ることも許されません。だからこそ「分党」でもあるのでしょう。
私は1週間前当ブログに「嘉田滋賀県知事は未来の党を去って琵琶湖を守って欲しい」という一文を寄せたが、中村哲治氏の解説通りなら、簡単に未来の党を放棄できないことが分かる。嘉田氏が結党を発表したのは11月27日、12月4日公示の僅か1週間前だった。小沢氏は「一兵卒」として当面は要職に就かない意向を示していたが、衆院選惨敗で生活系議員から小沢氏に期待する声が強まっていた。つまり当初は選挙対策のためクリーンイメージの嘉田知事を利用、選挙結果を見て切り捨てる方向に動いたわけだ。朝日新聞によると阿部知子氏は「(党の分裂劇は)結婚する時は予想しないでしょうね。だって、小沢一郎さんの方で嘉田由紀子代表をくどいたわけだから」と語り「成田離婚」と皮肉ったという。選択肢がなかったのである種の胡散臭さを感じていたが、脱原発という立場から、先の選挙の比例区には同党へ一票を投じた。原発問題を争点にしたことは評価するが、同じ気持ちで投票したであろう多くの有権者の気持ちが白票と化し、捨てられたことになってしまった。党内抗争を繰り返してきた小沢氏を「学者出身の嘉田氏が制御できるはずがない」との見方も結成当初からあったという。政治というものは泥臭いもので、民意だけでは勝てない、という風潮が広まるのが怖い。

追記:中村哲治氏の「代表である嘉田さんや副代表である阿部さんが、党本部が負担すべき供託金相当の負債について自分は知らないとして未来の党を去ることも許されません」という解説はどうやら違うようです。事実上党から嘉田、阿部両氏を追い出した小沢グループに政党交付金が舞い込むようです。支給額は8億6,000万円と言われています。(以下時事通信「未来」から「生活」に変更より抜粋)政党助成法は、国政選挙での得票率と所属議員数に応じて政党交付金を支給すると定めている。先の衆院選で、未来は選挙区299万票、比例代表342万票と、いずれも有効投票の2%超を獲得するなどし、受給資格を得た。得票率に基づく交付金は存続政党の生活に支給される。(2012/12/27-22:12)

2012年12月26日

爬虫類が苦手だから年賀状に蛇を使わなかった

迎春大絵馬  松尾大社(京都市西京区嵐山宮町) Fujifilm Finepix X100

数日前、年賀状を投函した。毎年のことだが、通信面は印刷なので、せめてもと思い宛名は万年筆で書いた。年賀状というと干支をデザインしたものが圧倒的に多いが、今年は辰年だったので建仁寺の天井画「双龍図」の写真を使った。実は干支を使ったのは始めてだった。今回はどうしようかと迷ったが、干支を使うはやめた。来年は巳年、つまり蛇なのだが、爬虫類は大の苦手だからだ。龍も爬虫類を連想させるが、伝説の生物ということで不気味に感じないのは不思議であるが。写真は今月24日、松尾大社拝殿に飾られただ大絵馬で、縦3.2、幅5.5メートル。とぐろを巻いて縁起物の金の玉を抱く蛇を描いたものだが、可愛いというより恐ろしい白蛇を連想してしまう。

もともと十二支は順序を表す記号であって動物とは関係がないそうだ。人々が暦を覚えやすくするために、身近な動物を割り当てたという説があるようだ。動物のイメージがあるからこそ現代までかろうじて残ったのだが、その顕著な例が年賀状の図柄なのだろう。生まれ年を干支で言いながら、生まれ月は星座というのも、日本的な和洋折衷で面白いと思う。私の場合だったら未年の双子座生まれということになる。ところで松尾大社の大絵馬にもある通り、来年は平成25年。東京生活を引き払って京都に舞い戻ったのが平成元年だったから、あれから四半世紀の年月が流れ去ったことになる。昭和が遠くなってしまったことに深い感慨を禁じえない。

2012年12月25日

半世紀前のバーバラ・デインの姿が脳裏から離れない


初めて欧米の音楽に強く惹かれたのは確か高校生のころで、FEN(在日米軍放送)から流れた軽快な5弦バンジョーの響きだった。それはのちに「ブルーグラス音楽」ということがわかり、大学に進学した翌年、病嵩じてC&W研究会なるサークルを結成した。1963年だったことははっきり覚えているが、そのサークルのために"Bluegrass"と題したガリ版刷りの冊子を作成した。そこに「NLCR(ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ)がボブ・ディランやジョーン・バエズなどと共にニューポート・フォーク・フェスティバル出演した」と紹介した。何をソースに書いたか記憶にないが、今のようにインターネットもなく、いささかマニアックな一冊だったようだ。当時はNLCRのような黎明期の商業レコードの音源を再現していたグループや、伝承音楽を引き継いだブルーグラス音楽アーティストなどに傾倒、所謂フォークは脇に置いていたような気がする。だからニューポートにバーバラ・デイン(Barbara Dane)が出演していたことは知らなかったのである。
Anthology of American Folk Songs

彼女に注目をし始めたのはごく最近のことで、スミソニアン・フォークウェイズからリリースされたオムニバスCD "Classic Folk From Smithsonian Folkways" に入っていた "Deportees (Plane Wreck at Los Gatos)" を聴いてからだった。これはパレドン・レコードの "I Hate the Capitalist System"(1973年)に収録された1曲である。1948年におきたメキシコの出稼ぎ労働者が犠牲になった飛行機事故を扱ったウディ・ガスリー作詞の曲で、息子のアーロなど多くのフォークシンガーに歌い継がれてきた。何と表現したらいいのだろう、とにかく聴いて欲しい。

初期のアルバム "Anthology of American Folk Songs" で伝承民謡を披露しているが、独特の歌唱スタイルを持った素晴らしいシンガーである。何故彼女がリアルタイム、つまり50年前に私の視野に入らなかったのだろうかと、今さらながら悔やまれる。1927年5月12日生まれ。6月初めにボストングローブ紙が85歳になった彼女の功績を称える記事を掲載したが、残念ながら現在では有料購読者しか全文を読むことができない。少し前に85歳になった彼女の写真を見たが、やはり半世紀近く経てしまったニューポート・フォーク・フェスティバルでの姿が焼きついて脳裏から離れない。写真やレコードは時間を止める魔術師なのだろう。

2012年12月24日

レノンの回想:芸術家であることなんてちっとも面白くないからね


If I could be a fuckin' fisherman, I would, you know. If I had the capabilities of being something other than I am, I would. It's no fun being an artist. You know what it's like, writing, it isn't fun, it's torture. I read about Van Gogh, Beethoven, any of them -- and I read an article the other day -- well, if they'd psychiartrists we would't have had Gauguin's great pictures. ----Rolling Stone Interviews "Lennon Remembers" (2001, Verso Books; New Edition)

漁師なんかになれれば、やり直しできるね。今の自分以外のものになれる才能があれば、いままでの自分を取り消せるよ。芸術家であることなんてちっとも面白くないからね。わかるだろ、例えばものを書くにしても、楽しいことじゃなく責め苦なんだよ。ヴァン・ゴッホやベートーベンのことを読んだことがあるけど、どの芸術家も--つい先日もある記事を読んだけど--芸術家たちが精神分析医にかかっていたら、例えばゴーギャンのような絵は生れなかっただろうね。----ローリングストーン誌のインタビュー『回想するジョン・レノン』より(片岡義男訳・1974年・草思社)

2012年12月21日

嘉田滋賀県知事は未来の党を去って琵琶湖を守って欲しい


琵琶湖(滋賀県大津市浜町)

小選挙区制のマジック(画像クリックで拡大表示)
嘉田由紀子滋賀県知事が突然「日本未来の党」を結成宣言した僅か2時間後「生活が第一」の小沢一郎代表が同党に合流したというニュースに接し、私は私自身が管理人をしているFacebookのグループ「脱原発への道」に「何のことはない。嘉田新党ではなく、小沢新党ではないか…」とポストした。コメントが続いたものの、私の書き込みに対する反応は冷ややかであった。その後Facebook上では嘉田新党へ期待を寄せるメッセージが占め、その批判を寄せ難い状態に陥ってしまった。日本共産党や社民党も脱原発を主張していたが、新たな未来の党へ未来を託したかったのだろう。それはやはり琵琶湖研究所職員として集落を回った嘉田由紀子の履歴、その期待だったと思う。その意味では私も彼女に期待することは大だが、やはり小沢一郎が介入したことで胡散臭さを禁じ得なかったのである。そもそも「生活が第一」は民主党で力を発揮できなかったグループであり、選挙に対する不安からだろう、嘉田由紀子のクリーンイメージを利用して新党結成に動いたに過ぎなかったからである。例えば東京1区から出馬した野沢哲夫は、毎日新聞のアンケートに対し、憲法改正は「賛成」、原発再稼働は「新基準新基準を満たした原発は再稼働すべきだ」、原発ゼロは「支持しない」と答えていた始末である。一枚岩の脱原発ではない。

同党が衆院選で惨敗したのはご存知の通りである。私は比例で同党に一票を投じたが、それは脱原発を明瞭に主張していたからに他ならないからだった。やはり仄かな期待があったのである。その期待というのは、自公への牽制、そして「第三極」とマスメディアが騒いだ日本維新の会へ票が少しでも流れないで欲しいという願いでもあった。結果を見ると、議席獲得に繋がらなかったものの、維新の会が比例区で異常なほどの支持を受けたのである。これは反民主党への意思と理解できるが、脱原発を標榜した未来の党へは流れなかったと言えるのである。比例区での得票を見ると日本共産党より下回っているのである。選挙後、嘉田由紀子がなんと「橋下さんと共同行動、十分にある」と表明したが、これにはさすが呆れてしまった。要するに知事と党首の兼務について、同じく政党協同代表を兼ねる橋下徹大阪市長の主張に賛同するというものであった。これには批判が集まったようで「今後、改めて熟慮」と弁解に追われる始末になった。次の正念場である来年の参院選まで、残り時間は少ない。反原発の流れを国政レベルで纏めるには知事をやっている暇はないはずだ。未来の党に未来を託すなら知事を辞めるべきである。私は彼女のあるべき姿として、同党を去って、滋賀県知事として大飯原発などの原発再稼働を阻止、母なる琵琶湖を守って欲しいと思っている。

2012年12月19日

ツール選択が逆行した iPhone5 導入顛末記


Apple iPhone5 and Softbank Ultra Wi-Fi 4G 102Z

どうも私のモバイル環境はツール選択が逆行したようだ。9月下旬に「予約していたiPhone5をキャンセルした理由」という一文を書いたが、この時はグーグルのタブレット端末Nexus7購入を決めたので、携帯電話は昔のままでいいやということだった。ところが実際にタブレットを使っみると、外出先ではいかに増えたとはいえWi-Fiスポットを探すのが面倒。そこで何処でも使えるモバイルWi-Fiルータを導入してしまった。これはまさに衝動買いであった。自宅以外でインターネットにアクセスできたらいいなと思ったのは、手術で入院したときぐらいだった。新幹線や喫茶店などで無線LANを利用したことがあったけど、結局、余りすることがなかったと記憶している。ツイッターなどはしないし、Facebookのページやブログの更新は、自宅のデスクトップ機の前に座らないと落ち着いてできないからだ。

iPhone5 パケットし放題 for 4G LTE (Softbank)
ところがソフトバンクのショップに寄ったら「スマートフォンをWi-Fiのみで使ったらどうですか」と勧められてしまった。その場合パケット定額サービスを利用することになるのだが、定額料が2,100~6,510円となっている。つまり4GあるいはLTE回線を使わなくとも最低2,100円も加算されてしまう。ところが私の場合、ちょっと違うことが分かった。詳細は避けるが同社のハートフレンド割引が使えるのである。基本料が0円だし、パケット定額サービスの下限額が0円から使えるのである。というわけで遅れ馳せながらiPhone5を導入したわけだが、最初に書いたようにどうやら選択順序が逆だと思う。つまりソフトバンク版iPhone5でテザリングが解禁されたので、これを試すべきだったのである。iPhone5がWi-Fiルータ代わりになるわけだから、速度に問題がなければこのほうが良いような気がする。しかし先にモバイルWi-Fiルータを導入してしまったので諦めるしかない。仕方ない、契約が切れるまでの2年間はこれで行こう。

追記(12月20日)

さて肝心のスマートフォンiPhone5の利用状況だが、すでにWi-Fiルータ+タブレットNexus7を持ってる身としては無用の長物かもしれない。タブレットにできないのは通話だけで、後はスマートフォンがなくとも大丈夫だ。ただタブレットもなく、据え置き型のパソコンがなければスマートフォンに頼ることになるだろうけど。家元を離れ下宿生活をしてる学生を何人か知っているが、自室には固定電話もパソコンもなく、スマートフォンだけの生活もありのようだ。テレビが必要なら、受像できる一体型パソコンもあるし、逆にMac miniのようなコンパクトパソコンを導入すれば、テレビ画面でネット環境を構築できる。もっともその場合、光回線などを引く必要があるけれど。私のiPhone5に戻せば、今や音楽プレーヤー専用機と化している。だったらiPodでいいわけで、なんだか勿体ない話ではある。目の前で何か「事件」が起きれば、内蔵カメラで撮って古巣の新聞社に送る、その備えとして所持していると自分に言い聞かせているが。

2012年12月17日

はじめて日本共産党に一票を投じたけど

ある光景  京都市中京区西ノ京銅駝町

京都1区は6人が立候補するという激戦区になったが、日本共産党の穀田恵二氏に投票した。当初は白票を投じるつもりだったが「脱原発」の視点で思い直すことにしたからだ。みんなの党の平智之氏も原発再稼働反対を表明していたが、改憲賛成、TPP参加賛成ということでパスした。前回は民主新顔に2万票以上の差をつけられ、からくも比例で復活した自民前職の伊吹文明氏が今回は京都1区の議席を奪還した。投票結果は自民、維新、共産、みんな、民主、諸派候補の順で、伊吹氏の得票率は33%だった。自民の議席獲得数が過半数を超えたようだが、同党が有権者の過半数の支持を得ているわけではない。1区で一人しか当選しない小選挙区制の弊害である。穀田恵二氏は比例代表近畿ブロックで復活当選した。政策すべてにおいて同意できるので同氏にしたが、実は共産党の候補者に票を投じたのは今回が初めてである。

私は日本共産党のシンパではないし、むしろこれまでは距離を置いてきた政党である。その理由を書くとキリがないが、党名がやはり私にとって壁になっている。ソ連邦解体後、世界で多くの共産党が改名または解散する中で、この党名を維持してることに抵抗感を持ってしまう。綱領によれば、目指しているのは民主主義革命で、資本主義の枠内で可能な民主的改革である。この点は同意できるし、さまざまな政治的局面で正しい発言をしている。特に3・11以降は一貫して反原発の立場をとってきたことは評価できる。またネットに流れる「しんぶん赤旗」の記事も、正直言って私の「偏見」を和らげるものが多々あった。比例区は日本未来の党に投じたが惨敗した。母体である「生活が第一」は元々民主党の一派だし、俄か党首となった嘉田滋賀県知事のクリーンイメージだけでは得票を重ねることが無理だったようだ。

2012年12月13日

北朝鮮が打ち上げたのは人工衛星だった

2段目3段目の分離に成功した銀河3号ロケット朝鮮日報

北朝鮮のロケット打ち上げ予告に対し、日本政府は「北朝鮮が《人工衛星》と称する事実上の長距離弾道ミサイル」が落下する可能性があるとし、沖縄県や首都圏など計7カ所で地対空誘導弾パトリオット(PAC3)の配備した。まるで戦争が勃発したかのような騒ぎであった。きょう12月13日の共同通信電子版によると、米軍当局が北朝鮮の「人工衛星」が地球の周りの軌道を周回しているとの認識を明らかにしたという。北朝鮮はロケット「銀河3号」による人工衛星「光明星3号」の打ち上げが完全に成功し「極軌道を周回している」と発表しており、米軍が追認した形である。しかしあくまでカッコつきの人工衛星であり、北朝鮮のロケット「銀河3号」は、大陸間弾道ミサイル(ICBM)への転用を目標とした長距離ミサイルに近いとの見解を示しているようだ。韓国も北朝鮮が「運搬ロケット」と発表したことに対し批判、同国の宇宙ロケット「羅老号」とは違うと強調している。ミサイルというのは核兵器を含む爆発物を持ったものであり、今回北朝鮮はそれを搭載していない。米軍当局の発表によれば地球周回軌道に乗ったのであるから、明らかに人工衛星の概念に入ると思われる。この技術を軍事利用したり、輸出を目論んだりすることは当然考えられるが、それは取り敢えず今回は別の話である。政府もマスメディアも、いたずらにナショナリズムを煽ることを避け、冷静な情報公開をして欲しいものだ。

2012年12月12日

個展の表題をメメント・モリにしたらどうだろうか

仏花を撮る  Shooting Offered Flowers with Zero4x5  仁和寺(京都市右京区御室大内)

ピンホールカメラで仏花を撮りに仁和寺の水掛不動明王堂に出かけた。近畿三十六不動霊場の第十四番札所で、鐘楼と御影堂の間に位置し、石造の不動明王を安置している。案内板によると、その昔、大洪水で流された不動尊が堀川の戻り橋の下から取り出された。尊像が「心なき者の悪戯だから仁和寺に帰りたい」と告げたためここに安置されたという。高さ50センチ弱、火焔光背を背負い、右手に剣を、左手に羂索を持っている。台座は大きな一枚岩だが、菅公腰掛石と石柱に刻まれている。道真が座ったという伝説があるらしい。長い柄杓が置いてあり、これで下の泉から水をすくって掛ける。国宝の金堂は京都御所の紫宸殿、重要文化財の御影堂が清涼殿の遺構であるように、この寺は皇室と縁が深い。しかし、この水掛不動は幼児の難病平癒に霊験あらたかという信仰に長い間支えれてきたという。

5月初めに投稿した「墓地の仏花を撮り歩く」という一文に「石仏をターゲットにすることが多かったが、最近は目的を墓に供えられた仏花に向けるようになった」と書いたが、今日は違ったわけである。実は先週末に法然院の墓地に出かけたのだが、花が供えられていた墓はひとつだけだった。何かと忙しい師走だし、寒波襲来と重なって墓参する人が少ないからだろう。そこで常に花を飾ってるこの不動明王堂に足を向けた次第である。それにしても今年はこの仏花シリーズで始まり終わる感じである。そういえば、撮り歩くといやでも「メメント・モリ」(死を忘れるな)という言葉がときどき脳裡をかすめる、とも書いた。来年の春には個展を開きたいが、いっそのこと、これを表題にしたらどうだろうか。

2012年12月11日

オスプレイ配備撤回!米兵による凶悪事件糾弾!サウンドパレード


沖縄御万人大行動 (画像をクリックすると拡大表示されます)

日時: 2012年12月23日(日)午後1時開場・正午開会
場所: 宜野湾海浜公園野外劇場
デモ: スタート午後1時 普天間基地大山ゲートまで
詳細: Facebookページ「沖縄うまんちゅ大行動!」  http://goo.gl/1YvOa

2012年12月10日

召集令状「赤紙」が届く日がやって来る

臨時召集令状(赤紙)奈良県立図書情報館蔵

杞憂が現実となりそうだ。毎日新聞電子版の「衆院選序盤情勢調査」によると自民単独過半数の勢いだそうである。小選挙区、比例代表ともに優位に立ち、単独過半数(241議席)を確保、公明党と合わせ300議席をうかがい、政権奪還の公算が大きくなっているという。これは3年前「政権交代」の旗の下、民主党が圧勝した状況と似ている。ただし「まだ決めていない」との回答が約半数あるそうだが、果たして有権者の半数以上が自民党を支持しているのだろうか。これは数字のマジックである。特に小選挙区はひとつの区で一人しか選ばれない。例えば政党支持率30%の区でもトップなら選ばれてしまうのである。そういう意味では現在の選挙制度が必ずしも民意を反映するとは言い難い。とはいえこの制度で投票されるわけだし、自民が予想通り単独過半数を確保するとすれば実に忌々しき状況になりそうだ。
徴兵検査通達書(クリックで拡大)
日本国憲法改正草案では、9条の2として「国防軍」の規定を置きました。その1項は「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」と規定しています。世界中を見ても、都市国家のようなものを除き、一定の規模以上の人口を有する国家で軍隊を保持していないのは、日本だけであり、独立国家が、その独立と平和を保ち、国民の安全を確保するため軍隊を保有することは、現代の世界では常識です。この軍の名称について、当初の案では、自衛隊との継続性に配慮して「自衛軍」としていましたが、独立国家としてよりふさわしい名称にするべきなど、様々な意見が出され、最終的に多数の意見を勘案して「国防軍」としました。
原発や消費税、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)問題も無論だが、やはり自民党が公言して憚らない憲法改悪論が気になる。自民党ホームページの「日本国憲法改正草案Q&A」の設問「自衛隊を国防軍に変えたのは、なぜですか?」に対する答えとして、上記のように記述している。まさにこれは改正ではなく壊憲である。憲法9条を見てみよう。「1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。このままでは、この世界に誇るべき崇高な条文が消えてしまうかもしれないのである。徴兵検査通達書、あるいは臨時召集令状(赤紙)が届く日がやって来る可能性を否定できない。この危機を多くの人が感じ取り、世論の流れが変わることを祈りたい。

2012年12月9日

久しぶりに横尾忠則さんとお会いした

糸井重里氏とトークセッション  横尾忠則現代美術館(神戸市灘区原田通) Fujifilm Finepix X100

COCHIN MOON (コチンの月)
兵庫県立「横尾忠則現代美術館」が今月初めにオープン、公開制作イベントがあったので昨8日、神戸に出かけた。場所は王子動物園正面入り口の向かい側、三階建ての素晴らしい近代建築である。公開制作終了後、来館されていた糸井重里氏とトークセッション。「70歳になって老人の気持ちになれた」というくだりが興味深かった。横尾さんは現在76歳、60歳代までは若ぶっていて壮年の気持ちだった。要するに精神と肉体が乖離していたが、70歳になってそれがピタッと合ってしまったというのだ。いろんなものに興味を持って手を出すので、結局未だにスタイルが決まらない、という意味の発言も印象に残った。私もその傾向があるので「そうなんだ、それでいいんだ」と自分を納得させられる言葉として感謝したい。

それにしても制作現場を拝見させていただき、そのエネルギーにはほとほと感心した。イベント終了後あいさつしたら「この前、細野(晴臣)君がきて演奏してくれたよ。会えれば彼も喜んだのに」と私のことを憶えていてくれた。1978年4月、私は横尾忠則、細野晴臣さんらのインド旅行団に同行した。帰国後制作されたLP『コチンの月』はYMO結成直前のレコードとして一時「幻の名盤」と言われたようだ。現在はCD化されているが、ジャケットは私が撮影した写真を横尾さんがコラージュしたものだ。ブログに掲載するためジャケットを撮影したのだが、太田克彦氏のライナーノーツにインド旅行の思い出が彷彿と浮かんできた。曰く「ピンク・ペリカン・ラベルのビールを飲みつづけていた写真家の大塚さんを除いて全員身体に変調このインド旅行の団員たちは…」云々。生水を飲まないというのが当時のインド旅行の鉄則だったのだが、ウィスキーの水割り用の氷に手を出してしまったようだ。

マドラス領事宅に招待され天麩羅をご馳走になったのだが、私が領事とハイジャックの話をしている間、横尾さんは領事夫人とUFO体験を語っていたようだ。この会話のせいか南インドのコチンのマラバルホテルに投宿したころには一行は全員が元気を回復した、というエピソードが蘇ってきた。帰国後LPが制作されたことは前述の通りだが、雑誌『アサヒグラフ』のために私が撮影したインド映画の看板の写真ストーリーに付ける原稿と、レイアウトを依頼した。当時私は朝日新聞出版局の写真部員だったが、旅行に同行したということで編集者の役割もしたのである。何度もお宅に伺ったが、言葉では言い尽くせない。様々なことを教えていただいた。また細野さんとも仕事をする縁が生まれ、女性ミュージッシャンとの対談シリーズ『音楽少年漂流記』(新潮文庫)の写真を担当させていただいた。1989年、昭和が終わった年に東京の生活が終わり、京都に戻った。距離は残酷なもので、人々の縁を割く。しかし再会の愉しみもまた距離が作るものなのだろう。

2012年12月7日

最多検索の言葉は「社会主義と資本主義」だった


現代用語の基礎知識で知られる自由国民社の「ユーキャン新語・流行語」の2012年のトップテンに「ワイルドだろぉ」「iPS細胞」「維新」「LCC」「終活」「第三極」「近いうちに…」「手ぶらで帰らせるわけにはいかない」「爆弾低気圧」が選ばれたそうである。誰が発した、あるいは作った言葉か分かりますか? 答えと解説は同社のサイトに掲載されているのでご参照ください。ところでアメリカを代表する辞書の出版社、メリアム・ウェブスター社が「2012年の言葉」を発表している。
  1. socialism and capitalism (社会主義と資本主義)
  2. touché (タッチ)
  3. bigot (頑固者)
  4. marriage (結婚)
  5. democracy (民主主義)
  6. professionalism (プロ意識)
  7. globalization (グローバル化)
  8. malarkey (たわ言)
  9. schadenfreude (シャーデンフロイデ)
  10. meme (ミーム)
これは同社のサイトで検索された単語のトップテンで、流行語というより、人々が関心を持った言葉である。トップが「社会主義と資本主義」なのは大統領選の影響だという。二番目の「touché」は本来はフランス語のフェンシング用語で、触ったという意味である。ディズニーが開発したタッチセンサーの新技術に冠せられたため関心を持たれたのだろう。シャーデンフロイデは「他人の不幸は蜜の味」といった感じのドイツ語、ミームは定義に幅があるようだが「人から人へ広がるアイデア」といった意味だろうか。それぞれの英単語をクリックするとにオリジナルの説明を読むことができる。

日だまりは婆が占めをり大根焚

木造千手観音像  大報恩寺(京都市上京区七本松通今出川上ル) Nikon D40 Nikkor18-55mm F3.5-4.6

梵字を書いた聖護院大根(淀大根)
今日は京都の冬の風物詩、大報恩寺(千本釈迦堂)の大根焚きに出かけた。菩提樹の下で釈迦が悟りを開いたことを祝う法要「成道会」にちなむ行事である。大報恩寺の三世慈禅上人が大根の切り口に梵字を書いて魔よけにしたという由来がある。境内のテントでこの梵字を書いた聖護院大根が売られていた。といっても産地は久御山町東一口地域で、昨今は農産物の生産地表示がうるさく、淀大根というブランド名がついている。

さて大根焚きだが、この丸い大根を使うわけではなく、普通の長いものを大きな鍋で炊く。三切れの大根にお揚げが乗り、1杯1000円也。好天だったがやはり風は冷たいので、日が当たる床机を探していただいた。表題の句は草間時彦作(角川書店編「俳句歳時記」収録)だが、私もいよいよ爺くさくなってしまったようだ。ところで本堂の釈迦堂は京都市内では最古の仏堂建築物で国宝である。京都は庭園を誇る寺院が多いが、太秦広隆寺と並んでここも数多くの仏像が安置されている。中でも肥後別当定慶作の聖観音、十一面観音、千手観音、如意輪観音、馬頭観音、准胝観音の六観音像が素晴らしい。

2012年12月6日

勘三郎他界でもまねき看板は賑々しさを失っていなかった

まねき看板  南座(京都市東山区四条通大和大路西入る)Fujifilm Finepix X100

十八代目中村勘三郎が今月5日、他界した。やはり幼いころにデビューした、かつての中村勘九郎を思い浮かべてしまうので、正直言って未だに勘三郎の名がピンとこない。とはいえ時代は変わった。先月の末、30日に南座の「當る巳歳吉例顔見世興行東西合同大歌舞伎」が初日を迎えたが、それに先立つ26日の「まねき上げ」に子息が登場した。前回の出演は平成18(2006)年だったが、その時は中村勘太郎と書かれていた。そして今回は中村勘九郎。勘太郎改め六代目勘九郎の襲名披露興行なのである。たいへんおめでたい興業の最中の訃報、人間の命の儚さを痛切に感ずるが、芸がその命を継承すると思うと何故か心の隅に安らぎの灯がともる。日は差していたが風は冷たい師走の京だったけど、まねき看板は賑々しさを失っていなかった。

2012年12月4日

ジョブズの下では働きたくないと思ったけど惹かれてしまっただろう不思議


Steve Jobs I II  ウォルター・アイザックソン著・井口耕二訳

アップルのiPhoneやiPadのタッチパネルインターフェースに関し、スティーブ・ジョブズが「指こそ最高の道具」と述べたと何かで読んだのだが、出典を思い出せない。若い頃はヒッピーだったジョブスは東洋思想に傾倒、インド放浪をしている。私もインド旅行したが、英国に留学したことがある政府の高官と食事をする機会を得たことがある。テーブルのナイフやフォークを退けた彼は、指で食べ物を摂り始め「器械を使って食べても美味しくないからね」と微笑んだ。ジョブズもこの考えに近いかなと思っているうちに『スティーブ・ジョブスIII』(ウォルター・アイザックソン著・井口耕二訳)に書いてあるかもしれないと思い至った。昨年ハードカバー版が出たときに「上下2冊で4,000円弱は高いな、文庫になったら買おう」とパスしたまま忘れていた本だ。先月ペーパーバックス版が出たのでゲットした。書架が満杯ということもあって、私は文庫、あるいはソフトカバー版化の可能性がある書籍はそれを待つことにしている。

伝記を読むのは『オキーフ/スティーグリッツ―愛をめぐる闘争と和解』(ベニータ・アイスラー著・野中邦子訳)以来である。ざっと通読してみたが「指こそ最高の道具」という下りは見つからなかった。さて読後感だが、おそらく読んだ人の個人史によって様々だと想像する。私はやはり1970年代の若きジョブスに強く惹かれるものがあった。ドラッグを体験、仏教哲学に傾倒して禅修行、ボブ・ディランの歌を愛し、アンセル・アダムスの写真を好んだ。これは私の嗜好あるいは思想形成とオーバーバーラップする。違うのは私には彼のような他者に対し自己を主張を押し通す力がないことだ。時に部下を打ちのめしたので、私だったらその下では働きたくないと思っただろう。しかし天才と言ってしまえばそれまでだが、打ちのめされても最後は惹かれる不思議な存在だったようだ。素晴らしい製品を創り出したからだ。ところでアマゾンで調べたらKindle版がハードカバー版と同じ価格で、結果的にはペーパーバックス版より高くなっている。

追記:精読したところII(下巻)P39~40に以下のような記述がありました。"目の敵にしたのがニュートン――手書き文字が認識できる携帯端末――である。(途中略)スクリーン専用のペン=スタイラスペンを使うのが嫌だったのだ。「神は我々に10本のスタイラスペンを与えたもうた」と指を動かし、「これ以上、発明するのはやめよう」と主張したのだ。" (12月11日)

2012年12月3日

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PDF  http://coalitionagainstnukes.jp/wp-content/uploads/2012/11/A4_nonukes3.pdf

制作: 首都圏反原発連合(Metropolitan Coalition Against Nukes)

2012年12月2日

石原慎太郎と橋下徹の「異心の怪」のお粗末


元通産(経産)官僚で大阪府、大阪市特別顧問を務める古賀茂明氏が12月1日、ツイッターで、日本維新の会の橋下徹代表代行(大阪市長)に対し「間違えたということはよくお分かりだと思う。理念も政策も違う石原慎太郎代表や旧たちあがれ日本の老人たちと決別してください」と求めた。これについて維新の松井一郎幹事長(大阪府知事)は同日夜、大阪府泉佐野市で記者団に「ぶれないようにというエールをいただいたと思う」と述べたという。


ことの発端はこうである。先月24日、マスメディアがいうところの「第三極」の柱になるとみられていた日本維新の会とみんなの党が確執が表面化し決裂、維新は石原慎太郎率いる太陽の党と合流した。古賀氏はみんなの党と交わした政策協定を評価していたようだが、一夜にしてそれが消え去ってしまい、肝心の維新の会の政策指針がトーンダウンしてしまった。さらに29日の記者会見で配布された政権公約に示した原発の「フェードアウト」を翌日、石原慎太郎代表が党首討論で「それは違う。公約は直させた」と発言したのである。呆れた混乱ぶりだが、そもそも石原慎太郎と橋下徹は様々な点で主張が異なっている。例えば憲法。

石原は現憲法廃棄して新しく作ろうと考えているが、橋下はそこまで踏み込んでおらず、九条などの改悪を唱えている。そのほか貿易や原発など重要な政策面で大きな隔たりがあり、両者の間で相当の歩み寄りが必要といわれてきた。橋下は石原が長年支持してきた原発政策で譲歩し、石原は少なくとも当面は、それまで反対してきたTPP(環太平洋連携協定)交渉参加に関して譲歩したようにみえた。小異を捨て大意をとるとはっぱをかけ、俄かに結成された新党だが、見過ごせない小異によって亀裂が生じ始めたようだ。さて露呈した「異心の怪」の行方はどうなるだろう。石原発言に対し橋下は今日現在“沈黙”を保っているようだ。

2012年12月1日

遊びは羽根つき凧揚げ独楽回し

懐かしい羽子板  北野天満宮(京都市上京区馬喰町) Fujifilm Finepix X100

手描き金箔の羽子板( 田中彌)
師走。四条通の人形店「田中彌」のショーウィンドウを覗いたら、平安貴族の左義長祭の様子を描いた羽子板が目に飛び込んできた。手描き本金箔の豪華なもので、押絵のものと同様鑑賞用である。押絵羽子板は、明治初期から刺繍縫い取りなど凝ったものが登場し、大正末期に羽子板に使用する金襴、友禅等が織り染められ、上絵の技法が出るに及んで、一段と豪華さを加えるようになったという。無論これは遊戯用ではなく、床飾りあるいは女の子への贈り物である。羽子板は羽つきの道具、だから当初は簡単な絵が描いてあるだけの素朴なものだったが、やがて内裏羽子板が現れた。その後押絵が流行り、江戸後期から当たり狂言を取った役者の羽子板が喜ばれるようになったという。

ところで先月25日、北野天満宮の縁日「天神さん」で素朴な、決して豪華ではないが懐かしい羽子板を見つけた。見入っていたら、子ども時代の正月風景が突然フラッシュバックしてきた。小学校四年の春、一戸建ての家が並ぶ新興住宅街に引っ越したから、その前のことである。公営の共同住宅だったので棟と棟の間に空き地があったし、比較的大きな広っぱもあった。そこで凧揚げや独楽回し、竹馬、面子(めんこ)遊びをしたことが鮮明に想い出される。羽根つきは女の子のものだったが、何度か中に入れて貰って遊んだような記憶がある。羽子板は写真のようなものだったが、真ん中の「ジャックと豆の木」の図柄は記憶にない。一番左の絵は今の少女漫画に見られるキラッキラ星の瞳だが、いつ頃作られたものだろうか? 漫画の歴史を参照すると何か手掛かりが掴めるかもしれない。

フライングダッチマン・ライブ&脱原発と平和を語る

(申し込み不要・入場無料)
脱原発映画会
日 時: 2012年12月10日(月)16:20~19:00
会 場: 佛教大学常照ホール5階
映 画:「内部被曝を生き抜く」「チェルノブイリ・ハート」

FRYING DUTCHMAN "humanERROR"

脱原発と平和の集い
「フライングダッチマン・ライブ&脱原発と平和を語る」
講 演: 守田敏也(フリージャーナリスト)
日 時: 2012年12月11日(火)18:00~20:15
会 場: 佛教大学常照ホール5階
主 催: 佛大5条の会・フライングダッチマン・ライブ実行委員会
後 援: 佛教大学(京都市北区紫野北花ノ坊町)
地 図: http://www.bukkyo-.ac.jp/about/access/murasakino/map.html