2022年9月25日

死と衰退を意味する作品を手がけた女性写真家サリー・マンの感性

New Mothers
The New Mothers, Lexington, Virginia, 1989
Sally Mann (born 1951)

アメリカの写真家サリー・マンは、死と衰退を意味する風景写真と肖像写真を得意としている。1951年5月1日、ヴァージニア州レキシントンに生まれ、1969年にパットニー高校で学ぶ。ホリンズ大学で1974年に美術の学士号を取得し、その1年後にクリエイティブ・ライティングの修士号を取得した。ケンタッキー州パットニーの教室で、クラスの仲間のヌードを撮ったのがきっかけで、写真家としてデビュー。写真に興味を持った彼女を父親が応援し、自分のカメラを使って基礎から教えてくれた。卒業後、ワシントン・リー大学に写真家として就職した。ロースクールの建物であるルイス・ホールを建設中に撮影した。これがきっかけとなり1977年にワシントンD.C.のコーコラン美術館で個展が開催された。これらの超現実的な写真は、後に1984年に出版された初の写真集 "Second Sight"(超感覚的知覚)の一部となる。1992年にモノグラフとして出版された彼女の第3のコレクション "Immediate Family"(近親者)で広く知られるようになる。

Larry Mann
Larry Mann, the photographer Sally Mann's husband, is in the foreground, 2005

ニューヨークタイムズ誌は、彼女の「不穏な仕事」についての特集記事とともに、彼女の3人の子供の写真を9月27日の号の表紙に使用した。その中でリチャード・B・ウッドワードは「おそらく歴史上、芸術界でこれほどの爆発的な成功を収めた写真家はいない」と書いている。写真の多くは、一家が夏休みに住んでいた川沿いの小屋で撮影されたもので、子供たちは裸で遊んだり泳いだりした。典型的な子供時代の活動、すなわち水浴び、雑誌を読む、着替え、昼寝、徹夜、ボードゲームなどを表現しているが、不安、孤独、怪我、性欲、死といった暗いテーマにも触れている。サラ・パーソンズは、その作品を「肖像画」でも「ドキュメンタリー」でも「スナップショット」でもないとし、その分類の難しさを語っている。彼女はこれらの私的な瞬間が公共の目に置かれるとき、母性などの社会的なコードを通して解釈され、見る人が主観を通して作品の物語を解釈することができると主張する。さらに作家のアン・ビーティは「ポーズはポーズにすぎない」と主張した。

Deep South
Deep South, Bridge on Tallahatchie, Mississippi, 1998

作品公開時の論争は、児童ポルノや、構築されたタブローによる作為的なフィクションであるという非難を含む激しいものであった。「近親者」がこの分野に参入したのは90年代初頭のことで、当時は政治家が有権者にアピールするために児童ポルノの疑いすら取り締まっていた。ネガティブな説明責任によって、疑われたアーティストは自分の作品を正当化せざるを得ず、マンなどの多くは自己検閲するか公共の場から作品を撤去させることになった。メディアが文化的作品に対する大衆の観念を操作し、マンに対して法的措置がとられることはなかったにもかかわらず、マンのようなアーティストを委縮させたと述べ、社会学者のジェフ・フェレルはこれを「文化的犯罪」だと評した。米タイム誌は彼女を「アメリカのベストフォトグラファー」に選出した際、こう記しています。曰く「マンは、子供時代の安息の瞬間と、明らかに、時には狼狽するほど想像力に富んだ遊びを、自然発生的なものと慎重にアレンジしたものを組み合わせて記録した。

Candy Cigarette
Candy Cigarette, Lexington, Virginia, 1989

彼女の子供のヌード写真に激怒した批評家たちが認めなかったのは、このプロジェクトに費やした献身的な努力と、多くの厳粛な出来事や遊びの中で息子や娘たちが喜んで加担していることである。その裸の素直さと、母性的な好奇心と気遣いの熱さは、他の家族写真集にはないものです」と。2005年、65枚のモノクロ写真で構成された6冊目の写真集 "Deep South(深南部)を刊行した。1992年から2004年まで、コロジオン湿板と従来型フィルムで撮影された風景写真である。戦場、荒涼とした自然、朽ち果てた邸宅など、不気味なイメージの写真ばかりだ。この作品はニューズウィーク誌で休日のブックチョイスに選ばれている。2009年、夫であるラリー・マンが筋ジストロフィーの影響を受けた6年間の写真を記録した "Proud Flesh"(傷跡)を出版、同年、ガゴシアン・ギャラリーで展示された。2010年に出版された "The Flesh and The Spirit"(肉体と精神)は、サリー・マンの新作と初期作品を含む200ページの作品集である。

Last Ligh
Last Light, Lexington, Virginia, 1990

テーマは肉体の病と死。その1年後、彼女は講演を行い、写真に関する側面や問題点について、同時代の人々と議論を交わした。彼女の作品はコーコラン美術館、ホイットニー美術館、メトロポリタン美術館、ボストン美術館、ハーシュホーン彫刻庭園博物館、その他多数に永久保存されている。さらにサリー・マンに焦点を当てたドキュメンタリー映画も2本ある。1本目はスティーブ・カンター監督の "Blood Ties: The Life and Work of Sally Mann"(血の絆:サリー・マンの生涯と作品)1992年、2本目は同じカンター監督の"What Remain"(残されたもの)2005年。2006年のサンダンス映画祭で、初公開され、2008年のエミー賞のドキュメンタリー部門最優秀作品にノミネートされた。2006年、コーコラン美術館から名誉美術博士号を授与された。6年後の2012年には、英国王立写真協会より名誉フェローシップを授与された。

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2022年9月19日

広告配信サービス Google AdSense をブログに設置する

Google AdSense
コンテンツ連動型広告で収益をはかる

当ブログサービス Google Blogger の運営費は無料で、押し付けの広告表示がない。しかしブログ運営者が逆に収益を図るために広告を掲載できる。ブログを含めたウェブサイト用広告配信は2種類ある。ひとつは Affiliate と呼ばれる広告手法である。広告主のサイトで商品購入、会員登録などの成果が発生した際、その成果に対して報酬が支払られる「成果報酬型広告」で。高額の商品が売れれば、収益が多くなるが、広告をクリックされても購入されなければ収益はゼロである。アマゾンや楽天が独自のシステムを持っているが、ヤフーの連結子会社「バリューコマース」のアフィリエイト・サービス・プロバイダが知られている。もうひとつは「コンテンツ連動型広告」配信サービスで、私は Google AdSense を導入してみた。サイトにコードを追加するだけで、サイトのレイアウトに適した広告が自動的に表示されるため、広告コードに変更を加える時間を節約することができるのがその理由である。オンライン コンテンツから収益を得ることができるサイト運営者向けのサービスで、コンテンツや訪問者に基づいて、関連する広告がサイトに表示される。

AdSense

広告は商品やサービスを宣伝する広告主によって作成され、費用が支払われるようになっている。設置にはまず審査を受ける必要がある。ハードルが高いという感想がネット上で散見するが「サイトに AdSense 広告を配信する準備ができました」というメールが届いたので設定を開始した。AdSense のホームページから「広告」をクリックする。設定するページを選択する。広告掲載の自動を促すメッセージが出たので試してみたが、配置に不満があるのでスキップした。元に戻り「サイトに適用」を選び、コードを取得する。縦長のコードをブログのサイドメニューに、横長のコードをフッタに貼り付けた。いずれもコンテンツ表示に邪魔にならない。これでブログへの設置は完成した。広告へのクリックに対する報酬単価が低いので、果たして収益化に繋がるかどうかは不明である。訪問者が決して多いのとは言えないので、正直言って疑問ではある。収益がなくとも広告を掲載している以上「非営利」の看板を謳えなくなってしまった。

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2022年9月16日

カラー写真を芸術として追及したジョエル・マイヤーウィッツの手腕

Camel Coats, New York City, 1975
Camel Coats, New York City, 1975
Joel Meyerowitz (2018)

ジョエル・マイヤーウィッツは1938年3月6日、ニューヨークに生まれた。風景、ストリート、ポートレート写真家として数々の賞を受賞し、その作品は世界中のギャラリーや美術館で 340 以上の展覧会に出展されている。1962年に写真を始め、芸術写真の世界ではまだモノクロ写真が主流を占めていた時代に、カラー写真に取り組んだ。1970年代にはニューヨークのクーパー・ユニオンでカラー写真の講義を行い、多くの写真家が彼のもとで学んだ。クラシックなカラー写真を集めた初の写真集 "Cape Light"(光岬)は30年間で10万部以上売れた。このほか "Aperture, Legacy"(絞りの遺産)を含む17冊の著書がある。"The Preservation of Wilderness in New York City Parks"(ニューヨークの公園における原生林の保護)1983年 "A Summer's Day"(ある夏の日)1985年 "Creating a Sense of Place"(場所の感覚を創造する)1990年 "Redheads"(赤毛の人々)1991年そして "A History of Street Photography"(ストリート写真の歴史)1994年 "At the Water's Edge"(水辺にて)1996年 "Tuscany: Inside the Light"(トスカーナ:光の中)2003年 などである。

Roseville Cottages
Roseville Cottages, Cape Cod, 1976

1998年に初制作した映画 "POP"でプロデューサー兼監督を務めた。これは、彼が息子と父親と3週間にわたって行ったドライブ旅行の日記であった。映画は、老化の側面と、記憶の重要性に対する瞑想の効果に焦点を当てたものであった。2001年9月11日の世界貿易センタービルへのテロ攻撃は、多くの説と論争をもたらした。マイヤーウィッツは、すぐ近くの地域とグラウンドゼロの荒廃と復興に基づいたアーカイブのための資料収集を開始した。このアーカイブには8,000枚以上の写真があり、ニューヨーク市博物館がスポンサーとなった。米国国務省がローマ、ロンドン、パリ、クウェート、イスタンブル、モスクワ、イスラマバード、エルサレムなど200以上の都市で世界35ヶ所の展覧会を開催した。

Anawanda Lake
Anawanda Lake, New York, 1970

この作品とは別に、117点のモダンとヴィンテージのプリントからなる巡回展 "Out of the Ordinary"(常識を覆す)1970~1980年をプロデュースした。この展覧会はパリのジュ・ド・ポームで初公開された。そしてこの作品は、ロッテルダムのオランダ写真美術館、ベルギーのシャルルロワにあるテッサロニキ写真美術館、オーストリアのザルツブルクにある近代美術館でも展示されている。ニューヨークの29,000エーカーに広がる公園を、記録とアーカイブ化で網羅するという壮大なプロジェクトを完成させた。1930年代以来、初めての大規模なビジュアルアーカイブである。ニューヨークの公園・レクリエーション局のエイドリアン・ベネペ(1957年生まれ)は、マイヤーウィッツを招き、5つの地区のすべてのコミュニティで作品を共有したのである。

WTC
World Trade Centre collapse, New York, 2001

ロバート・フランク(1924–2019)の作品に強い影響を受けたマイヤーウィッツは、広告代理店を辞め、モノクロフィルムと35ミリカメラでニューヨークの街を再発見する旅に出る。フランクだけでなく、フランスのウジェーヌ・アジェ(1857–1927)やアンリ・カルティエ=ブレッソン(1908–2004)からも影響を受けている。ジョエル・マイヤーウィッツの写真は、畏敬の念を抱かせるだけでなく、時に目覚めの呼び水となり、世界貿易センタービル崩壊のシリーズでは、彼の写真が、アメリカに住む人々を震撼させた出来事について世界中に認識を広める触媒の役割を果たしたのである。彼の写真の多くは、建物や構造物、人物を、中心から離れた視点と中心から離れた視点を用いて表現している。

WWW Joel Meyerowitz (born 1938) | World Trade Center | Black & White | Portraits | Biography

2022年9月13日

英国王チャールズⅢ世風刺漫画集

Luc Descheemaeker
CharlesIII, A Job At Last © Luc Descheemaeker
Tim O'bree
Scared to the Willies.. © Tim O'bree
Rodrigo de Matos
The Elizabetification of Charles © Rodrigo de Matos
Marian Kamensky
Save the King Charles III © Marian Kamensky
King Charles III © Tjeerd Royaards

英国王政の歴史の中で誰よりも長く王位継承者に指名されていたチャールズ皇太子が、9月8日に即位し国王となった。風刺漫画のポータルサイト Catoon Movement から5点を選んで転載した。いずれもエリザベス女王が付き纏った辛辣なタッチとなっている。ダイアナ妃を捨て、カミラ夫人と再婚したため人気が急落した。英国民の間ではウィリアム皇太子に譲位すべきだという声が根強いという。その影が風刺漫画に反映されているような気がする。ただカミラ夫人と共に環境問題などに熱心に取り組んできたため、評価がやや上昇しているようだ。風刺漫画は為政者を皮肉る趣があり、善意の作品になり難い側面がありそうだ。

cartoon movement  Cartoon Movement | A global platform for editorial cartoons and comics journalism

2022年9月11日

世界貿易センタービル 9/11 崩壊の劇的な画像

Photo 01
世界貿易センタービルの崩壊に伴い粉塵と瓦礫の高波がマンハッタン低地に轟いた
>Photo 02
世界貿易センターのタワーが崩壊し瓦礫の大きな粉塵が建物や車を包み込んだ
Photo 05
アルカイダによるテロで貿易センターのサウスタワーが崩壊し周囲に粉塵が充満した
Photo 06
世界貿易センタービルの7棟がこの日破壊され2,752人が死亡した © NYC Police Aviation Unit

私たちはニューヨークの世界貿易センターのツインタワーが崩壊する様子を何回となくテレビで見てきた。鉄とガラスの超高層ビルが小麦粉の袋のように爆発し、埃と煙がマンハッタン中に立ちこめた。しかしこの画像のように上空から見たことはない。21世紀の決定的瞬間から21年後、ニューヨーク警察のヘリコプターが撮影した一連の驚くべき写真は、私たちがよく知っていると思い込んでいた大惨事を、あらためて見つめ直すことを迫っている。2001年9月11日、2,752人の男性、女性、子どもたちが命を落した。この劇的な画像はアメリカの ABC ニュースが情報公開請求をして初めて公開されたものである。あの恐ろしい9月の朝、ニューヨークのスカイラインの上に煙が立ち昇り、燃え盛るビルが崩れ落ちているのが見えた。この画像は、警察のヘリコプターが、まず遠くから撮影を始め、その後、地下で起こっている惨状を明らかにするために移動していく様子を示している。燃え盛るビルの中に閉じ込められた人々が直面した恐怖、倒壊したときに周囲を包んだ煙と瓦礫の壁も記録している。なお、下記リンク先のウェブサイトに10コマの画像が掲載されている。

news  Dramatic images of World Trade Centre collapse on 9/11 released for first time | MailOnline

2022年9月9日

風見鶏岸田文雄原発検討使の危険

風見鶏岸田文雄
危険な風見鶏の岸田文雄

何事も優柔不断で検討ばかりしている岸田文雄が国葬強行という暴挙に続き、原発について(1)福島事故後に稼働した10基に加え7基を追加で再稼働すること(2)次世代革新炉を新増設すること(3)原則40年最長60年と定められている既存原発の稼働期間の延長という3つの検討項目を打ち出した。日経ビジネス電子版によると、追加の7基の再稼働時期は来夏以降としており、足元の電気の安定供給を意識したものといえる。原子力規制委員会の安全審査を通過しているものの、地元の同意などを得られていない原発を念頭に岸田は「国が前面に立つ」と話したという。東電柏崎刈羽原発6、7号機や、日本原子力発電の東海第2原発などがこれに当てはまる。特筆すべきはこれまで政府が避けてきた「新増設」に岸田が言及した点である。国葬はどうやら麻生某が言い出しっぺで、党内右派の顔色を窺っての素早い判断だったようだが、原発推進派議員、あるいは電力会社に背を押された可能性が高い。東京オリンピック誘致演説で安倍晋三は「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」と息を吐くように嘘をついたことが記憶に新しい。

風見鶏

2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災と、直後に発生した東京電力福島第一原発事故。翌3月12日、第一原発1号機原子炉建屋で水素爆発、発半径20キロ圏内・第二原発半径10キロ圏内に避難指示。第一原発3号機水素爆発。3月14日、第一原発3号機水素爆発、半径20~30キロ圏内に屋内退避指示。3月15日、第一原発4号機水素爆発、陸上自衛隊が3号機使用済み核燃料プールにヘリコプターで水を投下(地上からは消防車両が放水)県警による第一原発20~30キロ圏内での行方不明者の捜索開始した。福島県内の直接死は約1,600人、関連死は約2,300人に上る。以降「復興」という名の苦難の作業が今日まで続いているが、いまだ道半ばである。原発事故から11年、事故によって苦しんでいる人たちは未だにたくさんいるのである。使い古した原発の再稼働はおろか、新設にまで言及したが、これは許しがたい暴言である。風を読むのに必死の岸田はまさに「風見鶏」である。周囲の情勢などによってクルクルと立場を変える日和見主義者である。安倍晋三も救い難い政治家だったが、岸田文雄は安倍以上に負のレガシーを残しかねない危険を孕んでいる。

官邸  日本のエネルギーの安定供給の再構築(第2回)GX実行会議議事要旨(PDF 351 KB)内閣官房

2022年9月6日

テレビコマーシャル「かぞくの群像」に感動

かぞくの群像 #1 矛盾

積極的にテレビを見る習慣がない。しかし居間の食卓に付くと、妻がつけっぱなししているテレビが視界に入ってしまう。そしてコマーシャルが流れてくると、勝手に NHK に切り替えることが多い。NHK の内容が良いという訳ではない、余りにも粗雑なコマーシャルが多いからだ。ところがBS日テレで毎週土曜日午後6時から放送の「小さな村の物語イタリア」だけは例外である。2007年から続いている長寿の紀行ドキュメントタリ―番組だが、小さな村に素朴に生きる人々をテーマにしている。メインスタッフは日本人だが、イタリア人によるカメラワークが素晴らしい。スポンサーは大和ハウス工業と東芝メモリ株式会社(キオクシア)である。いずれのコマーシャルも好感が持てる。特に大和ハウス工業の「かぞくの群像 #1 矛盾」は秀逸である。

ある大学の哲学科の授業中。そこに、大学にはいないはずの小学生がいる。授業をしている教授は、小学生の父親。父の様子を見に来た息子は精一杯背伸びをして、その場になじもうとしている。家では見たことのない父の姿を見て、息子の気持ちがすこし成長する。それをうれしく思う父。そんなとある家族の一日です。

小学生が大学の授業を受けるというのは、いささか飛躍に過ぎる設定かもしれないが、脚本の力だろう、何度見てもひきずり込まれてしまう。少年は亡き母親のことを「どんな人でしたか」と父親に尋ねる。「厳しくて、やさしい人でした」「矛盾してますね」「人はみんな、矛盾しているものです」「ともみさんも矛盾していますか」「矛盾だらけです」「そんな人が先生でいいんですか?」「その方が、みんなほっとするんじゃないでしょうか」「じゃあ、ぼくも、先生になれるかもしれないですね」「ほら、小さな希望がうまれましたよ、後、負けず嫌いな人でした」「そうですか、ぼくには似てませんね、また行ってもいいですか?」「退屈だったでしょう」「少し難しかったです」「少し・・・ですか?」「少しです」「似てきましたよ」。監督の大森歩は、家族の名前を「さん」づけで呼ぶのは、学生時代に尊敬していた先生がモデルですとツイートしている。

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