2013年1月31日

富士の新型X100s登場はちょっぴり悔しい


愛用している富士フイルムのデジタルカメラX100が突然おかしくなってしまった。シャッターを押すたびに露出が変わってしまう。大阪のサービスセンターに持ち込んだら、シャッターに不具合が生じているという。修理を依頼したが、なんとレンズユニットを交換するという話。つまりシャッターとレンズが一体となっているとのことである。フィルムカメラでは考えられないが、もしかしたら修理を容易にするために、このように各部品をユニット化しているのかもしれない。帰りに富士フイルムフォトサロンで2月23日に発売になる後継機X100sを見せて貰った。ボディに「S」の字を刻んであるだけで、外観はほとんど同じだが、中身はまるで違う。ローパスレス構造によるセンサーが搭載されているのである。普通のセンサーはモアレ(干渉縞)を防ぐため、わざと画像をボカすローパスフィルターを使っている。

ところが富士のX-Transセンサーは画素の配列をランダムにし、モアレ現象を防いでいる。ローパスフィルターがないので当然のことながら画像が鮮明になるという仕掛けである。昨年2月、横浜で開催されたCP+2012の富士フイルムのブースでこのセンサーを搭載したX-Pro1が展示されていた。これを見たとき、X100に搭載されていればと悔しい思いをしたものである。私がX100を買ったのは2年前だけど、今回のように修理して使おうと思っている。時節柄サイクルがく日進月歩のデジタルカメラ、新型登場は仕方ないとも思う。でもやはり新しく買うのもちょっと躊躇われるし、ちょっぴり悔しい。

2013年1月29日

安価なタブレット普及が電子書籍の読者数を押し上げる


米国の情報調査シンクタンクピュー研究センターが昨年末に公表した調査結果によると、電子書籍読者の人口は増え続け、16歳以上のアメリカ人の電子書籍を読んでいる人の数は、16%から23%に増加したという。逆に過去12ヶ月間に印刷された本を読んでいる人の数は、72%から67%に低下したという。上の表は電子書籍を読むため所有しているデバイスの推移である。2010年5月の時点では電子書籍リーダーとタブレットのどちらかを持ってる人は6%であった。持ってる比率はタブレットより電子書籍専門リーダーのほうが多かったのだが、昨年、それが逆転したことが分かる。電子書籍読者増加はタブレットの普及が押し上げていると同研究センターは分析している。タブレットのみの人は4人にひとり、いずれかを持っている人は3人にひとりに達している。日本の状況はどうだろうか。公的調査機関による調査結果を見つけることができなかったが、昨年9月「価格.com」ユーザーへ実施した意識調査によると、現在電子書籍を利用しているユーザーの割合は全体の2割弱だったことがわかったという。

電子書籍の年代別利用率(価格.com)

角川事務所280円文庫
年代別では、20代の利用率が31.7%ともっとも高く、年代が上がるにつれて利用率は下がっている。電子書籍を利用していない人でも 52.8%は、今後電子書籍を「読んでみたい」と答えたそうだ。ところで今年の夏に公開される、宮崎駿監督の長編アニメ映画『風立ちぬ』について書いた際、堀辰雄は自伝的小説『風立ちぬ』が角川春樹事務所から廉価版「280円文庫」シリーズの一冊として出版されているが、アマゾンの電子書籍Kindle版は0円であると紹介した。著作権が切れた作品なのでこの値段が設定できるのだが、両方を読み比べてみた。電子版に関しては書籍リーダーKindleを持っていないので、Kindleアプリを使ってタブレットNexus7でダウンロード、読んでみた。字を大きくできるので老化した眼には優しく、正直言って紙の本より読みやすい。年代が上がるにつれタブレット所有者は減るようだが、これは逆で高齢者ほど使うべきだと痛感した次第である。アップルのiPadが発売された2年前「それ、電子書籍元年!」と騒がれたが、日本では残念ながらブレイクなかった。ところがグーグルのNexusなど最近は安価なタブレットが登場、本家アマゾンも日本語対応のKindleシリーズをリリースした。その普及が電子書籍の読者数を今度こそ押し上げる思われるが如何だろうか。

2013年1月26日

モバイルWi-Fiルータ解約の無駄遣い


当ブログに「モバイル機器Wi-Fiルータ導入顛末記」なる一文を寄せたのが昨年の10月21日、わずか三ヶ月で解約してしまった。曰く「外出先でのネットワーキングの必要性を感じていなかったものの、いざ繋がらないと繋ぎたくたくなる。これは人間の悲しき性(さが)なのだろうと弁解しておこう。そこで何処でも使えるWi-Fiルータの導入に至った次第である」云々と書いたのだが、その外出先が挫折の要因である。モバイルWi-Fiルータがあればタブレットやノートパソコンでネットと繋げる、便利そうだと思ったし、今でもそう思っている。しかし「便利そう」だからといってそれを「活用できる」とは限らない。初めから分かっていたことだが、外でパソコンを使った仕事をするわけでもないし、趣味で書いてるブログの更新も自室でないと落ち着かない。ましてや「何処何処ナウ」といったツイートも私の趣味に合わない。タブレットNexus7は電子書籍リーダー専門になりつつあるし、iPhoneはウオークマン代わりになりつつある。

一昨年の冬に骨折して入院、その時にネットワーキングがままならかったが、そのこともルータ導入の潜在的要因になっていた。しかし今度そういったことがあってもiPhoneによるテザリングをすればいいし、だからWi-Fiルータの必要性がないのである。よく言われることだが、1台機器が増えたので煩わしくなったということもある。常にバッグの中には2台のデジカメが入ってるし、電池の管理が面倒なのである。ところで解約によって違約金9,9975円、そして24回払いの割賦金が22回分残っていて、これが1,400×22=30,800円也。合わせて40,775円+導入時の契約手数料などを含めると、4万円強の無駄遣いになってしまった。このまま使い続けて2年後に解約という方法も考えたけど、この先8万5,000円ほど払うことになるので、思い切って今回解約した次第である。蛇足ながら使ったルーターは決して悪い器械ではない、単に自分にとって必要ないものに手を出した、粗忽者の不始末に過ぎない。

2013年1月25日

教祖スティーブ・ジョブスなきアップルに翳り

Steve Jobs by Giuseppe Veneziano

今月18日付のロイター通信日本語版が「第4世代iPad販売伸び悩み、シャープがパネル生産ほぼ停止=関係筋」というリポートを掲げた。小型のiPadミニに需要が移り、9.7型画面の第4世代モデルは販売が伸び悩んでいるという。シャープが三重県の亀山第2工場で第4世代iPad用に、酸化物半導体IGZO(イグゾー)の技術を採用した液晶パネルの製造を始めた。しかし昨年末からiPad向けのラインの稼働を徐々に落としており、今年に入ってほとんど生産していないという。アップルは手元の在庫パネルでiPadを生産しており、パネル発注を抑えているというのだ。同日、ニューズウィーク誌日本語版も「ついにサムスンを切ったアップルの勝算は?」という記事を載せている。ご存知の通りアップルとサムスンは世界各国の裁判所でお互いを相手取った特許権侵害訴訟合戦をしている。ところがアップルの携帯端末向けOSであるiOSを搭載したiPhoneやiPadはサムスンの半導体で動いている。そのアップルはサムスンからの半導体調達を打ち切るようだ。これは一見サムスンにとって痛手に見えるが、実は逆だと記事は解説している。

サムスンはアップル向けに多くのプロセッサを生産しているため、自社の製品が必要とする半導体の30%程度しか社内で賄えていないという。だからアップルと手を切れば自社製品向けの半導体生産余力が大幅に高まるという利点があるというのだ。一方アップルは半導体の新たな調達先を見つける必要があるが、現在のサムスンほど大量の半導体を供給できるメーカーはほとんどないという。複数のメーカーから半導体を買うことになれば、半導体の設計、品質、価格が一様でなくなることになり、新たなコストが発生する。それによってiPhoneやiPadの均質性が損なわれる可能性がある。故スティーブ・ジョブスはアップルを閉鎖型企業に仕立て上げた。互換機を許さない強力なリーダーシップによって、優れたデザインの、そして素晴らしいヒット商品を生み出してきた。サムスンに背を向けるという厳しい選択をした背景にジョブズの影がはっきり見て取れると記事は結んでいる。日本国内に限れば昨年12月、グーグルのタブレットNexus7のシェアがiPadを上回ったという報道がある。教祖ジョブスなきアップルに翳りが見えてきたようだ。

2013年1月24日

風立ちぬ いざ生きめやも


宮崎駿が監督を務める長編アニメーション映画『風立ちぬ』が今年の夏に公開される。ご覧のようにポスターに「堀越二郎と堀辰雄に敬意を表して」と「二人の堀」の名が書かれている。堀越二郎は零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦の設計主任として有名である。映画は若き堀越二郎がモデルになっているという。航空機といえば『紅の豚』を思い出すが、平和主義者の宮崎監督が戦闘機をどのように描いてるか興味深い。堀辰雄は自伝的小説『風立ちぬ』の作者で、そのタイトルが映画に使われている。小説の冒頭部分に登場する「風立ちぬ、いざ生きめやも」という有名なフレーズが引用されているが、これはなかなか含蓄がある言葉である。さあ生きていこう、という意味に解釈されているようだが、ちょっとニュアンスが違うような気がする。蛇足ながら著作権が切れているため、角川春樹事務所から廉価版「280円文庫」シリーズの第2弾として出版されているし、アマゾンの電子書籍Kindle版は0円である。これまでもそうだったけど、ストーリーの詳細については調べないことにした。先入観を持たずに映画館で出会いたいからだ。

2013年1月22日

確証がないまま不正選挙と騒ぐネット世論の怖さ


選挙に対する疑惑は付き物のようだ。ずいぶん昔になるが、投票所での有権者を観察したことがある。目に付いたのは、マイクロバスやタクシー、自家用車で集団投票にやって来る人たちだった。その多くがお年寄りであったことも印象に残っている。知り合いのタクシーの運転手さんに聞いたところ、投票日には会社を休んで選挙事務所から頼まれて有権者をピストンで運ぶという。さてそこで疑ってしまったのは、投票を誘導するなんらかの工作をしているのではないかということだ。「誰それをご支援お願いします」というなら問題ないが「誰それに投票してください」と頼んでないかということだった。運ばれてきた人たちにその点を聞くのはやめたが、疑いを持ったのは言うまでもない。今でもこのようなことをしているかは知らない。これは投票にまつわる疑念だが、開票および集計に不正があったのではないか、いや不正があったという指摘がネットの片隅で流れている。その一例としてブログ「ひょう吉の疑問」から「不正選挙10の疑問」を引用してみよう。
  1. 戦後最低の投票率、というのが最大の疑問。投票総数ではなく入場者数を示すべき。特定政党への投票が抜き取られたのではないかという疑惑。
  2. 1.にもかかわらず、投票所に長蛇の列ができたこと。こんなことは今までになかったこと。都知事選と重なった東京以外でも長蛇の列ができている。事前の世論調査でも、国民の関心が高かったことが裏付けられている。
  3. 1.にもかかわらず、多くの投票所で、投票終了時間の繰り上げで、さらに投票率が低下したこと。
  4. ネット上の世論調査では未来の党が1位か2位を走っていたいたにもかかわらず、選挙結果との隔たりが大きすぎること。
  5. 消費税増税・TPPが選挙の争点から隠されていたこと。大手マスコミによる世論操作の疑い。
  6. ある選挙区では、筆跡が同じ投票用紙が多数あったという声が上がっていること。
  7. 圧勝した自民党の得票数自体は惨敗した3年前の総選挙と変わっていないにもかかわらず(比例区では全体の27%)、自民党が過半数をはるかに超える294名の当選者を出したこと。そのことはライバル政党への投票が抜き取られた可能性とも符合すること。その辻褄を合わせるために、大手マスコミが投票日の午前中から戦後最低の投票率を強調したのではないかという疑惑。
  8. 自民党参議院議員の三原じゅん子氏が、投票終了時刻の30分前に出口調査の結果として『自民党が厳しい』状況にあることをブログで公表していること。ところがその30分後のテレビの選挙報道番組では、出口調査の結果として逆に『自民圧勝』と伝えられたこと。
  9. ここ3年間、大手マスコミによる執拗な小沢一郎叩きが続いていること。
  10. 維新の会への過剰なる応援報道が続けられたこと。小沢叩きと好対照をなしていること。
このような疑惑を元に「不正選挙」の裁判提起訴状を提出した人がかなりいたという情報がネットに流れているが、実際の数字は不明である。ひとつ分かっているのは埼玉5区から立候補した高知市の藤島利久氏が。訴状の「ひな型」作成をしブログで公表、氏自身も訴状を提出したというくらいだ。先の選挙では旧未来の党(実質は旧生活が第一)が61から議席と大惨敗したわけだが、かいつまんでいえば、小沢グループの一部およびその賛同者が「未来の党は不正選挙で負けた」と主張しているようだ。上記「不正選挙10の疑問」を読んだ限りでは、不正を裏付ける決定的証拠が見当たらない。また状況からの判断記述は極めて非科学的といえる。一般論として、多数の議員がその議席を失うといった、開票結果の大勢に及ぶような操作しようとした場合、かなり大がかりな仕掛けが必要で、その分発覚するリスクが大きい。もし明るみになれば、仕掛けた政党ないし組織は壊滅的なダメージを免れないと思う。私は不正がなかったと断言する材料を持っていない。しかし確証がないまま、不正、不正と騒ぐことにネット世論の怖さを感ずる。

2013年1月19日

70歳の誕生日を迎えたジャニス・ジョプリン


Janis Lyn Joplin

今日1月19日はジャニス・ジョプリン(1943年1月19日 - 1970年10月4日)の誕生日である。米タイム誌が電子版で「70回目の誕生日おめでとう」という写真特集を組んでいる。日本なら「生誕70周年」といった表現をするので、ちょっと違和感があるかもしれないが、欧米ではこのように故人に対しても「誕生日おめでとう」という表現をすることが多いようだ。ジャニスの履歴の詳細に関しては他に譲るが、彼女との出会いについてちょっと触れておきたい。ザ・バンドの解散コンサートがカリフォルニア州サンフランシスコのウインター・ランドで開かれたのは1976年だったが、そのセミドキュメンタリー映画『ラスト・ワルツ』が日本で公開されたのは1978年夏だった。ロードショウを見逃した私は、吉祥寺の二番館でこの映画を観た。場所ははっきり覚えていないが、うらぶれた、いかにも二番館といった佇まいであった。二本立てで、もうひとつが1974年に制作されたドキュメンタリー映画『ジャニス』だったのである。モントレー・ポップ・フェスティバルから、人前に姿を現した最後の瞬間と言われる高校の同窓会での映像まで収録された、伝説の映画である。流れた"Me And Bobby McGee"は今でも耳にこびり着いて離れない。1970年10月4日27歳、アルバム『パール』の録音のため滞在していたロサンゼルスのホテルでジャニスが死亡しているのが発見された。そのLPは私の宝物になっている。

You Tube Me and Bobby McGee - Janis Joplin

2013年1月18日

嘉田由紀子「小沢一郎さんとの《成田離婚》すべて話します」を読む


発売中の『週刊朝日』1月25日号の記事“嘉田由紀子(滋賀県知事)小沢一郎さんとの「成田離婚」すべて話します”を読んだ。先の選挙での日本未来の党についてはこれまでも何回か書いてきたし、もう終わった過去の話なので触れまいと思っていた。しかしインタビューなので記者会見など、これまでの報道より詳しいのでちょっと取りあげてみたい。結党した際、私は嘉田新党ではなく小沢新党なの、私が管理しているFacebookグループ「脱原発への道」に危惧の念をポストした。要するに琵琶湖の環境保全に取り組んできた嘉田知事のクリーンイメージを利用、影が薄かった小沢一郎氏率いる生活が第一の選挙戦術に過ぎないという憂いからだった。しかし少なくとも私のFacebookのニュースフィードには、日本未来の党へ投票しようというメッセージが大きな流れであった。確かに同党のメインスローガンが脱原発だったので、微かな期待を抱いて比例で一票を投じた。結果は惨敗であった。そこまでは良い、というか仕方なかった。ところが選挙結果を受けて小沢グループが同党を「生活の党」と改名、嘉田知事と安部途知子議員を追い出したのだが、これには流石に呆れてしまった。嘉田知事の甘さ、小沢一郎の狡猾さ、どっちもどっちで、投票した人々を愚弄したものだった。「選挙に7、8億円かかった。年内に分党問題を決着できななければ、そちらが負債を引き継ぐことになる」と小沢氏側にすごまれ、未来の党は結局、生活系に乗っ取られる形となったのだ、と週刊朝日は書いている。
週刊朝日1月25日号
「未来の党は衆院選で得票率2%以上を取っていたので、議員が安部さん1人になっても、1月1日までに未来の党を維持すれば、国政政党の資格を確保できました。しかし、『嘉田代表の名前で1月1日に政党交付金の申請書を総務省に出すのは絶対に嫌だ』と生活側の議員に拒否され、昨年末に分党手続きをとらざるを得なかった。平和主義者の私はけんかが苦手なので、仕方ないかなと……。この結果は、相手がどうこうというより、私の判断が甘かったために招いたと反省しています」
と嘉田知事は言っている。確か結成当初嘉田知事は昨年11月30日、千代田区の日本記者クラブで行われた「党首討論会」で「なぜ、みなさん、そう小沢さんを怖がるのか、これまで小沢さんを嫌がるのか。小沢さんの力を、ご自分のために利用してきた方々が、怖がっていらっしゃるのかなあ、と思います。私は、国民が求める政治を実現するために、小沢さんの力を使わせていただきたいと思っています。小沢さんを使いこなせずに、官僚を使いこなすことはできません」と発言した筈である。これが「平和主義者の私はけんかが苦手なので、仕方ないかなと……」となってしまったのである。なんと無責任な言いわけかと呆れる。百戦錬磨の小沢氏に赤子のように扱われたのだが、その小沢グループも今回の一件で国民の信頼を完全に失ってしまった。もはや再起は無理だろう。記事は知事の職務に専念するという言葉で終わっている。昨年12月21日、私は当ブログに「嘉田滋賀県知事は未来の党を去って琵琶湖を守って欲しい」と書いた。今後は近畿の命の水源である琵琶湖を守ることに専念することを切に願っている。この夏に予定されている参院選では自公およびその補完勢力である維新の会が衆院選に続いて圧勝すると思う。私もサポーターになっている「緑の党」も、国政に影響を持てるような勢力を持つに至るとは考え難い。国民の声を直接国政に反映させるシステム、真の意味での民主主義がこの国には育っていない。日本のリベラルが死に体である。

2013年1月15日

映画「モンサントの不自然な食べもの」上映&トークのご案内


マリー=モニク・ロバン
日   時: 2013年1月19日(土)12:15
場   所: 京都みなみ会館(京都市南区西九条東比永城町)
ゲスト: 松平尚也さん(AMネット代表理事)小野邦彦さん(「坂ノ途中」代表)
野菜市: 11:30~15:00の間「坂ノ途中」さんによる野菜市を開催
地   図: http://kyoto-minamikaikan.jp/access
入場料: 一般/1,500円、学生/1,300円、当館会員/1,000円
問合せ: mail@kyoto-minamikaikan.jp
公式HP: http://www.uplink.co.jp/monsanto/

バイオ化学メーカーとして世界屈指の規模と成長性を誇り、ビジネスウィーク誌が選ぶ2008年の世界で最も影響力があった10社にも選ばれている巨大多国籍企業であり、TPPを強力に推進している大きな勢力でもあります。生物の根幹である「タネ」を支配し、世界の食物市場を独占しようとするモンサントの本当の狙いとは? 経済のグローバル化に揺さぶられる食の安全と、不自然な食べもの=遺伝子組み換え作物。日本の豊かな食卓を守るために知っておきたい多国籍企業のこと。上映と合わせて、京都で百姓として生きる松平尚也さん(AMネット代表理事、アジア農民交流センター世話人)が映画の解説や、遺伝子組み換え作物を巡る世界と日本の状況についてお話し下さいます。その後、有機農業で丁寧に作られた野菜を販売されている「坂ノ途中」の代表・小野邦彦さんを交えてのトーク・セッションも行います。また、劇場ロビーでは、「坂ノ途中」さんによる野菜市を開催予定。ぜひご参加ください! (詳細: http://civilesociety.jugem.jp/?eid=19466

2013年1月14日

洋楽を聴かない日本人が増えているそうだ


洋楽というのは邦楽の対義語で、欧米の大衆音楽を意味するが、ずいぶん古い言い回しだ。洋楽といえば、戦後から60年代初頭にかけてのジャズ、カントリー&ウェスタン、シャンソン、タンゴなど、それぞれの外国音楽ジャンルが思い浮かぶ。ところが音楽の融合によってロックが生まれ、様相が一変、この用語にも変化が起きたようだ。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディランなどの輩出によって、融合されたロックミュージックを洋楽と総称するようになり、さらに現代では日本で生産されるポピュラー音楽(J-POP)全ての対義語となってるようだ。柴那典氏のコラムによると、分岐点は2007年にあったそうである。長文だが、興味深い記事なのでお読みすることを勧めたい。以下は洋楽ロック誌の代表的な存在である『ロッキング・オン』誌と『クロスビート』誌の、昨年1年間の表紙を飾ったアーティストのリストだそうである。2010年代どころか、21世紀以降にデビューした人すら、誰もいない。60年代から90年代にデビューしたアーティストの情報が、今フィーチャーすべきものとして大きく取り上げられているというのだ。
ビートルズ、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、デヴィッド・ボウイ、レディオヘッド、グリーン・デイ、ストーン・ローゼズ、ミューズ、ノエル・ギャラガー、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ。
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スーパースターであるレディ・ガガの日本での人気ははどうだろうか。一昨年にリリースされたアルバム『ボーン・ディス・ウェイ』は60万枚を超えるセールスを果たし、オリコンの年間ランキングでも嵐、AKB48、EXILEに続く4位という数字を記録しているという。彼女の場合は例外であろう。昨年はグローバル・ポップの地殻変動が起こったと柴氏は指摘する。これには90年代で時計の針が止まった、日本の洋楽メディアは除外されるという。ポピュラー音楽のグローバル化に対し、音楽メディアの編集者がついて行けないのか、それとも今の日本の若者が感心を持っていないのだろうか。たぶんその両方なのだろう。ところで私は知り合いの関西フォークのシンガーたちは例外として、日本の音楽とはほとんど無縁である。聴くのは沖縄民謡と大貫妙子の歌くらいである。アメリカのブ伝承音楽が好きで、フェイスブックに「アメリカンルーツ音楽」というページを作っている。そのページの読者が昨夜が1500人を超えた。化石化したジャンルの洋楽だが。

2013年1月12日

香港の工場屋上で干されていた大量のフカヒレが見つかる


フカヒレ(鱶鰭)料理を食べたことがありますか? 美味しかったですか? 私は過去に数度中華料理店でスープを頂いた記憶があります。食感が鈍いのでしょうか、高価な割に美味とは思わなかったような気がします。食道楽の人々は珍味を求めるようですが、要するに珍しい、あるいは希少食材がターゲットじゃないかと思うことがしばしばです。熊の手といったものが典型で、中国では高級料理だそうです。というか、中国人とフランス人が一番食いしん坊で、例えば牛一頭を爪と毛皮以外は全部料理してしまうのが彼らだと聞いたことがあります。それはともかく、珍味となる動物植物は、ともすると絶滅危惧種であったりします。フカは大型のサメのことですが、近年、サメ漁を禁ずる動きが出ています。例えばアメリカではフカヒレの採取を目的としたサメ漁は禁止されています。

一方フカヒレ料理の本家中国ですが、WWF(世界自然保護基金)が香港のホテルやレストラン業者などを対象に、フカヒレを使った料理の提供をやめ、代替素材を使った料理を提供するよう説得するキャンペーンを実施。一部の高級レストランがフカヒレ料理の提供を止めることを表明したようです。となると食材が高騰、暗躍する業者が出てくるのは必然の至りでしょう。今月初め、香港の工場の屋上にぎっしり並べられたフカヒレが発見され、話題になっています。ここで登場したが例の反捕鯨団体シーシェパードで、香港コーディネーターであるゲーリー・ストークス氏が現場を訪れたそうだ。ストークス氏によると1万5,000~2万枚もあり、港で1度にこれほど大量のフカヒレを見つけたのは初めてだったそうである。以前は歩道で干していたが、一般からの批判を避けるため目立たない場所を使うようになったのではないかという。写真を見ると確かに壮観そのもの、人間の食に対する貪欲さを痛感します。

2013年1月10日

上七軒の芸妓舞妓が野点をする梅花祭を久しぶりに覗いてみよう

合格祈願  北野天満宮(京都市上京区馬喰町) Fujifilm Finepix X100

元日の零時を過ぎると、歩いて四、五分と近いこともあって、北野天満宮に初詣でするのが毎年の慣わしだった。ところが今年は何故かパスしてしまった。これといった理由はないが、やはり歳のせいか、いささか深夜の外出が億劫になったのかもしれない。その代わり翌日、東本願寺大谷祖廟へ仏花のピンホール写真撮影と墓参を兼ねて出かけた帰り、八坂神社にお参りした。しかし何となく不義理をしている気分が残っていたので北野天満宮に出かけた。かろうじて松の内なので、これも初詣でといえなくもないだろう。北門、つまり裏門をくぐり、社殿で御賽銭を投げた。三光門をくぐり出て境内をぶらぶら歩いているうちに、今朝読んだ朝日新聞の紙面に、合格祈願の絵馬の写真が載っていたを思い出した。私にとっては見慣れた、特に珍しい光景ではないが、絵馬掛け所に寄ってデジタルカメラのシャッターを落とした。受験生の願いが籠った夥しい数の絵馬に、斑模様の木漏れ日が落ちている。ふと、細字で書かれた絵馬に視線を落とすと「英会話上達祈願○○○○子71歳」とあった。そうなんだ、学生ばかりではない、年老いても学ぶ心が大事なんだ。楼門をくぐり振り返ると、菅原道真の歌が目に入った。美しや紅の色なる梅の花あこが顔にもつけたくぞある。二月になれば境内の梅の花がほころぶ。今年は上七軒の芸妓、舞妓さんが野点をする梅花祭を久しぶりに覗いてみよう。

2013年1月9日

ニライカナイへ旅立った写真家の東松照明さん


太陽の鉛筆  カメラ毎日別冊(毎日新聞社1975年)

写真家の東松照明さんが他界した。朝日新聞1月7日付電子版によると、東松さんは昨年暮れの12月14日、肺炎のため那覇市内の病院で死去、82歳だったという。同記事にあるように1969年に沖縄と出あい、視線は基地から、むくな自然と風俗に向かった。1973年には宮古島に7カ月滞在。その成果は毎日芸術賞や芸術選奨文部大臣賞を受けた「太陽の鉛筆」(1975年)などにまとまった。東松さんとお会いしたのは、まだ新宿に住んでいたころだった。1972年に私は朝日新聞神戸支局から東京本社出版局に異動、中野のマンションを借りた。確か2年後の1974年、写真家の富山治夫さんが住んでいた新宿のマンションを引き払ったが、その部屋に私は移り住んだ。そして東松さんがすぐ近くに住んでることを知ったのだった。旧ブログに私は「ローライフレックスが好きっ!」という一文を投稿したことを思い出した。
ローライフレックスを買う気になったのは東松照明さんの影響かもしれない。東松さんは篭から文鳥を出すと手のひらに乗せた。「二眼レフというのはねぇ、お辞儀カメラと言うんだ」。亜熱帯をテーマにした『太陽の鉛筆』をカメラ雑誌に連載してるころだった。「ふつうのカメラはファインダーを覗くと直視する形になるだろ。二眼だと下を見るから相手は安心するんだ。お辞儀、そうなんだよね。お辞儀をして撮らせてもらうのさ」。ふーん。私は関心する。それにしても太陽の鉛筆ってうまい表現だなと私は思った。
この時ローライフレックス以外にもいろいろお話したことが昨日のように蘇ってくる。私は朝日新聞のスタッフだったが、自分の会社が発行する『アサヒカメラ』に対しては編集方針が馴染めず、いわばライバル誌であった『カメラ毎日』に共感、愛読していた。特に不定期で掲載された「太陽の鉛筆」を観るのが楽しみだった。写真集は「カメラ毎日別冊」でムックとして発刊されたものだった。だから今では希少本になっているらしい。その『カメラ毎日』は1985年に廃刊に追い込まれてしまったが、それは日本の写真界にとって重大な損失だったといえる。写真集が発刊された1975年、沖縄国際海洋博覧会が開催されたが、私は雑誌『アサヒグラフ』の取材で沖縄を撮り歩いた。東松さんの影響を受けたのはいうまでもない。東松さんは90年代末、沖縄に住居を移した。終の棲家としたのだろう、ニライカナイへ旅立った。ご冥福をお祈りします。

2013年1月7日

活断層の疑いがある大飯原発は即稼働停止に

NO NUKES  大飯原子力発電所(福井県大飯郡おおい町)

昨年12月30日付けの日本経済新聞電子版によると、福井県大飯原発の活断層判断が今春以降になったという。国内で唯一再稼働した原発だが、要するに今年8月の定期点検まで運転を続けるということである。同原発の敷地内に活断層が走っているという指摘は前からあり、原子力規制委員会が再調査した。記事によると、島崎邦彦委員長代理は「まだ検討が必要だ。関電の調査後に改めて会合を開く」と表明。関電の追加調査を待って今春以降に最終判断する見通しを明らかにしたという。ここでふたつの疑問が浮かぶ。私は地震予知に関する研究は意外と進んでいないと、京都大学防災研究所の山田真澄助教授から伺ったことがある。つまり現在の地震学の主流は地震の仕組みを解剖することに主眼が置かれ、予知に関しては分からないことだらけらしい。地震はいつ起こるか分からない。明日にも起こるかもしれないのだ。ひとたび事故が起これば取り返しがつかないことは福島第一原発を見れば明らかだ。

今回の調査でも東洋大の渡辺満久教授が「今までの考えは変わらない」として活断層の疑いを示唆している。活断層を否定する証拠はないのだ。であるなら稼働停止するというのが一般社会のルールではないだろうか。もうひとつの疑問点は、関電の追加調査を待つということだ。電力会社は運転したい、だからその調査を遅らせる工作することは今までの言動から十分考えられる。そもそも調査対象の原発を当の電力会社に調査させることがオカシイのである。突然の呆れた決定の裏に、現自民党政権が裏で糸を引いていると疑うは私だけだろうか。ところで「卒原発」を指標に結成された日本未来の党のその後だが、昨6日、嘉田由紀子代表の辞任を正式に決定、飯田哲也氏も代表代行を辞任、後任の代表には阿部知子衆院議員が就任した。嘉田元代表には、母なる湖(うみ)琵琶湖を抱える滋賀県の知事として、大飯原発の即時稼動停止および廃炉に追い込む為に尽力、脱原発を願う人々の気持ちに応えて欲しい。

2013年1月6日

縦にも横にも書ける日本語の多様性


最近読んだブログ記事で面白かったは及川卓也氏の「縦書き不要論」である。縦書きでないと実現できないようなユースケースはどういうものだろうか?と質問したところ、なるほどと思わせる回答をしてくれたのは二人だけで、女子中学生(当時)と日本語が堪能なアメリカ人だったという。中学生の答えは、縦書きだと電車の中で本を大きく開かなくても読めるというものだった。アメリカ人の答えは、日本語は縦にも横にも配置できる自由度を持った素晴らしい言語であるという指摘である。これは同感で、後述したい。及川氏はさらに、日本語は縦書きに向いた文字であるという主張を良く聞くが、その科学的な根拠は何だろう、と問いかけている。ずいぶん昔になるが、朝日新聞が横組みの新聞を試作してみたが、やはり縦組みのほうが読みやすいと結論したと聞いたことがある。ただ新聞のフォントは縦組みを意識してやや扁平になっている。横組み用の新たな字体を作ってテストしたかは不明だから、やや説得力に欠けるかもしれない。ご存知の通り同紙は部分的に横組みを採用しているが、基本的に縦組みを維持している。縦書きの場合、かなと漢字および漢数字だけなら問題ないが、洋数字やアルファベットを挿入しようとすると苦労する。新聞が洋数字を使う場合、2ケタの場合は連数字を使うが、その他は1ケタずつ縦に並べてで表示する。メールアドレスなどは横書きしたものを45°回転させてそのまま使っているが、数式や化学式となるとお手上げである。
表紙は横で背表紙は縦組みと日本語は自由自在

だから数式を使う数学や化学の教科書は横書きだし、技術関係の書籍や雑誌も横書きなのである。紙に印刷された新聞が縦組みであっても、電子版は横に組んである。そしてそれを読んでいても何ら違和感を生じない。またこのようなブログを書く場合に使うテキストエディタは無論横書きだが、これまた抵抗感がない。かつて縦書きエディタを使ったことがあるが、ずいぶん戸惑ったものである。左から右へ流れる横書き文字に慣れると、文字が上から下へ流れ、改行のたびに左に移動する縦書きに違和感を覚えたことが思い出される。という経験を踏まえると、縦書きなんかなくてもいいのかなと一瞬思ってしまう。しかし文字は印刷媒体などばかりに使われるわけではない。横長の看板には横書きが相応しい。縦長の看板や、石柱、幟(のぼり)、そして極めつけは本の背表紙である。これらには縦書きが似合うのは自明の理である。洋書店に並んでる書籍の背表紙を眺めていると仕舞に疲れてしまう。これが前述の日本通アメリカ人が絶賛する日本語の多様性の素晴らしさなのである。アマゾンが電子書籍リーダーの日本語版の発売が遅れたのはフォント作りのためだったと聞いたことがある。文学書などはちゃんと縦書きになっているが、これは何らかの事前リサーチをしたのだろうか。それとも紙に印刷された既成の書籍のスタイルを単純かつ無条件に踏襲したのだろうか。

2013年1月4日

過去の党になってしまった日本未来の党


今日の読売新聞電子版によると、滋賀県の嘉田由紀子知事は、県庁で幹部職員に行った仕事始めの訓示の中で、政治団体「日本未来の党」代表を辞任する考えを表明したという。知事職と党代表の兼務が同県議会で強い批判を呼んだ経緯があり、党代表の辞任により県議会との関係を修復する狙いがあると観測している。嘉田知事が「生活が第一」小沢一郎元代表の勧めで「日本未来の党」を結成したとき、少なからぬ疑問を持ったことが思い出される。同党が衆院選で惨敗した後、私は当ブログに「未来への灯がひとつ消えた日本未来の党の分裂」と言う一文をポストした。小沢グループが「生活の党」と改称、嘉田知事と阿部知子衆院議員が離れ、党名を引き継いだ政治団体「日本未来の党」を結成した。要するに分党というより、両氏が追いだされたのである。そして今回の代表辞任に至ったというわけである。

昨日Facebookのグループ「脱原発への道」に「未来の党が過去の党になってしまった」と書いたが「代表が辞任しただけで消滅したわけではない」と反論されてしまった。確かに「党名」は残ったが、存在感は希薄だ。今後阿部知子衆院議員が中心になって国政の場で伸長を図るとのことだが、先行きは不透明である。嘉田、阿部両氏が小沢一郎グループと袂を分かつ前、亀井静香元金融担当相が離党、所属国会議員が4人だった「みどりの風」に合流、政党条件を満たした。政党交付金は元日時点の議員数で決定されるが、駆け込み合流であった。その「みどりの風」に阿部知子議員が加わる可能性を否定できない。ただあくまで「日本未来の党」の比例で復活当選したので、移籍すれば非難は免れないだろう。いずれにしても「緑の党」を含めた「脱原発派」の再編成は流動的で、夏の参院選で自公路線を脅かす存在になり得るか、正直言って私は悲観的である。安倍首相は原発再稼働を公言して憚らない。憂鬱な年明けになってしまった。

2013年1月3日

口あいて落花ながむる子は佛

仏花を撮る  東本願寺大谷祖廟(京都市東山区円山町)Apple iPhone5

墓参りと針孔写真撮影を兼ねて、真宗大谷派東本願寺の大谷祖廟に出かけた。私は東京の福生市生まれだが、千葉市で育っている。京都に移り住んで最初に奇異に思ったのが、正月に墓参することだった。私の体験では、墓参はお彼岸やお盆が一般的で、正月は経験がなかったからだ。でも郷に入っては、というわけで三が日の墓参りに慣れてしまった。表題の句は第二十三世法主の彰如上人が詠んだもので、親鸞聖人の廟に上る石段の横にある石碑に刻まれている。廟は木製で、見事な浮き彫りが施してある。扉の両脇にはおびただしい数の仏花が供えられている。この廟と隣接する東大谷墓地を訪れた人々が供えたものである。多数の参詣客に供花台があっという間に満杯になってしまう。境内の一角に、臨時の花壇がある。水が張ってあり、ここに廟の前から下げた花が再び生けられているのだ。花壇は正月やお盆に花文字がデザインされるが、今年は「如来」だった。美しく、おごそかに飾ることを仏教では荘厳(しょうごん)というが、このような花の再利用を再荘厳と呼ぶそうだ。束から解かれた仏花たちは混じり合い、別の命を与えられたように美しさを競っていた。

第33回JPS関西メンバーズ展のご案内


大阪展  富士フイルムフォトサロン大阪
2013年1月11日(金)~17日(木)10:00~19:00(最終日は14:00まで)
http://www.fujifilm.co.jp/photosalon/osaka/

京都展  ぎゃらりぃ西利
2013年1月23日(水)~29日(火)11:00~19:00(金曜日は20:00 最終日は16:00まで)
http://www.nishiri.co.jp/topics/gallery/

東京展  富士フォトギャラリー新宿
2013年3月1日(金)~7日(木)10:00~18:00(最終日は14:00まで)
http://www.prolab-create.jp/culture/gallery/shin_gallery.html

2013年1月2日

ジョブスが嫌ったタブレット端末用スタイラスペンだけど


ウォルター・アイザックソン著『スティーブ・ジョブス』ペーパーバックス版下巻)P39~40に以下のような記述があった。"目の敵にしたのがニュートン――手書き文字が認識できる携帯端末――である。(途中略)スクリーン専用のペン=スタイラスペンを使うのが嫌だったのだ。「神は我々に10本のスタイラスペンを与えたもうた」と指を動かし、「これ以上、発明するのはやめよう」と主張したのだ。" これはひとつの哲学だと思う。若い頃はヒッピーだったジョブスは東洋思想に傾倒、インド放浪をしている。私もインド旅行したが、英国に留学したことがある政府の高官と食事をする機会を得たことがある。テーブルのナイフやフォークを退けた彼は、指で食べ物を摂り始め「器械を使って食べても美味しくないからね」と微笑んだ。ジョブスもひょっとしたらこの考えに近いかなと思っている。一方、彼はタッチパネルインターフェースのiPadが子どもたちからあの重い教科書を解放するという意味のことを述べている。確かにタブレット1個だけの授業が可能かもしれない。日本では紙でないと教科書として認可できないらしいが、これは早急に再検討すべきだろう。もし実現した場合、ジョブスの哲学に反して、やはり様々なシーンでペン入力の必要性が生まれると私は想像する。テキストブック兼ノートを想定したタブレットを考えてみよう。指だけだと設問に対する回答欄が○×式に陥り易くなる心配がある。

文字入力を求められた場合、変換を必要としない欧米語などはいいのだが、日本語の場合どのような入力方式にするかという問題が生じてしまう。例えば小さな子どもにローマ字入力を求めるなら、ローマ字を教えなければならない。それ以前の問題として、漢字はワードプロセッサで呼び出せても、書けなければ知っているとは言えない。きっとそれは変換の必要がなく、数が少ないアルファベットでも同じことが言える。となればやはり手書き文字が認識できる端末、スタイラスペンを使うタブレットが望ましいと思うのである。文字入力だけではなく、ペンを色鉛筆や絵筆に変換できる機能があれば細かい作業ができる。以上は子どもを対象とした話だが、無論、大人の世界にも当てはまる。昔から画像処理や設計図作製用ソフトなどの補助ツールとしてタブレットがあり、プロに利用されてきた。そのノウハウを活かしたタブレット向けスタイラスペンがワコムから商品化されている。テン・ワン・デザイン社のiPad用スタイラスペンも注目を浴びているようだ。ここで気づくのはiPad自身はスタラスペンを拒否しておらず、Bluetooth対応キーボードなどと同様、標準装備にしていないだけだ。しかしタブレットを、誰でも持ってる指で使えるシンプルなツールと考え、スタイラスペンを忌み嫌ったジョブスが生きていたら、これらのサードパーティー製品を罵倒したに違いない。とはいえ興味深いツールだ。それほど高価なものではないので、どの程度の実力か知るために、1本購入しようかと思っている。

2013年1月1日

BEST WISHES FOR THE NEW YEAR 2013


The Moon is Still Over Her Shoulder    by Hugh Prestwood
She is fixed in his mind like the picture
He's kept in his wallet for years
And the image has never been tarnished
By the blood, sweat and tears
And to him it appears

That the moon is still over her shoulder
And the ribbon is still in her hair
And he can still see her dancing
And music is still in the air

Sometimes he finds it amazing
That all of his children are wed
When their mother is still turning eighteen
And turning his head
She still turns his head

And the moon is still over her shoulder
And the stars are still falling above
And she never gets one minute older
And he is still falling in love
 Sung by Michael Johnson: http://youtu.be/KzzKvbUW3IY

木の葉なきむなしき枝に年暮れて又めぐむべき春ぞ近づく


軍靴の響きが聴こえてきた。大量議席獲得に勢いづく自民党の安倍晋三総裁が早くも原発再稼働および新設、憲法改悪を目指す発言を始めている。軽々と「おめでとう」とは言い難い新年を迎えることになってしまった。しかし脱原発、護憲のために、決して諦めないことが大事だ。表題は藤原定家の曾孫で為教の子、京極為兼作になるもので「冬枯れの寒々とした風景だろうと、あるいは落ち込んで気分が滅入っていようとも、いつまでもそのままではない。これから先に希望を持てる」といった趣旨の和歌である。今まさに日本は冬の時代に入ってしまったが、やがて春がやって来ることを望みたい。昨日、昨年の最終エントリーに「2013年こそ良い年でありますように」と書いたばかりだし、頑張らねばと思う。本業の写真だが、今月から3月にかけて大阪、京都、東京で開催される巡回展「第33回JPS関西メンバーズ展」に出品、4月には京都で久しぶりにピンホール写真の個展を開く予定。近づいたらまた当ブログでお知らせします。どうぞ今年もよろしくお願いします。