2016年8月28日

ネットワークオーディオプレーヤの導入


DENON DNP-730RE
インターネットラジオはネットワークCDレシーバーで受信していたが、廃棄処分してからは、パソコン経由で聴いてきた。ただそのためだけにパソコンの電源を入れるのはどうかと思い、すでに持ってる DENON のコンポに、ネットワークオーディオプレーヤ DNP-730RE を追加した。同社のコンポシリーズでは3台揃って一番安価だが、いずれも性能に優れ、コストパフォーマンスが高いと思う。電源をONにしたら Wi-Fi 設定が始まった。ネットワーク名(SSID)が表示されたので、リモコンでパスワード(PSK)を入力したら、すんなりネットに繋がった。次にインターネットラジオ局を検索、とりあえずブルーグラス、フォーク、クラッシック音楽の10局を「お気に入り」に登録した。インターネットラジオはおおむねジャンルごとの専門局で、24時間聴くことができる。最近の日本のFM局に関しては疎いが、DJ中心で音楽ジャンルもバラバラだったという過去の印象がある。その点、インターネットラジオなら、好きなブルーグラスやフォーク音楽を好きな時間に聴けるのが素晴らしい。なお製品仕様に「AirPlay」に対応、iTunes や iPod touch / iPhone / iPad 内の音楽ライブラリーの再生可能とあるが、手元の Android デバイス Xperia Z3 にストレージしてある曲も再生できた。ただし外出先用、すなわちモバイルオーディオ用にセットしたものなので、この機能を使うことはないと思う。なお別途音楽専用サーバー NAS(Network Attached Storage)を使える。この NAS こそネットワークオーディオの真骨頂と言えそうだが、手持ちの CD のリッピングも面倒だし、ハイレゾ音源もどうやら好みのタイトルがなさそうなので、残念ながら今のところ導入は考えていない。

2016年8月25日

五輪憲章を遵守しないIOCは解体し東京大会は返上すべきだ

日の丸を掲げるメダリスト(リオ五輪)

スポーツそのものは素晴らしいし、それ自体を否定する気持ちは毛頭ない。しかし現行のオリンピックは別である。本来、個人あるいは競技チーム同士の闘いである筈なのに、実態は国家間の争いの様相を帯びてしまっているからである。新聞やテレビは、何個メダルを取ったか、まさに狂想曲のごとく連日報じた。リオが終わったものの、次は4年後の東京開催を目指す喧噪が続くと思うと、うんざりするのは私だけだろうか。オリンピック憲章を紐解くと、第1章6「オリンピック競技大会」には
オリンピック競技大会は、 個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。 大会にはNOCが選抜し、IOC から参加登録申請を認められた選手が集う。選手は関係IFの技術面での指導のもとに競技する。
と明記されている。さらに第5章56「表彰式、メダルと賞状の授与式」には「表彰式、メダルと賞状の授与式はIOCプロトコル・ガイドに忠実に従い催されるものとする。メダルと賞状のデザインはIOCに提出し事前の承認を得なければならない」とある。さらに同章57「入賞者名簿」には「IOCとOCOG は国ごとの世界ランキングを作成してはならない」とあるのである。つまりオリンピックは国家間の競争ではないから、開会式では国旗ではなく競技団体の旗を持って行進すること、さらに表彰式でも国旗掲揚、国歌演奏せよなんて書いてないのである。国旗、国歌が許されるのは閉会式だけで「優勝旗の掲揚に使用されてきた中央の旗竿の右側に立つ旗竿にギリシャの国歌の演奏にあわせてギリシャの国旗が掲揚される。つづいて、中央の旗竿に開催国の国旗が掲揚され、その間に開催国の国歌が演奏される。最後に、次期オリンピック競技大会の開催国の国旗がその国歌の調べにあわせて左側の旗竿に掲揚される」とあるのみである。

つまり現行のオリンピックは、一番肝心なところでオリンピック憲章を遵守していないのである。これは私ひとりが書いてどうなるというものではないが、現在のIOCは一旦解体、オリンピック憲章を守る組織を作り直すべきである。2020年大会の招致プレゼンテーションで安倍首相は「福島は完全にコントロールできている」と発言した。廃炉が未だに遅々として進まず、汚染水を垂れ流している福島原発の現状を見れば、それが真っ赤な嘘であったことは自明の理である。この虚偽は国家犯罪に等しいといっても過言ではないだろう。これでは国際世界に顔向けできないし、海外からアスリートたちを招聘する資格はない。東京オリンピックは速やかに返上すべきであろう。なお、IOCはかつて浮上した国歌国旗廃止案を葬ってしまった。一橋大学スポーツ科学研究室、黒須朱莉氏の、この件に関する論文を下記リンク先からダウンロードして読むことができる。

PDF  IOCにおける「完全な国歌国旗廃止案」の消滅 1973-1974(PDFファイル 606KB)

2016年8月22日

炎天下の六地蔵巡り

大善寺(京都市伏見区桃山町西山)

木造地蔵菩薩率像(クリックで拡大)
六地蔵巡りに出かけた。8月22日、23日の両日に、京都市内六ヵ寺にある地蔵を巡拝し、家内安全、無病息災を祈願する伝統行事で、800年も続いているという。市バスと地下鉄を乗り継ぎ、六地蔵駅で降りる。10分近く歩いただろうか、奈良街道沿いの大善寺に着いた。小野篁が一本の大木から六体の地蔵菩薩を刻み、この寺に祀ったという言い伝えがある。当初ここに六体の地蔵尊が祀られていたため六地蔵の名がついたという。後に平清盛が保元年間に西光法師に命じ、六街道、すなわち奈良街道、西国街道、丹波街道、周山街道、若狭街道、東海道の入り口に地蔵堂を建て祀ったことから、六地蔵巡りの風習が生まれたという。境内はすでに参詣客で溢れていた。旅行会社の小旗を持った人がいたので、団体巡拝客なのだろう。お幡(おはた)と呼ばれるお札を授かる人、水塔婆に亡き親族の戒名を書いてもらう人、それぞれだが、私は地蔵堂の中を覗き込んだ。重文の木造地蔵菩薩立像が安置されているが、うっすら化粧しているように見える。風雨に晒され輪郭が曖昧になった石仏に目鼻を彩色した所謂「化粧地蔵」は、元の姿が分からなくになってしまうきらいがあり、疑問に思うが、この像の薄化粧は好ましい。テントに張った紅白の紐に夥しい数のお幡が吊るしてある。一年間家の入口に吊るしてあったものが返納されているのである。六地蔵を全て巡ると、六色のお幡を授かることができる。何しろ猛烈な炎天下、公共交通機関と徒歩のみで回る自信はないが、再び地下鉄に乗り、西国街道の浄禅寺に向かった。

2016年8月20日

太秦広隆寺の弥勒菩薩像と再会

宝冠弥勒菩薩半跏思惟像(絵はがき)

広隆寺講堂(京都市右京区太秦蜂岡町)
炎暑の中、弥勒菩薩像に再会したくなり、太秦広隆寺に出かけた。仁王門をくぐると重文の講堂が視界に入る。拝観の栞の境内図には「赤堂」と括弧書きしてあるが、なぜそう呼ぶのか不明である。地蔵菩薩坐像、虚空蔵菩薩坐像を安置しているはずで、格子戸から覗いてみたが、暗くてよく分からない。さらに参道を進むと上宮王院太子殿に至る。いわば本堂で聖徳太子立像が安置されているそうだが、秘仏で、秋の開扉を待たないと拝観できない。太子殿を右に奥に進むと、念願の弥勒菩薩像が座してる新霊宝殿に辿り着いた。照明を落とした中は暗く、目が慣れるまでしばらく時間がかかった。創建当時の仏像や天平、弘仁、貞観、藤原、鎌倉の各時代に造立された仏像が壁に沿って一列に並んでいる。弥勒菩薩像は北側真ん中にある。過去に二、三度ほど拝観しているが、何度見ても美しいと思う。やや距離があり、細部を観察するための双眼鏡を忘れたことをちょっぴり後悔する。賽銭箱があるものの、仏教寺院内陣特有の天蓋などの装飾がここにはない。外観は和風だが、鉄筋コンクリートの耐火建築で、いわば博物館である。寺は2度の火災に見舞われたにも関わらず、多数の仏像が難を逃れた。そういった歴史的背景があるのだろうけど、信仰の対象というより、仏教美術品という側面が強調されるきらいは免れないだろう。仏教美術というと私はアーネスト・フェノロサを思い浮かべる。寺僧は猛反対したが、法隆寺夢殿の秘仏救世観音の厨子を、200年の禁を破って開けさせたのである。これを機会に、仏像や仏画が信仰と対象であると共に、芸術作品という概念を日本人に植え付けたといえる。フェノロサについては「貴重な日本美術を海外へ流出させた」と批判する意見があるが、彼の調査を元に1897年(明治30)、文化財を国宝に指定して保護する「古社寺保存法」が制定されたのである。明治維新後に発生した、廃仏毀釈という凄まじい嵐が吹き荒れた。多くの仏教寺院の伽藍や仏像が破壊されたが、それに歯止めをかけたのは「国宝」という新しい概念だったのではないだろうか。この弥勒菩薩像は国宝第1号として知られるが、その美しさに触れることができるのは、フェノロサのお陰とも言えそうなのだ。

2016年8月19日

六甲山国際写真祭2016

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会 期:2016年8月20日(土)~28日(日)
会 場:六甲山および神戸市内
詳 細:http://rokkophotofestival.com/

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2016年8月18日

古都祝奈良 - 時空を超えたアートの祭典


期 間:2016年9月3日(土)~10月23日(日)
主 催:奈良市・東アジア文化都市2016奈良市実行委員会
詳 細:http://culturecity-nara.com/kotohogunara/

2016年8月16日

紙の感触が読書の愉しみを増幅する

丸善京都本店復活一周年記念のブックカバー

丸善京都本店が8月21日で「復活一周年」を迎える。文庫本を一冊購入したら、ご覧のような記念ブックカバーをつけてくれた。安野光雅さんのイラストをあしらったもので、梶井基次郎の小説『檸檬』をイメージしたものである。アマゾンが上陸してからは、書籍、レコードはもっぱらネット通販で購入することが多かった。というのは、書店では現物がないことが多いからだ。もっぱら買うのは文庫本だが、例えば岩波文庫をちゃんと揃えている書店は少ない。京都市内の大型書店といえば、イオンモール大垣書店だが、自宅からはちょっと遠い。だから京都地区最大級の売り場面積を誇る、丸善京都本店の復活は有り難かった。一時アマゾンの電子書籍リーダーKindle導入を考えたこともあるが、海外に住むとか、長期旅行するとか、という状況は今の私には考えられないので、見送ったままになっている。紙の感触、それが読書の愉しみを増幅するのである。

2016年8月12日

愛欲を生じて吉祥天女の像に恋ひ

浄瑠璃寺吉祥天像(香取良夫『白描画でわかる仏像百科』角川ソフィア文庫2016年)

7月下旬「秋篠寺伎芸天像の妖艶」という一文をポストしたが、その時に薬師寺の僧、景戒(生没年不詳)が787年(延暦六)に著した『日本霊異記』の中のエピソードを織り込むかちょっと迷ったが、筋書きが錯綜するので見送った。つまり拙文に「私は強烈なエロティシズムをこの像に感じてしまったのである。いつの間にか天女の裸体を、生身の裸体を想像していた私に、私自身が驚愕する」と書いた。この下りで『日本霊異記』の「愛欲を生じて吉祥天女の像に恋ひ、感応して奇き表を示しし縁 第十三」を思い出したからだ。
聖武天皇の御世、信濃の国の優婆塞(うばそく)その山寺に来り住し、天女の像を睇(み)て愛欲を生じ、心に繋けて恋い、六時(晨朝・日中・日没・初夜・中夜・後夜)ごとに願いていわく、天女のごとき容(かお)好き女を我に賜へという。優婆塞、夢に天女の像に婚(くなか)うと見、明日睇れば、その像の裙(も)の腰、不浄に汚せり。
中田祝夫氏の現代語訳によれば、ある修行僧がある夜、天女の像と交接した夢を見た。あくる日天女の像を見回すと、裳の腰のあたり、不浄の物が染みついて汚れていたので、恥ずかしさのあまり「わたしは天女に似た女が欲しいと願っていたのに、どうして畏れ多くも天女ご自身がわたしと交接されたのでございますか」とつぶやいた。後日、師に追われた弟子が、師の悪口を言い、吉祥天女との情事を暴いた。この話を聞いた里人が確かめると、その像は淫水で汚れていた。修行僧は隠しきれず、理由を説明した。深く信仰すると、神仏に通じないおとがことはないということがわかった。『涅槃経』に「多淫の人は絵に描いた女にも愛欲の情を起す」というのは、このことをいうのである。

中田祝夫訳注『日本霊異記』(講談社)
この吉祥天女像は和泉国泉郡、現在の和泉市の山寺にあったものだが、私は京都府木津川市の浄瑠璃寺のそれを拝観したことがある。内陣は暗く懐中電灯を頼りに厨子の中の天女を覗き込んだ。胡粉で塗られた肌はあくまで白い。柔らかくふくよかな頬、弓のようなくっきりした眉。そして何よりも好ましいのは、その小さな朱の唇だ。豊満な、つまりグラマーな肉体は、色鮮やかな、唐の貴婦人をイメージする盛装に包まれている。まさしく薬師寺に伝わる吉祥天画像の立体化、具現化をここに見ることができる。ひときわ鮮やかなのは、腰に着けられた白い帯である。いや、色彩がではない、目に鮮やかなのだ。妖艶とでも表現するのだろうか、ふくよかな肉体のラインを見せる帯のカーブは、性的なもの以外の何物でもないだろう。

仏教の初期において、性愛に関しては激しい戒律があった。釈尊は出家者に対し性交を厳しく禁じた。その雰囲気はとくに小乗仏教に濃厚な色彩で残っている。釈尊は人間の欲を戒めた。欲と言うのは人間を堕落せしめるもので、とりわけ性欲は脱却しにくいゆえ、そうしたのだろう。性欲は人間の自然な発露であり、ことさら禁ずるのはおかしいと思う。おそらく仏教の戒律というのは、ある種の歯止めを作ったのではないかと思うのである。現代では仏像や仏画がポルノグラフィーになるとは考え難いけど、吉祥天女像と夢の中で交接、射精した僧の逸話は、極めて人間的だと感心する。

2016年8月9日

天皇のメッセージが意味するもの

皇太子明仁親王と美智子妃の結婚祝賀パレード(1959年4月10日)

現在の明仁天皇といえば、カトリック系の聖心女子大学を卒業した民間人の正田美智子さんと結婚、所謂「ミッチーブーム」が社会現象になったことを思い出す。即位して28年の月日が流れたが、その天皇がビデオメッセージを公表した。8月7日夕、皇居内の御所で収録されもので、昨日の8日午後、各テレビ局が放送、ビデオとそのテキストファイルが宮内庁のホームページに掲載された。歴史的発言なので、私自身のための記録を兼ねてここに転載することにした。
   戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。

   私も80を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。

   本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

   即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

   そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

   私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行なって来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

   天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

   天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり) の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

   始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。

   国民の理解を得られることを、切に願っています。
各メディアはおおむね、天皇が「生前退位」の意向を滲ませたと報じている。しかし、それ以上の気持ちが込められているような気がする。というのは「象徴」という言葉が8回も繰り返され、しかも「天皇は国政に関する権能を有しません」と述べている。これは天皇が「元首」であると明記した、安倍政権の自民党憲法改正案を否定する言葉である。奇しくも東京都知事に就任した小池百合子氏が「帝国憲法復活」を主張する超右翼を特別秘書に抜擢したばかりである。さらに安倍首相は、内閣改造を行い、月刊誌「WiLL」2006年9月号で「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」と公言した、これまた極右の稲田朋美氏を防衛大臣に入閣させた。大日本帝国憲法の「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」という条項の復活を、天皇が身を挺して拒否したのではないだろうか。そして「国民の理解を得られることを」と私たちに問いかけたのである。

殯(もがり)とは、日本の古代に行われていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。(ウィキペディア

2016年8月6日

絶滅危惧種になりそうな氷旗の波千鳥

波千鳥の氷旗(京都市東山区東大路通松原上る)

千鳥がいない氷旗(金閣寺道)
六月に投稿した「ソロー『森の生活:ウォールデン』に繋がるかき氷の旗」でも触れたが、今夏、京都市内で波千鳥を省略したた氷旗をいくつか見た。氷旗はかき氷を売ってることが一目でわかる、お馴染みのデザイン。日本の伝統意匠である「波千鳥」がモチーフになっている。前回「官許氷函館」という旗が原型らしいのだが、画像を見つけることができなかった、と書いたがその点は依然進捗していない。函館五稜郭氷の創業は明治時代に遡るので、現在の氷旗はかなり古くから使われてきたと想像できる。ではなぜ千鳥なのか? 日本で千鳥といわれているのは、野山や水辺で群をなす小鳥の総称で、コチドリやイカルチドリなど、特定の野鳥を指すわけではないそうだ。たくさんの小鳥が群れるから千鳥といわれたり、チチチッと鳴くから千鳥といわれたりする、ということらしい。
波に千鳥の浴衣地
白波の打ちいづるはまの浜千鳥 跡やたへぬるしるべなるらむ
これは後撰和歌集に集録されている朝忠朝臣の恋歌である。白波の現れる浜にいる浜千鳥は、波に足跡が消されるので、あなたとの恋が跡形もなく終わることを示しているのでしょう。古来から千鳥は歌に詠まれてきたが、季節の鳥ではないのに関わらず、あらわれる千鳥はほとんどが冬。そして千鳥の季語が冬であることから、涼を呼ぶという意味で夏の意匠に使われるようになったという説がある。そういえば浴衣地にもこの文様に使われている。しかし氷旗との関係を結びつける資料は見つからない。それはともかく、千鳥を外し、波だけというデザインはいただけない。旗屋さんが伝統を忘れてしまったのだろうか? それともかき氷を売ってる店に、それを指摘する知識がないのだろうか? そういえば氷旗を扱っている通販サイトを覗くと、千鳥がついたもの、ないものの両方が見本として掲載されている。実に嘆かわしいことだ。些細なことかもしれないが、些細なことに拘ることが伝統を守るということではないだろうか。千鳥を配しないなら、いっそのこと、波も外した新しい氷旗のデザインをして欲しいと思う。

追記:Ryujiさんのコメントを基に「官許氷龍紋氷室」をキーワードにして検索したところ、下記史料に辿り着きました。現在の氷旗に近いデザインの旗の画像が掲載されています。感謝。(8月6日)

Books
皆川重男編著『氷業史資料文献目録』昭和41年5月10日発行(限定100部・非売品・孔版印刷)

2016年8月4日

飛べない鳥の悲劇


ニルスの不思議な旅
アニメで印象に残っているひとつに『ニルスのふしぎな旅』がある。妖精によって小人にされた少年ニルスが、ガチョウのモルテンの背に乗りやガンの群れと一緒にスウェーデン中を旅する物語である。ガンの群れに「お前、飛べないだろう」とバカにされたモルテンは練習して飛べるようになったのである。NHK総合テレビで1980年から1981年まで放送されたが、幼い娘と一緒に毎週楽しく観たものである。飛べない鳥で思い出すのが、蜂須賀正氏博士(1903-1953)の研究で知られる絶滅鳥ドードーで、その「絵に関する覚え書き」を2012年に当ブログに書いた。飛べることは飛べるが、ノロマゆえ鳥島のアホウドリは、明治半ば以降大量捕獲され絶滅の危機に陥ってしまった。羽毛や帽子の羽飾り用に捕獲されたのである。カイツブリの羽毛の商業取引に対処するためにつくられた英国のRSPB(王立鳥類保護協会)の創設会員で、アルゼンチン生まれでの作家W・H・ハドスンは『鳥たちをめぐる冒険』(講談社学術文庫)の中で、美しい野鳥の殺戮に力を貸しているのは「殺された鳥の飾り羽や残骸で自分の頭を飾りたがる、おそろしき女性の一連隊だ」と嘆いている。国際保護鳥だった亜種のアラビアダチョウがアラビア半島に棲息していたが、20世紀初頭に絶滅したため、1960年に東京で開催された第12回国際鳥類保護会議でリストから削除されたという。

麦藁帽子に付けた羽根飾り
現在はダチョウは飼育され、その羽根は帽子の飾りに使われている。また宝塚歌劇団のトップスターが着用する衣装に着ける大きな羽根飾りは、ダチョウの羽根である。上図は大博物館所蔵のエッチングで、ジョン・コレット(1725-?)が描いた一種の風刺画である。帽子に羽根飾りを付けた女性を、羽根を抜かれて怒ったダチョウが追いかけているという設定である。ダチョウはかつてアフリカ全域およびアラビア半島に生息していたが、飛べないゆえか乱獲され、現在ではアフリカ中部と南部に生息するのみである。ただ種卵、種鳥の輸出規制が解禁されたため、世界中に飼育が広まり、日本でも飼育数が増加、既に10,000羽以上のダチョウが、南は沖縄から北は北海道まで、すべての都道府県の約400の農場で飼育されているという。なお私は今夏、麦藁帽子に小さな羽根飾りを付けてみた。製造元は書いてなかったが、中国産と思われる。帽子屋で売ってる小さな羽根飾りは、ニワトリやカモ、ホロホロ鳥など、いずれも家禽の羽根が使われてるようだ。ベル・エポック時代のヨーロッパの婦人たちが夢中になった派手な羽根飾りと比べると、実に慎ましい代物であるが、その魔力が分かるような気もする。しかしW・H・ハドスンの警告に触れ、羽根飾りが野鳥の絶滅に追い込んだ歴史を考えると、やはり小さな躊躇いが全くないわけではない。

2016年8月1日

東京都民はトンデモナイ女性を知事にしてしまった

あの閃光が忘れえようか

小池百合子氏はPHP研究所の月刊誌『VOICE』2003年3月号での鼎談を、自らのウェブサイトで「日本有事3つのシナリオ」と題して掲載している。曰く「軍事上、外交上の判断において、核武装の選択肢は十分ありうるのですが、それを明言した国会議員は、西村真吾氏だけです。わずかでも核武装のニュアンスが漂うような発言をしただけで、安部晋三官房副長官も言論封殺に遭ってしまった」云々。東京都民はトンデモナイ女性を知事にしてしまった。1945年8月6日、広島に原爆が投下され、罪なき人々が殺されたことをお忘れか。
八月六日

あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧おしつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え

渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルディングは裂さけ、橋は崩くずれ
満員電車はそのまま焦こげ
涯しない瓦礫がれきと燃えさしの堆積たいせきであった広島
やがてボロ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳漿のうしょうを踏み
焼け焦こげた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列

石地蔵のように散乱した練兵場の屍体
つながれた筏いかだへ這はいより折り重った河岸の群も
灼やけつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり
夕空をつく火光かこうの中に
下敷きのまま生きていた母や弟の町のあたりも
焼けうつり

兵器廠へいきしょうの床の糞尿ふんにょうのうえに
のがれ横たわった女学生らの
太鼓腹の、片眼つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の
誰がたれとも分らぬ一群の上に朝日がさせば
すでに動くものもなく
異臭いしゅうのよどんだなかで
金かなダライにとぶ蠅の羽音だけ

三十万の全市をしめた
あの静寂が忘れえようか
そのしずけさの中で
帰らなかった妻や子のしろい眼窩がんかが
俺たちの心魂をたち割って
込めたねがいを
忘れえようか!
峠三吉『原爆詩集』を7月15日、岩波書店が文庫化した。アーサー・ビナード氏は同書の巻末で「日本語で書かれた『戦後文学』の中から、もし最優秀詩集を一冊のみ選出するとなったら、ぼくは『原爆詩集』をノミネートしたいと思う」と書いている。アメリカ人が日本人を諭しているのである。ぜひ手に取って欲しい。

Amazon  峠三吉 (著)『原爆詩集 』(岩波文庫)

ブックカバーを楽しむ


有隣堂の10色文庫カバー
スマートフォンのケースは不思議な存在である。アップル社のiPhoneは研ぎ澄まされたデザインだが、ケースを被せると、その美しいラインが隠れ、せっかくのスクリーンをスポイルしてしまう。にも関わらず量販店のケース販売コーナーには夥しい数のケースが並び、人々は競って購入、薄い筐体をわざわざ厚くして使っている。せめて透明ケースにと思うが、そうでもないようだ。草葉の陰でスティーブ・ジョブスが嘆いているに違いない。これに似て非なるものにブックカバーがある。保護するという点では共通するが、何を読んでいるか分からないように、表紙を他人の目から隠すという目的に使わているからだ。書店で本を買うと必ず「カバーをつけますか」と訊かれるが、海外では見ることができない日本独特の光景である。読んでる本の知られることが「恥ずかしい」というのは、日本人特有の感性だろう。ともすると過剰包装、過剰サービスと思われがちだが、書店側にとって会計が済んでいることが一目で分かるというメリットがあるそうだ。

出来上がった復刻ブックカバー
書店経営の難しさは万引き被害を防ぐことだそうだが、それを抑制する効果があるかもしれない。また広告媒体として視認効率が高いので、店の宣伝に寄与するという。ブックカバーを売り物にしている書店も少なくなく、関西に支店がないので手にしたことがないが、有隣堂は10色の文庫カバーを揃え、客に好きな色を選んでもらっているそうである。また10枚1組(150円+税)での販売もしているようだ。もうひとつの日本の書籍文化の特質である「帯」と共に、ブックカバーのデザインに注目する人も多いようだ。かつては店頭で無料配布していたようだが、現在ではネットで提供されている。丸善とジュンク堂が主体の電子書店「honto」にはブックカバーサービスのページがあり、期間限定の復刻デザインから他ブランドとのコラボもの、オリジナルカバーまでいろいろ揃えている。PDFファイルをダウンロード、作り方を見ながら印刷して紙のカバーを作ることができる。試しに作ってみたが、なかなか楽しい。オリジナルのカバーを作れば、さらに楽しくなるだろう。

Books  印刷して使えるブックカバー無料ダウンロードリンク集