2013年12月29日

まままらぬスマートフォン向けブログデザイン

iPhone5  Screen Captures

写真は当ブログにiPhone5でアクセス、画面をキャプチャーしたものである。左はブログをカスタマイズせず、パソコンのブラウザと同じデザインだが、この状態だと記事を読むことができず、ピンチアウトを強いることになる。真ん中はモバイル向けのテンプレートを援用したもので、左側のサイドメニューが省かれて、写真はサムネイル化されている。読みたいタイトルをタップすると右の画面になる。文字は大きくこのまま読めるが、写真はやはり小さい。iPhone5の解像度は640×1136ピクセルで、持ったまま、つまりタテ画面では横幅640ピクセルの写真を等倍で表示する。しかしディスプレーの横幅の実寸が50ミリだから、写真が小さいのは仕方ないが、やや物足りない。私のブログ閲覧者の環境を調べてみた。思っていたよりスマートフォンの閲覧者が少ないが、これは意外にもアメリカ合衆国はじめ、海外からのアクセスが日本国内からより多いせいかもしれない。
Windows59%
Macintosh13%
Linux12%
iPhone7%
Android3%
それにしてもiPhoneとAndroidを足せば10%になるわけだから、決して無視してよい数字ではない。ますますこの傾向は増すと想像されるのだが、写真を主体にブログ作りをしている立場からすると微妙な気分になる。現在、グーグルのブログサービスBloggerではいくつかのモバイル向けテンプレートが用意されているが、いずれも帯に短し襷に長しという感は拭えない。4インチのスマートフォン向けに満足できるデザインを構成する難しさを感ずる。ただしモバイル用テンプレートの救いは、画面を下までスクロールダウンすると「ウェブバージョンを表示」という案内があることだ。これをタップするとパソコン用テンプレートになり、オリジナルのデザイン画面が表示される。しかしながら閲覧者がそこまでしてくれるかどうかは別の話ではあるが…。なおタブレットの場合はパソコン用と同じだが、手元のNexus7で見ると、老眼にはちょっと辛いがピンチアウトしなくてもなんとか記事を読める。タテ位置で持った場合の横幅、つまり短辺は95ミリでiPhone5の約2倍、対角線長を比較すると4対7インチだが、そのわずか3インチの差は大きい。

2013年12月26日

数ふれば我が身に積もる年月を送り迎ふとなに急ぐらむ

迎春絵馬  松尾大社(京都市西京区嵐山宮町)

タイトルの歌は平兼盛が詠んだもので(拾遺和歌集)「老いてまた新しい年を迎えようとしている、人は忙しくしているけれども、なんでそう年月を過ごすことを急いでいるのだろう」といった意味である。昨25日、迎春の大絵馬を見に京都市西京区の松尾大社に出かけた。拝殿に飾られた干支「午(うま)」の絵馬は、米俵と御幣を背中に乗せた馬を描き、お酒の神様を祭る大社にちなんだ杯もあしらっている。大きさは、京都新聞によると幅5.5メートル、高さ3.2メートルだそうである。赤いコート着た男の子は、実はもうじき4歳になる私の孫。ちょうど背丈が1メートルで、物差し代わりに立って貰った。画像をクリックすると拡大表示されるので、見てやってください。

2013年12月25日

終い天神

骨董人形  北野天満宮(京都市上京区馬喰町)

年の瀬の好天。洛西の松尾大社の大絵馬を撮りに行った後、市内をうろうろ。そうだ今日は25日、天神さんの日だと思い出す。北野天満宮の縁日の最終日、太陽が傾きつつあったが、バスを乗り継いで駆け付けた。とはいえ何か欲しいものがあるわけではない。冷やかしに過ぎないが、何故か骨董人形があるとカメラを向けたくなる。西洋骨董人形が目に止まったので、店の人に断って一枚、久しぶりの一眼レフだった。

2013年12月24日

写真展示目的のブログを新設


どうも飽きっぽい性格なのか、何か作っては壊したりする癖があるようだ。フェイスブックに作ったアメリカンルーツ音楽のページは、読者が1,500人を超えたものの、潰してしまった。その前は大きな画像を展示するブログを作ったのだが、それも今はない。一番続いてるのがこのブログである。サイドメニューがあるため、画像の最大横幅は640ピクセルである。クリックすると拡大表示されるが、ワンステップ強いるので、やはり大きな画像が展開するサイトが欲しくなったのである。上掲写真がそのキャプチャーで、フレーム幅は1,000ピクセルで画像の横幅が900ピクセルである。これは横幅1,024ピクセルのディスプレーを念頭に置いたもので、横スクロールを不要にするためだ。画像は一旦Flickrにアップロード、長辺1,600ピクセルにリサイズされたものをダウンロードしているので、このサイズに落ち着いた。APSやライカ判フルフレームのデジタルカメラの画像のアスペクト比が3:2なので、900×600ピクセルと画像展開サイズ指定もやり易い。デザインはBloggerのテンプレートデザイナーでカスタマイズでしたが、微調節はHTMLを直接編集した。なるべくシンプルということで、無用なブログツールも付けなかった。なおスマートフォンで閲覧したところ、文字が小さ過ぎてピンチアウトを強いることになるので、モバイル向けテンプレートを使用した。しかしカスタマイズできないのでデザイン的には不満が残ったといえる。

Sketch On Kyoto  http://sketchonkyoto.blogspot.com/

2013年12月20日

木工用ボンドで汚れたLPレコードの美顔パック

美顔パック  皮膜状になった木工用ボンドを剥がす

レコードプレーヤーを新しく買い替えてからLPレコードを聴く機会が増えた。CDを聴き慣れた耳にはやはりスクラッチノイズが気になる。ノイズの原因はディスクの物理的な傷みと考えがちだが、音溝に付着したゴミやカビなどが犯人であることが多いようだ。目で見てもわかる酷い汚れのレコードが見つかったので、一瞬、手元にあったレンズ洗浄用の無水エタノールとジエチルエーテルの混合液(※)で拭おうと思ったが、これはマズイらしい。というのはアルコールは万能の洗浄剤で便利だけど、樹脂を膨潤させ、レコード盤の素材に配合されている安定剤に悪影響を与える可能性があるからだ。薄めればよいかもしれないが、脱脂綿などでは溝の底まで洗えないような気がする。

サイバークリーン
そこでネット検索したところ「レコードクリーニングの奥義」というサイトが目に止まった。なんと接着剤である木工用ボンドを塗り、自然乾燥した後、皮膜状になったボンドを剥がすという方法である。まさにこれは美顔パック、なるほどと思い試したところ、見事に汚れた取れた。実はこの方法、オーディオ愛好家の間では結構有名らしく、アメリカ人が「タイトボンドIIでLPのクリーニング」というビデオをYouTubeに投稿している。アセテートの78回転SPレコードは駄目だそうである。ところでこの方法を「実験中」とフェイスブックに書いたところ、レスがあってサイバークリーンというスイス生まれの全く新しい発想のクリーナーを紹介してくれた。パソコンのキーボードの隙間などに溜まったゴミを吸着除去する優れものらしく、水も洗剤も不要だという。部分的な汚れを取り除くのに便利そうなので、取り寄せて試してみようと思っていえる。

※文中の無水エタノールとジエチルエーテルの混合液はレンズやカメラの洗浄に使えますが、エーテルは引火点-45℃で最も低く、蒸気は麻酔性があるので危険なため、個人では入手できません。無水エタノールは薬局で誰でも買え、単体でも万能クリーナーとして使えます。なお、消毒用ウェットティッシューにはアルコールを含むものがあります。

YouTube  LP cleaning with Titebond II wood glue (木工用接着剤タイトボンドIIでLPのクリーニング)

2013年12月18日

行く川のながれは絶えずして しかももとの水にあらず

桂川 嵐山(京都市右京区嵯峨天龍寺造路町)

京都のギャラリーマロニエで昨12月17日から「第14回京都写真展」が始まったが、来場できないかたに出展した作品を披露しておきます。小品を複数出展することも考えたが、全倍1点にした。搬入時に金属フレームの重さで枠が外れるというアクシデントがあったが、京都写真クラブ代表の森岡誠氏の力を借りてネジ止め、なんとか展示にこぎつけた。印画紙の大きさは900x600mmで、原板は4x5インチのピンホール写真である。フィルムスキャンして銀塩ペーパーに出力したが、ゼラチンシルバープリントとは言い難い。というのは、ペーパーはネガカラ―用で、発色現像のあと、最終的に漂白によって銀が捨てられるからだ。作品には次のようなキャプションを加えた。
針孔写真機を持って嵐山に出かけた。川を眺めていたら、突然ヘルマン・ヘッセの言葉が蘇ってきた。川は至る所において、源泉において、河口において、滝において、渡し場において、早瀬において、海において、山において、至る所において同時に存在する。川にとっては現在だけが存在する。過去という影も、未来という影も、存在しない。これは鴨長明の「方丈記」に通ずるものがある。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
ところで今年の7月初め、京都写真クラブの総会で私は「ピンホール写真は卒業、そろそろ大判カメラによるストレート写真の制作をしたい」と挨拶したが、結局、ピンホール写真を出展することになってしまった。実はこの数週間、過去にローライフレックスで撮影したフィルムのスキャンニング作業をしている。ときどき作業がとん挫するが、それは見ていて何故か「つまらない」からである。言いかえればストレート写真は、被写体の魅力に依存する。そういうことから、一口でいえば「難しい」のである。さて、来年こそと思っているが、どうなるかな?

2013年12月17日

第14回京都写真展がスタートしました


日時:2013年12月17日(火)~22日(日)12:00~19:00(最終日18:00まで)
会場:ギャラリーマロニエ 3F・4F・5F アクセス
主催:京都写真クラブ
出展:青野友明 浅野裕尚 石原輝雄 市川信也 岩村隆昭 榮爾 大塚努 奥野政司 金井杜道 金澤徹 木下憲治 小池貴之 小杉憲之 後藤剛 杉浦正和 須田照子 高橋貴絵 竹田雅弘 竹林善孝 田中幹人 永田義博 前田好雄 宮本タズ子 村中修 森岡誠 森川潔 安田雅和 山崎正文

2013年12月16日

第39回 2014年JPS展作品募集

画像をクリックすると拡大表示されます

主催:公益社団法人日本写真家協会
共催:東京都写真美術館
後援:文化庁・東京都
詳細:http://www.jps.gr.jp/events/jps/outline.php

PDF  第39回2014年JPS展応募要項のダウンロード(PDF 420KB)

2013年12月12日

ピクトリアリズムとピンホール写真

The Onion Field George Davison 1890 (George Eastman House/The Phillips Collection)

写真はジョージ・デビッソン(1854–1930)が撮影した作品で、1890年のロンドン写真協会(後に王立写真協会と改称)で最優秀賞を受賞をしている。当初は「古い農場」と題名されていたが、後に「ねぎ畑」と改称された歴史的写真である。注目すべきは、これがピンホールカメラで撮影された写真であることだ。なぜこの作品がその当時に称賛されたか? その背景には1885年ころから流行したピクトリアリズム(絵画主義写真)があったと想像される。しかし20世紀の初期に最高潮に達したピクトリアリズムは、ご存知の通り1914年以後急速に衰退した。しかしピンホー写真は、独自の歴史的変遷を得たようにも思える。というのはピクトリアリズム批判後も存続したからである。とはいえ遅れてやがて衰退、その復活は1960年代であったことは興味深い。いずれにしてもかつてピンホール写真はピクトリアリズムの影響下にあったにも関わらず、現代では別のカテゴリーと見られてようである。この件に関して再考し、改めて投稿したい。

2013年12月6日

ヌードになった英オックスフォード大学女子ラグビー部の選手たち

The Oxford University Women's Rugby Football Club  (Photos by ©Mark Barnfield)

英国のデイリーメール紙電子版によると、オックスフォード大学女子ラグビー部の選手たちが、2014年のチャリティーカレンダーのためにヌードになった。オックスフォード大学といえば、大学としては世界で3番目に古く、12世紀にその礎が築かれた、英語圏では最古の世界屈指の伝統校である。部長のカナダのバートマス出身で、博士号取得のため勉強しているエリザベス・デュボアさんは「私たちは昨年の男子チームのカレンダーの成功を見たし、販売を手伝っていたら、君たちのチームのだったらひとつ買うよ、と大勢の人に言われた」という。そして「このカレンダーで、女性のラグビーの包括性を強調したいと考えている」そうだ。しかしそうとは言え、日本の大学では考えられない企画であることは間違いない。カレンダーは10ポンド(1600円)で販売され、その利益はオックスフォードのメンタルヘルス啓発キャンペーンの資金に充てられる。

2013年12月2日

アナログレコードプレーヤーのカートリッジを交換してみた

S字形トーンアーム用(左)とストレートトーンアーム用

BOSE 201V
単にBGMとしてならインターネットラジオを流すことが多い。好きな音楽ジャンルの局を選べるし、耳障りなDJがほとんど入らないのが良い。アナログプレーヤーを買い換えてからは、LPを聴くことが多い。CDはお気に入りのディスクの曲をiPhoneにインポートしてあるので、それを外出先で聴くので、出番が激減してしまった。LPレコードに針を落とすとき、大昔の東京時代、ちょっとばかりオーディオに凝っていたことをフト思い出す。家族の共用スペースでる居間には大きな木製スピーカーボックスが鎮座していた。アンプの出力が弱かったので効率の良いスピーカーが必要だった。京都に引っ込んでからは、居間にはオーディオ装置はなく、書斎兼寝室の小さな部屋に納まっている。ところでアナログLPレコードの再生は、入口と出口の装置に大きく左右されるという。出口、すなわちスピーカーはBOSEの201Vで、スペースがないので仕方なく書棚の上に置いてある。中型でそれなりに良い音が出るのだが、何というか「潤い」に欠けるような気がする。壊れたプレーヤーを廃棄するときにカートリッジを抜いておいた。30年は経過しただろうデノンのS字形に曲ったトーンアームについていたDL-8Aである。新しく買ったプレーヤーDP-300Fはデノンの普及機だが、カートリッジを交換できることを知っていたからだ。ストレートトーンアームなので、ヘッドシェルに角度がついている。ネット通販でヘッドシェルPCL-310-SPを入手できたので、カートリッジを取り付け、聴いてみた。昔の普及機用とはいえ、やはり格段に音が良いことに驚いた。これはちょっとヤバイ、物欲が頭をもたげ、他のメーカーのカートリッジも試してみたくなったからだ。オーディオに凝る環境にないくせに、困ったものである。

2013年12月1日

街頭でのデモ活動はテロ行為という時代錯誤


自民党の石破茂幹事長は11月29日付の自身のブログで、特定秘密保護法案に反対する市民のデモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と批判した。以下、引用。
今も議員会館の外では「特定機密保護法絶対阻止!」を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。
驚くべき時代錯誤。これは表現の自由に基づく街頭での市民の主張をテロと同一視している発言で、民主主義の否定である。仮に安倍晋三首相が退いた場合、この人が首相になるという説もある。いよいよ日本も氷河期に入ってしまった。

第14回京都写真展のご案内

画像をクリックすると拡大表示されます

日時:2013年12月17日(火)~22日(日)12:00~19:00(最終日18:00まで)
会場:ギャラリーマロニエ 3F・4F・5F (アクセス

青野友明 浅野裕尚 石原輝雄 市川信也 岩村隆昭 榮爾 大塚努 奥野政司 金井杜道 金澤徹 木下憲治 小池貴之 小杉憲之 後藤剛 杉浦正和 須田照子 高橋貴絵 竹田雅弘 竹林善孝 田中幹人 永田義博 前田好雄 宮本タズ子 村中修 森岡誠 森川潔 安田雅和 山崎正文

主催:京都写真クラブ