2013年12月29日

まままらぬスマートフォン向けブログデザイン

iPhone5  Screen Captures

写真は当ブログにiPhone5でアクセス、画面をキャプチャーしたものである。左はブログをカスタマイズせず、パソコンのブラウザと同じデザインだが、この状態だと記事を読むことができず、ピンチアウトを強いることになる。真ん中はモバイル向けのテンプレートを援用したもので、左側のサイドメニューが省かれて、写真はサムネイル化されている。読みたいタイトルをタップすると右の画面になる。文字は大きくこのまま読めるが、写真はやはり小さい。iPhone5の解像度は640×1136ピクセルで、持ったまま、つまりタテ画面では横幅640ピクセルの写真を等倍で表示する。しかしディスプレーの横幅の実寸が50ミリだから、写真が小さいのは仕方ないが、やや物足りない。私のブログ閲覧者の環境を調べてみた。思っていたよりスマートフォンの閲覧者が少ないが、これは意外にもアメリカ合衆国はじめ、海外からのアクセスが日本国内からより多いせいかもしれない。
Windows59%
Macintosh13%
Linux12%
iPhone7%
Android3%
それにしてもiPhoneとAndroidを足せば10%になるわけだから、決して無視してよい数字ではない。ますますこの傾向は増すと想像されるのだが、写真を主体にブログ作りをしている立場からすると微妙な気分になる。現在、グーグルのブログサービスBloggerではいくつかのモバイル向けテンプレートが用意されているが、いずれも帯に短し襷に長しという感は拭えない。4インチのスマートフォン向けに満足できるデザインを構成する難しさを感ずる。ただしモバイル用テンプレートの救いは、画面を下までスクロールダウンすると「ウェブバージョンを表示」という案内があることだ。これをタップするとパソコン用テンプレートになり、オリジナルのデザイン画面が表示される。しかしながら閲覧者がそこまでしてくれるかどうかは別の話ではあるが…。なおタブレットの場合はパソコン用と同じだが、手元のNexus7で見ると、老眼にはちょっと辛いがピンチアウトしなくてもなんとか記事を読める。タテ位置で持った場合の横幅、つまり短辺は95ミリでiPhone5の約2倍、対角線長を比較すると4対7インチだが、そのわずか3インチの差は大きい。

2013年12月26日

数ふれば我が身に積もる年月を送り迎ふとなに急ぐらむ

迎春絵馬  松尾大社(京都市西京区嵐山宮町)

タイトルの歌は平兼盛が詠んだもので(拾遺和歌集)「老いてまた新しい年を迎えようとしている、人は忙しくしているけれども、なんでそう年月を過ごすことを急いでいるのだろう」といった意味である。昨25日、迎春の大絵馬を見に京都市西京区の松尾大社に出かけた。拝殿に飾られた干支「午(うま)」の絵馬は、米俵と御幣を背中に乗せた馬を描き、お酒の神様を祭る大社にちなんだ杯もあしらっている。大きさは、京都新聞によると幅5.5メートル、高さ3.2メートルだそうである。赤いコート着た男の子は、実はもうじき4歳になる私の孫。ちょうど背丈が1メートルで、物差し代わりに立って貰った。画像をクリックすると拡大表示されるので、見てやってください。

2013年12月25日

終い天神

骨董人形  北野天満宮(京都市上京区馬喰町)

年の瀬の好天。洛西の松尾大社の大絵馬を撮りに行った後、市内をうろうろ。そうだ今日は25日、天神さんの日だと思い出す。北野天満宮の縁日の最終日、太陽が傾きつつあったが、バスを乗り継いで駆け付けた。とはいえ何か欲しいものがあるわけではない。冷やかしに過ぎないが、何故か骨董人形があるとカメラを向けたくなる。西洋骨董人形が目に止まったので、店の人に断って一枚、久しぶりの一眼レフだった。

2013年12月24日

写真展示目的のブログを新設


どうも飽きっぽい性格なのか、何か作っては壊したりする癖があるようだ。フェイスブックに作ったアメリカンルーツ音楽のページは、読者が1,500人を超えたものの、潰してしまった。その前は大きな画像を展示するブログを作ったのだが、それも今はない。一番続いてるのがこのブログである。サイドメニューがあるため、画像の最大横幅は640ピクセルである。クリックすると拡大表示されるが、ワンステップ強いるので、やはり大きな画像が展開するサイトが欲しくなったのである。上掲写真がそのキャプチャーで、フレーム幅は1,000ピクセルで画像の横幅が900ピクセルである。これは横幅1,024ピクセルのディスプレーを念頭に置いたもので、横スクロールを不要にするためだ。画像は一旦Flickrにアップロード、長辺1,600ピクセルにリサイズされたものをダウンロードしているので、このサイズに落ち着いた。APSやライカ判フルフレームのデジタルカメラの画像のアスペクト比が3:2なので、900×600ピクセルと画像展開サイズ指定もやり易い。デザインはBloggerのテンプレートデザイナーでカスタマイズでしたが、微調節はHTMLを直接編集した。なるべくシンプルということで、無用なブログツールも付けなかった。なおスマートフォンで閲覧したところ、文字が小さ過ぎてピンチアウトを強いることになるので、モバイル向けテンプレートを使用した。しかしカスタマイズできないのでデザイン的には不満が残ったといえる。

Sketch On Kyoto  http://sketchonkyoto.blogspot.com/

2013年12月20日

木工用ボンドで汚れたLPレコードの美顔パック

美顔パック  皮膜状になった木工用ボンドを剥がす

レコードプレーヤーを新しく買い替えてからLPレコードを聴く機会が増えた。CDを聴き慣れた耳にはやはりスクラッチノイズが気になる。ノイズの原因はディスクの物理的な傷みと考えがちだが、音溝に付着したゴミやカビなどが犯人であることが多いようだ。目で見てもわかる酷い汚れのレコードが見つかったので、一瞬、手元にあったレンズ洗浄用の無水エタノールとジエチルエーテルの混合液(※)で拭おうと思ったが、これはマズイらしい。というのはアルコールは万能の洗浄剤で便利だけど、樹脂を膨潤させ、レコード盤の素材に配合されている安定剤に悪影響を与える可能性があるからだ。薄めればよいかもしれないが、脱脂綿などでは溝の底まで洗えないような気がする。

サイバークリーン
そこでネット検索したところ「レコードクリーニングの奥義」というサイトが目に止まった。なんと接着剤である木工用ボンドを塗り、自然乾燥した後、皮膜状になったボンドを剥がすという方法である。まさにこれは美顔パック、なるほどと思い試したところ、見事に汚れた取れた。実はこの方法、オーディオ愛好家の間では結構有名らしく、アメリカ人が「タイトボンドIIでLPのクリーニング」というビデオをYouTubeに投稿している。アセテートの78回転SPレコードは駄目だそうである。ところでこの方法を「実験中」とフェイスブックに書いたところ、レスがあってサイバークリーンというスイス生まれの全く新しい発想のクリーナーを紹介してくれた。パソコンのキーボードの隙間などに溜まったゴミを吸着除去する優れものらしく、水も洗剤も不要だという。部分的な汚れを取り除くのに便利そうなので、取り寄せて試してみようと思っていえる。

※文中の無水エタノールとジエチルエーテルの混合液はレンズやカメラの洗浄に使えますが、エーテルは引火点-45℃で最も低く、蒸気は麻酔性があるので危険なため、個人では入手できません。無水エタノールは薬局で誰でも買え、単体でも万能クリーナーとして使えます。なお、消毒用ウェットティッシューにはアルコールを含むものがあります。

PDF  LP cleaning with Titebond II wood glue (木工用接着剤タイトボンドIIでLPのクリーニング)

2013年12月18日

行く川のながれは絶えずして しかももとの水にあらず

桂川 嵐山(京都市右京区嵯峨天龍寺造路町)

京都のギャラリーマロニエで昨12月17日から「第14回京都写真展」が始まったが、来場できないかたに出展した作品を披露しておきます。小品を複数出展することも考えたが、全倍1点にした。搬入時に金属フレームの重さで枠が外れるというアクシデントがあったが、京都写真クラブ代表の森岡誠氏の力を借りてネジ止め、なんとか展示にこぎつけた。印画紙の大きさは900x600mmで、原板は4x5インチのピンホール写真である。フィルムスキャンして銀塩ペーパーに出力したが、ゼラチンシルバープリントとは言い難い。というのは、ペーパーはネガカラ―用で、発色現像のあと、最終的に漂白によって銀が捨てられるからだ。作品には次のようなキャプションを加えた。
針孔写真機を持って嵐山に出かけた。川を眺めていたら、突然ヘルマン・ヘッセの言葉が蘇ってきた。川は至る所において、源泉において、河口において、滝において、渡し場において、早瀬において、海において、山において、至る所において同時に存在する。川にとっては現在だけが存在する。過去という影も、未来という影も、存在しない。これは鴨長明の「方丈記」に通ずるものがある。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
ところで今年の7月初め、京都写真クラブの総会で私は「ピンホール写真は卒業、そろそろ大判カメラによるストレート写真の制作をしたい」と挨拶したが、結局、ピンホール写真を出展することになってしまった。実はこの数週間、過去にローライフレックスで撮影したフィルムのスキャンニング作業をしている。ときどき作業がとん挫するが、それは見ていて何故か「つまらない」からである。言いかえればストレート写真は、被写体の魅力に依存する。そういうことから、一口でいえば「難しい」のである。さて、来年こそと思っているが、どうなるかな?

2013年12月17日

第14回京都写真展がスタートしました


日時:2013年12月17日(火)~22日(日)12:00~19:00(最終日18:00まで)
会場:ギャラリーマロニエ 3F・4F・5F アクセス
主催:京都写真クラブ
出展:青野友明 浅野裕尚 石原輝雄 市川信也 岩村隆昭 榮爾 大塚努 奥野政司 金井杜道 金澤徹 木下憲治 小池貴之 小杉憲之 後藤剛 杉浦正和 須田照子 高橋貴絵 竹田雅弘 竹林善孝 田中幹人 永田義博 前田好雄 宮本タズ子 村中修 森岡誠 森川潔 安田雅和 山崎正文

2013年12月16日

第39回 2014年JPS展作品募集

画像をクリックすると拡大表示されます

主催:公益社団法人日本写真家協会
共催:東京都写真美術館
後援:文化庁・東京都
詳細:http://www.jps.gr.jp/events/jps/outline.php

PDF  第39回2014年JPS展応募要項のダウンロード(PDF 420KB)

2013年12月12日

ピクトリアリズムとピンホール写真

The Onion Field George Davison 1890 (George Eastman House/The Phillips Collection)

写真はジョージ・デビッソン(1854–1930)が撮影した作品で、1890年のロンドン写真協会(後に王立写真協会と改称)で最優秀賞を受賞をしている。当初は「古い農場」と題名されていたが、後に「ねぎ畑」と改称された歴史的写真である。注目すべきは、これがピンホールカメラで撮影された写真であることだ。なぜこの作品がその当時に称賛されたか? その背景には1885年ころから流行したピクトリアリズム(絵画主義写真)があったと想像される。しかし20世紀の初期に最高潮に達したピクトリアリズムは、ご存知の通り1914年以後急速に衰退した。しかしピンホー写真は、独自の歴史的変遷を得たようにも思える。というのはピクトリアリズム批判後も存続したからである。とはいえ遅れてやがて衰退、その復活は1960年代であったことは興味深い。いずれにしてもかつてピンホール写真はピクトリアリズムの影響下にあったにも関わらず、現代では別のカテゴリーと見られてようである。この件に関して再考し、改めて投稿したい。

2013年12月7日

真珠湾奇襲攻撃とニイハウ島の悲劇

帰還  真珠湾の航空取材を終えホノルル空港に戻ったイヴランドさんと私(1976年12月)

ちょうど72年前の1941年12月7日(日本時間12月8日未明)、日本海軍はハワイ州オアフ島の真珠湾を航空機および潜航艇で奇襲攻撃をした。写真は1976年の12月中旬、ホノルル空港で撮影したもので、私が穿いてるベルボトムのジーンズが時代を感じさせる。フィルムスキャンしたものだが、流石コダクローム、37年を経ても変褪色の兆しがゼロである。横にいるのはパイロットのイヴランドさん。この日は旧日本軍の戦闘機の飛行コースに沿って真珠湾に侵入、湾内を何回か旋回し撃沈した戦艦アリゾナの記念館を撮影した。この地域にはアメリカ海軍太平洋艦隊の司令部や太平洋空軍の基地などになっているので、しばらくすると管制塔から無線で「退去せよ!」と怒鳴られ、すぐそばのホノルル国際空港に着陸、ほっとしたところを記念撮影したものだ。イヴランドさんと一緒にハワイの島々を飛び回ったが、彼は飛行機操縦教官の資格があり、風が穏やかな洋上では時々操縦桿を握らせて貰った。だから私は4~5時間の飛行教程を履修したことになっているのである。真珠湾奇襲攻撃を受けた米国は日本に宣戦布告、これがハワイに住む日系人に複雑な影を落としたことは言うまでもない。ところでニイハウ島事件をご存知だろうか。
西開地重徳一飛曹
焼却後の西開地飛曹搭乗のゼロ戦

真珠湾第二次攻撃のため戦艦「飛龍」を飛び立った零式艦上戦闘機(ゼロ戦)がエンジンの故障で不時着、奇怪な展開を見せた事件である。この島には軍事施設がなく、万が一のために不時着地として日本軍が指定してあったものだ。パイロットは西開地重徳一飛曹(海軍一等飛行兵曹)、軽傷だったようだが住民が手厚く看護したという。ところがその住民の一人が機内から地図と拳銃を盗み出した。地図は帝国海軍の軍人にとってはいわば機密書類、住民との間に緊張感が漂った。間に立ったのがカウアイ島から農場の管理人として働きに来ていた日系二世の原田義雄夫妻だった。最終的には西開地一飛曹は住民との抗争によって殺されるのだが、これによって原田さんも自害する。アメリカ人でありながら日本軍に加担したというジレンマに陥ってしまったからだ。ニイハウ島はロビンソン一家が私有する小島で、先住ハワイアンの生活様式を継承している。許可なしには誰も上陸できなく、私も申請したが無理だった。カウアイ島でヘリコプターをチャーター、上空から島の様子を窺った。礼拝を終えたと思われる住民が教会から出てきたところを見たくらいで、パイロットが低空飛行を嫌がったこともあり、その生活実態を撮影することはできなかった。現在でも島の一部を散策できるツアーもあり、上陸については容易であるが、島民への接触は招待された者以外は認められていないという。

日系人部隊第442連隊戦闘団

移民というのはひとつのプロセスを辿るようだ。まず農業、漁業などの労働に従事する。次に教育を受けた子弟が、教員をはじめ公務員になる。無論企業にも務める人もあれば、起業する人も登場する。スポーツ選手が現れ、政治家も誕生する。音楽や絵画などの芸術家が生まれるが、最後に現れるのはその国の言葉を使う文学者だという。当時、詩で受賞したという日系三世の女子高校生のことを新聞で知り訪ねたことがある。顔かたちが日本そのものなのに、会うと英語しか喋れず、奇妙な感じを抱いたものである。どうして二世たちは三世に日本語教育をしなかったのか、その理由はこうだった。大戦中ハワイから欧州戦線に送られた日系米兵の「第100大隊」「第422連隊」はドイツ軍と果敢に戦い、米軍内では稀にみる大きな戦績を残した。ところが皮肉なもので、戦場で活躍したがうえに「やはり日本人は怖い」と逆の評価も囁かれてしまったのである。すべての日系人がそのようにしたか不明だが、このような苦い経験から、より「アメリカ人」になろうと子弟に日本語を教えなくなったというのである。これは例えば華僑の世界とはずいぶん違う。ニイハウ島事件からやや逸れたが、ハワイに住む日系人の複雑な深層心理を一枚の古い写真から思い出した次第である。

2013年12月6日

ヌードになった英オックスフォード大学女子ラグビー部の選手たち

The Oxford University Women's Rugby Football Club  (Photos by ©Mark Barnfield)

英国のデイリーメール紙電子版によると、オックスフォード大学女子ラグビー部の選手たちが、2014年のチャリティーカレンダーのためにヌードになった。オックスフォード大学といえば、大学としては世界で3番目に古く、12世紀にその礎が築かれた、英語圏では最古の世界屈指の伝統校である。部長のカナダのバートマス出身で、博士号取得のため勉強しているエリザベス・デュボアさんは「私たちは昨年の男子チームのカレンダーの成功を見たし、販売を手伝っていたら、君たちのチームのだったらひとつ買うよ、と大勢の人に言われた」という。そして「このカレンダーで、女性のラグビーの包括性を強調したいと考えている」そうだ。しかしそうとは言え、日本の大学では考えられない企画であることは間違いない。カレンダーは10ポンド(1600円)で販売され、その利益はオックスフォードのメンタルヘルス啓発キャンペーンの資金に充てられる。

2013年12月2日

アナログレコードプレーヤーのカートリッジを交換してみた

S字形トーンアーム用(左)とストレートトーンアーム用

BOSE 201V
単にBGMとしてならインターネットラジオを流すことが多い。好きな音楽ジャンルの局を選べるし、耳障りなDJがほとんど入らないのが良い。アナログプレーヤーを買い換えてからは、LPを聴くことが多い。CDはお気に入りのディスクの曲をiPhoneにインポートしてあるので、それを外出先で聴くので、出番が激減してしまった。LPレコードに針を落とすとき、大昔の東京時代、ちょっとばかりオーディオに凝っていたことをフト思い出す。家族の共用スペースでる居間には大きな木製スピーカーボックスが鎮座していた。アンプの出力が弱かったので効率の良いスピーカーが必要だった。京都に引っ込んでからは、居間にはオーディオ装置はなく、書斎兼寝室の小さな部屋に納まっている。ところでアナログLPレコードの再生は、入口と出口の装置に大きく左右されるという。出口、すなわちスピーカーはBOSEの201Vで、スペースがないので仕方なく書棚の上に置いてある。中型でそれなりに良い音が出るのだが、何というか「潤い」に欠けるような気がする。壊れたプレーヤーを廃棄するときにカートリッジを抜いておいた。30年は経過しただろうデノンのS字形に曲ったトーンアームについていたDL-8Aである。新しく買ったプレーヤーDP-300Fはデノンの普及機だが、カートリッジを交換できることを知っていたからだ。ストレートトーンアームなので、ヘッドシェルに角度がついている。ネット通販でヘッドシェルPCL-310-SPを入手できたので、カートリッジを取り付け、聴いてみた。昔の普及機用とはいえ、やはり格段に音が良いことに驚いた。これはちょっとヤバイ、物欲が頭をもたげ、他のメーカーのカートリッジも試してみたくなったからだ。オーディオに凝る環境にないくせに、困ったものである。

2013年12月1日

街頭でのデモ活動はテロ行為という時代錯誤


自民党の石破茂幹事長は11月29日付の自身のブログで、特定秘密保護法案に反対する市民のデモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と批判した。以下、引用。
今も議員会館の外では「特定機密保護法絶対阻止!」を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。
驚くべき時代錯誤。これは表現の自由に基づく街頭での市民の主張をテロと同一視している発言で、民主主義の否定である。仮に安倍晋三首相が退いた場合、この人が首相になるという説もある。いよいよ日本も氷河期に入ってしまった。

第14回京都写真展のご案内

画像をクリックすると拡大表示されます

日時:2013年12月17日(火)~22日(日)12:00~19:00(最終日18:00まで)
会場:ギャラリーマロニエ 3F・4F・5F (アクセス

青野友明 浅野裕尚 石原輝雄 市川信也 岩村隆昭 榮爾 大塚努 奥野政司 金井杜道 金澤徹 木下憲治 小池貴之 小杉憲之 後藤剛 杉浦正和 須田照子 高橋貴絵 竹田雅弘 竹林善孝 田中幹人 永田義博 前田好雄 宮本タズ子 村中修 森岡誠 森川潔 安田雅和 山崎正文

主催:京都写真クラブ

2013年11月25日

米研究者が指摘する「風立ちぬ」の甘い夢と航空機

The Wind Rises  American poster

日本版ポスター
宮崎駿監督のアニメ作品『風立ちぬ』が今月初めにニューヨークとロサンゼルスで公開されたそうだ。本格的な公開は来年2月になるという。ロサンジェルス在住の映画ジャーナリスト、猿渡由紀氏によると「『USA Today』紙も絶賛。『これまでの宮崎作品よりもリアリティに基づいているので、ファンタジーの要素を求めるファンはがっかりするかもしれない』としながらも、『ジローは戦争に使われた飛行機を作った人だが、戦士ではなく、ロマンチストであり、エンジニア。この映画は、そんな人物をビジュアルな形で描くポエトリーだ』」と絶賛しているそうだ。日米のポスターを比較すると面白い。アメリカ版のポスターを見ると、さらに「恋愛映画」という側面が強調されている印象を持ってしまう。

予告編には飛行機が登場するが、これを見て主人公が「ゼロ戦」の設計者であることに気づくアメリカ人は少ないと思う。私が危惧するのはやはりこの点である。現代日本のアニメ研究で知られるタフツ大学教授、スーザン・J・ネイピア氏は流石に見逃していない。リベラル系インターネット新聞「ハフトン・ポスト」のブログに『甘い夢と航空機』と題した一文を寄せているが「ゼロ戦は、1937年に中国に対する日本の侵略を主導し、1941年に真珠湾を爆撃した」と書いている。さらに戦争末期の土壇場で、アメリカの軍艦に対して自身と飛行機を破壊して攻撃する特攻、若い神風パイロットの媒体となり、1945年、壊滅的な敗北に終わったと指摘している。やはり見るところは見て、指摘すべき点は指摘している。流石である。真珠湾攻撃は日本時間1941年12月8日未明だったけど、未だに「真珠湾を忘れるな」というアメリカ人は多い。映画の背景を知ったときの彼らの反応に興味を持たざるを得ない。

PDF  The Wind Rises - Official Trailer (英語版オフィシャル予告編)

2013年11月21日

物欲を戒めた「森の生活」に学ぶ清貧生活

Walden Pond in early November by ©Nina Nicholson

カメラやオーディオ機器購入について書くことは、実は内心ちょっと躊躇するものがある。私は反原発派だし、電力を浪費するリニア新幹線の敷設などは反対である。人間はエネルギー問題に対し岐路に立っているし、経済成長を望むべきではないと考えている。だから物欲を彷彿とさせる内容の文章は慎むべきである。しかし写真表現は私にとっては人生そのものだから、その道具であるカメラは手放せない。しかし新しいカメラが出るとつい食指を伸ばしたくなる。音楽は自分の心を癒してくれるので、聴く装置は私には欠かせない。滅多に買い替えるものではないし、安価なものしか買えないから贅沢じゃないと思うが、どこか後ろめたいのである。座右の一冊、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817-1862)は『ウォールデン;森の生活』 (Walden; or, Life in the Woods)の中で「人生の多くの贅沢といわれる慰安の多くは、人類の向上に対する不可避的な障害のみならず、人間的な障害でもある」と書いている。まことに頭が痛い指摘である。さらにこんなくだりもある。
初版の表紙(1854年)
いま自分がもっている家よりもずっと便利で贅沢な、ただし、買える人間などいそうもないことがだれの目にも明らかな家を設計してみることはできる。われわれは、いつもそういうものをもっと手に入れようとつとめているが、ときにはいまもってるいるものよりも少ないもので満足できるようにつとめてみたらどうだろうか?
ソローはマサチューセッツ州コンコード近くのウォールデン池畔に自ら建てた小屋に、2年余り暮らした経験を元にこの本を書いた。「私が森に行って暮らそうと心に決めたのは、暮らしを作るもとの事実と真正面から向き合いたいと心から望んだからでした。生きるのに大切な事実だけに目を向け、死ぬ時に、実は本当は生きていなかったと知ることのないように、暮らしが私にもたらすものからしっかり学び取りたかったのです。私は、暮らしとはいえない暮らしを生きたいとは思いません。私は、今を生きたいのです」というのがここに住んだ理由だったようだ。うーん、今に生きることなんだ。余談ながら凍結した湖面の氷の切り出し作業を目撃したが、これを仕切る豪農はフレデリック・テューダー(1783-1864)だった。日本でも人気が高い、絵本作家、園芸家であるターシャ・テューダー(1915-2008)の曽祖父だった。ターシャが俗界から逃れたのは、ソローの強い影響によるものと想像できる。

2013年11月20日

現像しっぱなしのネガをスキャンニング

モミジ  神護寺(京都市右京区梅ケ畑高雄町)

デノンのレコードプレーヤーDP-300Fを購入する際に比較したのがDP-200USBで、名前から推測できるようにUSBメモリーに対応している。価格はさらに安く、写真で見るとトーンアーム辺りが心細い感じがするが、通販サイトのユーザーレビューによると意外と良くできているらしい。見送ったのは、LPレコードのデータ化をする気持ちがないからである。その時間があれば、撮って現像したまま放置してある膨大なネガのスキャンニングをしたいからだ。レコードはモノとして存在するから良い。写真もネガが存在するからいいのだが、スキャンニングによって過去の作品を見直すことができる。最近はネガからのアナログプリントを半ば諦めている。プリント暗室を持てないし、市内にレンタル暗室がないのも理由だが、デジタル技術を積極的に援用しようという気持ちが働いているからだ。ゴミ取りなどの利便性の他に、トーンを自在に操れるというメリットがある。ウエットシステムはひとつの理想ではあるが、新旧テクノロジーの融合も同時代のメソッドだと思うのである。

2013年11月18日

昔コレクションしたレコードが無駄にならない嬉しさ

DENON DP-300F

古いレコードプレーヤーが壊れてしまった。デノンのDP-33Fで、発売が1973(昭和48)年だから、少なくとも30年以上はゆうに使ってきたものだ。おそらく修理不能なので、同じデノンのDP-300Fを購入した。同社の希望小売価格は45,150円だが、2万円強で入手できた。しかし消耗品である交換針は4,000円弱で、どうも値段が釣り合わないような気がする。この辺りはまるで謎だ。世の中には「オーディオマニア」が健在らしく、創業100周年記念モデルDP-A100はカートリッジ別売りで304,500円という代物がある。資金もさることながら、置く場所もなく、オーディオに凝ることを諦めた私には縁遠い製品である。それはともかく、先月導入したネットワークCDレシーバーRCD-N8に繋いでみた。セットアップは針圧設定くらい。というかあとは針がレコードから滑らないように調節する、アンチスケーティングつまみがあるくらいで、ターンテーブルの回転速度などの細かい調節できない。アンプ側にはPHONO入力端子がないのだが、プレーヤー側にPHONOイコライザーが内蔵されてい。棚からLPレコードを何枚か引っ張り出して聴いてみたが、値段の割にはいい音だと思う。ひとつ難点は、同じメーカーのアンプを使っているので、出力レベルが同じかと思っていたが違うことだ。CDその他に切り替えるとガーンと音が大きくなり、最初はちょっと慌ててしまった。カートリッジの出力が昔と同じだからだろうか。普段はインターネットラジオをもっぱらBGMにしているが、LPレコードは片面の演奏時間がせいぜい25分程度、盤を入れ替えるのが若干煩わしいが、その手間に値するスローライフな愉しみを得ることができる。何よりも昔コレクションしたレコードが無駄にならないのが嬉しい。

2013年11月17日

マッカーサーが天皇の戦犯除外に関してアイゼンハワーに送った電報


Incoming Classified Message January 25, 1946 (国立国会図書館蔵

その後山本太郎参議院議員の公式ホームページを見ていささか驚いた。すでに報道されたことだが「陛下と皇后陛下の御宸襟を悩ませる事態になった」と行風な言い回しを繰り返している。「もう一度御会釈の機会があれば、いつの日か今回の非礼をお詫びしたいと思っておりましたが、参議院の処分は『皇室行事への参加は認めない』と言う事で、その願いは叶わず、二重橋でお詫びいたします」には呆れる。思わず旧憲法(大日本帝国憲法)を思い出してしまった。
第1条:大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第2条:皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
第3条:天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第4条:天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
第5条:天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
第6条:天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス
第7条:天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス
この条項は現憲法で否定されているのはいうまでもない。写真は1946年1月25日、マッカーサーがアイゼンハワー陸軍参謀総長宛書簡に送った電報で、天皇の犯罪行為の証拠なしと報告している。天皇を起訴すれば日本の情勢に混乱をきたし、占領軍の増員や民間人スタッフの大量派遣が長期間必要となるだろうと述べ、アメリカの負担の面からも天皇の起訴は避けるべきだとの立場を表明している。これが戦後日本政治の出発点になったことを肝に命ずるべきだろう。

2013年11月15日

全国お茶まつり京都大会

画像をクリックすると公式ホームページへ移動します

日時:2013年11月16日(土)9:30~16:00  11月17日(日)10:00~16:00
会場:JR・京阪宇治駅~商店街~宇治市役所
主催:第67回全国お茶まつり京都大会実行委員会

PDF  イベント詳細マップ(PDFファイル 3.78 MBB)

2013年11月14日

小泉元首相の「原発ゼロ」発言に見るポピュリズム

即原発ゼロ  朝日新聞(大阪本社発行)2013年11月13日朝刊1面

小泉純一郎元首相の「原発ゼロ」発言が波紋を呼んでいる。かつて国民に絶大な人気を誇った小泉氏の発言を否定すれば支持率低下につながりかねず、うかつに反論できないので、安倍首相以下、政府および自民党はかなり苛立っているようだ。朝日新聞社が実施した全国定例世論調査では、小泉純一郎元首相が政府や自民党に対し「原発ゼロ」を主張していることについても質問したところ、この主張を「支持する」は60%にのぼり、「支持しない」の25%を上回ったという。一方、11月12日の同紙電子版は「そこまで言うなら、これまでを反省し、具体的に原発停止までどういう道筋にするかを語って欲しい」という、福島県双葉町から福井県坂井市に避難している学習塾経営の声を伝えている。同時に掲載されている首相時代の小泉氏の原発に関する国会答弁を見てみよう。

  • 原子力発電も今は3割を占め、その重要性というのも今は否定できない(2001年5月)
  • 二酸化炭素を排出しない原子力を安全確保を大前提に着実に推進する(2002年2月)
  • 原子力発電は、燃料供給の安定性に加え、発電の際にCO2を発生しないという環境特性を有し、~今後も重要な役割を担っていく(2002年10月)
  • エネルギー資源に乏しい我が国において、高速増殖炉開発を進めることは重要(2003年2月)
  • 安定性に優れ、発電過程で二酸化炭素を発生しないという特性有する原子力発電について、~推進に引き続き努めてまいりたい(2003年2月)
  • 国内の原子力発電施設について、地震や津波が際に放射能漏れなどの事故を起こすことがないよう施設の耐震性の強化を図っている(2005年1月)
  • 安全を大前提とした原子力発電に取り組む(2006年1月)

同じ人物の発言とはおよそ信じがたい驚天動地、いやまさにカメレオン政治家である。一番気になるのは前述の避難者が指摘しているように、過去の言動に対し反省し、国民に向かってまず謝罪すべきである。にも関わらず、私が報道を通じてキャッチした範囲では、その言葉はない。昨今の「転向後」の発言内容は、確かに正論である。これで方針を政府が方向転換、日本が脱原発に進めば評価せざるを得ない。しかしその言動は「民主主義」を幟に書いてはいるが、芝居小屋へ観客を呼び込むためのものなのだ。天才ポピュリストにとって、原発推進も、郵政民営化も、原発ゼロも小泉劇場の小道具に過ぎないのではなかろうか。その小道具に観客、すなわち国民が翻弄されているのである。濃縮ウランの70%はアメリカから輸入している。それに代わるシェールガス輸入の御用商人という疑いが脳裡を掠めるのである。

2013年11月12日

おっ母さんここがここが二重橋

憲法発布宮城二重橋御出門之図  楊洲周延画 明治22(1889)刊 大倉四郎兵衛 大判錦絵堅3枚続

秋の園遊会での山本太郎参議院議員の言動の余波が続いている。同議員は自らのオフィシャルホームページで「今回のお手紙をしたためた件で騒ぎが大きくなるにつれ、陛下と皇后陛下の御宸襟を悩ませる事態になった事を何よりも猛省しております。もし、もう一度御会釈の機会があれば、いつの日か今回の非礼をお詫びしたいと思っておりましたが、参議院の処分は『皇室行事への参加は認めない』と言う事で、その願いは叶わず、二重橋でお詫びいたします」と釈明した。宸襟(しんきん)とは聞きなれない言葉だが、天子、皇帝、天皇などの心中のことである。どうやら相当の天皇崇拝者であると推測する。二重橋云々は噴飯もの、余りにも古風なパフォーマンスで、式典で「天皇陛下万歳」と叫んだ安倍首相に相通ずる時代錯誤。思わず先日他界した島倉千代子のヒット曲『東京だよおっ母さん』を思い出してしまった。
久しぶりに 手をひいて
親子で歩ける うれしさに
小さい頃が 浮かんで来ますよ
おっ母さん
ここが ここが 二重橋
記念の写真を とりましょね
宸襟といった古くさい言い回しに、旧憲法、すなわち大日本帝国憲法の「第1条:大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」を連想してしたのは私だけだろうか。ご当人の意識内かどうか不明だが、現憲法の「第1条:天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と結びつかないのである。山本議員は後半に「国権の最高機関の一員としての意識をしっかりと持ち、市民の皆様と繋がり、この国に生きる子ども達を待ったなしの被曝から護り、収束作業員の劣悪な労働環境、危険すぎる食品の安全基準、全てを隠蔽し人間の尊厳を奪う特定秘密保護法に全力で立ち向かうことをお誓い申し上げます」と続ける。これは「第4条:天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」という条項を知っていれば出る筈もない言葉である。あのような愚行の背景が浮き彫りになっている。

PDF  島倉千代子『東京だよおっ母さん』(1957年).

2013年11月9日

スーパー台風30号 (ハイエン) がフィリピンを直撃

Super Typhoon Haiyan  November 8, 2013 (NASA)

時事通信電子版によると、今年発生した台風の中で最も勢力が強い台風30号が11月8日、フィリピンを直撃し、国家災害対策本部によると、これまでに3人が死亡、約75万人が避難したという。気象庁が本日9日6時45分発表したデータによると、中心位置は北緯12度30分(12.5度)東経 117度20分(117.3度)で西に向かっている。中心気圧は940hPa、中心付近の最大風速は45m/s(90kt)、最大瞬間風速は65m/s(130kt)。

2013年11月6日

ピート・シーガーとアーロ・ガスリーのコンサート


Together in Concert
最近カウボーイハットを買った。カントリーやブルーグラス音楽のミュージッシャンを大別すると、カウボーイハットは保守派、アメリカの政党で共和党というイメージを持っている。つまりリベラルは被らないという思い込みである。しかしウディ・ガスリーの息子アーロが頭にしている写真を見てその気になった次第である。それに彼はかつて「最後のブルックリン・カウボーイ」というアルバムを出している。ご存知ウディ・ガスリーはアメリカのプロテスト・フォークソング先駆者で、アーロもそれを受け継いでいる。そのアーロが父ウディと親交が深かったピート・シーガーと11月30日、カーネギーホールでコンサートを開く。ピートは1919年生まれの94歳、アーロは1947年生まれの66歳、合わせて160歳。飛んで行きたいところだが、残念ながら渡航費用がない。二人は何度かジョイントコンサートを開いている。現在はCD化されている「Together in Concert」の原盤LPレコードは私の宝物である。シカゴのオペラハウス、ニューヨークのカーネギーホール、ボストンのミュージックホール、モントリオールのプレイス・デ・アーツでライブ録音されたもので、1975年にリリースされた。カーネギーホールに帰ってきた二人、どんな曲を演奏するのだろうか、94歳のピートは大丈夫だろうか、ライブ盤は出るのだろうか、興味は尽きない。

2013年11月5日

高槻市でアートで脱原発!ポスター展

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日時:2013年11月24日(日)10:00~18:00
会場:高槻現代劇場第一展示室(大阪府高槻市野見町)
主催:反原発たかつきしみん実行委員会

  脱原発ポスター展サイト

2013年11月4日

京まちなか映画祭

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日時:2013年11月5日(火)~12日(火)
会場:立誠小学校・京都文化博物館・京都シネマ・ネロ;パッソ
主催:新京極商店街振興組合・京まちなか映画祭実行委員会
後援:京都府・京都市・京都商工会議所

PDF  京まちなか映画祭スケジュール詳細 (PDFファイル374KB)

秋の園遊会における山本太郎参院議員の行動を批判する

秋の園遊会  天皇に手紙を手渡す山本太郎議員(2013年10月31日)

山本太郎参院議員(無所属)が10月31日、秋の園遊会で天皇に手紙を手渡し、大きな話題となった。世耕官房副長官がテレビ番組で自発的辞職求めたそうだが、まさか辞職に追い込まれることはないと思う。しかし生き馬の目を抜くのが政治の世界、予断は禁物だ。連休明けの明日、新たな展開があるだろう。これまでの報道では山本太郎議員を擁護した国会議員はいないようだ。政府や与野党から批判の大合唱があがっている。一方、一般の声を伝えるネットでは賛否両論が飛び交っている。反原発派から擁護する声が上っているが、やや情緒的な発言が多いという印象だ。例えば共産党の志位和夫委員長が「憲法上『国政に関する権能を有しない』存在の天皇に政治的対応を求めるのは、憲法を知らない者の行動だ」と指摘したそうだが、このような意見を論破できてないのではないだろうか。いろいろ読んでみたが、鈴木宗男氏がフェイスブックに寄せた一文が私の考えとオーバーラップする。

曰く「山本参議院議員が純粋に東京電力福島原発事故で子供の被爆、作業員の健康など現状を心配するなら、立法府の議員として国会で質問することも出来る。無所属なのでその機会がないとするなら、質問主意書も出せる。立法府の一員としての役割、行動をした上で、これではどうにもならない、子供や作業員を護るために直訴しかないとやむにやまれぬ思いで決断したのなら少しは理解されると思うが、肝心の立法府の一員として当然の権利を行使しないで『直訴』というのはいかがなものかと私は考える」云々。同感である。山本議員の「今はひとり」というのは誠に清々しい響きを持っているが、国会ではひとりでできりことは限られている。首相の演説に質問できるように、統一会派を作るのもひとつの方法であろう。今回の山本議員の言動には批判の目を向けざるを得ない。私が「反・反原発派」でないことは、これまでこのブログを読んでいただいた方にはご理解をしていただけると思う。

2013年11月3日

なぜ男はスカートの中を覗きたくなるのか


左は動画サイトYouTubeに投稿されている、いわば「エスカレータのパンチラ悲喜劇」で、ヒット数は何と1300万を超えている。これに触発され「なぜ男はスカートの中を覗きたくなるのか」という永遠の謎に迫りたくなった。過去3度トルコのイスタンブルを訪れたことがある。いずれも冬で、スカーフを巻いた若い女性たちは地面すれすれまで届くロングコート着ていたのが印象的だった。肌を見せないというイスラームの教えに従ったものだろう。ところが新市街イスクラル通にある店のショウウィンドウが、女性の下着の満艦飾で奇異の念を禁じ得なかった。京都でも下着店は、ドラッグストアの薬のように堂々と並べている。カメラを向けても何のお咎めもない。ところがこの布切れが女性のスカートの中に隠れると様相は一変する。

エスカレータに乗り、見え隠れする下着にカメラを向ければ「盗撮」と騒がれ、即警察に突き出されてしまう。捕まった男の「どんな下着を穿いていたかったか見たかった」という証言を読んだことがある。上野千鶴子著『スカートの下の劇場』(河出書房新社)は1989年に出版されたが、今でも精彩を放つ名著だ。上野さんは隠すことで価値が出ると看破している。曰く「考えると、隠さなければ何の値打もなかったのに隠したから値打が高まったというもののなかに、どうやら性器も含まれていたのではないかと思います」云々。下着を見たければ、下着店で堂々と見ることができる。にもかかわらず「下着を見たかった」というのは「下着に隠れた性器を想像したかった」のであろう。性器は下着に隠され見えないのだから、スカートの中を撮る行為は、肉体に迫っておらず「猥褻行為」とは言い難い。上野さんは続ける。「猥褻なのは、現実ではなくて、妄想のほうです。言いかえると、猥褻なのは心理であって肉体ではないのでのです」と。蛇足ながら、だからスカートの中を覗く行為は視覚の妄想であり、女性の体を直接触ろうとする「痴漢行為」とは一線を画すものだといえそうだ。

2013年11月1日

京都96条の会発足記念シンポジウム

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日時:2013年11月16日(土)13:30~16:30(開場13:00)
会場:龍谷大学深草校舎22号館101教室(京都市伏見区深草塚本町67)地図

PDF  京都96条の会呼びかけ文(PDF 322.5KB)

2013年10月30日

今は昔ヘミングウェイのアフリカ狩猟旅行

ライオンを仕留めたヘミングウェイ  ケニア1934年(JFKライブラリー蔵)

サイを殺したダラスサファリクラブ
アーネスト・ヘミングウェイ(1899-1961)は私が最も敬愛する作家の一人だが、狩猟のことを調べてるうちにこの写真に出くわした。出処はジョン・F・ケネディ・ライブラリーである。彼は1933年12月、ナイロビで狩猟ガイドのフィリップ・バーシヴァルを雇って狩猟を開始した。写真は翌1934年にライオンを仕留めたときのものだが、撮影者は不明である。1月にアメーバ赤痢にかかり入院するというアクシデントがあったが、2月にサファリを終了した。この時の経験をもとに1936年、彼は『キリマンジャロの雪』を書いた。ヘミングウェイはイリノイ生まれの父親っ子で、3歳で釣り道具を、10歳で猟銃を与えられていた。少年時代から青年時代かけての釣りに関しては『ニック・アダムズ物語』に集約されていて、私が最も好きなシリーズである。アフリカへの狩猟旅行は、セオドア・ルーズベルト大統領の影響を受けたものだといわれている。ちょうど銃を与えられたころ、仕留めたライオンやサイを誇らしげに見せるルーズベルトの姿が深く脳裡に刻まれたに違いない。狩猟は「男のスポーツ」であった。ところで最近、テキサス州ダラスのサファリクラブが、絶滅危惧種サイの狩猟許可書を競売で売り払うことを決めた。動物愛護団体から批判されたからだと想像する。時代は変わったのである。