2026年7月22日

何故アメリカはナチスドイツに原爆投下しなかったのか

Fat Man

実はこれは複雑な問題である。簡単に言えば、原爆が実戦投入可能になる前に、ナチスドイツが先に降伏したということだが、それだけではない。ドイツが敗北するのが明らかになると、原爆開発のためのマンハッタン計画を指揮したことで知られるレズリー・グローヴス将軍は、科学者たちにプロジェクトを完了させるよう働きかけるのに実に苦労した。科学者の多くはヨーロッパ人で、ヨーロッパでそれが使われるのを嫌がり、あるいは率直に言って誰かがその原動力を得ることを懸念する者も少数いた。ウラン爆弾の設計は実際には1944年12月までに完成したが、最終的な処理と組み立てに遅れがあった。現実的に考えれば、おそらく2月には完成していただろう。1945年3月下旬にドイツが崩壊し始めると、必要性がなくなったように見え、ペースはさらに鈍化した。軍は爆弾を1つ以上欲しがり、3つを推し進めていた。リトルボーイは防弾装置と考えられており、広島での使用がその試金石となった。実際には、最初の爆弾は3月に準備が完了し投下されていたかもしれないが、フランクリン・D・ルーズベルト大統領(1882-1945)が病気で、彼の許可がなければ実現できなかった。彼の死後、ハリー・S・トルーマン大統領(1884-1972)はやることが山積みになり、ナチスドイツは1945年5月7日にフランスのランスで連合国に無条件降伏した。陸軍航空隊はリトルボーイをベルリン上空に投下しようとしたが、投下しなかった理由の一つは、ベルリンが既に廃墟と化しており、その威力を示すことができなかったためである。

Enola Gay

ナチスドイツへの原爆爆撃隊の訓練は実際にはベルリンに集中しており、太平洋への移動準備を開始したのは6月になってからだった。ポール・ティベッツ空軍准将は1945年8月6日、広島に原爆リトルボーイを投下した B-29 爆撃機エノラ・ゲイの機長として知られているが、1944年12月以降、ナチスドイツには攻撃に値する都市は存在しないと公然と発言した。そのため、日本の主要な4つの攻撃目標都市は爆撃されずに残された。日本軍はこれに注目し、すべて軍事目標であったため奇妙に思ったのである。また、これらの都市はどれも規模が似ており、核爆弾で都市全体を破壊できるほどだった。ところで最初の原子爆弾の試作品は1945年7月17日、ニューメキシコ州南部のトリニティ・サイトでテストされた。次の爆弾はすぐに準備され、巡洋艦でテニアン島まで輸送するのに10日かかり、7月27日に到着し、8月6日に広島に投下された。続いて8月9日、B-29 爆撃機ボックスマンが原爆ファットマンを長崎に投下した。連合軍は1945年4月25日にベルリンを包囲、ドイツが降伏したのは上述の通り1945年5月7日だった。なぜナチスドイツに原爆を使えなかったのか、その問題が分かるだろうか? ナチスドイツとの戦争は、爆弾が使用可能になる数ヶ月前に終わっていたのである。つまり、爆弾を手に入れる前に戦争が終わってしまったら、爆弾で戦争を終わらせることはできないのである。下記リンク先は科学雑誌サイエンティフィック・アメリカンのジーナ・ブライナー編集長による記事「マンハッタン計画とは何だったのか? 1945年、日本の広島と長崎に投下された原爆は、マンハッタン計画によってもたらされた」です。

核兵器 What is the Manhattan Project? Atomic bombs dropped on Hiroshima and Nagasaki 1945

2026年7月21日

写真術における偉大なる達人たち

Parade of Zapatistas
Manuel Ramos (1874-1945) Parade of Zapatistas, National Palace, Mexico City, 1914

2021年の秋以来、思いつくまま世界の写真界20~21世紀の達人たちの紹介記事を拙ブログに綴ってきましたが、2026年7月21日現在のリストです。右端の()内はそれぞれ写真家の生年・没年です。左端の年月日をクリックするとそれぞれの掲載ページが開きます。

21/10/06多くの人々に感動を与えたアフリカ系アメリカ人写真家ゴードン・パークスの足跡(1912–2006)
21/10/08グループ f/64 のメンバーだった写真家イモージン・カニンガムは化学を専攻した(1883–1976)
21/10/10圧倒的な才能を持ち現代アメリカの芸術写真を牽引したポール・ストランド(1890–1976)
21/10/11何気ない虚ろなアメリカを旅したスイス生まれの写真家ロバート・フランク(1924–2019)
21/10/13作為を排した新客観主義に触発されたストリート写真の達人ロベール・ドアノー(1912–1994)
21/10/16大恐慌時に農村や小さな町の生活窮状をドキュメントした写真家ラッセル・リー(1903–1986)
21/10/17日記に最後の晩餐という言葉を残して自死した写真家ダイアン・アーバスの黙示録(1923–1971)
21/10/19フォトジャーナリズムの手法を芸術の域に高めた写真家ユージン・スミスの視線(1918–1978)
21/10/24時代の風潮に左右されず独自の芸術観を持ち続けたプラハの詩人ヨゼフ・スデック(1896-1976)
21/10/27西欧美術を米国に紹介した写真家アルフレッド・スティーグリッツの功績(1864–1946)
21/11/01美しいパリを撮影していたウジェーヌ・アジェを「発見」したベレニス・アボット(1898–1991)
21/11/08近代ストレート写真を先導した 20 世紀の写真界の巨匠エドワード・ウェストン(1886–1958)
21/11/10芸術を通じて社会や政治に影響を与えることを目指した写真家アンセル・アダムス(1902–1984)
21/11/13大恐慌を記録したウォーカー・エヴァンスの被写体はその土地固有の様式だった(1903–1975)
21/11/16写真少年ジャック=アンリ・ラルティーグは個展を開いた 69 歳まで無名だった(1894–1986)
21/11/20ハンガリー出身の世界で最も偉大な戦争写真家ロバート・キャパの短い人生(1913–1954)
21/11/25児童労働の惨状を訴えるため現実を正確に捉えた写真家ルイス・ハインの偉業(1874–1940)
21/12/01マグナム・フォトを設立した写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンの決定的瞬間(1908–2004)
21/12/06犬を人間のいくつかの性質を持っているとして愛撮したエリオット・アーウィット(1928-2023)
21/12/08リチャード・アヴェドンの洗練され権威ある感覚をもたらしたポートレート写真(1923–2004)
21/12/12デザインと産業の統合に集中したバウハウスの写真家ラースロー・モホリ=ナジ(1923–1928)
21/12/17ダダイズムとシュルレアリスムに跨る写真を制作したマン・レイは革新者だった(1890–1976)
21/12/29フォトジャーナリズムに傾倒したアラ・ギュレルの失われたイスタンブル写真素描(1928–2018)
22/01/10ペルーのスタジオをヒントに自然光に拘ったアーヴィング・ペンの鮮明な写真(1917-2009)
22/02/25非現実的なほど歪曲し抽象的な遠近感を生み出した写真家ビル・ブラントのカメラ(1904–1983)
22/03/09男性ヌードや花を白黒で撮影した異端の写真家ロバート・メイプルソープへの賛歌(1946–1989)
22/03/18ニューヨーク近代美術館で写真展「人間家族」を企画したエドワード・スタイケン(1879–1973)
22/03/24公民権運動の影響を記録したキュメンタリー写真家ブルース・デヴッドソンの慧眼(born 1933)
22/04/21社会的弱者に寄り添いエモーショナルに撮影した写真家メアリー・エレン・マーク(1940-2015)
22/05/20早逝した写真家リンダ・マッカートニーはザ・ビートルズのポールの伴侶だった(1941–1998)
22/06/01大都市に変貌する香港を活写して重要な作品群を作り上げたファン・ホーの視線(1931–2016)
22/06/12肖像写真で社会の断面を浮き彫りにしたドキュメント写真家アウグスト・ザンダー(1876–1964)
22/08/01スペイン内戦取材で26歳という若さに散った女性戦争写真家ゲルダ・タローの生涯 (1910–1937)
22/09/16カラー写真を芸術として追及したジョエル・マイヤーウィッツの手腕(born 1938)
22/09/25死と衰退を意味する作品を手がけた女性写真家サリー・マンの感性(born 1951)
22/10/17北海道の風景に恋したイギリス人写真家マイケル・ケンナのモノクロ写真(born 1951)
22/11/06アメリカ先住民を「失われる前に」記録したエドワード・カーティス(1868–1952)
22/11/16大恐慌の写真 9,000 点以上を制作したマリオン・ポスト・ウォルコット(1910–1990)
22/11/18人間の精神の深さを写真に写しとったアルゼンチン出身のペドロ・ルイス・ラオタ (1934-1986)
22/12/10アメリカの生活と社会的問題を描写した写真家ゲイリー・ウィノグランド(1928–1984)
22/12/16没後に脚光を浴びたヴィヴィアン・マイヤーのストリート写真(1926–2009)
22/12/23写真家集団マグナムに参画した初めての女性報道写真家イヴ・アーノルド(1912-2012)
23/03/25写真家フランク・ラインハートのアメリカ先住民のドラマチックで美しい肖像写真(1861-1928)
23/04/13複雑なタブローを構築するシュールレアリスム写真家サンディ・スコグランド(born 1946)
23/04/21キャラクターから自らを切り離したシンディー・シャーマンの自画像(born 1954)
23/05/01震災前のサンフランシスコを記録した写真家アーノルド・ジェンス(1869–1942)
23/05/03メキシコにおけるフォトジャーナリズムの先駆者マヌエル・ラモス(1874-1945)
23/05/05文学と芸術に没頭し超現実主義絵画に着想を得た台湾を代表する写真家張照堂(1943-2024)
23/05/07家族の緊密なポートレイトで注目を集めた写真家エメット・ゴウィン(born 1941)
23/05/22欲望やジェンダーの境界を無視したクロード・カアンのセルフポートレイト(1894–1954)
23/05/2520世紀初頭のアメリカの都市改革に大きく貢献したジェイコブ・リース(1849-1914)
23/06/05都市の社会風景という視覚的言語を発展させた写真家リー・フリードランダー(born 1934)
23/06/13写真芸術の境界を広げた暗室の錬金術師ジェリー・ユルズマンの神技(1934–2022)
23/06/15強制的に収容所に入れられた日系アメリカ人を撮影したドロシア・ラング(1895–1965)
23/06/20劇的な国際的シンボルとなった「プラハの春」を撮影したヨゼフ・コウデルカ(born 1958)
23/06/24警察無線を傍受できる唯一のニューヨークの写真家だったウィージー(1899–1968)
23/07/03フォトジャーナリズムの父アルフレッド・アイゼンシュタットの視線(1898–1995)
23/07/06ハンガリーの芸術家たちとの交流が反映されたアンドレ・ケルテスの作品(1894-1985)
23/07/08家族が所有する島で野鳥の写真を撮り始めたエリオット・ポーター(1901–1990)
23/07/08戦争と苦しみを衝撃的な力でとらえた報道写真家ドン・マッカラン(born 1935)
23/07/17夜のパリに漂うムードに魅了されていたハンガリー出身の写真家ブラッサイ(1899–1984)
23/07/2020世紀の著名人を撮影した肖像写真家の巨星ユーサフ・カーシュ(1908–2002)
23/07/22メキシコの革命運動に身を捧げた写真家ティナ・モドッティのマルチな才能(1896–1942)
23/07/24ロングアイランド出身のマルクス主義者を自称する写真家ラリー・フィンク(born 1941)
23/08/01アフリカ系アメリカ人の芸術的な肖像写真を制作したコンスエロ・カナガ(1894–1978)
23/08/04ヒトラーの地下壕の写真を世界に初めて公開したウィリアム・ヴァンディバート(1912-1990)
23/08/06タイプライターとカメラを同じように扱った写真家カール・マイダンス(1907–2004)
23/08/08ファッションモデルから戦場フォトャーナリストに転じたリー・ミラーの生涯(1907-1977)
23/08/14ニコンのレンズを世界に知らしめたデイヴィッド・ダグラス・ダンカンの功績(1907-2007)
23/08/18超現実的なインスタレーションアートを創り上げたサンディ・スコグランド(born 1946)
23/08/20シカゴの街角やアメリカ史における重要な瞬間を再現した写真家アート・シェイ(1922–2018)
23/08/22大恐慌時代の FSA プロジェクト 最初の写真家アーサー・ロススタイン(1915-1986)
23/08/25カメラの焦点を自分たちの生活に向けるべきと主張したハリー・キャラハン(1912-1999)
23/09/08イギリスにおけるフォトジャーナリズムの先駆者クルト・ハットン(1893–1960)
23/10/06ロシアにおけるデザインと構成主義創設者だったアレクサンドル・ロトチェンコ(1891–1956)
23/10/18物事の本質に近づくための絶え間ない努力を続けた写真家ウィン・バロック(1902–1975)
23/10/27先見かつ斬新な作品により写真史に大きな影響を与えたウィリアム・クライン(1926–2022)
23/11/09アパートの窓から四季の移り変わりの美しさなどを撮影したルース・オーキン(1921-1985)
23/11/15死や死体の陰翳が纏わりついた写真家ジョエル=ピーター・ウィトキンの作品(born 1939)
23/12/01近代化により消滅する前のパリの建築物や街並みを記録したウジェーヌ・アジェ(1857-1927)
23/12/15同時代で最も有名で最も知られていないストリート写真家のヘレン・レヴィット(1913–2009)
23/12/20哲学者であることも写真家であることも認めなかったジャン・ボードリヤール(1929-2007)
24/01/08音楽や映画など多岐にわたる分野で能力を発揮した写真家ジャック・デラーノ(1914–1997)
24/02/25シチリア出身のイタリア人マグナム写真家フェルディナンド・スキアンナの視座(born 1943)
24/03/21パリで花開いたロシア人ファッション写真家ジョージ・ホイニンゲン=ヒューン(1900–1968)
24/04/04報道写真家として自活することに成功した最初の女性の一人エスター・バブリー(1921-1998)
24/04/20長時間露光により時間の多層性を浮かび上がらせたアレクセイ・ティタレンコ(born 1962)
24/04/2820世紀後半のイタリアで最も重要な写真家ジャンニ・ベレンゴ・ガルディン(born 1930)
24/04/30トルコの古い伝統の記憶を守り続ける女性写真家 F・ディレク・ウヤル(born 1976)
24/05/01ファッション写真に大きな影響を与えたデヴィッド・ザイドナーの短い生涯(1957-1999)
24/05/08社会の鼓動を捉えたいという思いで写真家になったリチャード・サンドラー(born 1946)
24/05/10直接的で妥協がないストリート写真の巨匠レオン・レヴィンシュタイン(1910–1988)
24/05/12自らの作品を視覚的な物語と定義している写真家スティーヴ・マッカリー(born 1950)
24/05/14多様な芸術の影響を受け写真家の視点を形作ったアンドレアス・ファイニンガー(1906-1999)
24/05/16芸術的表現により繊細な目を持つ女性写真家となったマルティーヌ・フランク(1938-2012)
24/05/18ドキュメンタリー写真をモノクロからカラーに舵を切ったマーティン・パー(born 1952)
24/05/21先駆的なグラフ誌『ピクチャー・ポスト』を主導した写真家バート・ハーディ(1913-1995)
24/05/24グラフ誌『ライフ』に30年間投稿し続けたロシア生まれの写真家リナ・リーン(1914-1995)
24/05/27旅する写真家として20世紀後半の歴史に残る象徴的な作品を制作したルネ・ブリ(1933-2014)
24/05/29高速ストロボスコープ写真を開発したハロルド・ユージン・エジャートン(1903-1990)
24/06/03一般市民とそのささやかな瞬間を撮影したオランダの写真家ヘンク・ヨンケル(1912-2002)
24/06/10ラージフォーマット写真のデジタル処理で成功したアンドレアス・グルスキー(born 1955)
24/06/26レンズを通して親密な講釈と被写体の声を伝えてきた韓国出身のユンギ・キム(born 1962)
24/07/05演出されたものではなく現実的なファッション写真を開発したトニ・フリッセル(1907-1988)
24/07/07スウィンギング60年代のイメージ形成に貢献した写真家デイヴィッド・ベイリー(born 1938)
24/07/13著名人からから小さな町の人々まで撮影してきた写真家マイケル・オブライエン(born 1950)
24/07/14人々のドラマが宿る都市のカラー写真を制作したコンスタンティン・マノス(born 1934)
24/08/04写真家集団「マグナム・フォト」所属するただ一人の日本人メンバー久保田博二(born 1939)
24/08/08ロバート・F・ケネディの死を悼む人々を葬儀列車から捉えたポール・フスコ(1930–2020)
24/08/13クリスティーナ・ガルシア・ロデロが話したいのは時間も終わりもない出来事だ(born 1949)
24/08/30ドキュメンタリーと芸術の境界を歩んだカラー写真の先駆者エルンスト・ハース(1921–1986)
24/09/01国際的写真家集団マグナム・フォトの女性写真家スーザン・メイゼラスの視線(born 1948)
24/09/09アパルトヘイトの悪と日常的な社会への影響を記録したアーネスト・コール(1940–1990)
24/09/14宗教的または民俗的な儀式に写真撮影の情熱を注ぎ込んだラモン・マサッツ(1931-2024)
24/09/23アメリカで最も有名な無名の写真家と呼ばれたエヴリン・ホーファー(1922–2009)
24/09/25自身を「大義を求める反逆者」と表現した写真家マージョリー・コリンズ(1912-1985)
24/09/27北海道の小さな町にあった営業写真館を継がず写真芸術の道を歩んだ深瀬昌久(1934-2012)
24/10/01現代アメリカの風変わりで平凡なイメージに焦点を当てた写真家アレック・ソス(born 1969)
24/10/04微妙なテクスチャーの言語を備えた異次元の写真を追及したアーサー・トレス(born 1940)
24/10/06オーストリア系イギリス人のエディス・チューダー=ハートはソ連のスパイだった(1908-1973)
24/10/08映画の撮影監督でもあったドキュメンタリー写真家ヴォルフガング・スシツキー(1912–2016)
24/10/15芸術のレズビアン・サブカルチャーに深く関わった写真家ルース・ベルンハルト(1905–2006)
24/10/19ランド・アートを通じて作品を地球と共同制作するアンディ・ゴールドワージー (born 1956)
24/10/29公民権運動の活動に感銘し刑務所制度の悲惨を描写した写真家ダニー・ライアン (born 1942)
24/11/01人間の状態と現在の出来事を記録するストリート写真家ピータ―・ターンリー (born 1955)
24/11/04写真を通じて現代の社会的状況を改善することに専念したアーロン・シスキンド(1903-1991)
24/11/07自然と植物の成長にインスピレーションを受けた写真家カール・ブロスフェルト(1865-1932)
24/11/09ストリート写真で知られているリゼット・モデルは教える才能を持っていた(1901-1983)
24/11/11カラー写真が芸術として認知されるようになった功労者ウィリアム・エグルストン(born 1939)
24/11/13革命後のメキシコ復興の重要人物だった写真家ローラ・アルバレス・ブラボー(1903-1993)
24/11/15チリの歴史上最も重要な写真家であると考えられているセルヒオ・ララインの視座(1931-2012)
24/11/19イギリスのアンリ・カルティエ=ブレッソンと評されたジェーン・ボウン(1925-2014)
24/11/25カラー写真の先駆者ソール・ライターは戦後写真界の傑出した人物のひとりだった(1923–2013)
24/11/25サム・フォークがニューヨーク・タイムズに寄せた写真は鮮烈な感覚をもたらした(1901-1991)
24/11/29ゲイ解放運動の活動家だったトランスジェンダーの写真家ピーター・ヒュージャー(1934–1987)
24/12/01複数の芸術的才能に恵まれていた華麗なるファッション写真家セシル・ビートン(1904–1980)
24/12/05ライフ誌と空軍で活躍した女性初の戦場写真家マーガレット・バーク=ホワイト(1904–1971)
24/12/07愛と美を鮮明に捉えたロマン派写真家エドゥアール・ブーバの平和への眼差し(1923–1999)
24/12/10保守的な政治体制と対立しながら自由のために写真を手段にしたエヴァ・ペスニョ(1910–2003)
24/12/15自然環境における人間の姿を研究することに関心を寄せた写真家マイケル・ぺト(1908-1970)
24/12/20ベトナム戦争中にナパーム弾攻撃から逃げる子供たちを撮影したニック・ウット(born 1951)
25/01/06記録映画の先駆者であり前衛映画製作者でもあった写真家ラルフ・スタイナー(1899–1986)
25/01/10アメリカ西部を占める文化の多様性を反映した写真家ローラ・ウィルソンの足跡(born 1939)
25/01/15フランスの人文主義写真運動で活躍したスイス系フランス人ザビーネ・ヴァイス(1924–2021)
25/02/03サルバドール・ダリとの共作でシュールな写真を創出したフィリップ・ハルスマン(1906–1979)
25/02/06ベトナム戦争に対する懸念を形にした写真家フィリップ・ジョーンズ・グリフィス(1936-2008)
25/02/18芸術に複数の糸を持っていたシュルレアリスムの写真家エミール・サヴィトリー(1903-1967)
25/03/19シュルレアリスムの先駆的な写真家でピカソのモデルで恋人だったドラ・マール(1907-1997)
25/03/25ホロコースト前の東欧のユダヤ人社会を記録した写真家ローマン・ヴィスニアック(1897-1990)
25/04/01ソーシャルワーカーからライフ誌の専属写真家に転じたウォレス・カークランド(1891–1979)
25/04/04写真家ビル・エプリッジは20世紀で最も優れたフォトジャーナリストの一人だった(1938-2013)
25/04/25ロバート・キャパの弟で総合施設国際写真センターを設立したコーネル・キャパ(1918-2008)
25/05/01激動1960年代の音楽家たちをキャプチャーした写真家エリオット・ランディの慧眼(born 1942)
25/05/23生まれ故郷ブラジルの熱帯雨林アマゾン川流域へのセバスチャン・サルガドの視座(1944-2025)
25/06/22風景への畏敬の念と激動の気象現象への驚異が伝わるミッチ・ドブラウナーの写真(born 1956)
25/07/26ティンタイプ写真でアパラチアの伝承音楽家に焦点を当てたリサ・エルマーレ(born 1984)
25/08/03色彩の卓越した表現を通して写真というジャンルを超越したデビッド・ラシャペル(born 1963)
25/08/20ヨーロッパ解放やコンゴ紛争などでの勇敢な取材で知られるドミトリ・ケッセル(1902–1995)
25/08/25長大吊り橋を撮影したピーター・スタックポールはライフ誌創刊の写真家になった(1913-1997)
25/09/08アパラチアや南東部の農村地帯の人々の肖像写真で知られているドリス・ウルマン(1882-1934)
25/08/25長大吊り橋を撮影したピーター・スタックポールはライフ誌創刊の写真家になった(1913-1997)
25/09/15指導者であり預言者であり歴史家であり学者だった写真家ジョン・ローエンガード(1934-2020)
25/09/17女性を客体ではなく主体として描写した写真家エレン・フォン・アンワースの視線(born 1954)
25/09/22精巧に演出された赤ちゃんたちの愛らしい写真で世界的に評価されるアン・ゲデス(born 1956)
25/09/26エロティックで都会的なスタイルの頂点を極めた写真家ヘルムート・ニュートン(1920-2004)
25/10/06モデルからファッション写真家に転じたスリランカ系英国人ナイジェル・バーカー(born 1972)
25/10/15ヴィクトリア朝イギリスで最も有名な写真家ジュリア・マーガレット・キャメロン(1815-1879)
25/10/17革新的手法を用いたドイツ系ユダヤ人写真家エーリッヒ・ザロモンの悲劇的な運命(1886-1944)
25/10/20地球の環境破壊と気候変動の壊滅的な影響を明瞭に伝える写真家ニック・ブラント(born 1964)
25/10/23政治家や作家など世界の重要人物の精緻な肖像写真を撮影したユーサフ・カーシュ(1908-2002)
25/10/26直面する不正義と対峙するパレスチナ系オランダ人写真家サキル・カデルの眼差し(born 1990)
25/11/12目に見えない鳥の飛行経路を可視化した作品で知られる写真家シャビ・ボウの秘技(born 1979)
25/11/18自身の文化的環境を探求したメキシコを代表する写真家グラシエラ・イトゥルビデ(born 1942)
25/11/25フォトルポルタージュの新たな時代を築いたスペインの写真家ラモン・マサッツ(1931-2024)
25/12/10畏敬の対象となる自然風景および聖なる場所を崇拝した風景写真家リンダ・コナー(born 1944)
25/12/23インド初の女性報道写真家で独立国家への変遷を記録したホマイ・ヴィヤラワラ(1913-2012)
26/01/04モデルから転身した写真家サラ・ムーンの雰囲気により際立った印象派的な作品(born 1941)
26/01/07音楽に合わせた写真「ドリーム・ピクチャーズ」で知られるブランソン・デク―(1892-1941)
26/01/22技術者の客観性と技術的志向を写真撮影に反映させたエミール・ハイルボルン(1900-2003)
26/01/26芸術的側面と社会的な側面の二つの特質を最適に供えた女性写真家アタ・カンドー(1913-2017)
26/03/05戦争や貧困など社会の底辺を記録して世界的な評価を得た写真家ドン・マッカラン(born 1935)
26/03/22カメラで芸術的インスピレーションを追求した写真家リオ・ディジローラモの軌跡(1934–2019)
26/05/05写真界では神童のような存在と見なされた巨匠ハロルド・ファインスタイン (1931-2015)
26/05/22形式と感情の巨匠:ドイツ人写真家トニ・シュナイダース不朽の遺産(1920-2006)
26/06/07スコットランド出身の華麗なるプリントのレジェンド写真家アルバート・ワトソン(born 1942)
26/06/11目撃者であることだけで十分かと自らを問いつめた夭折の報道写真家ジル・カロン(1939-1970)
26/06/23困難な状況下での撮影のための新しいツールを開発した写真家 J・R・アイヤーマン(1906-1985)
26/06/25イメージを通じて抽象的な科学的概念を幅広い層に伝えた写真家フリッツ・ゴロ(1901-1986)
26/07/05フランスにおけるピクトリアリズム運動の主な提唱者だったコンスタン・ピュヨー(born 1979)
26/07/16忘れ去られたものの転生としてのヌード作品を制作する写真家ルスラン・ロバノフ(born 1979)
26/07/21スノードン卿が「イギリスのカルティエ=ブレッソン」称えたジェーン・バウン(1921-2014)

子供の頃「明治は遠くなりにけり」という言葉を耳にした記憶がありますが、今まさに「20世紀は遠くなりにけり」の感があります。掲載した作品の大半がモノクロ写真で、カラー写真がわずかのなのは偶然ではないような気がします。20世紀のアートの世界ではモノクロ写真が主流だったからです。しかしデジタルカメラが主流になった21世紀、カラー写真の台頭に目覚ましいものがあります。ジョエル・マイヤーウィッツとサンディ・スコグランド、ジャン・ボードリヤール、 F・ディレク・ウヤル、マーティン・パー、コンスタンティン・マノス、久保田博二、ポール・フスコ、エルンスト・ハース、エヴリン・ホーファー、アレック・ソス、アンディ・ゴールドワージー、ウィリアム・エグルストン、ソール・ライタ、フリッツ・ゴロなどのカラー作品を取り上げました。

photographer  Famous Photographers: Great photographs can elicit thoughts, feelings, and emotions.

スノードン卿が「イギリスのカルティエ=ブレッソン」と称えたジェーン・バウン

Oz trial
Oz trial at the Old Bailey, London, 1971
Jane Bown CBE

ジェーン・バウンは1925年3月13日、イングランドのヘレフォードシャー州イーストナーで生まれた。彼女は幼少期を幸せだったと語り、ドーセットで叔母だと思っていた女性たちに育てられた。バウンは12歳の時、そのうちの一人が自分の母親であり、自分は非嫡出子だと気づいて動揺したという。この発見がきっかけで、彼女は思春期に非行に走り、母親に対して冷淡な態度をとるようになった。彼女の父親はチャールズ・ウェントワース・ベルで、母親を看護師として雇っていた。彼女は WRNS(英国王立婦人海軍)で海図修正係として働き、 ノルマンディー上陸作戦の計画にも携わり、この仕事で教育助成金を受け取る資格を得た。その後、ギルフォード美術学校でイフォー・トーマスに写真術を学んだ。バウンは1951年まで結婚式のポートレート写真家としてキャリアをスタートさせたが、その年にトーマスが彼女を『オブザーバー』紙の写真編集者であるメヒティルト・ナウィアスキーに紹介した。ナウィアスキーは彼女のポートフォリオを編集者のデイビッド・アスターに見せ、アスターは感銘を受け、すぐに哲学者バートランド・ラッセルの撮影を彼女に依頼した。バウンは主にモノクロで作品を制作し、自然光の使用を好んだ。

Mick Jagge
Mick Jagger, Singer and Songwriter, 1977

1960年代初頭までは主にローライフレックスを使用していた。その後ペンタックスの一眼レフを使用し、最終的にオリンパス OM-1 に落ち着き 85mmレンズをよく使用した。彼女はオーソン・ウェルズ、サミュエル・ベケット、ジョン・ベチェマン卿、ウディ・アレン、シラ・ブラック、クエンティン・クリスプ、ハーヴェイ、ジョン・レノン、トルーマン・カポーティ、ジョン・ピール、ギャングのチャーリー・リチャードソン、ジェラルド・テンプラー元帥、ジャーヴィス・コッカー、ビョーク、ジェーン・マンスフィールド、ダイアナ・ドース、アンリ・カルティエ=ブレッソン、イヴ・アーノルド、イヴリン・ウォー、ブラッサイ、マーガレット・サッチャーなど、数百人の被写体を撮影した。エリザベス2世女王の80歳の誕生日の肖像写真も撮影した。

 Anthony Burgess
Anthony Burgess, Writer and Composer. 1992

バウンの膨大な作品には、ホップ摘み労働者、グリーンハム・コモン女性平和キャンプの立ち退き、バトリンズ・ホリデーリゾート、イギリスの海岸、そして2002年のグラストンベリー・フェスティバルに関するシリーズが含まれる。 彼女の社会ドキュメンタリーやフォトジャーナリズム作品は、2007年に出版された著書 "Unknown Bown 1947–1967"(知られざるバウン)まで、ほとんど知られていなかった 。ルーク・ドッドとマイケル・ホワイトが監督した、バウンについての2014年のドキュメンタリー "Looking For Light"(光を求めて)では、バウンが自身の人生について語り、エドナ・オブライエン、リン・バーバー、リチャード・アシュクロフトなど、彼女が撮影したり、一緒に仕事をした人々へのインタビューが収録されている。2014年6月、バウンはクリエイティブ・アーツ大学から名誉学位を授与された。

>Rochdale byelection,
Rochdale byelection, Lancashire, 1958

1954年、バウンはファッション小売業の重役マーティン・モスと結婚した。夫妻にはマシュー、ルイザ、ヒューゴの3人の子供が生まれた。モスは2007年に彼女より先に亡くなった。2014年12月21日、ジェーン・バウンは89歳で亡くなった。スノードン卿は彼女の作品を称え「最高の写真を生み出したイギリスのカルティエ=ブレッソン」「彼女はトリックや仕掛けに頼らず、ただシンプルで正直な記録を、鋭敏で知的な目で捉えている」と称えた。下記リンク先はグロスターシャー大学の「写真家ジェーン・ボウンとグラント・スコットの対談」です。

university_bk  Conversation between Photographer Jane Bown & Grant Scott | Univ Of Gloucestershire

2026年7月20日

世界史遠望(19)日系アメリカ人を強制収容したランクリン・D・ルーズベルト大統領

The Mochida Family Awaiting Evacuation Bus at Hayward, CA. May 8, 1942 ©Dorothea Lange
Franklin D. Roosevel

日本軍による真珠湾奇襲攻撃により、アメリカ合衆国は第二次世界大戦の渦中に突入した。攻撃から約2か月後、フランクリン・D・ルーズベルト大統領(1882-1945)は大統領令9066号を発令した。日本のスパイ活動の可能性を抑制するためという理由で、日系アメリカ人の強制収容所への移送を承認したのである。当初、移送は自主的な参加に基づいて行われた。しかし移送を希望する者はごく少数であったため、大統領令は西海岸に住む日系アメリカ人の強制移送への道を開いた。大統領令9066号の発令後6ヶ月の間に、10万人以上の日系アメリカ人が米国内の強制収容所に収容された。これらの強制収容所は「移住キャンプ」と呼ばれた。当時、アメリカでは、日系アメリカ人は世代によって区別されていた。第一世代の日本人移民は一世と呼ばれ、第二世代のアメリカ生まれの日系アメリカ人は二世と呼ばれた。この大統領令は、両世代合わせて11万7,000人以上の日系アメリカ人に影響を与えた。何千人もの人々が「納税義務不履行」を理由に家や事業を失った。大統領令9066号は広く物議を醸した。この命令は、ハリー・S・トルーマン大統領(1884-1972)が1946年6月25日に大統領令9742号に署名するまで有効であった。

assembly center Stockton
Japanese Americans arriving at an assembly center Stockton, CA., 1942

大統領令9742号は、戦時移住局の解散を命じ、日系アメリカ人が自宅に戻ることを許可した。しかし、新たに解放された日系アメリカ人の多くは、自宅に戻ると持ち物が盗まれていたり、財産が売却されていたりするのを発見した。帰国した日系アメリカ人は、一般市民から差別や偏見に直面した。こうした行為を恥じたハリー・S・トルーマン大統領は、第442連隊戦闘団の日系アメリカ人兵士たちに敬意を表した。1988年、ロナルド・レーガン大統領は市民自由法に署名した。強制収容所の生存者には、米国政府から正式な謝罪状が送られ、2万ドルの賠償金が支払われた。

Students recite the Pledge of Allegianc
Students recite the Pledge of Allegiance in San Francisco, 1942 ©Dorothea Lange

戦時移住局の解散後、歴代大統領が様々な措置を講じたにもかかわらず、多くの日系アメリカ人は心の整理がつかないままだった。アメリカが設置した強制収容所は、歴史の中でほとんど語られることがない。ロイヤルズのベンチコーチ、ドン・ワカマツは「それについて語ることができる時はいつでも、それはより不朽のものとなる」「歴史には常に学びの過程がある。そう願うしかない独立宣言の約束と、我が国の自由の信条に忠実であろうとするならば」と述べた。下記リンク先は日系アメリカ人の歴史ポータル Denshō の「一人の女性(ドロシア・ラング)が日系アメリカ人強制移住の集団的記憶をどのように形作ったか」です。

日系アメリカ人  How One Woman Shaped the Collective Memory of Japanese American Removal | Denshō

2026年7月19日

マーク・ザッカーバーグに対する「女性の乳首に自由を」運動

Youki au Chat
Léonard Tsuguharu Foujita (1886-1968) Youki au Chat, 1923

後述するが乳首も描かれている藤田嗣治(1886-1968)のこの絵はさすがに Facebook も削除しないだろう。さきごろライナ出身のルスラン・ロバノフ(1979-)のヌード写真をソーシャルメディア Facebook にポストしたところ即削除された。芸術作品として名高い作品だったので驚いた。おそらくシステムが自動対処したのだろうけど、利用規約に反しているという警告メッセージも届いた。繰り返せばアカウント剥奪の可能性もある。以下に Facebook の「ヌードや性的行為: パブリッシャー・クリエイター向けガイドライン」の一部を引用しよう。

Facebook では乳首が見える女性の乳房の画像も制限されますが、医療目的や健康上の目的でシェアされる画像は除きます。授乳をしている女性や乳房切除術後の瘢痕を表す写真も許可されます。また、ヌードを描写する絵画や彫刻などの芸術作品の写真も許可されます。
Civilian Defense
Edward Weston (1886–1958) Civilian Defense, Carmel, 1942

上掲の写真はエドワード・ウェストン(1886–1958)の「民間防衛」と題した作品だが、おそらくこれをポストすれば削除されるだろう。医療目的や健康上の目的ではないし、授乳をしている女性の写真ではないからだ。写真術は近代に生まれたが、今や絵画や彫刻と相並ぶ芸術様式である。なぜ Facebook、あえて名指せば CEO(最高経営責任者)のマーク・ザッカーバーグが写真芸術を排斥するのか理解できない。乳首が写ったヌード写真は猥褻だと短絡解釈しているのだろう。さらに同上ガイドラインを引用しよう。

性的行為の表示に対する制限は、イラストコンテンツやデジタル処理で作成されたコンテンツにも適用されます。ただし、教育目的、ユーモアや風刺の目的で投稿されたコンテンツの場合は除きます。性行為の露骨な画像は禁止されています。

性行為の画像は禁止という言質は性行為を猥褻であると解釈しているわけだが、性行為すなわちセックスなしには子どもは生まれない。卑近な例、アニマルセックスの写真がおおっぴらに公表されているが、ヒトのセックスの写真はご法度になっている。江戸時代の「枕絵」は親が娘に持たせる嫁入り道具であったが、幕府の取り締まりを受けた。うがった見方をすれば性行為の画像の取締りは昔から為政者の権力の象徴と言えそうである。ポルノ画像が性犯罪の呼び水になっているかは疑問である。

FTN
Protest at Meta's London office following the censorship of a nipple tattoo

女性の乳首に関しては「カイリー・ジェンナーの Free the Nipple に続け! フリー・ザ・ニップルをリードするセレブ12名」という記事を思い出す。Free The Nipple(乳首を自由に。以下 FTN)とは男性のトップレスは許されているのに、女性はそうではないことに対する抗議活動である。もともとは俳優で監督のリナ・エスコが2012年に同名のインディーズ系コメディ映画を作ってこのダブルスタンダードを指摘、ジェンダー差別の撲滅を訴えたことから始まった。彼女の主張を支持したマイリー・サイラスやレナ・ダナムがこのハッシュタグをつけてソーシャルメディアにトップレスをアップしたが、Instagram や Facebook は「女性のトップレスは NG」というルールがあるとして削除。女性セレブたちがこれに抗議し FTN は一気に拡大した。今もダブルスタンダードはなくならず、バストトップを何らかの形で隠さなくては Instagram にトップレス画像をアップできないことから FTN は根強く続いている。下と Facebook と Instagram の親会社メタ社は、まもなく女性の胸の写真を解放する可能性探ったようだ。同社の監視委員会は、女性のヌード写真対するする規則を見直すよう求めたというが、未だに改善されていない。下記リンク先はハーパース・バザー誌の記事「セレブたちが「《乳首に自由を運動》を支持した28の事例」です。

女性誌  28 times celebrities embraced the Free the Nipple movement | The Harper's BAZAAR

2026年7月18日

宗教考現学(11)タイのワット・パ・タム・ウア森林僧院

Wat Pa Tam Wua
ワット・パ・タム・ウア森林僧院(タイ北部のメーホンソーン)

ワット・パ・タム・ウア森林僧院は、静かで自然豊かな僧院環境の中で、真剣に瞑想を実践したいと願う人々に精神的な導きを提供してぃる。エキゾチックなメーホンソーンの美しい山々に囲まれたこの僧院は、緑豊かな自然、穏やかな小川、自然の洞窟、そしてタイ北部の壮大な滝の絶景を堪能できる。野生の花々、蘭、そして雄大な山々の眺めなど、美しい景色が広がるまさに地上の楽園である。この僧院は上座部仏教、特にタイ森林仏教の伝統を受け継いでいる。タイ語と英語を話す僧侶たちが、適切な瞑想指導とともに、自然法則や自然現象に関する正しい見解を伝えている。世界各国から、初心者から上級者まで、多くの修行者が瞑想のためにここを訪れている。ワット・パ・タム・ウア森林僧院は温かく迎え入れてくれる場所だが、ここはリラクゼーションセンターやリゾートではなく、実際に活動している仏教寺院であり、ヴィパッサナー瞑想のリトリート施設であることを忘れてはならない。日々の精神活動はすべて義務付けられており、宿泊者は僧院のスケジュールと規則に従わなければならない。

Wat Pa Tam Wua
自然豊かなワット・パ・タム・ウア

このような規律ある環境は、有意義な精神的成長と自己発見のための理想的な条件を作り出す。ワット・パ・タム・ウア森林僧院は、年間を通していつでも参加できる柔軟な入山制度を採用している。午前または午後の瞑想クラスに1日だけ参加することも、最短3泊2日から最長10日間の宿泊型リトリートに参加することも可能である。この柔軟性により、様々なスケジュールを持つ旅行者にとって理想的な環境となっている。ここでは、ヴィパッサナー瞑想(洞察瞑想)とアーナーパナサティ瞑想(呼吸瞑想)を中心とした瞑想が行われている。様々な瞑想方法が認められているが、呼吸瞑想が主流となっていいる。毎日、タイ語と英語で法話が行われ、仏教哲学の教えと実践的な瞑想指導が提供されている。日々のスケジュールは、初心者にも参加しやすいように配慮しつつ、深い修行をサポートするよう構成されている。朝の瞑想は午前5時にクティ(瞑想小屋)で始まり、その後、僧侶への米の供養と朝食が行われる。午前と午後の法話と瞑想クラスがプログラムの中核を成し、夕方の読経、瞑想、法話で一日が締めくくられる。

MeditationRetreat
人里離れた環境の瞑想リトリート

年齢を問わず誰でもご参加でき、瞑想の経験は一切必要ない。僧侶とスタッフが、それぞれのレベルに合わせた指導を行う。唯一の条件は、僧院の規則を真摯に守り、日々のスケジュールに積極的に参加する意思があることである。この僧院では、個室のクティ(瞑想小屋)やドミトリーなど、宿泊施設を完備している。宿泊者全員に寝具と滞在中の白い衣服が提供される。施設は簡素で機能的で、快適さよりも瞑想の実践を支援するように設計されている。個室のクティは個人的な瞑想のための静寂を提供し、ドミトリーは共同の宿泊施設となっている。バランスの取れたベジタリアン(ビーガン対応)の食事が1日2回提供される。僧院の伝統に従い、正午以降は食事を摂らないため、夕食の代わりに紅茶、コーヒー、ジュース、豆乳などが用意されている。食事はボランティアとスタッフが調理している。僧院の敷地内には、自然に囲まれた美しい散策路や瞑想用の小道、周囲の山々を一望できる瞑想堂、そして近くには穏やかな小川や滝が流れている。自然そのものが瞑想の実践の一部となり、マインドフルネスと心の平安を育むための完璧な背景を提供してくれる。下記リンク先はタイのワット・パ・タム・ウア森林僧院の公式ウェサイトです。

仏陀  Wat Pa Tam Wua: A beautiful and peaceful Buddhist Forest Monastery open to everyone

2026年7月17日

世界史遠望(18)ウッドストック音楽祭の長期的な影響

A poster of the Woodstock
A poster of the Woodstock Music Festival ©1969 Arnold Skolnick

ウッドストック音楽祭は、1969年8月15日から18日にかけて、ニューヨーク州サリバン郡ベセルの田園地帯にある約300エーカーのなだらかな農地で行われた。1969年の夏は、3つの並外れた文化的イベントによって特徴づけられる。6月には、ストーンウォールの暴動がレズビアンとゲイのアメリカ人による公民権運動の始まりを告げ、7月にはアポロの月面着陸がアメリカ人を驚かせ、国全体に楽観主義をもたらしました。そして8月には、マックス・ヤスガーの酪農場に約45万人が集まったウッドストック音楽祭が、ある世代の連帯と信仰の象徴となった。1960年代は、ベビーブーム世代が正式に過去との決別を果たし、独自の文化的規範を確立した10年間だった。第二次世界大戦後に生まれたこの世代は、アメリカの戦後史における主要なテーマ、すなわち繁栄、豊かさ、都市の分散化と郊外生活への移行、高等教育の約束、そして平和な世界の安全保障によって形作られた。しかし、このライフスタイルを育んだものは、この世代に自分たちの生活と、同じ恩恵を受けていない人々の生活との著しい対比を認識させ、強い責任感を植え付けた。

young hippie coupl
A young hippie couple at the Woodstock Festival ©1969 John Dominis

その結果、彼らは貧困と不正義に心を痛め、公民権、レズビアンとゲイの権利、貧困の撲滅ヴェベトナム戦争の終結、女性の権利、そして普通選挙権の実現に向けて熱心に取り組んだ。 1960年代後半までに、体制の道徳的・政治的基盤の一部に異議を唱える強力なカウンターカルチャーが出現した。3日間にわたるこの音楽祭には、32組のソロアーティスト、フォークシンガー、ブルースバンド、ロックンロールバンドが出演し、推定45万人以上の観客を魅了した。イベントのチケットは1日6ドルだった。当時最も有名で評価の高い出演者の中には、アフリカ系アメリカ人のフォークシンガー、リッチー・ヘイヴンスがいた。彼はコンサートのオープニングを飾り、レパートリーがなくなるまで演奏した。その後、彼は即興で「フリーダム」を演奏し、これがフェスティバルの代表的なイベントの一つとなった。その他の出演者には、ジョーン・バエズ、グレイトフル・デッド、カントリー・ジョー・マクドナルド、ジャニス・ジョプリン、ジェファーソン・エアプレイン、サンタナ、ザ・フー、クロスビー、スティルス、ナッシュ、ヤングなどがいた。ウッドストックの最後の出演者で際立っていたのは、ジミ・ヘンドリックスで、彼は今や伝説となっている「星条旗」の演奏を披露した。

Carlos Santana
Carlos Santana on stage at the Woodstock ©1969 Jim Marshall

ウッドストックは、1967年から1969年にかけて開催された数十もの野外音楽祭の中で最大規模かつ最も記憶に残るフェスティバルでした。この時代は、1967年6月16日から18日にカリフォルニア州モントレーで開催された、広く報道されたモントレー・ポップス・コンサートで幕を開け、ウッドストックからわずか3か月後の1969年12月6日、カリフォルニア州アルタモントのアルタモント競馬場でのコンサートで悲劇的な幕を閉じた。ウッドストックは、当時可能だと考えられていたことの象徴であり続けています。ウッドストックとその後の出来事が、現在アメリカ社会のあらゆる分野で指導的役割を担っている何千人もの人々の世界観、社会意識、音楽の好みを形成するのに役立ったという事実が、このフェスティバルがアメリカ社会に与えた長期的な影響を証明している。下記リンク先はウッドストック音楽祭公式サイトの「出演者およびバンドの詳細リスト」です。

Woodstock Festival The Official List of Performers and Bands during the Woodstock Music & Art Fair in 1969

世界史遠望(17)ルース・ベネディクトの天皇制に関する考察

Chrysanthemum and Sword
ルース・ベネディクト

アメリカの女性人類学者ルース・ベネディクト(1887-1948)の『菊と刀』は1946年(昭和21年)に刊行され、1948年(昭和23年)に日本語訳が出版された。第二次世界大戦下のアメリカの一連の戦時研究のなかから生まれた、日本研究の名著である。直接現地調査ができないという制約にもかかわらず、在米日系人との面接、文学や映画の分析などを通じて、複雑な日本社会の体質に鋭く迫っている。日本社会を特徴づける上下関係の秩序に注目し、その秩序のなかで「各人にふさわしい位置を占めようとする」人々の行動や考え方について「恩」「義理」といった日本人独特の表現を手掛りに分析を進めている。とりわけ日本の文化を、内面に善悪の絶対の基準をもつ西洋の「罪の文化」とは対照的な、内面に善悪の絶対の基準をもつ西洋の「罪の文化」とは対照的な、内面に確固たる基準を欠き、他者からの評価を基準として行動が律されている「恥の文化」として大胆に類型化した点は、戦後の日本人に大きな衝撃を与えた。ベネディクトは、天皇を個人として糾弾するのではなく、日本の文化的・政治的な構造が「責任の所在を曖昧にするシステム」であったと説明した。この分析は、戦後 GHQ が天皇を戦争裁判から免除し、統治の道具として利用する方針(天皇制存続)の理論的背景の一つになったとも評されている。『菊と刀』において天皇制は日本人の行動規範や社会構造を理解する上で中心的な位置を占めている。

ッカーサー元帥と昭和天皇
マッカーサー元帥と昭和天皇(アメリカ大使館)1945年9月27日

ベネディクトの見解を整理すると、次の点が重要である。「恩」の体系における天皇の位置をベネディクトは、日本社会を「恩」という重層的な義務体系として捉えた。その中で天皇は、国民が受ける最も上位の「恩」の対象として位置づけられている。 天皇に対する「忠」は、一生かけても返しきれない義務として捉えられ、日本人の道徳的基盤となっていた。この天皇への「忠」があるため、日本人は終戦の決断など、天皇の意向によって、極端な状況下でも容易に行動を転換することができるとベネディクトは分析した。ベネディクトの有名な「恥の文化」という概念においても、天皇制は重要な役割を果たす。日本人の行動は、内面的な「罪」の自覚よりも、他者からの評価や社会的規範を重視する「恥」の意識によって律される。天皇はこの社会的な「恥」を回避し、秩序を保つための精神的支柱や、日本人が共同体としての同一性を感じるための中心的な存在として機能していると見なされた。

	菊と刀

アメリカの占領政策への提言『菊と刀』は、アメリカ政府が戦後の日本をどのように統治すべきかという実務的な要請を受けて執筆された側面がある。ベネディクトは、天皇制を廃止するのではなく、むしろ民主化に向けたプロセスにおいて、天皇を「精神的支柱」として存続させることの有用性を示唆した。彼女は日本固有の文化的な特殊性を理解し、アメリカ流の民主主義を単純に押し付けることには慎重だった。タイトルの「菊」は天皇(皇室)や平和・美の象徴、「刀」は武士道や攻撃性を象徴していると一般的に解釈されている。ベネディクトは、この一見矛盾するような「美と礼儀を愛する心」と「好戦的で名誉を重んじる心」が、天皇への忠誠という一本の軸によって両立されている日本社会の特殊性を解き明かそうと試みた。なおこの分析については戦後の日本社会の変化や、その後の文化人類学的な知見の進展に伴い、現在では多様な批判や再評価もなされている。

university  Ruth Benedict (1887–1948) Anthropologist, PhD 1923, Faculty 1924–48 | Women of Hall

2026年7月16日

ソーシャルメディアの弊害(33)フィルターバブルの危険性

FilterBubble
アルゴリズムがネット利用者個人履歴を分析し学習するフィルターバブル ©Sixth Tone

フィルターバブルとは「見たい情報が優先的に表示される」「見たくない情報が遮断される」環境が構築され、ユーザーの視野が狭くなっていくという“仕組み”である。総務省の「情報通信白書」はフィルターバブルを以下のように定義している。

アルゴリズムがネット利用者個人の検索履歴やクリック履歴を分析し学習することで、個々のユーザーにとっては望むと望まざるとにかかわらず見たい情報が優先的に表示され、利用者の観点に合わない情報からは隔離され、自身の考え方や価値観の「バブル(泡)」の中に孤立するという情報環境を指す。

つまりフィルターバブルとは、ユーザーの過去の行動や検索履歴に基づきパーソナライズされるインターネットアルゴリズムによって「見たい情報が優先的に表示される」「見たくない情報が遮断される」環境が構築され、情報の偏りが生じ、ユーザーの視野が狭くなっていくという仕組みである。これによりユーザーは自分が関心を持つ情報ばかりに接触し、多様な視点や意見へのアクセスが困難になる。なおフィルターバブルは、提唱者であるアップワージー社の CEO イーライ・パリサーが自身の著書「The Filter Bubble: The Internet Is Hiding From You」で触れたことによって世間に浸透したといわれている。フィルターバブルの影響はウェブページの検索結果のみならず、ウェブサイト閲覧時に表示される広告やニュースにおいても同様である。なにげなく目にしているインターネットの情報はランダムに表示されているのではなく、検索エンジンやソーシャルメディアのアルゴリズムの仕組みに則り、パーソナライズされて表示されているのである。

Echo Chamber

フィルターバブルと類似する言葉として「エコーチェンバー」の言葉がたびたび言及される。同じくこちらも総務省の「情報通信白書」に記載がある。ソーシャルメディアを利用する際、自分と似た興味関心をもつユーザーをフォローする結果、意見をーシャルメディアで発信すると自分と似た意見が返ってくるという状況を、閉じた小部屋で音が反響する物理現象にたとえたものである。そしてこのエコーチェンバーは X(旧Twitter)や Facebook、YouTube などのソーシャルメディア上で似たような情報や意見が繰り返され、認識が先鋭化される “現象”を意味しており、その現象はフィルターバブルという“仕組み”によって引き起こされていることになる。また、エコーチェンバーの特徴には、異なる意見が排除される傾向も挙げられ、特定の見解が過剰に強化されるメカニズムも指摘されている。フィルターバブルとエコーチェンバーの言葉は混同されがちであるが、「形成の仕組み」「影響範囲」といった点において、厳密には両者は異なる概念である。

magazine フィルターバブルとは何か | エコーチェンバーとの違い | フィルターバブルによって生じる問題点