2026年10月12日

セイラム魔女裁判の謎 The Mystery of the Salem Witch Trials

Folkways Records – FH 5211
Early New England Ballads Collected and Sung by John Allison

これはフォークウェイズレコードが1962年にリリースした、フォーク歌手ジョン・アリソンの "Witches and War-Whoops"(魔女と鬨の声)のジャケット写真で、アメリカ合衆国マサチューセッツ州セイラム村(現在のダンバース)で、1692年3月1日に始まったセイラム魔女裁判をテーマにした LP アルバムである。いささかショッキングなイラストだが、村人が魔女として告発され、その絞首刑の様子が描かれている。この裁判についてウィキペディア日本語版は「植民地時代アメリカにおける集団パニックの最も深刻な事例の一つである。孤立主義、宗教過激主義、虚偽の告発、正当なプロセスの遂行が孕む危険性について、鮮明な警鐘を呼び掛ける題材として、政治的文脈や大衆文学に用いられている。多くの歴史家はセイラム魔女裁判はその後のアメリカの裁判制度に対して非常に強い影響力を及ぼしたと考えている。

Smiling-Witch

歴史家のジョージ・リンカーン・バーは「セイラムの魔女裁判は、神権政治を崩壊させたと評しており、無実とされる人々が次々と告発されて裁判にかけられたその経緯は、集団心理の暴走の例としても引用されることが多い」と説明している。さらにインターネットを徘徊しているうちに、マサチューセッツ州ウォータータウンの歴史家のマリリン・ローチのことを知った。マサチューセッツ州ウェストボローのフィフティ・プラス・アドヴォケート紙の記事 "A Salem witch trial mystery remains"(セイラムの魔女裁判は謎が残る)によると「マサチューセッツ州の歴史作家マリリン・ローチは、セイラム魔女裁判について誰よりも知っているかもしれない。27年間にわたる綿密な調査、執筆、再執筆を経てこのテーマに関する彼女の最初の著書『セイラム魔女裁判』が2002年に出版された。そして2014年には『セイラムの6人の女たち』を上梓した」という。ローチによれば、魔女と疑われた164人が法廷制度に関与し、52人が裁判を受け、30人が有罪となった。30人中19人はセイラムの大観衆の前で絞首刑に処された。

Examination of a Witch
Tompkins H. Matteson (1813–1884) The Examination of a Witch, 1852

ローチは30人中19人の告発について「当時、荷車いっぱいの木材がバラバラになるのを誰かが目撃したり、目に見えない存在を感じたりしたかもしれない。告発者(魔法にかかった人、あるいは苦しんでいる人)は、魔女とされる他の人たちを告発した。「告発された人の中には家族のいない年配の女性もいたが、家族を持つ男性や女性もいた」「セイラムの想定される魔女と現代の魔女やウィッカンとの間には何の関係もありません」「彼らは誰も自分を魔女だとは思っていませんでした」云々。ローチは、1697年に裁判に対する謝罪として、マサチューセッツ州の一般大衆の間で一定期間の断食が行われたと指摘した。「その後、人々はパニックを悪魔の妄想だとみなしました。1711年、数回の請願の後、有罪判決を受けた者のうち22人の有罪評決が取り消されたが、有罪判決を受けた全員の名前が請願書に記載されていたわけではない。

Smiling-Witch

そして「1712年に裁判の結果被害を受けた人々に賠償金が支払われた」とローチは語っている。魔女裁判は、アメリカ史の中で奇妙で悲しい足跡を残している。「2001年にジェーン・スウィフト知事は残った名前を復元する法案を可決した。残念ながら、それはハロウィンの日に行われました」とローチ。彼女の研究は続いている。ローチは今、魔女裁判に参加した6人の男についての本を書いている。残念なことに、解明できていない情報がひとつある。絞首刑執行人は誰だったのだろうかという、極めて素朴な疑問である。「絞首刑の前に報酬が支払われたに違いない。請求書が見つからないんです。でも、彼がタバコを吸っていたことは知っています。1692年にサミュエル・ウォードウェルが絞首刑になったとき、彼は最後の言葉を言おうとしたときに、絞首刑の煙で喉を詰まらせた。首吊り師の名前が見つかればいいのですが」と嘆息しているようだ。下記リンク先の PDF ファイルはノースカロライナ大学の「セイラム魔女裁判の謎を解き明かす」です。

university  Solving the Mystery of the Salem Witch Trials Overview | University of North Carolina

森林再生活動をサポートする検索エンジン Ecosia を試用する

Ecosia

Ecosia(エコシア)はドイツの首都ベルリンの Ecosia GmbH(エコシア有限会社)が提供する検索エンジンで、80%以上の利益を植林・森林再生活動を行う非営利団体に寄付している。自身をソーシャル・ビジネスでありカーボンネガティブ(英語版)と考えており、Ecosia は財政の透明性を主張し定期的に財政レポートを公開している。ユーザーのプライバシーを保護し、アメリカの B Lab(英語版)に認証されたベネフィットコーポレーションである。創立当初は Yahoo! 検索の検索結果と、Bing、Wikipedia の技術を組み合わせて検索結果を表示していた。広告に関しては Ecosia と Yahoo! の利益共有の合意の一部として Yahoo! によって提供されていた。現在 Ecosia の検索結果は Bing によって提供されており、Bing から得た検索結果を Ecosia 自身のアルゴリズムによって強化している。Ecosia は現在スマートフォン(アンドロイド、iOS)、PC(Windows、Mac)上で動作するブラウザ・モバイルアプリとしても利用可能である。2019年現在 Google の検索結果も確認したい場合 Ecosia の検索バーに検索語句を入力することで Google の検索結果を表示することができる。2018年には、Ecosia はユーザーのプライバシーを守る検索エンジンになることを約束した。ユーザーの検索は暗号化され、保存は一時的にのみ行い、ユーザーのデータはサードパーティの広告会社に販売されることはないとしている。Ecosia はプライバシーポリシーにて検索履歴に基づくユーザープロフィールを作成しないし、Google Analytics のような外部のトラッキングツールを使用することもないとした。Ecosia は検索結果の隣に広告を表示しているが、ユーザーがスポンサードリンクを通じて広告元を参照したときにパートナーが Ecosia に料金を支払う仕組みとなっている。Ecosia の FAQ によれば Ecosiaで一度検索をすると、平均でおよそ0.5ユーロセント(0.005 EUR)の利益が発生する。1本の木を植えるには22ユーロセント掛かるので、22÷0.5という計算に基づき約45回の検索が1本の木を植えるために必要となる。Ecosia は広告からの利益の80%(収益の47.1%)を植林活動支援に使用しており、残りは想定外の事態の対応のために内部で留保される。もしこの留保した資金を使用する事態がなければ Ecosia の植林活動支援のための資金として使用される。Ecosia は月次で財政レポートを自身のサイト上に発表している。2018年10月には、創設者のクリスチャン・クロルは自身の保有する株式の一部を The Purpose Foundation に譲渡した。結果的に、クロールと Ecosia の共同所有者ティム・シューマッハは Ecosia を売る権利を放棄した。Ecosia はコペンハーゲンで行われた第15回気候変動枠組条約締約国会議と同じ日付である2009年12月7日に設立された。それ以降、プログラム運営者は材木業者・現地コミュニティと財政計画を作成したが、2011年までに Ecosia は250,000ユーロ以上を集めることに成功した。

スタートアップ画面

2013年7月から2014年9月にかけて Ecosia はアメリカの The Nature Conservancy(英語版)の主催する Plant a Billion Trees プログラムに寄付を行った。このプログラムは100万本の現地の木を植林することでブラジルの大西洋岸森林を2015年までに復元しようというものである。2015年には Ecosia はアフリカ連合・世界銀行の支援する砂漠化防止を目的としたグレートグリーンウォールプロジェクトの一環として、ブルキナファソの森林再生活動を資金援助した。B-lab によれば、2015年1月時点で、「利益の80%を寄付することで、Ecosia は2009年12月以降、熱帯雨林保護のために150万ドル以上を集めた。Ecosia によれば、2015年までに Ecosia はおよそ250万人のアクティブユーザーを獲得し、200万本以上の植林を行った。2015年5月に Ecosia は Europas(欧州のテック関連スタートアップ企業を称える賞)の社会の向上を意図した最優秀スタートアップ企業のカテゴリーの候補に挙げられた Ecosia は複数の団体と一緒に活動している。例えばエデン森林再生プロジェクト(英語版)、Hommes et Terre(フランス語:人類と地球)、その国現地の様々なパートナー等である。これらパートナーと Ecosia は16の国で植林を行った。Ecosia は現在ペルー、ニカラグア、コロンビア、ブラジル、モロッコ、スペイン、セネガル、ブルキナファソ、ガーナ、マダガスカル、ウガンダ、タンザニア、エチオピア、ハイチ、ケニア、インドネシアで植林プロジェクトを支援している。2018年10月9日、Ecosia は100万ユーロでハンバッハの森(英語版)をドイツのエネルギー会社 RWE から購入した。Ecosiaは Google Chrome と Mozilla Firefox 上でデフォルト検索エンジンとして使用可能である。2017年7月21日時点では、Brave ブラウザが Ecosiaをデフォルト検索エンジンの選択肢として提供している。バージョン26(2016年1月26日)のリリースに伴い Pale Moon ブラウザは Ecosia をデフォルト検索エンジンとして提供し、2016年2月15日に Polarity ブラウザのバージョン8も同様に Ecosia をデフォルト検索エンジンとした。Ecosia はバージョン44.0.2から Firerfox のデフォルト検索エンジンである。バージョン1.9から Vivaldi は Ecosia をデフォルト検索エンジンの選択肢として追加した。2018年3月には Firefox 59.0 が Ecosia を検索エンジンの選択肢としてドイツ版に追加した。

  エコシアは検索によって生じた広告収益の多くを環境保護(主に植林活動)に寄付する検索エンジン

2026年10月11日

音楽雑話(6)ルイジアナ州のアカディア人によって生み出されたケイジャン音楽

cajun
ボタンアコーディオンとフィドルが主体のケイジャン音楽

ケイジャン音楽は、18世紀初頭にルイジアナ州南部に移住してきた様々な移民グループの音楽スタイルから発展した。これらの移民たちは新天地に定住するにあたり、それぞれ独自の文化的伝統を持ち込んだのである。最初に移住してきたのはアカディア人だった。彼らはアカディアナ(Acadiana)呼ばれる地域(現在のカナダのノバスコシア州、ニューブランズウィック州、プリンスエドワード島などの大西洋沿岸)に定住した。彼らは1755年にイギリス政府によって故郷を追われ、最終的に南ルイジアナにたどり着き、独自の文化を築いた。ケイジャン音楽は、ボタンアコーディオン、フィドル、そしてフランス語という3つの要素で容易に識別できる。現代のソングライターでさえ、両親や祖父母からフランス語を学び、地元のフランス語の集まりに参加したり、フランス語集中教育プログラムを通してフランス語を習得し、フランス語で曲を書いている。ケイジャン音楽の曲のほとんどはツー・ステップかワルツで、特定のダンスステップに合わせて作られている。

アカディアナのふたつのサウンド
ケイジャンとザディコ音楽の違い

この音楽がケイジャンの人々の「もの」であることは間違いないが、アイルランド、ドイツ、アフリカ、ネイティブアメリカンの伝統の影響も取り入れている。ケイジャン音楽の多くは、フェ・ド・ド(ダンスパーティー)で聴くことができ、伝統的なケイジャン音楽にロック、ブルース、ソウル、ザディコの影響が融合している。ケイジャン音楽はルイジアナ州南部をはじめとする地域で根強い人気を誇っている。あらゆる年代の人々に愛され、カントリーやロックといった他のジャンルの音楽にも影響を与えてきた。長年にわたり様々な変化を遂げてきたにもかかわらず、ケイジャン音楽はルイジアナ州の文化遺産として今もなお愛され続けている。ケイジャン音楽の最初の録音は1920年代に遡り、ジョー・ファルコンとクレオマ・ブロウ、デニス・マギー、サディ・クールヴィル、クレオール・アコーディオン奏者のアメデ・アルドインといった演奏家が登場する。

Cléoma Breaux and Joe Falcon

アイリー・ルジューン、ローレンス・ウォーカー、アルダス・ロジャーとラファイエット・プレイボーイズ、バルファ兄弟、ハリー・チョーツ(別名「ケイジャン・スウィングのフィドル王」)、DL・メナード(別名「ケイジャンのハンク・ウィリアムズ」)といった演奏家たちは、20世紀を通じてこのサウンドを発展させ、広げるのに貢献した。1964年ののニューポート・フォーク・フェスティバルで、グラディウス・ティボドー、ルイ・“ヴィネス”・ルジューヌ、デューイ・バルファが観客を熱狂させるパフォーマンスを披露したことで、この伝統音楽はついに全国的な注目を集めることになった。そしてその後数十年の間に、ザカリー・リチャード、マイケル・ドゥーセとボーソレイユ、ウェイン・トゥープス、レッド・スティック・ランブラーズ、ロスト・バイユー・ランブラーズ、バルファ・トゥジュール、パイン・リーフ・ボーイズ、セドリック・ワトソンといったアーティストたちが台頭したのである。下記リンク先の動画はケイジャン音楽の演奏とダンス『マムーのためのギャロップ』です。

YouTube CAJUN MUSIC WITH PAYS D'EN HAUT (TIT GALOP POUR MAMOU) Posted by Brian Mitolo

2026年10月7日

ぶら京都(5)Stroll on Kyōto City #5

Seishō Nagon
Seishō Nagon at Jidai Matsuri, Kyōto Gyoen National Garden
時代祭清少納言の十二単(京都市上京区京都御苑)
Shyness
Shyness, Setogawa-chō, Saga Tenryūji, Ukyō-ku, Kyōto
恥じらい(京都市右京区嵯峨天龍寺瀬戸川町)
Zōri
Zōri, Nishikikōji-dōri, Yanaginobanba, Nakagyō-ku, Kyōto
草履(京都市中京区柳馬場錦小路通)
Japanese Kerria
Japanese Kerria, Matsuo-taisha Shrine, NishiKyō-ku, Kyōto
山吹(京都市西京区嵐山宮町の松尾大社)
Column,
Column, Shinpūkan, Bano-chō, Nakagyō-ku, Kyōto
円柱(京都市中京区場之町の新風館)
Saigū
Saigū Procession, Saga Arashiyama-chō, Ukyō-ku, Kyōto
斎宮行列(京都市右京区嵯峨中之島町)
Ivies
Ivies on the Wall, Nakano-chō, Nakagyō-ku, Kyōto
壁の蔦(京都市中京区中之町)
Santa Claus Lingeries
Santa Claus Lingeries, Sinkyōgoku-dōri Shijō-agaru, Nakagyō-ku, Kyōto
サンタクロースのランジェリー(京都市中京区新京極通四条上ル)
Kakizome
Kakizome, Kitano-tenmangū Shrine, Bakuro-chō, Kamigyō-ku, Kyōto
書初め(京都市上京区馬喰町の北野天満宮)

文字通り「ぶら京都」とはぶらぶら京都を散策して写真を撮るという意味ですが、徒然に目に止まった情景を撮影主体にしています。過去のストック写真を含め、旅行者ではなく、この地に住んでるがゆえの視線で捉えた、京都らしい写真をお届けします。

2026年10月5日

ティンタイプ写真でアパラチアの伝承音楽家に焦点を当てたリサ・エルマレ

ogslop String Band
Hogslop String Band, Harpeth River, Tennessee. ©2010 Lisa Elmaleh
Lisa Elmaleh

リサ・エルマレ(1984年生まれ)はアパラチアとその周辺に暮らす現代のフォークミュージシャンを記録するにあたり、19世紀の湿式コロジオン・ティンタイプ技法を用いた。その土地に深く根ざした伝統の本質を捉えながら、エルマレは心に残る美しさを持つポートレートや風景写真を生み出している。被写体と撮影技法の組み合わせは意図的なものだと、エルマレは説明する。アメリカのフォークミュージックの伝統は、ティンタイプ写真技法の歴史的性質と共鳴している。エルマレは、ウェストヴァージニア州ハンプシャー郡を拠点とするビジュアルアーティスト、指導者、ドキュメンタリー作家である。ティンタイプ、ガラスネガ、セルロイドフィルムを用いた大判写真に特化している。2007年以来、アメリカ各地を旅し、アメリカの風景、生活と文化を記録している。1984年、フロリダ州マイアミで生まれたエルマレは、限られた収入の中で母親と小さなアパートで育った。父親は風景写真を扱う写真家で、エルマレは父親が暗室で写真を現像するのを見て「写真の魔法が私の心に焼き付いた」と回想している。ニューヨークのマンハッタンにある芸術大学スクール・オブ・ビジュアル・アーツに通い、2007年に美術学士号を取得して卒業した。卒業後、権威あるティアニー・フェローシップを受け、気候変動がエバーグレーズ国立公園などの湿地帯に与える影響を、詳細に視覚的に記録するプロジェクトに取り組んだ。

Hannah Johnson
Hannah Johnson, Keezletown, Virginia, 2012

このプロジェクトの集大成として、2016年にザターラ出版から『エバーグレーズ(フロリダ州南部に広がる亜熱帯性の大湿地帯)』というタイトルの本が出版された。大学でコロジオン法を学んだエルマレはティンタイプ写真を制作し始めた。彼女の愛用カメラは大判8x10の木製案箱センチュリー・ユニバーサルで、シュナイダー・クロイツナッハ300mmレンズを使用している。

Alice Gerrard
Alice Gerrard, Durham, North Carolina, 2013

湿式コロジオン法では現像液が乾板上でまだ湿っている間に画像を撮影し、現像する必要がある。2010年、アメリカ文化の歴史的記録として、ヨーロッパの移民が伝承したパラチアの音楽を継承するフォークミュージシャンに焦点を当て、ティンタイプのポートレートで記録する長期継続プロジェクトに取り組み始めた。

Moses Nelligan and Matt Kinman
Moses Nelligan and Matt Kinman, West Virginia, 2013

トヨタ・タコマのピックアップトラックを移動式暗室に改造し、被写体に会いに行くために運転している。コロジオン法には時間的な制約があるため、エルマーレは撮影後30分以内に写真を現像する。画像は1枚ずつ撮影され、現像される。エルマーレの作品は全米で展示され、アーノルド・ニューマン賞、アーロン・シスキンド財団、パッフィン財団などから評価されている。

Janice Birchfield
Janice Birchfield, Roan Mountain, Tennessee, 2013

彼女の作品は、ハーパース・マガジン、スミソニアン・マガジン、CNN テレビ、ニューヨーク・タイムズ、ナショナル・ジオグラフィック、オックスフォード・アメリカン、ガーデン&ガン、ナショナル・パブリック・ラジオなどに掲載されている。下記リンク先はナショナルジオグラフィック誌ベッキー・ハーラン編「思索:リサ・エルマレのアパラチアからの叙情的なティンタイプ」です。

NationalGographic  Lisa Elmaleh's Lyrical Tintypes From Appalachia by Becky Harlan of National Ggeographic

2026年10月3日

デスクトップパソコン導入 + フォトショップについて

SH-I7U01<

ほぼ半年前、デスクトップパソコンが昇天、以降、ノートパソコンで凌いできた。もしこれがクラッシュしたら厄介、すべてのデータを失ってしまうことになる。というわけでデスクトップパソコン mouse SH-I5U01 を新たに購入した。大きさは 約99×326×290 mm(幅×奥行き×高さ)である。発注してから分かったのだが、横置きできないという。ネット検索したところ、マザーボードを下にすれば OK とあった。しかしメーカーに問い合わせたところ、これは正式見解ではないという。まぁ、仕方ない。価格は電話でやりとりしているうちに、様々な特典が加味され思いのほか廉価となった。早速クレジットカード決済の手続をしたのだが、何とエラー。調べ直したところカードの利用限度額が低かったかったのである。ネット通販で高額の買い物をしたことがなかったせいなのだが、限度額を増額を上げて一件落着した。

36 Years of Photoshop

前書きが長くなってしまった。商品が届き、早速セットアップしてみた。まず最初にインターネット Wi-Fi 接続の設定したのだが、その後は本人確認とかごちゃごちゃした作業が続いた。最終的は、ブラウザのブックマークや、ブログサービス Blogger の設定が引き継がれた。一番肝心なのは画像処理ソフト Adobe Photoshop なのだが、古い CS4 のパッケージ版をインストールすることができた。これまでの主流だった Creative Suite(CS)シリーズなどのパッケージ(DVD-ROM)版の生産は終了した。それに伴い、店頭やネットショップでの取り扱いは、シリアルコードが記載された「ダウンロードカード」や「オンラインコード」のみへと全面的に移行している。この変更により、ユーザーは常に最新の機能やアップデートを利用できるようになったほか、光学ドライブのない薄型ノートパソコンなどでも手軽に導入できるようになった。しかし光学ドライブは外付けのものを使えばいいし、写真業を廃業した私には、いずれも縁がないようだ。下記リンク先はコンピュータアカデミー(西ベンガル州ハブラ)の『アドビ・フォットショップの完全な歴史』を学ぶです。

adobe  A Complete history of Adobe Photoshop | Learn Computer Academy, Habra, West Bengal

2026年10月2日

音楽雑話(5)アルタイ山脈に起源を持つモンゴルの伝統的歌唱法ホーメイ

 khoomei
モンゴルの喉歌(ホーメイ)演奏家

ホーメイ(Khöömei)は、モンゴル西部のアルタイ山脈に起源を持つ歌唱法である。歌い手は自然の音を模倣し、同時に2つの異なる声を出す。持続的なドローン音とともに、倍音のメロディーを奏でる。ホーメイは文字通り「咽頭」を意味し、シャーマニズムの儀式において精霊が中心となる鳥から学んだと考えられている。モンゴルには数多くのホーメイの技法があるが、これらは大きく2つのスタイルに分類される。ハルヒラー(低音ホーメイ)とイスゲレーホーメイ(口笛ホーメイ)である。ハルヒラーでは、歌い手は通常の声でドローン音を歌いながら、1オクターブ下の低音またはサブハーモニックを強調する。イスゲレーホーメイでは、ドローン音の基本音より上の倍音を強調し、より高い音の口笛を作り出す。どちらの場合も、ドローン音は非常に張った声帯で発せられ、メロディーは口の大きさや形を変えたり、唇を開閉したり、舌を動かしたりすることで作られる。ホーメイは、モンゴルの遊牧民によって、盛大な国家儀式から家庭での祝祭まで、さまざまな社会的場面で演奏される。ホーメイは、牧畜中や、ゲルの中で赤ちゃんを寝かしつけるためにも歌われる。伝統的に、ホーメイは伝承者から学習者へ、あるいは師匠から弟子へと口頭で伝えられる。

馬頭琴
馬頭琴の各部名称

モンゴルの歌唱芸術であるホーメイは、一人の歌い手が複数の声部による多様なハーモニーを奏でる歌唱スタイルで、喉で生み出される持続的な低音も特徴である。歌い手はソロで歌うこともあれば、グループで歌うこともある。ホーメイは現在、中国北部の内モンゴル、西モンゴル、ロシアのトゥヴァ共和国など、複数の国のモンゴル人コミュニティで実践されている。伝統的に儀式の際に歌われるホーメイは、自然界、モンゴル民族の祖先、そして偉大な英雄たちへの敬意と称賛を表現している。この形式は、競馬、弓術、レスリングの大会、大規模な宴会、生贄の儀式など、特別な行事や集団活動のために用いられる。歌のタイミングや順序はしばしば厳密に規定されている。ホーメイは長年にわたりモンゴル文化を象徴する中心的な要素とみなされ、国民的あるいは民族的アイデンティティの強い象徴であり続けている。モンゴル民族の哲学や美的価値観を垣間見ることができるものとして、中国、モンゴル、ロシア間の相互理解と友好を促進する一種の文化使節としての役割を果たし、独自の音楽表現形式として世界中で注目を集めている。下記リンク先はバツォリグ・ヴァンシグによるスイスのロマンモティエ=アンヴィーの教会でのコンサートです。

YouTube  Batzorig Vaanchig - Live at "Abbatiale de Romainmôtier" Switzerland - The Full Concert

2026年10月1日

宗教考現学(14)インド仏教の多くの伝統を受け継いだチベット仏教

White Tara
女性の姿をしたチベット仏教の白多羅菩薩像(15世紀)

ポタラ宮(チベット自治区ラサ)

仏教は600年代からインドと中国を経由してチベットに伝来した。その後数世紀にわたり、仏教はチベットにおける主要な文化形態となり、宗教だけでなく政治、芸術、その他の社会のあらゆる側面に強い影響力を及ぼした。チベット仏教はやがてモンゴルやネパール、そして中国にも広がり、特に元(1260~1368年)と清(1368~1644年)の時代には皇帝の庇護を受けた。チベット仏教は、後期インド仏教の多くの伝統を受け継いでおり、その中には僧院制度への強い重視(チベットはかつて世界最大の仏教寺院の所在地であった)、洗練された学問哲学、そして精緻な密教の実践などが含まれる。同時に、チベットは強力な民衆信仰の伝統も継承し、すでに隆盛を極めていた仏教の神々の体系に、多種多様な地元の神々を取り込んでいった。チベット仏教に特有の制度として、トゥルク(転生ラマ)という制度がある。チベット仏教徒は、慈悲深い師が何度も生まれ変わり、それぞれの人生において幼少期に見分けられ、前世の地位と威信を授けられると信じている。チベットには多くのトゥルクがおり、中でも最も有名なのがダライ・ラマである。第14世ダライ・ラマは1642年にチベットの統治者となり、彼の治世下で首都ラサにポタラ宮という壮大な宮殿が建設された。チベットは1951年に中国に併合され、現在の第14世ダライ・ラマは1959年にインドへ亡命し、チベット人のディアスポラが始まった。チベットで実践されている仏教の一形態である金剛乗仏教は、慈悲の心を育み、すべての生き物の究極的な解脱という目標を達成するために、多種多様な特別な実践、瞑想、儀式を提供している。金剛乗仏教は、釈迦牟尼仏が選ばれた弟子たちに授けた密教に基づいている。

Amitabha Buddha
チベット仏教の阿弥陀仏の掛け軸

それ以来、チベット仏教は世界中の人々からますます注目を集めるよ うになった。 瞑想、マントラ、儀式といったヨーガの技法を用いて、心理的および生理的な変容をもたらす。これらの技法を理解し実践し、金剛杵やガンタ(鐘)などの神聖な道具、聖像(博物館のコレクションにあるようなもの)、手や体のジェスチャー(ムドラ)、神聖な力を持つ言葉(マントラ)を使用するには、灌頂と灌頂が必要である。なおチベット仏教は4つの宗派から成り立っている。いずれも釈迦牟尼仏に遡り、悟りを開いた師と弟子たちの途切れることのない系譜が現代まで続いている。これらの宗派は、教義や実践における大きな違いよりも、むしろその系譜によって区別される。4つの宗派とは、ゲルク派、サキャ派、ニンマ派、カギュ派である。下記リンク先はインターネット百科事典ブリタニカの「チベット仏教」です。

britannica  Tibetan Buddhism | History, Beliefs, Practices and Lineages | The Encyclopedia Britannica

2026年9月30日

音楽雑話(5)ポルトガルの魂を表現する音楽ファドの深遠

Fado in Porto
Fado in Porto - Caves Calem

息を呑むような美しい景観と豊かな文化遺産で知られるポルトガルは、その文化のタペストリーに、もう一つ独自の宝物、ファドを添えている。ファドは単なる音楽ジャンルにとどまらず、ポルトガルの魂を表現し、この国の本質を凝縮したものである。その旋律は、郷愁、ほろ苦い悲しみ、そして普遍的でありながらもポルトガル特有の憂鬱といった、複雑な感情を体現する、ポルトガル特有の「サウダージ」という感情を響かせる。ファドは、19世紀初頭にまで遡る神秘的な起源を持つ音楽である。その名前は、運命や宿命を意味するラテン語の "fatum" に由来する。この情感豊かな音楽ジャンルは、リスボンの労働者階級地区、特にアルファマ地区とモウラリア地区の狭い路地で生まれました。これらの地域では、ファドは労働者階級や船員にとって、悲しみ、希望、夢を歌を通して伝える、心に響く表現手段となっていた。人間の最も深い感情を捉える力を持つファドは、長年にわたり、地域的な表現からポルトガル国民文化の重要な要素へと発展してきた。2011年にユネスコの無形文化遺産リストに登録されたことで、ファドの重要性は世界的に認められ、世界文化の重要な構成要素としてその価値が改めて認識された。

Fadista
Fadista - Credit Home town Lisbon

ファドの歌手であるファディスタたちは、歌声と身振り手振りで悲しみと喜びを表現し、強烈で感情豊かな雰囲気を作り出す。彼らは世代を超えて人々を魅了する並外れた能力を持ち、ファドを新たな高みへと押し上げ、その不朽の魅力を確固たるものにしています。ファディスタたちはそのパフォーマンスを通して観客と深いレベルで繋がり、ファドを単なる音楽ジャンルではなく、共有された表現と文化的アイデンティティの力強い手段へと昇華させている。アマリア・ロドリゲスは特別な存在である。音楽への深い繋がりと卓越した才能が相まって、アマリア・ロドリゲスはファドの世界における伝説的人物としての地位を確立し、このジャンルに消えることのない足跡を残し、最も影響力があり、称賛されるアーティストの一人としての地位を確固たるものにした。カルロス・ド・カルモは、ファドの世界においてまさに尊敬を集める人物の一人である。彼の貢献は、数十年にわたりファドというジャンルを普及させ、維持していく上で極めて重要な役割を果たしてきた。

Amália Rodrigues
Amália Rodrigues - Credit Radio Geice

ファドの偉大な歌手であり解釈者であるカルロス・ド・カルモは、その芸術形式への献身を通して、ファドの発展と現代における意義に永続的な影響を与えてきた。ファドの本質を守り抜こうとする彼の姿勢と、類まれな才能が相まって、彼はこの深く愛されるポルトガル音楽の伝統を体現する偉大な人物の一人としての地位を確固たるものにしている。高く評価されているアーティスト、アナ・モウラは、ファドのルーツとの強い繋がりを保ちつつ、ファドの現代化において際立った存在として際立っています。彼女の現代的なスタイルと大胆なアプローチは、このジャンルに新たな視点をもたらした。アナ・モウラはファドの次世代を担う存在であり、その進化に貢献し、新たな聴衆にファドを紹介している。伝統的なファドに現代的な要素を融合させる才能は、このジャンルの適応性と不朽の魅力を示しており、未来の世代にもその意義を確固たるものにしている。アナ・モウラの革新的な精神は、現代音楽シーンにおけるファドの絶え間ない活力と進化を象徴している。

>Clube de Fado
Clube de Fado, Alfama, Lisbon

実際、若い世代のファド歌手たちは実験的な試みを積極的に取り入れ、多様な音楽的影響をファドに融合させている。ジャズ、クラシック音楽、さらにはロックの要素までもが、伝統的なファドのレパートリーに取り入れられつつあるのだ。こうした繊細な融合は、ファドの魅力をより幅広い聴衆に広げるだけでなく、このジャンルに現代的な息吹を吹き込んでいる。これらの革新はファドに現代的な要素をもたらす一方で、この独特な音楽伝統を特徴づける本質と哀愁を帯びた魂を保つよう、慎重にバランスが取られている。若いファド歌手たちがファドに多様な影響を取り入れる能力は、このジャンルの適応力を示しており、進化し続ける音楽嗜好との関連性と共鳴を確かなものにしている。ファドは単なる音楽ジャンルにとどまらず、ポルトガル文化にとって不可欠な一部であり、人々の魂を深く表現するものです。ポルトガルの郷愁、憂鬱、そして真正さを体現している。下記リンク先はアーティストのワークスペースを訪問する体験を提供するサブカルトストーリーの「ポルトガルのファド音楽と伝統音楽の心に響くサウンドを発見しよう」です。

Fado  Discover the Soulful Sounds of Portuguese Fado Music and Traditional Portuguese Music

2026年9月29日

ぶら京都(5)Stroll on Kyōto City #5

Maiko and Geieko
Maiko and Geiko, Imadegawa-dōri Shichihonmatu Nishi-iru, Kamigyō-ku, Kyōto
舞妓と芸妓(京都市上京区今出川通七本松西入ル上七軒)
Jizo Bodhisattva
Jizo Bodhisattva, Yata-dera Temple,Teramachi-dōri Sanjō Agaru, Nakagyō-ku, Kyōto
代受苦地蔵(京都市中京区寺町通三条ルる矢田寺)
Calligraphies
Dedicated Calligraphies, Shimogamo-jinja Shrine, Sakyō-ku, Kyōto
奉納書道(京都市左京区下鴨泉川町の下賀茂神社)
Ichimatsu Dolls
Ichimatsu Dolls, Muromachi-dori Kitaōji-sagaru, Kita-ku, Kyōto
市松人形(京都市北区室町通北大路下ルの昔人形青山)
Twin Dragons,
Twin Dragons, Kennin-ji Temple, Higashiyama-ku, Kyōto
双龍図(京都市東山区大和大路通四条下ル建仁寺)
Lingeries Shop
Lingeries Shop, Shijo-dōri Teramachi Higashi-iru, Shimogyō-ku, Kyōto
女性下着店(京都市下京区四条通寺町東居入ル)
Old Book Store
Old Book Store, Kawaramachi-dōri Sanjō-agaru, Nakagyō-ku, Kyōto
古書店(京都市中京区河原町通三条上るキクオ書店)
Hagoita
Hagoita, Tnakaya Dolls Store, Shijō-dori, Yanaginobanba Higashi-iru, Shimogyō-ku, Kyōto
羽子板(京都市下京区四条通柳馬場東入る田中彌人形店)
Antique Dolls
Antique Dolls, Kitano-tenmangū Shrine, Kamigyō-ku, Kyōto
骨董人形(京都市上京区馬喰町の北野天満宮)
Poinsettia
Poinsettia, Kyōto Botanical Garden, Sakyō-ku, Kyōto
ポインセチア(京都市左京区下鴨半木町の京都府立植物園)

文字通り「ぶら京都」とはぶらぶら京都を散策して写真を撮るという意味ですが、徒然に目に止まった情景を撮影主体にしています。過去のストック写真を含め、旅行者ではなく、この地に住んでるがゆえの視線で捉えた、京都らしい写真をお届けします。