2019年4月19日

生かそう憲法 守ろう9条 5・3 憲法集会 in 京都

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日 時:2019年5月3日(金・祝)13:30~(雨天決行)
会 場:円山野外音楽堂京都市東山区円山町)075-255-9939
講 演:小森陽一(九条の会事務局長)手話通訳があります
演 奏:京都うたごえ協議会~平和のバトン~
デ モ:円山公園(15時すぎ出発)⇒四条通⇒河原町通⇒京都市役所前
主 催:憲法9条京都の会安倍9条NO!全市民アクション・京都
照 会:Phone:050-7500-8550 Fax:075-603-8135 Email:kenpo@9-kyoto.net

2019年4月17日

開高健:大物釣りは写真のために始めたんだ

文春文庫(1978年)
釣りはしないけど、私は釣り文学が好きだ。世の中には結構そういう人がいるのではないかと想像している。そして釣り人以外の間でも、ポピュラーな釣りの本が世の中に存在する。その典型がアイザック・ウォルトンの『釣魚大全』である。原題が「完全なる釣り師」とあるので一見釣りの指南書に見える。しかし「瞑想する人のレクレーション」という副題が続く。不可思議な本で、釣りの話以外に多くの詩や博物的な知識が盛り込まれている。ゆえに釣り人であるなしに関わらず、17世紀に出版されて以来、360余年に渡って綿々と読み継がれてきたのだろう。タイトルをもじった開高健『私の釣魚大全 』は傑作中の傑作だと思う。井伏鱒二『川釣り』『釣師・釣場』も渋い釣り紀行集で秀逸だが、とりあえず開高さんの本をお持ちでないかたには手にとることをお勧めしたい。とにかく「タナゴはルーペで釣るものであること」「タイはエビでなくとも釣れること」など、タイトルだけでも引きずり込まれてしまう珠玉の作品が並んでいる。開高さんの軌跡を辿ると、アーネスト・ヘミングウェイの残像が浮かび上がってくる。ジャーナリストとしてスペイン内戦に従軍、この体験を元にして『誰がために鐘は鳴る』を著した。また『武器よさらば』は第一次大戦のイタリア戦線従軍の経験が元になっている。ノーベル賞を受賞した作品『老人と海』は晩年を過ごしたキューバの漁師に取材したものだが、明らかに海釣りの体験が投影されている。ここで自伝的な影が落ちている『ニック・アダムズ物語』に触れたことがあるが、私は若き日の鱒釣りを綴ったこのシリーズが好きである。

新潮文庫(1974年)
さて開高さんだが、釣りは運動不足を補うために始めたという。勧められるまま月刊誌『旅』に釣り紀行を連載したが、文藝春秋の目にとまり、この本となったという。開高さんは朝日新聞の特派員としてベトナム戦争に従軍した。そのときの「戦友」であった「秋元キャパ」こと秋元啓一さんと釣り旅行をし、それが『フィッシュ・オン』という一冊に結実する。つまり、この辺りがヘミングウェイとオーバーラップするのである。その開高さんが亡くなる前、一緒にお酒を飲む機会があった。誘ってくれたのは、南北両アメリカ縦断釣り紀行南米編に同行した、週刊朝日の森啓次郎記者だった。いつ頃だったろう、松茸を食べたのを覚えているから、秋であったことには間違いない。最後に繰り込んだのは、大阪・道頓堀のおでん屋『たこ梅』だった。ここには鯨の舌を煮しめた「サエズリ」という絶品がある。開高さんは他のものには目もくれず、錫製のおちょこを片手にこの絶品を注文し続けていた。「なぜ大物狙いの釣りばかりなんですか。ウォルトンに倣ってフライ・フィッシングの本場、英国へ鱒釣りに行きませんか」と私。すると「いいねぇ、鱒釣り。ただね、大物釣りは写真のために始めたんだ」という返事。その時は訊かなかったけど、私はてっきりヘミングウェイの影響かと密かに思っていたので、これは意外な答えだった。そういえば作家であるが、サントリーの宣伝部に在籍していたこともあり、人の目を引く編集に長けたかたである。そのノウハウは集英社の『オーパ!』シリーズに引き継がれたが、私との英国行きの約束は今は夢と化してしまった。

2019年4月15日

鈴木敏夫とジブリ展

~宮さんは絵を描き、僕は字を書く。~

日 時:2019年4月20日(土)~5月12日(日)10:00~18:00
会 場:神田明神文化交流館[EDOCCO]神田明神ホール(千代田区外神田2-16-2) 03-3254-0753
主 催:株式会社乃村工藝社/株式会社ローソンエンタテインメント
協 力:スタジオジブリ|STUDIO GHIBLI(小金井市梶野町)Email:ghibli-suzuki@nomura-g.jp

2019年4月13日

銀塩モノクローム写真の魅力

Harman Titan 4x5 Pinhole with Ilford Delta 100 Professional Film
桂川(京都市右京区嵯峨天龍寺造路町)ピンホール写真

ライカMモノクローム(Typ246)
写真術がカラーで始まっていたなら、モノクローム写真は生れていただろうかと考えることがある。この場合のモノクロームとは黒白と同義と解釈していただければ結構である。写真と同根の映画は無論だが、テレビも最初はモノトーンだった。ミュージシャンのプロモーションビデオで、一時モノトーンが流行った記憶があるが、一般にはビデオの世界はカラーがメインだと思う。映画の場合でも『コーヒー&シガレッツ』のような例はあるが、やはりマイナーな感じは拭えず、一般に知られてる作品はカラーが主体だと想像する。映画やビデオと比べると、写真の世界ではモノトーンが依然盛んではないだろうか。「ライカMモノクローム」(Typ246)といった例外もあるが、デジタルカメラによるモノトーン作品はカラー情報を破棄したものだと思う。無彩色に変換したものなら、これは銀塩写真におけるそれとは根本的に違うと言える。フィルムの感光乳剤は今日ではハロゲン化銀が使われている。ハロゲン化銀というのは、臭素や塩素などのハロゲン族元素と銀を化学的に結合させたものだ。これはモノクロームもカラーも同じである。モノクロームの場合、光が当った部分が現像によって目に見える銀粒子となる。一方カラーの場合は、現像主薬がカプラーと反応して三層に不溶性の色像を生成させる。そして銀は漂白されて消えてしまうのである。つまりモノクローム写真は銀粒子による像、カラーは色素による像で、両者は根本的に違う。写真は最終的に印画紙にプリントされるが、大雑把にいえばフィルムと同じ原理である。

カラー写真の彩度をゼロにしてモノトーン化してみた
京都御所(京都市上京区京都御苑)
時代祭平安婦人列の巴御前に扮した祇園甲部の芸妓里美

だから従って、モノクローム写真の美しさは、銀粒子の美しさなのである。仮にモノクローム写真を銀粒子による画像と定義すれば、染料や顔料によるプリントはモノクローム写真になり得ない。突き詰めれば、モノクローム印画をスキャナで取り込んだデジタル画像もモノクローム写真ではないということになる。つまりパソコンのディスプレーで「鑑賞」するのはモノトーンの画像ではあるが、写真ではない。デジタルカメラで撮った画像からネガを作り、モノクローム印画紙に焼いたものはどうだろう。これはちょっと微妙でなんとも言い難い。ただそんなことをするくらいなら、私だったら最初からフィルムで撮るに違いない。ではフィルムで撮り、デジタルプリンタで銀塩ペーパーに伸ばしたものは、どのように解釈したらいいのだろうか。これも判断に窮するが、大型プリント制作の例外的現実として私は視野に入れてはいる。とはいえ、いずれにしても、モノクローム写真の王道は、モノクロームのフィルムで撮り、モノクローム印画紙、特にバライタ紙に焼くことだと私は信じている。しかし現実的には、暗室作業を伴うモノクローム作品の制作は、次第に視界から消えつつある。石内都さんは「いかなる色彩もモノクロームにあっては、黒と白に近づく為だけの仮の色」と『モノクロームーム』(筑摩書房1993年)の中に書き残している。なおモノクロームを短縮した「モノクロ」は和製英語である。英語圏では black & white あるいは B&W すなわち「黒白」と呼ばれている。