2026年5月3日

日本国憲法改竄の足音と軍靴の響きが聴こえてきた

朝日新聞2025年5月3日
朝日新聞2026年5月3日付朝刊(大阪本社発行)

朝日新聞が実施した憲法を中心にした全国世論調査によると、高市政権のもとで憲法改正を実現することの賛否を聞くと「賛成」47%「反対」43%と割れた。国会での改憲の議論を急ぐ必要があるか尋ねると「急ぐ必要はない」が62%で「急ぐ必要がある」の33%を上回ったという。2月8日に投開票された衆院選は、自民党が圧勝。中道改革連合が壊滅的な惨敗したが、その前に時計の針を少し戻してみよう。朝日新聞2025年11月27日付の記事によれば、自民党と日本維新の会は、連立政権合意で設置を決めた憲法9条改定に関する「条文起草協議会」を開き、維新が考えを示した。維新案は戦力不保持を定めた9条2項の削除や「国防軍」保持の明記などを掲げる。高市早苗が首相就任前に「ベスト」と発言していた、自民の野党時代の9条改正案とも重なる。ただ9条改定に対する世論の賛否は割れており、自民内には維新案に慎重な意見もあるという。看過できないのはあくまで首相は改竄に突っ走る構えを見せていることだ。先の衆議院選挙で自民党が単独で316議席を確保し、3分の2以上を占めることになった ことがわかった。一つの政党が衆院で3分の2以上の議席を獲得するのは戦後初。法案が衆院で可決後、参院で否決されても、自民単独で衆院での再可決が可能になる。また憲法改定の発議も維新の助力なしでできるようになった。憲法改定の手順については第96条は

この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

と規定している。憲法は簡単に改竄できないようになっているのだが自民党は2013年4月に「日本国憲法改正草案」を発表し、憲法改竄の手始めに96条改定に取り組む方針を明言した。現行憲法が「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」を憲法改定発議の要件と定めているのを「衆参各院の総議員の過半数」で発議できるように緩和しようとするものであった。かつて安倍晋三元首相は、国会答弁で「まずは多くの党派が主張している憲法96条の改正に取り組む」と明言した。これは改定要件を緩和して憲法の改悪のハードルを下げ、その後に憲法9条や人権規定、統治機構等を随時改竄しようとの意図に基づくものと思われる。これは立憲主義の下での憲法改定のあり方として極めて不当であり、到底許されない。

憲法改竄
©2026 朝日新聞

ただ憲法改竄を強行するには、最後の砦である国民投票のハードルを最終的に超える必要がある。国民投票が行われる場合、メディアを利用した広告宣伝活動が重要な意味を持つことになるが、これに対しては悲観的にならざるを得ない。壊憲勢力は金力とメディア支配力を活用して、国民を洗脳することを目論んでいるからだ。かつての立憲民主、共産両党は国会での憲法論議自体に後ろ向きだったが、新党「中道改革連盟」が問題解決の確約も取らずに憲法審議を進めることに同意してしまった。高市早苗は選挙の大勝を利用して、安倍晋三元首相の「悲願」を継承するのではないだろうか。日本国憲法改竄の足音、軍靴の響きが聴こえてきた。下記リンク先は自由民主党の「日本国憲法改正草案(全文)」です。

憲法  日本国憲法改正草案(全文) | 自民党 2024年 | PDF ファイル(767,9KB)の表示とダウンロード

2026年5月2日

オスマン帝国の精緻な細密画(ミニアチュール)に目を奪われる

Sultan Süleyman I
The ceremony for the ascension of Sultan Süleyman I to the throne in Topkap Palace

細密画(ミニアチュール)は絵画芸術の一形態である。描画のアイデアとアプローチには技法がある。細密画は絵画芸術の発展に貢献し、影響を与えてきた。これらは異なる地理的地域の歴史の存在を示し、さまざまな文化的環境を表現している。描かれた社会や出来事の政治的、社会的、経済的、文化的生活、そして美的芸術と美学は、現代に反映されてい。この芸術形式は、過去から現代に伝わる歴史の証明書のようなものだと言える。それは人類の歴史の源泉である。細密画の起源はアジアにある。トルコの絵画芸術はその一例で、歴史はトルコ社会によってもたらされ、時を経てトルコのイスラム社会はイランやメソポタミアなどの地域に影響を与えた。それらはアラブやインドの環境全体に広がり、独自の特色と特徴を持っている。オスマン帝国の最初の300年間で最高レベルに達した。オスマン帝国のスルタンの時代の政治、社会、文化、軍事生活、勝利、出来事は、3つの情報源によって記録された。

Şehzade Selim
Şehzade Selim throwing an arrow to a target. Painted by Nigari

アシクパシャザデ、ペルチェヴィ、カティプ・チェレビなどの年代記作家、エヴリヤ・チェレビ、アリリ、エフラトゥン、ロクマン、アリ、タルクザデなどの旅行家である。細密画は、これらの文書で説明されている事柄や実際に起こった出来事を描写している。この手法により、歴史家の説明と細密画の装飾の両方によって、あらゆる状況、主題、出来事についての見解が示されました。これは文書に信憑性を与え、歴史的価値を高めます。細密画の最も確かな特徴は、出来事の証拠であり、スルタンの生活における力と偉大さを示す展示であり、社会の生活様式を提示することだった。すべての細密画は、描かれた出来事に価値と歴史的証拠を与えるのである。芸術の保護、維持、支援は、トルコのイデオロギーと倫理観の結果だった。オスマン帝国は芸術を公共の基盤、公共サービスとして受け入れた。芸術は宮殿と連携して組織された。そこは「ナッカシュ」の家々、そして外国の「ナッカシュ」作品の制作場所だった。

Ayasofya Mosque (Şehname-i Selim Han, 1581)

一流のグループが管理する「ナッカシュ」の家で働き、チームワークによって最高級の細密画が制作された。トルコの細密画は、その外観、色彩、技法、描画、モチーフにおいて、他のイスラム諸国の細密画とは一線を画していた。描写方法は明快で写実的であった。自然物や人工物(建築物など)、社会的な出来事や人間関係を非常に詳細に描写することができたのである。当初は、歴史、地理、その他の主題も描かれる地図上に芸術が制作されていた。オスマン帝国の建国当初から、細密画は発展と並行して進み、さまざまな段階と局面を経てきた。スルタンの管理者たちの関心と支援により、細密画は広く普及した。あらゆるレベルにおいて、その独自性は守られてきた。シナン・ベイ、マトラクチ、ナスフ、ニガリ、ナッカシュ、ハサン、タリクザーデ・スブヒ・チェレビ、ナディリ、レヴニ、アブドゥッラー・ブハリの作品は、現代まで伝わるトルコ細密画の傑作である。下記リンク先はトプカプ宮殿博物館が所蔵する細密画のアーカイブです。

OttomanEempire Miniatures from the Topkapi Palace Museum, east of the Fatih district of Istanbul, Turkey

2026年5月1日

ソーシャルメディアの弊害(31)AI画像は現代の騙し絵

AI
拡散を防ぐため AI の文字を入れました

画像は The Gentle Rebellion(穏やかな反逆)を自称する Facebookの「ジョーン・バエズのファンページ」に掲載されている。長文の解説には「ジョーン・バエズ、ジュディ・コリンズ、ボブ・ディランが数十年の時を経て、一生に一度のプロジェクトで再集結 ― 過去を蘇らせるだけでなく、ピート・シーガーの遺産に触発され、未完のものをついに完成させる 再結成ツアーではない。懐古主義的な金儲けでもない。空虚な言葉で埋め尽くされた記者会見でもない。ただ、一世代の良心を形作った3人の伝説的な声が、静かに再び集結する。(以下略)」とある。ディランがバンジョーを持ってるなんて貴重な写真だな、なんて感心しながら、そのまま無意識にそのままシェアしたところ、シンガー&ソングライターの古川豪君に「AI画像」と指摘されてしまった。いささか慌てた私は再び当該のページにアクセスしてみた。すると様々なコメントがついている。「でたらめだ。このページは完全に偽物だ、消え失せろ」「インターネット上で最も優れたAIの愚かさのパロディ」「まったく、またお前の幽霊が来たぞ」と懐疑的な意見。「手が3本あるバエズ?」という発見。決っして Facebook 全体で一番面白くて奇抜なページです。AI狂騒時代におけるロマンティック・バーレスクの絶対的な最先端を再定義しています。もっと見たいです」と楽しんでる人も。

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この画像には「ボブ・ディランが50年以上の時を経て復帰し、シンプルな指輪でジョーン・バエズにプロポーズ――生涯にわたり叶わなかった愛が、ついにその一瞬の息をのむような瞬間に勇気を得た」という説明がついている。嘘と知りながらホロリとしてしまう。ところで銀塩アナログ時代のは印画紙の切り抜き部分が残ったりして、合成がバレ易かった。デジタル時代になって Photoshop などの画像処理ソフトに助けられて自然な感じの合成写真が作れるようになった。

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例えば夕日と飛行機を別々に撮り、飛行機を太陽の中にいれるとかが流行ったが、写真コンテストでその是非を問う論争があったことを思い出す。AI画像はその延長と考える人がいるかもしれないが、違う。ビッグデータを元に、新たに生成するのである。ChatGPT を使って「夕焼けの空に飛ぶ飛行機」の AI画像を生成してみたところ、写真コンテストで入選しそうな画像が得られた。さらに「中東戦争」というキーワードを加えたら、空を覆う戦闘機の向こうにモスクという絵柄になった。これを見た人たちが果たして AI画像と見破るか興味深い。かつて写真を生業にした私ですら 、恥ずかしながらジョーン・バエズとボブ・ディランのフェイク写真にコロリと騙されてしまった次第であるからだ。注意すべきは ChatGPTは誰でも簡単に使えるツールだということだ。

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拡散を防ぐため AI の文字を入れました

繰り返しになるが AI画像はフェイク画像であり、現代の騙し絵である。チャット形式で利用できる ChatGPT や Google Gemini などはテキストレヴェルでは常用しているが、画像を扱うのは初めての経験である。シナリオを複雑化すれば、さらに巧妙な画像を作ることができるだろう。もし政治家などの権力者が悪用すれば凶器になるに違いない。余談ながらドナルド・トランプ大統領が自らをキリスト像に仕立てた AI画像を公表、世界の笑いもになり削除した件が記憶に新しい。

AI 生成 AI のおすすめ10選!画像や文章を生成する AI ツールの活用法も解説 | © SCSK Corporation

2026年4月29日

オスマン帝国時代の記念碑イスタンブルの壮麗なモスク

Sultan Ahmet Camii
スルタン・アフメト・ジャミイ(ブルーモスク)イスタンブル
スルタン・アフメト1世

大軍を率いたオスマン帝国のメフメト2世によって1453年5月29日、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)が陥落した。そして総主教座のあった聖ソフィア大聖堂はイスラム教のモスクに改修された。1533年に締結されたコンスタンティノープル条約は、スレイマン大帝治世下のオスマン帝国の台頭を如実に示す証である。ハプスブルク家のフェルディナント1世大公とのこの条約は、ハンガリーとバルカン半島におけるオスマン帝国の覇権を正式に認め、ヨーロッパの勢力均衡に大きな変化をもたらした。この条約は単なる外交協定ではなく、オスマン帝国の海軍力の増大が地中海全域、そしてそれ以遠にまで影響力を拡大することを可能にした直接的な結果であった。オスマン帝国海軍の優位性は偶然の産物ではなかった。それは、海軍インフラへの戦略的な投資、ハイレッディン・バルバロッサのような有能な提督の育成、そして最先端の海軍技術の導入の結果であった。イスタンブル、ガリポリ、アレクサンドリアの主要海軍基地は造船と艦隊展開の中心地として機能し、1538年のプレヴェザの戦いのような勝利は、オスマン帝国による東地中海支配を確固たるものにした。この海軍力によって、オスマン帝国はコンスタンティノープル条約で有利な条件を獲得し、ハプスブルク家にオスマン帝国の主権を認めさせ、貢納を支払わせることができたのである。この建築上の大胆さは、帝国の政治的・軍事的功績と相まって、オスマン帝国における権力、宗教、文化の複雑な相互作用を浮き彫りにした。この時代の遺産は1616年に完成したスルタン・アフメト・ジャミイ(ブルーモスク)の建設に鮮やかに刻まれている。

OttomanEmpire
ボスポラス海峡沿いのスルタン・アフメト・ジャミイが見える

このモスクはスルタン・アフメト1世がわずか19歳の時に建設を命じた。アフメト1世は、先代のスルタンたちとは異なり、大きな軍事的勝利を収めることはなかったため、建築を通して永続的な遺産を残そうとしたのである。このモスクの建築家、セデフカール・メフメト・アガは、オスマン帝国最大の建築家ミマール・シナンの弟子だった。彼はシナンの革新的な構造技術と装飾の繊細さを巧みに融合させ、調和のとれた、視覚的にも見事な傑作を創り上げた。オスマン帝国の権力、敬虔さ、そして正統性を象徴する力強い建造物となることを意図していた。その壮大な規模、精緻なデザイン、そして聖ソフィア聖堂に近い戦略的な立地は、帝国のイスラム教への献身と、イスラム世界における主要勢力としての地位を示すものだった。イスラム様式とビザンチン様式が融合したこのモスクの建築は、オスマン帝国が東西を結ぶ架け橋として果たした役割を反映している。当初は物議を醸したブルーモスクの6本のミナレットは、メッカのカアバ神殿に匹敵するオスマン帝国の野望を大胆に表現したものだった。したがって、コンスタンティノープル条約とブスルタン・アフメト・ジャミイは、オスマン帝国の海軍力によるヨーロッパの政治情勢を形作り、イスタンブルの文化景観に消えることのない痕跡を残した、歴史における重要な瞬間を象徴する不朽の存在となっている。

講談社学術文庫(カバー図版はアフメト2世)

イスタンブルはかつては、かつて東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルだった。そのコンスタンティノープルはオスマン帝国軍に度々包囲され、東ローマ帝国の命運も風前の灯火となった。しかし文化だけは最後まで栄え、古代ギリシア文化の研究がさらに進み、ビザンティン文化の中心としての地位を維持した。林佳代子著『オスマン帝国500年の平和』(講談社学術文庫)によると、イスタンブルに立つと壮大なモスク、繊細なトプカプ宮殿、昔ながらのバザールの賑わいなど、オスマン帝国の都だった栄光に満ちている。しかしイスタンブルを離れてアナトリアを旅すると、オスマン帝国の影は急速に薄まってゆくという。オスマン帝国の「過去が、誤ってトルコ人の国、オスマン・トルコの歴史とされたことは、大きな問題を起こしたというのだ。 現在のトルコの首都はアンカラだが、イスタンブルと比べると観光資産に乏しい。ニューヨークとワシントンD.C.のようなという比喩は乱暴だろう。イスタンブルの興亡がオスマン帝国の歴史ではないことに注意すべきだろう。下記リンク先はスルタン・アフメト・ジャミイ(ブルーモスク)の歴史を解説した「オスマン帝国におけるブルーモスクの歴史を紐解く|建設から完成まで」です。

mosque  Unveiling Blue Mosque's history in the Ottoman Empire, From construction to completion