2026年8月27日

米国による ICC(国際刑事裁判所)赤根所長制裁問題を各メディアはどのように報道したか

Tomoko Akane

オランダのハーグを本拠にする ICC(国際刑事裁判所)赤根智子所長に対するトランプ米大統領による制裁問題を各メディアはどのように取り上げただろうか。この制裁措置をめぐり、ソーシャルメディア(特にXなど)では国内外で活発な議論や批判が展開された。主な論点とソーシャルメディア上の反応は以下の通りである。ソーシャルメディア上で最も大きな反響を呼んだのが、日本人である赤根諸島が米国の制裁対象となったことに対する日本政府の姿勢だった。髙市首相が初動として外務省の事務次官や国際法局長、北米局長らと首相官邸で相次いで面会。記者団に対応を問われると「大変残念に思っている。これからも米国を含む関係国と意思疎通を継続しながら対応する」と短く語った。「大変残念に思っております」と表現したこに対し、ソーシャルメディア上では「米国に対して一切モノが言えない」「弱腰な『お気持ち表明』に終始している」「国民として残念だ」といった批判や不満の投稿が相次いだ。 また鳩山由紀夫をはじめとする政治家や識者もソーシャルメディアを通じて米国の措置への憤りや、日本政府の対応の曖昧さを疑問視する声を上げ、議論に拍車をかけた。強固な日米同盟を最優先すべきだとする現実路線」と「国際法秩序や人権の観点から米国を明確に批判すべきだとする原則論」の間で意見が分かれましただだ二次情報や憶測に惑わされないために公式機関および国際機関の一次情報を根拠にしたか疑問も残る。いわゆるインフルエンサーによる誤情報もなかったと言えるだろう。それではテレビはいかに報道したか。テレビ各局(ニュース番組や報道番組)は以下のようなポイントを中心に大きく取り上げていた。トランプ政権による制裁発表と理由米政権が、ICCが「権限を乱用している」、あるいは米国の主権に対する脅威であるとして、赤根所長を資産凍結などの制裁対象に追加したニュースを速報および詳細な解説付きで報道した。

朝日新聞
大阪本社発行8月27日付朝日新聞朝刊第一面

日本人として初めて ICC の所長を務める赤根所長が制裁対象となったことに対し、日本政府が外務報道官談話で「大変残念だ」と表明したことを伝えたほか、米国務省が「日本政府に向けたものではない(ICCの権限行使に対するもの)」と釈明した経緯などもあわせて報じた。 赤根所長の反発と記者会見制裁発表後、彼女が国内外のメディアや読売新聞などのインタビューに応じ「心構えはあった、驚きはない」と冷静に受け止めつつも「組織潰しに本腰を入れている」と危機感を示したこと、さらに直近(8月26日)に行われたオンライン記者会見で「ICC は決して負けない。正義は常に優越しなければならない」と語り、米国の圧力に屈しない姿勢を鮮明にしたことを大きく取り上げた。BS-TBS の「報道道1930」のオンラインインタビューを視聴したが、テレビ特有の臨場感があった。では新聞はどうだったか。朝日新聞をはじめとする各紙は、米国による赤根所長への制裁に対して日本政府が「大変残念」と述べるにとどまっていることについて、欧米諸国等に比べて「反応が段違いに弱い」と厳しく報じている。超党派の議員連盟などが「『残念』は感想であって意思ではない。日本が送り出した所長を守り抜く意思を示すべきだ」と政府を批判する動きなどを大きく取り上げている。赤根所長のインタビューと「組織潰し」の本質報道読売新聞などの各紙は、制裁発表後に赤根所長が行ったメディア(読売新聞の電話インタビューなど)への発言を詳報している。赤根所長が今回の制裁を「自分個人が不自由を被ることは問題ないが、本気で ICC という国際司法機関をつぶそうという本腰を入れた動きだ」と指摘した点や、加盟国に対して「法の支配」の理念を堅持するよう訴えたメッセージを伝えている。上掲の画像は8月27日付朝日新聞第一面だが「3面=信念示す、9面=教え子発信」とあり、他メディアの追従を許さない。紙媒体は確かに厳しい状況だが、新聞は報道の王道を歩む存在だと私は思う今日この頃である。下記リンク先は ICC(国際刑事裁判所)の声明「米国による新たな制裁措置指定を強く拒否する」です。

裁判所  The ICC (International Criminal Court) strongly rejects new U.S. sanctions designations

2026年8月26日

ドリー・パートン:端切れを集めて作ったコートは色がバラバラだったけど

Dolly Parton
Rest in Peace Dolly Parton (1946-2026)

カントリー歌手、ソングライター、慈善家、女優、劇作家、作家、そして世界的なアイコンであり人道主義者でもあったドリー・パートンが、8月25日、テネシー州ナッシュビルで安らかに息を引き取った。享年80歳。ドリーは、59年間連れ添った最愛の夫カール・トーマス・ディーン(1942-2025)母エイヴィー・リー・キャロライン・オーウェンズ(1923-2003)父ロバート・リー・パートン・シニア(1921-2000)に先立たれて亡くなった。世界中に輝きを放った、まるでラインストーンのような人生を送ったドリーは、時代を超越した音楽と多作な作詞作曲だけでなく、機知に富み、温かく、そして優しさにあふれた人柄で、人々を家族のように温かく迎え入れ、永遠にインスピレーションを与え続けるだろう。ドリー・パートンの遺産は、愛、優しさ、そして不屈の精神に満ちている。70年にも及ぶキャリアの中で、彼女は音楽と、世界をより良い場所にしようという揺るぎない信念によって、何世代にもわたるアーティストやファンにインスピレーションを与えてきた。彼女の歌は、あらゆる年代の人々の心に響き続け、彼女の慈善活動は、永続的な影響を与えることだろう。私はずいぶん前からのファンで、彼女の話題を当ブログに4回も書いている。以下に10年前の2016年7月27日にポストした「端切れを集めて作ったコートは色がバラバラだったけど」を「復刻」してみた。

Coat of Many Colors

インターネット通販アマゾンに注文していたカントリー音楽のシンガー&ソングライター、ドリー・パートンのアナログ LP レコード "Coat Of Many Colours" が届いた。オリジナルは1971年にリリースされた8作目のスタジオアルバムで、2007年に CD 復刻盤が出た。そして今年の2月にこのLPが復刻され、気になっていたものである。在庫は日本になく、本国米国からの取り寄せることになるので3~5週間かかるという通知があったが、わずか10日余りで届いた。昔はカタログを取り寄せ、銀行で米ドルの送金小切手を作って貰ってレコード会社に送って取り寄せたのだが、船便なので一か月以上とかかかったものである。手間がかかったし、郵送途中に破損するというリスクもあった。外資系のネット通販には若干の抵抗があるが、洋書や輸入盤入手にはやはり便利である。さてこのアルバムのタイトルだが「色がいっぱいのコート」という意味である。

アリービア・アリン・リンド主演の NBC 放送局制作のTVドラマ
色がいっぱいの私のコート
私のママが私に作ってくれた
端切れだけから作られた
でも私は誇らしげに身に着けていた
私たちはお金を持っていなかったけど
私はとても豊かだった
色がいっぱいの私のコート
私のママが私に作ってくれた

ドリー・パートン(1946年生まれ)はテネシー州の「極貧」の家庭に生まれ育ったという。既製のコートを買うお金がなかったので、母親が端切れを集めパッチワークで作ってくれた。半ズボンも継ぎが当たり、靴も穴が開いていた。端切れで作ったコートを着て学校行ったらみんなに笑われたけど、どうしてか分からなかった。母親が一針一針縫ってくれたんだから自分は大切にされている。だから色もバラバラだけどこのコートにはみんなが着てるものより値打ちがあるって教えてやったんだと歌っている。貧しいけど、母親の愛情がこもったコートに誇らしげな子ども心が伝わってくる。2015年、米国 NBC 放送局はこのエピソードをドラマ化した。下記リンク先のサイトでそのトレーラーなどを視聴することができます。

NBCDolly Parton's Coat Of Many Colors - Extended NBC Movie Trailer premiered on Dec., 2015

2026年8月25日

音楽雑話(1)アルゼンチンタンゴの魔力

tango argentino
Un baile de Tango Argentino sensual

アルゼンチンという国名から人は何を想起するだろうか。多くの日本人は FIFA ワールドカップ 2026 で準優勝したサッカーチームの得点王リオネル・メッシ選手かもしれない。私は大草原パンパの思い出を綴った、作家で鳥類学者のウィリアム・H・ハドスンがまず脳裡をかすめる。さらに南部の荒涼とした美しい地域で、氷河や壮大な山々フィッツロイやペリト・モレノ氷河などが広がるパタゴニアだろうか。そして、煽情的な旋律を奏でるヴァイオリン、哀愁を帯びたリズムを刻むバンドネオン、詩情豊かなタンゴ・カンシオン。情熱と切なさが同居する音楽、タンゴである。タンゴは アルゼンチンを代表する音楽ジャンルの一つだが、その歴史は想像以上に奥深く複雑である。長年にわたり、タンゴはブエノスアイレスの街角で人気の音楽ジンルから、世界中で高く評価される芸術形式へと進化を遂げてきた。タンゴはアフリカのカンドンベ、キューバのハバネラ、アルゼンチンのミロンガなど、様々な音楽ジャンルや文化の融合にルーツを持つ。

Carlos Gardel
Carlos Gardel (1890-1935)

19世紀後半、タンゴはブエノスアイレスのラ・ボカやサン・テルモといった貧困地区の路上やバーで演奏されるようになった。こうした場所で、独自の社会規範や行動様式を持つタンゴ文化が発展していったのである。タンゴは初期の頃、アルゼンチンの上流階級から下品で危険なジャンルとして敬遠されていた。しかし時が経つにつれ人気が高まり、より格式の高い会場で上演されるようになった。1910年代にはタンゴはパリをはじめとするヨーロッパの都市で流行し、アルゼンチンのダンサーやミュージシャンはエキゾチックで刺激的な存在として見なされるようになった。黄金時代(1935年から1955年)には芸術的な頂点を迎えた。この時期、タンゴは大規模なオーケストラによって演奏され、劇場やコンサートホールで上演された。

Astor Piazzolla
Astor Piazzolla (1921-1992)

カルロス・ガルデルやアストル・ピアソラといった当時の最も有名な歌手や音楽家たちが、タンゴを代表する数々の名曲を生み出した。しかし1950年代後半になると、アルゼンチンではロックやポップスといった他の音楽ジャンルの台頭により、タンゴの人気は衰え始めた。ただヨーロッパや日本をはじめとする他の国々では、タンゴは依然として非常に人気が高かった。近年、タンゴはアルゼンチンをはじめ世界各地でルネサンスを迎えている。新世代の音楽家やダンサーたちがこのジャンルを再解釈し、他の音楽スタイルと融合させ、新たな表現形式を生み出している。今日でもタンゴはアルゼンチン文化の重要な一部であり、世界中の人々に愛されている。タンゴの音楽とダンスは、国とその国民の歴史、情熱、そしてアイデンティティを映し出す、他に類を見ない芸術形式である。下記リンク先の La 2x4(ラ・ドス・ポル・クアトロ)は、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスを拠点とする、世界的に有名なタンゴ専門のインターネットラジオ局です。画面右上の「EN VIVO(ライブ)」ボタンをクリック(タップ)すると放送を聴くことができます。

broadcaster La 2x4 es parte del Sistema de Medios Públicos de la Ciudad Autónoma de Buenos Aires.

2026年8月24日

アフリカの日々 Days in Africa

Girls at Festival in Sahara
Girls at Festival in Sahara,Tunisia, 1980
サハラ砂漠の祭りの少女たち(チュニジア)1980年
Kid Wearing a yellow belt, Tunis, Tunisia, 1980
横帯を着けた少年(チュニジアのチュニス)1980
A mosque in Tunisia after prayers, 1980
礼拝を終えて(チュニジアのモスク)1980年
A kid at market, Tunisia,1980
市場の少年(チュニジア)1980年
Waiting for the Catch, Kayal Coast, Senega, 1976
水揚げを待つ(セネガルのカヤール海岸)1976年
Dance of Initiation, Ivory Coast, 1976
通過儀礼の踊り(コートジボワール)1976年
The nomad, Ivory Coast, 1976
遊牧民(コートジボワール)1976年
Masai Women, Nairobi, Kenya, 1981
マサイの女性たち(ケニアのナイロビ)1981年

I traveled around Africa several times. To make my memories established, this smllset was made. All photographs were taken by LeicaM4 and NikonF3 using Kodachrome. [Senegal][gambia][Ivory Coast] 1976 LeicaM4 Kodachrome64 [Tunisia] 1980 LeicaM4 Kodachrome64 [Kenya] 1981 NikonF3 Kodachrome64

私はアフリカを何度か旅行しました。その思い出を形に残すために、小さな写真セットを作りました。写真はすべて、ライカM4とニコンF3でコダクロームフィルムを使用して撮影しました。[セネガル][ガンビア][コートジボワール] 1976年 ライカM4 コダクローム64 [チュニジア] 1980年 ライカM4 コダクローム64 [ケニア] 1981年 ニコンF3 コダクローム64

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