2026年5月26日

キューバを愛した作家アーネスト・ヘミングウェイ

Ernest Hemingway in Havana
Ernest Hemingway in Havana, Cuba (AI)

キューバではアーネスト・ヘミングウェイへの崇拝が根強く残っている。ハバナの石畳の通りを散策すれば、彼の小説を売り歩く書店や、地元で「パパ」と呼ばれたヘミングウェイに捧げられた博物館を目にするだろう。バーではヘミングウェイを称える特製カクテルやブロンズ像が飾られ、彼が住み、働き、釣りをした場所を巡るツアーもある。ヘミングウェイの大ファンであろうと、彼の作品がいくつか好きなだけであろうと、ヘミングウェイとキューバの関係を探ることは、この上なく魅力的だ。ヘミングウェイは30年以上にわたり、断続的にキューバに住んでいた。当然のことながら、キューバの全体像《人々、場所、気候、文化、歴史の集合体》は、ヘミングウェイの作品に色濃く反映されている。そこは、作家が釣り、執筆、飲酒、放浪、そして愛を育んだ場所だった。ヘミングウェイは米国「人だが、フィデル・カストロ、チェ・ゲバラ、ホセ・マルティと並び、キューバ史において最も有名な人物の一人として今もなお知られている。これは間違いなく、ヘミングウェイのキューバでの経験を観光客誘致に利用する政府のプロパガンダのおかげだろう。それでもなお、この人物と伝説についてさらに深く知り、彼が30年以上もキューバに通い続けた理由を探ることは、非常に興味深い。ヘミングウェイが初めてキューバを訪れたのは1928年、スペインへの乗り継ぎの際に立ち寄った時だった。彼は ハバナに3日間滞在し、ホテル・アンボス・ムンドスに宿泊した。

Hemingway at home
Hemingway at home in Havana of Cuba on August in 1952

その後10年間、ヘミングウェイはキューバを訪れるたびにこのホテルに泊まることになる。1932年、再びキューバを訪れた。この時は2人の友人を連れて行き、3人でメキシコ湾岸でカジキ釣りを楽しんだ。1939年、キューバを訪れたヘミングウェイはホテル・アンボス・ムンドスに滞在した。この時期に彼は妻のポーリンと別居した。その後、彼は3番目の妻となるマーサ・ゲルホーンと出会った。夫妻はハバナ郊外の美しい土地に建つ瀟洒な家、 フィンカ・ビヒア(見晴らしの良い農場) を購入した。1886年にスペインのカタルーニャの建築家ミゲル・パスクアル・イ・バグエルによって建てられた家で、ヘミングウェイはこの家で20年近くを過ごした。彼は冬の間、アイダホの雪から逃れるためにキューバを訪れ、執筆活動を続けた。ここでヘミングウェイは『海流の中の島々』『移動祝祭日』『老人と海』を執筆した。現在、彼の家は博物館となっており、ヘミングウェイが執筆し、読書し、眠った部屋を見学することができる。1942年、ヘミングウェイはハバナの米国大使館に提案を持ちかけた。彼は自身の漁船「ピラール号」をナチス・ドイツの潜水艦ハンターに改造したいというのだ。機関銃と訓練された乗組員を船に搭載すると申し出た。表向きは米国の自然史博物館のために標本を収集する船だったが、実際にはナチスの潜水艦を捜索する船となるはずだった。この計画は承認され、ピラール号はその後まもなくキューバ北部沿岸で進水した。

Hemingway met Castro
Ernest Hemingway met Fidel Castro in Havana on May 15 in 1960

1938年からヘミングウェイの死まで船の操縦を手伝ったグレゴリオ・フエンテスもこの冒険に参加した。2人は2年間キューバ 北部の小島 をパトロールし、何度かナチスの潜水艦を発見して報告した。この冒険全体が、ヘミングウェイの小説『海流の中の島々』の題材となった。冷戦の勃発により、ヘミングウェイは米国とキューバのどちらかを選ばざるを得なくなり、米国を選んだ。彼はバティスタ政権が崩壊した翌年の1960年にキューバを離れ、アイダホ州に戻った後、1961年7月に自殺した。作家の死後、カストロ政権はフィンカ・ビヒアを接収した。しかしヘミングウェイは邸宅を4番目の妻メアリー・ウェルシュに遺贈していた。政府はメアリーに原稿や手紙の大部分を持ち出すことを許可したが、邸宅の残りの部分は現状のままにしておくよう要求した。邸宅は20年後に博物館として再開された。 ヘミングウェイが革命についてどう感じていたかについては、多くの憶測がなされてきた。キューバでは、ヘミングウェイはカストロのゲリラ運動を支持していたとされている。この考えを裏付けるような引用もいくつかある。 彼の未亡人メアリー・ウェルシュは「ヘミングウェイは常に革命を支持していた」と述べている。また、彼の小説の中には、革命の大義に共感しているように見えるものもある。バティスタ政権時代に書かれた『海流の中の島々』の中で、ヘミングウェイは「この国の小さな村々すべてに、まさに殺人的な専制政治が及んでいる」と書いている。

Finca Vigía
Finca Vigía built by Catalan architect Miguel Pascual y Baguer in 1887

だが、同じ作品の中で、ある登場人物は「キューバ人は互いに裏切り合う。自業自得だ。革命などくそくらえだ」と述べている。ヘミングウェイは生前、フィデル・カストロや革命を支持していたかどうかを公に語ったことは一度もなかった。しかし、彼の死後、カストロ政権はヘミングウェイが革命派に同情的だったと描写した。カストロはさらに、「ヘミングウェイの作品はすべて人権擁護である」とまで言い、また『誰がために鐘は鳴る』がバティスタ政権との戦いにおける自身のゲリラ戦のインスピレーションになったと主張した。興味深いことに、ヘミングウェイとカストロが会ったのは一度きりだった。それは1960年に開催された第10回アーネスト・ヘミングウェイ・ビルフィッシュ・トーナメントでのことだ。当時キューバの新指導者だったカストロは、トーナメントの優勝者にトロフィーを授与するはずだった。しかし、彼は最終的に最大のカジキを釣り上げ、自ら賞を獲得した。ヘミングウェイとカストロの会見の様子を捉えた、和やかな雰囲気の写真が何枚か残っているが、二人は形式的な場の合間に世間話をしただけだったと伝えられている。 下記リンク先はrライフ誌の「ヘミングウェイ:アルフレッド・アイゼンシュタット:私がこれまで撮影した中で最も扱いにくい人物」です。

Amazon  ヘミングウェイ・キューバの日々:ノルベルト・フエンテス (著) 宮下嶺夫 (翻訳) 晶文社(1988)

宗教考現学(3)米国先住民カイオワ族の信仰

Prayer for the Buffalo

多くの先住民族と同様に、カイオワ族も、動物、旋風や雷などの自然現象、さらには太陽、月、星などの天体の形をとる精霊の世界を信じていた。これらの精霊はすべて dwdw と呼ばれる普遍的な力をさまざまなレベルで持っていた。最も大きな dwdw を持つと信じられていた精霊は、特別な敬意の対象となった。カイオワ族の宗教的慣習は世俗社会と密接に結びついており、両者はしばしば区別がつかないほどだった。宗教は固定された制度ではなく、社会の利益のために高次の力を活用する手段と見なされていた。この力を追求することは、既存のシステムに新しい儀式や信仰を取り入れることを意味するとしても、しばしば奨励された。カイオワ族にとって dwdw を得たいと願う人は、4 日間の祈り、喫煙、断食を伴うビジョンクエストを受けなければならなかった。幸運にもビジョンを受け取ることができれば、戦争の力か癒しの力を得ることができましたが、両方を得ることはありませんでした。戦時医療は、防御力と治癒力を高めるものとして、また治療医療はより優れた治癒能力を持つものとして、医学と呼ばれた。ドゥドゥはエリート層における地位を確固たるものにし、こうした力を持つ者は社会において絶大な影響力を持っていた。バッファローの絶滅、強制的な移動、狩猟の制限などにより、特定の儀式を行うために必要な物品の入手がますます困難になるにつれ、伝統的な信仰は次第に廃れていった。

伝統舞踊を披露するカイオワ族(2004年)

1875年までに、カイオワ族やコマンチ族、アラパホ族、シャイアン族など他のいくつかの部族は、現在オクラホマ州のインディアン準州の居留地にほぼ閉じ込められていた そこでフォート・シル駐屯軍の監視の下、連邦政府は先住民を「文明化」することに注力し、西洋の概念を導入すると同時に、先住民の伝統的な慣習を禁止した。キリスト教の布教者たちは居留地に伝道所を建設し、少数の改宗者を得た。彼らは宣教師たちが「アメリカ化」の過程で支援してくれたことに感銘を受けた。キリスト教のシンクレティズムを取り入れた新しい宗教運動が人気を博すにつれ、先住民の信仰はこれらの宣教師の存在を反映するようになった。ゴーストダンスは1890年に初めてカイオワ族に伝わり、彼らは政府当局がダンスを禁止するのを阻止するために、キリスト教との類似点を強調した。一部の実践者は、このダンスはキリスト教の土着化されたバージョンであり、イエス・キリストの再臨を予言していると主張した。いずれにせよゴーストダンスは失われたものへの嘆きだった。儀式の指導者たちは、この儀式によって死者との交信が可能になり、近年絶滅寸前にまで追い込まれたバッファローが戻ってくると主張した。先住民の指導者たちは、ゴーストダンスをはじめとする宗教運動は憲法で保護されていると政府当局に訴えたが、先住民政策を担当する者たちは、先住民は他の市民に与えられた権利を享受できるほど発展していないと考えていた。ゴーストダンスに参加した者は、強制労働、投獄、罰金などの脅迫を受けたのである。下記リンク先はオクラホマ州カーネギーを拠点とするカイオワ族の公式ウェブサイトです。

Native American  Official website of the Kiowa Tribe, Carnegie, Oklahoma | About | Careers | Contact Us

2026年5月24日

米国司法省がキューバのラウル・カストロ元国家評議会議長を殺人罪などで起訴

Raul Castro
Cuba's former President Raúl Castro in Cienfuegos, Cuba ©2022 Alexandre Meneghin

2026年5月20日、米国司法省はキューバのラウル・カストロ元国家評議会議長(94)を殺人罪などで起訴したと発表した。1996年2月の民間航空機撃墜事件が起訴の背景と理由になっている。キューバの亡命者支援団体「ブラザーズ・トゥー・ザ・レスキュー」が運航していた民間小型機2機がキューバ軍によって撃墜され、米国人3名と永住権保持者1名が死亡した。ラウル・カストロは当時、国防相として軍を統制する立場にあった。米国当局はこの事件に関与したとして、彼および当時の戦闘機パイロットら計6名を殺人、米国人の殺害を共謀した罪、および航空機破壊の罪で起訴した。米トランプ政権は、長年キューバ共産党政権に圧力をかけ、政治的・経済的な譲歩を引き出す方針をとっている。今回の起訴もその戦略の一環と見られている。トランプ大統領は今回の起訴について「非常に重要な瞬間だ」と述べており、キューバの現状を「崩壊しつつある国家」と評するなど、体制転換を強く意識した姿勢を示している。キューバのミゲル・ディアスカネル大統領は、今回の起訴を「法的根拠のない政治的行為」であり、「軍事侵略を正当化するための材料をでっち上げたものだ」と強く批判してる。撃墜についても、当時キューバ側は「自国領空内での正当防衛であった」と主張している。

Fidel Castro
Raúl Castro's elder broher Fidel Castro in Havana of Cuba, 1971

ラウル・カストロは現在もキューバ国内にいるため、実際に米国へ連行され裁判が行われる見通しは立っていない。今回の起訴はフィデル・カストロ元議長(2016年死去)の弟であるラウル・カストロに対するものであり、過去の歴史的な事件を再考させる形で現在の米・キューバ間の緊張が高まる要因となっている。米CBSニュース(2026年5月14日付報道)によると、米国がラウルを訴追対象とすることで、引退後もキューバ政権内で強い影響力を維持する同氏を排除し、キューバ国内の抜本的な改革を促す狙いがあるとの見方が示されている。現時点で「身柄の拘束」が直ちに行われるかという具体的な実行時期や方法については公表されていないが、米国がラウル・カストロに対して法的手続きによる圧力を強めている状況でである。今後、米国がどのような法的アプローチをとるか、またキューバ側がこれにどう対応するかが焦点となる。今回の起訴はトランプ大統領が進める政策の一環であり、ベネズエラのニコラス・マドゥロ政権を転覆させた手法をキューバにも適用しようとする「力による介入モデル」の再現と位置付けられている。トランプ大統領は、ベネズエラでの介入成功をモデルケースとして、中南米における米国の影響力を再構築しようとしている。

U.S. aircraft carrier
U.S. aircraft carrier group heads to Caribbean as Cuba tensions rise (AI)

ランプ政権は、ベネズエラのマドゥロを麻薬密輸容疑などで起訴し、最終的に身柄を拘束して政権を転覆させた。この「指導者を法的に追い詰めて軍事・政治的圧力をかけて政権を交代させる」という筋書きを、キューバの指導部に対してもそのまま再現しようとしている。トランプ大統領は「ここはわれわれ(米国)の半球であり、不安定化させ米国を脅かす者は報いを受ける」という趣旨の発言をしており、いわゆる「モンロー主義(米州大陸への欧州諸国の干渉を排し、米国の影響力を保持する)」に近い、極めて自国中心的な勢力圏の維持を強く主張している。キューバをベネズエラの同盟国とみなし、ハバナの現体制を屈服させることが、地域全体における社会主義的影響力を排除する鍵であると捉えている。この動きは、トランプ大統領が掲げる「アメリカ第一主義」の対外政策において、中南米を自国の「裏庭」として厳格に管理しようとする強い意志の表れである。国際法上の是非や外交的混乱を厭わず、法執行機関や軍事力を手段として用いることで、相手国の政権転覆を直接的に試みるという非常に強硬な手法が取られているのである。先リンク先は英国放送協会(BBC)の「米国は1996年の航空機2機撃墜事件に関してキューバのラウル・カストロを殺人罪で起訴した」です。

BBC News  U.S. charges Cuba's Raúl Castro with murder on February 1996 downing of two planes

2026年5月23日

ナフサ不足でお先真っ暗闇の我が日本

AI image of Takaichi
Google Gemini で生成した髙市早苗首相の AI 画像

カルビーが公表したポテトチップのパッケージ変更は、はからずもナフサ不足を可視化したと言える。そして図らずも少なからず髙市早苗内閣にダメージを与えたようだ。カルビーがポテトチップスなどのパッケージを白黒に変更する理由は、中東情勢の緊迫化に伴うナフサ不足により、カラー印刷に必要な原材料の調達が困難になっているためである。 石油由来の製品であるナフサは、プラスチックや印刷インクの樹脂・溶剤の原料として不可欠。中東情勢による物流の停滞や供給不足から、カラー印刷に必要な原材料が入手しにくくなっている。カルビーは、商品の供給を止めることなく安定的に届けることを最優先とし、インクの使用色数を削減する(白黒の2色にする)という暫定的な対応をとることにした。 2026年5月25日以降の出荷分から、順次切り替えられる。

Black & White
2026年5月25日から白黒のパーッケージ(右)に移行するポテトチップス

これに対し農林水産省などはナフサの供給量について「国内に必要量は確保されている」と主張、5月12日にカルビーに対して状況の聞き取りを行った。そして朝日新聞などが、政府関係者がカルビーの発表について「売名行為」「過剰反応」といった趣旨の発言をしたと報じた。野党議員や一部の文化人・ソーシャルメディア・ユーザーからは、物資不足を訴える企業に対して政府が「売名」と批判することに対し「企業への圧力ではないか」「現実から目を背けている」といった批判が相次いでいる。そして物価高や資材不足が現場レベルで深刻化している現状の中で、政府の危機認識が「浮世離れしている」という指摘もなされている。ナフサ不足は単一の理由ではなく「産油国の川下産業への移行」と「地政学リスクによる調達網の分断」そして「原油精製そのものの効率変化」が同時に起きようだていることが主な原因である。

ホルムズ海峡
ホルムズ海峡は「冬景色」のまま再開のメド立たず

特に日本のようにナフサの多くを輸入に頼っている国では、これらの外的要因の影響をダイレクトに受けやすい構造になっている。日本は原油のほぼすべてを海外からの輸入に頼っており、長年にわたり中東地域への依存度が非常に高い(約9割前後)という構造が続いている。アラブ首長国連邦(UAE)とサウジアラビアが二大輸入先であり、この2カ国だけで輸入全体の大部分を占めている。その他、クウェートやカタールなどが続く。 2026年4月の貿易統計によると、ホルムズ海峡の事実上の封鎖などの影響により、中東からの輸入が大幅に減少している。これに伴い、米国など中東以外の地域からの代替調達が増加する傾向が見られる。米国による国際法を無視したイラン攻撃が中東情勢の緊迫化を招いた。ドナルド・トランプはこの秋の中間選挙を控え。紛争の早決を熱望しているようだが、ますます泥沼化している。ホルムズ海峡は「冬景色」のまま、お先は真っ暗闇である。下記リンク先は米国公共放送サービス(PBS)の「イラン当局者によると米国が封鎖を解除し戦争が終結すればホルムズ海峡の再開を提案する」です。

PBSIran offers to reopen Strait of Hormuz if US lifts its blockade & the war ends, officials say