2026年6月10日

ソーシャルメディアの弊害(30)選挙における髙市早苗の悪用

壁画

高市早苗首相の陣営が昨年の自民党総裁選および今年の衆院選で、対立候補を中傷する動画の作成・投稿に関与したとする「週刊文春」の報道(文春砲)が波紋を呼んでいる。文春側は、関連する動画制作者と首相秘書のやり取りとされる音声などを証拠として公開し、国会でも連日大きな論戦となっている。週刊文春は、高市の陣営が自民党総裁選やその後の衆院選において、他の候補者を貶めるための中傷動画を作成し、ソーシャルメディア上に投稿したと報じた。この疑惑を裏付けるものとして、文春は動画作成を依頼したとされる関係者と高市の事務所関係者との間で交わされた音声データ(Zoomでのやり取り)などを公開している。国会での対応と高市の主張この報道を受け、国会では野党からの厳しい追及が行われている。高市首相は国会答弁において、以下のような主張を展開している。関与の否定: 自身が直接指示を出したり、事務所として組織的に誹謗中傷を行ったりした事実はないと反論しています。 問題となっている音声の中には「秘書から怒られた」「キレられた」とするやり取りが含まれている旨を言及しつつも、録音データの詳細や秘書の行動については自身の把握が難しい部分もあるとしている。野党からなぜ週刊文春に対して法的措置や厳重抗議を行わないのかと問われ「売名行為に加担することになるため」といった理由などを挙げ、現時点で直接的な抗議は行っていないと説明した。

髙市早苗
©2026 週刊文春

これを追いかけるように共同通信が、2025年の自民党総裁選で、高市陣営から相談され、対立候補に批判的な動画を作り、ソーシャルメディアで大量発信したとする会社役員の松井健氏の証言を報じた。共同通信の記事によると、松井氏は、総裁選の期間中だった2025年9月にオンライン会議で高市の秘書から、小泉進次郎を総裁選で逆転する策を相談されたと証言。松井氏は小泉への「ネガティブな発信」を提案したという。林芳正も対象とし、2人を取り上げた動画を生成AI(人工知能)で「1,000~1,500本」作り、ソーシャルメディアで拡散したと伝えた。X(旧ツイッター)などで約300個のアカウントを用意し、拡散した。総裁選後、投稿に使ったアカウントは削除したという。髙市早苗の弁解は誰がどう見ても苦しく、限りなく黒に近いグレーである。やはり首相の座を降りるべきだろう。2024年の兵庫県知事選をはじめ、地方選挙でも虚偽情報が広がっている。選挙におけるソーシャルメディア悪用がエスカレートする現状を見過ごすことはできない。

週刊文春  高市早苗陣営「誹謗中傷動画」「ネガキャン作戦」《秘書とのメール、ネット工作の全貌も》有料記事

2026年6月8日

世界史遠望(11)アイルランド:ジャガイモ飢饉の悲惨

ダブリンの飢饉記念碑
ローワン・ギレスピー作「ジャガイモ飢饉記念碑」(ダブリン)

1845年から1852年にかけて、アイルランド連合王国(以下アイルランド)は飢餓、疫病、そして移民の急増に見舞われ、それは大飢饉として知られるようになった。アイルランドの人口の3分の1が食料として依存していたジャガイモの作物が、病害に侵され、壊滅的な被害を受けた。以前にも凶作はあったが、今回の飢饉では全国的に凶作が発生し、その後数年にわたって繰り返された。この期間を通して、大量の食料が輸出され続け、主に疫病流行中の英国へ送られた。アイルランドの国会議員の多くが地主、あるいは地主の息子であったことを考えると、議会はこの状況を十分に認識していた。英国のロバート・ピール首相は、米国で10万ポンド相当のトウモロコシを購入し、アイルランドのコークへの輸送を手配した。彼はこれを安く売ることで食料価格を低く抑えられると信じていた。一方、救援委員会は資金を集めて食料を配布し、公共事業委員会は失業率を下げるために道路建設に着手した。当初、政府の政策は一定の成果を上げた。1846年、ピール首相は穀物法(パンの価格を人為的に高く維持していた穀物への関税)の廃止に着手したが、飢饉が悪化するにつれ、アイルランドの状況を改善するにはほとんど効果がなかった。

>ジョージ・フレデリック・ワッツ画
ジョージ・フレデリック・ワッツ画「ジャガイモ飢饉」1850年

穀物法の廃止は保守党を分裂させ、6月25日、飢饉に起因する暴力に対処するために制定されたアイルランド強制法案の第二読会でピールが敗北すると、彼は4日後に首相を辞任した。ジョン・ラッセル卿率いる新政権は、飢饉に効果的に対処できなかった。公共事業はほとんど成果を上げず、救援活動の責任者であったチャールズ・トレベリアン卿は、自由放任主義の原則と、「神の裁きによってアイルランド人に教訓を与えるために災厄がもたらされた」という福音主義的な信念に基づいて、政府の援助を制限した。議会は飢饉救済のための財政的責任をアイルランドの地主に負わせる法律を制定したが、地主たちはその費用を節約するために、土地から小作人を立ち退かせようとした。大飢饉の際に、病気や飢餓で亡くなった人の数は約100万人と推定されている。この死者数に加え、飢饉から逃れるための移住も相まって、アイルランドの人口は大幅に減少した。それはアイルランドの政治にも革命的な影響を与え、アイルランド民族主義者にとって決定的な瞬間となった。また、この飢饉はダニエル・オコンネルが議会を去るきっかけにもなった。すでに重病を患っていた彼は、1847年2月に下院に対し、アイルランドへの寛大な対応を懇願した。そして3か月後、ローマへ向かう途中で亡くなった。記リンク先はノイザー歴史ポッドキャストの「ジャガイモ飢饉:現代アイルランドを形作った悲劇」です。

歴史  Short History of the Potato Famine: A Tragedy that Shaped Modern Ireland | The Noiser

2026年6月7日

華麗なるプリントのレジェンド写真家アルバート・ワトソン

Mick Jagge
Mick Jagger in Car with Leopard, Los Angeles, 1992
Albert Watson

アルバート・ワトソンは1942年、スコットランドのエディンバラで体育教師の息子として生まれた。ミッドロージアンのペニキュイクで育ち、エディンバラのルドルフ・シュタイナー学校とラスウェード高校に通った。ダンディーのダンカン・オブ・ジョーダンストーン美術デザイン大学でグラフィックデザインを、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートで映画とテレビ技術を学んだ。生まれつき片目が不自由だったにもかかわらず、ワトソンはカリキュラムの一環として写真も学んだ。1970年、ワトソンは妻のエリザベスと共に米国に移住した。エリザベスはロサンゼルスで小学校教師の職に就き、ワトソンはそこで主に趣味として写真を撮り始めた。同年後半、ワトソンはマックスファクターのアートディレクターを紹介され、最初のテスト撮影の機会を与えられ、同社はその撮影から2枚の写真を買い取った。ワトソンの独特なスタイルは『マドモアゼル』『ハーパーズ』『ハーパースバザー』などの米国やヨーロッパのファッション誌の注目を集め、ロサンゼルスとニューヨークを行き来するようになった。そして彼は1973年に初めて有名人を撮影した。それは、首にリボンを巻いた死んだガチョウを抱えたアルフレッド・ヒッチコックのポートレートで、その年の『ハーパーズバザー』誌のクリスマス号に掲載された。

Andy Warhol
Andy Warhol, New York City, 1980

この写真は映画スター、ロックスター、ラッパー、スーパーモデル、さらにはビル・クリントン大統領やエリザベス女王など、数百人もの著名人の写真を含むワトソの最も有名なポートレートの1つとなった。1975年、ワトソンはメイソン・プロフィットのアルバム「カム・アンド・ゴーン」のジャケット写真でグラミー賞を受賞して1976年には『ヴォーグ』誌での最初の仕事を得た。同年ニューヨークに移住したことで、彼のキャリアは飛躍的に伸びた。雑誌の写真に加えて、ワトソンはリーバイス、レブロン、シャネルなどの大手企業の数百もの成功した広告キャンペーンのイメージを作成し、100以上のテレビコマーシャルを監督、キル・ビル、さゆり、ダ・ヴィンチ・コードなどのハリウッドの大作映画のポスターを数十枚撮影した。

Cecilia Chancellor
Cecilia Chancellor, New York City, 1984

その間、マラケシュからラスベガス、オークニー諸島まで、旅行や興味から写真を撮り、個人的なプロジェクトに多くの時間を費やしてきた。彼の有名なポートレートやファッション写真とともに、これらの作品の多くは世界中の美術館やギャラリーの展覧会で展示され、ワトソンの限定版プリントはコレクターの間で非常に人気がある。ケイト・モスの写真のワトソンの大判プリントが、ロンドンのクリスティーズで10万8,000ドルで落札され、事前の最低予想価格の5倍となった。美術評論家のフランシス・ホジソンは、ロンドンのフィナンシャル・タイムズ紙に掲載されたワトソンのギャラリーレビューで、これらのプリントを「驚くべきもの」と評した。

David Bowie
David Bowie, New York City, 1996

ワトソンはプリントの巨匠とみなされており、ニューヨークのフォトプラス国際博覧会、ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリー、フランスのアルルで開催されるル・ルコントル・ド・ラ・フォトグラフィー芸術祭など、数多くの場所でこのテーマについて講演を行っている。ワトソンは、イタリアのミラノ近代美術館、オーストリアのウィーンのクンストハウスウィーン、エディンバラのシティアートセンター、ベルギーのアントワープの写真美術館、ドイツのデュッセルドルフの NRW フォーラム、スウェーデンのストックホルムの写真美術館、ドイツのハンブルクのダイヒトーアハレン、ロシアのモスクワのマルチメディアアートミュージアムなど、世界中の美術館で数多くの個展を開催している。

ack Nicholson
Jack Nicholson, New York City, 1998

2017年12月に中華人民共和国連州市の写真美術館で展示された最初の西洋人写真家である。彼の作品はロンドンのナショナルポートレートギャラリー、ニューヨークのメトロポリタン美術館とブルックリン美術館、モスクワのプーシキン美術館、ニューヨークの国際写真センター、ドイツのハンブルクのダイヒトーアハレンなど、多くの美術館でのグループ展でも展示されている。彼の写真は、ナショナルポートレートギャラリー、スミソニアン博物館、メトロポリタン美術館の永久コレクションに収蔵されている。ワトソンは1995年にダンディー大学から名誉学位を授与され、2006年にはスコティッシュ・ファッション・アワードの殿堂入りを果たした。下記リンク先はアルバート・ワトソンの公式ウェブサイトです。

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2026年6月6日

世界史遠望(10)サンフランシスコ平和条約と北方領土

ジョルジュ・ビゴー(1860-1927)「ロシアとの戦争を日本にけしかける英米両国」1904年ごろ

安倍晋三元首相(1954-2022)はウクライナを侵略したロシアのウラジーミル・プーチン大統領(1952-)について「非常に合理主義者で基本的には力の信奉者だ」と指摘。「言ってみれば戦国時代の武将みたいなもの。たとえば織田信長に人権を守れと言っても全然通用しないのと同じ」と語り、ウクライナについて「プーチン大統領が長い間、独裁政権を確立するなかで情報分析が的確に行われず、大きな間違った判断をした結果だと思う」と分析したという。2019年9日5日、安倍晋三はロシア極東のウラジオストクでプーチン大統領と会談し「ゴールまでウラジーミル、ふたりの力で駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか」と述べた。まるで三文役者の台詞のようで、ここに書くのも恥ずかしい。共に夢を持った仲であったはずが、わずか数年後の変身、変わり身の早さに唖然とする。二枚舌を使うのは日常茶飯事、息を吐くように嘘をつく、稀代のペテン師である。しかもどうやら本人は嘘を嘘と思っていないらしいから尚のことタチが悪い。プーチン大統領と27回も会談したにも関わらず、北方領土問題を放り投げ、知らん顔をしていたのである。

千島列島を巡る紛争の歴史  loupe 拡大表示

フランクリン・D・ルーズベルト米大統領(1882-1945)は、1945年2月のヤルタ会談で、ソ連のヨシフ・スターリン首相に対日参戦を求め、千島列島をソ連領とすると提言した。そしてソ連は同年8月18日、千島列島に進攻を開始する。イラストはジョルジュ・ビゴー1860-1927)が描いた、日露戦争をけしかけた英米の風刺漫画だが、米国は「第二次日露戦争」をそそのかしたのである。この史実はどうやら広く一般に浸透していないようだ。日本政府はポツダム宣言を受諾し、連合国に無条件降伏し同年9月2日降伏文書に調印した。これによって千島列島はソ連の占領下になった。そして1951年、サンフランシスコ平和条約を批准、日本は千島列島の放棄を約束してしまった。米国代表は「千島列島には歯舞群島は含まないというのが合衆国の見解」と発言したが、ソ連代表のアンドレイ・グロムイコ第一外務次官(1909-1989)は「千島列島に対するソ連の領有権は議論の余地がない」と主張した。吉田茂主席全権(1878-1967)は条約受諾演説で「千島列島及び樺太南部は、日本降伏直後の1945年9月20日、一方的にソ連領に収容されたのであります」「日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島も終戦当時たまたま日本兵営が存在したためにソ連軍に占領されたままであります」と述べている。これが日本政府が不法占拠だと主張してきた所以だろう。ところが2019年の北方領土の日の2月7日、北方領土返還要求全国大会が採択したアピール文から、これまで使ってきた「日本固有の領土」との文言が消えてしまった。交渉に行き詰まった安倍政権が、ロシアを刺激しないようにする狙いがあったのである。ところが、ところがである、外務省は2022年の外交青書をまとめ、北方領土について「ロシアに不法占拠されている」と明記し、今月22日の閣議で報告された。これに対しロシアのロシアのドミトリー・ペスコフ大統領報道官(1967-)は「四つの島は全てロシアの不可分の領土だ」と反発した。プーチン大統領はクリミア自治共和国併合もそうだが、北方領土問題の法的な解釈を熟知しているはずである。名門レニングラード大学法学部を卒業しているので、法律を遵守する政治家と信じたい。しかしKGB(ソ連国家保安委員会)の諜報員であったという経歴が、不安材料として払拭できずに残っているが、そこにプーチン大統領の二面性を嗅ぎ取ることができる。一方、安倍晋三はかつて「平和条約の問題をじっくり話し合った」と語ったが、領土交渉は1ミリたりとも動かすことができなかった。ウクライナ侵略に伴う経済制裁に対しプーチン大統領は強く反発している。北方領土返還の可能性は限りなくゼロに近づいてしまったようだ。

University  サンフランシスコ平和会議における首席全権吉田茂総理大臣の受諾演説 | 東京大学東洋文化研究所