2026年5月10日

髙市早苗首相による憲法改竄を警戒する

憲法改竄
Google Gemini で生成した髙市早苗首の AI 画像

高市早苗首相とドナルド・トランプ米大統領には政治スタイルや主張にいくつか共通点がある。両者とも「自国優先」を強く打ち出す傾向があり、保守的なナショナリズム志向がある。高市は日本の安全保障や伝統重視を訴え、トランプはアメリカ第一を掲げた。はっきりした言い方や断定的な発信が多く強いリーダー像を演出、支持者からは「決断力がある」と評価されやすい点が似ている。高市は自民党内の保守派・右派支持層、トランプは共和党の保守派や愛国主義的な支持層から強い支持を受けている。高市は防衛力強化や憲法改定に前向きで、トランプも軍事力強化や国境管理強化を重視している。そして既存メディアとの対立姿勢を貫いている。トランプは大手メディアを激しく批判することで有名だが、高市も一部メディア報道に反論する場面が多く、支持者から「偏向報道に対抗している」と見られることがある。一方、両者には違いがある。特に大きい違いは政治のやり方である。

支持率
©2026 北海道新聞

高市早苗は、政策や制度設計を重視する「政策通」タイプで、保守色は強いものの、日本の官僚機構や党内調整を前提に動く傾向がある。一方ドナルド・トランプは既存政治への反発を背景に、支持者へ直接訴える「ポピュリスト型」の特徴が強い。また外交でも違いがある。高市は日米同盟を日本安全保障の軸として重視。トランプは「同盟国ももっと負担すべき」という考えを強く打ち出した。もうひとつの違いはトランプの支持率が落ち込んでいるが、髙市は今のところ高支持率を維持していることである。しかし最近は改憲に前のめりな髙市に対する大掛かりなデモが開催されている。いつまで強硬姿勢を保たれるかはなはだ怪しい。ところで改憲に関する動向だが、最近の世論調査では、全体として「改憲そのものには一定の賛成があるが、9条改正には慎重」という傾向が見られる。主な調査結果は次の通りである。

共同通信の調査
「改憲は必要」69%
「9条改正が必要」50%
「必要ない」48%で拮抗
「慎重な政党も含め幅広い合意形成を優先すべき」73%
読売新聞の調査
「憲法改正に賛成」57%
ただし「9条1項改正は不要」80%
朝日新聞の調査
「9条を変えない方がよい」63%
「変える方がよい」30%

つまり現在の世論は、憲法全体の見直しには比較的前向き。ただし戦争放棄を定めた9条には慎重論が強い。拙速な改憲より「国民的合意」を重視という状態である。また高市早苗が改憲議論を進めている影響もあり、改憲への関心自体は高まっているが、国民投票で必要となる「過半数の賛成」を確実に得られる状況かというと、まだ意見は割れていると見られている。昨今では「高市やめろ」「憲法守れ」「9条変えるな」というプラカードを掲げた大掛かりなデモも行われているが、さらなる護憲運動が強化されることを期待したい。下記リンク先は「前のめりにも映る政治の動きに危機感を募らせた有権者たちは街へ繰り出し、全国で反対の声を上げてデモを活発化させている」という東京新聞の記事です。

憲法  改憲を急ぎたい高市首相…「そもそも論」を置き去りのまま憲法施行79年、危機感を募らせる市民

2026年5月9日

オスマン帝国トプカプ宮殿のハレム

Privy chambers at Topkap Palace
Inside the privy chambers at Topkap Palace, Istanbul, Turkey ©2025 AA Photo

セラリオ(後宮)とはスルタンの住居、つまり私的な居住区を指す言葉。一方、ハレムはスルタンの住居にいた妻、側室、姉妹、娘、そして最も重要な母親など、多くの女性が住んでいた区域である。つまり前者は江戸幕府の将軍の妻、側室、子、そして多数の女中が暮らす江戸城のプライベート空間に相当する。後者は大奥、すなわち、男子禁制の女性社会で将軍の血筋を守るための厳格な場所に相当する。。トプカプ宮殿のセラリオは、アパート、浴場、中庭が複雑に入り組んだ巨大な複合施設で、300を超える豪華な部屋とタイル張りの通路が迷路のように広がっていた。女性の階級は基本的に次の4つに分かれていた。

  1. カルファ: 侍女。
  2. イクバル: オダリスク、つまり側室とも呼ばれる女性のことで、スルタンの目に留まったものの、子供はいない女性を指す。一度だけ関係を持った後、二度とスルタンに会うことはないかもしれない。
  3. ハセキ: 出産後に個室を与えられる女性のことを指す。
  4. カディン: 男児を産んだ女性のこと。カディンは正式な妻と同等の地位を有していた。
Enthronement Ceremony of Selim III
Enthronement Ceremony of Selim III, circa 1789 ©Topkapi Palace Museum

何百人もの女性が暮らしていたため、複雑な管理体制が必要だったのである。後宮でスルタンに次ぐ最も権力のある人物はヴァリデ・スルタンで、通常はスルタンの母親であった。母親が亡くなっているか、何らかの理由で不在の場合は、別の年長の女性家族がその地位を引き継いだ。彼女は宮廷、多くの使用人、物資の調達などを統括し、管理した。かつて彼女たちは影から帝国を支配していた時代があった。スルタンとヴァリデ・スルタンの間の連絡役は宦官のみであったため、黒人宦官長は軍事任務を担い、最も権力を持っていた。彼は警備を統括し、白人宦官長は行政権力を握っていた。女性たちは、生活環境や特権を規定する厳格な階級制度の中で生活していた 伝統的に、カディンは4人までしか認められていなかった。もちろん、彼ら全員の上に君臨していたのはヴァリデ・スルタンだった。厳しい制約があり、彼女たちはまるで金色の檻の中で暮らしているようで、全員がスルタンの絶対的な権力下に置かれていたものの、後宮は大部分において女性によって運営される女性たちの世界だった。 その世界では学問が非常に重んじられ、後宮の女性たちは高度な教育を受けていた。

Topkapi Palace
Aerial view of Topkapi Palace ©2019 The Istanbul Insider

彼女たちはオスマン語、ペルシア語、フランス語の読み書きを学び、クルアーン、数学、歴史、地理、そして芸術を学んだ。後宮で性行為はあったのか? もちろんあった。強制されたものもあったのか? おそらく。後宮での滞在は必ずしも自発的なものではなかった。しかし、ターバンを巻いた男たちが裸の女性をじろじろと見つめているという、けばけばしい絵画は西洋の創作ではないかと疑われる。後宮への立ち入りを許されなかった、それらの絵を描いたヴィクトリア朝時代の男たちは、豊かな想像力の持ち主だったのだろう。考えてみれば、同じ時代のオスマン帝国やイギリスでは、女性にとってさらに悲惨な運命もあったのだ。オスマン帝国の役人、つまりヴァリデ・スルタンの甥が、ヒロインに恩義を負っている。彼女が彼に保護を求めると、彼は彼女を召使いとして雇う手配をする。妊娠を隠すために未亡人を装った彼女は、尊敬される教師となる。あり得る話だろうか? おそらくそうではないだろうが、フィクションとしては十分あり得る話だろう。下記リンク先はiイスタンブルのトプカプ宮殿博物館の公式ウェブサイト「オスマン帝国が統治され伝説が生まれた場所」です。

オスマン帝国  Where Empires Were Ruled & Legends Born | The Topkapi Palace Museum, Istanbul, TR

2026年5月8日

世界で最も影響力があり洗練されたトルコ料理の魅力

Turkish Cuisine
イスタンブルの歴史地域にあるデラリエ・オスマン料理店の伝統的なトルコ料理

トルコのイスタンブルに何度か訪ねたが、強く印象に残っているは、壮大なモスク群、そして料理の美味しさである。トルコ料理の起源は、オスマン帝国時代の重要な遺産の一つだと考える人もいる。オスマン帝国には豪華な厨房、すなわち宮廷厨房があり、そこではオスマン帝国のスルタンたちが、特に戦場から帰還した後に食べるための、この上なく美味しい料理が用意されていた。オスマン帝国が世界中を征服し、フランス国境にまで到達したことから、その起源はヨーロッパにある可能性が高いと考える人もいる。トルコ料理の起源が何であれ、トルコ料理の文化は地域によって大きく異なる。イスタンブル、ブルサ、イズミルではオスマン帝国の伝統がトルコ料理に色濃く残っていますが、カスタモヌ、デュズジェ、ゾングルダグといった黒海沿岸地域ではヨーロッパ料理の影響が色濃く見られる。一方、ガジアンテプ、シャンルウルファ、マルディンといったトルコ南部では、アラブ料理の文化が圧倒的に根付いている。トルコの朝食は、パン、ベーグル、チーズ、卵、オリーブ、トルコソーセージ、トマト、キュウリ、ジャム、蜂蜜を添えたパストラミ、そして朝食に欠かせないトルコ茶で構成されている。トルコ料理の朝食で最も重要なものはボレクである。

Sea Food
スルタン・アフメト・フィッシュ・ハウスの海鮮料理

ボレクとは、チーズ、肉、野菜などを詰めた生地をオーブンや油で焼いたものである。市場では手軽な食事として様々な形で販売されていますが、中でもタバコのような形をしたものが最も有名で「ボレク・シガレット」と呼ばれていまる。 トルコ人は一般的に、昼食に牛肉、羊肉、鶏肉、魚などを食べる。トルコ料理には、ナス、ピーマン、タマネギ、ニンニク、レンズ豆、米、トマトといった基本的な食材が欠かせない。スープは昼食時に提供され、ご飯、ブルグル、パスタなどのメインコースと、トルコ風の肉料理(ラム肉、牛肉、鶏肉)を摂るための胃の準備となりる。トルコでは一般的に、肉はトマトソースで煮込んだり、野菜と一緒に煮込んだりして調理される。 時には肉を炭火で焼いて、旅行中にバーベキューをすることもある。また、家庭で調理された様々な種類のケバブは、野菜料理と並んでよく食べられるます。トルコのキョフテの種類は都市によって異なり、例えばイズミルキョフテ、テキルダーキョフテ、シャンルウルファキョフテなどがある。パンは主食なので、レストランや大衆食堂では無料提供される。日本のような「刺身文化」はほとんどないが「魚を生に近い形で食べる料理」は一部あるようだ。下記リンク先は、スタンブルを拠点とするサファラク観光の「トルコ料理の起源」です。

Turkey Details about Turkish Cuisine: Its Origins and Culture | Safaraq Tour Company in Istanbul

2026年5月7日

世界史遠望(4)ケネディによるキューバ危機の回避

Cuban Missile Crisis
キューバ危機:世界が終わりかけた13日間

冷戦の最盛期、1962年10月の2週間、世界は核戦争の瀬戸際に立たされた。その年の秋、ソ連はニキータ・フルシチョフ首相の命令により、アメリカからわずか90マイル(約145キロ)のキューバに核攻撃部隊を秘密裏に配備し始めた。アメリカとソ連が核戦争の瀬戸際に立たされたのである。アメリカのU-2偵察機が、ソ連がキューバ島に建設していた核ミサイル基地を秘密裏に撮影した。ジョン・F・ケネディ大統領は、ソ連とキューバにミサイル発見の事実を知られたくなかった。彼は数日間、顧問たちと秘密裏に会合を開き、この問題について話し合った。ネディ大統領はミサイル配備は容認できないとし、撤去を強く求めた。フルシチョフはこれを拒否した。この膠着状態は核戦争寸前まで至り、米国では「キューバ危機」として記憶されている。数々の長く困難な会談を経て、ケネディ大統領はキューバ周辺に海上封鎖、すなわち艦隊による環状防衛を敷くことを決定した。彼が「離と呼んだこの措置の目的は、ソ連がこれ以上軍事物資をキューバに持ち込むのを阻止することであった。既に配備されているミサイルの撤去と、ミサイル基地の破壊を要求した。10月22日、ケネディ大統領はテレビ演説で国民に対し、この危機について語った。ソ連の指導者ニキータ・フルシチョフが海上封鎖とアメリカの要求にどう対応するかは誰にも分からなかった。しかし両超大国の指導者は核戦争の壊滅的な可能性を認識し、ソ連が兵器基地を解体する代わりにアメリカがキューバ侵攻を行わないという合意に公然と同意した。

JFK
キューバ危機の間ケネディ大統領は米陸軍関係者と会談した

25年以上秘密にされていた別の合意では、アメリカはトルコから核ミサイルを撤去することにも同意した。ソ連はキューバからミサイルを撤去したものの、軍事兵器の増強を加速させた。ミサイル危機は終結したが、軍拡競争は終わらなかった。1963年、ソ連とアメリカ合衆国の間の緊張緩和の兆しが見られた。ケネディ大統領はアメリカン大学の卒業式での演説で、アメリカ国民に対し冷戦時代の固定観念や神話を再検討するよう促し、多様性を尊重する平和戦略を提唱した。また、両超大国間の関係改善を示す二つの出来事があった。一つはクレムリンとホワイトハウスの間にテレタイプによる「ホットライン」が設置されたこと、もう一つは1963年7月25日に部分的核実験禁止条約が調印されたことである。ソ連との危機を平和的に解決したことは、ケネディ大統領の最大の功績の一つとされている。ケネディ大統領は、就任演説とは全く異なる言葉遣いで、1963年6月にアメリカ国民に「結局のところ、私たちに共通する最も基本的な絆は、皆がこの小さな惑星に住んでいるということだ。皆同じ空気を吸っている。皆、子供たちの未来を大切に思っている。そして、皆、いつかは死ぬ運命にある」と語りかけた。下記リンク先はジョン・F・ケネディ 大統領図書館・博物館の解説「キューバ危機」です。

Kennedy Museum Cuban Missile Crisis | John F. Kennedy Presidential Library and Museum, March 31, 2026