2026年2月21日

初代アメリカ合衆国大統領ジョージ・ワシントンは木製の入れ歯を使っていなかった

Battle_of_Bunke
Boston campaign: The Death of General Warren at the Battle of Bunker Hill by John Trumbull
George Washington

ジョージ・ワシントン(1732-1799)はアメリカ初代大統領になる10年以上前から、アメリカ独立戦争初期に重要なキャンペーンを率いていた。ボストン包囲戦は、彼が大陸軍の総司令官として初めて行った作戦であり、多くの点で彼の軍事的・政治的成功の舞台を整えた。大統領の日の2月22日に祝われる。レキシントンの戦いとコンコードの戦いの後、民兵は1775年4月にボストンでイギリス軍を包囲した。大陸会議はより組織的な軍事努力の必要性を認識し、ワシントンを新編成の軍の指揮官に選んだ。ワシントンはほぼ1年にわたる包囲戦の終わりに近づいていたが、その包囲戦で最大11,000人のイギリス兵と数百人の忠誠派が閉じ込められていた。当時イギリス軍はボストンを占領しており、包囲戦の目的は彼らを追い出すことだった。ワシントンが下した重要な決断の一つは、若い書店主ヘンリー・ノックスをニューヨークのフォート・タイコンデロガに派遣し、数十門の大砲を回収させることでした。これらの大砲は真冬の真っ只中に何百マイルも運ばれ、最終的にはイギリス軍の陣地への砲撃に使われました。これが、物資が減少する中、イギリス軍は1776年3月17日に船で都市を放棄する決定を下した。歴史家たちは、ボストンで避難日として祝われるイギリス軍の陣地を放棄したことで、重要な時期に忠誠派を追い出し、重要な港へのアクセスを妨げ、愛国者たちの士気を大きく高めたと主張している。「ボストン包囲戦の成功は革命に新たな命と勢いをもたらした」「もし失敗すれば、ニューイングランドの王権支配は続き、大陸軍はおそらく解散していただろう」と。ケンブリッジのロングフェロー・ハウスの現場管理者クリス・ビーガンは、アメリカ独立戦争中にワシントンの本部として機能した国定史跡の現場管理者である。この包囲戦はワシントンにとっても重要な試練であった。測量士で農夫でもあったワシントンは、フレンチ・インディアン戦争中にイギリス軍の指揮を務めた後、約20年間軍を離れていた。彼の成功した作戦により、ワシントンは革命の残りの期間にわたって最高司令官の座を保ち続けた。ジョージ・ワシントンのマウントバーノン選挙区の学長ダグ・ブラッドバーンは、ワシントンがマサチューセッツからバージニアまでの民兵を含む地理的に多様な軍隊を創設する第一歩を踏み出し、戦争終結時には黒人とネイティブアメリカンの代表性が高い戦闘部隊を形成したと述べた。彼はハリー・S・トルーマン大統領が1948年に軍の人種隔離を撤廃するまで、最も統合された軍隊だったと述べた。

Statue of George Washington
The sun shines over a statue of George Washington at the Public Garden in Boston

マウントバーノンの領地で数百人の奴隷に依存していた奴隷所有者ワシントンは、当初、元奴隷で自由な黒人兵士の軍入隊に反対していた。しかし兵力不足であったため、ワシントンは包囲戦中に「志願したい自由黒人がいて、イギリス軍の脱出を防ぐために彼らが必要だ」と気づいたとブラッドバーンは語った。ボストンをイギリス人から排除することで、ワシントンは国内で最も人気のある政治家の一人となったのである。「彼は、国も独立宣言も、この闘争の目的が何かも本当に確信が持てない時代に、その大義を体現するために現れる」とブラッドバーンは語った。ピューリッツァー賞受賞の軍事史家リック・アトキンソンは、8年以上にわたり軍を指揮したことが大統領職への準備にもつながったと述べている。曰く「おそらく最も重要なのは、アメリカ人が13の異なる存在の住民ではなく、一つの民族であり得るし、そうあるべきだと感じさせたことだ」云々。ワシントンに関する多くの神話を生まれ、その多くは今日まで残っている。その中でも特に有名なのが桜の木の神話です。この物語は、ジョージ・ワシントンの『マウントバーノン』によると、ワシントンの初期の伝記作家の一人によって発明され、彼の死後にこの物語を創作したそうである。伝えられるところによると、6歳のワシントンは斧で桜の木を切り、父親に見つかった際にそれを認め「嘘はつかない...手斧で切ったんだ」と。二つ目は木製の歯の神話である。ワシントンは木製の入れ歯を持っていたという噂があり、20世紀に入っても学者たちは彼の入れ歯が木製だと語ったという。それは違います。彼は木製の入れ歯を決して使わず、象牙や金、さらには人間の歯を使ったものを使っていた。ワシントンは生涯を通じて多くの活動に携わった。ジョージ・ワシントンのマウントバーノンによれば、彼は革新的な農家として知られ、西部開拓の推進者として、中大西洋岸のいくつかの州で最大5万エーカーの土地を購入しました。マウントバーノンに戻った後、彼は国内最大級のウイスキー蒸留所を築いた。彼の奴隷制との関係は複雑だった。彼は奴隷制の廃止を主張し、遺言には妻マーサ・ワシントンの死後に所有していたすべての奴隷の解放を求めていた。しかし彼はマウントバーノンのすべての奴隷を所有していたわけではないので、法的に全員を解放することはできなかったのである。下記リンク先は PBS(米国公共放送サービス)の解説記事「ジョージ・ワシントンがいかにして名声を博し神話の登場人物となったか」です。

PBS How George Washington rose to prominence and became the stuff of myth | PBS NEWS

2026年2月19日

平和憲法第9条維持こそが最大の抑止力であり改竄は軍拡競争を招く

憲法9条
平和憲法第9条の改竄を阻止しよう

朝日新聞2月19日付けデジタル版によると、自民党の高市早苗総裁は18日召集の特別国会で第105代首相に選出され、日本維新の会との連立政権である第2次高市内閣を発足させた。衆院選圧勝を経て自民単独で3分の2の議席を持つ「高市1強」と呼べる情勢のもと、首相は同日夜の会見で、憲法改正について「少しでも早く改正案を発議して国民投票につながっていく環境を作れるよう、自民党として粘り強く取り組みたい」と意欲を示したという。憲法改定発議は、日本国憲法第96条に基づき、衆参両院の各総議員の3分の2以上の賛成を経て、国会が憲法改正案を国民投票へ提案する手続きである。発議には、衆院100人以上、参院50人以上の賛成により原案が提出される。発議後、60〜180日以内に国民投票が実施される。断固阻止したいが、雲行きは悲観的である。拙ブログ「平和憲法改竄を目論む高市早苗首相の危険」で述べた通り、記者会見で高市早苗首相(自民党総裁)は「2月9日、記者会見で「国の理想の姿物語るのは憲法」「改正に向け挑戦」と語り、憲法改定を問う国民投票早期実施の意思表明している。憲法k改定を推進する「改憲派」の主張は、時代の変化や安全保障環境の変容を背景に、多岐にわたっている。主に「今の憲法では現実に対応しきれない」という現実主義的な視点と「自前の憲法を持つべき」という主権意識が根底にある。改憲派が最も重視する項目自衛隊の明記(第9条)である。現行の9条は「戦力不保持」を掲げているが、現実には自衛隊が存在している。この「憲法と現実の乖離」を埋めるため、自衛隊の存在を憲法に明記し、違憲論争に終止符を打つべきだとしている。

憲法""

国防の法的根拠は国際情勢が緊迫する中、国の平和を守る組織の法的根拠を最高法規に記すことで、隊員の誇りや身分を保証すべきという主張である。日本において憲法改正に反対する人々(改憲反対派・護憲派)の主張は、主に「平和主義の維持」「立憲主義の守護」「国民の権利の変質への懸念」の3点に集約される。最も大きな争点となっているのが、憲法第9条の改定である。自衛隊を明記したり、集団的自衛権の行使を認めたりすることで、日本が米国の戦争に追従し、戦場になるリスクが高まると主張されている。戦後、日本が一度も直接的な戦争に関与してこなかったのは、第9条という「歯止め」があったからこそであり、これを変えることは国際的な信頼や独自の外交力を失うことになるとの見方だ。改憲の動機が「政府がやりたいことをやりやすくするため」であるならば、それは本来の憲法の役割(権力制限)に逆行するという主張である。そして災害や有事の際に政府に権限を集中させる「緊急事態条項」の新設に対し「内閣による独裁を許す恐れがある」「人権が過度に制限される」と強く警戒しざるを得ない。自民党の憲法改正草案(2012年)などを引き合いに出し、人権の在り方の変化を危惧する声がある。草案等で見られる「個人」という表現の変更や、家族の助け合いの義務化などが「個人の尊厳」よりも「国家や共同体」を優先する思想への転換ではないかと批判されている。「公共の福祉」を「公の秩序」と言い換えることで、政府にとって都合の悪い表現活動や権利が制限されやすくなるという懸念である。下記リンク先は総務省公式サイトの解説「国民投票の仕組み」です

総務省  国民投票制度の概要 | 国民投票の仕組み| 憲法改正の発議 | 国民投票の期日 | 総務省の公式サイト

2026年2月18日

ケンタッキー州の炭鉱産業の現状と炭鉱跡を巡るツアー

Field Trip
Field Trip to River View Coal Mine in Morganfield, Union County, Kentucky

ケンタッキー州の炭鉱産業はかつての黄金時代から大きく変貌し、現在は構造的な衰退とエネルギー転換の過渡期にある。2000年代初頭には約15,000人いた炭鉱作業員は、現在では4,000人を下回る規模(約3,500〜3,800人前後)まで減少している。これは統計開始以来、最低水準に近い数字である。かつてはアパラチア山脈側の東部ケンタッキーが主力だったが、現在は採掘コストの低い西部ケンタッキーが生産の主導権を握っている。しかし州全体の生産量は、安価な天然ガスや再生可能エネルギーへのシフトにより、2020年代に入っても減少が止まっていない。一般的な発電用の石炭(一般炭)が苦戦する一方で、ケンタッキー州、特に東部地域には製鉄用(コークス用)の高品位な石炭(メタ石炭/原料炭)が残っている。世界的な鉄鋼需要、特にアジア圏への輸出が現在の炭鉱経営の「命綱」となっており、エネルギー市場とは異なる動向で一部の鉱山が維持されている。石炭産業の衰退は、単なる経済の問題だけでなく、地域社会に深い影響を及ぼしている。炭鉱閉鎖に伴う失業者に対し、ITスキルや再生可能エネルギー関連の職業訓練を行うプログラムが進められている。過去の採掘による水質汚染や、炭鉱労働者に特有の「黒肺病(じん肺)」の再流行が深刻な社会問題となっている。これに対する医療支援や環境修復(ランド・リクラメーション)に予算が投じられている。2025年から2026年にかけて連邦政府による環境規制の強化と、それに対する州政府の反発という政治的な対立も続いており、業界の先行きには不透明感が漂っている。現在のケンタッキー州において石炭は「かつての経済の主役」から「特定の輸出需要に応えるニッチな産業」へと変化しているのである。州の経済政策も、石炭への依存を減らし、製造業やテクノロジー産業を誘致する方向へと大きく舵を切っている。

ケンタッキー州は「ブルーグラス・ステート」として知られているが、その歴史を語る上で石炭産業は欠かせない要素だ。かつての炭鉱跡を巡るツアーは、当時の過酷な労働環境やコミュニティの絆を体感できる非常に重厚な体験になる。 東部のリンチにある炭鉱跡はかつて世界最大の石炭埋蔵量を誇った場所の一つである。観光用のレールカー(トロッコ)に乗って、地下深くの坑道へと入って行く。1917年の創業時から閉山までの歴史を、最新の音響・映像演出(アニメトロニクスなど)を使って再現しているのである。当時の炭鉱夫たちの生活がリアルに伝わって来る。ビッグ・サウス・フォーク国立河川公園には、かつての炭鉱町を丸ごと保存した野外博物館がある。ゴースト・ストラクチャーと呼ばれる、かつての建物の骨組みを再現した展示があり、オーディオガイドを通じて住民の生の声(録音)を聞くことができる。炭鉱ツアーに参加する際の注意点気温: 坑内は一年中一定の気温に保たれていることが多い。夏場でも薄手のジャケットや長袖を持っていくことが奨められている。炭鉱といえば前エントリー「ドナルド・トランプ政権が気候変動対策における政府の権限を剥奪」に詳述した通り大統領は気候変動が人間の健康と環境を脅かすという科学的発見を消し去ると発表した。かつて私もカンバーランドの炭鉱を訪れたことがあるが、ラストベルト(赤錆地帯)だった。J・D・ヴァンス副大統領の回顧録『ヒルビリー・エレジー』に活写されている。かつて鉄鋼業などで栄えた地 域の荒廃、自らの家族も含めた貧しい白人労働者階層の独特の文化、悲惨な日常を描 いた本書は、トランプ現象を読み解く一冊 として世界中でセンセーションを巻き起こした。その半面アパラチア山脈は伝承音楽の宝庫であり、私が憧憬してやまない地域でもある。下記リンク先はカントリー歌手ロレッタ・リンの自伝的ヒット作品『炭鉱夫の娘』です。

YouTube  Coal Miner's Daughter by Loretta Lynn born in Butcher Hollow, Kentucky, United States

2026年2月16日

セルフサービス考現学

Self-Order Panel
セルフオーダーパネル(マクドナルド金閣寺店

キャプテン・クック(1728-1779)がハワイ諸島を「発見」した200周年記念行事があったのは1978年だったが、そのころ雑誌の取材でホノルルに比較的長い間滞在した。名前は忘れたがある日、大きなステーキハウスに入った。席についたが誰も注文を取りに来ない。厨房のカウンターで注文を取るシステムだった。肉の種類と焼き方を告げると、確か番号札を渡されたように記憶している。アナウンスがあり、再びカウンターに行って料理を受け取ったが、安かったという印象が残った。ホノルルで「ウェイターを介さず、自分でステーキを焼くスタイル」を楽しめるレストランは、かつて非常に人気があったが、現在は選択肢が限られているという。セルフサービス(料理を自分で運んだり焼いたりするスタイル)の増加は人口減少や深刻な人手不足と密接に関係しているようだ。特にハワイのような観光地や、日本国内の飲食業界においてこの傾向は顕著。少子高齢化や人口減少により、サービスを支える若年労働者が物理的に減少していること。そしてウェイターが各テーブルを回る「フルサービス」は、人件費が非常に高くつくこと。アメリカでは人手不足を背景に最低賃金が上昇し続けている。料理を客が運ぶスタイルにすることで、フロアスタッフの人数を最小限に抑え、料理の価格上昇を緩やかにしたり、利益を確保したりしている。といった点が理由になっているようだ。ウェイターといえばパリのカフェやレストランの(ャルソンは世襲制だと聴いたことがある。ではなぜ世襲制という「都市伝説」が生まれたのか。パリの老舗カフェのウェイターは単なる「アルバイト」ではなくギャルソン・ド・カフェという立派な専門職として認識されている。狭いテーブルの間をすり抜ける身のこなし、注文をすべて暗記する記憶力、独特の計算方法などは、長年の経験が必要な職人技である。終身雇用的な側面: かつては一つの店で何十年も勤め上げるのが一般的でした。そのため客側も「いつ行ってもあの人がいる」という印象を持ち、それが「家系で継いでいるのではないか」という錯覚を生んだ可能性がある。

self-service

昔ながらのフランス料理業界では、親から子へというよりは師匠から弟子へ技術を伝える徒弟制度が強く根付いていた。若い見習いがベテランの背中を見て育つ文化が、外から見ると伝統的な家系制度のように見えたのかもしれない。ギャルソンはもともと「男の子」を意味する言葉。かつて年配の給仕をボウヤ(ギャルソン)と呼んでいた名残があるが、これが家族経営的なニュアンスを与えた可能性も否定できない。 ところでユニクロのセルフレジシステムは、ユーザーから見れば「爆速で終わる魔法のレジ」だが、その裏側にある「人手不足」との関係はなかなか興味深いものがある。なぜセルフレジでも「人手不足」を感じるのか。会計が自動化されてスタッフが不要に見えるが、実際には「人の手」が依然として必要である。私のような現金派で、操作が苦手な客への個別対応に追われている。しかしユニクロはこのシステムで「レジ打ちという単純作業」を極限まで減らすことができた。近所にマクドナルドが改装後、セルフオーダーパネル(セルフオーダーレジ)が導入された。裏表6台、つまり6人が注文を受付けてくれるわけだから、行列に並ばず、自分のペースでカスタマイズを選べるのが最大のメリットだろう。ただ使ってみると、階層が深いのが難点である。マクドナルドがセルフオーダーを積極的に導入している背景には単なる「人件費の削減」だけでなく、顧客体験の向上と売上アップを両立させる緻密な戦略があるようだ。人間よりも「おすすめ(提案)」が得意。注文の最後に「ご一緒にポテトはいかがですか?」や「デザートもおすすめですよ」と画像付きで提案される。 店員を前にすると焦ってしまう人も、画面越しならゆっくり検討でき、結果としてトッピングの追加やセットへのアップグレードが増える傾向にあり、実際、有人レジよりもセルフオーダーの方が平均客単価が高くなるというデータも出ているという。下記リンク先はオランダ・アムステルダムを本拠とする国際的な出版社、エルゼビアの公式サイトに掲載されている研究論文「セルフサービスキオスクの革新的なフレームワーク:顧客価値知識の統合」です。

book Innovative framework for the self-service kiosks: Integrating customer value knowledge