2026年5月12日

最後の貴族「釣魚迷」西園寺公一の奥日光湯川釣り旅行

西園寺公爵家

明治の宰相、西園寺公望の孫である公一(きんかず・1906-1993)は幼少期から釣りに親しみ「釣魚迷」(中国語で釣り狂い)と名乗るほどの釣り人に育った。同名のエッセーも残しており、その中の一編、「奥日光の鱒釣り名人勘蔵の思い出」が味わい深い。戦時中、公一は、日光湯元温泉の旅館に滞在し、英国製の竹竿を担いで湯ノ湖や湯川へ通った。お供はきこりの勘蔵じいさんだ。湯川の上流部は昼なお暗い原生林の中。静かに流れる透明な流れに、勘蔵自慢の毛針「金胡麻」「銀胡麻」を浮かす。すると宝石のように美しいカワマスやニジマスが飛び出してる。疲れるとクレソンが茂る川辺で、たき火を囲んだ。ある日、勘蔵が「旦那さア、いちど相談にのっていただきてえと思ってたことがありますだ」と切り出した。赤ん坊の頃に生き別れになった一人娘にひと目でも会いたいのだという。公一は力になると約束し「勘さん、思いつめずに、気ながに待つことさ」と慰める。

フライフィッシングが釣り人に人気の湯川(栃木県日光市)

エッセーではのんきな釣り三昧をつづっている公一だが、浮き沈みの激しい人生を送っている。オックスフォード大でマルクス経済学に傾倒。ジャーナリストから出発し、次第に政治の世界に足を踏み入れた。英国通の経歴を買われ、近衛文麿内閣のブレーンとして、英米との戦争を回避する道筋を探して奔走した。だが軍部、反英勢力の台頭で足をすくわれる。スパイ事件として知られるゾルゲ事件に連座して逮捕され、禁錮1年6カ月、執行猶予2年の有罪判決を受けた上、公爵の継承権も剥奪された。まもなく勘蔵は亡くなり、約束は果たせなかった。エッセーの最後は「それから、戦争。その後、奥日光の仙境へもアメリカ軍の将校や下士官が入ってきて、傍若無人にふるまう時期がくる」と結ばれている。日光の西洋毛鈎の歴史は明治時代にさかのぼる。避暑地の中禅寺湖畔には英仏伊など西欧諸国の別荘が立ち並び、外交官や家族たちが釣りやヨットで遊んだ。本国から取り寄せた魚を放し、欧州のような釣り場をつくった。

フライフィッシング

東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部が組織され、日本の政財界の名士も加わった社交界が生まれた。だが開戦の四一年、東条英機内閣は同クラブに活動停止、解散命令を出す。ひとつの文化の終えんを、公一は肌で感じていたに違いない。奥日光へ向かった5月中旬の高原は新緑が芽吹き始めたばかり。湯滝沿いを下り、湯川に入る。魚は出ず、1キロほど下流の小滝に着いた。高さ5メートルほどの滝だ。公一のエッセーに、湯川上流部は「ゴロッチョ」と呼ぶ沈み針が効くと書いてあった。巻いたばかりの沈み針を滝つぼの白泡の中へ放り込む。次の瞬間に釣り糸が狂ったように暴れ始めた。水中に目をやると走り回っているのは、30センチを超えるニジマス。5分ほどもやりとりをしたか。ネットを差し出したとき、ふっと糸の張りが消えてしまった。針が外れ、魚は淵へ消えていく。森はまた静寂に戻ったのだった。

book  西園寺公一回顧録『過ぎ去りし、昭和』 (人間の記録) 日本図書センター(2005年5月25日発売)

世界史遠望(5)第二次世界大戦の予行演習だったスペイン内戦

Republican Marines playing musical instruments
ゲルダ・タロー(1910-1937)スペインの戦艦の甲板上で楽器を演奏する海兵隊員たち(1937年2月)

スペイン内戦(1936-1939)は共和派の忠誠者と国民党の反乱軍の間で国を二分した残忍な紛争であり、しばしば隣人同士を対立させた。それは、ファシズム対民主主義という激しいイデオロギー闘争によって特徴づけられ、ヨーロッパで初めて大規模な民間人への空爆が行われるなど、大量虐殺の「温床」となった。アーネスト・ヘミングウェイ(1899-1961)の小説『誰がために鐘は鳴る』の共和派ゲリラ部隊に所属するアメリカ人志願兵ロバート・ジョーダンは、任務がしばしば死刑宣告のように感じられることを知っていた。1937年、スペインの山々の空気は冷たく、松の香りと今にも降り出しそうな雪の匂いが漂っていた。彼の任務は紙の上では単純だった。セゴビア攻勢の際に、国民党軍の増援部隊が渡る前に石橋を爆破することだ。彼は、ファシストによる残虐な処罰の印として頭を剃られた若いスペイン人女性、マリアが焚き火のそばで眠っているのを眺めていた。彼女は、戦争がこの孤独な収容所にもたらした数多くの傷ついたもののひとりだったが、同時に、彼が生きることを切実に望む理由でもあった。夜は静まり返り、過去1年間を特徴づけていた機関銃や航空爆弾の轟音とは対照的だった。

フランコ将軍""
バルセロナに入城するフランシスコ・フランコ将軍(1939年1月)

鉄の意志で部隊を支えてきた老女ピラールが、彼にワインの皮袋を手渡した。「彼らは日の出とともにやってくるわ、アメリカ人さん」と彼女はつぶやいた。「それなら準備は整います」と彼は答えた。彼は腕時計に目を落とした。戦争は無意味で、身近な暴力であり、モンタナでの教師生活は遠い、色あせた記憶へと変わってしまった。彼はもはや傍観者ではなく、瓦礫の一部、スペインの土壌に染み込んだ血の一部となり、急速に崩壊していく共和国のために戦っていた。たとえ勝利したとしても、戦争は敗北に終わり、ヘミングウェイの小説に描かれたような、勇気と恐怖の記憶だけが残るだろうと彼は悟っていた。この時代の主要なテーマ:忠誠心の分裂:戦争は同胞同士を対立させた。国際的な利害関係:それは国際的なファシズムと共産主義の間の代理戦争として機能した。この紛争は、国民党の勝利と長期にわたる独裁政権で終結した。この物語は、アーネスト・ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』のテーマと舞台設定に着想を得ている。文学作品としてはマルセー・ルドゥレダ(1908-1983)の『ダイヤモンド広場』が未だに脳裡から離れない。

ダイヤモンド広場
岩波文庫 (2019/8/21)
「私の意見では、内戦後にスペインで出版された最も美しい小説である」「初めてこの小説をスペイン語訳で読んだとき、私は目がくらむような衝撃を受けた。そしてそれから何度読み直したことか。そのうち何回かはカタルーニャ語で読んだのである」「たぶん、ルドゥレダは、私が知り合でもないのに訪ねて行った唯一の作家だと思う」

これは訳者あとがきに引用されている、ノーベル賞作家のガブリエル・ガルシア=マルケス(1927–2014)の言葉である。ガルシアは南米コロンビアに生まれ育ったが、マルセー・ルドゥレダを訪ねたのは、彼がバルセロナのサリア地区に住んでいた頃だろう。世界39以上の言語に翻訳されているカタルーニャ文学の代表作である。スペイン内戦前から戦後のバルセロナを舞台に、ひとりの女性の愛のゆくえを描いている。1970年代に日本でも翻訳出版されているが、いずれもフランス語訳からの重訳で、初めてカタルーニャ語から直接訳されたことになるという。この点はカタルーニャ文学の邦訳図書としては画期的だろう。下記リンク先はブリタニカ百科事典オンライン版の「スペイン内戦 | 定義、原因、概要、および事実」です。

britannica  Spanish Civil War | Definition, Causes, Summary and Facts, The Encyclopædia Britannica

2026年5月11日

シャリア(イスラム法)とは何か★その根拠とは

 Sharia Law
シャリアはムスリムの生活の多くの側面を規定する

シャリアは主に二つの文献資料に基づいている。一つはイスラム教の聖典であるクルアーン、もう一つは預言者ムハンマドの言行録であるスンナである。クルアーンは、7世紀のアラビアで大天使ガブリエルを通して預言者に23年間にわたって啓示された神の言葉であると信じられている。法的な問題に直面したときウラマー(学者)はまずクルアーンを参照する。しかしこの聖典は新約聖書よりも短く、主に法律に関するものではなく、具体的な命令に割かれているのは約10パーセントに過ぎない。クルアーンを参照しても法的な問題を解決できない場合は学者たちはスンナに頼る。スンナとは、 預言者に関するハディース、すなわち口頭伝承のことである。預言者の死後、 ハディースは編纂され、信憑性と主題に基づいて整理され、記録された。スンニ派とシーア派は、どのハディースが有効であるかについて意見が分かれている。法的な疑問に対する答えがクルアーンやスンナのどちらにも見つからない場合、学者たちはキヤースとイジュマーという2つの二次的な教義に頼る。キヤース(何かの長さ、重さ、または性質を測定または確認すること)は類推による推論である。キヤースの教義は、神がクルアーンの中で特定の行為を命じたり禁じたりしたのに理由があったいう考えに基づいている。キヤースの教義は、クルアーンまたはスンナの中で示された命令や立場が、元の事例から新たな事実関係へと拡張できるかどうかを検証する。イジュマー とは、預言者の「私の共同体(信者たち)は決して誤りを認めない」という宣言に基づき、法学者たちが確立した合意の原則である 。個々の学者の意見は決定的なものとはみなされないが、特定の事柄について合意が得られれば、それは最終的かつ拘束力のある法とみなされる。 イジュマーの法的権威は 、クルアーンとスンナに次ぐものである。預言者の死後最初の100年間で、特定の法体系を中心とする法学派や法思想の学派( マズハブ)が形成され始めた。当初は多数存在した法学派は、時を経て統合されていった。

Quran
イスラム教の聖典クルアーン

スンニ派にはハナフィー派、シャーフィイー派、マーリキー派、ハンバル派の4つの主要な学派があり、シーア派ではジャアファリー派が主流となっている。イスラム教徒が多数を占める多くの国では、法制度が完全にシャリアによって規定されているという認識がある。これはごく少数の国に限った話である。しかし、イスラム教徒が多数を占める国のほとんどは、シャリアの要素をコモンローや大陸法の枠組みに取り入れた混合法制度を採用しており、その他多くの国は完全に世俗的な法制度を採用している。シャリアの古典的なモデルを採用している国々は、シャリアをコモンローとして取り入れるか、シャリアの原則に完全または部分的に基づく法典を持つか、あるいは関連する統制法が存在しない場合にはシャリアを適用する。シャリアは、裁判官(統治政府から法的事件を裁く権限を与えられた者)とシャリア学者の双方によって並行して解釈されることがある。このモデルを採用している国には、サウジアラビア、イラン、モルディブなどがある。イランの最高指導者は、シャリア学者でなければならない。最高指導者は、公選された役人からなる審議機関である専門家会議によって選出される。最高指導者は、司法行政を監督する司法長官を任命する。イランの法制度は審問制であり、裁判所は成文化された法律を執行し適用する。第一審裁判所は、民事、家庭、刑事の各部門に分かれている。中間控訴裁判所と最高裁判所がある。専門裁判所には、軍事裁判所、聖職者裁判所、行政裁判所、仲裁裁判所がある。革命裁判所は、国家および国際安全保障に対する犯罪、政府に対する陰謀、スパイ行為、密輸、麻薬、および特定の金融犯罪を裁くのである。下記リンク先はオックスフォード大学法学部の「シャリアと死刑に関する入門」です。

クルアーン  An introduction to sharia & the death penalty | The Faculty of Law, University of Oxford

2026年5月10日

髙市早苗首相による憲法改竄を警戒する

憲法改竄
Google Gemini で生成した髙市早苗首の AI 画像

高市早苗首相とドナルド・トランプ米大統領には政治スタイルや主張にいくつか共通点がある。両者とも「自国優先」を強く打ち出す傾向があり、保守的なナショナリズム志向がある。高市は日本の安全保障や伝統重視を訴え、トランプはアメリカ第一を掲げた。はっきりした言い方や断定的な発信が多く強いリーダー像を演出、支持者からは「決断力がある」と評価されやすい点が似ている。高市は自民党内の保守派・右派支持層、トランプは共和党の保守派や愛国主義的な支持層から強い支持を受けている。高市は防衛力強化や憲法改定に前向きで、トランプも軍事力強化や国境管理強化を重視している。そして既存メディアとの対立姿勢を貫いている。トランプは大手メディアを激しく批判することで有名だが、高市も一部メディア報道に反論する場面が多く、支持者から「偏向報道に対抗している」と見られることがある。一方、両者には違いがある。特に大きい違いは政治のやり方である。

支持率
©2026 北海道新聞

高市早苗は、政策や制度設計を重視する「政策通」タイプで、保守色は強いものの、日本の官僚機構や党内調整を前提に動く傾向がある。一方ドナルド・トランプは既存政治への反発を背景に、支持者へ直接訴える「ポピュリスト型」の特徴が強い。また外交でも違いがある。高市は日米同盟を日本安全保障の軸として重視。トランプは「同盟国ももっと負担すべき」という考えを強く打ち出した。もうひとつの違いはトランプの支持率が落ち込んでいるが、髙市は今のところ高支持率を維持していることである。しかし最近は改憲に前のめりな髙市に対する大掛かりなデモが開催されている。いつまで強硬姿勢を保たれるかはなはだ怪しい。ところで改憲に関する動向だが、最近の世論調査では、全体として「改憲そのものには一定の賛成があるが、9条改正には慎重」という傾向が見られる。主な調査結果は次の通りである。

共同通信の調査
「改憲は必要」69%
「9条改正が必要」50%
「必要ない」48%で拮抗
「慎重な政党も含め幅広い合意形成を優先すべき」73%
読売新聞の調査
「憲法改正に賛成」57%
ただし「9条1項改正は不要」80%
朝日新聞の調査
「9条を変えない方がよい」63%
「変える方がよい」30%

つまり現在の世論は、憲法全体の見直しには比較的前向き。ただし戦争放棄を定めた9条には慎重論が強い。拙速な改憲より「国民的合意」を重視という状態である。また高市早苗が改憲議論を進めている影響もあり、改憲への関心自体は高まっているが、国民投票で必要となる「過半数の賛成」を確実に得られる状況かというと、まだ意見は割れていると見られている。昨今では「高市やめろ」「憲法守れ」「9条変えるな」というプラカードを掲げた大掛かりなデモも行われているが、さらなる護憲運動が強化されることを期待したい。下記リンク先は「前のめりにも映る政治の動きに危機感を募らせた有権者たちは街へ繰り出し、全国で反対の声を上げてデモを活発化させている」という東京新聞の記事です。

憲法  改憲を急ぎたい高市首相…「そもそも論」を置き去りのまま憲法施行79年、危機感を募らせる市民