2019年1月21日

ヴィクトリア朝の典雅な女性写真家たち

ケーブルレリーズを手にした貴婦人

ヴィクトリア朝(1837-1901)の女性写真家といえば、おそらく誰れしもが、英国のジュリア・マーガレット・キャメロン(1815–1879)を思い浮かべるに違いない。19世紀後半の写真芸術家として、今日に至るまでその評価は極めて高い。写真術はフランスのジョゼフ・ニセフォール・ニエプス(1765–1833)が1822年に発明した太陽で描くという意味の「ヘリオグラフィ」に始まる。黎明期の写真家は男たちだったが、20年後の1840年代には早くも女性の商業写真家が現れた。フランス、ドイツなどの西欧、そしてデンマーク、スウェーデンなどの北欧に集中、彼女たちはスタジオを持っていたという。そして英国では1850年代に貴族の家庭の女性たちが、芸術として写真という媒体を使い始めたのである。ちなみにキャメロンが写真家として歩み始めたのは1863年、娘からカメラを贈られたのがきっかけだった。ただ彼女は例外的存在で、多くの女性写真家の作品は美術館に展示されたり、出版されることがなく、今日に至るまで陽の目を見ていないと言えそうだ。女性が報道写真に進出したのは20世紀に入ってからだった。米国の写真芸術雑誌 "Don't Take Pictures"(写真を撮るな)の編集長、キャット・キーナンが同誌電子版で、カメラを手にしたヴィクトリア朝の女性写真家たちの写真を紹介しているが、その装束を見ると、貴族階級の女性たちだったという説明が頷ける。

iris Victorian Women Photographers With Their Cameras by Kat Kiernan

2019年1月19日

オンラインで利用可能になったオスマン帝国時代の写真

木造住宅に囲まれたアヤソフィア聖堂(1854)

煙草と珈琲を嗜む女性(1890)
カリフォルニア州のゲティ研究所が最近、フランス人の蒐集家ピエール・ド・ジゴールがトルコを旅行中に蒐集した、19世紀および20世紀初頭のオスマン帝国時代の写真、6,000枚以上をデジタル化した。現在、研究および教育目的なら無料でダウンロードできる。コレクションはオスマン帝国時代のさまざまな写真を網羅しており、ランドマーク建築、都市や自然の景観、数千年前の文明の遺跡、そして衰退していくオスマン帝国の最後の数十年間に生きた、多様な人々の賑やかな生活を描いてる。若い二人の女性の写真に目が留まったが、私は思わずトプカプ宮殿を連想した。しかし後宮(ハレム)の女性と断定することはできない。煙草に珈琲はつきものだが、トルコの諺である「煙草なしの珈琲はカバーがないマットレス」を思い出した。写真をこの諺を脚本に仕立てた演出写真の可能性がある。日本でも明治大正時代に芸妓をモデルにした絵葉書が作られたが、同じ類なのかもしれないのである。私は数度にわたってトルコ、主として古都イスタンブルを訪れたことがあるが、モスクに代表される建築群に圧倒された。木造住宅に囲まれたアヤソフィア聖堂などの写真を見ると、旅の思い出と共に、栄枯盛衰、オスマン帝国の無常が脳裡を駆け巡る。デジタルファイルにはゲティ研究所の検索サイトからアクセス可能である。大量の写真が蒐集され、残されてることに驚愕するが、これをダウンロードして利用できることは、素晴らしいの一言に尽きる。

WWWPierre de Gigord Collection of Photographs of the Ottoman Empire and the Republic of Turkey

2019年1月18日

原発のない社会へ 2019 びわこ集会

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日 時:2019年3月9日(土)10:00開始 15:00デモ出発
会 場:大津市膳所公園&生涯学習センター(大津市本丸町)077-527-0025
講 演:樋口英明「原発訴訟と裁判官の責任」
報 告:井戸謙一(弁護士)
会 費:500円
主 催:原発のないびわこ集会実行委員会 http://biwakoshukai.shiga-saku.net/

2019年1月16日

安倍政権の対露外交は破綻している

千島列島国境の歴史的変遷(ウィキペディア

安倍晋三首相は外交が得意だそうだ。なにしろ「フクシマはコントロール下にある」と、息を吸うように嘘をつき、五輪誘致をした御仁だから、その「実績」を自慢するのだろう。北方領土をめぐる日露交渉で、安倍首相がウラジーミル・プーチン大統領に対し「1956年の日ソ共同宣言に沿って歯舞群島、色丹島が日本に引き渡された後でも、日米安保条約に基づいて米軍基地を島に置くことはないと伝えた」という報道が記憶に新しい。しかし返す刀で大統領に「日本にどこまで主権があるのか分からない」と喝破された。日本の決定権を疑う例として、沖縄県のアメリカ軍基地を挙げ「知事も住民も反対しているのに基地は増強されている」と核心を突かれてしまったのである。ところで一昨日、セルゲイ・ラブロフ外相と河野太郎外相との間で、北方領土問題を含めた平和条約締結交渉の協議がスタートしたが、会談の前にロシアのマリヤ・ザハロワ報道官が国営テレビで「日本側が共同記者会見を拒否した」と暴露した。東京新聞15日付け電子版によると、会談ではラブロフ外相が日本側に北方領土の名称も含めて、厳しく詰め寄ったことが明らかになった。要するに「日本が国内法で『北方領土』と規定していることは受け入れられない」と言及したようだ。しかし河野外相は具体的な会談の中身を一切説明できなかったそうである。慌てた菅義偉官房長官は、旧ソ連やロシアによる「不法占拠」が続いていると記者会見で発言したが、国内向けに過ぎない。ロシア政府に直接主張しないと犬の遠吠えに終わってしまう。今月9日、安倍首相が年頭記者会見で、北方領土の帰属が「日本に変わることをロシア住民に理解してもらう」とした発言に、ロシア外務省は反発、領土返還を前提にした日本側の情報発信に対し強い姿勢に転じている。安倍首相は国内向けに嘘を発信する、二枚舌のペテン師である。来週22日に安倍首相が訪ロしてプーチン大統領と首脳会談が行われるが、期待せずに見守ることにしよう。プーチン大統領が交渉のテーブルにつくのは、日本からの経済援助を期待しているからだろう。本音は「北方領土は四島はおろか二島も返さないけど、お金は貰う」なのかもしれないのである。日露外交の主導権はロシアに握られたままだ。

2019年1月13日

孤高の剥製師ロン・ピッタードのフィッシュ芸術

Trout Salmon and Char of North America by Ron Pittard (W58xH95cm)

独自の技術で塗装するピッタード
東京で一人暮らしをしていた1980年代半ば、部屋に飾ってあった、北米の鱒、鮭、岩魚のポスターである。確かアラスカの釣具店で購入したもので、京都に舞い戻る際に、引越しのどさくさで失ってしまった。最近、ふとこのポスターのことを思い出したが、ネット通販店で入手可能なことが分かった。さっそく注文し、額装して飾ってみた。エドワード・グレイ著の『フライ・フィッシング』について書いたばかりだが、釣りをしない釣り師、私はアームチェア・アングラーの典型かもしれない。この大型図鑑ともいえるポスターを眺めていると何故か心が鎮まるのである。それにしても30年以上の時を経た邂逅、このポスターが超ロングセラーであることに驚く。当時ははおそらく作者について情報不足だったと思われるが、インターネットのお陰でその片鱗を窺い知ることができた。剥製技術に長年関わってきた、編集者ケン・エドワーズのブログ記事「孤高の名人」によると、ポスターを描いたのは魚類剥製師ロン・ピッタードだった。2012年11月に他界した魚の芸術家だったが、ごく少数の友人や顧客を除いては、会った人が稀有だったという。そして何と何年もの間、パソコンはおろか、電話機すら持っていなかったという。彼は優れた画家だったが、空間芸術ともいえる剥製あるいはレプリカ制作者だった。大物を釣った場合、日本の釣り師は魚拓を作る。ところが欧米では剥製にする。またレプリカは、魚を複製した精密模型であるが、ピッタードのそれは芸術の高みに達していたという。コンベンションに参加しなかったのも、孤高の芸術家たる所以かもしれない。