2017年6月21日

高層住宅火災の犠牲になった若き女性写真芸術家

カディジャ・セイ「自写像」(第57回ヴェネチア・ビエンナーレ出展作品)

英国の「ブリティッシュ・ジャーナル・オブ・フォトグラフィー」誌によると、6月14日、ロンドンの24階建て高層公営住宅「グレンフェル・タワー」で起きた火災で、将来を有望視されていた若き女性写真芸術家が亡くなった。カディジャ・セイ(Khadija Saye)、24歳。カディジャはガンビア人の母親と20階に住んでいた。名門ラグビー・スクールの奨学金で16歳まで一般教育を受けた後、彼女はUCA芸術大学の写真コースに進み、そこで彼女自身のアイデンティと、ガンビアの文化遺産をテーマに制作するようになった。卒業後、トッテム地区出身の労働党政治家デイビット・ラミーと結婚した肖像写真家、二コラ・グリーンに師事する。そして彼女は今年の第57回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展ディアスポラ館出展のため、シリーズ「住居:私たちが呼吸するこの空間(Dwelling: in this space we breathe)」を選んだ。これはまさにグレンフェル・タワーの生活における、ガンビアの伝統的精神の具現化だったようだ。火災が起こる前の5月10日、カディジャは「本当の旅だった。ママ、私はヴェネチアで展示されてる芸術家よ」とツイートしたという。

2017年6月17日

東松照明さんと太陽の鉛筆

東松照明『太陽の鉛筆』(毎日新聞社1975年)

浅間山荘事件があった1972年、私は東京に移り、中野に居を構えた。翌年、写真家の富山治夫さんがアパートを引き払うことになり、暗室があったので、そこに移り住んだ。新宿のど真ん中、屋上に上がると天空を占拠した高層ビルが迫ってきた。近所に東松照明さんが住んでいて、その頃のメモにはこんな下りがある。
東松照明さんは籠から文鳥を出すと手のひらに乗せた。二眼レフというのはねぇ、おじぎカメラと言うんだ。亜熱帯をテーマにした『太陽の鉛筆』をカメラ雑誌に連載してるころだった。ふつうのカメラはファインダーを覗くと直視する形になるだろ。二眼だと下を見るから相手は安心する。おじぎ、そうなんだよね。おじぎをして撮らせてもらうのさ。ふーん。私は関心する。それにしても太陽の鉛筆ってうまい表現だなと私は思った。スタッフっていろいろたいへんらしいね、と東松さんは言う。この間、毎日新聞のカメラマンもぼやいていたよ。そうですか? そんなことありません、楽ですよ。(『私的写真論への覚え書き』より)
その『太陽の鉛筆』は1975年に毎日新聞社から「カメラ毎日別冊」として出版された。前半は沖縄で撮影された35ミリカメラによるモノクロ写真だが、後半はローライフレックスで撮影された台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシア、ベトナム、タイ、シンガポールなどの島々および沖縄のカラー写真である。モノクロも良いが、色鮮やかなカラー写真も素晴らしい。まさにアジアの色である。東松さんはこのシリーズで、沖縄は琉球ネシアであり、日本本土ではなく、むしろ東南アジアと「海上の道で」でつながっていると主張したかったのかもしれない。いずれにせよ、この写真集が東松さんの代表作となった。初版オリジナルを所持しているが、私にとっては強い影響を受けた、手放しがたい一冊である。

2017年6月16日

ジュリアン・レノン写真展「CYCLE」京都で開催


期 間:2017年6月23日(金)~9月17日(日)11:00~19:00(月曜休館)
会 場:ライカギャラリー京都(京都市東山区祇園町南側)075-532-0320

イングランドのリヴァプールで生まれたジュリアン・レノン(ジョン・レノンと最初の妻シンシアの長男)は若い頃から芸術の道を進み始め、生まれながらの才能を音楽活動で発揮してきました。しかしその才能は音楽にとどまらず、映画やビジュアルアートまで多岐におよび、豊かな人生観をもとに、音楽活動、ドキュメンタリー映画の制作、慈善活動、そして写真にも、自分ならではの表現力を注ぎ込んでいます。2010年9月にマンハッタンで開催された、U2と絵画的な風景を捉えた初の写真展「Timeless」では、撮影者としての力量を余すところなく披露しました。それ以降もジュリアンは米国や欧州で「Alone」コレクションをはじめとした数々の写真展を開き、最近では写真と慈善活動を融合させた「Horizon」(きれいな飲料水を緊急に必要としているアフリカの各地域のために活動している「Charity: Water」と「ホワイト・フェザー基金」と協力)を展開しています。ジュリアンはケニアとエチオピアを巡ってさまざまな写真を撮影し、見る者が写真を通じてその土地固有の文化について学び、現地の窮状も認識できるような機会を提供しています。

2017年6月14日

悟ってない自分を痛感する断捨離

捨てがたい書籍が書棚に並んでいる

やや旧聞になるが、5月4日付けマイナビニュースによると、俳優の高橋英樹氏が、33トン分の断捨離実行したところ「ゴミ屋敷に近い量の物があった」という。彼は同じ中学校の同期生だが「70歳を超えたし、うちにある物を全部処分しよう」と思ったからだったという。断捨離とは必要もないもの、使わないものを手放すことで、やましたひでこ氏の登録商標だそうである。私も身の回りを整理して身軽になりたいという願望がある。じゃあ何を捨てるか。自分が撮影した写真が掲載されてる雑誌の切り抜き帳は捨てがたいが、ある程度コンパクトに纏めることができるだろう、問題はレコードと書籍である。古いLPレコードは惜しいけど、売却しても良いと思っている。CDのみにすれば、プレーヤーなども処分できる。さらにCDもNASにストレージ、ディスクそのものを処分するという手があるが、ちょっと躊躇われる。次に書籍だが、これを断捨離するのは厄介である。例えば2年間開かなかった書籍は、おそらく今後とも読む可能性がないだろう。だから売却しても良いような気がする。ところが不思議なもので、読まなくとも、その背が視界にあるだけで安らぐ。これらが消えたらきっと寂しくなるだろう。しかし本当に必要ない大型本は少しずつ処分しようと思う。文庫本の類は電子書籍に切り替えることも可能だが、紙の感触はこれまた捨てがたい。実に悩ましいが、すべてが手元から離れたら、ずいぶんすっきりするだろうと想像する。断捨離に躊躇、悟ってない自分を痛感する。

2017年6月12日

突然 Facebook にログインできなくなって


昨日の朝、ソーシャルメディア Facebook にアクセスしようとしたところ、ページのコンテンツが削除されたというメッセージが表示され、ログインできない状態になっていた。どうやら原因は、上掲の写真を投稿したためらしかった。これはマルチタレント、マドンナの無名時代、プロモーション用に撮影されたもので、その写真集の紹介のつもりだった。Facebook は利用規約に従っていないコンテンツを投稿すると、アカウントを一時凍結か、最悪の場合は剥奪されてしまうようだ。利用規約には次のような一項がある。
差別的、脅威的、またはわいせつ的なコンテンツや、暴力を誘発するようなコンテンツ、ヌードや不当な暴力の描写が含まれるコンテンツは投稿できません。
これを読むとヌード写真が、猥褻あるいは暴力を誘発するコンテンツと同列に扱われている。マドンナの写真はポルノグラフィーではないし、決して猥褻じゃないと私は思う。この写真集は日本国内でも堂々と市販されているものだし、その判断は不当だと感ずる。しかし「利用規約に反している」と指摘されれば、ユーザーは反論できない。しかし当該写真を削除した旨を伝えてくれるだけで良かったんじゃないかと思う。24時間後にログインできるようになったが、いきなりアクセス拒否する前に助言して欲しかった。