2026年9月4日

豊かな自然と「エメラルドの島」アイルランド撮影行

Kids in a car
Kids in a car, Belfast
車窓の少年たち(ベルファスト)
Uilleann Pipes Factory
Uilleann Pipes Factory, Belfast
イリアンパイプス工房(ベルファスト)
Bride's Friend
Bride's Friends, Belfast
花嫁の友人たち(ベルファスト)
rainbow
Rainbow, Greysteel, Co. Derry
虹(デリー郡グレイスティール)
Ramore Restaurant
Ramore Restaurant, Antrim, Co. Antrim
ラモアレストラン(アントリム郡アントリム)
Dusk,
Dusk, Derry, Co. Derry
夕暮れ(デリー郡デリー)
Crossing
Crossing, Derry, Co. Derry
交差点(デリー郡デリー)
Sean-Nós
Sean-Nós, Derry, Co. Derry
シャン・ノース(デリー郡デリー)
Folksong Concert
Traditional Folksong Concert, Co. Derry
伝統民謡コンサート(デリー郡デリー)
Folk Dance Contest
Folk Dance Contest at City Hal, Derry, Co. Derry
市庁舎でのフォークダンスコンテスト(デリー郡デリー)
Father and Daughter
Father and Daughter, Benburb Co. Tyrone
父と娘(ティロン郡ベンバーブ)
Dawn
Dawn, Limerick, Co. Limerick
夜明け (リメリック郡リメリック)
Dusk
Dusk, Limerick, Co. Limeric
夕暮れ(リメリック郡リメリック)
After Movie
After Movie, Limerick, Co. Limeric
映画がはねて(リメリック郡リメリック)
Cattle Call
Cattle Call, Doolin, Co. Clare
移牧(クレア郡ドゥーリン)
Sisters
Sisters, Kilfenora, Co. Clare
姉妹(クレア郡キルフェノラ)
Fiddle School
Fiddle School, Kilfenora, Co. Clare
フィドル教室(クレア郡キルフェノラ)
cabin
Cabin, Doolin, Co. Clare
船室(クレア郡ドゥーリン)
Barn
White Wall, Inishmore Islands, Co. Galway
白壁(ゴールウェー郡イニシュモア島)
Hello
Hello, Limerick, Co. Limerick
こんにちは(リムリック郡リムリック)
Chattering
Chattering, Dublin, Co, Dublin
おしゃべり(ダブリン郡ダブリン)
Shamrock
Shirt with a shamrock print, Dubli, Co, Dublin
シャムロックをプリントしたシャツ(ダブリン)
Temple Bar
Temple Bar, Dublin, Co, Dublin
テンプル・バー(ダブリン)

I traveled around Ireland in 1987 and 1995.. Photogaraphs were taken by LeicaM4, Konica Hexar and NikonF4 with Kodak Kodachrome64 and Fujichrome Provia100.

Shamrock

1987年と1995年にアイルランド島(アイルランド居倭国および英国北アイルランド)を旅しました。温暖で湿潤な海洋性気候と豊かな降水量がもたらす、国土の至る所に広がる鮮やかな緑の牧草地や丘陵地帯から「エメラルド・アイルランド(The Emerald Isle)」という愛称で呼ばれています。自然と景観: 断崖絶壁の海岸線や氷河時代に削られたフィヨルド、そして中央部に広がる泥炭地(ピートランド)など、ドラマチックで手つかずの大自然が残されている。西海岸にある「モールの断崖(Cliffs of Moher)」や、古代の岩石が規則正しく並ぶ「ジャイアンツ・コーズウェー」などが有名です。歴史と文化: ケルト文化の歴史が深く根付いており、独自のケルト音楽、ダンス(アイアン・ダンス)、そしてアイルランド語(ゲール語)の伝統が息づいています。またギネスビールに代表されるパブ文化や、数多くのノーベル文学賞作家(ジョイス、イェイツ、ベケットなど)を生み出した豊かな文学の土壌でも知られています。 写真はライカM4、コニカ・ヘクサー、ニコンF4で、コダックのコダクローム64と富士フイルムのプロビア100を使って撮影しました。下記リンク先はワシントンD.C.のジョージタウン大学文理学部ダラグ・ガノン助教授による「アイルランド文化がこれほど人気なのはなぜ?アイルランドの《グリーンウェーブ》を解説」です。

university  Why is Irish Culture So Popular? Explaining Ireland's "Green Wave" by Darragh Gannon

2026年9月1日

音楽雑話(3)スコットランド古謡『バーバラ・アレン』南部アパラチアへの旅

Barbara Allen
オリーブ・デイム・キャンベル

10年前の2016年に「南部アパラチアで英国古謡を蒐集した民謡研究家」と題した一文を当ブログに掲載した。2000年に公開されたマギー・グリーンウォルド監督作品 "Songcatcher"(邦題『歌追い人』) のモデルは "English Folk Songs From The Southern Appalachians"(南部アパラチアの英国民謡)を著した、英国の音楽研究家セシル・シャープ(1859-1924)と、マサチューセッツ州メドフォード出身の民謡蒐集家のオリーブ・デイム・キャンベル(1882-1954)だったが、史実と違うという主旨だった。挿入歌にはエミルー・ハリスやヘイゼル・ディッケンズなどのカントリー音楽の歌い手も加わっていたのだが、所詮ハリウッド仕立て娯楽映画と割り切ったのだろうか。今もこの点は残念に思っているが、映画全篇に流れた音楽は素晴らしいものだった。特にエミー・ロッサム扮する少女がスコットランド古謡『バーバラ・アレン』を歌うシーンが印象的だった。ただ無伴奏ゆえ冗長に過ぎると判断したのだろうか、2番までしか歌われていなかったのが惜しい。

Barbara Allen (Lyrics sung by Joan Baez)

T'was in the merry month of May
When green buds all were swelling
Sweet William on his death bed lay
For love of Barbara Allen

He sent his servant to the town
To the place where she was dwelling
Saying, "You must come, to my master dear
If your name be Barbara Allen"

So slowly, slowly she got up
And slowly she drew nigh him
And the only words to him did say
"Young man, I think you're dying"

He turned his face unto the wall
And death was in him welling
"Goodbye, goodbye to my friends all
Be good to Barbara Allen"

When he was dead and laid in grave
She heard the death bells knelling
And every stroke to her did say
"Hard hearted Barbara Allen"
You might also like

"Oh mother, oh mother, go dig my grave
Make it both long and narrow
Sweet William died of love for me
And I will die of sorrow"

"And father, oh father, go dig my grave
Make it both long and narrow
Sweet William died on yesterday
And I will die tomorrow"

Barbara Allen was buried in the old churchyard
Sweet William was buried beside her
Out of sweet William's heart, there grew a rose
Out of Barbara Allen's, a briar

They grew and grew in the old churchyard
Till they could grow no higher
At the end they formed a true lover's knot
And the rose grew round the briar
English Folk Song

このバラードには実にさまざまなバリエーションがあるが、映画ではジョージア州ハーバーシャム郡のフローレンス・マッキニーが、1910年に歌った歌詞とメロディーが採用されている。シャープが米国に滞在したのは1916年から1918年だから、蒐集したのはキャンベルだった。というか、収録曲の多くをキャンベルが蒐集したのではと私は想像している。1917年の初版にあったキャンベルの名が、民謡蒐集家モード・カープルズ(1885–1976)が編纂に加わった1932年の改訂版から消えているのがちょっと腑に落ちない。現在は2012年に出版された2分冊の新装版が日本でも入手可能である。それはともかく『バーバラ・アレン』は本国で忘れかけていたバラードだった。これを掬い上げ、蘇らせたシャープの功績は大きい。そしてエミー・ロッサムばかりではなく、ジュディ・コリンズ、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、エミルー・ハリス、エディ・アーノルド、マック・ワイズマン、ハイロ・ブラウン、テネシー・アーニーフォード、エバリー・ブラザーズ、ドリス・デー、ドリー・パートンなど、知り得る限りのフォーク&カントリー系ミュージシャンがこの歌を取り上げている。おそらく300を上回る録音が残されているのではないだろうか。下記音楽共有サイト SoundCloud で、エミー・ロッサムおよびエミルー・ハリスの『バーバラ・アレン』を続けて聴取することができます。

SoundCloud  Barbara Allen sung by Emmy Rossum and Emmylou Harris from the movie "Songcatcher"

2026年8月30日

音楽雑話(2)カタルーニャにおけるフラメンコの歴史

flamenco en Cataluña
Bailarina de flamenco de Cataluña

フラメンコと闘牛は、スペインで最もよく知られた伝統である。しかし今日では闘牛は以前ほど高く評価されておらず、時代遅れの伝統と見なされ、若い世代は興味を示していない。現代社会は動物虐待に対する意識が非常に高く、カタルーニャでは2012年から闘牛が禁止されている。スペインで最も有名な舞踊と音楽のスタイルであるフラメンコは2010年、ユネスコによって世界無形文化遺産に登録された。観光客や地元の人の中には「フラメンコはカタルーニャ発祥ではなく、アンダルシア発祥だから、バルセロナはフラメンコを見るのに適した場所ではない」と言う人がいる。しかし、それは実際には正しくない。より正確に言うと、現在ではカタルーニャよりもアンダルシアの方が、生のフラメンコショーを見られる場所が多いということに過ぎない。フラメンコの起源に関する専門家の調査に基づき、フラメンコがどのように、 いつ、どこで生まれたのかを簡単に説明したい。フラメンコは、14世紀半ばにインドからヨーロッパにやって来て、遊牧生活を送っていたため大陸全体に広がったロマ(ジプシー)と密接な関係がある。

flamenco
Una apasionada bailaora de flamenco catalaña

肌の色と当時の社会の無知のため、彼らはエジプト人だと信じられていた。「ジプシー」という言葉は「エジプト」という言葉の語源的変化である。彼らは15世紀初頭に、ヨーロッパの他の地域で見つけたよりも温暖な気候を求めてスペインにやって来た。一部は北アフリカからスペイン南部(アンダルシア)にやって来て、また一部はフランスからスペイン北部(カタルーニャ)にやって来てそこに定住した。フラメンコは実際には、ムーア人、ユダヤ人、ビザンチン人の聖歌、中世のグレゴリオ聖歌、そしてスペインの民謡が融合したものである。公式には、フラメンコのスタイルは19世紀後半にスペイン南部と北部の両方で生まれたとされている。それではフラメンコはアンダルシア発祥なの? 実際にはフラメンコはアンダルシア発祥だという考えは正しくない。ジプシーはスペインの南部と北部の両方に到達した。彼らはカタルーニャにもやって来た。したがって、フラメンコはカタルーニャの音楽でもあるのだ。

Carmen Amaya
Carmen Amaya (1918-1963)

19世紀末には、カタルーニャ地方にはスペインの他の地域よりも多くの「タブラオ」が存在していた。 また、エンリック・グラナドスやイサーク・アルベニスといった偉大な作曲家の中には、カタルーニャ出身者もいた。偉大なダンサー、カルメン・アマヤはカタルーニャ出身で、バルセロナ生まれだった。タブラオはフラメンコショーを専門とする小さな劇場のようなもので、非常に親密な雰囲気を提供している。興味深いことに、タブラオという 言葉は、英語で「木の板」を意味する tabla または tablón に由来している。舞台はタブラと呼ばれる板でできており、その板は演者の靴が叩く音を楽しむのに最適である。地中海沿岸の都市バルセロナは、地理的な立地が商業に開かれていたこと、アンダルシア地方からの人々の絶え間ない移住、あるいはあらゆる外国の芸術表現に開かれた居心地の良い都市であったことなどから、セビリアやマドリードと並んで、最初のシンギングカフェがオープンした都市の一つとなった。カタルーニャにおけるフラメンコの成功を想像するには、19世紀半ば、ロマン主義の時代に遡る必要がある。

Sabor de Gràcia
Sabor de Gràcia, un grup referent de la lamenco en Cataluña

1847年、バルセロナのオペラ劇場グラン・テアトル・リセウが開場した。セビリアでは最初の歌のカフェ、エル・ブッレーロが開場し、カタルーニャ人のナルシソ・ボナプラタとバスク人のホセ・マリア・イバラによって創設された最初の4月祭と同時期だった。世紀末までにバルセロナには 47 軒の歌うカフェがあり、その中でもカフェ・セビジャーノ、ヴィラ・ローザ、コンシエルト・バルセロネス、コンシエルト・セビリア、グラン・ペーニャ、コンシエルト トリアナが際立っていた。カフェ・デル・プエルトとカフェ・デ・ラ・アレグリアは、1887年からエデン・コンサートに名前を変えた。1908年には、ファイコ、マリア・パントハ、フアナ・オルテガ、エストレリータ・カストロ、そして初期のカルメン・アマヤや歌手のフェルナンド・エル・デ・トリアナもここで成功した。バルセロナの歴史を無視する人は、コルドベスがランブラ通りにあるのは観光地だから、あるいは観光施設だからだと勘違いするかもしれない。下記リンク先はラ食事ができるフラメンコ専用劇場エル・タブラオ・デ・カルメンによる「バルセロナのフラメンコ:19世紀におけるフラメンコ芸術の成功」です。

dance La historia del flamenco en Cataluña: el éxito del arte jondo en el siglo XIX | El TABLAO

2026年8月29日

多様性と混沌の大地インド素描 1978 年

hepherd
Shepherd on the road near Agra
アグラ近郊の羊飼い
Old Man
Old man, Chandni Chowk, Delhi
チャンドニー・チョークの古老
Chandni Chowk,
Chandni Chowk, Delhi
チャンドニー・チョーク
Greengrocery
Greengrocery, Chandni Chowk, Delhi
チャンドニー・チョークの八百屋さん
>Cinema
Cinema, Chandni Chowk, Delhi
チャンドニー・チョークの映画館
Rickshaw, OLd Delhi
オールド・デリーの人力車
Kitchen
Kitchen, Chandni Chowk, Delhi
チャンドニー・チョークの厨房
Rush Hour
Rush Hour,Chandni Chowk, Delhi
チャンドニー・チョークのラッシュアワー
farmers
Smiling people, Andhra Pradesh
アーンドラ・プラデーシュ州の笑顔の人々
Kindergarten students
幼稚園児たち(撮影場所不詳)
Kindergarten students
The Bus, Cape Comorin, Kanyakumari
カンニヤークマリ州コモリン岬のバス
Farmers in Kerala
Farmers in Kerala
ケララ州の農民たち
Fishermamen
Fishermamen, Cochin, Kerala
ケララ州コチンの漁師
Banana Shop
Banana Shop in South India
南インドのバナナ店

A large-scale concert titled “Rolling Coconut Review Japan,” held to support the conservation of marine mammals such as dolphins, took place from April 8 to 10, 1977, at the Harumi International Trade Center in Tokyo. I formed a group of photographers called "Fisheye ’77" and took photographs documenting the event. Through that connection, in April of the following year, I joined a group traveling to India—including Tadanori Yokoo and Haruomi Hosono as a photographer. After returning to Japan, the LP album "Cochin Moon*" featuring songs composed by Haruomi Hosono and performed by the Yellow Magic Band, was released; the album cover was a collage created by Tadanori Yokoo using photographs I had taken of Indian movie posters.

Cochin Moon

イルカなどの海洋哺乳類保護運動を支援する、大がかりなコンサート「ローリング・ココナッツ・レヴュー・ジャパン」が1977年4月8日~10日、東京・晴海国際貿易センターで開催された。私は Fisheye '77 という写真家グループを結成してその記録写真を撮った。その縁で翌年4月、カメラマンとして横尾忠則、細野晴臣らのインド旅行団に加わった。帰国後、細野晴臣が作った曲を、イエロー・マジック・バンドが演奏したLPアルバム「コチンの月(COCHIN MOON)」がリリースされたが、ジャケットは私が撮ったインド映画の看板を横尾忠則がコラージュした作品だった。

Blogger 写真少年漂流記「イエロー・マジック・オーケストラ結成前夜のコチンの月」印度旅行1978年4月