2026年10月14日

音楽雑話(7)スコットランド移民によってもたされたケープ・ブレトンのフィドル音楽

ケープ・ブレトン(カナダ東部大西洋岸ノバスコシア州にある島)のフィドル音楽は、ケルト音楽のイディオムに属する地域的なヴァイオリンのスタイルである。ケープ・ブレトンのフィドル音楽でより主流となっているスタイルは、ハイランド・クリアランス、すなわち住民の強制立ち退きとそれに伴う歴史的動乱の際に、スコットランド移民によって北アメリカにもたらされた。これらのスコットランド移民は主にハイランドとルイス・ハリス島をはじめ、ノース・ウイスト島、ンベキュラ島、サウス・ウイスト島、バラ島など、大小あわせて100以上の島々のゲール語圏出身だった。スコットランドではこの時代以降フィドルは変化したが、スコットランドのフィドル音楽の伝統はケープブレトンでよりよく保存されていると広く考えられている。アイルランド風フィドルにも同様の伝統がある。

2026年8月に開催されたケープ・ブレトン・フィドル・フェスティバル

だがこの地域におけるスコットランド人の存在の結果として、そのスタイルは見過ごされている。1920年代から70年代にかけて、ケープブレトンのフィドル演奏スタイルは衰退した。この音楽に関連するダンス・スタイルとしては、ケープブレトン・ステップダンス、ケープ・ブレトン・スクエアダンス(アイオナスタイルとインヴァネススタイル)、そしてハイランドダンスなどが挙げられる。ケープ・ブレトンのフィドル演奏はアクセントが効いており、力強いアップボウが特長である。他の音楽起源(アイルランド、カナダ、フランス系カナダなど)の曲も、ケープ・ブレトンの演奏者が演奏すると違った響きになる。ダウンビートの拍子は、フィドル奏者の踵で床を叩くことで刻まれる。

The Heart of Cape Breton

パターンは、リールでは踵とつま先、ストラースペイでは踵が中心となる。1世紀前はヴァイオリンと足踏みオルガンが一般的な楽器だったが、現在ではピアノがリズム伴奏として主流となっているケープ・ブレトンのフィドル音楽は、スコットランド・ゲール語のイントネーション、特にプイルト・ア・ベウル(口笛音楽)やストラースペイの影響を受けている。装飾音は、グレート・ハイランド・バグパイプで用いられるものから取り入れられている。これらの装飾音(カット、別名トレブル、ドローン、ダブリング)が、ケープ・ブレトンのフィドルの独特の雰囲気を醸し出している。

Biggest Fiddle
2005年に建立された世界最大のフィドル

ケープ・ブレトンのフィドル音楽で一般的に演奏される曲は、ジグ、リール、マーチ、ストラスペイ、クロッグ(ホーン・パイプ)、スローエアなどである。このスタイルのフィドル音楽に関連する曲の多くは、バグパイプ、ピアノ、ギターなどの他の楽器でもよく演奏される。ハーモニカ、ティンホイッスル、マンドリン、バンジョーで演奏されることも珍しくない。現代のケープブレトン島の演奏家たちは、スコットランドやアイルランドの伝統音楽、そして現代音楽など、幅広い楽曲から影響を受けている。古くからある楽曲集も、よく利用されている。

YouTube  Kitchen Fest at MacBouch Room & Gril in St. Peter's, Cape Breton, Nova Scotia in 2022

2026年10月13日

セイラム魔女裁判の謎

Folkways Records – FH 5211
Early New England Ballads Collected and Sung by John Allison

これはフォークウェイズレコードが1962年にリリースした、フォーク歌手ジョン・アリソンの "Witches and War-Whoops"(魔女と鬨の声)のジャケット写真で、アメリカ合衆国マサチューセッツ州セイラム村(現在のダンバース)で、1692年3月1日に始まったセイラム魔女裁判をテーマにした LP アルバムである。いささかショッキングなイラストだが、村人が魔女として告発され、その絞首刑の様子が描かれている。この裁判についてウィキペディア日本語版は「植民地時代アメリカにおける集団パニックの最も深刻な事例の一つである。孤立主義、宗教過激主義、虚偽の告発、正当なプロセスの遂行が孕む危険性について、鮮明な警鐘を呼び掛ける題材として、政治的文脈や大衆文学に用いられている。多くの歴史家はセイラム魔女裁判はその後のアメリカの裁判制度に対して非常に強い影響力を及ぼしたと考えている。

Smiling-Witch

歴史家のジョージ・リンカーン・バーは「セイラムの魔女裁判は、神権政治を崩壊させたと評しており、無実とされる人々が次々と告発されて裁判にかけられたその経緯は、集団心理の暴走の例としても引用されることが多い」と説明している。さらにインターネットを徘徊しているうちに、マサチューセッツ州ウォータータウンの歴史家のマリリン・ローチのことを知った。マサチューセッツ州ウェストボローのフィフティ・プラス・アドヴォケート紙の記事 "A Salem witch trial mystery remains"(セイラムの魔女裁判は謎が残る)によると「マサチューセッツ州の歴史作家マリリン・ローチは、セイラム魔女裁判について誰よりも知っているかもしれない。27年間にわたる綿密な調査、執筆、再執筆を経てこのテーマに関する彼女の最初の著書『セイラム魔女裁判』が2002年に出版された。そして2014年には『セイラムの6人の女たち』を上梓した」という。ローチによれば、魔女と疑われた164人が法廷制度に関与し、52人が裁判を受け、30人が有罪となった。30人中19人はセイラムの大観衆の前で絞首刑に処された。

Examination of a Witch
Tompkins H. Matteson (1813–1884) The Examination of a Witch, 1852

ローチは30人中19人の告発について「当時、荷車いっぱいの木材がバラバラになるのを誰かが目撃したり、目に見えない存在を感じたりしたかもしれない。告発者(魔法にかかった人、あるいは苦しんでいる人)は、魔女とされる他の人たちを告発した。「告発された人の中には家族のいない年配の女性もいたが、家族を持つ男性や女性もいた」「セイラムの想定される魔女と現代の魔女やウィッカンとの間には何の関係もありません」「彼らは誰も自分を魔女だとは思っていませんでした」云々。ローチは、1697年に裁判に対する謝罪として、マサチューセッツ州の一般大衆の間で一定期間の断食が行われたと指摘した。「その後、人々はパニックを悪魔の妄想だとみなしました。1711年、数回の請願の後、有罪判決を受けた者のうち22人の有罪評決が取り消されたが、有罪判決を受けた全員の名前が請願書に記載されていたわけではない。

Smiling-Witch

そして「1712年に裁判の結果被害を受けた人々に賠償金が支払われた」とローチは語っている。魔女裁判は、アメリカ史の中で奇妙で悲しい足跡を残している。「2001年にジェーン・スウィフト知事は残った名前を復元する法案を可決した。残念ながら、それはハロウィンの日に行われました」とローチ。彼女の研究は続いている。ローチは今、魔女裁判に参加した6人の男についての本を書いている。残念なことに、解明できていない情報がひとつある。絞首刑執行人は誰だったのだろうかという、極めて素朴な疑問である。「絞首刑の前に報酬が支払われたに違いない。請求書が見つからないんです。でも、彼がタバコを吸っていたことは知っています。1692年にサミュエル・ウォードウェルが絞首刑になったとき、彼は最後の言葉を言おうとしたときに、絞首刑の煙で喉を詰まらせた。首吊り師の名前が見つかればいいのですが」と嘆息しているようだ。下記リンク先の PDF ファイルはノースカロライナ大学の「セイラム魔女裁判の謎を解き明かす」です。

university  Solving the Mystery of the Salem Witch Trials Overview | University of North Carolina

2026年10月12日

森林再生活動をサポートする検索エンジン Ecosia を試用する

Ecosia

Ecosia(エコシア)はドイツの首都ベルリンの Ecosia GmbH(エコシア有限会社)が提供する検索エンジンで、80%以上の利益を植林・森林再生活動を行う非営利団体に寄付している。自身をソーシャル・ビジネスでありカーボンネガティブ(英語版)と考えており、Ecosia は財政の透明性を主張し定期的に財政レポートを公開している。ユーザーのプライバシーを保護し、アメリカの B Lab(英語版)に認証されたベネフィットコーポレーションである。創立当初は Yahoo! 検索の検索結果と、Bing、Wikipedia の技術を組み合わせて検索結果を表示していた。広告に関しては Ecosia と Yahoo! の利益共有の合意の一部として Yahoo! によって提供されていた。現在 Ecosia の検索結果は Bing によって提供されており、Bing から得た検索結果を Ecosia 自身のアルゴリズムによって強化している。Ecosia は現在スマートフォン(アンドロイド、iOS)、PC(Windows、Mac)上で動作するブラウザ・モバイルアプリとしても利用可能である。2019年現在 Google の検索結果も確認したい場合 Ecosia の検索バーに検索語句を入力することで Google の検索結果を表示することができる。2018年には、Ecosia はユーザーのプライバシーを守る検索エンジンになることを約束した。ユーザーの検索は暗号化され、保存は一時的にのみ行い、ユーザーのデータはサードパーティの広告会社に販売されることはないとしている。Ecosia はプライバシーポリシーにて検索履歴に基づくユーザープロフィールを作成しないし、Google Analytics のような外部のトラッキングツールを使用することもないとした。Ecosia は検索結果の隣に広告を表示しているが、ユーザーがスポンサードリンクを通じて広告元を参照したときにパートナーが Ecosia に料金を支払う仕組みとなっている。Ecosia の FAQ によれば Ecosiaで一度検索をすると、平均でおよそ0.5ユーロセント(0.005 EUR)の利益が発生する。1本の木を植えるには22ユーロセント掛かるので、22÷0.5という計算に基づき約45回の検索が1本の木を植えるために必要となる。Ecosia は広告からの利益の80%(収益の47.1%)を植林活動支援に使用しており、残りは想定外の事態の対応のために内部で留保される。もしこの留保した資金を使用する事態がなければ Ecosia の植林活動支援のための資金として使用される。Ecosia は月次で財政レポートを自身のサイト上に発表している。2018年10月には、創設者のクリスチャン・クロルは自身の保有する株式の一部を The Purpose Foundation に譲渡した。結果的に、クロールと Ecosia の共同所有者ティム・シューマッハは Ecosia を売る権利を放棄した。Ecosia はコペンハーゲンで行われた第15回気候変動枠組条約締約国会議と同じ日付である2009年12月7日に設立された。それ以降、プログラム運営者は材木業者・現地コミュニティと財政計画を作成したが、2011年までに Ecosia は250,000ユーロ以上を集めることに成功した。

スタートアップ画面

2013年7月から2014年9月にかけて Ecosia はアメリカの The Nature Conservancy(英語版)の主催する Plant a Billion Trees プログラムに寄付を行った。このプログラムは100万本の現地の木を植林することでブラジルの大西洋岸森林を2015年までに復元しようというものである。2015年には Ecosia はアフリカ連合・世界銀行の支援する砂漠化防止を目的としたグレートグリーンウォールプロジェクトの一環として、ブルキナファソの森林再生活動を資金援助した。B-lab によれば、2015年1月時点で、「利益の80%を寄付することで、Ecosia は2009年12月以降、熱帯雨林保護のために150万ドル以上を集めた。Ecosia によれば、2015年までに Ecosia はおよそ250万人のアクティブユーザーを獲得し、200万本以上の植林を行った。2015年5月に Ecosia は Europas(欧州のテック関連スタートアップ企業を称える賞)の社会の向上を意図した最優秀スタートアップ企業のカテゴリーの候補に挙げられた Ecosia は複数の団体と一緒に活動している。例えばエデン森林再生プロジェクト(英語版)、Hommes et Terre(フランス語:人類と地球)、その国現地の様々なパートナー等である。これらパートナーと Ecosia は16の国で植林を行った。Ecosia は現在ペルー、ニカラグア、コロンビア、ブラジル、モロッコ、スペイン、セネガル、ブルキナファソ、ガーナ、マダガスカル、ウガンダ、タンザニア、エチオピア、ハイチ、ケニア、インドネシアで植林プロジェクトを支援している。2018年10月9日、Ecosia は100万ユーロでハンバッハの森(英語版)をドイツのエネルギー会社 RWE から購入した。Ecosiaは Google Chrome と Mozilla Firefox 上でデフォルト検索エンジンとして使用可能である。2017年7月21日時点では、Brave ブラウザが Ecosiaをデフォルト検索エンジンの選択肢として提供している。バージョン26(2016年1月26日)のリリースに伴い Pale Moon ブラウザは Ecosia をデフォルト検索エンジンとして提供し、2016年2月15日に Polarity ブラウザのバージョン8も同様に Ecosia をデフォルト検索エンジンとした。Ecosia はバージョン44.0.2から Firerfox のデフォルト検索エンジンである。バージョン1.9から Vivaldi は Ecosia をデフォルト検索エンジンの選択肢として追加した。2018年3月には Firefox 59.0 が Ecosia を検索エンジンの選択肢としてドイツ版に追加した。

  エコシアは検索によって生じた広告収益の多くを環境保護(主に植林活動)に寄付する検索エンジン

2026年10月11日

音楽雑話(6)ルイジアナ州のアカディア人によって生み出されたケイジャン音楽

cajun
ボタンアコーディオンとフィドルが主体のケイジャン音楽

ケイジャン音楽は、18世紀初頭にルイジアナ州南部に移住してきた様々な移民グループの音楽スタイルから発展した。これらの移民たちは新天地に定住するにあたり、それぞれ独自の文化的伝統を持ち込んだのである。最初に移住してきたのはアカディア人だった。彼らはアカディアナ(Acadiana)呼ばれる地域(現在のカナダのノバスコシア州、ニューブランズウィック州、プリンスエドワード島などの大西洋沿岸)に定住した。彼らは1755年にイギリス政府によって故郷を追われ、最終的に南ルイジアナにたどり着き、独自の文化を築いた。ケイジャン音楽は、ボタンアコーディオン、フィドル、そしてフランス語という3つの要素で容易に識別できる。現代のソングライターでさえ、両親や祖父母からフランス語を学び、地元のフランス語の集まりに参加したり、フランス語集中教育プログラムを通してフランス語を習得し、フランス語で曲を書いている。ケイジャン音楽の曲のほとんどはツー・ステップかワルツで、特定のダンスステップに合わせて作られている。

アカディアナのふたつのサウンド
ケイジャンとザディコ音楽の違い

この音楽がケイジャンの人々の「もの」であることは間違いないが、アイルランド、ドイツ、アフリカ、ネイティブアメリカンの伝統の影響も取り入れている。ケイジャン音楽の多くは、フェ・ド・ド(ダンスパーティー)で聴くことができ、伝統的なケイジャン音楽にロック、ブルース、ソウル、ザディコの影響が融合している。ケイジャン音楽はルイジアナ州南部をはじめとする地域で根強い人気を誇っている。あらゆる年代の人々に愛され、カントリーやロックといった他のジャンルの音楽にも影響を与えてきた。長年にわたり様々な変化を遂げてきたにもかかわらず、ケイジャン音楽はルイジアナ州の文化遺産として今もなお愛され続けている。ケイジャン音楽の最初の録音は1920年代に遡り、ジョー・ファルコンとクレオマ・ブロウ、デニス・マギー、サディ・クールヴィル、クレオール・アコーディオン奏者のアメデ・アルドインといった演奏家が登場する。

Cléoma Breaux and Joe Falcon

アイリー・ルジューン、ローレンス・ウォーカー、アルダス・ロジャーとラファイエット・プレイボーイズ、バルファ兄弟、ハリー・チョーツ(別名「ケイジャン・スウィングのフィドル王」)、DL・メナード(別名「ケイジャンのハンク・ウィリアムズ」)といった演奏家たちは、20世紀を通じてこのサウンドを発展させ、広げるのに貢献した。1964年ののニューポート・フォーク・フェスティバルで、グラディウス・ティボドー、ルイ・“ヴィネス”・ルジューヌ、デューイ・バルファが観客を熱狂させるパフォーマンスを披露したことで、この伝統音楽はついに全国的な注目を集めることになった。そしてその後数十年の間に、ザカリー・リチャード、マイケル・ドゥーセとボーソレイユ、ウェイン・トゥープス、レッド・スティック・ランブラーズ、ロスト・バイユー・ランブラーズ、バルファ・トゥジュール、パイン・リーフ・ボーイズ、セドリック・ワトソンといったアーティストたちが台頭したのである。下記リンク先の動画はケイジャン音楽の演奏とダンス『マムーのためのギャロップ』です。

YouTube CAJUN MUSIC WITH PAYS D'EN HAUT (TIT GALOP POUR MAMOU) Posted by Brian Mitolo