2026年11月4日

音楽雑話(9)西洋の現代音楽に影響を与えてじたインドネシア発祥のガムラン音楽

ole of Balinese Gamelan in Ceremonies
The Role of Balinese Gamelan in Ceremonies and Arts of the Island of the Gods

ガムラン(Gamelan)は世界で最も豊かな音楽の伝統のひとつで、しかも最も複雑な伝統のひとつでもある。なぜならガムランは単なる音楽のスタイルにとどまらず、楽器の製作方法、アンサンブルの編成方法、さらには社会生活の重要な部分を組織する方法でもあるからだ。ガムランは単なる音ではなく、その音を生み出す複雑なプロセスと関係性をも表現している。インドネシア発祥のこの伝統的なアンサンブルは、約2000年前に遡るヒンドゥー教、仏教、イスラム教の影響を受けた神話にルーツを持ち、西洋の現代音楽の様々な分野にも大きな影響を与えてきた。ガムラン音楽の中核を成すのは、主に金属製で特定の音階(多くの場合5音または7音)に調律された打楽器である。調律は楽器自体に組み込まれているため、各アンサンブルは独自の音色と音楽を生み出し、多くのアンサンブルは複数の調律で演奏できるよう、複数の楽器セットを使用する。各楽器はアンサンブルの中で特定の役割を担い、多くの場合、調律周波数にわずかな差を持つペアで製作される。この差はふたつの楽器間で正確な差音、つまり音のうなりを生み出すように調整されている。このうなりの速さは、音楽のハーモニーと音色を豊かにするだけでなく、表現的、哲学的、宗教的な意味合いも持ち合わせている。大型で持ち運びが難しい楽器と結びついた音楽であるガムランは、それぞれのコミュニティに固有の音色とスタイルを持ち、バリ、ジャワ、スンダのガムランの間には、より大きく微妙な地域差が存在する。

Gamelan Instruments
Gamelan Instruments: Brass Gongs and Metallophones

楽器は多くの場合、コミュニティや村が所有しており、そのメンバーがアンサンブルでの演奏に招集される。ガムランは音楽活動であると同時に、あるいはそれ以上に社会活動であるため、音楽的背景は重要ではない。厳密なリハーサルは、ある意味では観客の前で演奏することよりも重要です。そして、その演奏は、宗教的、社会的、季節的な儀式や祭典、舞踊や影絵芝居、娯楽、そして村やアンサンブル間の定期的かつ非常に真剣な競技など、あらゆる場面を網羅している。ガムラン音楽が西洋に初めて強い印象を与えたのは、1889年のパリ万国博覧会だった。そこでクロード・ドビュッシー(1862-1918)はアンサンブルの音色に魅了されたが、自身の音楽にその影響を取り入れることはなかった。しかし太平洋を挟んで西に目を向けたカリフォルニアの現代作曲家たちは、ガムランのアイデアを基に重要な楽曲を制作しました。ジョン・ケージ(1912-1992)が音色を取り入れたり、ルー・ハリソン(1917-2003)が独自のガムラン楽器とアンサンブルを製作し、それらのために作曲したりしたのがその例です。ガムランの構造の基本要素――複数の拍子とリズム、パターンの重ね合わせとループ、そしてパーカッションの響き――は、20世紀においてクラシック音楽からフォーク、ロックなど、あらゆるジャンルの音楽家にとって欠かせないツールとなっている。ジョン・ケージがこの作品を作曲した当時、彼はメロディーやハーモニーではなく、リズムの比率に基づいて音楽を構成するというアイデアを練っている最中だった。

Gamelan Ensemble
Gamelan Ensemble, National Concert Hall, Dublin, Ireland

そのアイデアは、ガムラン音楽が何世紀にもわたって作られてきた方法と自然に結びついていた。ケージはインドネシアのガムラン音楽を耳にしており、ピアノの弦の中にネジや消しゴムなどの物体を入れて「準備」する実験を始めたとき、間違いなくそのことを念頭に置いていたのだろう。ガムランの文脈で聴くと、その影響は紛れもなく明らかで、古くからのアイデアが絶えず刷新され、時代遅れに聞こえないことを示す美しい例となっている。ルー・ハリソンは西洋のガムラン作曲家の中で最も偉大な作曲家でした。彼は中国や日本をはじめとする太平洋の音楽から大きな影響を受けたが、中でもインドネシアからの影響は特に顕著だった。彼の「フィレモンとバウキス」と「ブバラン・ロバート」は、この非常に美しいアルバムの中心となる作品である。使用されているガムランは、ジャワ様式で作られたフランス製のガムラン・オクシタンで、このアルバムではフランスの現代音楽グループアンサンブルとスイスの打楽器アンサンブル、エクレクトが参加している。ここで聴かれる音やアイデアが時代を超越しているのは、それらが新しいからではなく、人々が集まって音楽を奏でるという行為が、決して廃れることのない古来からの営みだからである。下記リンク先の動画は、バリ島ウブド近郊プリアタン村の伝統的な愛と情熱をテーマにした神話を描いた古典舞踊レゴン・スマランダナで、ガムランを伴奏に踊る。

YouTube Legong Semarandhana in Balerung stage, Peliatan | Dance: Aan Devita & Nitha Suwitri

2026年11月3日

プラスチック廃棄物管理の改善を目指すトルコのプリンス諸島

electric-powered tricycles

イスタンブル近郊の九つの島々からなるプリンス諸島は、廃棄物管理の改善を目指すトルコの国家ゼロウェイストプログラムの最初のパイロットサイトの一つとなる。このプロジェクトは2019年9月19日に開始され、トルコ環境省、プリンス諸島自治体との協力のもとで進められるようになった。プリンス諸島最大の島、ビュユカダ島は、イスタンブールの必見スポットの一つである。フェリーでわずか30分の距離にありながら、国立公園や独特な水中サンゴ礁など、自然の魅力にあふれている。そのため、夏の間は毎日10万人以上の観光客が訪れる人気の観光地となっています。夏のピーク時には、島に住むわずか1万6千人の住民を基準に割り当てられた地元の廃棄物処理能力に大きな負担がかかる。収集エリアやリサイクル施設の不足に加え、廃棄物処理やリサイクルに関する公共情報の不足も、島々の主な問題となっている。このプロジェクトは、完全な収集とリサイクルを確実にするために地元の廃棄物管理システムを改善することを目的としており、島から出るすべての廃棄物がリサイクル容器に廃棄され、効果的にリサイクルされる新しい廃棄物収集所に運ばれるように、新しい廃棄物管理システムが構築される。これにより、リサイクル可能な廃棄物が一般廃棄物の埋立地に送られることを防ぐ。この島がプラスチックとの戦いにおける刺激的なモデルとなり、国内および地中海全体の他の観光地、特に沿岸の町で再現されることを望まれている。トルコのプラスチック汚染への取り組みの調査によると、地中海でプラスチックに関して最も汚染されている国のひとつである。使い捨てプラスチックをなくし、汚染源に対処することが、トルコの重要な優先事項となっている。

Büyükada Island
カラフルな伝統的木造建築(ビュユカダ島)

2018年半ば、プラスチック廃棄物を削減するための戦略とメカニズムを開発するために、関連するすべての国内関係者(政府、民間セクター、学術界、市民社会)を集めたワークショップで、国内で議論を開始した。政府とともに、10万人がプラスチックに関する行動を変えることを誓う啓発キャンペーンを開始した。海洋および海岸に漂着するゴミの組成を把握するため、選定された沿岸地域で現地調査を実施し、プラスチックごみの収集と分析を行った。トルコ政府との協力により、目覚ましい成果が得られた。2019年1月1日より、政府はレジ袋1枚につき25トルコセントを課金する新政策を施行し、レジ袋の消費量を大幅に削減しました。WWFはまた、海洋プラスチック汚染に関する新たな法的拘束力のある国際協定の策定において、政府が主導的な役割を果たすよう働きかけている。トルコのプラスチックへの飽くなき欲求を解消し、国内のリサイクルと再利用を促進するにはさらなる努力と投資が必要だが、これらの第一歩は、トルコと地域全体にとって重要な変化の兆しである。特に2017年末にエミネ・エルドアン大統領夫人の主導で開始されたゼロ・ウェイスト・プログラムは、廃棄物管理に関して野心的な目標を設定している。環境省によると、リサイクル率はすでに2000年代初頭の1%から現在では13%にまで上昇している。プリンス諸島での取り組みは、プロジェクト全体の良い実践例となり、夏の観光客の急増に苦慮している多くの小規模自治体にとって模範となるだろう。下記リンク先はは、トルコの有力日刊紙『イェニ・シャファク』の記事「イスタンブルのプリンス諸島の環境に優しい乗り物」です。

environment Environmentally friendly vehicles of Prince Islands of Istanbul | The Yeni Şafak, Turkey

2026年11月1日

ダニーボーイの故郷を訪ねて

Derry
夕闇迫るデリー(尖塔は聖ユージーン大聖堂)

イギリス領北アイルランドのデリーは屈指の歴史を誇る城塞都市である。私が初めて訪ねた時は、イギリスで発行された地図には「ロンドンデリー」と記されていた。ところが南のアイルランド共和国で発行された地図には、単に「デリー」となっていた。古くはゲール語で "Doire" と呼ばれ、これはオークの森という意味だそうだ。だから元々はデリーであったが、1623年にロンドン市領となった際に改名されたのである。地名に関する訴訟が起きたのだが、2007年にイギリスの高等裁判所は、ロンドンデリーが正式名称であるという判決を下したのである。この街で会った古老に「デリーですね」と話しかけたら「そうだよ、ここはロンドンじゃないよ」という答えが返ってきた。ロンドンという綴りを省いた地名に、英国の圧政に苦しんだアイルランド人の怨念を感ぜざるを得ない。前書きが長くなってしまったようだ。いま「ダニーボーイ」の原曲について書き出そうと思っているのだが、果たしてそれを今私は「ロンドンデリーの歌」としていいのか迷っている。しかし曲名はともかく、地名はデリーと書くことにする。1851年、ダブリンに創設されたばかりの「アイルランドメロディ保存出版協会」の伝統音楽収集家ジョージ・ペトリ(1789-1866)の元に楽譜が送られてきた。送り主はデリーの東約25キロにある町、リマヴァディに住むジェーン・ロス(1810-1879)だった。ペトリはこの曲を含め、1855年に「アイルランド古謡ペトリ・コレクション」と題する本を出版した。その57ページには「この美しいメロディが、膨大な曲の蒐集をしているリマヴァディのジェーン・ロスから送られてきたものだと」紹介している。譜面を見ると紛れもなく「ダニーボーイ」のメロディであるが、大事なのは、曲名がついてないことだった。

The Petrie Collection of the Ancient Music of Ireland (First edition 1855)
Cork Univ Press (2002)

雑誌の取材で、このリマヴァディにあるジェーン・ロスの生家を訪ねたのは、1987年のことだった。濃い青紫色に塗られた2階建ての1階右側は商店になっていたが、左側の壁に丸いプレートがあった。それには「民謡ロンドンデリーエアを記録したジェーン・ロスがここに住んでいた」と書かれている。中に入ると、気品ある老婦人が迎えてくれた。クローディ・マクルーニさんは当時すでに76歳だったが、48年前にこの家を買ったと話してくれた。計算してみると、1938年ということになる。ジェーンの遺品はなかったが、近くの墓地でその墓と対面することができた。彼女は生涯独身を通したようだが、いったいどんな女性だったのだろうか。その軌跡を求めて、国境を超えたダブリンの国立図書館を訪ねたのである。天井が高い閲覧室を抜け、奥の古文書保管室に案内された。最初に見せてくれたのは、ジョージ・ペトリ自筆の楽譜集だった。その中にジェーン・ロスから送られてきたとういう但し書きがついた曲があった。しかし残念ながらあのメロディではなかった。次に1855年に出版された「アイルランド古謡ペトリ・コレクション」の初版本を館員が抱えてきた。その57ページに、昔のアイルランド音楽と題し Name unknown つまり曲名不詳と書いた楽譜が印刷されていた。譜面を見ると紛れもなく「ダニーボーイ」のメロディである。この曲を送ってきたロス嬢によれば「かなり古い」という簡単な注意書きのみで、彼女は曲名を確認できなかったようだという意味のことをペトリは書いている。この本は2002年、アイルランドのコーク大学から復刻版が出版されたので、現在は入手可能である。

ジェーン・ロスの生家

世界中に広まったこの美しいメロディを採譜したのは、旅のフィドル弾きからだというのが定説になっているようだ。あるいはイレアンパイパーではないかという説もある。楽器の携行性を考えると、フィドルのほうに説得力がある。ジェーンがこの曲を耳にしたのは、彼女が40歳のころだったと推測を加えることもできる。しかしながら、これらはあくまで文字通り推測であって、確かな記録はない。だから文献歴史学の立場に立てば、ペトリが書き残した以外のさまざまなダニーボーイ物語は、すべてフィクションということになる可能性が高い。いわば文学の世界である。しかし人間というのは面白いもので、史実より、時にフィクションを好むようだ。そのほうがロマンに満ちてるからかもしれない。もっとも魅力あふれる逸話は、ジェーンが盲目のフィドル弾き、ジミー・マカリー(1830-1910)から教わったというものである。もうひとつは、実はジェーンが作曲したものではないかというものである。これらは果たして史実に切迫したものなのだろうか。これは先に紹介した「アイルランド古謡ペトリ・コレクション」の復刻版である。ペトリの原本、メロディー、および彼の序論のすべてを含んでいるが、いわゆる完全復刻版ではなく、新たに版を組んでいるからだ。古いアイルランドのスペルが、現代のそれに置き換えられている。日本でもよく行われてる、旧かなづかいを現代かなづかいに直す作業と同じである。一番残念なのは譜面が省略化されてることだ。例えば前回掲載した楽譜は、ペトリの娘が編曲したピアノスコアがついていたのだが、これが省かれ、主旋律のみとなっている。なぜこのようにしたか不明であるが、だから正確には復刻というより新版と呼ぶべきかもしれない。

ロス家の墓

前述した通り、ジェーンが旅回りの盲目のフィドル弾き、ジミー・マカリーから教わったという逸話が、リマヴァディにあるサイト「ダニーボーイの起源」に詳述されている。それによるとある日バーンズ&レアード運送会社の事務所の外でジミーが美しいメロディを奏でているの聴いた。そして彼に何度も弾いて貰った。そのお礼にとコインを貰ったジミーが、それを擦ってみると、ペニー銅貨だと思っていたのが実は2シリングのフロリン銀貨であった。高価なので間違いじゃないかと追って質すと、ジェーンは感謝の気持ちであるからと、そのまま持って行くようにと返却に応じなかったという。非常にドラマチックな物語であるが、これは著名な民収集家サム・ヘンリー(1870-1952)が「民衆の歌」に書いているという。ジミーの子孫であるウォレス・マカリーから1996年に聞いたもので、信憑性が高いと主張している。魅惑的な逸話である。しかし出来過ぎた話はともするとフィクションが含まれている。文献歴史学の立場からすれば、ジェーンに関する記録は、ペトリのそれだけであって、その資料は余りにも乏しい。アイルランドの音楽関係者の話では、わずかに残ってるのは、当時の中流家庭に育ち、音楽好きであったことぐらいである。せめて彼女が送った楽譜が残っていればと思う。彼女自身が実は作曲者ではなかっただろうか、というのはさらに魅力ある想像だが、これは考え難い。私はリマヴァディのクライスト教会あるロス一家の墓地を訪ねた。墓碑には一番上に父親ジョンの名が刻まれ、次に4人の娘の名がある。いずれも結婚をしなかったようだ。彼女がペトリに送ったメロディに「ダニーボーイ」の歌詞をつけた作詞者は、弁護士でもあったソングライター、フレデリック・エドワード・ウェザリ(1848-1929)と言われている。この歌は世界中に広まり、今でも多くのミュージッシャンが歌い、無数のレコーディングがある。無名のまま68歳でこの世を去ったジェーンがそれを知るよしはない。

YouTube  Deanna Durbin sings 'Danny Boy' for Charles Laughton from film 'Because of Him' 1945

2026年10月28日

音楽雑話(8)無国家地域クルディスタンの音楽の伝承

クルディスタンはトルコ、シリア、イラク、イランにまたがる約7万5,000平方マイルの山岳地帯に約4,000万人のクルド人が暮らす、世界最大の無国家地域である。クルド人はインド・イラン語族に属するクルド語のいくつかの異なる方言を話し、数千年にわたりクルディスタン地域に居住してきた。第一次世界大戦後、西側連合国はオスマン帝国を分割する際に、クルディスタンの独立計画を盛り込んだ。しかし、トルコの圧力と、この地域に対する一般的な理解不足により、この計画は1923年のローザンヌ条約で破棄された。クルド人はそれ以来、自らの文化とアイデンティティを守るために闘い続けている。クルド人は、言語、服装、音楽の禁止といった差別や、数十年にわたる虐殺と民族浄化に耐えてきた。これらの行為は今日でもなお活発に行われている。特に、1980年代後半にクルド人民兵組織ペシュメルガがサダム・フセイン政権に対して武装蜂起した際、独裁者は化学兵器を用いてクルド人の村ハラブジャを爆撃し、推定5,000人の民間人を殺害、1万人以上を負傷させた。さらに最近では、クルド人勢力である PKK、YPG、YPJ が、米国や西側諸国からの支援が不安定な状況にもかかわらず、ISとの戦いの最前線に立っている。

Muhammad Arif Jazrawi
ムハンマド・アリフ・ジャズラウィ(1912-1986)

注目すべきは、クルド人は平等な権利に関して中東地域全体で見ても特異な存在でありJIN, JIYAN, AZADÎ(女性・生命・自由)というスローガンを考案したのはクルド女性防衛部隊であったということである。このスローガンはその後、特にイランにおける女性の権利運動に受け継がれている。クルディスタン民謡で最もよく見られるテーマは、愛、亡命、そして抵抗である。歴史的に、デングベジュ(語り部・吟遊詩人)は歌と物語を通して地元の歴史や祖先の物語を語る担い手であり、今もそうである。人間の声は伝統的なクルド音楽において最も重要な楽器と考えられており、何十年にもわたる政府の検閲にもかかわらず、歌手の違法なカセットや CD がクルディスタン全土に出回っていた。正式な旋法体系はないが、クルド音楽はペルシャのダストガーやオスマン帝国、アラビアのマカーム旋法体系と多くの要素を共有しており、部分的なフラットマイクロトーンを多用している。声楽と楽器の両方の装飾はメリスマが強く、主音は複数の音にまたがって揺れ動く。ダンスのリズムは近隣の文化と多くの共通点があり、シンコペーションの効いた4/4拍子のほか、9/8拍子(2223)や、クルド人、アルメニア人、トルコ人が共有する10/8拍子(3223)のクルクナのリズムのダンスも存在する。クルド人は、ウードやさまざまなフィドルなど、この地域特有の伝統的な楽器のほか、ギターやキーボードなどの現代的な楽器も使用する。

Yalda Abbasi
ヤルダ・アッバースィー(1987-)

クルディスタン全域で依然として非常に人気のある伝統的なクルド楽器が多数あり、より現代的な場面で使用されると「クルドらしさ」を強く主張することがよくある。クルドの打楽器は、儀式と民俗の両方の伝統に根ざしており、特にクルドのダフが主流である。ダフは、内部に多数のリングがある大きなフレームドラムである。その他の主要な打楽器には、東地中海のほとんどの地域で一般的なダルブカ(ゴブレットドラム、別名ドゥンベクとダホル(マレットとスイッチで演奏する大きなドラム、別名トゥパンとダヴル)がある。伝統的な管楽器には、端から吹く羊飼いの笛であるブルール(別名カヴァル)、柔らかいダブルリードのメイ(アルメニアのドゥドゥクに似ている)などがある。そして、西はヨーロッパのバルカン半島から東は中国まで広く分布する、音色の大きいダブルリードのズルナ。主な弦楽器としては、イラン東部のクルディスタンで主に演奏される、独特の上向きの指ストローク奏法を持つ短いネックの2コースのリュートであるテンブール、シリア西部のクルディスタンで主に演奏される長いネックの3コースのサズがある。下記リンク先は旧オスマン帝国、アルメニアのバトマン郡出身の歌手、カラペテ・ハチョ (1900-2005) によるデングベジュの貴重な録音です。

SoundCloud  Karapete Xaco Lawike Metini kürtçe müzik kurd kurdi kurdish kurtce kürtce | pir ciwan