2026年7月19日

マーク・ザッカーバーグに対する「女性の乳首に自由を」運動

Youki au Chat
Léonard Tsuguharu Foujita (1886-1968) Youki au Chat, 1923

後述するが乳首も描かれている藤田嗣治(1886-1968)のこの絵はさすがに Facebook も削除しないだろう。さきごろライナ出身のルスラン・ロバノフ(1979-)のヌード写真をソーシャルメディア Facebook にポストしたところ即削除された。芸術作品として名高い作品だったので驚いた。おそらくシステムが自動対処したのだろうけど、利用規約に反しているという警告メッセージも届いた。繰り返せばアカウント剥奪の可能性もある。以下に Facebook の「ヌードや性的行為: パブリッシャー・クリエイター向けガイドライン」の一部を引用しよう。

Facebook では乳首が見える女性の乳房の画像も制限されますが、医療目的や健康上の目的でシェアされる画像は除きます。授乳をしている女性や乳房切除術後の瘢痕を表す写真も許可されます。また、ヌードを描写する絵画や彫刻などの芸術作品の写真も許可されます。
Civilian Defense
Edward Weston (1886–1958) Civilian Defense, Carmel, 1942

上掲の写真はエドワード・ウェストン(1886–1958)の「民間防衛」と題した作品だが、おそらくこれをポストすれば削除されるだろう。医療目的や健康上の目的ではないし、授乳をしている女性の写真ではないからだ。写真術は近代に生まれたが、今や絵画や彫刻と相並ぶ芸術様式である。なぜ Facebook、あえて名指せば CEO(最高経営責任者)のマーク・ザッカーバーグが写真芸術を排斥するのか理解できない。乳首が写ったヌード写真は猥褻だと短絡解釈しているのだろう。さらに同上ガイドラインを引用しよう。

性的行為の表示に対する制限は、イラストコンテンツやデジタル処理で作成されたコンテンツにも適用されます。ただし、教育目的、ユーモアや風刺の目的で投稿されたコンテンツの場合は除きます。性行為の露骨な画像は禁止されています。

性行為の画像は禁止という言質は性行為を猥褻であると解釈しているわけだが、性行為すなわちセックスなしには子どもは生まれない。卑近な例、アニマルセックスの写真がおおっぴらに公表されているが、ヒトのセックスの写真はご法度になっている。江戸時代の「枕絵」は親が娘に持たせる嫁入り道具であったが、幕府の取り締まりを受けた。うがった見方をすれば性行為の画像の取締りは昔から為政者の権力の象徴と言えそうである。ポルノ画像が性犯罪の呼び水になっているかは疑問である。

FTN
Protest at Meta's London office following the censorship of a nipple tattoo

女性の乳首に関しては「カイリー・ジェンナーの Free the Nipple に続け! フリー・ザ・ニップルをリードするセレブ12名」という記事を思い出す。Free The Nipple(乳首を自由に。以下 FTN)とは男性のトップレスは許されているのに、女性はそうではないことに対する抗議活動である。もともとは俳優で監督のリナ・エスコが2012年に同名のインディーズ系コメディ映画を作ってこのダブルスタンダードを指摘、ジェンダー差別の撲滅を訴えたことから始まった。彼女の主張を支持したマイリー・サイラスやレナ・ダナムがこのハッシュタグをつけてソーシャルメディアにトップレスをアップしたが、Instagram や Facebook は「女性のトップレスは NG」というルールがあるとして削除。女性セレブたちがこれに抗議し FTN は一気に拡大した。今もダブルスタンダードはなくならず、バストトップを何らかの形で隠さなくては Instagram にトップレス画像をアップできないことから FTN は根強く続いている。下と Facebook と Instagram の親会社メタ社は、まもなく女性の胸の写真を解放する可能性探ったようだ。同社の監視委員会は、女性のヌード写真対するする規則を見直すよう求めたというが、未だに改善されていない。下記リンク先はハーパース・バザー誌の記事「セレブたちが「《乳首に自由を運動》を支持した28の事例」です。

女性誌  28 times celebrities embraced the Free the Nipple movement | The Harper's BAZAAR

2026年7月18日

宗教考現学(11)タイのワット・パ・タム・ウア森林僧院

Wat Pa Tam Wua
ワット・パ・タム・ウア森林僧院(タイ北部のメーホンソーン)

ワット・パ・タム・ウア森林僧院は、静かで自然豊かな僧院環境の中で、真剣に瞑想を実践したいと願う人々に精神的な導きを提供してぃる。エキゾチックなメーホンソーンの美しい山々に囲まれたこの僧院は、緑豊かな自然、穏やかな小川、自然の洞窟、そしてタイ北部の壮大な滝の絶景を堪能できる。野生の花々、蘭、そして雄大な山々の眺めなど、美しい景色が広がるまさに地上の楽園である。この僧院は上座部仏教、特にタイ森林仏教の伝統を受け継いでいる。タイ語と英語を話す僧侶たちが、適切な瞑想指導とともに、自然法則や自然現象に関する正しい見解を伝えている。世界各国から、初心者から上級者まで、多くの修行者が瞑想のためにここを訪れている。ワット・パ・タム・ウア森林僧院は温かく迎え入れてくれる場所だが、ここはリラクゼーションセンターやリゾートではなく、実際に活動している仏教寺院であり、ヴィパッサナー瞑想のリトリート施設であることを忘れてはならない。日々の精神活動はすべて義務付けられており、宿泊者は僧院のスケジュールと規則に従わなければならない。

Wat Pa Tam Wua
自然豊かなワット・パ・タム・ウア

このような規律ある環境は、有意義な精神的成長と自己発見のための理想的な条件を作り出す。ワット・パ・タム・ウア森林僧院は、年間を通していつでも参加できる柔軟な入山制度を採用している。午前または午後の瞑想クラスに1日だけ参加することも、最短3泊2日から最長10日間の宿泊型リトリートに参加することも可能である。この柔軟性により、様々なスケジュールを持つ旅行者にとって理想的な環境となっている。ここでは、ヴィパッサナー瞑想(洞察瞑想)とアーナーパナサティ瞑想(呼吸瞑想)を中心とした瞑想が行われている。様々な瞑想方法が認められているが、呼吸瞑想が主流となっていいる。毎日、タイ語と英語で法話が行われ、仏教哲学の教えと実践的な瞑想指導が提供されている。日々のスケジュールは、初心者にも参加しやすいように配慮しつつ、深い修行をサポートするよう構成されている。朝の瞑想は午前5時にクティ(瞑想小屋)で始まり、その後、僧侶への米の供養と朝食が行われる。午前と午後の法話と瞑想クラスがプログラムの中核を成し、夕方の読経、瞑想、法話で一日が締めくくられる。

MeditationRetreat
人里離れた環境の瞑想リトリート

年齢を問わず誰でもご参加でき、瞑想の経験は一切必要ない。僧侶とスタッフが、それぞれのレベルに合わせた指導を行う。唯一の条件は、僧院の規則を真摯に守り、日々のスケジュールに積極的に参加する意思があることである。この僧院では、個室のクティ(瞑想小屋)やドミトリーなど、宿泊施設を完備している。宿泊者全員に寝具と滞在中の白い衣服が提供される。施設は簡素で機能的で、快適さよりも瞑想の実践を支援するように設計されている。個室のクティは個人的な瞑想のための静寂を提供し、ドミトリーは共同の宿泊施設となっている。バランスの取れたベジタリアン(ビーガン対応)の食事が1日2回提供される。僧院の伝統に従い、正午以降は食事を摂らないため、夕食の代わりに紅茶、コーヒー、ジュース、豆乳などが用意されている。食事はボランティアとスタッフが調理している。僧院の敷地内には、自然に囲まれた美しい散策路や瞑想用の小道、周囲の山々を一望できる瞑想堂、そして近くには穏やかな小川や滝が流れている。自然そのものが瞑想の実践の一部となり、マインドフルネスと心の平安を育むための完璧な背景を提供してくれる。下記リンク先はタイのワット・パ・タム・ウア森林僧院の公式ウェサイトです。

仏陀  Wat Pa Tam Wua: A beautiful and peaceful Buddhist Forest Monastery open to everyone

2026年7月17日

世界史遠望(18)ウッドストック音楽祭の長期的な影響

A poster of the Woodstock
A poster of the Woodstock Music Festival ©1969 Arnold Skolnick

ウッドストック音楽祭は、1969年8月15日から18日にかけて、ニューヨーク州サリバン郡ベセルの田園地帯にある約300エーカーのなだらかな農地で行われた。1969年の夏は、3つの並外れた文化的イベントによって特徴づけられる。6月には、ストーンウォールの暴動がレズビアンとゲイのアメリカ人による公民権運動の始まりを告げ、7月にはアポロの月面着陸がアメリカ人を驚かせ、国全体に楽観主義をもたらしました。そして8月には、マックス・ヤスガーの酪農場に約45万人が集まったウッドストック音楽祭が、ある世代の連帯と信仰の象徴となった。1960年代は、ベビーブーム世代が正式に過去との決別を果たし、独自の文化的規範を確立した10年間だった。第二次世界大戦後に生まれたこの世代は、アメリカの戦後史における主要なテーマ、すなわち繁栄、豊かさ、都市の分散化と郊外生活への移行、高等教育の約束、そして平和な世界の安全保障によって形作られた。しかし、このライフスタイルを育んだものは、この世代に自分たちの生活と、同じ恩恵を受けていない人々の生活との著しい対比を認識させ、強い責任感を植え付けた。

young hippie coupl
A young hippie couple at the Woodstock Festival ©1969 John Dominis

その結果、彼らは貧困と不正義に心を痛め、公民権、レズビアンとゲイの権利、貧困の撲滅ヴェベトナム戦争の終結、女性の権利、そして普通選挙権の実現に向けて熱心に取り組んだ。 1960年代後半までに、体制の道徳的・政治的基盤の一部に異議を唱える強力なカウンターカルチャーが出現した。3日間にわたるこの音楽祭には、32組のソロアーティスト、フォークシンガー、ブルースバンド、ロックンロールバンドが出演し、推定45万人以上の観客を魅了した。イベントのチケットは1日6ドルだった。当時最も有名で評価の高い出演者の中には、アフリカ系アメリカ人のフォークシンガー、リッチー・ヘイヴンスがいた。彼はコンサートのオープニングを飾り、レパートリーがなくなるまで演奏した。その後、彼は即興で「フリーダム」を演奏し、これがフェスティバルの代表的なイベントの一つとなった。その他の出演者には、ジョーン・バエズ、グレイトフル・デッド、カントリー・ジョー・マクドナルド、ジャニス・ジョプリン、ジェファーソン・エアプレイン、サンタナ、ザ・フー、クロスビー、スティルス、ナッシュ、ヤングなどがいた。ウッドストックの最後の出演者で際立っていたのは、ジミ・ヘンドリックスで、彼は今や伝説となっている「星条旗」の演奏を披露した。

Carlos Santana
Carlos Santana on stage at the Woodstock ©1969 Jim Marshall

ウッドストックは、1967年から1969年にかけて開催された数十もの野外音楽祭の中で最大規模かつ最も記憶に残るフェスティバルでした。この時代は、1967年6月16日から18日にカリフォルニア州モントレーで開催された、広く報道されたモントレー・ポップス・コンサートで幕を開け、ウッドストックからわずか3か月後の1969年12月6日、カリフォルニア州アルタモントのアルタモント競馬場でのコンサートで悲劇的な幕を閉じた。ウッドストックは、当時可能だと考えられていたことの象徴であり続けています。ウッドストックとその後の出来事が、現在アメリカ社会のあらゆる分野で指導的役割を担っている何千人もの人々の世界観、社会意識、音楽の好みを形成するのに役立ったという事実が、このフェスティバルがアメリカ社会に与えた長期的な影響を証明している。下記リンク先はウッドストック音楽祭公式サイトの「出演者およびバンドの詳細リスト」です。

Woodstock Festival The Official List of Performers and Bands during the Woodstock Music & Art Fair in 1969

世界史遠望(17)ルース・ベネディクトの天皇制に関する考察

Chrysanthemum and Sword
ルース・ベネディクト

アメリカの女性人類学者ルース・ベネディクト(1887-1948)の『菊と刀』は1946年(昭和21年)に刊行され、1948年(昭和23年)に日本語訳が出版された。第二次世界大戦下のアメリカの一連の戦時研究のなかから生まれた、日本研究の名著である。直接現地調査ができないという制約にもかかわらず、在米日系人との面接、文学や映画の分析などを通じて、複雑な日本社会の体質に鋭く迫っている。日本社会を特徴づける上下関係の秩序に注目し、その秩序のなかで「各人にふさわしい位置を占めようとする」人々の行動や考え方について「恩」「義理」といった日本人独特の表現を手掛りに分析を進めている。とりわけ日本の文化を、内面に善悪の絶対の基準をもつ西洋の「罪の文化」とは対照的な、内面に善悪の絶対の基準をもつ西洋の「罪の文化」とは対照的な、内面に確固たる基準を欠き、他者からの評価を基準として行動が律されている「恥の文化」として大胆に類型化した点は、戦後の日本人に大きな衝撃を与えた。ベネディクトは、天皇を個人として糾弾するのではなく、日本の文化的・政治的な構造が「責任の所在を曖昧にするシステム」であったと説明した。この分析は、戦後 GHQ が天皇を戦争裁判から免除し、統治の道具として利用する方針(天皇制存続)の理論的背景の一つになったとも評されている。『菊と刀』において天皇制は日本人の行動規範や社会構造を理解する上で中心的な位置を占めている。

ッカーサー元帥と昭和天皇
マッカーサー元帥と昭和天皇(アメリカ大使館)1945年9月27日

ベネディクトの見解を整理すると、次の点が重要である。「恩」の体系における天皇の位置をベネディクトは、日本社会を「恩」という重層的な義務体系として捉えた。その中で天皇は、国民が受ける最も上位の「恩」の対象として位置づけられている。 天皇に対する「忠」は、一生かけても返しきれない義務として捉えられ、日本人の道徳的基盤となっていた。この天皇への「忠」があるため、日本人は終戦の決断など、天皇の意向によって、極端な状況下でも容易に行動を転換することができるとベネディクトは分析した。ベネディクトの有名な「恥の文化」という概念においても、天皇制は重要な役割を果たす。日本人の行動は、内面的な「罪」の自覚よりも、他者からの評価や社会的規範を重視する「恥」の意識によって律される。天皇はこの社会的な「恥」を回避し、秩序を保つための精神的支柱や、日本人が共同体としての同一性を感じるための中心的な存在として機能していると見なされた。

	菊と刀

アメリカの占領政策への提言『菊と刀』は、アメリカ政府が戦後の日本をどのように統治すべきかという実務的な要請を受けて執筆された側面がある。ベネディクトは、天皇制を廃止するのではなく、むしろ民主化に向けたプロセスにおいて、天皇を「精神的支柱」として存続させることの有用性を示唆した。彼女は日本固有の文化的な特殊性を理解し、アメリカ流の民主主義を単純に押し付けることには慎重だった。タイトルの「菊」は天皇(皇室)や平和・美の象徴、「刀」は武士道や攻撃性を象徴していると一般的に解釈されている。ベネディクトは、この一見矛盾するような「美と礼儀を愛する心」と「好戦的で名誉を重んじる心」が、天皇への忠誠という一本の軸によって両立されている日本社会の特殊性を解き明かそうと試みた。なおこの分析については戦後の日本社会の変化や、その後の文化人類学的な知見の進展に伴い、現在では多様な批判や再評価もなされている。

university  Ruth Benedict (1887–1948) Anthropologist, PhD 1923, Faculty 1924–48 | Women of Hall