2018年6月18日

生物多様性とバイオフィリア――他の生命に関心を抱く


『生命の多様性(上・下)』岩波書店 (2004/10)
生物多様性条約第14回締結国会議(COP14)は今年11月、エジプトのシャルム・エル・シェイクで開催される。生物多様性という用語そのものは、生物学的多様性(Biological Diversity)を縮めた造語 Biodiversity を訳したものだ。ところで生物多様性条約の目的とは一体何だろう。上記会議サイトによれば(1)地球上の多様な生物をその生息環境とともに保全すること(2)生物資源を持続可能であるように利用すること(3)遺伝資源の利用から生ずる利益を公正かつ衡平に配分すること、この3点に要約できるようだ。環境保護運動の先進国であるアメリカがこの条約を批准していないのは(3)に関わる経済問題なのだろう。ところで肝心の生物多様性はなぜ必要なのだろうか。上記会議に呼応した関連書の出版が盛んなようだが、生物学的多様性について著名な生物学者エドワード・O・ウィルソンの著書『生命の多様性』を読んでみた。専門に過ぎる用語に戸惑いながらだったが、更に同じ著者のエッセイ『バイオフィリア』にも触れてみた。ヒトという厄介な動物が、地球上の生物の多様性を、物凄い勢いで奪ってることを痛切に感ずる書である。生物の多様性というのは文字通り、生き物がたくさん存在することである。ところが生物の絶滅は加速しつつあり、鳥類や哺乳類だけではなく、苔類や昆虫、淡水小魚といった小型生物にまで及んでるという。絶滅率の推定値は、控えめに見積もっても、年間 1000 種に及ぶという。その大部分は熱帯の森林その他の重要な棲息場所の破壊から生じているという。そして今後30年間に100万種に及ぶ生物が姿を消すかもしれないというのだ。進化のプロセスは新しい種を生み出す。しかしその出現力をはるかに絶滅率が上回っている。

『バイオフィリア』筑摩書房 (2008/9/10)
過去 1000 万年の間に出現したいくつもの分類群――コンドルやサイ、マナティーやゴリラといったお馴染みの動物が含まれる――全体が姿を消そうとしていると著者は警告する。ヒトはもっとも最近に現れた環境の荷物に過ぎなく、その破壊性は地球の歴史においてこれまでに類を見ないものだという。破壊性は工業化社会が生んだものと私は思うが、その問題はすべて解決可能だと信念にしがみついていても何ら得るものはないと著者は断言する。何よりも必要なのは、我々が抱えている問題の真に生物学的な側面に関する知識であり、共通の難局に直面したときに発揮されるべき公共心であり、行動する穏健派というリーダーシップのあり方だという。生物の世界がもっと探求されれば、経済的利用のためにも、より高い生産性を持つ生物を選ぶことができる。種の多様性は地球のもっとも重要な資源のひとつであるからだ。この差し迫った緊急課題に対して、人類は何をすべきか。森林伐採に象徴される環境破壊を止めることが第一義だが、広く一般にこの問題を周知、啓蒙することが必要である。特に将来を担う子どもたちへの環境教育が望まれる。E・O・ウィルソンの功績にちなんだ施設を紹介しておこう。フロリダ州ウォルトンのパンハンドルに2009年に開設された、E・O・ウィルソン・バイオフィリアセンター。学生や教師、研究者のための生物および自然保護教育施設で、4万8000 エーカーの自然保護区となっている。最高経営責任者であり創設者のM・C・のデイヴィスは「子供たちが都会の団地で成長し、花や野生動物に触れることがないとか、またはその道を歩くことがないとすれば、彼らはら恋に落ちることができますか?」と語ったそうだ。

2018年6月17日

国際博物館会議(ICOM)2019 京都大会

ICOM 京都大会のポスター

2019年9月に京都で開催される国際博物館会議(ICOM)京都大会の PRポ スターが完成。ポスターには、画家で文化功労者の絹谷幸二氏が ICOM 京都大会のために描き下ろした「光降る街・京都」を起用している。

ICOM  国際博物館会議(ICOM)京都大会2019の開催について(京都市内博物館施設連絡協議会)

2018年6月15日

はじまりの線刻画:アイルランド・スカンジナビアから奄美群島へ


日 時:2018年6月16日(土)~30日(土)10:00〜18:00(日曜休館)
会 場:多摩美術大学八王子キャンパスアートテーク八王子市鑓水
入 場:無料
主 催:多摩美術大学 芸術人類学研究所
共 催:上智大学グリーフケア研究所・身心変容技法研究会

2018年6月9日

人間の欲求に自然を従わせようとする愚行

サヴァンナの遊牧民 (コートジボワール)1976年

インターネット通販サイト Amazon 日本法人ができてから、私の書籍、音楽レコードの入手方法が大きく変わってしまった。特に洋書のたぐいは、高価だったり店頭になかったりして、これまであきらめていたものまで簡単に購入できるようになった。音楽レコードもそうで、この数年、街の店に入ったことがない。本当は一般書店やレコード店で消費したほうが良いのだろうけど、アマゾンの利便性に負けてしまう。買うばかりではない、必要ない書籍やCDなどの売却処分も、Amazon のマーケットプレイスを利用するようになった。

中央公論新社 (1976/01)
まだインターネットが普及する前、スペースをとるので持て余した文学全集を古書店に持ち込んだことがある。ところが驚くべき査定の低さに落胆したことを今でも思い出す。考えてみればいつ売れるかわからない書籍、引き取り価格が二束三文であることは仕方ないかもしれない。ふと思い出し川田順造著『曠野から』を検索したら、マーケットプレイスで見つかった。川田順造はフランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』(中央公論社)の翻訳者としても知られている。レヴィ=ストロースの『構造人類学』(みすず書房)は専門的過ぎて根を上げてしまったが、『悲しき熱帯』はエッセーゆえ、読みやすく親しみを持てる著書である。「私は旅や探検家が嫌いだ。それなのに、いま私はこうして自分の探検旅行のことを語ろうとしている」というその書き出しが私は好きである。文化人類学に対して門外漢である私がすんなり読めたのは、翻訳の妙があったこともある。それもそのはずで、川田順造は『曠野から』で日本エッセイシスト賞、『聲』で藤村記念歴程賞、『口頭伝承論』で毎日出版文化賞を受賞している人である。実は『悲しき熱帯』も『曠野から』も、実に優れた文学作品の趣がある。著者あとがきによると文化人類学のフィールドワークのため、西アフリカに暮らしている間に綴ったもので、主としてオート・ヴォルタが舞台となっている。私が最初に読んだのは筑摩書房から初版が出た1973年ごろだったと記憶している。
このサヴァンナに生きる人々の生活は、荒々しい自然に対して人間がきわめて受動的にしか生きないとき、人間がひきずらなくてはならない悲惨を私にみせつける。だが、自然に対して人間がいどみ、人間のもつある種の欲求に自然を従わせようとする努力を、しゃにむにつづけたとすれば、そのゆきつく先は、世界の一部にわれわれがすでにみているように、一生土をふまず、合金の檻の中で無精卵を産み続ける鶏や、植物の実としての機能を奪われた種子なしの西瓜を作り、大気や海を汚し、性行為を生殖から切り離し、間もなく死ぬことが分かっている病人の心臓の鼓動が止まらずにいる時間を引き伸ばして、最期に言いたいことも言えなくしてしまう医学を生み出すことになるだろう。
と今日を予言している。この本が出版されたちょうど同じころ、私はセネガル、ガンビア、コートジボワールの西アフリカ3国を旅行した。都市部ではすでに近代的なビルが立ち並んでいたが、農村部にはまだ「野生」が残っていた。40年余りという年月で激変した世界を嘆息しながら、再び一気にこの書を読み下してしまった。 上掲コートジボワールの写真は、Kodak Photo CD から、フリーウェアの画像ビューワー IrfanView でなんとか抽出した。世界的に有名なソフトで Windows 10 に対応している。Photoshop は古い CS3 までしか読み込むことができないようだ。この辺りにも時の流れを痛感する。

2018年6月5日

京阪電車が地上を走っていた頃

出番を待つ?

電車の音でよく起こされたもんでしたわ…。糸問屋を営んでいた古老が、目を細めて昔話をしていたことが思い出される。花街宮川町に泊ったときの話だそうである。私も京阪電車が京都市内の地上を走っていたことをよく憶えている。南座前の踏切の遮断機が下りるたびに、四条通の自動車が停滞したことも。

『京阪エクスプレス』
市バスを降りて 三条を東へ
あの娘はまだこない 鴨川プカリ

    線路はクネクネ 淀川ノロノロ
    京阪特急はウロウロ 夢路をウトウト

冬はユリカモメ 春は桜
夏は鮎釣りだけど 秋はなんだっけ

太陽は右左 雲が揺れる
川辺の兎が飛んで 鳥とジョッギング

おじさん何処へ おばさんどちらまで
四角いビルを見上げ ぼくはフラフラ

淀屋橋に滑り込み 終着駅とアナウンス
きみには終りがあるのかい ぼくにもあるのかい
これは京都から京阪特急に乗って仕事場の大阪に通っていた頃、1986年3月に作った歌である。作曲能力がないのでメロディはアメリカの伝承歌謡 "New River Train" のそれを借りている。京阪電鉄が東福寺~三条間の地下化をしたのは翌1987年5月で、自動車交通の混雑が大幅に緩和された。同時に出町柳まで延長され、大阪への通勤圏が広がった。ただし車窓からの風情ある眺めが消え、大いに落胆したものである。歌では淀屋橋が終着駅となっているが、現在は中之島である。当時、この歌を含め、自作の歌を引っ提げて厚かましくもライブハウス『拾得』の「アコースティック飛び入りライブ」のステージに立ったことが懐かしい。今春、新しいギターを入手した。練習し直して再び人前で歌うことをひそかに目論んでいる。

YouTube  "New River Train" performed by the Monroe Brothers 1936