ヨーロッパ式の自然科学が本格的に日本に導入されたのは明治維新以降のことだった。それから100年も経たないうちに、医学の北里柴三郎、物理学の湯川秀樹など、世界レベルの研究者が次々に現れた。そんな科学発展の背景には、明治以前に普及していた東洋の博物学とでも言える学問「本草学」の存在があるのかもしれない。本草学は中国から伝来し、さらに日本で独自に発展した。古代ギリシア・ローマを起源とするヨーロッパの博物学が自然界に存在するものを収集・分類し、世界のありようを探求することを主目的としたのに対し、本草学は人の役に立つ情報、特に医学に役立つ情報を集めることを主な目的にしていた。下掲の古書は江戸時代中期に出版された百科事典『和漢(倭漢)三才図会』の1ページである。105巻81冊にもわたるボリュームで、天文・宇宙から人体、動植物、地理、人間社会に関する事柄まで、ありとあらゆるトピックが訓点付きの漢文とイラストを用いて解説されている。西洋から伝来した洋菓子のページの左側にはカルメラ、右側にはカステラが描かれているのが確認できる(江戸時代まで、フォーマルな文書は漢文で書くのが一般的だった)。西暦1609年、中国の明代に発行された『三才圖會』をベースに、大坂の医師、寺島良安(1654-?)が30年余りをかけて編纂、江戸時代中期の正徳2年(1712年)に成立した。
東洋医学で用いられる薬の多くは植物などの自然に存在するものを原料としている。しかし一方で、生き物の名前は地方や資料によってバラツキがある。例えば春の七草のひとつとして知られ、薬草としても利用されるナズナには、ペンペングサ・シャミセングサ・ビンボウグサといった異名があります。もしも名前のバラツキが原因で薬の原料を間違えると患者の命に関わる。なぜなら、植物の多くは大なり小なり毒を持っているからです(毒を薬効成分として使っているとも言えます)。そこで必要とされたのが、薬草の名前と特徴を整理したリファレンスをつくることでした。このことが「本草学」という名称の由来にもなっているのである。やがて本草学の守備範囲は医学の外側にまで広がってゆき、東洋の博物学と呼ばれるまでに発展した。ところで英語の Natural history が「自然史」ではなく「博物学」と訳されたのは幕末から明治初期だった。「博物」という熟語自体は、約2,000年前の中国の文献にすでに登場している。最古の例の一つとして、前漢時代(紀元前1世紀ごろ)の歴史書『漢書』(昭帝紀)に見られる。当時は「物事に精通していること」「博学であること」を指していた。「辨博(べんはく)にして物に達する」といった文脈で、珍しい動植物や鉱物、歴史的な遺物など、世の中のあらゆる事象に詳しい知識人の素養を指す言葉だった。その後、3世紀ごろ(西晋時代)に張華という人物が『博物志』という本を著した。これは各地の珍しい動植物や神話、地理などを記した「百科事典」のような本で、これによって「博物=世界の諸々を記述する学問(博物学)」というイメージがより具体的になったのである。Museum の訳語「博物館」が定着したのは幕末から明治にかけてであった。
本草学研究と植物図譜(本草綱目・本草通串証図・花彙)東京都千代田区独立行政法人国立公文書館




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