2019年4月28日

シンポジウム:闘うフェミニズム再び――怒りを力に社会を変える

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日 時:2019年5月18日(土)13:30~17:00
会 場:同志社大学寒梅館ハーディホール(京都市上京区烏丸通上立売下る)075-251-3270
主 催:認定NPO法人ウィメンズ・アクション・ネットワーク(WAN)
共 催:同志社大学フェミニスト・ジェンダー・セクシュアリティ研究センター(FGSS)
参 加:一般(1,000円)学生・非正規労働者の方など(500円)WAN会員無料

第一部「怒りから変革へ」
千田有紀さん講演/怒りたい女子会・福島自主避難の会、黙らない女たち/在日本朝鮮人人権協会性差別撤廃部会のみなさんと怒りのセッション
第二部「怒りでつなぐ」
アジア女性資料センター/メディアで働く女性ネットワーク/WiMNJapan /明日少女隊のみなさんほかのメッセージ
第三部「みなで気持ちよく怒ろう」
会場とのセッション

ウェブサイトより:フェミニズムはそもそも、怒りを力に不公正な社会を変えてきました。近年、男女共同参画や女性活躍推進がうたわれてきましたが、それらは必ずしもジェンダー平等社会の実現へとつながっているとは言えません。それどころか、性暴力やセクハラの頻発や被害者に対するバッシング、公正と信じられてきた大学受験における女性差別、ワンオペ育児といった言葉に象徴される相変わらずの女性のケア負担の偏重、女性の貧困の拡大など、平等に逆行する状況が続いています。今回のシンポジウムでは、「フェミニズムは闘う」原点にたちかえるべく、このような状況に怒れる女性たちに登壇いただいて発言していただき、
私たちは怒っているし、怒っていいんだ、を共有する。
イシューはそれぞれだが、怒ることがフェミ魂。
その志でつながれるの思いをつなぎ、より多くの人に声を届け、思いを共有する契機とします。

WWW WAN創設10周年シンポジウムを機にみなさんから「怒りのエッセイ」大募集

盲森夜々伴吟身被底鴛鴦私語新

一休宗純禅師木像坐像 伝:墨済禅師作(酬恩庵一休寺蔵)

洛西の地蔵院は竹の寺として知られている。その名の通り、竹の道が山門から本堂まで続いている。開け放たれた入口から薄暗い内陣奥に目を凝らすと、本尊の地蔵菩薩像をかろうじて窺うことができた。堂の横の苔むした庭にも20体近い石仏が並んでいる。 境内の左手奥に進むと大きな自然石がふたつ見えた。それぞれに一対の竹筒があり、花が活けられている。何も刻まれていない。裏に回ってみたが、やはり何も書いていない。墓所の駒札に「細川頼之、宗鏡禅師」とあり、やっとこれが「細川石」と呼ばれる墓石であることがわかった。室町幕府の基礎を築いた政治家と、そして禅の師の墓だが、その簡素ぶりは見事という他はない。

中央公論社(1978年)
ここは一休宗純禅師が幼少のころ修養された寺でもある。後小松天皇の皇子として1394(応永元)年にこの近くの民家で生まれたといわれている。拝観の栞によると、一休の弟子、済岳紹派が筆記した『祖先詩偈』には「休祖(一休禅師)は初め嵯峨地蔵院に御産也」とあるそうだから、本当なのだろう。水上勉さんとは何度かお会いしている。といっても京都の花街上七軒のレストラン「萬春」であったり、木屋町の居酒屋であったりだった。私は西陣に住んでいたので、地理的にも彼のいくつかの小説に親近感を覚えたものである。例えば『五番町夕霧楼』や『西陣の女』などだが、意外かもしれないが『金閣炎上』も同列である。2014年に閉店した「萬春」は水上さんにとって、いわばホームグランドのようなところだったようだが、お茶屋にも出没、小説を書くための取材をしたようだ。幼いころ若狭を離れ、相国寺瑞春院で修業した。その後同寺を脱走、等持院に移った。花園中学校を卒業した後、等持院を出て還俗したという経歴を持つ。少年水上にとって、花街は憧憬の的であった。作家として自立し、上七軒に通った裏には、幼年期の辛い修行へのリアクションであったのだろう。その彼が『一休』(中公文庫)を著したのは、おそらく自身の禅僧修行とオーバーラップさせたかったに違いない。若い禅僧の生活は綺麗事では済まされないものがある。性の葛藤である。僧院生活における男色の世界を赤裸々に綴っているが、その真意は一休の性を捉えようとしたものであろう。

酬恩庵一休寺(京田辺市薪里ノ内)
1470(文明二)年、一休77歳、住吉薬師堂で盲目の美しい旅芸人、森女(しんじょ)と出会い、艶歌に聴き惚れる。森女はたぶん瞽女(ごぜ)の身分だったのだろう。翌1471(文明三)年、再会をはたし、以後同棲することになった。生憎の小雨模様だったが、一休が晩年を過ごした京田辺市の酬恩庵一休寺を再訪した。参道の新緑が見事で壮絶な秋の紅葉を予感させる。方丈の縁側に立つと、ちらほら咲き始めたサツキが見えた。この寺を参詣する人の割合は「7:2:1」だということを、約20年前に訪問したときに住職に伺った。7割は「とんちの一休さん」のイメージ、2割が禅宗の高僧、そして1割が若い盲目の女性と同棲したことに関心がある訪問客だというのだ。水上さんが書いた伝記は、その2と1であるが、どうやら私は最後の1だけなのかもしれない。一休の『狂雲集』に「盲森夜々伴吟身被底鴛鴦私語新」という漢詩がある。これは愛の交歓をあからさまに詠ったもので「盲目の森伴者は毎夜詩を吟ずる私に寄り添い、夜具の中でオシドリのごとく、睦まじく囁き合う」という意味である。一休宗純は88歳の天寿を全うし、この世を去った。臨終の床の周囲には、見守る弟子たちに加えて、森女の姿があったという。日本人に刷りこまれた「一休さん」のイメージは、江戸時代の『一休咄』などに遡るそうだが、決定的になったのはテレビ朝日系で放映されたアニメだろう。方丈の一室に木像が安置されていたが、頬がこけた老人の像で、アニメとはほど遠い。しかし木像に人間臭さを感ずるのは私だけだろうか。

2019年4月23日

世界ピンホール写真の日は4月28日(日)です

WPPD 2019 ©Tsutomu Otsuka

毎年4月の最終日曜日は、世界ピンホール写真の日(Worldwide Pinhole Photography Day)です。今年は4月28日(日)です。この日に制作されたピンホール写真を、下記ウェブサイトにアップロードすると、特設ギャラリーに掲載されます。

WPPD Welcome to the Worldwide Pinhole Photography Day 2019

2019年4月22日

京都平野神社植物誌

コデマリ(Spiraea cantoniensi)京都市北区平野宮本町

ツツジ(Rhododendron L.
初夏を彷彿とさせる陽気に誘われて、近くの平野神社に出かけた。普段の外出時はコンパクトカメラのみだが、思うところがあり、接写用レンズを付けた一眼レフを携行した。現住所に引っ越したのは十数年前だった。その前は上京区千本通一条に住んでいたのだが、近い割に寄ることは少なかった。京都市内では最も早く咲く枝垂れ桜「魁(さきがけ)桜」を撮影することが稀にあった。また大晦日から元日にかけ、北野天満宮に参詣したついでに、この神社へ初詣の梯子をするのが常だった。社殿の南側の外苑が桜の名所だけど、シーズン中に建てられる花見茶屋の雰囲気がどうしても馴染めなかった。それは今でも変わらない。看板その他の派手な色彩が折角の桜の風情を明らかに殺してしまうからだ。酒宴に耽る人々にはお似合いかもしれないが、とてもじゃないけど静かに鑑賞できない。このことをお花見シーズンが始まる前に書こうと思ったが、なんとなく営業妨害じみてる気がして遠慮してしまった。その代わりとでもいうのだろか、東側の桜苑は鉄柵に囲まれ、桜などの植物が保護されている。今年からお花見シーズンに限って有料となった。

ヤマブキ(Kerria japonica
社寺の庭などに対する拝観料については様々な意見がある。しかしこの桜苑に関しては、樹木の養育のためベターな措置で、有料もやむなしである。引っ越しして以来、私はこの桜苑に寄ることが慣わしになった。敢えて通うという訳ではなく、お気に入りとなったパン屋で買い物をした帰りとかではあるが。そしてタンポポに始まり、桜以外の折々の草花に次第に惹かれるようになり、気まぐれにシャッターを押すことになった。例えば平安神宮の神苑に見られるような整然はここにない。野草であったり、園芸種であったりするのだが、雑然を装った四季のミニパノラマは誰の演出であろうか。市が運営している「京都観光Navi」に花だよりのコーナーがあるが、平野神社の情報が載るのは、おそらく桜だけではないだろうか。それはともかく、今日はタンポポ、ヤマブキ、シャガ、そして開花したツツジ、新緑のコデマリの蕾などにレンズを向けた。できれば引き続き、気まぐれながら折に触れ、平野神社の植物誌をお届けしたいと思っている。

2019年4月21日

タンポポの綿毛の建築学

大津港(大津市浜大津)

母親が死の床に臥す前の、まだ元気だったころ、帰郷した帰り道で娘が道端のタンポポの綿毛を撮った。その写真が気に入ったので、月刊誌『アサヒカメラ]の子ども向けコンテストに応募を奨めたところ、私の思惑通り入賞した。タンポポの綿毛はとても魅力的だ。種子が集まったもので、構造はドームと同じだという。息を吹きかけるとたちまち形が崩れ、種子がバラバラになって、空の彼方に飛んで行く。その姿もまた可愛らしく、そして愛おしい。子どものころ、好奇心で目覚まし時計を分解し、元に戻せなくなって泣いたことがある。しかしタンポポのドームはそれどころではなく、種子を集めて修復というのは絶対に無理だと思う。イスタンブルで拝観したモスクのドームは、建築学的に優れていてひどく感心した。しかし風を受けると分解して拡散す技術を、人間は模倣できないだろう。初夏を感じさせる陽を浴びながら、自然の神秘に触れた思いがする。

2019年4月20日

アインシュタインと女神カーリーの舌

Albert Einstein Signed Photograph by Arthur Sasse 1951

A. Einstein by Andy Warhol
アルバート・アインシュタインが舌を出している写真をプリントしたTシャツやポスターなどを、一度は見たことがある人が多いと思う。72歳の誕生日、1951年3月14日、ニュージャージー州プリンストンで UPI のアーサー・ザッセが撮影した写真が元になっている。プリンストンには大学とは別の、アインシュタインが研究活動した高等学術研究所があるが、そこが祝賀会場だった。群がる写真家に笑顔を振りまくのにウンザリしてイベント会場を逃げ出し、高等学術研究所のフランク・エイデロッテと、その妻マリー・ジャネットと車の後部座席に乗り込んだ。ザッセがすかさずカメラを向けると、アインシュタインは舌を出した。新聞に掲載されたこのスナップをアインシュタインはいたく気に入ったようだった。UPI に手紙を書き、両脇に写っているエイデロッテ夫妻を外してトリミングした、プリント9枚を注文した。上掲のサイン付き写真はそのうちの一枚で、アメリカの放送ジャーナリストで、政治評論家、そして俳優でもあったハワード・K・スミスにプレゼントされたものだ。万年筆で "Diese Geste Dir gefällt, Weil sie gelt der Menschenwelt, Der Civilist kann sich's leisten, Kein Diplomat kann sich's erdreisten. Ihr Freund und dankbarer Zuhörer, A. Einstein, 53."(全人類に向けられたこのジェスチャーを好きになるでしょう。民間人ゆえに、外交官があえてしないことをする余裕を持つことができます。忠実にして感謝、あなたのリスナー、A・アインシュタイン、53年)と書かれている。ハワード・K・スミスは当時 CBS の支局長だったが、晩年のアインシュタインは、毎週日曜に放送されていた彼のニュース番組を聴いていたようだ。

Sticky Fingers (Rolling Stones Records ‎– COC 59100) 1971

Kali: Goddess of Time
アーサー・ザッセが撮影したアインシュタインの写真から、私はローリング・ストーンズのロゴを連想したことがある。真っ赤な舌と唇のイラストは、アインシュタインのそれのパロディじゃないかと長い間誤解していた。ジョン・パスケが 1971年に制作したものだが、いささか悪趣味とも言えそうなデザインである。ところがマイナスイメージにならず、ローリング・ストーンズの象徴に昇華、50年弱に渡ってファンに愛されてきた。彼らが設立したローリング・ストーンズ・レコードから、1971年にリリースされた初のスタジオ・アルバム『スティッキー・フィンガーズ』 (Sticky Fingers) のライナーノーツに使われた。モチーフはミック・ジャガーの舌にインスパイアされたものとも言われてるが、そうではない。彼がパスケに、ヒンドゥー教の女神カーリーを使うように助言したようだ。ビートルズをはじめ、多くのミュージシャンがインド思想に傾倒した時代だった。それにしてもカーリーは血と殺戮を好む戦いの女神。シヴァ神の妻の一柱であり、カーリー・マー(黒い母)とも呼ばれている。シヴァ神を踏みつけ、生首を持ち、舌をベロリと出して踊りまくっている絵を見ると、恐ろしい女神を想像してしまう。残忍で醜悪であるにも関わらず、実はインドでは人気もあり信者数も多いメジャーな女神なのである。敢えて奇をてらったようにも窺えるが、ミック・ジャガーの面目躍如が隠されている。事実、世界で最も浸透したロゴのひとつとなった。ジャケットをデザインしたのがアンディ・ウォーホルだったため、このロゴの制作に関係したと勘違いしている人がいるようだが、当時若干24歳、無名ながらミックと意気投合した大学院生が考案者だった。

2019年4月19日

生かそう憲法 守ろう9条 5・3 憲法集会 in 京都

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日 時:2019年5月3日(金・祝)13:30~(雨天決行)
会 場:円山野外音楽堂京都市東山区円山町)075-255-9939
講 演:小森陽一(九条の会事務局長)手話通訳があります
演 奏:京都うたごえ協議会~平和のバトン~
デ モ:円山公園(15時すぎ出発)⇒四条通⇒河原町通⇒京都市役所前
主 催:憲法9条京都の会安倍9条NO!全市民アクション・京都
照 会:Phone:050-7500-8550 Fax:075-603-8135 Email:kenpo@9-kyoto.net

2019年4月17日

開高健:大物釣りは写真のために始めたんだ

文春文庫(1978年)
釣りはしないけど、私は釣り文学が好きだ。世の中には結構そういう人がいるのではないかと想像している。そして釣り人以外の間でも、ポピュラーな釣りの本が世の中に存在する。その典型がアイザック・ウォルトンの『釣魚大全』である。原題が「完全なる釣り師」とあるので一見釣りの指南書に見える。しかし「瞑想する人のレクレーション」という副題が続く。不可思議な本で、釣りの話以外に多くの詩や博物的な知識が盛り込まれている。ゆえに釣り人であるなしに関わらず、17世紀に出版されて以来、360余年に渡って綿々と読み継がれてきたのだろう。タイトルをもじった開高健『私の釣魚大全 』は傑作中の傑作だと思う。井伏鱒二『川釣り』『釣師・釣場』も渋い釣り紀行集で秀逸だが、とりあえず開高さんの本をお持ちでないかたには手にとることをお勧めしたい。とにかく「タナゴはルーペで釣るものであること」「タイはエビでなくとも釣れること」など、タイトルだけでも引きずり込まれてしまう珠玉の作品が並んでいる。開高さんの軌跡を辿ると、アーネスト・ヘミングウェイの残像が浮かび上がってくる。ジャーナリストとしてスペイン内戦に従軍、この体験を元にして『誰がために鐘は鳴る』を著した。また『武器よさらば』は第一次大戦のイタリア戦線従軍の経験が元になっている。ノーベル賞を受賞した作品『老人と海』は晩年を過ごしたキューバの漁師に取材したものだが、明らかに海釣りの体験が投影されている。ここで自伝的な影が落ちている『ニック・アダムズ物語』に触れたことがあるが、私は若き日の鱒釣りを綴ったこのシリーズが好きである。

新潮文庫(1974年)
さて開高さんだが、釣りは運動不足を補うために始めたという。勧められるまま月刊誌『旅』に釣り紀行を連載したが、文藝春秋の目にとまり、この本となったという。開高さんは朝日新聞の特派員としてベトナム戦争に従軍した。そのときの「戦友」であった「秋元キャパ」こと秋元啓一さんと釣り旅行をし、それが『フィッシュ・オン』という一冊に結実する。つまり、この辺りがヘミングウェイとオーバーラップするのである。その開高さんが亡くなる前、一緒にお酒を飲む機会があった。誘ってくれたのは、南北両アメリカ縦断釣り紀行南米編に同行した、週刊朝日の森啓次郎記者だった。いつ頃だったろう、松茸を食べたのを覚えているから、秋であったことには間違いない。最後に繰り込んだのは、大阪・道頓堀のおでん屋『たこ梅』だった。ここには鯨の舌を煮しめた「サエズリ」という絶品がある。開高さんは他のものには目もくれず、錫製のおちょこを片手にこの絶品を注文し続けていた。「なぜ大物狙いの釣りばかりなんですか。ウォルトンに倣ってフライ・フィッシングの本場、英国へ鱒釣りに行きませんか」と私。すると「いいねぇ、鱒釣り。ただね、大物釣りは写真のために始めたんだ」という返事。その時は訊かなかったけど、私はてっきりヘミングウェイの影響かと密かに思っていたので、これは意外な答えだった。そういえば作家であるが、サントリーの宣伝部に在籍していたこともあり、人の目を引く編集に長けたかたである。そのノウハウは集英社の『オーパ!』シリーズに引き継がれたが、私との英国行きの約束は今は夢と化してしまった。

2019年4月15日

鈴木敏夫とジブリ展

~宮さんは絵を描き、僕は字を書く。~

日 時:2019年4月20日(土)~5月12日(日)10:00~18:00
会 場:神田明神文化交流館[EDOCCO]神田明神ホール(千代田区外神田2-16-2) 03-3254-0753
主 催:株式会社乃村工藝社/株式会社ローソンエンタテインメント
協 力:スタジオジブリ|STUDIO GHIBLI(小金井市梶野町)Email:ghibli-suzuki@nomura-g.jp

2019年4月13日

銀塩モノクローム写真の魅力

Harman Titan 4x5 Pinhole with Ilford Delta 100 Professional Film
桂川(京都市右京区嵯峨天龍寺造路町)ピンホール写真

ライカMモノクローム(Typ246)
写真術がカラーで始まっていたなら、モノクローム写真は生れていただろうかと考えることがある。この場合のモノクロームとは黒白と同義と解釈していただければ結構である。写真と同根の映画は無論だが、テレビも最初はモノトーンだった。ミュージシャンのプロモーションビデオで、一時モノトーンが流行った記憶があるが、一般にはビデオの世界はカラーがメインだと思う。映画の場合でも『コーヒー&シガレッツ』のような例はあるが、やはりマイナーな感じは拭えず、一般に知られてる作品はカラーが主体だと想像する。映画やビデオと比べると、写真の世界ではモノトーンが依然盛んではないだろうか。「ライカMモノクローム」(Typ246)といった例外もあるが、デジタルカメラによるモノトーン作品はカラー情報を破棄したものだと思う。無彩色に変換したものなら、これは銀塩写真におけるそれとは根本的に違うと言える。フィルムの感光乳剤は今日ではハロゲン化銀が使われている。ハロゲン化銀というのは、臭素や塩素などのハロゲン族元素と銀を化学的に結合させたものだ。これはモノクロームもカラーも同じである。モノクロームの場合、光が当った部分が現像によって目に見える銀粒子となる。一方カラーの場合は、現像主薬がカプラーと反応して三層に不溶性の色像を生成させる。そして銀は漂白されて消えてしまうのである。つまりモノクローム写真は銀粒子による像、カラーは色素による像で、両者は根本的に違う。写真は最終的に印画紙にプリントされるが、大雑把にいえばフィルムと同じ原理である。

カラー写真の彩度をゼロにしてモノトーン化してみた
京都御所(京都市上京区京都御苑)
時代祭平安婦人列の巴御前に扮した祇園甲部の芸妓里美

だから従って、モノクローム写真の美しさは、銀粒子の美しさなのである。仮にモノクローム写真を銀粒子による画像と定義すれば、染料や顔料によるプリントはモノクローム写真になり得ない。突き詰めれば、モノクローム印画をスキャナで取り込んだデジタル画像もモノクローム写真ではないということになる。つまりパソコンのディスプレーで「鑑賞」するのはモノトーンの画像ではあるが、写真ではない。デジタルカメラで撮った画像からネガを作り、モノクローム印画紙に焼いたものはどうだろう。これはちょっと微妙でなんとも言い難い。ただそんなことをするくらいなら、私だったら最初からフィルムで撮るに違いない。ではフィルムで撮り、デジタルプリンタで銀塩ペーパーに伸ばしたものは、どのように解釈したらいいのだろうか。これも判断に窮するが、大型プリント制作の例外的現実として私は視野に入れてはいる。とはいえ、いずれにしても、モノクローム写真の王道は、モノクロームのフィルムで撮り、モノクローム印画紙、特にバライタ紙に焼くことだと私は信じている。しかし現実的には、暗室作業を伴うモノクローム作品の制作は、次第に視界から消えつつある。石内都さんは「いかなる色彩もモノクロームにあっては、黒と白に近づく為だけの仮の色」と『モノクロームーム』(筑摩書房1993年)の中に書き残している。なおモノクロームを短縮した「モノクロ」は和製英語である。英語圏では black & white あるいは B&W すなわち「黒白」と呼ばれている。

2019年4月11日

新 5000 円札 津田梅子の肖像は左右が逆の鏡像

元の写真と向きが違う新5000円札の肖像

政府は4月9日、10000円、5000円、1000円の紙幣を 2024 年度上半期をめどに刷新すると発表した。5000 円札のおもて面は、津田塾大学の創始者として知られる、津田梅子の肖像が使われることになったという。元になった写真を探してみたところ、肖像写真が載っている津田塾大学の「津田梅子賞」のフライヤーが見つかった。これをよく見ると左右が逆で、鏡像になっている。和服の前合わせの呼び方は間違えやすいのだが、右手で持った襟を先に合わせることを「右前」と呼ぶ。フライヤーの写真を見ると、和服の着方としては正しく「右前」になっていて、いわゆる「裏焼き」の写真ではない。肖像は紙幣の右寄りに置かれるので、真ん中に視線が向くように反転させたようだ。なぜ逆向きの写真を探し、デザインの参考にしなかったのか不可解だ。

追記:菅義偉官房長官は16日の記者会見で、新5千円札にデザインされた津田梅子の顔の向きが提供元の写真と逆との一部報道の指摘について、問題ないとの認識を示した。(共同通信4月16日)

PDF  津田塾大学「津田梅子賞」のフライヤーの表示とダウンロード(PDFファイル 796KB)

2019年4月7日

踊りを鼓舞する悪魔のバグパイプ


バグパイプはヨーロッパに広く分布する楽器で、ニューヨークのメトロ・パイプ・バンドの Facebook ページに掲載されたイラスト(画像クリックで拡大)を見ると、その多様さに驚く。日本ではスコットランドのグレート・ハイランド・バグパイプ、アイルランドのイリアン・パイプがよく知られている。昨年秋に投稿した「ブリューゲル『婚宴の踊り』に込められた意味」で、禁断の踊りにバグパイプが使われたことに触れた。スコットランドのそれは戦意高揚と祭礼のために演奏されたが、無論、踊りの伴奏にも使われた。上掲のイラストは、スコットランドの国民的詩人であるロバート・バーンズ(1759-1796)の詩『シャンタのタム』のために、サムエル・S・スミス(1810-1879)が制作した銅版画である。とんがり帽子を頭にした女性を中心に、棒きれを手にした人たちが踊り狂っているが、右奥で悪魔がバグパイプを吹いている。そして左後方のアーチ型の窓から、大黒頭巾帽を被った男が馬上から覗いている。森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』にも描かれているように、日本の盆踊りは性的交遊空間でもあった。スコットランドの農民にとって、最大の愉しみであった納屋の踊りの背後に、性愛への欲望が渦巻いていたと言えるだろう。

2019年4月5日

米大統領選に出馬表明した LGBT 公表の市長


米大統領選は2020年末、1年以上先だけど、すでに15人以上の民主党議員の立候補が噂されている。なかでも注目されているのが、米インディアナ州サウスベンドのピート・ブティジェッジ市長で、1月23日、出馬すると公表した。1982年1月19日生まれの弱冠37歳。ハーバード大学で歴史の学位を取得、ローズ奨学生として英オックスフォード大学に留学した。ローズ奨学制度は、世界最古の国際的フェローシップで、超難関で知られている。要するに秀才に与えられる制度である。2012年に29歳の若さで市長に当選した。彼はゲイであることを公表、昨年、チェイスン・グリーズマン氏と同性婚をした。LGBT は米国では広く認められているので、マイナス材料にならないと思われる。日本だったら保守主義者の恰好の攻撃材料にされる可能性があるので、その点はさすがに米国らしい。特筆すべきは、米海軍予備役で、市長の役職を休職してアフガニスタンに従軍した経験を持つことだ。昨年12月26日、ニューヨーク・タイムズが、ロナルド・トランプ大統領が22歳だった1968年、父親と関係がある医師の配慮で足の病気の診断書をもらい、ベトナム戦争への徴兵を回避していた可能性があると暴露した。二人のディベートの機会が実現し、どちらが「愛国者」かという議論になれば、ブティジェッジ市長が有利になるに違いない。またトランプ大統領が、トランスジェンダーの存在を認めない措置を検討している、という報道があるが、この点にどう反応するのか興味深い。いずれにせよ現段階では、可能性に関してはまだ透明だが、もし本選で勝利すれば、米国史上最年少の大統領になる。

2019年4月1日

改元狂騒曲

アドビ社が追加した新元号に対応した合字

テレビの電源を入れたら、安倍晋三首相が新しい元号について、何やら得意げに喋っていた。チャンネルを替えても同じだったので、あわてて電源を切った。この人の顔を見ると気分が悪くなるからだ。後でネットで調べてみたところ、記者会見で「春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように一人ひとりが明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、決定した」と述べたそうだ。有識者による元号に関する懇談会では「国書を典拠とすべきだと有識者全員が言っていた」とNHKの番組で公表していたたそうだが、自らの提案じゃなかったかと思われる。出典については、菅義偉官房長官が墨書を掲げながら、万葉集巻五、梅花の歌三十二首の序文から引用したと説明した。
于時初春月 氣淑風梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香
浅学ゆえ万葉集に関しては、はなはだ不案内だが「初春の令月にして気淑く風和ぎ梅は鏡前の粉を披き蘭は珮後の香を薫す」との内容で、梅の開花とともに訪れた春への喜びをうたった部分だそうである。これまでの「大化」から「平成」の247元号は、典拠がわかっているものはすべて『五経』や『史記』など中国の古書からとられてきたとされるそうだが、この伝統を破ったことになる。背景にあるのは、安倍首相の元号の政治利用に他ならないだろう。英国のデイリーテレグラフ紙は「安倍保守政権の国粋主義的傾向と結びついているように見える」という論評を加え、日本の右傾化を懸念する報道をしている。漢字の祖国である中国では、令和は零和に通ずる、すなわち平和ゼロという極めて縁起のよくない元号、漢字のなんたるかをわかっていないという皮肉がネットで飛び交ったという。各地で新聞の号外を奪い合いする騒ぎが起きたそうだが、すんなり令和を受け入れる風潮、いささか不気味に感ずるの私だけだろうか。

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