2019年10月31日

首里城の中庭でカドリールを踊る女学校の学生たち

首里城の中庭で開催された沖縄県立高等女学校の運動会(1907年頃)

きょう31日未明、沖縄県那覇市の世界遺産の首里城跡上に復元された正殿などが焼失、全国に衝撃が広がった。1453年・1660年・1709年・1945年の焼失に次いで、歴史上5度目の焼失となった。首里城の創建年代は明らかではないが、13世紀末から14世紀のグスク(御城)造営期に他の沖縄の多くの城同様に成立したものと考えられるそうである。1945年5月25日から3日間に渡りアメリカ軍艦ミシシッピなどから砲撃を受け、5月27日に焼失、1958年に守礼門が再建されたのを皮切りに、円覚寺門など周辺の建築から再建が始まった。上掲の写真は、沖縄在住の元米軍海兵隊員、古写真蒐集家ロブ・オーシュリ氏によると、1907(明治40)年に撮影されたという。オリジナルの写真は不明だが、近くにあった写真館が撮影したと思われる。

首里城時代の県立高等女学校の学生たち(那覇市歴史博物館蔵)1908年

1879(明治12)年、明治政府は500名弱の部隊で首里城に乗り込み、一方的に強権をもって沖縄県の設置を断行し、琉球王国を滅ぼした。首里城の御庭(うなー)すなわち中庭で女学生たちがカドリール(quadrille)を踊っている。カドリールは4組の男女のカップルがスクエアになって踊る、歴史的ダンスだが、女学校ゆえに女子学生ばかりである。運動会の一コマで、万国旗が写っている。首里城には複数の学校が間借りしていた時代があり、沖縄県立高等女学校もそのひとつだった。髪型、そして小袖(こそで)に女袴といった制服に違和感を覚える。明治政府が琉球の生活風習を剥奪し、大和風のそれを押し付けたことがよく分かる。蛇足ながら県立高等女学校は1922(大正11)年に、全校生徒自治会で「女学生の制服として、和服と洋服と何れが可なりや」との議題が提案。賛否激しい議論になったが、1926(大正15)年 、セーラー服に正式決定された。1928(昭和3)年に県立第一高等女学校に改称、1945(昭和20)年に沖縄戦で壊滅、廃校になった。

2019年10月29日

ユージン・スミスはプリントにこだわった写真芸術家だった

写真家ユージン・スミスを演ずるジョニー・デップ

ユージン&アイリーン・スミス(1974年)
ジョニー・デップ主演の映画「水俣(邦題未定 原題:Minamata)」の撮影が始まり、ユージン・スミス(1918–1978)および水俣病への関心が高まっているようだ。京都国立近代美術館で写真展「没後30年W・ユージン・スミスの写真」が開催されたのは2008年だった。これだけ揃ったスミスのオリジナルプリントを鑑賞するのは初めてだった。実はプリント以前のプリントを私は見ている。1972年か翌73年だったと思うが、働いていた仕事場に彼が現れたのである。暗室を貸して欲しいという。カールした何枚かのプリントを取り出し、赤血塩でレタッチを始めたのだが、その水洗を私は手伝った。プリントの暗部を漂白、潰れたトーンを起こす作業をしたのである。まだ多諧調印画紙がなかった時代である。つまり彼はひとつの印画紙の中で、違うトーンのエリアを作ることをしていたのである。今ならフォトショップを使えば簡単だが、決して容易なものではなかった。私は手伝いながら、なんでこんな面倒なことをするのだろうと怪訝に思ったものである。その秘密が解けたような気がする。美術館に並んだスミスの写真は見事ファインプリントだった。かつて観た「ロバート・キャパ展」に通ずるものがある。プリントは弟のコーネルの手になるものだ。戦争写真というジャンルに関わらず、それがファインプリントであった違和感を私は感じたが、それはコーネルの意志だったに違いない。しかしスミスのプリントは明らかに自身の意思、いや遺志だと私は想像する。そう感ずるのは、赤血塩でプリントの暗部を漂白する彼の姿が目に焼き付いて忘れられないことに起因する。会場に展示されたグラフ誌『ライフ』のグラビア印刷は、そのトーンを掬い取っていない。

三一書房〔新装版〕版 (1991年)
美術印刷でも無理なのである。彼はフォトジャーナリストであった。しかし同時に彼は写真芸術家であったのである。多くのフォトジャーナリストにとって、プリントは印刷原稿に過ぎない。だからあのセバスチャン・サルガドにしても、現像、プリントは他人任せなのである。スミスに同行していたのが、助手であり伴侶であったアイリーン・美緒子・スミスだった。すでに話題になっていた「入浴する智子と母」の撮影について、彼女が私に饒舌に語ってくれたことを思い出す。何度も風呂場を下見、光線状態がベストになる時間帯を調べたという。撮影の際にはスミスの横で彼女がストロボを持ち、天井にバウンスさせたという。この写真は水俣病闘争のシンボル的な存在になり、多大な影響を与えたことはご存知の通りである。しかし写真は現在封印されて見ることができない。収録されている原著 "MINAMATA" はおそらく入手困難だろう。水俣病の悲惨さの象徴であったこの写真は、智子さんの死を機会に、母親の上村良子さんから、もう世に出さないで欲しいという強い嘆願が寄せられた。この願いを著作権所有者のアイリーンは受け入れたのだが、その間の事情を、清里フォトアートミュージアム館長の細江英公氏によるインタービューで次のように答えている。曰く「私が両親の願いを押しのけてこの作品を出し続けることは、作品に対する冒涜であり、否定でもあるんです。あの写真の言う命、愛情を大切にということを裏切ることになります。じゃあ、発表をやめることで小学生がこの写真を知る機会を失うという点はどうするか。私は写真のパワーについて今でも子供達に話しに行くんですよ。この写真自身は完成品じゃないんだと」云々。

2019年10月26日

キングレコードの民族音楽シリーズは音の世界遺産

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一昨日ポストしたばかりのエントリー「クルディスタンの音楽に惹かれる」の末尾に、キングレコードの「ワールド・ミュージック・ライブラリー」は、音の世界遺産とも言える貴重な音源と書いた。端的に言えば、ユネスコの世界無形遺産に認定されているジャンルの音源を、多数取り揃えているということなのだが、取りあえず音楽家の坂本龍一の推薦文の一部を紹介したい。
20世紀に始まったメディアの発達と急速なグローバル化のせいで、その多様性が急速に世界から失われつつあるのは、こと音楽だけでなく言語や伝統的民俗文化も同じです。この百年だけでも数千の言語が失われたとも言われます。音楽はどうでしょう。研究者に発見されず、登録されないまま失われた唄や音楽も、数知れずあるかもしれません。ぼくたちは、このような世界の多様な音楽を、これ以上失うわけにはいきません。それだけでなく、一度失われそうになったアイヌ語やゲール語が復活しつつあるように、なんとかそれらがこれからも人類の共通遺産として次世代に受け継がれることを、せつに願うものです。
若き日の小泉文夫
このシリーズは1999年に全100タイトルを発売、10年後に旧シリーズをベースに新録、未発売音源などを追加し、全150タイトルをリリースしたものだ。音源は日本の民族音楽学の巨人、東京芸術大学教授だった小泉文夫(1927-1983)が1960~70年代に行った、今や聴くことの出来ない貴重なフィールドレコーディングから、2008年の最新高品質デジタルレコーディングまで網羅している。小泉文夫の録音をはじめ、これまでキングレコードが録音し未発売となっていた秘蔵音源の初 CD 化もある。また各国の民族音楽の大物アーティストの新録音と、新アイテムを30タイトル以上導入、従来のラインナップをさらにパワーアップさせている。アメリカでは議会図書館が民謡蒐集家の手によって、伝承音楽を録音した。またスミソニアン学術協会とアメリカ国営スミソニアン博物館が傘下に置く、非営利レコード・レーベル Smithsonian Folkways も積極的に伝承音楽の記録を残している。しかしキングレコードの「ワールド・ミュージック・ライブラリー」は私企業の事業である。その音源の質と量から、これはまさにユネスコの「世界遺産」に匹敵すると思う。在庫がある巷のレコード屋さんは稀有だし、通販サイトにも円滑に入荷されていないようだが、ご安心を。下記リンク先の直販サイトで入手可能である。

King e-Shop  キングレコード株式会社「ワールド・ミュージック・ライブラリー」公式直販サイト

2019年10月24日

クルディスタンの音楽に惹かれる

カウィス・アクサ『クルド民族音楽の歴史的録音』1932–1936年

初めてクルドの音楽を聴いたのは、確かユルマズ・ギュネイ(1937-1984)が獄中から指示して制作された映画『群れ』(1978年)だったと思う。哀調を帯びた旋律に心が揺さぶられたと記憶している。クルド人が住むクルディスタンはトルコ東部、イラク北部、イラン西部、シリア北部とアルメニアの一部分にまたがる山岳地帯で、芳醇な伝承音楽を受け継いでいる。私はアメリカンルーツ音楽に心酔しているが、クルディスタンの音楽にも強い関心を持っている。東西に伸びるシルクロードと、南北を貫くスパイスロードとの交差点に位置し、音楽文化の淵源と言えるからである。広範な地域ゆえ、その全貌を語る資格は私にはない。所持している音源は貧弱そのものだが、二つのアルバムを紹介してみたい。上に掲げた『クルド民族音楽の歴史的録音』のカウィス・アクサ(Kawîs Axa 1889-1936)はトルコとの国境に近いイラク北部の村に生まれ育った。1915年に羊飼いの仕事を辞め、歌うたいになる。1930年に首都バグダードを訪れて録音をする。米国のカントリー音楽事始めの所謂「ブリストルセッション」が1927年だったことを想起すると、文明の利器、レコードがいち早く中東に伝播したわけで、驚きを禁じ得ない。以後、録音を繰り返したが、まさに歴史的遺産を残したと言える。蛇足ながらカバーの写真はクルドの女性をモデルに撮影したもので、アクサ自身は男の演奏家である。

ケルマンシャーのクルド音楽(2008年)
セイエド・アリ・ハーン・アンサンブルは長男の名前をグループ名にした音楽集団で、出身はイラン西部、アゼルバイジャンの南にあるケルマンシャーである。イラン最大のクルド人地区で、ペルシャとクルド、二つの文化がぶつかり合う豊かな音楽土壌を持ち、スーフィー音楽の中心地でもある。クルド音楽の花形楽器はタンブールだが、同名の楽器がトルコから中央アジア、アフガニスタンまであるが、それぞれ形状や弦の数が異なっている。クルドのタンブールの形は、トルコのサズやシリアやレバノンのブズクに似ているそうだ。グループのリーダーであるセイエド・アリ・ジャーベリー・ハーンは1974年生まれという若さだが、この楽器を担当、超絶技巧と忘我の熱唱を残している。3弦の簡素な構造のタンブールを使用しているが、複雑精緻、極めて豊かな表現力を発揮している。ダフと呼ばれる太鼓はセイエド・アヒアルディン・ジャーベリーが担当している。なお、この CD は日本のキングレコードが1994年9月21日、同社の第2スタジオで録音、『イラン・ケルマンシャーのクルド音楽~セイエド・アリ・ハーン』(英名"The Art of Seyed Ali Khan")と題し「ワールド・ミュージック・ライブラリー」の1枚としてリリースされた。このシリーズは現在150タイトル、世界に誇ることができる、まさに「音の世界遺産」とも言える貴重な音源だ。下記リンク先の動画共有サイト YouTube でその片鱗を窺うことができる。

SoundCloud  Listen to "Selseleyeh Muye Dust" by the Sayed Ali Khan Ensemble on SoundCloud

2019年10月23日

平野神社拝殿再建の遠い道のり

倒木で檜皮葺の屋根が崩落した平野神社拝殿(2018年9月4日)

仮拝殿(京都市北区平野宮本町)
北野天満宮の近くにある平野神社は、桜の名所として知られている。開花すると京都の花見が始まると言われている「魁桜」(さきかげざくら)は特に有名である。終戦までは官幣大社で、官幣中社だった天満宮より社格は上だった。10数年前に我が家は西陣から転居、平野神社が散歩コースになった。孫がまだ幼児のころ、一緒によく出かけた。ご法度の三輪車をしばしば乗り入れたけど、見て見ぬふりをしてくれたものである。そのお礼という訳でもないが、七五三詣りはこの神社だった。私は神道を信仰している訳ではない。仏教やキリスト教、イスラームと比べると、一番知識がない宗教と言えそうだ。それでも散歩で寄るたびに賽銭を投げ入れている。その平野神社の拝殿が昨年9月の台風21号によって倒壊した。江戸時代の初期、1650(慶安3)年に、後水尾天皇中宮で徳川家康の孫にあたる、東福門院によって建立された、文化的価値の高い建築物だった。再建には約1億3,000万円かかるそうだ。今年9月の段階で5,300万円弱の義援金が寄せられ、目標額の8,000万円に近付いている。境内には仮拝殿が建てられたが、あくまで仮の建物で、屋根は檜皮葺(ひわだぶき)ではなく、銅板葺である。当時の工法や建築様式を後世に残していくため、分解調査を元にし、復元を施しながら再建を行なうそうだ。檜皮葺の屋根は檜の希少性と技術の専門性、また、素材の採取や整形などの工事期間の長さから莫大な費用を必要とする。従って再建は3年後になるそうだ。道のりは遠い。

鳥居 平野神社台風被害復興協力金のお願い(インターネット寄付サイト)

2019年10月21日

エルドアン大統領と新オスマン主義

ヒジャブを纏ったロングコートの女子学生たち(スルタン・アフメット・ジャミイ)

ロケットマン(クリックで拡大)
イスタンブルの街並みに魅せられて何度か訪問した。トルコのモスクは日本の仏教寺院と違って拝観料を取らないので、歩き疲れると中に入って一休みできる。夏は涼しいし、冬は暖かい。とは言えスルタン・アフメット・ジャミイ、通称ブルーモスクは人気が高く、何時も観光客でいっぱいなので、うたた寝は無理だった。同じ遺跡公園地区にあるアヤ・ソフィア大聖堂は、東ローマ帝国の教会だったが、1453年、オスマン帝国のメフメト2世によってコンスタンティノープルが陥落、モスクに改装された。しかし今は入場料を伴う博物館になっている。この辺りを散策すると、否が応でもオスマン帝国の歴史に興味が注がれてしまう。いろいろ書籍を手にしたが、塩野七生『コンスタンティノープルの陥落』新潮文庫(1991年)が面白い。突然話は飛躍するが、下の写真は2015年5月30日、コンスタンティノープル陥落562周年の行事に出席したレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領夫妻である。トルコは1923年の建国以来、政教分離を徹底した世俗主義を国是とし、軍部など世俗派エリート層が国政を支配、女性が公共の場でヒジャブを着用するのも禁止された。しかしイスラーム復権運動の政治運動の象徴であるヒジャブを夫人は着用している。髪を布で隠すというのは前近代的だと思うが、規制が緩和され、なし崩し的に破られたようだ。

エルドアン大統領とヒジャブを着用したエミネ夫人(2015年)
滞在中に「ヒジャブを纏う権利もある」と主張する女子学生がいたのが印象的だった。何も着けていない観光客にルーサリーを貸しているモスクもあった。陰にちらつくのは「新オスマン主義」である。ローザンヌ条約(1923年)でトルコはオスマン帝国が保有していた領土の残りを放棄した。ところが公正発展党を設立し、大統領になったエルドアンはオスマン帝国の遺産を復活させようとしているのである。ご存知、シリア北部でクルド人民防衛隊 YPG と ISIS 掃討作戦をしていた米軍が撤退した途端、トルコは同地域に進攻した。トルコと米国は YPG が国境沿いから撤退する時間を与えるためとして、作戦を5日間停止することで合意した。しかしその後も一部で戦闘が続いているようだ。トルコは YPG をテロ組織とみなし、その根絶に躍起となっているが、新オスマン主義は、多くの西欧諸国との関係も断ち切った。背後にある真の動機は、旧オスマン帝国の影響を最大化することであると考えているのである。オスマン帝国はそのピーク時に、バルカン半島、現代の中東の大部分、北アフリカ沿岸の大部分、およびコーカサスを支配した影響力のある世界大国だった。帝国を築いてスルタンになりたいのだろうか、エルドアンは歴史の亡霊に翻弄されている。

2019年10月17日

灼熱東京五輪マラソン会場の札幌移転

東京五輪 2020 マラソン会場が炎上

国際オリンピック委員会(IOC)は、猛暑対策で、2020年東京大会の男女マラソンと競歩のコースを東京から札幌に移すよう、大会組織委員会や東京都などに提案すると発表した。先月下旬から今月上旬にかけてカタールのドーハで開催された世界陸上選手権では、暑さ対策でマラソンを真夜中に行ったにもかかわらず、気温が30℃を超え、湿度70%以上の環境で棄権者が続出。選手やコーチから批判の声が上がったことが引き金になったようだ。東京都の小池百合子知事は「唐突で驚きを感じる」とのコメントを発表したそうだ。金にまみれた五輪開催そのものに反対しているので、観戦する気は毛頭ない。だからチケット販売に関しては不案内だが、マラソンの2次抽選については今月8日に「申し込み受け付けを延期する」と発表していたという。

ということは IOC から組織委員会に打診があったと想像される。承知の事実かと思っていたが、都知事には知らされていなかったらしい。東京五輪についてはかねてから暑さが懸念されており、マラソンは午前6時、競歩は午前5時30分からのスタートとなっていた。気象予報会社のウェザーニューズが8月2日、東京五輪の陸上女子マラソンまでちょうど1年となった東京都内のコースで、レース時間に合わせて気温などを測定した。発着点となる新国立競技場の横では、スタート時間の午前6時時点で気温30℃超え、湿度も70%を記録した。9月に東京五輪代表選考会のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)が行われたばかり。東京の暑さやコースを想定して企画され、男女各2人の代表が決定した選考会だったが、大前提が崩れる可能性が出てきた。

国際オリンピック委員会「東京2020の猛暑に打ち勝つ」(英文)
ところで IOC は、2020年の五輪の開催都市を募集する際に「7月15日から8月31日まで」の開催を求めていた。1964年の東京五輪は秋に開催されたが、今回はメジャーリーグ、バスケットボール、アメリカンフットボールなど、米国の人気スポーツと重なるため、多額の放映権料を払う米テレビ局に配慮した。そもそも五輪招致から撤退する都市が相次いでいて、2024年大会はわずか2都市しか集まらなかった。従ってこの放映権に頼った五輪ビジネスモデルは、いずれ行き詰まるに違いない。東京五輪の組織委員会が2013年1月7日に IOC に提出した立候補ファイルの16ページには、大会日程について以下のように記されている。
2020年オリンピック競技大会は7月24日(金曜日)の開会式に続いて、7月25日(土曜日)から8月9日(日曜日)までの16日間で開催し、閉会式は8月9日(日曜日)に予定する。また、パラリンピック競技大会は8月25日(火曜日)から9月6日(日曜日)までの開催を予定する。

この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である。また夏季休暇に該当するため、公共交通機関や道路が混雑せず、ボランティアや子供たちなど多くの人々が参加しやすい。さらに、この時期は日本全国で伝統的な祭が多く開催される時期であることから、祝祭ムードが漂っている。また、重要な点として、この開催期間は他の大規模な国際競技大会とのスケジュールと重複しておらず、東京においても大会開催に影響を及ぼすような大規模イベントの開催を予定していない。
トーマス・バッハ IOC 会長
気象庁のデータによれば、過去20年間における、7月最後の10日間と8月最初の10日間の平均最高気温は、約32℃となっている。安倍晋三首相は2013年9月7日、アルゼンチンのブエノスアイレスで開催された IOC 総会の招致プレゼンで「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています」と真っ赤な嘘をついた。さらにこの立候補ファイルにも嘘がちりばめられているのである。日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和前会長の贈賄疑惑問題も不透明なまま。トライアスロン水泳会場である、お台場海浜公園の水質汚染も深刻だ。IOC は大会組織委員会などと協議を進める方針で、五輪の準備状況を監督する調整委員会が30日から都内で開く会合でも話し合う。おそらく IOC は札幌へ移すという提案を引っ込めないだろう。1896年の近代五輪アテネ大会から数えて32回目、初めてマラソンが開催都市で実施されないことになりそうだ。

続報:国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は17日、カタールのドーハで行われた各国オリンピック委員会連合(ANOC)の総会でのスピーチで、2020年東京五輪のマラソン・競歩種目の開催会場について「札幌に移すことを決めた」と発言した。(朝日新聞デジタル10月17日)

PDF  東京五輪組織委員会の立候補ファイルの表示とダウンロード(PDFファイル 18.0MB)

2019年10月15日

エチオピア難民の南下ルート物語


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昨年新たに156万人が難民となったエチオピアは世界最大の難民大国だ。南アフリカ、リビア、および中東へのな移民を管理するEU 指令および IOM 行動計画の重点国である。多種類の難民密輸業者とブローカーを非合法化し、彼らのビジネスは地下に潜った。現在、密輸業者、非公式のブローカー、そして難民の国境管理をナビゲートする大規模な組織がある。難民と難民を仲介する人々との関係について解説したこのマンガは、英国サセックス大学国際学部と共同で、風刺画の国際プラットフォーム The Cartoon Movement が制作した。下記リンク先から PDF ファイルをダウンロードできる。

PDF  Stories from the Southern Route of Ethiopian immigrants by Maddo (PDF 4.17MB)

2019年10月13日

過激派組織 ISIS と戦ったクルド人女性戦闘員たち

クルド女性防衛部隊(YPJ)の戦闘員

クルド女性防衛部隊の旗
クルド人民防衛隊 YPG(Yekîneyên Parastina Gel)の写真記録チームが、写真共有サイト Flickr にアカウントを持ってることを最近知った。開設は2013年12月で、現在1,300点余りの写真がアーカイブされている。全てに目を通すには時間がかかりそうなので、拾い読みをしてみたが、目に止まったのはクルド女性防衛隊 YPJ(Yekîneyên Parastina Jin)のそれだった。この民兵集団には現在18歳から40歳までの7,000名の義勇兵である。可憐で美しい若き兵士が銃を手にしている姿を見ると、銃ならぬスマートフォンを手にした、日本の女性たちがいかに平和な世界にいるか痛感する。

2014年9月、過激派組織 ISIS はシリア北部、トルコ国境に接するクルド人の拠点都市コバニ支配を目的に包囲戦を行った。翌年1月、ISIS を迎撃していたクルド人民防衛隊が防衛に成功したが、YPJ の戦闘員たちが重要な役割を果たした。部隊の約40%が女性だったのである。女性の社会参画が進むアメリカでさえ、軍における戦闘任務に女性兵士の参加が解禁されたのは2015年12月のことだった。それはともかくコバニをめぐる攻防は、当時シリア内戦で最も注目される戦いだったのである。女性の社会参画が遅れがちな土地で、クルド人女性が最前線に立った理由は一様ではないようだ。YPJ の場合、その参加は自由意志に基づくもので、強制されたものではなかった。クルド人社会ではアラブ人社会と比べて、イスラームの戒律や男性優位の構造が弱く、これが女性戦闘員登場の一因になったようだ。トランプ米大統領はシリア北東部からアメリカ軍を撤退させるといきなり表明した。YPG を見捨てたわけだが、これによってトルコは10月9日、シリア北東部への軍事作戦を開始し、クルド人戦闘員277人が死亡したと発表した。トルコ政府は、クルド人民防衛隊 YPG をテロ組織と見做している。 YPJ の女性戦闘員たちがどのような状況になっているか気がかりだ。

flickr  Kurdishstruggle: The team of Kurdish Photographers & Fighters on Flickr

2019年10月11日

嘘で塗り固めた安倍政権のプロパガンダ


Shinzō Abe PM of Japan
安倍晋三首相は10月7日の衆院本会議で、立憲民主党の枝野幸男代表による代表質問に答え「アメリカとトウモロコシ購入で約束合意した事実はない」と述べた。しかしロナルド・トランプ大統領は「シンゾーはアメリカのトウモロコシを大量に買ってくれると約束してくれた。中国が買わなかったトウモロコシだ。これはビッグディールだ」と暴露していた。相変わらずだが、森友学園疑惑で「私や妻が関係していたということになれば、これはまさに私は間違いな、く総理大臣も国会議員も辞めるということは、はっきりと申し上げておきたい」という大嘘は忘れられない。嘘つきは泥棒の始まりという諺があるが、平気で嘘をつく彼は、盗みも平気でするようになった。素人外交で血税の浪費を繰り返しているからだ。最近「ハンナ・アーレントが《いかにしてプロパガンダは嘘を使って真実とモラルを蝕むか》解き明かす」という一文を読んだ。そして官房長官を含め、安倍政権は嘘で塗り固めるのがプロパガンダであることに最近気づいた。ハンナ・アーレント(1906-1975)はナチズムが台頭したドイツから、アメリカ合衆国に亡命した、ドイツ出身のユダヤ人哲学者、思想家である。1930年代にアドルフ・ヒットラー(1889–1945)が政権を握ったのは、嘘が真実であると大衆に受け入れられたからだと彼女は解いている。なぜ露骨な嘘をついたのか。それは部下を完全に支配する手段であり、それによって部下たちは誠実さのすべて捨てることになった。これは今の自民党内部の状況に酷似している。安倍晋三に歯向かう議員は皆無に近いのである。ハンナ・アーレントは政治はごまかしのゲームだと言う。そのゲームは言い換えると、ファシズムに繋がることになる。安倍政権はそのゲームを弄んでいる。

2019年10月8日

鳥寄せ小道具でアウトドア気分

英国製釣り用バッグにぶら下げたオーデュボン協会のバードコール

全米オーデュボン協会
通販サイトでアメリカの鳥獣保護団体オーデュボン協会のバードコールを見つけ、懐かしかったので取り寄せた。全長約5cmの小道具で、木筒と金属をこすり合わせると、小鳥の鳴き声が出る。さっそく釣り用バッグにぶら下げてみた。1980年代初頭、私は『週刊朝日』のアウトドア欄のフォトエディターをしていた。どちらかというとインドア派の私だったが、シェラデザインのデイパックを街中で背負い、アウトドア派を気取っていた。今でこそ老若男女、デイバックを背にしているが、何しろ30年以上前の昔、当時としては珍しいファッションだったと思う。バードコールに革ひもをつけ、ペンダントにしていた。試しに鳴らしてみたことはあるが、実際に屋外で鳥寄せをした記憶はない。通販サイトには「アメリカでは100年以上も前から狩猟に使われていた」と説明されている。しかしこれは間違いで、100年以上前というのはヨーロッパの話である。

製作中のロジャー・エディ(1983年)
コネチカット・エクスプロアード誌によると、オーデュボン協会のバードコールは、1952年にコネチカット州のロジャー・エディが発明したという。彼は第二次世界大戦中にイタリアの第10山岳師団に従軍したが、そこで猟師たちが使っていたバードコールを、アメリカに持ち帰ってオーデュボン協会に持ち込んだ。協会は狩猟に使うことには興味を示さなかったが、野鳥観察の道具として採用したようだ。ところで通販サイトのカスタマーレビューに「近所の公園でキュッキュと鳴らしていたら、その音を聞きつけて中年の女性が寄ってきました」「部屋でこっそり鳴らしたら、旦那が嬉しそうにベランダに見に行った」などとあり、吹き出してしまった。私も似たようなもので、アウトドア気分を味わうだけになりそうだ。ここで蘊蓄。小鳥がチッチッチと囀(さえず)ることを英語で Tweet と言うが、これがソーシャルメディア Twitter の語源になった。だから Tweet は「つぶやき」ではなく「囀り」と訳すべきだろう。オーディオの世界では、高音用スピーカーを Tweeter(ツイーター)と呼ぶ。そして低音用は Woofer(ウーファー)だが、こちらは犬の唸り声に由来する。ネーミングの妙に感心する。

2019年10月4日

近代畜産警告書『アニマル・マシーン』の復刻を

かれこれ二十数年前、アイルランド共和国の片田舎で出会った光景だ。牛の群れが道路を塞ぎ、私が乗っていたバスがストップした。よく見ると向こうからやって来た車が何台も止まっている。牛追いの男ふたりが、ゆっくりと放牧を終えた群れを牛舎に誘導しているのだが、家畜優先、車はじっと待つのみであった。牧畜には文字通り、このような牧歌的な雰囲気が連鎖し、時間が緩慢に流れているような気がする。スピードを求めないスローライフこそ、本来あるべき生活様式ではないかと私はイメージしている。

牛追い(アイルランド共和国クレア郡ドゥーリン村)

土佐ジロー(高知県畜産試験場)
栃木県にある宮内庁の御料牧場は、口蹄疫や豚コレラ、鳥インフルエンザなどの伝染病の侵入防止のため、抽選で制限した一般の見学会が行われているが、特別の許可を得て写真撮影をする機会があった。皇室専用の牧場で、さまざまな家畜や家禽が飼育され、牛乳・肉・卵および野菜などの生産を行っている。ここで得られた生産物は皇室の日常の食材、そして宮中晩餐や園遊会などに使われる。この牧場で一番印象に残ってるのが、広い敷地を脱兎のごとく走り回る豚で、その運動量ゆえか身が引き締まり痩せていたことである。狭い豚小屋を連想していた私にとって、その光景はまさに青天の霹靂(へきれき)であった。皇室の食材といえば、キッコーマンの御用蔵のしぼりたて生醤油を思い出す。御料牧場や御用蔵は、食の安全に対し最大級の配慮がなされてることは容易に想像できる。御料牧場のような、放し飼いの家畜といえば、高知県の「土佐ジロー」を思い出す。土佐地鶏とアメリカ原産のロードアイランドレッドをかけ合わせた、一代雑種の鶏だが、広い自然の運動場で飼育されている。このような養鶏法が世間に注目され、支持を受けているのは、自然ではない人工的な空間に、鶏たちが押し込めらている飼育環境が大半であることの証であろう。いわゆるブロイラー養鶏で、日本が最大の輸出国であることを忘れてはならない。

講談社(1979年)
ルース・ハリソン(1920–2000)著『アニマル・マシーン』は工業的畜産とはいったい何だろうか、集約的飼育とはどのようなものだろうかという問いかけを序章に、まずイギリスにおけるブロイラー・チキンの問題点から持論を発進、近代畜産を告発した最初の書となった。原著は1964年にロンドンで初版が発行され、翌1965年にはドイツ語版が出た。続いてオランダ語訳、ノルウェイ語訳、デンマーク語訳、そしてアメリカでも出版された。発売と同時に非常に大きな反響を呼び、ヨーロッパにおける畜産動物福祉の社会的、また法的、そして学問的取り組みを促す原動力となったのである。イギリス政府は科学者による技術諮問機関、ブランベル委員会(Brambell committee)に、家畜の飼育実態と福祉に関する調査を委嘱した。この委員会が、動物福祉の原則として最初の「5つの自由」を提言している。
  1. Freedom from Hunger and Thirst(空腹や渇き、栄養不良に陥らない自由)
  2. Freedom from Discomfort(不快な状態に置かれることのない自由)
  3. Freedom from Pain, Injury or Disease(痛み、危害、病気で苦しまない自由)
  4. Freedom to Express Normal Behaviour(明確で正常な行動を表現できる自由)
  5. Freedom from Fear and Distress(恐怖や苦痛からの自由)
日本では1971~72年に雑誌に抄訳が紹介された。そして本書が日本における初めての完訳出版となった。著者は日本語版への序文で次のように書いている。「私が本書のなかで論じているのは、家畜動物の取り扱いをどうするかの問題だけではない。むしろ私がほんとうに関心をもって論じたのは、私たち自身の生活の質が落ちてきており、これにどう対処すべきか、という点であった。(途中略)本書は動物の受難を扱っている。視力が落ちて見えなくなった目を彼らの受難に向けて、凝っと見て我が身を振り返り考えていただきたい。私たち人間自身もだんだん力が衰えてきたのではなかろうか。人間による人間の扱いの点でもいよいよ冷酷無情になっているのではなかろうか」と。ブロイラー・チキンの問題点を突いた2章に続いて、3章「ニワトリ処理場:<製品>となるための最後の恐怖」4章「ケージ養鶏:ニワトリ<工場>の狂気」5章「ヴィール・カーフ:貧血地獄にあえぐ幼い命」6章「家畜工場のいろいろ:他の動物の場合」7章「“たべもの”の質とは:<食品>ではなくてたべものを!」9章「食品の“質”を問う:毒物の洪水のなかで」と筆を進めている。すなわち「近代畜産」とその生産物の安全性に関し、鋭い警告を放っている。「何かが間違っている」と。

草なんだゾ、このバカ野郎! 食うはずなんだが……忘れたのか?(アニマル・マシーン)

ルース・ハリソン(1997年)
ハリソンは設立当初から土壌協会と自然保護協会の理事であり、王立動物虐待防止協会の活動、および人間の社会福祉活動にもたずさわってきた女性である。本書は「動物工場」の批判書であるが、その真髄は、9章「動物の虐待と法的規制:動物にも苦痛はある」の記述、すなわち家畜の福祉に言及していることだと思う。人間が家畜を飼うようになって以来、屠殺して肉を食べたりその皮革を利用することは当たり前のことだったが、それに対する新たなメスを入れたことだ。上述したようにブランベル委員会勧告により農務省に家畜福祉に関する審議会が設置されることになったわけだが、ハリソンはその委員となり、欧州理事会における動物保護に関する専門家会議の助言者として発言、また米国議会の公聴会で証言するなど、畜産動物の保護のために公的な発言を行った。日本語版への序文は「本書は動物の受難を扱っている。視力が落ちて見えなくなった目を彼らの受難に向けて、凝っと見て我が身を振り返り考えていただきたい。私たち人間自身もだんだん力が衰えてきたのではなかろうか。人間による人間の扱いの点でもいよいよ冷酷無情になっているのではなかろうか」と結んでいる。本書は70年代末から絶版のままである。口蹄疫や豚コレラ、鳥インフルエンザなどの家畜伝染病が猛威を振ってる今日、その問題点を探る上で意味深い一冊ではないだろうか。復刻を望みたい。

2019年10月3日

覚え書き:安倍首相の2013年 IOC 総会における五輪招致演説全文

安倍晋三は五輪招致で大きなウソをついた

2013年9月7日(土)10:30~11:40(日本時間 22:30~23:40)アルゼンチンのブエノスアイレスで開催された IOC 総会における招致演説全文とその日本語訳(首相官邸のアーカイブより

Presentation by Prime Minister Shinzo Abe at the 125th Session of the International Olympic Committee (IOC) Saturday, September 7, 2013

Mister President, distinguished members of the IOC. It would be a tremendous honour for us to host the Games in 2020 in Tokyo - one of the safest cities in the world, now... and in 2020. Some may have concerns about Fukushima. Let me assure you, the situation is under control. It has never done and will never do any damage to Tokyo.I can also say that, from a new stadium that will look like no other to confirmed financing, Tokyo 2020 will offer guaranteed delivery. I am here today with a message that is even more important. We in Japan are true believers in the Olympic Movement. I, myself, am just one example. When I entered college in 1973, I began practicing archery. Can you guess why? The year before, in Munich, archery returned as an Olympic event after a long time.

My love of the Olympic Games was already well-established. When I close my eyes vivid scenes from the Opening Ceremony in Tokyo in 1964 come back to me. Several thousand doves, all set free at once. High up in the deep blue sky, five jet planes making the Olympic rings. All amazing to me, only 10 years old.We in Japan learned that sports connect the world. And sports give an equal chance to everyone. The Olympic spirit also taught us that legacy is not just about buildings, not even about national projects. It is about global vision and investment in people. So, the very next year, Japan made a volunteer organization and began spreading the message of sports far and wide. Young Japanese, as many as three thousand, have worked as sports instructors in over 80 countries to date. And they have touched the hearts of well over a million people through their work. Distinguished members of the IOC, I say that choosing Tokyo 2020 means choosing a new, powerful booster for the Olympic Movement.

Under our new plan, "Sport for Tomorrow," young Japanese will go out into the world in even larger numbers. They will help build schools, bring in equipment, and create sports education programs. And by the time the Olympic torch reaches Tokyo in 2020, they will bring the joy of sports directly to ten million people in over one hundred countries. Choose Tokyo today and you choose a nation that is a passionate, proud, and a strong believer in the Olympic Movement. And which strongly desires to work together with the IOC in order to make the world a better place through the power of sport. We are ready to work with you. Thank you very much.

委員長、ならびにIOC委員の皆様、東京で、この今も、そして2020年を迎えても世界有数の安全な都市、東京で大会を開けますならば、それは私どもにとってこのうえない名誉となるでありましょう。フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません。さらに申し上げます。ほかの、どんな競技場とも似ていない真新しいスタジアムから、確かな財政措置に至るまで、2020年東京大会は、その確実な実行が、確証されたものとなります。けれども私は本日、もっとはるかに重要な、あるメッセージを携えてまいりました。それは、私ども日本人こそは、オリンピック運動を、真に信奉する者たちだということであります。

この私にしてからが、ひとつの好例です。私が大学に入ったのは、1973年、そして始めたのが、アーチェリーでした。一体どうしてだったか、おわかりでしょうか。その前の年、ミュンヘンで、オリンピックの歴史では久方ぶりに、アーチェリーが、オリンピック競技として復活したということがあったのです。つまり私のオリンピックへの愛たるや、そのとき、すでに確固たるものだった。それが、窺えるわけであります。いまも、こうして目を瞑りますと、1964年東京大会開会式の情景が、まざまざと蘇ります。いっせいに放たれた、何千という鳩。紺碧の空高く、5つのジェット機が描いた五輪の輪。何もかも、わずか10歳だった私の、目を見張らせるものでした。スポーツこそは、世界をつなぐ。そして万人に、等しい機会を与えるものがスポーツであると、私たちは学びました。

オリンピックの遺産とは、建築物ばかりをいうのではない。国家を挙げて推進した、あれこれのプロジェクトのことだけいうのでもなくて、それは、グローバルなビジョンをもつことだ、そして、人間への投資をすることだと、オリンピックの精神は私たちに教えました。だからこそ、その翌年です。日本は、ボランティアの組織を拵えました。広く、遠くへと、スポーツのメッセージを送り届ける仕事に乗り出したのです。以来、3000人にも及ぶ日本の若者が、スポーツのインストラクターとして働きます。赴任した先の国は、80を超える数に上ります。働きを通じ、100万を超す人々の、心の琴線に触れたのです。 敬愛するIOC委員の皆様に申し上げます。2020年に東京を選ぶとは、オリンピック運動の、ひとつの新しい、力強い推進力を選ぶことを意味します。

なぜならば、我々が実施しようとしている「スポーツ・フォー・トゥモロー」という新しいプランのもと、日本の若者は、もっとたくさん、世界へ出て行くからです。学校をつくる手助けをするでしょう。スポーツの道具を、提供するでしょう。体育のカリキュラムを、生み出すお手伝いをすることでしょう。やがて、オリンピックの聖火が2020年に東京へやってくるころまでには、彼らはスポーツの悦びを、100を超す国々で、1000万になんなんとする人々へ、直接届けているはずなのです。 きょう、東京を選ぶということ。それはオリンピック運動の信奉者を、情熱と、誇りに満ち、強固な信奉者を、選ぶことにほかなりません。スポーツの力によって、世界をより良い場所にせんとするためIOCとともに働くことを、強くこいねがう、そういう国を選ぶことを意味するのです。みなさんと働く準備が、私たちにはできています。有難うございました。

2019年10月1日

時代祭 2019 日程

巴御前に扮した祇園甲部の里美さん(京都御所)2018年10月22日

今年の時代祭は10月26日に実施される。例年の実施日となる22日に、皇居で新天皇即位の儀式「即位礼正殿の儀」が行われるので、同日となるのを回避する。雨天以外の理由で時代祭が延期されるのは、昭和天皇の京都訪問と重なった1933(昭和8)年以来です。

10月15日(火)13:30 時代祭宣状授与祭
行列の主な参役に選ばれた約500名の平安講社員が平安神宮のご神前に行列の無事執行を祈願し宮司より宣状が一人一人に授与される
15:00 時代祭奉祝踊り足固め
平安神宮境内で揃いの衣装の女性300名による民踊列が披露される
10月20日(日)9:00 鳳輦(ほうれん)祭具の倉出し
時代祭に先立って鳳輦・祭具などが倉から出される
10月21日(月)10:00 時代祭前日祭併献花祭
時代祭の無事執行を祈り献花などが平安神宮で行われる
10月26日(土)7:00 時代祭(雨天順延・当日早朝判断)
総長・奉行が参列し平安講社を代表して総長が祭文を奏上する
8:00 神幸祭
2基の鳳輦に桓武天皇・孝明天皇のご神霊をうつす
9:00 神幸列進発
神幸列が平安神宮を進発し10:00頃に京都御所の行在所に到着する
10:30 行在所祭
崇敬者と市民代表が参列し神饌講社より神饌が献じられ白川女の献花奉仕が行われる
12:00 行列進発
時代行列が京都御所の建礼門前を出発し平安神宮に向かい13時頃には御池寺町に14時頃には平安神宮前で奉祝踊りが披露される
16:00 大極殿祭並還幸祭
全行列が到着したあと鳳輦を大極殿へ奉安し延暦文官参朝列の三位が代表で祭文を奏上し続いて御霊代をご鳳輦より本殿に還して祭典を終了
10月27日(日)10:00 時代祭後日祭
祭典の無事終了を奉告し祭具を片付け格納される
京都観光NAVI  行列の解説や巡行コースなど時代祭詳報(京都市観光協会)