2011年6月30日

法金剛院の仏足石と十一面観音像

法金剛院(京都市右京区花園扇野町)

薬師寺の仏足石
右京区の法金剛院に出かけた。境内に足を踏み入れると紫陽花が目に飛び込んできたが、連日の炎暑のせいか瑞々しさがない。このシーズンは蓮が見頃なのだが、昼下がりのせいか視界に入らない。やはり早朝でないと駄目である。池の西岸に近い芝生に仏足石が置いてある。これが今日の目的だったが、すぐ横の桜の葉が斑(まだら)状の影を落としている。上空を見上げると灼熱の太陽は雲に隠れそうもないので、そのままシャッターを切った。仏殿には木造阿弥陀如来坐像や木造僧形文殊菩薩坐像、木造厨子入十一面観音坐像など、重要文化財の仏像群が安置されている。特に十一面観音像は、本体もさることながら、その厨子が美しい。八葉蓮華の天蓋、三方開きの扉には十二天、背板には三十三身応化図が描かれていて見事である。十一面観音像といえば、奈良佐保路、法華寺のそれを思い出す人が多いかもしれない。和辻哲郎が『古寺巡礼』で絶賛したせいか、日本全国に知れ渡っているようだ。彼は間近から厨子の中を覗き込んだようだが、今日では数メートル先に厨子が安置され、双眼鏡を使わないとよく見えない。しかしここではすぐ近くから、手に取るようにして美しい姿を拝観できる。法華寺のそれは余りにも有名だが、法金剛院のは有名とは決して言い難い。重文の仏像がそうなのだから、ましてや作者不詳、野ざらしのこの仏足石が無名のままであるのは、やはり無理からぬことかもしれない。よく知られているのは奈良の薬師寺にあるもので、天平勝宝5年(753)の銘があり、日本最古である。インドの初期仏教では、ブッダの足跡そのもので、その非凡さを強調するため千輻輪(せんぷくりん)などの図が刻まれる。後に仏像が彫られるようになり、次第に衰退したようだ。日本でも同じ道を辿ったが、近世になって突如復活、全国に広まった。従ってこれは江戸後期の作と想像される。

2011年6月27日

他人の災厄が宿る茅の輪

平野神社(京都市北区平野宮本町)

茅の輪のくぐり方
大祓は6月30日と12月31日に行われる除災行事である。罪や穢れを除き去るための行事だが、6月の大祓は夏越の祓と呼ばれ、多くの神社で茅の輪くぐりが行われる。茅草で作られた輪の中を、和歌「水無月の夏越の祓いする人は千歳の齢延ぶと云う也」と唱えながら、左まわり、右まわり、左まわりと8の字に3回通って穢れを祓うものである。昨25日、平野神社の前を通ったら、宮司らが神門に茅の輪の飾り付けをしていた。実は北野天満宮で一昨日この行事があったのだが、手が届く高さの茅が全部取られ、無残なので写真は撮らなかった。平野神社では明日の28日から30日にこの茅の輪くぐりができるが、茅は引き抜かないほうが良い。別にこれは写真のためではない。輸の茅を抜いて持ち帰り、家の入口に挿すと無病息災につながるという人がいるようだが、これは逆で文字通り「風評」に過ぎないようだ。京都新聞6月24日の記事は「智の輪とかけて、大茅の輪のカヤを抜いて持って帰る人が後を絶ちませんが本来は、罪やけがれ、災厄をカヤに移すことで無病息災を得るという風習です。カヤを持って帰ることは他人の災厄を家に持ち帰ることになるので、できれば抜かないでほしい」という北野天満宮権禰宜の加藤晃靖さんの談話を紹介している。

2011年6月25日

フェルメール「デルフトの眺望」はカメラオブスクラを使ったか?

ヨハネス・フェルメール「デルフトの眺望」(1661年)ウリッツハイス美術館蔵

携帯カメラオブスクラ(1790年ごろ)
京都市美術館で今日6月25日から「フェルメールからのラブレター」始まった。日本では最も人気がある画家のひとりだけに、週末はおろか平日でも当分混雑しそうだ。今回は修復後初めてアムステルダム国立美術館を出る「手紙を読む青衣の女」の展示が目玉のようだ。ヨハネス・フェルメール(1632-1675)と言えば「真珠の耳飾の少女」を連想する人が多いに違いない。もうひとつ有名なのは「デルフトの眺望」である。この絵はカメラオブスクラを使って描かれたと信じている人が多いようだ。小さな孔が像を結ぶというカメラオブスクラ現象は紀元前から知られていたが、その原理を応用した光学機器が生まれたのは13世紀になってからだった。ラテン語で「暗い部屋」を意味するが、この名称自体についてはドイツの天文学者ヨハネス・ケプラー(1571-1630)に負っている。それまではコンクラーベ・オブスクルム(暗い部屋)とか、クビクルム・テネブルコスム(黒い玉座)、カメラ・クラウサ(閉じた部屋)といった名称を使っていた。ピンホールないしレンズを付け、外の景色や人物を映し出す暗箱のことである。この暗箱は天体や自然観察、絵を描く補助道具として使われた。

艀の船腹の白い点々(クリックで拡大)
さて風景画「デルフトの眺望」であるが、二階の高さに視点が置かれ、部屋型のカメラオブスクラを使用した可能性を示すとされる作品である。英国の写真家ジョン・H・ハモンドは著書「カメラオブスクラ年代記」[*]で次のような考察をしている。パノラマ式に展開する風景画で、その筆の使い方が、単レンズが作り出す円形の歪みと似ているという指摘がある。画面右端の艀の船腹に見られる白い点々(左図拡大画像)を、光の当たり具合とするもの、点描であるとするもの、円形の歪みとするものなど、美術史家の間でも意見が分かれる。単式顕微鏡を作製したことで知られる、毛織物商アントン・ファン・レーウェンフークはデルフト市からフェルメール遺産相続執行人に指名された。彼がフェルメールにカメラオブスクラを贈呈した可能性がある。しかしフェルメールの遺産目録にはカメラオブスクラは見当たらない。フェルメールがカメラオブスクラを使用した可能性があるものの、それを示す決定的な文献史料は存在しないというわけである。結論としてフェルメールがカメラオブスクラを使ったとは断言するのは、新たな証拠が出て来ない限り間違いである。書かれた証拠を必要とする歴史観は、ともすると歴史にロマンを感じてる人にとって、いささか興醒めかもしれない。しかしこのような冷徹な視点が現代の文献歴史学なのである。

[*] John H. Hammond The Camera Obscura: A Chronicle Bristol: Adam Hilger 1981

2011年6月22日

銀塩モノクロ写真へのリアクション


ソーシャル・ネットワーキング・システムFacebookに「Sketch on Kyoto with Rolleiflex」というアルバムを作って、ローライフレックスで撮った作品を投稿している。写真はアルバムをスクリーンキャプチャーしたものだ。二眼レフだから正方形なのだが、サムネイルは矩形になっている。寄せられたコメントを抜粋してみよう。
▼良いですねー。撮り終えた120フィルムの裏紙を封印するのが懐かしい…。▼通して見返してみました。トーンが美しい▼BWの1:1はやっぱりいいです。私のGRD2のMYセットにスクエアのBWをセットしました。RFではないですが大塚さんを見習ってちょっとトライしてみます▼改めて、グレーってきれいだなと思います▼ぼくはGX200でやってますー。階調を捉える練習▼銀座サービスセンターに持っていったらピント調整を無料かつ30分で仕上げてくれて、仕様上の特性まで教えてくれました。フィルムカメラの知識は、ないほうが良いみたい▼うーん。ハッセルにプラナー50あたりを引っ張り出そうかな~。うーん天気次第だ!▼他
これらを読むと、まずモノクローム写真に憧憬を抱いてる人が多いのに気付く。拙ブログ記事「富士フイルムX100のフィルムシュミレーション」でも触れたが、デジタルカメラにおいても、かつて黒白フィルムを使っていた人たちはモノクロモードに惹かれるようだ。そしてさらに、このような銀塩モノクロ写真を見ると、かつて使っていたフィルムカメラを引っ張り出してみようかという衝動である。これまでも何度か書いたが、デジタルカメラはネットワーク端末として優れているし、また新たな表現の可能性を秘めている。ただどっちが優れてるとかという論議ではなく、ある種の確かさを銀塩写真に感ずるのではないだろうか。それはボールペンではなく、フト万年筆を使ってみたくなる心理に似てるかもしれない。

2011年6月20日

フランジバックが短いミラーレス一眼カメラへの憧憬

額紫陽花(京都市北区衣笠大祓町)Fujifilm Finepix X100

二眼レフの構造
デジタルの「一眼カメラ」がトレンディのようだ。ピンホールカメラでは複眼も珍しくないが、元々カメラは一眼であった。写真術の黎明期の木製暗箱もそうだし、例の「写ルンです」も撮影レンズは1個で一眼である。それでは何故あえて一眼カメラと呼ぶのか。それは一眼レフと区別するためらしい。一眼レフは二眼レフ、つまり撮影レンズと、ミラーを介するファインダー用レンズの2個のレンズを備えたカメラと、区別するための呼び方である。一眼レフはレンズを通過した光をレフ(反射板)つまりミラー(鏡)に反射させ、アングルとピントを決める像を見るカメラのことである。それに対し一眼カメラはファインダー用ミラーがないカメラのことをいう。しかし入門用のコンパクトカメラ、あるいは高級機ライカもミラーがなく一眼である。要するに一眼カメラというのは、電子ファインダーを備えた、ミラーがないレンズ交換式デジタルカメラのことなのである。だから「ミラーレス一眼カメラ」と呼べば、光学式ファインダーを備えた一眼レフと区別し易いかもしれない。

フランジバックが短いミラーレス(下)
どうやら前書きが長くなってしまったようだ。フォーサーズ、すなわち4/3型(17.3x13mm)のセンサーを装着した、オリンパスのペンシリーズや、パナソニックのルミックス DMC-G シリーズ、そしてAPS-C(23.4x16.7mm)のソニー α NEX シリーズがこの形式を採用している。その特長はミラーがないため、フランジバック(レンズとセンサーの距離)が短く、無理のない広角レンズが設計できること。そして音や振動が少ないという利点を上げることができる。欠点はオートフォーカスのレスポンスが遅いことであろう。しかしミラーがないという魅力があるにも関わらず、ニコンやキヤノンといったトップメーカーからは今のところ出ていない。

光学式ファインダーのほうがオートフォーカスの応答が早いというのがその理由であろう。もうひとつの理由として、上記フランジバック短縮の利点を発揮するためには、マウントを変更したほうがベターである。無論アダプターを介して古いレンズを使えるようにするだろうけど、真価を発揮するためにはレンズ資産を活かすことができないというジレンマがあると想像する。特にニコンの F マウントは、変更しないゆえ支持者が多いからだ。蛇足ながら上の写真は富士フイルムの Finepix X-100 によるもの。真の意味のミラーレスの一眼カメラではないが、レンズ交換ができないものの、機能的には似ているので掲載することにした。実は新たなるデジタル針孔写真挑戦のため、ソニーの NEX-5 に食指を動かしつつある。X-100 に不満がないのは無論だが、ピンホールはレンズ交換式でないと駄目だし、フランジバックが短いことに惹かれる。導入のあかつきにはサンプル画像を提示できると期待している。

2011年6月19日

軟焦点回折格子光画額紫陽花三態

ガクアジサイ(額紫陽花) 京都府立植物園(京都市左京区下鴨半木町) Nikon D80 + Zoneplate

雪国に住んでいないゆえに積雪を喜ぶ心理に似てるだろうか、豪雨の被害が少ない京都市内にいると、梅雨は梅雨らしく雨が降ったほうが良いと思うから勝手なものである。梅雨の花と言えばアジサイ(紫陽花)。伏見区の藤森神社か宇治市の三室戸寺に足を伸ばしたいところだが、肝心の足の骨折が完全に治っていないので、バスと地下鉄を乗り継いで府立植物園に出かけた。生憎期待通りの降雨はなく、途中から雲が切れて日が差す陽気になった。ウィキペディアによると、球状のアジサイはセイヨウアジサイで、日本原産のガクアジサイ(額紫陽花)を改良した品種だそうである。これは意外で、私は丸いのが原種で、額がついたのは改良種だと思っていた。カタチからいえばやはりガクアジサイのほうが面白いので、もっぱらこれにレンズ、いやゾーンプレートを向けてみた。

2011年6月18日

気になる光景

塑像 赤マンマ(京都市右京区嵯峨天竜寺瀬戸川町) Fujifilm Finepix X100

京福電鉄嵐山駅から北へ歩き、JR山陰線の手前、オルゴール博物館向かいにカフェ&レストラン「赤マンマ」がある。入口に前にご覧のようなユーモラスな像が置いてある。ひな形があり、そのコピーだと思うけど、店に訊いてもオリジナル作品が分からない。35年前に開店した時からあるらしいのだが「同じものが造園屋さんで売ってますよ」という。ごくありふれた無名の作品かもしれないが、やはり気になる。ご存知でしたら教えて下さい。

2011年6月17日

時空を超え重文指定彫刻と等価に映る野の仏

お地蔵さん 天龍寺三秀院(京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町) Fujifilm Finepix X100

釈迦・阿弥陀坐像 化野念仏寺(京都市右京区嵯峨鳥居本化野町) NikonD700 Nikkor28-70mmF2.8

太秦広隆寺の木造弥勒菩薩半跏像は国宝1号として知られている。国宝の彫刻は126件しか登録されていないので、文化財として貴重であるばかりでなく、仏教美術として優れたものだと思う。国宝の彫刻は木造や乾漆造がほとんどで、石造は大分県臼杵市深田にある磨崖仏のみである。彫刻としては九州初の国宝指定であるが、いささか例外と言えるのではないか。範囲を国の重要文化財に広げても、その数は限られると想像する。例えば私が住む近所の石像(しゃくぞう)寺、通称釘抜き地蔵に安置されている、石造阿弥陀如来および両脇侍像が重文だが、これは光背裏の銘により願主と制作年が分かっている。それゆえ鎌倉時代の石造彫刻の基準作として貴重であると言われている。しかし同じ鎌倉時代に造られた、化野念仏寺の山門前にある、釈迦、阿弥陀の二尊仏の美しさに強く惹かれる。傑作だと思うが、記録がないので無指定である。つまり石仏は風雨に晒された野の仏、作者不詳であることが普通である。文化財指定は作者と時代が反映して指定されるが、そのことに振り回されないように心がけている。嵐山天龍寺塔頭三秀院門前に地蔵は、明らかに制作年代が新しく、ごく最近のものである。にも関わらず、私には時空を超え、重文指定の石仏と等価に映るのである。

2011年6月15日

流石パワースポットでも神頼みできない原発事故収束

神殿の札 芸能神社(京都市右京区嵯峨朝日町) Fujifilm Finepix X100

祈願成就 車折神社(京都市右京区嵯峨朝日町) Fujifilm Finepix X100

嵐山からの帰り道、車折神社前でバスを降りた。こうして衝動的に何処かに立ち寄ることが多くなったような気がする。大鳥居をくぐり、表参道を北へ歩くと、夥しい数の朱塗りの玉垣が目に飛び込んできた。境内社「芸能神社」を囲むもので、芸能人の名がずらりと並んでいる。映画産業が隆盛だったころ、近くの東映や大映の撮影所から俳優たちが参詣したことから、この慣わしが定着したらしい。神殿にはこれまた夥しい数の千社札や名刺が貼られている。車折(くるまざき)は京都の難解地名のひとつだが、後嵯峨天皇が嵐山に遊行した際、社前で牛車の轅(ながえ)が折れて動かなくなったことに由来するという。天皇は門前右側の石を「車折石」と呼んで「正一位車折大明神」の神号を贈られたという。円錐形の立砂を祀った「清めの社」があるが、最近これが注目されて、芸能よりむしろ「パワースポット」として全国に知られるようになったようだ。パワースポットというのは、願いごとを叶えてくれる不思議な力といった意味だろう。要するに昔から言われている「ご利益(りやく)さん」なのだが、カタカナに変ずると超神秘的に響くようだ。これにあやかるには次の手順を踏む。祈念神石を授かり、本殿で願い事を強く念ずる。その願い事が叶ったら海や川などで石ころを拾い、お礼の言葉を書く。そしてその石を本殿前の積まれてる所に納める。ふと福島第一原発事故収束の祈願をしよう、という気持ちが脳裡を走ったが、思いとどまった。神頼みで何とかなるなら頼むけど、原発は科学技術でないと解決は不可能だからだ。裏参道から境内を抜け京福電車に乗る。もうひとつの難解地名駅「帷子の辻(かたびらのつじ)」で乗り換え、北野白梅町に戻った。

2011年6月14日

デジタルピンホール写真の高感度設定テスト

ISO1600 1/20秒NikonD700 + Pinhole

ISO3200 1/40秒NikonD700 + Pinhole

ISO6400 1/80秒NikonD700 + Pinhole

昨夜来の雨も上がり晴天になったので、ニコンのフルサイズ一眼レフD700でピンホール写真の高感度テストをしてみた。ボディキャップに付けたピンホールプレートは、針孔口径0.259mm、焦点距離48.05mm、明るさF186である。この口径だとISO感度200~400だと、スローシャッターになって手持ち撮影が難しくなる。レンズを付けての撮影では800までしか撮った経験がなく、データ不足であった。そこで感度を上げたらどの程度画質が変化するか試してみたわけである。掲載写真は長辺が640ピクセルだが、画像をクリックするとそれぞれ1024ピクセルの画像が展開する。どうだろう? 私が見た限りではISO6400に上げてもノイズが発生していなく、ISO800と見わけがつかない。ニコンのデジタル一眼レフは高感度に強いと言われるが、どうもそんな気がする。そもそもピンホール写真は画像のクオリティを追求するのではなく、むしろレンズと違って不鮮明で、しかも発色にエラーがあることに特長がある。ただデジタルカメラ特有のノイズは避けたいと思っている。太陽光線下で1/80秒を切れるなら、おおむねどんな場所でも手持ちで撮影できるということになるだろう。蛇足ながら、ご覧のように三脚を使っているが、これは同じフレーミングの写真を作るためである。

清楚な枯山水の石庭に触れたくなり

滹沱底(こだてい) 大徳寺龍源院(京都市北区紫野大徳寺町) Fujifilm Finepix X100

東滴壺(とうてきこ) Fujifilm Finepix X100

半ば衝動的にバスを降り、大徳寺に寄ってみた。境内には別院2ヶ寺、塔頭22ヶ寺があるが、拝観できるのは高桐院、大仙院、龍源院、瑞峯院の4塔頭だけである。何処に入ろうか一瞬迷う。写真撮影ができない大仙院はパス、青もみじが美しいだろう高桐院にしようと思ったが、結局龍源院にした。私は雑草が生い茂ったような茫漠たる庭が好きだが、たまに禅寺の清楚な枯山水の石庭に触れたくなる。庫裡で拝観料350円を払い、畳敷きの書院に入ると、南軒先に滹沱底(こだてい)と名付けられた阿吽の石庭が見えた。ずいぶん難しい漢字だが、中国河北の鎮州城に流れる滹沱河に由来すると拝観の栞にある。写真右上にある石が「阿の石」で、聚楽第の基礎石と伝えられてるという。廊下伝いに方丈を一周する。南側の方丈前庭、北庭と回り、方丈東側の東滴壺(とうてきこ)に出た。傍らに説明板があり「日本最小の石庭で、つぼ庭として珍しく、格調殊に高く有名な庭である。一滴潺々(せんせん)碧水煙る、と古人も詠っている。谷間に"ぽとぽと"と滴り落ちる水玉が集まり集まって谷川となり大河となり、そして洋々と涯しない大海原となる。塵も積もれば山となるの喩の通りである。云々」とある。小さな自己を捨て思い切ってぶつかれば必ず成就すると、この石庭は物語っているそうだ。なるほど、なるほど、禅宗はやはり深読みをする必要があるようだ。塔頭を辞して千体地蔵塚に向かった。この寺の石仏群に会うのも久しぶりだ。

2011年6月12日

ソフトレンズ・ゾーンプレート・ピンホール写真の比較テスト

Kiyohara VK50R F4.5
Zoneplate 50mm F64
Pinhole 48mm F186

これまでデジタルゾーンプレート&ピンホール写真は、ニコンの一眼レフD40、あるいはD80といったエントリー機を使ってきた。トイカメラの延長と言う意味合があったのだが、思う所があってライカ判フルフレームのD700で撮ってみたらどうかということでテストしてみた。ダイナミックレンジが広いこと、高感度特性が良いというのがその理由である。比較のためキヨハラのソフトフォーカスレンズでも撮ってみた。ゾーンプレートかピンホールか迷うが、これは検討課題にしたい。ピンホールは多くの人が手掛けているので、ゾーンプレートが良いかもしれない。曇り日だったので、晴天の日に再テストしてみるつもりだ。

2011年6月11日

6.11アクション京都集会に見る新しい反核運動

京都市役所前(京都市中京区御池通河原町)

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明け方まで残った雨も午前中にやみ、京都市役所に出かけた。世界規模で開催される「6.11原発ゼロアクション京都集会」に参加するためだ。正午過ぎ、集会を呼び掛けた主催者が挨拶、12時30分に隊列を組んで街頭デモが始まった。当初参加者は150人と聞いたが、デモには約200人が参加したと思われる。この集会・デモは立命館大学の学生による発案だという。シュプレヒコールも何となく慣れてない感じで、それが却って好ましい。政党や手あかが付いた政治団体の息が掛かってない雰囲気が好ましいのである。歴史的な評価はさておき、70年闘争は学生が主体だった。また世界各地で展開され、今なお続く「民主化闘争」なども、その多くが若い人たちの手によるものだ。これまでの日本の反核運動は必ずしも成果を収めてきたとは言い難い。それはつまり反核運動イコール左翼というフィルターがつき、真に市民のための市民運動であったか、という疑問をちょっぴり与えるからだ。しかし福島原発の事故により、まき散らされた放射能に多くの国民が恐怖感を抱いてる今日、新たな反核、反原発運動は一般市民の共感と支持を受けるに違いない。つまり反核意識が、被曝した広島や長崎人たちだけではなく、広く日本全国の問題として浮上したからである。特に幼子を持った母親たちは深刻に受け止めているに違いない。デモは河原町通から円山公園までだったが、骨折が完治していない足首が痛みだしたので残念ながらリタイアした。このような運動が京都で、そして全国でもっと広がればと痛切に思う。

2011年6月9日

中華街らしさが薄れてきた横浜中華街

酒壺 横浜中華街(横浜市中区山下町) Fujifilm Finepix X100

チャイハネカヤ(中華街大通り) Fujifilm Finepix X100

久しぶりに横浜に出かけた。山下公園を見下ろすホテルをとったので、中華街は目の前、そぞろ歩きした。東陽門(東門)をくぐり、関帝廟を目指して南門シルクロードから関帝廟通りを歩く。ウィークデイのせいだろうか、それとも東日本大震災の影響だろうか、昨年来た時よりも人通りが少ない感じがする。関帝廟は関帝(関羽・関聖帝君・関帝聖君)を祀る廟だが、詳述は避けたい。今回も写真を撮ったが、生憎の曇り空。写真は別に晴天でなくともいいのだが、この極彩色な伽藍には青空がマッチするような気がする。機会があれば撮り直したいので、今回は掲載を見合わせることにした。夕闇が迫ると、提灯や中華料理店の電飾に明かりが灯り、街はいよいよキッチュな雰囲気に包まれる。夕食を摂るために店を探したが、余りにも数が多く、何処に入ってよいやら迷う。大通りから路地に入り、小さな店に飛び込んだ。昨年暮れに公表された「ミシュランガイド東京・横浜・鎌倉2011」にはこの横浜中華街から1軒も選ばれなかったという。その理由として「ミシュランは小さな名店の発掘を好む。団体観光客などを相手にする大型店が多い中華街は選ばれなかったのでは」と地元では推測されてるようだ。また「今の中華街はどこのお店も似たり寄ったり。すごく一般的な繁華街になってしまった」という指摘もあるという。そういえば「チャイハネ」といった雑貨店の、浮世絵風の派手な看板を見ると、なんとなく中華街らしさが失われてきたと思うのは私だけだろうか。だってチャイハネというのはトルコの喫茶店のことじゃないか。

Facebookに新グループ「脱原発への道」を創設しました


脱原発グループ2011年3月11日、東日本を襲った地震・津波により福島第一原子力発電所が損傷、原子炉が溶解するという事故に見舞われました。戦後日本政府は「原発は安全」と言い続けて建設推進してきました。しかしいわばその神話は崩れ、周辺住民はおろか、日本、あるいは世界の人々に恐怖を与えています。特に幼い子どもたちへの放射能の影響が心配されます。原発に頼らない社会はどうやって築くのか、様々な情報を共有しながら考えて行きたいと思っています。Facebookのアカウントをお持ちので参加希望のかたは、上掲リンクボタンをクリックするか、下記URLにアクセスをお願いします。

Facebook「脱原発への道」グループ: http://www.facebook.com/home.php?sk=group_179559422098157

2011年6月5日

やはり梅小路公園でイルカショーが始まるようだ

朱雀の庭 梅小路公園(京都市下京区観喜寺町) Fujifilm Finepix X100

京都駅からの帰り道、市バスを途中下車して梅小路公園に寄ってみた。旧ブログに「京都水族館建設工事は想像以上に進んでいる」と題した一文を寄せたのが昨年12月29だから、半年ぶりということになる。インターネットのツイッターなどでも建設是非論が盛んであったが、最近は東日本大震災の影に隠れて余り話題になっていない感じがする。それでも最近では京都新聞が「淡水魚ゾーン1.5倍に」と展示内容見直しについて報じている。淡水魚関係のゾーンが割ほどだったが、変更後は3割以上となるという内容だが、イルカショーについては触れていない。開館が近付けば再び議論が沸騰するのではと想像している。建設現場の北側がテント地の幕で覆われてるので、東側の京都市都市緑化協会の屋上から写真を撮ろうとしたが、休日で入口が施錠してある。諦めて南側に回ると、かなり建設が進んだ建物の上部部分を見ることができた。イルカショーの観覧席の屋根らしきものができている。プールは南側が開放された設計になっているらしく、騒音をどう防ぐのかちょっと気になる。旧ブログにも書いたが、京都に水族館があってもいいと私は思っている。しかしイルカのショーは反対である。と言っても動物の権利や福祉といった重々しい観点からではない。人間が仕込んだ「芸」を見せることは、水棲動物の生態を展示する水族館の趣旨に反すると思うからだ。工事現場から少し西に歩き、日本庭園「朱雀の庭」に入ると、池畔のパンジーが咲き乱れているのが目に飛び込んできた。