2017年3月27日

コダック・ブラウニー100余年の時間旅行

Kodak Brownie box camera with original cardboard packaging 1900

ブラウニーの広告(クリックすると拡大)
英国 BBC 放送3月20日付け電子版が "Five game-changing cameras that turned us into photographers" という興味深い記事を掲載した。毎日20億の写真がネットにアップロードされている。写真は技術的に複雑で富裕層の娯楽だったが、それがいかにして庶民的な芸術形式になったのだろうか。英国のデモントフォート大学の写真史研究家ジル・パステルナーク博士が、私たちを写真家に変身させてくれた5つの革新的カメラを挙げている。
1)The Kodak 'Box' Brownie
2)Kodak Instamatic
3)Polaroid Land Camera
4)Digital Cameras
5)Mobile phone cameras
パステルナーク博士が最初に挙げている「コダック 'ボックス' ブラウニー」は1900年に発売されたカメラで、名前はスコットランド伝説の小悪魔に由来する。当時流行っていた漫画の主人公で、いわば日本のポケットモンスター「ピカチュウ」に共通する。このキャラクターを広告に使った、子どもをターゲットにしたカメラで、キャッチコピーは「あなたはシャッターを押すだけです、あとは当社にお任せください」だった。写真術の発明以来、写真は自分で乳剤を作り、現像プリントもするという作業を伴う、一般には馴染めないものだった。そういう意味では、ブラウニーはただシャッターを押すだけです、後はDPE業者任せるだけというシステムを作り上げた。今日、写真といえばスマートフォンで、というのが一般的となった。フィルム時代も全自動カメラがあったが、スマートフォンではそれが当たり前になっている。絞り値とか、シャッター速度、という操作がバックグランドにあることを認識していない人が多いと思われる。インスタグラムのような画像共有アプリケーションで加工して「芸術作品」となった写真が SNS に大量投稿される時代となった。ブラウニーが100余年の時間旅行をして、そのメソッドをスマートフォンに引き継いだようだ。

2017年3月25日

古写真の中の人物名を特定する

Asheville Mountain Music Festival, August 1938
Courtesy of the North Carolina Department of Archives and History

Samantha Bumgarner © Ben Shahn
写真はずいぶん前に写真共有サイト Frikr で見つけたものだが、単に「アッシュヴィルのマウンテン音楽フェスティバル、1938年8月」という説明がついていただけだった。詳細を知りたく投稿者に訊ねたところ、ノースカロライナ州歴史資料館蔵という返答だった。ところが当該サイトを検索したのだが、写真は出てこなかった。しかしバスコン・ラマー・ランズフォード(1882–1973)が組織したマウンテン音楽のェスティバルが1938年、アッシュヴィルで始まったという複数の記述をネットで見つけることができた。写真はその時に撮られたもので、バンジョーを弾く女性がサマンサ・バムガーナー(1878-1960)であることが特定できた。このサマンサがフィドルを弾いている写真を、大恐慌時代の農民を記録した、米国の農業安定局の FSA プロジェクトに参加していたベン・シャーン(1898-1969)が1927年に撮影している(写真左)。なんと彼女のフィドルの顎当ては右側、つまり逆の位置についている。蛇足ながら多くの伝統的フィドラーは顎当てを使わないので、どちらについていても構わないのであるが。

Fiddlin' Bill Hensley © Ben Shahn
よく見ると上の写真のフィドラーもそうである。もしかしたらサマンサは彼のフィドルを借りて写真撮影したかもしれない。写真を Facebook のグループ Dedicated to Old Time Music に「名前不明のフィドラーとサマンサ・バムガーナー」と題してポストした。すると早速「フィドリン・ビル・ヘンズリーじゃないか」という助言があった。これは私にとって電撃的な指摘だった。というのは上記、ベン・シャーンがサマンサの写真と同時にビルも撮っていたのを知っていたからである(写真右)。ただ風貌がちょっと違うので、私は結びつけていなかったのである。写真を仔細に観察したところ、ビルのフィドルの左側には顎当てがなく、ネクタイに隠れてるものの、右側に付いているようだ。かくして上の写真は「フィドリン・ビル・ヘンズリーとサマンサ・バムガーナー」だと断定することができた。古写真は撮影年月日と被写体の説明があれば、歴史資料としての価値が増す。実に些細なことかもしれないが、長い間、アメリカの伝承音楽を愛し、研究してきた私にとっては、大きな収穫となった。

2017年3月20日

映画 "Songcatcher" のサウンドトラック盤に痺れる

Vanguard CD 79586-2

DVD "Songcatcher"
映画 "Songcatcher" のサウンドトラックCDを入手した。映画そのものは2000年にリリース、日本では「歌追い人」と題して2003年に公開された。翌2004年に DVD が発売され、私も購入した。今年の2月に「南部アパラチアで英国古謡を蒐集した民謡研究家」と題した記事を投稿したが、映画は史実と違っている。ハリウッドの娯楽映画と割り切れば良いのだが、どうにも我慢できず、2回しか視聴していない。しかし収録されている音楽の魅力を反芻したくなり、音楽のみを抽出したサウンドトラックCDを入手した次第である。聴き込んでみると、新たな魅力に痺れてしまった。ジャネット・マクティア演ずる音楽学者リリー・ペンレリック博士は、明らかにマサチューセッツ州ウェストメドフォード生まれの民謡蒐集家、オリーブ・デイム・キャンベルがモデルである。リリーはこのアパラチア山岳地帯で教師をしている妹を訪ねたのだが、孤児のデラディス・スローカムが歌った "Barbara Allen" を聞いて驚愕する。アイルランドやスコットランドからの入植者達によって持ち込まれ、本国でも既に失われているこれらの歌が、世間と隔絶したこの山の中で、ほぼ原型のまま人々によって歌い継がれていたのだ。孤児を演じたのはエミー・ロッサムで、吹き替えなしでこのスコットランド古謡を歌っている。調べ直したら、エミーは1986年生まれ、幼い頃からオペラを学び、7歳からメトロポリタン歌劇場の舞台に立ったことがあるという。これが映画2作目で、当時14歳だった。このCDアルバムの中では、そのエミーとカントリー・ミュージックの第一人者、ドリー・パートンのデュエット "When Love Is New" が秀逸である。サウンドトラック盤であることに関わらず、ジャケットのサブタイトルに、映画からインスパイアされた音楽とある。パット・キャロルやロザンヌ・キャッシュなど、豪華なメンバーによる、映画をソースにしつつ、独立した音楽アルバムと解釈することにした。所持してるCDのベストアルバムに躍り出た感がある。

Blogger  Songcatcher: Music From And Inspired By The Motion Picture

2017年3月19日

3.25安倍政権に反対するデモ


日 時:2017年3月25日(土)集会:15:30/デモ:16:00出発
会 場:大阪うつぼ公園(大阪市西区靱本町2丁目)
主 催:3.25安倍政権に反対するデモ実行委員会

2017年3月18日

映画『残されし大地』の静寂


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ジル・ローラン監督作品『残されし大地』(La Terre Abandonnée)を観賞する機会があった。福島第一原発から約12キロメートル、帰還困難区域として指定された富岡町に留まり、猫、犬、牛、かつて福島第一原発で飼育されていたダチョウ等の動物保護活動を続ける、松村直登さんをキーパーソンにしたドキュメンタリー映画である。ローランさんは元はベルギーの映画録音技師だったが、妻の鵜戸玲子さんの母国である日本に2013年に家族と共に来日した。富岡町の松村直登さんの存在を知り、自らメガホンを取る事を決意、初監督作品に挑むことになった。2015年夏から秋にかけて富岡町や南相馬市で撮影、編集のためベルギーに戻った。鵜戸さんによると「内輪で試写会をする予定の日でした。編集スタジオに向かう地下鉄でテロに遭い、ほぼ即死でした」という。映画は饒舌を避け、淡々と進行する。時折、風の音や小鳥の声が響く。まさに静寂の中の音、耳を澄まさないと聴こえない音をキャッチしているのである。ローランさんは小津安二郎監督に傾倒、特に『東京物語』に惹かれていたという。そういえば「小津調」の強い影響が窺える。原題の直訳は『棄てられた大地』だが、思考を重ねて『残されし大地』という言葉が浮かんだと鵜戸さんが話してくれた。

Movie Film  ジル・ローラン監督作品『残されし大地』(La Terre Abandonnée)公式サイト

2017年3月16日

新政治団体「未来のための公共」がスタート

3月17日(金)国会議事堂前行動

斬新なアイデアと行動で共感を広げた「SEALDs(シールズ)」の流れを受け継ぐ、新たな政治団体「未来のための公共」が、明日3月17日(金)に発足する。以下は Facebook のページより引用。

今週の3月17日(金)、国会前集会を開催します。南スーダンへの自衛隊派遣、共謀罪、森友学園・・・。さまざまな政治イシューがあって、どれも大切なはずなのに、なぜだか私たちからは「遠い」という感覚、ありませんか?「今の政治、このままでいいの?」と思う方、一緒に声をあげましょう。

「未来のための公共」は、世代や職種を超えたゆるやかなつながりです。若い世代に限らない、多様な担い手が、多様な政治参加の手段をもって、民主主義をもっと豊かにしていく試みです。「この道しかない」わけがなく、政治はもっと多くの選択肢を開いていくものであるはずです。共有の問題関心について、声をだし、語り合い、考え、共に決めていくことだって、私たちにはできるはず。そのためのプラットフォームの一つが、「未来のための公共」です。

毎週金曜日に行われていた国会前行動を、「未来のための公共」は引き継ぎます。この抗議行動はもともと、既存の組織によるものではなく、個人の呼びかけからはじまり、草の根のネットワークのなかで発展していったものです。「未来のための公共」は、個人が立ち上がり、つながり、私たちが共に考えることのできる場をつくっていきたいと考えています。もっと政治の窓口を広げたい。もっと色々な人に来てほしい。「今の政治、おかしくない?」と思ったときに、「ここなら私と同じ関心をもつ人がいる」と、安心して参加できる場所が、いま求められています。

まだまだ課題は山積みですが、これは緊急アクションではない、日本の政治社会に生きる個人たちの、一つの応答のかたちです。どうぞ、よろしくお願いします。

Facebook  政治団体「未来のための公共」の Facebook ページ

2017年3月15日

森友学園問題:菅野完氏が民進党を批判


安倍政権が森友学園問題の火消しに躍起になっている。3月10日、籠池泰典理事長が長男を伴い記者会見を開き、小学校「瑞穂の國記念小學院」について、学園側が設置認可の申請を取り下げたと発表した。前日まで「この学校を開設させて欲しい」と語っていただけに、何らかの外的力学が働いたと想像する。ところが扶桑社の情報サイト HARBOR BUSINESS Online によると、菅野完氏が籠池理事長に単独インタビュー、その動画を公開したと公表した。動画の中で籠池理事長は、2005(平成17)年前後、まだ衆議院選挙出馬前の稲田朋美防衛大臣が、籠池氏の弁護士を務めていたことを告白している。この動画を元に13日、民進党の小川敏夫氏が参院予算委員会で稲田防衛大臣を追求した。これに対し翌日、菅野完氏は次のようなツイートをしている。


日本会議の研究
稲田防衛大臣は当初「籠池氏の法律相談を受けたり裁判を担当したりしたことがない」と答弁したが、翌14日の衆院本会議と参院予算委員会で「私の記憶が間違っていた」などと述べ、撤回して謝罪した。同学園が起こした民事訴訟の第1回口頭弁論に、原告側代理人弁護士として出廷していたことを示す、大阪地裁作成の記録の存在が判明したからである。菅野完氏は「ほんで、民進党の連中、『加計もやりたい』とか、なんで俺に相談すんねん。俺はお前らのデータマンか。アホか。森友の件でさえお前ら自分でできてへんやんけ。あほちゃうか。フザケンナ」というツイートもしている。どうやら民進党は菅野完氏に情報提供を懇願していたようである。自衛隊を指揮する防衛相の「虚偽答弁」は許されないとして辞任を要求したが、安倍首相は稲田大臣を擁護、要求を突っぱねた。元々政治家としてスカウトしたのは首相自身だし、行く末は初の女性首相にと喧伝していた手前、更迭するのは無様になるからだろう。追い込むにはやはり切り札が必要で、それには調査能力が不可欠であることは今更言うまでもない。菅野完氏の民進党批判ツイートにはベストセラー『日本会議の研究』を著した、自らの調査能力に対する自負が窺える。

2017年3月13日

投稿数 1000 はブログの一里塚


このブログの記事数が1000に達した。2月初頭に投稿した「SNSを捨てよブログを書こう」にも触れたが、最初のブログはエキサイトで、創設は2008年6月、約300の記事を書いた。このグーグルの Blogger に引っ越ししたのが2011年3月だった。合計1300である。いずれにしても1000というのはキリ番、記念すべき番号である。旅行に喩えれば、一里塚に着いたことになる。里というのは死語に近い距離単位だが、約3.927キロメートルである。街道に1里ずつ塚が作られたが、これに似たのが欧米のマイルストーンである。ローマ帝国が1マイルごとに設置したことに由来する。マイルといっても現在の国際マイル、約1.6キロメートルとは違い、ローママイルで1.48キロメートルである。いずれにしても里とマイルは距離が違うのだが、ある目的が達成されたときに、マイルストーンという言葉が良く使われる。いきなり脱線してしまったようだ。一里塚に到達するのにちょうど6年かかってしまったわけだが、道のりは遠いけど、次の二里塚を目指すつもりである。

2017年3月9日

第65回北野をどり

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日 時:2017年3月25日(土)~4月7日(金)午後1時30分・午後4時(全日2回公演)
会 場:上七軒歌舞練場(京都市上京区今出川通七本松西入真盛町)075-461-0148
料 金:お茶席券付4,800円・お茶席券無4,300円(共に税込)
主 催:上七軒歌舞会(上七軒お茶屋協同組合・上七軒芸妓組合)http://www.maiko3.com/
後 援:京都府・京都市・京都市観光協会・京都伝統伎芸振興財団・京都文化交流コンベンションビューロー

2017年3月7日

再掲:福島第一原子力発電所の人工衛星写真

2011(平成23)年3月11日午後2時46分、東北関東の太平洋沿岸を中心に、東日本を襲った地震と津波は壊滅的な被害を同地方に与えました。多くの尊い人命が失われたのですが、加えて東京電力福島第一原子力発電所も地震と津波によって、外部からの送電と非常用発電機が止まり、冷却装置を動かす電源を失い、原子炉が危機的な状況に陥ってしまいました。以下の画像は3日後の3月14日に爆発した同発電所を、米国デジタルグローブ社の人工衛星が捉えた高解像度写真で、同年3月21日に当ブログで紹介したものです。過酷な事故を風化させないため、ここに再び掲載します。それぞれの画像はクリックすると拡大表示されます。


2011年3月14日午前11時04分 爆発3分後


2011年3月14日午前11時04分 爆発3分後


2011年3月18日午前11時20分

デジタルグローブ社の解説: 災害を知った私たちはすぐに、画像収集を行うため3つの人工衛星を配置しました。3月12日土曜日を皮切りに、1日に4万8000平方キロメートルをカバーしながら、すべての被災地域の画像収集に焦点を合わせました。デジタルグローブ社は、事件前のその地域の状態を見せる、歴史的な写真による世界一大きい画像ライブラリーを持っています。それによってすべての国を襲う地震や津波の初期の影響を鮮明に見ることができるのです。それ以来、私たちは30万平方キロメートルを含む、傷付いた地域の最新画像情報を集める私たち集団の力を使っています。毎日働きながら、私たちの人工衛星は原子力施設の爆発と故障(福島第一原子力発電所3号炉爆発の1分前と3分後の信じがたい画像を含む)を目撃し、高速道路の状態を記録し、主要港と精製所の損害額を査定したのです。私たちの画像と分析は毎日の3時間の収集の範囲内で、顧客にオンラインで利用可能です。それは収集から分析までのリアルタイム周期に近いものです。

2017年3月4日

教育勅語に心酔する安倍昭恵夫人の時代錯誤


ソーシャルメディア Facebook に安倍昭恵首相夫人のページがある。2015年9月5日付けのページには4枚の写真が添付され「大阪の塚本幼稚園にて講演。園児達は大変お行儀が良く元気です。毎朝君が代を歌い、教育勅語、論語や大学などを暗唱」とある。幼稚園児が毎日君が代を歌い、教育勅語などを暗唱しているのを礼賛しているのである。教育勅語、つまり「教育ニ関スル勅語」は、明治天皇が山縣有朋内閣総理大臣と芳川顕正文部大臣に対し、教育に関して与えた勅語だが、1890(明治23)年10月30日に発布され、1948(昭和23)年6月19日に国会の各議院による決議により廃止された。衆議院は「教育勅語等排除に関する決議」したが、参議院も同じく「教育勅語等の失効確認に関する決議」をした。参議院の資料集から決議本文を引用しよう。
われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失つている。しかし教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる。われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力をいたすべきことを期する。右決議する。
日本は憲法の理念に従って教育基本法を制定し、民主主義的教育理念を宣明した。従って教育勅語はすでに廃止されたものなのに、あたかも存在するような風潮を、国会が戒めた決議だった。ところが決議から70年弱を経た今日に至っても、この忌まわしい教育勅語が跋扈している現実に呆然とする。例えばネット通販サイトのアマゾンで「教育勅語」をキーワードに検索すると、夥しい数の書籍が見つかる。ところが「本当は危険思想なんかじゃなかった」「なんでこんな素晴らしい事を戦後教えなくなったのか?」といった内容の書籍が多いことに愕然とする。新設予定の森友学園「瑞穂の國記念小學院」の名誉校長に昭恵夫人が就任したことが明るみになると、慌てた安倍首相は夫人が名誉校長を辞任したと釈明し「私と家内、事務所も一切関わっていない。関わっていれば政治家として責任を取る」と答弁したが、これで疑惑が晴れたわけではない。所謂「アッキード事件」が明るみになって以来、国有地の不正入手に対してメディアの目が集中している。しかし一番の問題点は教育勅語という危険な教育理念を、一国の宰相夫人が心酔し、公言して憚らない時代錯誤である。

Amazon  藤田昌士「学校教育と愛国心―戦前・戦後の『愛国心』教育の軌跡」(学習の友社 2008年)

2017年3月2日

受動喫煙防止策案がトーンダウン

六曜社のマッチ(京都市中京区河原町通三条下る)

特製のドーナッツが食べたくなり、久しぶりに喫茶店「六曜社」に出かけた。テーブルには灰皿とマッチが置いてあり、喫煙が可能である。小一時間ほど文庫本を広げていたが、その間、喫煙者がゼロでちょっと驚いた。たまたまそうだったのかもしれないが、全面禁煙のカフェが増えてるし、時代の流れかもしれない。コーヒーは交感神経を刺激して、興奮状態にさせてしまうという。一方、煙草は沈静効果があると言われている。もしそうなら両者はマッチ&ポンプの関係にあるかもしれない。かつて私も喫煙者だったが、居酒屋では必ず煙草を吸ったものである。そういう意味では、飲酒と煙草もマッチ&ポンプの関係にあるような気がする。新京極通に「スタンド」という大衆酒場がある。昭和レトロ風の店内の雰囲気は良いのだが、ずいぶん昔に苦労の末、断煙した私にとって、喫煙を許しているのが難点である。飲食店の禁煙が時流になったため、喫煙可の店ではここぞとばかり吸う客が多いように思う。主人に「禁煙にするつもりはありませんか」と訊いたところ「そんなことをしたら店が潰れてしまう」という答が返ってきた。以来、足が遠のいてしまったままである。朝日新聞3月1日付け電子版によると、厚生労働省は、他人の煙草の煙を吸わされる受動喫煙防止策を罰則付きに強化する、健康増進法改正案の骨子を発表した。焦点の飲食店は、30平方メートル以下のバーなどに限って例外として喫煙を認めるとなっている。受動喫煙を防止したいなら、狭い店ほど強化すべきで、しかも従業員の健康にも気を遣うべきだ。矛盾したトーンダウンと言えそうだ。嫌なら入らなければ良いじゃないか、という問題ではない。なお時事通信3月2日付け電子版によると、動喫煙を不快と感じる人が全体の8割に上ることが、九州看護福祉大の川俣幹雄教授(リハビリテーション医学)らの調査で分かった。場所は飲食店が最多で、飲食店の従業員は他の業種よりも受動喫煙の機会が多いことも明らかになったという。

PDF  厚生労働省:受動喫煙防止対策の強化について(基本的な考え方の案)PDFファイル 408MB