2018年11月15日

初期ミンストレルから現代バンジョーへの変遷

Dan Bryant (1833–1875) ca. mid-1800s

 Minstrel Banjo built by Willian Boucher Jr. (1845)
ウェブサイト "Minstrel Banjo" に掲載されているミンストレルパフォーマのダン・ブライアント(1833–1875)の写真である。撮影年月の記述はないが、ブライアントがブロードウェイで初演をしたのが1857年だから、その前後だと思われる。注目すべきは、瓢箪バンジョーを手にしていることである。南部の農園で奴隷たちが使っていた楽器である。1785~1795年ごろに描かれた、サウスカロライナ州の農園で踊る奴隷の水彩画に、瓢箪バンジョーが描かれているが、それがそのままミンストレルに使われた証拠として興味深い。ミンストレルは黒塗りメイクの白人が演ずるショーだったが、黒人の楽器だったバンジョーを使ったのが特長だった。ミンストレルにバンジョーを取り入れたのはジョエル・スウィーニー(1810-1860)と言われている。瓢箪ではなく木製の円形リムに皮を張った、今のバンジョーに近い楽器だった。1847年の「ァージニア・メロディー」に描かれているが、姪のために作ったものという説があるようだ。その真偽はとおかく、ウィリアム・メリーランド州のウイリアム・バウチャー(1822–1899)が1845年に製作したミンストレル・バンドジョーを使ったようだ。メトロポリタン美術館に保存されている。バウチャーはドイツ出身だったが、メリーランド州ボルチモアでドラム製造業を営んでいた。ギター製作家のヨハン・ゲオルグ・シュタウファーとクリスチャン・フレデリック・マーティン が使用したものと同様のスクロールペグヘッドを追加した。瓢箪のボディを、ドラムヘッドに使用されているのと同様の、ネジ締めブラケットで薄く曲げた、リム構造に置き換えたのである。バウチャーの革新は大量生産を可能にし、都会の音楽のテイストに適応、その後のバンジョーの世界的な普及に大きな役割を果たしたのである。ミンストレルは人種差別と批判され、20世紀初頭に姿を消したが、アメリカのショービジネスの礎になった。バンジョーがその後の音楽産業に果たした役割は大きい。

2018年11月13日

音楽研究家エリック・サックハイムの思い出


The Silent Firefly (Click to larger)
アメリカの政治については複雑な思いが交錯するが、音楽に関しては文句なしに好きだ。アメリカンルーツ音楽に関するブログを持っているが、アメリカ人が相撲や歌舞伎のブログを作ってるのと同じだと思う。高校生のころだったが、FEN(米軍極東放送網)から流れてきた軽快な5弦バンジョーの響きに惹かれのが始まりだった。それはのちにブルーグラス音楽ということがわかり、大学に進学した翌年の1963年、病嵩じてC&W研究会なるクラブを結成した。卒業後もこの音楽から離れることができず、さらにオールドタイム音楽へと範囲を広げ、一時はカリフォルニア大学ロサンジェルス校民俗学センターにあったJEMF(ジョン・エドワーズ記念基金)の研究機関に加わったりした。上掲のジャケット写真は、1963年にリリースされた、チャールズ・リヴァー・ヴァレー・ボーイズの「ブルーグラス&オールド・タイミィ・ミュージック」 (Prestige Folklore FL-14017)である。このレコードの録音に参加していないが、グループ創設者のひとり、ハーヴァード大学で日本語を学んだエリック・サックハイムが、フルブライト奨学金で60年代初頭に来日した。確か1963年あるいは64年、早稲田大学CBS(Country, Bluegrass & Sacred)ファミリー主催のコンサートで彼の演奏を聴いたことがある。フラットマンドリンがなかったのだろうか、胴が膨らんだクラッシックのマンドリンによる弾き語りだった。東洋思想に傾倒していて、東京からインドに渡ったようだ。音楽学者で "The Silent Firefly: Japanese Songs of Love and Other Things (1963)" などを著している。彼のような立派な書籍を書いてるわけではないが、学生時代 "Blue Grass" という謄写版刷りの小冊子を出したことがある。音楽研究の道を歩むという夢は叶わず、写真を生業にしたが、音楽が東西を飛び交うことは素晴らしいと痛感している。

2018年11月11日

オーストラリアのアマ写真家が撮影した20世紀初頭のカラー写真


ウィリアム・A・ガリック
写真はウィリアム・アップルゲイト・ガリック(1858–1922)が撮影したカラー写真で、娘のメアリ、ゾーイ、マジョリー、クロエがモデルになっている。ガリックはオーストラリアのニューサウスウェールズ州の印刷業者で、切手の発行およびインスペクタだった。そしてアマチュア写真家でもあり、ニューサウスウェールズの紋章をデザインしたことで知られている。彼はオートクロームを使ってカラー写真を撮影している。オートクロームはフランスのリュミエール兄弟によって発明され、1903年に特許を取得した最初期のカラー写真技法。1907年に写真乾板の形式で一般に販売が開始され、コダックがコダクロームを販売する1930年代までは、市場においてはほぼ唯一のカラー写真であった。撮影が1909年であるなら、ガリックはいち早く新しい技法を取り入れたことになる。じゃがいもの澱粉を三原色に染めたものを均一に混ぜ、ガラス板に散布したのちに、黒い粉を乗せて、光を遮断。その上をニスと感光性のある乳剤で覆って原板を作り、撮影したあとに反転現像処理すると、カラーのポジ画像が得られる。手順が複雑で普及しなかったが、ガリックのような裕福なマチュア写真家などが主な使い手であった。娘たちに色違いドレス着せている点に工夫の跡が窺われる。

2018年11月10日

徴用工判決問題に垣間見る日本政府の焦り

韓国最高裁の判決を待つ元徴用工の原告(前列中央)©Kim Hong-Ji/REUTERS

河野外務大臣の韓国批判が止まらない。今月9日の記者会見で、韓国最高裁が確定判決で新日鉄住金に賠償を命じた元徴用工訴訟の原告について「募集に応じた方で徴用された方ではない」と述べた。つまり戦時中の朝鮮半島での動員には「募集」「官による斡旋」「徴用」の3段階があったと説明、自民党からは「原告らは『募集工』と呼ぶべきだ」との声が上がっていたからだという。東洋経済オンラインに寄せられた、東京新聞論説委員の五味洋治氏の記事「徴用工判決が突きつける『日韓国交正常化の闇』韓国大法院判決全文の熟読で分かったこと」によると、原告のうち2人は1943年頃、旧日本製鉄が平壌で出した大阪製鉄所の工員募集広告を見て応募した。「2年間訓練を受ければ、技術を習得することができ、訓練終了後、朝鮮半島の製鉄所で技術者として就職することができる」と書かれていた。しかし実態は「1日8時間の3交代制で働き、月に1、2回程度外出を許可され、月に2、3円程度の小遣いが支給されただけ」だったという。今回の訴訟は「原告らは被告に対して未払賃金や補償金を請求しているのではなく、強制動員への慰謝料を請求している」(判決文)のであり、日本による統治を「不法」としている韓国では、1965年の請求権協定に含まれていない慰謝料を請求できる、という論理構成になっているそうだ。また韓国のハンギョレ新聞は「日本政府、専門家には個人請求権の実体を認めながら一般大衆には『韓日協定で解決済み』と説明」「国際司法裁判所へ行っても日本が負ける可能性ある」という戦後補償問題を取り上げてきた山本晴太弁護士にインタビューを掲載している。これらを読むと、河野外務大臣や多くの日本メディアの韓国批判は、いささか過剰に過ぎるのではと疑問を抱いてしまう。海自艦の旭日旗掲揚拒否問題以降、対韓国外交に日本政府の焦りを感ずるのは私だけではないと思う。

2018年11月7日

写真共有サイト Flickr のサービス変更

Spangled cotinga: Photo by ©Mathias Appel

写真共有サイト Flickr からメールが届いた。曰く「2019年1月8日以降、フリーアカウントは1,000点の写真あるいはビデオに制限される」云々。有料のプロアカウントにアップグレードすれば保存容量は無制限になるという。フリーメンバーとプロメンバーとの不公平さを解消したいという。フリーメンバーの97%以上が1,000点以下しか保存していないので、影響は少ないと説明している。Flickr は2004年2月に開設されたが、その年の11月に私は参加した。当時、フリーアカウントの保存容量は写真200点で、プロアカウントを取得したと記憶している。運営が Yahoo! に移ってからフリーメンバーでも1TBの容量が使えるようになったので、アカウントを切り替え、支払いを停止した。2017年に Verizon がその Yahoo! を44億8,000万ドルで買収したが、同社は今年、SmugMug に Flickr を売却した。今回のサービス変更の背景である。保存点数を超えた写真は2月5日より、古いものから順に削除されるという。Flickr のブログによると、2018年11月以前にクリエイティブ・コモンズのライセンス下でアップロードされた写真は削除されないそうだ。ただフリーアカウントのままだと写真の追加はできなくなる。現在私が保存している写真は5,739点、どう対応しようか迷っている。参加していたフォーラムからは遠ざかってしまったし、ストレージを目的にするなら Google フォトがあるし。

2018年11月6日

スマートフォン用音楽プレーヤーの選択

Sony Mobile | JBL Music | Pulsar Music

小柳ルミ子さん(クリックで拡大)
カセットテープ式の携帯音楽プレーヤー、ソニーのウォークマンを購入したのは1979年9月だった。雑誌『週刊朝日』の取材で小柳ルミ子さんを撮ったのがきっかけだった。発売されたばかりの1号機を彼女はベルトに付けていた。好奇心が強かったのだろう、早速真似して私も入手した。以来約40年、携帯音楽プレーヤーを使ってきたことになる。ソニーのウォークマンを蹴とばしたのがアップルの iPod だった。当初はハードディスク内蔵だったが、2005年に物理的なドライブを廃し、フラッシュメモリを採用した iPod Shuffle が画期的だった。文字通り楽曲をシャッフル、つまり収録されている曲を収録順に関係なくランダムに再生できるようになった。スティーブ・ジョブスはオーディオマニアだったが、アルバムを聴くという鑑賞スタイルを壊してしまったのである。iPod は iPhone に進化し、写真が撮れて、音楽を聴くことができる携帯電話という、21世紀初頭の大発明だった。当初私は iPhone を使っていたが、現在はソニーの Xperia を使っている。理由は省くが、音質が優れていると感じたからだ。

iPod Shuffle (2005)
ソニーの音楽プレーヤーは、ずばり Walkman という名がついていたが、今は単に「ミュージック」となっている。ふと思いついて、星の数ほどあるプレーヤーから良さそうなものを数点試してみた。iPhone の音質について、記述を避けたのは「いい音」というのはあくまで主観であり、強いて言えばデバイス、特にヘッドフォンないしイヤフォンの性能に左右される。そしてスマートフォン用のプレーヤーで「いい音」と言われてるのは、おおむね低音をブーストしてると私は睨んでいる。逆にいえば、イコライザつきで、シャッフルができることが望まれる。JBL はスピーカーのブランドとして有名だが、やや期待外れといって良いだろう。ジャンル分けはできるものの、曲がアルファベット順に並んでいるだけで、シャッフル再生できない。音質はともかく操作性が最低である。その点 Pulsar Music は Android の最高の音楽プレイヤーの1つで、広告なしであることも嬉しい。曲間の途切れを防ぐギャップレス再生もできるし、イコライザで好みの音域設定ができる。探せばまだまだ優れたプレーヤーがあると思うが、取りあえずこれをしばらく使うことにした。

2018年11月3日

マイクロソフト Office 2003 の蘇生

Windows 10 にインストール可能な Microsoft Office 2003

今年の10月の初め「Microsoft Office 365 に振り回される」と題した記事を投稿した。Office 365 を導入したら、突然パソコンから古いバージョンの Office が消えてしまったという一件だった。再インストールを試みたが、残念ながらできなかった。おまけにパソコンを起動するたびに AppVlsvSubsystems32.dll が見つからない、というメッセージが表示される始末で閉口した。ところがである、何をどうやったか自分では記憶がないのだが、そのメッセージが表示されなくなった。そのことを思い出し、とりあえず手元に Office 2003 のディスクがあるので、再びインストールを試みた。というのは「Windows 10 で Office 2003は 動作するのか」という記事が目に止まったからだった。それによると Office 2003 のサポートは、2014年4月9日に終了しているので、当然ながら動作保証はしていない。マイクロソフトは「セキュリティ更新をせず PC を利用し続けることは、PC の脆弱性を解決しないままで使用し続けることになり、セキュリティ上、危険な状態になります」と警告している。この点を認識した上でインストールしたという。私もダメで元々という気持ちで試みたところ、今度はすんなりインストールできた。はからずも15年前のソフトが蘇ったのである。ついでに Office 2007 のアップグレードパッケージも持っているので試してみたが、インストールの途中でエラー表示、作業がストップしたままになった。何故だか私には分からないが、とにかくダメなようだ。Excel は年にわずか1回、確定申告に必要な医療費の集計をするために使うくらいで、Word も使用頻度は極めて少ない。個人向け Office 365 の使用料は年間 12,744円、永続ライセンスだと 32,184円もする。滅多に使わないソフトゆえに私にとってやはり無駄な費用だ。かつて Windows マシンには Office がバンドルされていた。みみっちいようだが、昔はタダだったじゃないかという深層心理が働いてしまう。

WWW  2014年4月9日 Windows XP および Office 2003 の製品サポートが終了しました(Microsoft)

2018年11月2日

遊びで殺されるアフリカの野生動物

Game trophies exhibited by Kerry Krottinger and his wife Libby ©Robert Clark/National Geographic

自らが射殺した動物たちに囲まれて写真に収まっているのは、テキサス州ダラスの石油業者、ケリー・クロッティンガー氏と妻のリビー。ナショナルジオグラフィック誌のロバート・クラーク氏が撮影、2017年11月のブログにも掲載されているので引用した。狩猟の目的は次のように大別できるが、クロッティンガー氏の狩猟は趣味に過ぎなく、多くの人々の怒りを買っている。
仕留めたライオンと笑顔で記念写真に納まる一家(南アフリカ)
  1. 食糧の獲得
  2. 毛皮などの生活物資の獲得
  3. 危害を及ぼす野生動物の棲息数管理
  4. 趣味の殺戮
趣味の狩猟を英語で "Trophy hunting"(トロフィー狩猟)と呼ぶ。スポーツ狩猟という欺瞞に満ちた言い方もあるが、要するに遊びである。野生動物を射殺することがリクレーションで、動物の頭や、角、牙、皮などがトロフィーになり、これを自宅に展示して自慢する。生け捕りした野生動物を放ち、狙撃させる牧場が北米にある。いわば釣り堀のようなものだが、簡易狩猟で、ビジネスとしてそれなりに成り立っているようだ。このトロフィー狩猟牧場を紹介した報道にまだ私は接したことがない。北米では広い地域にピューマ(クーガー)が棲息しているが、これを駆除して鹿の数を増やしたいという動きがある。コロラド州、ユタ州、ワシントン州をはじめとするいくつかの州では、このピューマ狩猟が増えつつあるようだ。無論、これに対する反対運動が起きている。トロフィー狩猟の最たるものが、絶滅の危機にあるアフリカの野生動物の殺害である。1980年代初頭、私は山崎豊子の著書『沈まぬ太陽』(新潮社1999年)の主人公恩地元のモデルとなった、小倉寛太郎(1930-2002)氏が率いていた「サバンナクラブ」の人たちとケニアを訪れた。同クラブが動物保護区の監視用自動車を贈呈したのだが、現地の人たちと話し合う機会があった。ケニアにとって野生動物は観光資源であり、密漁から守る意味に対する認識を新たにした。他のアフリカ諸国にとっても今でも同じことが言えると思う。ところが南アフリカやナミビア、タンザニアなど、アフリカの多くの国で合法的に狩猟が行われている。高価な狩猟許可料が貴重な収入源と言われている現実があり、毎年推定600頭ものライオンが「合法的」に殺されているのである。いわばこの需要と供給という悪しき繋がりを断ち切る必要がある。

2018年11月1日

第44回 2019 JPS展(日本写真家協会展)作品募集

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主 催:公益社団法人日本写真家協会
共 催:東京都写真美術館
後 援:文化庁・東京都

公益社団法人日本写真家協会(JPS)は全国に1,600名の会員を擁する職業写真家の団体です。協会の文化活動としての展覧会活動は、協会発足から始まっています。本協会創立の翌年1951年には「日本写真家協会第1回展」を開催、1962年の第10回展まで行われました。同展は1976年に「JPS展」と名称を新たにし、1977年から一般公募を開始、1991年からは写真学生を対象にした「ヤングアイ」にまで拡大し、東京、名古屋、京都などで開催しています。一般公募では、文部科学大臣賞・東京都知事賞・金・銀・銅賞のほか、奨励賞が与えられ、プロ写真家への登竜門になっています。
公益社団法人日本写真家協会 写真展担当理事 足立 寛

PDF  第44回 2019 JPS展応募要項の表示とダウンロード

2018年10月30日

鮪の刺身を食いたくなったと人間みたいなことを女房が言った


久しぶりに高田渡の LP アルバム『ごあいさつ』(キングレコード 1971年)に針を落とした。渡さんは優れたシンガー&ソングライターだったけど、歌や詩の発掘者でもあった。明治大正時代に活躍した演歌師、添田唖蝉坊の歌は彼によって知られるようになった、といっても過言ではないだろう。有馬敲や吉野弘などもそうだけど、なんといっても山之口貘を広く一般に知らしめた功績は大きい。
原書房 (1964年)
鮪の刺身を食いたくなったと
人間みたいなことを女房が言った
言われてみるとついぼくも人間めいて
鮪の刺身を夢みかけるのだが
死んでもよければ勝手に食えと
ぼくは腹だちまぎれに言ったのだ
女房はぷいと横をむいてしまったのだが
亭主も女房も互に鮪なのであって
地球の上はみんな鮪なのだ
鮪は原爆を憎み
水爆にはまた脅やかされて
腹立ちまぎれに現代を生きているのだ
ある日ぼくは食膳をのぞいて
ビキニの灰をかぶっていると言った
女房は箸を逆さに持ちかえると
焦げた鰯のその頭をこづいて
火鉢の灰だとつぶやいたのだ
64年前の1954年3月1日、ビキニ環礁で焼津市のマグロはえ縄漁船第五福龍丸が被ばくした。第五福龍丸はアメリカ軍の水素爆弾実験によって発生した多量の放射性降下物を浴び、無線長だった久保山愛吉さんがこの半年後の9月23日に死亡した。当時、私はまだ小学生だったが、雨になると「死の灰が降ってくる」といわれ、必死になって傘を握って通学したことを憶えている。第五福龍丸は現在、江東区の夢の島公園にある展示館に保存されている。傷みは目立つものの、当時のままの姿も残っている。木造船の寿命は15~20年、敗戦直後から現存している木造船は、おそらく福龍丸だけだそうである。

2018年10月29日

ブラックフェイス発言でメーガン・ケリーの番組を打ち切る

ウィリアム・H・ウェスト一座のポスター(1899年ごろ)米国議会図書館蔵

Megyn Kelly(メーガン・ケリー)
引き続きミンストレル・ショーに関する話題。米 NBC ニュースは10月26日、メーガン・ケリーのトーク番組 "Megyn Kelly Today" を打ち切ると発表した。同23日に放送された、ハロウィンでのブラックフェイスに対する発言が物議を醸しからだという。英ケント大学が、カウボーイやネイティブアメリカン、ナチスなど、一部のハロウィン仮装を禁止したというニュースを受け、タブーの仮装に関してパネルディスカッションが行われた。ケリーは「子どものころは、キャラクターのように変装することについては、OKだった」「(テレビタレントの)ルーアン・デ・レセップスが、黒人歌手のダイアナ・ロスに扮し、肌を黒くしたら物議を醸し、人種差別者扱いされた。なぜか分からないわ。ダイアナ・ロスを好きじゃない人なんているかしら?」と黒塗りメイクを肯定する発言したという。同じ NBC ニュースのキャスター、アル・ポーカーが、白人が顔を黒塗りにして演じたミンストレル・ショーに触れ、これは大きな問題を生じたとし、人種を貶めたり、傷つけたりすることは正しいことではないと述べた。結局ケリーは自身の発言の誤りを認めて謝罪、番組は打ち切られることになった。やや話は飛ぶが、昨年の大晦日、NHK紅白歌合戦の裏番組、日本テレビ系「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」の「絶対に笑ってはいけない24時」で、浜田雅功が肌を黒くメイクして登場し批判された。なぜ非難されたのか。浜田および番組スタッフの勉強不足が露呈した。驚いたことに、ラッツ&スターも顔を黒く塗っていたじゃないか、という筋違いの擁護論がネットで飛び交い、人種差別に対する意識の低さに呆れたことを思い出した。

2018年10月28日

ペリー提督の黒船ミンストレル・ショー

高川文筌『米利堅船燕席歌舞図』嘉永7年(1854)真田宝物館蔵

プログラム(クリックで拡大)
前エントリー「バンジョーの歴史とミンストレル・ショー」で、バンジョーが19世紀から20世紀初頭にかけて流行った、ミンストレル・ショーに欠かせない楽器となったと書いた。ブラックフェイス批判によってミンストレル・ショーは消滅したが、ショービジネスの歴史の観点に立つと重要な役割を果たしたといえる。そのミンストレル・ショーが嘉永7年(1854)、日本で演じられたことは案外知られていないかもしれない。主催したのは黒船来航で日本を驚愕させたマシュー・ペリー提督(1794–1858)である。ご存知ペリーは嘉永6年(1853)アメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻を率い、浦賀沖に停泊させ、アメリカ合衆国大統領国書が幕府に渡した。そして翌年に横浜沖に停泊、日米和親条約締結に至った。開国交渉中に幕府の高官が招待され、ミンストレル・ショーが演じられた。笠原潔著『黒船来航と音楽』(吉川弘文館2001年)によると、交渉の節目ごとに横浜以外の函館と下田でも行われたという。プログラムを見ると、第1部、第2部に続き、ヴァイオリンの独奏をはさんで、ブルレスクの『リヨンの娘』で終わっている。ミンストレル・ショーの音楽を手掛けた、スティーブン・フォスター(1826-1864)の『アンクル・ネッド』『主人は冷たい土の中』などの新作も披露された。公演の様子を描いた高川文筌の絵を見ると、バンジョー、ギター、フィドル、フルート、タンバリン、トライアングル、ボーンなどの楽器が使われている。 ペリー提督と共に日本に上陸したアメリカ音楽、黒船来航は西洋音楽の来航だった。

2018年10月21日

カリブ海から始まるバンジョー物語

ヴィクトル・シュルシェールが1840年に収集したハイチ Banza(パリ音楽博物館蔵

首都ダカール沖ゴレ島の奴隷収容所跡
写真は1840年、奴隷制度廃止運動に取り組んだフランスの作家、ヴィクトル・シュルシェール(1804–1893)がハイチに旅行したときに収集した楽器だ。パリの音楽博物館で160年間も眠り続け、ベルギーの首都ブリュッセルの楽器博物館のキュレーター、サスキア・ウィラートが2003年に再発見するまで目を醒まさなかった。Banza はバンジョーを意味する呼び名のひとつで、ポルトガルのギターにもこの名がついている。奴隷商人によって強制的に運ばれたアフリカ人が作った楽器である。皮を張った瓢箪に絃をつけた楽器がバンジョーのルーツだが、17世紀にジャマイカやハイチなど、カリブ諸島の奴隷が作って演奏していた、というのが定説になっている。奴隷の積出港はセネガルのゴレ島、ガンビアのクンタキンテ島、シエラレオネのバンス島など、アフリカの西海岸にあった。そのセネガルを旅行した際に、大きな瓢箪に絃をつけた、リュート型撥弦楽器を見たことがある。KORA と呼ばれているが、絃の数が多い複雑な楽器で、現在でも演奏されている。バンジョーの原型かもしれないが、演奏方法はハープに近い。いずれにしても、瓢箪絃楽器がどのようにしてアフリカから大西洋を渡り、広まったのだろうかという素朴な疑問を持っていた。しかし奴隷船の図を見ると奴隷たちは蚕棚にぎっしり積まれ、立錐の余地がなかったことが分かる。文字通り裸一貫、船に楽器を持ち込むことは、到底無理だったと考えられる。従って楽器自体が船で渡ったわけではなく、後述するように、カリブ海あるいはアメリカ南部の農園で、新たに作られたと考えるのが自然である。ハイチの Banza で特筆すべきは4絃で、フレットレスであることだ。第4絃は他の絃より短く、ネックの途中から張るようになっている。常に開放のまま奏でられるのドローン絃である。このドローン絃は5絃バンジョーの特長でもある。ミンストレル・パフォーマーだったジョエル・スウィーニーが発明したという説があるが、これは間違いである。彼は1810年生まれで、17世紀に作られたバンジョーのネックの途中にペグがついているからである。

奴隷船(画像をクリックすると拡大します)
ノースカロライナの農園で踊る奴隷たち(クリックで拡大)
右の絵は奴隷所有者でもあった画家のジョン・ローズが、1785–1795年ごろ描いた水彩画で、サウスカロライナ州の農園で踊る奴隷たちの貴重な記録である。クリックすると拡大するので細部を見て欲しい。右から二人目の男が演奏しているのも瓢箪バンジョーである。ハイチの Banza と酷似していて、ペグヘッドの形状や、平らなネック、胴体に刻まれたサウンドホールなどに共通性を見ることができる。カリブ海とは距離的に離れているが、18世紀に南部の農園に到達したのだろう。しかしどのようにして渡ったのか、残念ながらその点の文献に乏しいので、詳細は不明である。ただ地理的条件を勘案してみると、南部の農園生活で使われていた楽器が、現在のバンジョーに進化したのではないかと推測している。瓢箪ではなく、木製の丸い胴に牛または山羊の皮をつけた片面太鼓に、5本の絃を張ったバンジョーで、今日のものに近いものだった。そして19世紀から20世紀初頭にかけて流行った、ミンストレル・ショーに欠かせない楽器となった。現代では胴の背に共鳴板をつけたものと、ないものの2つのタイプがある。ポリエステルの皮を張ったバンジョーが主流で、演奏方法も多様化、フォークやオールドタイム、特にブルーグラス音楽の花形楽器になっている。太鼓に絃を張った楽器としては日本の三味線が馴染み深い。中国を経て琉球から伝播したが、元を辿れば古代ペルシャに起源を求めることができる。バンジョーのルーツも同様という仮説は成り立つだろうか? そうであるならば、何時ごろ、どのようなルートでペルシャから西アフリカに伝わったのだろうか。史料を探し、私論がまとまれば、ここに投稿したい。
 
American Roots Music
Facebookグループ · メンバー490人
グループに参加
The group for players and lovers of Blues, Gospel, Folk, Country, Bluegrass and Old time Music, and so on. Available in English and Japanese.
 
ソーシャルメディア Facebook のグループ "American Roots Music"(アメリカンルーツ音楽)の管理人をしています。Facebook のアカウントをお持ちで、このジャンルの音楽に興味あるかたは是非ご参加ください。

Microsoft Word   サスキア・ウィラート『ハイチ Banza の発見(英文)』のダウンロード(WORD 形式 3.00MB)

2018年10月20日

ブリューゲル『婚宴の踊り』に込められた意味

ピーテル・ブリューゲル『婚宴の踊り』1566年頃(デトロイト美術館蔵

ホームページ作成サービス Yahoo! ジオシティーズが、2019月3月31日に終了するので、引越し作業を行ったが、内容を若干手直しした。4年間も放置してあったので、気になる部分があったからだ。ウェブサイト「フィドル音楽」の表紙に、イーストマン・ジョンソンが描いたフィドラーの絵を流用していたが、ややイメージが暗く、変更することにした。そこで目に止まったのがピーテル・ブリューゲル(1525/1530頃–1569)の『婚宴の踊り』(1566年頃)だった。サイト自体の内容は、主としてアイルランドとアメリカのフィドル音楽について解説したものだが、ブリューゲルはブラバント公国出身の画家である。結婚式に招待された農民125人が、人数が多いせいか納屋の中ではなく、戸外で踊る様子を描いている。中央に黒色のドレスを着た花嫁と花嫁の父親が描かれているが、踊りは当局と教会から卑猥な行為として禁じられていた。女性のお尻に手をまわす男も描かれているが、当時の社会基準を遵守しないことによる、上層階級の厳格な境界からの解放を表現したもので、歴史的資料としても貴重なものである。私が注目したのは画面右下、二人のミュージシャンが演奏している楽器 pijpzak(バグパイプスを意味するオランダ語)である。バグパイプスというと日本ではスコットランドのものが有名であるが、同類の楽器がヨーロッパの広い範囲に存在している。アイルランドのイリアンパイプスは、バグパイプと異なり、肘に取り付けられた鞴(ふいご)で皮袋に空気を送り込む。英国の支配によって苦しめられたアイルランドの農民にとって、最大の愉しみであった Barn Dance(納屋の踊り)の伴奏に使われた。一晩中演奏するので疲れるためだったかのか、次第にフィドルが使われるようになる。製作技術の向上により安価で手に入るようになったこと、そして比較的小型の楽器だったので、持ち運びに便利だったことも大きな理由になったと想像される。アイルランドのフィドルチューンにはパイプのそれを原曲にしたものが多い。このような歴史的背景を踏まえながら、フィドルとは一見関係ないような絵を表紙に流用してみた。

WWW ウェブサイト「フィドル音楽」(Fiddle Music) へジャンプ

2018年10月19日

京都府立植物園菊花展


日 時:2018年10月20日(土)~11月15日(木)9:00~17:00
入 園:一般200円・高校生150円・中学生以下および70歳以上無料
会 場:京都府立植物園(京都市左京区下鴨半木町)075-701-0141
案 内:http://www.pref.kyoto.jp/plant/11900003.html

2018年10月17日

煙草をやめたい諸兄諸嬢のために

煙草をやめて綺麗な空気を吸おう

禁煙推進事業に取り組んでいる人と音信が復活した。80年代中ごろにお付き合いさせていただいたが、喫煙に関して私は嫌われていたようなので、思わず「だいぶ前に煙草をやめましたよ」と近況をお伝えした。ところで旧聞めいてきたが、大阪府の松井一郎知事が府議会の休憩時間中に公用車で外出し、車内で喫煙していたと今月11日の府議会総務委員会で取り上げられた。その数日前、大阪維新の会と自民、公明の3会派が今月中に「子どもを受動喫煙から守る条例案」を共同提案して、可決させる方針を固めている。東京都は子どもがいる部屋や車の中で煙草を吸わないよう求める条例を、4月1日から施行している。ただ私的な空間を規制対象にしたもので、罰則なしの条例である。さらに7月27日、罰則付き受動喫煙防止条例案都議会本会議で可決、成立した。従業員を雇う飲食店は面積にかかわらず原則屋内禁煙とすることが柱だという。従業員を雇っていない飲食店は禁煙・喫煙を選べる。都内の飲食店の84%が規制対象で、東京五輪・パラリンピック前の2020年4月に全面施行されるそうだ。喫煙者への包囲網が狭まってきた感じである。昨年の2月、麻生太郎財務相が衆院財務金融委員会で「肺がんは間違いなく増えた。煙草ってそんな関係あんのって色んな人に聞くんです」と述べて物議を醸した。喫煙と肺がんの因果関係に疑問を示したが、一種のすり替え論に過ぎない。かつてヘビースモーカーだった私は、吸う人の気持ちがよく分かる。しかし煙草はやはり周囲に迷惑をかけるし、健康に良いはずがない。だからやめられるならやめるに越したことはないと思う。

おやじ徹誠一代記
私が断煙したいきさつは、約20年前に遡る。居酒屋で大量の血を吐いて救急車で運ばれて入院。出血性胃潰瘍で内視鏡手術をしたのだが、3日間集中治療室に入った。3日吸わずに辛抱できたのだからやめられると決心できた。まさに災い転じてだった。そして今は煙草を吸いたいと感ずることはない。実はその約5年ほど前、私は1年間断煙したという経験がある。苦労してやめたのに何故復活してしまったのか。2007年に他界した植木等さんが『夢を食いつづけた男―おやじ徹誠一代記』(朝日新聞社)を執筆することになり、伊勢市への取材旅行にカメラマンとして同行した。植木さんに勧められ、初めてあのタレが真っ黒な「伊勢うどん」を食べたところまでは私の精神状態は快調だった。ところが次第にそれが危ういものに変化していったのである。父親の徹誠さんは真宗大谷派の僧侶で、部落解放運動に取り組んだ「水平社」の活動家だった。伊勢市の常念寺住職だったころに治安維持法違反で4年近く投獄されたという。その父親が住職をしていた寺院を訪れた植木さんは、近所の人々と思い出話をしているつちに、感極まり突然泣き出したのだった。きっと子どもだった植木さん自身も辛い時代だったに違いない。連日暗い話が続き、次第に私も気が滅入り、ついに鬱状態に陥ってしまった。そしてふと見かけた煙草店で無意識に一箱購入してしまったのである。

元の木阿弥である。いや、それ以上かもしれない。というのは喫煙量が断煙前より増加、1日に4箱も吸うようになってしまったのである。お酒を飲むとさらに増加、5箱に至る日もあった。まさにニコチン漬けである。では煙草をやめるにはどうしたら良いだろうか? 私の場合、断煙1回目は、口寂しさを紛らわすために、乾物屋で購入した乾燥昆布を切り刻んだものを齧ったりしたものだった。これは本田勝一氏が、駅の売店などで売っているおやつ「都こんぶ」がいいとエッセーに書いてあったのを思い出し、倣ってみたものだった。ニコチンガムが禁煙補助剤として有効だと聞いていたが、私は昆布で何とか凌ぐことができた。ニコチンガム以外にも今日では様々な療法があるらしい。2回目の体験を振り返り、私は私なりに煙草を遠ざける方法を思いついた。こうである。(1)学生なら夏休みなど、社会人ならなるべく長い休みをとれる期間を選び(2)学業や仕事を忘れて外出は散歩程度に抑え(3)静かに1週間程度暮らす。こうすれば昆布やニコチンガム、あるいは他の療法のお世話にならずとも、断煙できるのではないかと私は考える。要するに、学業や仕事の圧力によるストレスが、煙草に手を伸ばすことになると考えるからだ。気をつけなければならないことは、やめると食事が進み、肥満に陥る可能性があることだ。メタボリックシンドロームという伏兵に用心しなければならない。

PDF  東京都受動喫煙防止条例の表示とダウンロード(PDFファイル 389KB)

2018年10月14日

何故ブラウザ Internet Explorer を毛嫌いするのか

この世から消えそうもない不肖のブラウザ

マイクロソフトのブラウザ Internet Explorer(以下 IE)をお使いなら、一昨日投稿した「韓国の国際観艦式で7カ国が軍艦旗を掲揚」の動画を見て欲しい。YouTube の動画をシェアしたが、画面がおそらく真っ黒になっていると思う。埋め込み用のコードをコピー&ペーストしたものだが、Chrome や Fifox は無論、マイクロソフトの Edge でもちゃんと表示される。ネットで拾った対策、キャッシュの削除、セキュリティレヴェルチェック、Flash Player の再インストール、IE の互換表示設定の変更などを試みたが、徒労に終わってしまった。真っ黒な画面に接した訪問者は、それは製作者のミスであり、ブラウザのせいだと考えないだろうう。だから私のようにいろいろ試さないと思う。IE は昔からウェブデザイナーを困惑させてきたブラウザのようだ。上記の件以外に、私は HTML/CSS の記述通りに動かず困った経験を持っている。

ブラウザ市場占有率 2018年9月(Net Applications

マイクロソフトは Windows 10 をリリースした際に、新たなブラウザ Edge を投入した。てっきり IE を淘汰させるための措置と思ったが、どうやらそうでもないようだ。マイクロソフトは7月、IE から Edge への移行を改めて呼び掛けるブログ記事「Internet Explorer の今後について」を公開した。Edge は ActiveX コントロールや VBScript などレガシーテクノロジーに対応していないために、Windows 10 を導入した企業が、こういった技術を利用したい場合、IE 11 にリダイレクトする、エンタープライズモードも提供してきたようだ。しかしサポート終了時期については回答できないという。Chrome との差が開いているが、市場占有率は依然2位である。おそらく Edge に乗り換えず IE を使い続けている一般ユーザーが、余りにも多いからではないかと推測している。それにしても、この世から無くなって欲しいと思う気持ちが募るばかりだ。

2018年10月12日

韓国の国際観艦式で7カ国が軍艦旗を掲揚


帝国海軍を彷彿とさせる海上自衛隊(自衛隊観閲式)
韓国の聯合ニュースによると済州島(チェジュド)できのう11日、国際観艦式が開催され、日本や中国を除く10カ国の軍艦が海上パレードを行った。韓国は14カ国の参加を予定、各国に「自国と韓国の国旗のみ」を掲揚するよう求めていた。これに対し日本は反発、軋轢が生じたまま折り合いがつかず、艦艇派遣を見送ってしまった。艦艇を派遣する予定だった中国も、自国の事情を理由に不参加を表明した。海上自衛隊は旧海軍の軍艦旗である旭日旗を掲揚しているので、韓国はこれを標的にして要請したと思われる。軍艦は停泊中は午前8時から日没までの時間、航海中は常時、艦尾の旗竿ないし斜桁(ガフ)に軍艦旗を掲揚するという。朝日新聞の報道によると、参加した10カ国のうち、オーストラリアやタイなど、7カ国が要請に従わず、軍艦旗を掲げていたそうである。アリランニュースのビデオを見ると、各国の軍艦は艦首ないし艦尾ではなく、中央マストに自国旗あるいは軍艦旗と韓国の国旗、太極旗を掲げてパレードしている。なお韓国海軍は文在寅大統領が演説した艦艇のマストに、豊臣秀吉の朝鮮侵略で豊臣軍を撃破した、李舜臣将軍が使ったものと同じ意匠の旗を掲げた。韓国が反日政策に舵を切ったままである証左と言えるかもしれない。これに対し日本政府は、国旗以外の旗を掲げたのは極めて残念だとし、外交ルートを通じて抗議したという。日韓関係がますますギクシャクし、混迷を深めそうな気配である。今回の騒動によって海上自衛隊艦艇の韓国寄港が実現する見通しが立たなくなった。

意外と使われていない URL 短縮サービス

今年8月までに Bitly が短縮した URL は375億を超えたという

先日「ソーシャルメディア Google+ の墜落」とタイトルした記事をポストしたばかりだが、書き落としたことがある。それは Google の URL 短縮ツール goo.gl も、2019年3月30日以降使えなくなってしまうことだ。実に便利であるだけに残念である。ただ Google+ の件はともかく、なぜ URL 短縮サービスを終了するのか不可解である。Google 内部で何か異変でも起こったのかと勘ぐりたくなる。サービスの終了に伴い、URL が無効になる可能性がある。その点では goo.gl を使った URL は機能し続けるようなのでホッとしている。代替サービスとして Google は次の3つのサービスについて紹介している。
  1. Firebase Dynamic Links (FDL)
  2. Ow.ly
  3. Bitly
FDL は解説を読んでみたのだが、手軽な短縮サービスというイメージではなく、難しそうなのでパスした。というか、まだ goo.gl がなかったころに利用していた Bitly を、すぐ慣れるだろうということで使うことにした。確か Bitly のサイトにアクセス、長い URL をドロップして短い URL を取得したような記憶がある。やや面倒なので Chrome ウェブストアに拡張機能が登録されていたので、これを組み込んだ。短縮 URL とは長い文字列の URL を文字通り短くしたものだが、文字数が制限されてる Twitter などの出現で生まれたようだ。ところが Facebook などを見ていると、意外と使われていないことに驚く。例えば YouTube の動画をシェアする場合、短縮 URL を生成するウィジェットがあるにも関わらず、利用しない人が目立つ。

2018年10月11日

ホームページの引越し作業


Goodbye Geocities
ホームページ作成サービス Yahoo! ジオシティーズが2019年3月31日に終了になるので、引越し作業を行った。移行先に関し6つのサービスの案内があり、そのうち3つが無料。Yahoo! BB を利用している場合は、レンタルサーバー XREA(エクスレア) が良さそうだと判断した。無料コースの容量は1GBだが、月額191円、64GBのプランも用意されている。取り敢えず無料アカウントを作成してみた。引越し作業は FTP ソフトを使おうと思ったが、サーバー間ファイルコピーというメニューがあったのでこれを利用した。ジオシティーズの FTP サーバー名、アカウントを記入、転送ボタンを押したらあっという間にファイルがコピーされた。呆気ないけど、これでおしまいである。引越しといっても、ファイルを移動したわけではなく、ミラーサイトを作ったということである。なおジオシティーズのサービス終了する1年後の2020年4月1日、保存している全てのデータが削除されるそうである。なおカバーのイラストは FB フレンドの岡南杏奈さんに描いていただいた作品である。

2018年10月10日

ソーシャルメディア Google+ の墜落

2019年8月末に終了する Google+ の一般ユーザー向けサービス

Google はソーシャルメディア Google+ の一般ユーザー向けサービスを来年8月末に終了すると発表した。個人情報関連バグ発見と「使われていない」というのがその理由だという。私は開設当初から参加している。というのは同社のブログ Blogger を使っているが、投稿すると自動的にそのタイトルとサマリーが同期するからだった。当初、かなりの数のフォロワーがつき、フォローバックした。ところがある日 Gmail の連絡先が異常に増えてしまった。調べてみると、私がフォローした人たちのデーターが流れ込んだのである。今はそんなバグはないと思われるが、当時、慌ててすべてのフォローを削除してしまった。そういう訳で、今はブログ情報の自動同期だけで、ソーシャルメディアの機能を使っているとは言えない状態である。同サービスは2011年6月に開始されたが、3週間で1800万人ものユーザーを獲得したという。そして2013年10月には、約5億4000万人を超えたと発表された。さて「使われていない」ということだが、ソーシャルメディアラボの9月の動向データによると、Google+ の月間アクティブユーザー数は3億人となっている。ソーシャルメディアの経営に関しては不案内だが、日本では利用率が低く、海外でも登録ユーザー数は多いが、アクティブ率が低めなのだそうだ。そして「どうも使い方がわからないうちに使われなくなってしまっている印象」を受けるそうである。Facebook や Twitter などと比べると、確かに直観的な操作ができないという感じは否めない。しかし真の廃止の理由はやはり Google+ のソフトウエアに欠陥があり、約50万人分の個人情報が流出した恐れがあることが発覚、将来的な不安材料が潜在すると判断したからではないかと私は推測している。

2018年10月9日

ピスヘルメットを着用したメラニア夫人の非常識

Melania Trump on a safari in Nairobi National Park (Carolyn Kaster/AP)

ケニアを訪問したメラニア・トランプ夫人が、ナイロビ国立公園で白いピスヘルメットを着用してサファリカーに乗ったことをツイッターで知った。ツイートしたのはニューヨークタイムズ紙のファッション記事編集者、ヴァネッサ・フリードマンさん。さっそく同紙10月8日付けの彼女の記事を見て驚いた。まさに植民地時代の扮装である。ピスヘルメットは日本では探検帽、サファリヘルメットなどと呼ばれているが、夫人は野生動物見物にお似合いだと思ったのだろう。記事は「植民地主義」「無知」と酷評している。イギリスの植民地支配の象徴であることをメラニア夫人、あるいは彼女のスタッフは知らなかったのだろうか。
韓国の SBS NEWS も夫人がケニアのサファリで「植民地主義者」のヘルメットを着用したという記事を掲載している。どうやら日本は見過ごしているようだが、CNN、アルジャジーラなど、海外メディアは競って取り上げている。ニューヨークタイムズ紙のフリードマンさんは、記事の表題に "Out of Africa" という言葉を使っている。アフリカからという意味だが、これはデンマークのイサク・ディネセン著『アフリカの日々』を暗示している。梅毒をうつされて離婚したディネセンの夫は狩猟好きで、ナイロビ近郊にコーヒー農園を開いたころ、彼女も動物狩りに付き合ったことがあるらしい。しかし著書には「(農園が麓にある)ンゴング丘陵全体が禁漁区指定に入らなかったことを、私はいつも残念に思っていた」と狩猟に対して否定的なことも書いている。トランプ大統領のことを「裸の王様」と皮肉る向きがあるが、夫人もどうやら同類のようだ。

Blogger  写真少年漂流記:イサク・ディネセン『アフリカの日々』への追想

2018年10月7日

海上自衛隊の旭日旗に潜在する軍国主義の影

大日本帝国海軍の軍艦旗をそのまま踏襲した自衛艦旗

2012年8月に投稿した「ナチスの党旗にたとえられた旧陸海軍の旭日旗」 に、現在の海上自衛艦旗は旧大日本帝国海軍の軍艦旗に類似しているという意味のことを書いた。しかし類似はおろか、そのまま受け継いだものである。帝国海軍の軍艦旗は1889年(明治22)に十六条旭日旗を意匠とする旗が定められたが、インターネット百科事典ウィキペディアによると「帝国陸軍の軍旗をそのままコピーするのではなく、旭日の日章位置が中央の軍旗に対して軍艦旗は旗竿側に寄るものとした」という。旭日旗といえばスポーツの国際大会の応援席に持ち込まれて物議を醸したことがあるが、最近では韓国が今月11日に済州(チェジュ)島で開催する国際観艦式への海上自衛隊の護衛艦派遣を見送るという騒ぎが起きた。韓国が自衛艦旗である旭日旗の掲揚自粛を求めていたが、日本側は拒否。双方の要求が折り合わないことから、派遣見送りを決めた。不思議なのは韓国側の要請は日本にだけ向けられたものではない。参加予定の全14カ国に対して「自国と韓国の国旗のみ」を掲揚するよう求めるものだった。その後、招待を辞退した国があるという報道はない。従ってこのままなら、日本を除く最大13カ国が、軍艦旗ではなく国旗を掲げて参加することになる。なにかとギクシャクしている日韓関係だが、過剰な反発をしたのは、安倍極右政権に立ち込め始めたファシズムの暗雲に同期したものだろう。

十六条旭日旗(大日本帝国陸軍の軍旗)
日本軍はあの旗をひるがえして中国大陸や朝鮮半島を侵略、人を殺していったのだから、現在の中国や朝鮮半島の人たちが、自衛艦に掲揚された旭日旗を見て「忌まわしい」と感じるのは当たり前の話だ。派遣見送りは見方を替えれば、韓国は旭日旗を断固拒否するという主張を、日本が認めてしまったと解釈できないこともない。敗戦に伴い帝国陸海軍が解体、旭日旗は一度は消滅する。その復活に関しては海上自衛隊のウェブサイトに詳しい。1954年(昭和29)防衛庁・自衛隊の設置を前に、前年11月から旗章についても全面的に見直されることとなり、意匠を募集したところ「各部隊・機関の意見を集めたその結果、各部隊等の大部分は旧軍艦旗を希望している意見が多いことが判明」したが「多くの部隊が希望している旧軍艦旗を採用することについても、情勢はこれを許す状況にはないのではないかとの議論」があった。そして最終的に吉田茂首相が承認したという。つまり旭日旗に問題性があるという認識が当時の関係者にもあったわけである。旭日旗が軍国主義あるいは帝国主義を示すものであり、帝国海軍の亡霊が生き延びている証左でもある。旭日旗はナチスの党旗、ハーケンクロイツ(逆鉤十字)と相通ずるものがある。帝国海軍時代の軍人あるいは関係者の郷愁で復活した旭日旗を廃し、新たな意匠の自衛艦旗作ることが最善策ではないだろうか。

WWWセネガル戦でまたも「旭日旗」日本代表を応援するのに旭日旗を出すべきではないこれだけの理由

2018年10月6日

慰安婦像問題をめぐる吉村大阪市長の愚挙


米サンフランシスコ・クロニクル紙などの報道によると、サンフランシスコのロンドン・ブリード市長は今月3日、旧日本軍の慰安婦問題を象徴する少女像の寄贈受け入れを巡り、大阪市の吉村洋文市長から姉妹都市提携解消を通知する書簡を受け取ったと明らかにした。大阪市は寄贈受け入れに関し見解をただす書簡を送り、9月末までの回答を要求。返答がなかったとして関係解消を伝える書簡を送付したと発表していた。
ロンドン・ブリード市長
従軍慰安婦被害者は尊重される価値がある。慰安婦記念碑は、私たちが決して忘れてはならない教訓と事実を呼び覚ます。ひとりの市長が60年以上続いてきたふたつの都市市民の関係を一方的に終えることは不可能だ。私たちが見るには、サンフランシスコと大阪の姉妹都市関係は両都市市民間のきずなを通じて今も続いている。サンフランシスコはふたつの偉大な都市をつなぐきずなを今後も強化することを願う。
ブリード市長が4日に発表した声明である。素晴らしい。これを読むと、器の違いを痛感する。吉村大阪市長の主張は子どもじみていて、ブリード市長のそれは、懐が深い大人の見地からかわしていると私は思う。事の発端は2017年に戻る。少女像と追悼碑の除幕式が9月22日、サンフランシスコのセント・メリーズ・スクエアで行われた。この少女像と追悼碑の寄贈を受け入れる決議案をサンフランシスコ市議会が可決したが、姉妹都市である大阪市の吉村市長が反発、当時のエドウィン・M・リー市長宛てに抗議の書簡を送った。議会に対し市長が拒否権を行使しないと姉妹都市提携を破棄するという内容だったようだ。これによって吉村大阪市長は海外メディアから歴史修正主義者という烙印を押され、60年に渡る友好の歴史が閉ざされる、という結果だけが残ることになったのである。姉妹都市間の友好関係は市長ではなく、市民同士が築いてきたものであることを忘れてはならない。

吉村市長は果たして大阪市民の承諾を得て事を進めてきたのだろうか。伏線はあった。更に時間を遡った2013年、当時の大阪市長だった橋下徹氏が旧日本軍の慰安婦について「必要なのは誰だってわかる」などと発言、さらに沖縄県に駐留する在日米軍の司令官に「もっと風俗業を活用してほしい」と進言したと打ち明けたのである。この暴言は国内から世界に飛び火して批判された。そして予定されていた表敬訪問をサンフランシスコ市から断られるという失態を演じてしまったのである。維新の会の吉村市長はいわば橋下氏の「子分」的存在で市長になれた。その私怨を忖度、今回の愚挙を行ったと私は推測している。追悼碑には「数十万の女性・少女が慰安婦として日本軍の性奴隷にされた」と書いてあるようだ。この点が気になるなら、性急な拒絶ではなく話し合いをすべきで、姉妹都市提携解消を持ち出したのは脅しであったといえる。戦争を体験した国には犠牲者の慰霊碑があって不思議ではない。過剰な反応は、逆にそれを増やす結果になるだろう。このまま姉妹都市提携が解消されても、慰安婦記念碑が撤去されるわけでもない。培った絆が失われるだけで、得るものはない。

WWW サンフランシスコと大阪の姉妹都市提携に関するロンドン・ブレード市長の声明(原文)