2018年9月24日

台風21号で被害を受けた平野神社の復興支援

倒木で倒壊した拝殿(京都市北区平野宮本町)©平野神社
義援金振込先
  • 京都中央信用金庫/金閣寺支店/普通口座/口座番号0848299/口座名義 シュウ)ヒラノジンジャ
  • 京都銀行/白梅町支店/普通預金/口座番号3849380/口座名義 ヒラノジンジャ
  • 京都信用金庫/西陣支店/普通口座/口座番号3009655/口座名義 シュウ)ヒラノジンジャ
2018年9月4日の台風21号による被害により、平野神社 拝殿の倒壊をはじめ数十本の桜の倒木などの甚大な被害を受けました。関係者一同、全力で復興に取り組んで参りますので何卒皆様の温かいご支援をよろしくお願い申し上げます。(平野神社オフィシャルサイトより)

2018年9月23日

イサク・ディネセン『アフリカの日々』への追想

カレン・ブリクセンと農園の使用人たち(1920年ごろ)

アフリカの日々(河出文庫)
アーネスト・ヘミングウェイ(1899–1961)パリ時代の回想録『移動祝祭日』(高見浩訳・新潮文庫)に、デンマークのイサク・ディネセン(1885-1962)の『アフリカの日々』(Out of Africa) に関する興味深いくだりがある。曰く「彼(ブロア・ブリクセン)の最初の細君は、とても素晴らしい文章を書く人だった」「彼女がアフリカについて書いた本は、私が読んだなかでも最上のものだったな」云々。横山貞子訳が晶文社から出版されたのは1981年で、リアルタイムで読んで感動した記憶がある。今年の8月、河出書房新社が文庫本化したが、再び今、ディネセンが脚光を浴びつつあるのだろうか。ディネセンのファーストネームはイサクと男の名だが、実は女性である。本名はカレン・ブリクセンで、1885年にデンマークのコペンハーゲンの裕福な商人の家に生まれた。27歳のとき、父の恋人アグネスの息子、スウェーデンの貴族プロア・プリクセン男爵と婚約する。プロアはいわば没落貴族で、ディネセン家の資力でケニアのナイロビ郊外、ンゴング丘陵の麓の土地を買い入れた。ここでケニアでも指折りの大農園の生活を始めたわけだが、男爵夫人になった代償として、女遊びに耽溺していた夫から梅毒をうつされる。結局離婚が成立して夫は去ったが、この地にとどまる。コーヒー農園主としての18年間を綴った『アフリカの日々』は病気のことも、離婚のことも一切触れていない。アフリカの人々、アフリカの大地への愛情が、通奏低音として一貫して流れている。農園を去るとき「私たち白人はここの人びとから土地を奪った。奪ったのは彼らの父祖の土地にとどまらない。さらに多くのもの、すなわちここの人びとの過去、伝統の源、心の寄りどころを奪ったのだ」と述懐している。

カレン・ブリクセン国立博物館(ケニア)
今、私はハードカバーの晶文社版を横に置きながら、カレンの写真をこのブログエントリーに添えるか迷っている。というのは著者はこの本に写真を入れることを拒み続けたからである。訳者あとがきにあるように、文化人類学の本でもなければ、ルポルタージュでもない。人生は変容してゆく。カレンのアフリカの日々もまた時間の流れが脈打ち、時間を固定する写真はそれらを捉え得ることは不可能である。著者にとって大事なのは、ある瞬間にしか見えなかったことであり、皮相的な写真を否定したのだろう。しかし原著については手に取ったことがないが、無論、写真はないだろうと思う。しかしこの邦訳版の口絵には著者の意思に反して、5葉の写真が使われている。執筆当時の著者のポートレート、農園のたたずまい、キクユ族の娘の油絵、農園を根城にしたサファリ案内人でカレンの恋人だったデニス・フィンチ=ハットン(1887-1931)の墓などである。このうち、少なくとも彼女自身のポートレ-トは、長い間公表されなかったのではと想像する。謎の作家としてセンセーションを巻き起こした作家だったからである。しかし結局ここに写真を掲載することにした。1954年にノーベル文学賞を受賞したヘミングウェイは、インタビューの際に「この賞があの美しい作家イサク・ディネセンに与えられていたら、私はもっと幸せだっただろう」と語ったそうである。私も美しいと思う。その美しさの片鱗を見せたいという誘惑に負けてしまったのである。ロバート・レッドフォード、メリル・ストリープ共演の、アカデミー受賞作品映画『愛と哀しみの果て』の原作であるが、さまざまな意味でやはり、映画を観てこの自伝的エッセーを理解したと錯覚するのは、いささか乱暴であると思う。

2018年9月19日

歌で蘇るマッキンリー大統領暗殺事件

ハンカチに包んだ銃で狙撃されるウィリアム・マッキンリー大統領(米国議会図書館蔵

マッキンリー大統領
暗殺されたアメリカの大統領は誰れか?と質問されたら、おそらくエイブラハム・リンカーン(1809-1865)とジョン・F・ケネディ(1917-1963)のふたりを誰もがあげるに違いないだろう。しかしジェームズ・ガーフィールド(1831-1881)とウィリアム・マッキンリー(1843-1901)の名を頭に浮かべる人は少ないと思われる。正直言うと私はガーフィールドについては勉強不足で知らなかったが、マッキンリーの名は前から知っていた。ガーフィールドは1881年7月2日午前9時30分、首都ワシントンのボルティモア・アンド・ポトマック駅で、チャールズ・ギトーに狙撃された。今日の医療技術であれば命を落とすことはなかっただろうという、興味深い医療史上の研究があるようだ。マッキンリーはニューヨーク州バッファローで開かれていた、パン・アメリカン博覧会を訪問中の1901年9月6日午後4時7分、無政府主義者レオン・チョルゴシュに暗殺された。セオドア・ルーズベルトが副大統領から昇格した結果、史上最年少の42歳10ヶ月で大統領職に就くことになった。
Charlie Poole & the North Carolina Ramblers
McKinley hollered, McKinley squalled
Doc said to McKinley, "I can't find that ball"
From Buffalo to Washington

Roosevelt in the White House, he's doing his best
McKinley in the graveyard, he's taking his rest
He is gone, long old time

Hush up, little children, now don't you fret
You'll draw a pension at your papa's death
From Buffalo to Washington

Roosevelt in the White House drinking out of a silver cup
McKinley in the graveyard, he'll never wakes up
He is gone, long old time

Ain't but one thing that grieves my mind
That is to die and leave my poor wife behind
I'm gone, long old time

Lookit here, little children, don't waste your breath
You'll draw a pension at your papa's death
From Buffalo to Washington

Standing at the station just looking at the time
See if I could run it by half past nine
From Buffalo to Washington

Came the train, she's just on time
She run a thousand miles from eight o'clock till nine
From Buffalo to Washington

Yonder come the train, she's coming down the line
Throwin' every station, Mr. McKinley's a-dying
It's hard times, it's hard times

Lookit here, you rascal, you see what you've done
You've shot my husband with that Iver Johnston gun
Carry me back to Washington

Doc's on the horse, he th'ow down his rein
Said to that horse, "You've got to outrun this train"
From Buffalo to Washington

Doc came a-running, takes off his specs
Said, "Mr McKinley, it's, better pass in your checks
You bound to die, bound to die"
この歌はチャーリー・プール(1892–1931)&ノースカロライナ・ランブラーズが1926年に録音した『ホワイトハウス・ブルース』である。おそらく事件から余り日が経ってうちに作曲したにも関わらず、政治的配慮からすぐに発表できなかったのではなかろうか。ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ、ビル・モンロー、アール・テーラー、サム・ブッシュなど、主としてブルーグラス音楽系のミュージシャンに歌い継がれ、現在でも頻繁に演奏されている。アメリカのカントリーソングには『オールド 97 の大破』『タイタニック』など、事件事故をテーマにしたトピカルソングが少なからずある。人々は歌によって歴史の記憶が蘇るのである。私がマッキンリー暗殺事件を知ったのはこの『ホワイトハウス・ブルース』を聴いたからだった。

headphoneWhite House Blues: Charlie Poole and the North Carolina Ramblers 1926 (Columbia 15099-D)

2018年9月18日

ジョーン・バエズ 18 歳のレア写真

©Acervo de família. Joan Baez aos dezoito anos de idade. EUA, 1959.

写真はブラジル南東部ベロオリゾンテ在住の写真編集者フェルナンド・ラベロ氏が、Facebook に公開した若き日のフォーク歌手、ジョーン・バエズのポートレートである。1959年、18歳。1973年、チリ軍事クーデターの際にラベロ氏の弟ペドロが反乱軍に捕まる。バエズらの国際的な抗議運動で、3ヶ月後に解放されたが、そのオマージュだそうである。バエズは1941年、ニューヨーク州スタテン島のメキシコ系の家に生まれた。ピート・シーガーの影響を受け、彼の歌を歌うようになり、1957年にギブソンのギターを購入した。翌年、一家はマサチューセッツ州に移住、バエズはボストン郊外のケンブリッジで歌うようになった。1959年、ニューポート・フォーク・フェスティバルに出演、一躍有名になった。ハーヴァード・スクエアのフォーク歌手が結集したアルバム "Folksingers 'Round Harvard Square" の録音に参加、プロの道を歩み始める。翌年10月、ソロアルバム "Joan Baez" がヴァンガードからリリースされた。ラベロ氏は「家族のコレクション」とクレジットしているが、調べてみたところ、この写真は2014年4月、バエズの Facebook 公式ページに投稿されたものであることが分かった。プロのカメラマンが撮影したと思われるが、プリントそのものはネガフィルムの埃の痕跡が残っているので、レコード会社が配布したプロモーション用とは考えにくい。おそらく本人ないし家族が所有していたものだろう。埃は背後の壁の部分だったので、当ブログ掲載にあたり修正を施した。いずれにしても、初めて見る写真である。バエズは今年1月9日、77歳の誕生日を迎えたが、引退を決意して、さよならツアー "Fare Thee Well" を開始した。なおバエズにとって2008年以来の新作となる "Whistle Down the Wind" が、米国の公共ラジオネットワーク局「NPR」の公式サイトで全曲試聴可能となっている。

Blogger  Joan Baez: Fare Thee Well Abschiedstour - Live @ Paris Olympia on June 13, 2018

2018年9月16日

災害時にワイド FM も聴けるラジオ


台風21号による停電の教訓から、情報収集用に携帯ラジオが必要と痛感した。条件は「ワイド FM」 放送も聴けることだった。余りに耳にしない用語で、私も最近知ったのだが、正式には「FM 補完放送」という名称がついている。ネット百科事典ウィキペディアによると、FM 補完中継局は「中波放送を行う基幹放送局の放送区域において、災害対策等のため、補完的に超短波放送用周波数を用いて放送を行う中継局」と定義されているそうだ。つまり FM 電波で、AM 放送が聴ける放送のことである。ワイド FM なら、ビルやマンション、山間部でも雑音が少ないクリアな音で聴ける。ただし山の影では電波が回り込みにくいので受信できない。私が住む京都では、比叡山の中腹に KBS 京都が送信機器を設置、この春からようやく放送を開始した。

周波数 90.1MHz~94.9MHz に対応した FM ラジオが必要
このワイド FM を受信するには、従来の FM 放送用の周波数(76.1MHz~89.9MHz)に加え、新たに FM 放送用として使用可能とした周波数(90.1MHz~94.9MHz)に対応したラジオが必要である。そこで選んだのがインターネット通販サイト、アマゾンの携帯ラジオ部門ベストセラー1位の、オーム電機製「豊作ラジオ」だった。丸みを帯びた濃緑色の筐体デザインが気に入った。名称は田圃や畑での農作業中でも使えることに由来するらしい。完全防水ではないが、IPX4 防飛沫仕様なので、水しぶきに強く、災害時にも役立ちそうだ。受信可能な周波数は AM 530KHz~1605kHz / FM 76MHz~99MHz で、ワイド FM に十二分に対応している。電源が容量の大きい単1形乾電池4個なので、かなり長時間持つようだ。1,700 円強という低価格に驚いた。

PDF  ワイド FM に対応した放送局(FM 補完中継局)の整備地域(PDFファイル 471KB)

2018年9月13日

危うい北海道の電力供給体制

北海道への電力融通増強計画(出典:北海道電力)

泊原発の位置に注目 ©北海道新聞
朝日新聞9月12日付け電子版によると、9月6日未明の地震直後に北海道電力が本州側から緊急の電力融通を受けるなどして、いったんは電力の需給バランスを回復していた。ところがその後何らかの理由で再びバランスが崩れ、地震から18分後に道内ほぼ全域のブラックアウトに陥ったという。発生直後、震源近くにあった北海道最大の火力である苫東厚真発電所の2、4号機が自動停止し、当時の供給力の4割強が一気に失われた。本州との間を結ぶ海底ケーブル「北本連系線」は北海道の異常を探知し、本州から60万kWの電力供給を始めた。北電もブラックアウトを防ぐため、一部地域を強制的に停電させて需要を減らす措置をとったが、安定した状況は続かなかった。本州からの送電はふたたび増加に転じ、同3時11分に60万kWに達した。その14分後、苫東厚真で唯一、発電を続けていた1号機が停止。ほぼ同時にほかの地域で動いていた発電所もすべて止まり、北海道は闇に包まれたのである。

新ルート「北斗今別直流幹線」の断面(出典:北海道電力)

海底ケーブル「北本連系線」の送電能力は60万kWが限界だそうだが、これでは足りず、青函トンネルを利用した新たな「北斗今別直流幹線」を増設して合計90万kWに増やし、2019年3月に運転を開始する予定になっている。北海道の電力系統規模は360万kW程度で、東日本の4,100万kW、西日本の5,500万kWなど他の地域と比べて小さいという特徴がある。従ってたとえ90万kW融通されても、道内の電力不足をカバーするには、大きく不足していることはシロウトでも分かる。やはり供給量の半分を苫東厚真発電所1カ所に依存するリスクが露呈したと言えそうだ。今回のブラックアウトを受け、泊原発を再稼働すべきという意見がまたしても出そうである。しかし建屋の直下に活断層があり、再稼働はとんでもない話である。

nuclear 北海道胆振東部地震「泊原発が動いていれば停電はなかった」論はなぜ「完全に間違い」なのか

2018年9月12日

写真展:台湾写真表現の今〈Inside / Outside〉


会 期:2018年9月14日(金)~9月29日(土)10:00~18:00
会 場:東京藝術大学大学美術館 陳列館台東区上野公園)050-5525-2200
主 催:東京藝術大学・台湾文化部・芸術文化振興基金
照 会:東京藝術大学 美術学部 先端藝術表現科 050-5525-2591

台湾で制作発表する1960 年代以降生まれで、あまり日本では紹介される事の少なかった8名の写真家による展覧会となります。グローバル化した社会の中でアジアの国として均質化したようでありながら、細部を見ていけば日本との違いも多く、台湾独特の世界観が見えてくるでしょう。Inside / Outside とサブタイトルをつけたように、台湾の町並みや風土をテーマとして、社会や自身を見つめる作家と、自身の内部に根ざし、そこから社会に照らし返すような作業をする作家によって、現代台湾の独特な状況や、また グローバルな普遍性を探る展示となります。(特設ウェブサイトより

2018年9月9日

ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』を読んでみよう


シェイクスピア&カンパニー書店
アーネスト・ヘミングウェイ(1899–1961)の『移動祝祭日』(高見浩訳・新潮文庫)を読んでいたら、ジェイムズ・ジョイス(1882–1941)との交遊エピソードが目に止まった。ヘミングウェイは結婚したばかりのハドリーを伴って1921年12月、パリに移住した。そこでジョイスと知り合うのたが、翌年2月2日に小説『ユリシーズ』が、オデオン通りに書店「シェイクスピア・アンド・カンパニー」を構えていたアメリカ人女性、シルヴィア・ビーチ(1887–1962)によって刊行された。20世紀を代表するふたりの文学者が異国の地で親交を温めたことは、当時のパリが芸術家のいわば聖地であったことの証でもあった。パブロ・ピカソ(1881-1973) スコット・フィッツジェラルド(1896-1940)マルク・シャガール(1887-1985)マン・レイ(1890-1976)藤田嗣治(1886-1968)など、巡礼者の名を上げたらキリがない。そういえば『ユリシーズ』を持っていたと思い出し、書架の奥に隠れていた集英社刊、丸谷才一 ・永川玲二・高松雄一訳の3冊を捜し出した。

ユリシーズ I・II・III(集英社)
今でこそ文庫本化されているが、1996年から翌年にかけて出版されたハードカバーの初版本である。ところがこれは購入したものの、眠らせたままで読んでいなかった。二度にわたるアイルランド旅行のあと、ジョイスの作品に興味を持ち『ダブリン市民 』(安藤一郎訳・新潮文庫)を読んでみたが、途中で放り投げてしまった。何故かその記述に馴染めないものがあり、いささか辟易したと記憶している。しかし今また手に取れば。おそらく違う感触を持つのではないだろうか。この短編集はむしろ読みやすいほうで『ユリシーズ』は難解だと言われている。というわけで入手したものの、何となく億劫になってしまったのかもしれない。しかし今は少なくとも10年前より書籍を読む根気が増したような気がする。その根底には歳を重ねるうちに、若い頃と違って「読まなくては」という心理的束縛から解放され、放棄したときの挫折感が遠のいたのだろう。もしかしたら再び途中で投げ出すかもしれないが、のんびり読み始めてみようかと思う。

amazon  ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』文庫版 全4巻完結セット (集英社文庫ヘリテージ 2012年)

2018年9月7日

台風 21 号による停電の教訓

役に立った蝋燭とスマートフォン(9月4日)

ソニー FM ラジオアプリ (※)
北海道を襲った地震でライフラインが寸断され、住民の生活に大きな被害を与えている。水道管の破裂で水が滝のように流れ出たり、ガス漏れが発生したり、とにかく大変なようだ。被害の多くは停電が原因だという。スマートフォンの充電のため行列を作る人々の姿がテレビに映し出されたが、停電の象徴的な光景と言えるだろう。私が住む地域でも、台風21号の影響で、9月4日午後3時ごろ停電、復旧したのは翌日の午前10時ごろだった。備えあれば患いなしというが、暗くなって役立ったのが蝋燭だった。そして懐中電灯も助かった。マンション住まいなので、揚水能力が落ちて断水状態になった。それでもちょろちょろ出たので、トイレ排水用にバスタブ、料理用にはペットボトルに貯めた。その料理だが、幸いなことにガスが使えたので、これまた備蓄してあったカセットボンベ式コンロの世話にならずに済んだ。オール電化住宅の最大の欠点は、停電時にお手上げになることである。新たにマンション購入を考えてるかたは、この辺りを念頭に入れて判断すべきだろう。なお停電で怖いのはエレベーターが停止してしまうことだ。庭が使いたくて1階を選んだが、上層階に住む人は大変である。見晴らしは素晴らしいだろうけど、停電すれば止まるし、地震時には上層階ほど揺れが激しく、家具が倒れる可能性が高い。20階を超えるとタワーマンションと呼ぶそうだが、階段の昇り降りを考えると気が遠くなる。災害時の情報入手はまずテレビだが、停電したら使えない。乾電池式ラジオが良いと思う。スマートフォンはあらゆる意味で有用なツールだが、ソニーの Xperia に搭載されている FM ラジオアプリ(※)を利用している。停電になると携帯基地局の電源が落ちてネット接続し難くなる、つまり「圏外」になってしまう。しかしこのアプリはオフラインでも使え、まさにラジオそのものに変身する。災害に備え何を備蓄しておくべきか、広く一般にアドバイスをする資格はないが、乾電池がその重要なひとつだと痛感した。

android ※ ソニー Xperia スマートフォン:通勤中の情報収集にもおすすめ「FMラジオ」アプリ

2018年9月5日

ミラーレスカメラ戦争が勃発した

CANON EOS R and NIKON Z7

キヤノン株式会社が今日9月5日、フルサイズミラーレスカメラ EOS R 及び RF レンズ4本、マウントアダプターなどを発売すると発表した。意図したかどうかはともかく、ニコン Z の発売前だけに、後出しジャンケンの感は否めない。スペックを見ると、突出して優れた機能は見当たらないようだ。おそらくフラッグシップ機である EOS-1D X Mark II など、現行の一眼レフの売り上げに悪影響を与えないためじゃないかと邪推してしまう。ミラーレスカメラの最大の特長は、文字通り鏡がないので、その衝撃や音がなくなる点である。また以前の対称型広角レンズはバックフォーカスが短いので、その後端がミラーとぶつかるという問題があった。そこで苦肉の策として、バックフォーカスが長いレトロフォーカスレンズを採用するようになった。レトロフォーカスは周辺光量不足が目立たなくなる代わりに、歪曲収差の補正が必要になる。ミラーレスもレトロフォーカスは可能で、逆に使わなくとも構わない。つまりレンズ設計の自由度が高い。特に短焦点レンズの設計に有利だと考えられる。重さが約 580g と軽い点はミラーレス機ゆえの特長と言えるだろう。ニコン Z にも言えることだが、筐体の小型化、軽量化は確かに長所である。レンズマウントを比較してみよう。

フランジバックとレンズマウント内径の比較
マウント名カメラの分類フランジバックマウント内径撮像素子サイズ
CANON RFミラーレス20mm54mmフルサイズ
CANON EF-Mミラーレス18mm47mmAPS-C
CANON EF一眼レフ44mm54mmフルサイズ
NIKON Zミラーレス16mm55mmフルサイズ
SONY Eミラーレス18mm46mmフルサイズ
LEICA SLミラーレス20mm48.8mmフルサイズ
LEICA Mレンジファインダー27.8mm43.9mmフルサイズ

キヤノンの RF マウントの内径は 54mm で、これはニコンの Z マウントに近い値である。フランジバックは 20mm で EF-M より長い。ニコン Z は 16mm と極端に短く、両社の設計コンセプトの差が窺える。どちらが有利なのか、ちょっと気になるスペックではある。キヤノンは3種類のレンズマウントを抱えるようになったが、EF-M はいずれ淘汰されると想像される。ところでフォーサーズカメラの情報サイト 43Rumors によると、パナソニックもフルサイズのミラーレスカメラカメラを開発、9月25日に発表するという。マイクロフォーサーズシステムが策定されてからちょうど10年後となる。ただ名称が4/3型(約17.3mm×13mm)のイメージセンサーに由来するので、フルサイズになったらフォーサーズと呼べなくなってしまう。それはともかく、このジャンルで先行し、カメラ業界第2の座を狙うソニーも、新たな戦略を展開するだろうし、オリンパスやペンタックスも参戦する可能性が高い。激しいミラーレスカメラ戦争が勃発した。

camera  報道資料:光学の可能性を広げる新イメージングシステム“EOS Rシステム”が誕生

2018年9月3日

カワセミの飛翔

カワセミ(水彩)

たったひとりの孫は現在小学3年生だが、ゆえあって6年間、京都で一緒に暮らした。ところがこの夏、東京に引っ越してしまった。それに伴い、転校したのだが、なんでピッカピカのランドセルかと新しい級友に訊かれたそうだ。教育大附属小学校に通っていたのだが、帆布製のリュックだったので、新しく革のランドセルを購入したからである。この水彩画はその孫が描いたカワセミだけど、彼の名前の一部に「翔」という字が含まれている。まさに東京に飛翔しようする自身の姿のようだ。記録としてここに載せておくことにした。

2018年9月1日

生きてゆくために動物を殺して食べる不条理


DVD "THE COVE" (2009)
9月。和歌山県太地町のイルカ漁が解禁された。同町のイルカ漁が海外に知られるようになったのは、アカデミー賞を受賞した映画「ザ・コーヴ」がきっかけだった。私は国内での公開が待ちきれず、米国盤の DVD を購入して鑑賞、血で赤く染まった入江の光景にギョッとした記憶がある。公開以来、映画に刺激された自然保護運動家が同町を訪れるようになり、漁民との軋轢が生じるようになった。しかし8月27日付け毎日新聞によると、来町する反捕鯨団体の活動家が減っているという。その要因のひとつとして反捕鯨団体シー・シェパードがメンバーを派遣しなくなったからだという。イルカのような小型鯨類は国際捕鯨委員会(IWC)の管轄外である。外房和田浦のツチクジラ漁は、解体作業を公開しているが、残酷という非難の声は聞かない。にも関わらずツチクジラよりも遥かに小さいイルカの捕獲がやり玉に挙がったのは、映画の影響を受けただけの知識だったと思われる。血の海といえばフェロー諸島のゴンドウクジラ漁を思い出す。上掲のイラストから Pilot Whale を探して欲しい。ゴンドウクジラが小型鯨類に属していることが理解できると思う。8月16日、フェロー諸島のひとつ、スヴロイ島の入江が血で真っ赤に染まった写真が BBC 電子版に掲載された。

Whale hunt turns sea red with blood, July 30 ©Alastair Ward
撮影したのは英国ケンブリッジ大学の学生、アラステア・ワード君で、苛酷な写真が含まれていたため、自然保護運動家や動物愛護活動家らが怒りの声を上げたようだ。翌日の8月17日付け CNN 電子版によると、同諸島自治政府当局は反対運動に対し「ゴンドウクジラの肉と脂肪は、島民の食生活にとって重要な部分を占めている」と反論したという。イルカと同様ゴンドウクジラも IWC の規制対象外だし、北大西洋海産哺乳動物委員会(NAMMCO)も、2012年にフェロー諸島の捕鯨は持続が可能と結論している。というわけで捕鯨が続いているのだが、反対運動もまた執拗に続いている。確かに動物を殺すことはできれば避けたい。動物もまた当然のことながら生きる権利があるからだ。しかしヴィーガン(絶対菜食主義者)にならない限り、殺した動物を食べることは避けられない。殺生は生きものを殺すという意味だが、殺して生きることと思うことがある。いわば人間が人間として生きてゆくための不条理ではないだろうか。

PDF  "Whaling in the Faroes" by Seán Patrick Kerins 2008 - Griffith University (PDF file 15.3 MB)

2018年8月25日

ニコンがミラーレスカメラ Z に新マウントを採用

フランジバック 16mm 内径 55mm のニコン Z マウント

株式会社ニコンイメージングジャパンが8月23日、大口径の新マウントを採用したフルサイズのミラーレスカメラ Z7 と Z6 および NIKKOR Z レンズを発売すると発表した。ミラーレスというのは文字通りミラーがない一眼カメラである。一眼レフカメラのファインダーは 45°のミラーで光線をペンタプリズムに送るシステムになっている。従ってミラーを外せば、プリズムの分だけ軽くなり、ミラーが跳ね上がる際の衝撃や音が皆無になる。しかもミラーボックスがなくなるので筐体を小型化できるメリットがある。レンズマウント面と撮像素子の距離をフランジバックと呼ぶが、これが短くなるのでレンズ設計の自由度が増す。デジタルカメラの特性を考えればミラーレスが一番合理的だと思うが、大手カメラメーカーはやや消極的だったと思われる。スポーツ写真撮影などの場合、やはり光学ファインダーのほうがレスポンスが早かったからである。ところが積極的にミラーレスカメラの開発に取り組んだのが、コニカミノルタの技術遺産を受け継いだ「第3のカメラメーカー」ソニーだった。その成功によりカメラ業界が動き出したと言えるだろう。

フランジバックとレンズマウント内径の比較
マウント名カメラの分類フランジバックマウント内径撮像素子サイズ
NIKON Zミラーレス16mm55mmフルサイズ
NIKON F一眼レフ46.5mm46mmフルサイズ
SONY Eミラーレス18mm46mmフルサイズ
CANON EF-Mミラーレス18mm47mmAPS-C
CANON EF一眼レフ44mm54mmフルサイズ
FIJIFILM Xミラーレス17.7mm43.5mmAPS-C
LEICA SLミラーレス20mm48.8mmフルサイズ
LEICA Mレンジファインダー27.8mm43.9mmフルサイズ

表はレンズマウントを比較したものだが、ニコン Z シリーズが新たなマウントを採用したことにある種の驚きを感ずる。F マウントのままでもフルサイズのミラーレスカメラを作ることができる。そうすれば従来のニッコールレンズ所有者が容易にミラーレスカメラに移行できるからだ。それではスペックを見てみよう。F マウントのフランジバックは 46.5mm だが、Z マウントでは 16mm と大幅に縮まっている。内径は 46.5mm から 55mm と一気に大きくなっている。フランジバックの縮小は冒頭に書いたようなメリットがあるし、マウント内径の拡大は大口径レンズの設計を可能にする。ニコンは開放F値 0.95 焦点距離 58mm の明るいレンズを開発しているそうだが、新しいマウントゆえに可能になったのだろう。従来の F マウント一眼レフがただちに消えるわけではないが、ユーザーに戸惑いが生ずるかもしれない。そのリスクを跳ねのけた大英断と言えるだろう。ニコンは F マウントを死守して生き長らえてきたと言っても過言ではない。初代ニコン F からのユーザーにとっては感慨を禁じ得ない。なおライバル社キヤノンの EF-M マウントは APS-C 用で、フルサイズセンサーには厳しいらしい。キヤノンの開発者が「デジカメWatch」のインタビューで「EF-M マウントでフルサイズセンサーを搭載するのは難しい」と回答しているからだ。フルサイズカメラは従来の EF マウントのままになるという観測もあるようだ。しかし今回のニコンの発表が何らかの影響を与えるのではないだろうか。

camera  報道資料:フルサイズミラーレスカメラ「ニコン Z7」「ニコン Z6」を発売(2018年8月23日)

2018年8月23日

生誕110年記念 東山魁夷展

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日 時:2018年8月29日(水)~ 10月8日(月・祝)9:30~17:00(土曜21:00まで)
休 館:毎週月曜 9月18日(火)9月25日(火)9月17日(月)9月24日(月)10月8日(月・祝)は開館
会 場:京都国立近代美術館(岡崎公園内)京都市左京区岡崎円勝寺町 075-761-4111
料 金:一般 1,500円(1,300円)大学生 1,100円(900円)高校生 600円(400円)カッコ内は団体料金

東山魁夷は、清澄で深い情感をたたえた風景画により、戦後の日本画の世界に大きな足跡を残しました。自然と真摯に向き合い、思索を重ねながらつくりあげたその芸術世界は、日本人の自然観や心情までも反映した普遍性を有するものとして評価されています。明治41年(1908)横浜に生まれた東山魁夷は、東京美術学校を卒業し、ドイツ留学の後、太平洋戦争への応召、肉親の相次ぐ死といった試練に見舞われますが、そうした苦難のなか風景の美しさに開眼し、戦後はおもに日展を舞台に「残照」や「道」といった風景画の名作を数多く発表しました。本展は生誕110年を記念し、戦後の日本を代表する国民的画家と謳われた東山魁夷の画業を代表作でたどるとともに、東山芸術の記念碑的大作「唐招提寺御影堂障壁画」が特別出品されます。東京では10年ぶり、京都では30年ぶりに開催される本格的な回顧展となります。(京都国立近代美術館のウェブサイトより転載

2018年8月21日

大恐慌時代 FSA プロジェクトの女性写真家

「収穫した綿花の計量」ミシシッピ州メリーゴールド(米国議会図書館蔵1939年

Marion Post Wolcott, Ky, 1940
朝日新聞社に入社したのは 1966 年だったが、当時、女性の写真部員はゼロだった。フリーランスの女性報道写真家の名も記憶にない。時に危険な現場にも足を運ばなければならないドキュメンタリー写真の世界が、女性に対し高い壁を作っていたのかもしれない。今でこそ報道写真への女性の進出は目覚ましいものがあるが、かつては男の職業と見られていたのである。アメリカでは大恐慌時代に「出稼ぎ労働者の母」(1936年)を撮影したドロシア・ラング(1895-1965)や、モンタナ州のフォート・ペック・ダムの写真でライフ誌創刊号(1936年11月23日号)を飾ったマーガレット・バーク=ホワイト(1904-1971)など、早くからドキュメンタリー写真に女性写真家が進出している。ラングの写真は、恐慌と旱魃で困窮を極めた農村の惨状およびその復興を記録するために、農業安定局が組織した FSA プロジェクトに加わって撮ったものである。ジャック・デラーノ、ウォーカー・エヴァンズ、セオドア・ヤング、ラッセル・リー、カール・マイダンス、ゴードン・パークスなど、錚錚たるメンバーを擁していた。しかしもう一人の女性写真家だったマリオン・ポスト・ウォルコット(1910-1990)は、日本では意外と知られていないかもしれない。ウォルコットは1910年6月7日にニュージャージー州モントクレアで生まれた。学校がないときにはグリニッジ・ヴィレッジで過ごし、芸術家やミュージシャンと親交を持った。教職実習生としてサチューセッツの小さな町で働くことになったが、ここで彼女は大恐慌の現実と貧困にあえぐ人々の問題を知ることになる。ニュー・ソーシャル・リサーチ・スクール、ニューヨーク大学を卒業、児童心理学を学ぶため、オーストリアのウィーン大学に留学した。1932年にニューヨークに戻り、写真撮影に没頭探求する。
It gives me pleasure to give this note of introduction to Marion Post because I know her work well. She is a young photographer of considerable experience who has made a number of very good photographs on social themes in the South and elsewhere…I feel that if you have any place for a conscientious and talented photographer,you will do well to give her an opportunity. (Letter from Paul Strand to Roy Stryker, June 20, 1938)
出稼ぎ労働者住宅の「ジュークジョイント」フロリダ州(1941年)
ウォルコットの才能を見出し、FSA プロジェクトに推薦したのはポール・ストランド(1890–1976)だった。ストランドは1938 年、経済学者で写真家でもあった FSA プロジェクトのディレクター、ロイ・ストライカー(1893-1975)に「私はマリオン・ポストの作品をよく知っている。 彼女はかなりの経験を持つ若い写真家で、南部やその他の地域の社会テーマについて非常に良い写真を数多く撮っている。彼女に機会を与え欲しい」と上掲のような紹介状を送っている。大判 4x5 インチのスピードグラフィックと二眼レフのローライフレックスを手にした写真が残っているが、FSA プロジェクトでは 35 ミリの小型カメラ、おそらくライカを使用したようだ。当時としては珍しいカラー写真を撮っているが、コダックが1935年に発売したコダクロームで、テスト撮影を依頼されたものだった。写真左はフロリダ州ベルグレイドの出稼ぎ労働者用仮設住宅地区で撮影されたもので、ジュークジョイントはジュークボックスが置いてある、沿道沿いの居酒屋あるいは売春宿のことである。背を向けた男が手にしている銃が治安の悪さを暗示している。ウォルコットの代表的作のひとつは、農業安定局の「ひまわり農場」の記録である。深南部のミシシッピデルタの土地を購入して創設した農場である。彼女の写真は貧困の政治的側面を深く抉っているが、冷徹なようで、その視線に暖かみを感ずる。ウィーン大学時代にナチスが台頭、その残虐行為を知り、身の安全のため逃げるようにして帰国、後に反ファシスト運動に関わった体験が背景にあったからだろう。1938年から1942年にかけて FSA プロジェクトのために撮影した写真は 9,000 点以上と膨大だ。ちなみにドロシア・ラングは約 4,000 点だった。

The Library of Congress  Marion Post Wolcott (1910-1990) A Biographical Essay by Beverly W. Brannan 2012

2018年8月20日

スポーツの軍事化とオリンピックの政治


登壇者:井谷聡子(関西大学文学部准教授)・北村小夜

日 時:2018年8月28日(火)18:30~20:30(開場:18:15~)
会 場:渋谷区文化総合センター大和田会議室(渋谷区桜丘町23-21 8F)
会 費:500円
共 催:アジア女性資料センター反五輪の会
照 会:NPO法人アジア女性資料センター(渋谷区桜丘町14-10-211)03-3780-5245

ジェンダー/セクシュアリティの観点から2020年オリンピック・パラリンピックの問題を考えるイベントを開催します。現在、スポーツ選手に対する監督・コーチによる暴力や支配の問題が大きく報道されています。選手と監督の関係は、まるで旧日本国軍の上官と、理不尽な要求にも応じざるを得ない状況に追い詰められた兵士のようです。そして、「国」を背負わされ、スポーツ界が軍事化する状況は、2020年に向けた都市開発や祝賀ムードによってあおられ、加速していくことが懸念されます。また、2011年に起きた原発事故の「復興」を目に見える形にすることが、2020年の目的のように感じている人も多いのではないでしょうか。1964年の東京オリンピックは「戦後復興」という大規模再開発を経て開催されました。国際社会に向けて、侵略戦争の記憶を消し去るかのような華々しい演出がされたのです。スポーツの軍事化は、わたしたちの生活や身体にどのように影響し、2020年オリンピック・パラリンピックに向けて、わたしたちはどのように抵抗できるのか、世代の異なる二人の登壇者を迎えて考えます。

2018年8月19日

読んで分からぬ仏教経典なら輪蔵を一回転

清凉寺(京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町)

嵯峨釈迦堂前で市バスを降りた。清涼寺である。山門をくぐり斜め右に進むと、読経が風に乗って聞こえてきた。実は生の声ではなく CD で、一切経堂からだった。扉が開け放たれた正面中央に、中国南北朝時代梁の居士、傅大士(ふだいし)の木像が鎮座している。そしてその左に長男の普建、右に次男の普成の像が安置されている。傅大士が立てたふたつの指が、私には V サインに見える。まるで「任せといて」とほほ笑んでいるようだ。外気に晒されてきたせいだろうか、色鮮やかだったに違いない塗料が剥げ落ちている。中に入ると回転式の経蔵があった。入口にあった説明板によると、釈迦が説いた一切の経典が納められてるという。唐紙製の明板本 5408 巻の大部が格納されていて、この輪蔵を一回転させると、すべてを読んだことになるという。このアイデアは、たとえ文字の読めない人であっても、気軽に仏の教えに出会えるようにと、傅大士が考えたものだという。仏教経典は庶民にはやはり難解だ。浄土三部経のひとつ『仏説観無量寿経』を紐解いてみよう。
正座西向 諦観於日 正座し西に向いて日を諦観すべし
令心堅住 専想不移 心をして堅住ならしめ想いを専らにして移らざれば
見日欲没 状如懸鼓 日の没せんと欲して状懸鼓の如くなるを見よ
既見日已 閉目開目 すでに日を見おわらば目を閉ずるも開くも
皆令明了      みな明了ならしめよ
是為日想 名曰初観 これを日想とし名付けて初観という
六角形の輪蔵
これは瞑想によって浄土を観る十三の方法の最初の部分である。正座して沈んでゆく太陽が懸鼓(けんく)、つまり天空にかかった、太鼓のようであるように観なさいと説いている。仏教経典は漢訳のそれがそのまま使われている。正直言って聴いていてもよく分からない。このように漢文を読み下したものでも、文語体だと浅学の身にはやはり分かりずらい。分からないなら、いっそのこと輪蔵を回して読んだことにしたほうが気楽である。100 円を納め、体重をかけながら両手でグイと押してみた。すると巨大な書架が静かに回転し始めた。写真(左)をご覧になれば分かると思うが、この経蔵は六角形である。清涼寺の本山である東京芝公園の増上寺の輪蔵は八角形だが、ネット上には六角と説明したものが散見されるようだ。眺める角度によっては3面のみが見えるので、向こう側も3面、従って六角形と誤認する可能性がないわけではない。しかしこれは間違った判断である。今は書き換えられているものの、かつて東京都指定文化財目録には「六角形輪蔵」と記述されていたそうだ。また昭和45年(1970)11月10日付けの『浄土宗新聞』の記事「増上寺経蔵復元工事が完成」には「木造六角の輪蔵」と書かれていたという。これらを元に描かれた記事が、実物に接しないままコピー&ペーストされて連鎖拡散、誤解の一因になったのかもしれない。一切経堂を辞した私は、すぐ隣にある弥勒宝塔石仏に再会した。高さ約2メートルの二面石仏の裏は多宝塔だが、表は釈迦如来という説もある。しかしその風合いを観察すると、弥勒菩薩説に軍配を上げたい。風雪に輪郭がが曖昧になりつつあるが、いつ見ても美しいと思う。

2018年8月16日

アナログ音源をデジタル化する簡易ツール

USB 接続オーディオキャプチャー I-O DATA AD-USB2

アナログビニールレコード音源のデジタル化を、2年ほど前まではオンキョーの USB デジタルオーディオプロセッサー SE-U55SXII で行っていた。DAC(デジタルアナログコンバータ)内蔵のオーディオセレクタで、なかなか優れものだったが、知り合いに譲ってしまった。最近、再びレコード音源のデジタル化をする必要に迫られたが、製造中止だという。そこでアイ・オー・データの簡易ツールともいえる AD-USB2 を購入した。ご覧の通り、ケーブルを束ねたもので、特長は小さな本体にフォノイコライザーを搭載していることだ。CD の登場によってオーディオアンプからフォノ端子が消えてしまったため、この装置が必要になった。ところが安価なエントリーモデルでは、フォノイコライザーが内蔵されていることが多い。


その場合でもアナログ信号をデジタル信号に単純変換するケーブルはない。ADC(アナログデジタルコンバーター)が必要だからだ。AD-USB2 は実勢価格 4,000 円強だが、無料でダウンロードできるデジオン社のハイレゾ音源対応サウンド編集ソフト DigiOnSound X に惹かれて選択した。単に録音するだけではなく、アナログレコードのノイズ除去、自動サウンド分割、楽曲情報取得などの機能を備えた優れものだからだ。なおこれは AD-USB2 対応の機能限定バンドル版で、フル機能搭載の汎用製品版は 20,000 円強である。蛇足ながら Windows 専用で、音楽編集に関わる Mac ユーザー向けのソフトを開発しないのが不思議ではある。蛇足ながらレコードプレーヤーのカートリッジは MM 型のみに対応、MC 型を接続する場合は別途フォノイコライザーアンプが必要である。録音目的ではなく、単にレコード鑑賞する場合でも、コンピュータの電源を ON にする必要がある。USB バスパワーを電源にしているからだ。

2018年8月15日

五山送り火を支える無名寺院の信徒たち

護摩木(京都市北区金閣寺町)

京都五山送り火の左大文字護摩木志納のため鹿苑寺(金閣寺)に出かけた。後述水上勉氏の随筆にあるように左大文字の護摩木は、法音寺という小さな寺院の信徒たちが山に登って焚く。同寺は狭いし世間に場所も知られていない。従って観光客が多い鹿苑寺境内で志納受付をするのだろう。水上勉氏の随筆を引用しよう。如意ヶ嶽の大文字を守っている浄土院でいただいたパンフレットに復刻されていたもので、単に雑誌「PHP」11月号とあるだけだが、古都税紛争一時和解、御巣鷹山日航機墜落事件に触れているので、1985年と推測できる。
「五山の送り火」水上 勉(作家)

ことしは久しぶりに京五山の送り火を拝んだ。周知のように五山とは、如意ヶ嶽の大文字、松ヶ崎東、西山の妙法、船山の舟、大北山の左大文字、鳥居本の曼荼羅山の鳥居である。十三日の盆に、祖先の精霊を迎えた京の家では、仏壇に供物をならべて念仏申しあげ、家内安全息災を祈願するとともに、精霊を弔うのだが、十六日にはその精霊が、ふたたび彼岸へ帰ってゆくのを送らねばならない。火はつまり、その仏徒たちの昔から行ってきた精霊送りだ。調べてみると、これらの火は、五山の保存会のメンバーによって焼かれ、一般の人は仲間に入らない。昔から寺の信徒にその役があり、しかも、若衆と呼ばれた青年たちによって、焼かれるところもある。不思議なことに、それらの寺は有名寺院ではない。有名寺院といえば、京都ではみな観光寺院になってしまうが、火を焼く寺は、殆ど観光とは無縁といっていいだろう。

まず銀閣寺前にある浄土寺が如意ヶ嶽の大文字を焼き、松ヶ崎は湧泉寺、船山は西方寺、大北山は法恩寺、鳥居本には寺はない。古くからの保存会員の持ち山で、町衆が焼くそうだ。焼かれる護摩木は寺でつくられ、寺に詣でた善男善女が、新仏の法名や、俗名を書いて護摩料を払うのである。新仏が出なかった家は、先祖代々の霊だとか、一家の安全息災を祈ることばを書く場合もある。いずれにしても、これらの木をあつめて、背負って山へのぼり、汗だくになって焼く人々はむな、無名の信者たちである。この行事が何百年とつづいて、今日も燃えつづけた。なかった年は、敗戦の年とその翌々年までの三年だけで、昭和二十三年から休んだことがない。つまり、仏を送る信心に休みがないということであって、本心は、敗戦の年まわりこそ、大勢の死者が広島や長崎にあふれ、爆災都市にも、たくさん焼死体がころがっていたのだから、京の町衆は送り火だけは焼きたかっただろう。ところが占領下であったために、遠慮しなければならなかった、とつたえられる。それにしても、この行事が、古くからの信者たちによって、手弁当で行われてきたことに私は心を打たれる。今は京の観光の目玉ともなり、どのホテルも満員の外来を迎えてほくほくだが、じつはその送り火そのものは、観光と無関係に、信心の証として、保存会の家々がうけついできている。
絵:水上 勉

そこで、思うのだが、私たちは、大文字といえば銀閣寺を頭にうかべ、左大文字といえば金閣寺を頭にうかべ、有名な相国寺派別格地の両寺が焼くように思いがちだ。そうではない。護摩木は観光客に売りはするけれど、山へぼって焼くのは、ほかの寺の信徒がやっていたのである。しつこいようだが、このことにこだわるのは、凡庸な俗界にあって、信心の火を観光寺院に見ることが出来なくなった、ということを、五山の火は教えたからである。伝によれば、如意ヶ嶽の大文字は、銀閣慈照寺を創建した足利義政がはじめたともいう。とすれば銀閣寺はやはり、火の元だったわけだが、いまは門前の浄土寺が、汗だくになって護摩木を背負いはこび、当夜は、弘法大師像を安置するカナオの堂前で、誦経をし、住職の合図で火がつけられる。

ことしの送り火はいろいろのことを考えさせられた。銀閣寺も金閣寺も古都税問題で、(つまりゼニのことで)門を閉めて人を入れなかったりした。ところが、どういう相談ができたか、急に市当局と握手して、門がひらかれた。門をひらくことは賛成だが、なぜ門をしめたのか、庶民にはよくわからなかった。法灯を守るというのが理由のようだった。だが十六日の法の火は、観光とない信心の徒をあつめる無名寺院が汗だくで焼いていたのである。送り火は死者を送るのだから、生者のよろこびだ。生者といっても、いつ朝霧の如き命を落とさねばならぬかわかったものではない。安全と信じた大型飛行機が、とつぜん五百名以上の乗客もろとも、山にぶっつかって燃えあがるこの頃である。

われわれはコンピューター文明の世を生き、平和だといっている。一億総中流だともいっている。寿命ものび、老後に年金も入り、ゲートボールも楽しめ、しあわせな国に生きている思いが国民の大半を占めている、ともいう。本当にそのように平穏だろうか。五山の送り火は、何百年と同じ火を燃やしてながら、新しい何かを私にささやいた。何をささやかれたかを語るには枚数が足りない。火を拝んで、私は今日つかのまを生きておれたことを感謝したとだけいっておく。
文中の浄土寺は浄土院(左京区銀閣寺町)法恩寺は法音寺(北区衣笠街道町)。これを読むと京都の五山送り火は、無名寺院の信徒、町衆の信仰によって守られてきた宗教行事であることがしみじみと理解できる。送り火を見物に大勢の観光客が京都にやってくるが、夏の夜空を彩る観光イベントではない。お盆にこの世に戻った精霊を再び冥府に還すため、静かに手を合わせる、あくまで宗教行事であることを忘れてはならない。

2018年8月11日

労働組合運動の歌姫ケイティー・ファー物語


Joe Hill(1879–1915)
ケイティー・ファー(1905-1943)は "IWW Songbird"(IWW の歌姫)としてアメリカで知られているが、日本では馴染みがない名のようだ。IWW(世界産業労働組合)はシカゴに本部を置く国際的な労働組合で、1905年に創設された。組合員は Wobblies(ウォブリーズ)と呼ばれたが、その語源は不明だという。最盛期の1917年には組合員が15万人を超えたが、1924年に内部対立と政府の弾圧による分裂で激減、2017年の統計では組合員はアメリカ3028人、英国とアイルランドが1750人である。組合員の娘だったファーは、地元ワシントン州スポケーンの IWW 児童合唱団のリーダーだった。1914年、スウェーデン出身のソングライターで、IWW の活動家だったジョー・ヒル(1879–1915)が殺人容疑で逮捕される。労働運動を巡るフレームアップだったが、ユタ州ソルトレイクシティの刑務所に投獄された。そのヒルとファーが文通を始めた。ファーが書いた手紙は没収され破棄された可能性が高いが、ヒルが書いた手紙は残っている。同年11月29日、ヒルが送った最初の手紙の便箋には、水彩絵具で薔薇が描かれていて「あなたのために冬でも咲いたままの薔薇を描いたのは、スポーケン周辺の薔薇は姿を消しつつあるからです。この小さな薔薇のようにあなたの友情が長く続くように願っています」と添えていたという。

Cover of The Rebel Girl
往復書簡を通じて二人は急速に深い絆を築いていったと想像される。彼女はヒルの裁判結果を知っていただろうし、自分の合唱団で歌う歌の作者に惹かれていたに違いない。獄中でヒルは "The Rebel Girl"(反逆の少女)を書いた。女性労働運動家のエリザベス・ガーリー・フリンのために作詞されたが、これはファーにインスパイアされた歌という説が一般的なようだ。ヒルは、この歌をフリンがスポケーンで歌うのを手伝って欲しいと、ファーに伝えている。2015年11月19日、ヒルは処刑される。従って二人の親交は1年に満たない短いものだった。上掲ワシントン大学図書館が所蔵するデジタル画像「ワン・ビッグ・ユニオン・フラッグを持つケイティー・ファー」は1915年ごろに撮影されたようだが "Yours for Industrial Freedom, Katie Phar" というサインが記されている。ヒルはアメリカのプロテストフォークソングの先駆者で、ウディ・ガスリーやピート・シーガー、ユタ・フィリップス、フィル・オークス、ジョーン・バエズなど、後のフォークミュージシャンに多大な影響を残した。写真はジョー・ヒルの歌を積極的に歌った、カリスマ的少女ともいえる魅力をキャプチャしている。なおファー自身の音声は残っていないが、ヘイゼル・ディケンズ(1925–2011)がブルーグラス音楽のバンドをバックに歌った "The Rebel Girl" が、1990年にリリースされたスミソニアン・フォークウェイズの CD アルバム "Don't Mourn-Organize! Songs of Labor Songwriter Joe Hill" (SF-40026) に収録されている。

YouTube  Hazel Dickens performs "The Rebel Girl" written by Joe Hill (1990)

2018年8月8日

東京五輪サマータイム導入案の愚か

すべての時計の針を2時間進めなければならない

たまには自公政権を褒めようと思うのだが、愚策悪策の連発で、実現しそうもない。8月6日付け産経新聞電子版によると、政府・与党は、2020年の東京五輪・パラリンピックの酷暑対策として、夏の時間を2時間繰り上げるサマータイム(夏時間)導入に向け、本格検討に入った。与党はお盆明けにも制度設計に入り、秋の臨時国会への議員立法提出を目指す。2019、2020両年の限定導入となる公算が大きいという。これは8月が酷暑であることを指摘され、政府・与党が慌てふためいた証拠で、姑息な誤魔化し策である。年に2度の時刻の書き換えを要し、会社、家庭、公共機関等に配置されている時計、コンピュータ、GPSその他の機器の時刻の書き換えには、その前後で多くの人的作業が発生する。時間の変更に伴う設定や仕様の変更は広範囲に及ぶことが多く、膨大な作業とそのための電力消費を伴うことが予測されるが、わずか2週間余りの競技のために実行しようとしているようだ。7日付けの Yahoo! ニュースに早稲田大学准教授で精神科医の西多昌規氏が「サマータイムが愚策である10の理由」という一文を寄稿している。
  1. 不眠になる
  2. 自殺が増加する
  3. サマータイムに慣れるのに意外に時間がかかる
  4. 寝室環境が劣化する
  5. 交通事故が増加する
  6. 心身の病気が増える
  7. 不登校が増える
  8. 高齢者の日中の活動が制限される
  9. 睡眠障害・精神障害がさらに悪化する
  10. 省エネ効果は意外に低い
東京 2020 五輪は暑過ぎないか? イラスト©サラ・ロジャース
それぞれに解説が付いているが、例えば 9.は「サマータイムの影響は,既に睡眠障害や精神障害に悩んでいる人々にとってはさらに強いと考えられる。日本では世界でももっとも睡眠時間の短い国民であり、現在4~5人に1人が不眠の問題を抱えていると言われる。うつ病やストレスに伴う不眠も多い。メンタルヘルス問題の増加が社会問題化しているところに、サマータイムを導入すればさらにストレス増となることは間違いない。サマータイム開始で睡眠がさらに少しでも減ると、睡眠負債に悩む人たちすべてにとってダメ押しになってしまう可能性大だ」という。アスリートばかりではなく、広く一般に悪影響が出るというのだ。東京五輪組織委員会の立候補ファイルには「この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」と明記してあるが、これが大嘘であったことの証でもある。嘘にまみれた東京五輪は返上すべきだが、どうしてもやりたいなら今からでも遅くない、10月に変更すべきだ。サマータイム導入は血税と人的作業の無駄遣いに過ぎない。

PDF  東京五輪組織委員会立候補ファイルの表示とダウンロード(PDFファイル 18.0MB)