2017年8月15日

五山送り火を支える無名寺院の信徒たち

護摩木(京都市北区金閣寺町)

京都五山送り火の北山左大文字護摩木志納のため金閣寺に出かけた。後述水上勉氏の随筆にあるように、左大文字の護摩木は法音寺という小さな寺院の信徒たちが山に上って焚く。同寺は狭いし世間に場所も知られていない。従って観光客が多い金閣寺参道で志納受付をするのだろう。ここで水上勉氏の随筆を引用しよう。如意ヶ嶽の大文字を守っている浄土院でいただいたパンフレットに復刻されていたもので、単に雑誌「PHP」11月号とあるだけだが、古都税紛争一時和解、御巣鷹山日航機墜落事件に触れているので、1985年と推測できる。
「五山の送り火」水上 勉(作家)

ことしは久しぶりに京五山の送り火を拝んだ。周知のように五山とは、如意ヶ嶽の大文字、松ヶ崎東、西山の妙法、船山の舟、大北山の左大文字、鳥居本の曼荼羅山の鳥居である。十三日の盆に、祖先の精霊を迎えた京の家では、仏壇に供物をならべて念仏申しあげ、家内安全息災を祈願するとともに、精霊を弔うのだが、十六日にはその精霊が、ふたたび彼岸へ帰ってゆくのを送らねばならない。火はつまり、その仏徒たちの昔から行ってきた精霊送りだ。調べてみると、これらの火は、五山の保存会のメンバーによって焼かれ、一般の人は仲間に入らない。昔から寺の信徒にその役があり、しかも、若衆と呼ばれた青年たちによって、焼かれるところもある。不思議なことに、それらの寺は有名寺院ではない。有名寺院といえば、京都ではみな観光寺院になってしまうが、火を焼く寺は、殆ど観光とは無縁といっていいだろう。

まず銀閣寺前にある浄土寺が如意ヶ嶽の大文字を焼き、松ヶ崎は湧泉寺、船山は西方寺、大北山は法恩寺、鳥居本には寺はない。古くからの保存会員の持ち山で、町衆が焼くそうだ。焼かれる護摩木は寺でつくられ、寺に詣でた善男善女が、新仏の法名や、俗名を書いて護摩料を払うのである。新仏が出なかった家は、先祖代々の霊だとか、一家の安全息災を祈ることばを書く場合もある。いずれにしても、これらの木をあつめて、背負って山へのぼり、汗だくになって焼く人々はむな、無名の信者たちである。この行事が何百年とつづいて、今日も燃えつづけた。なかった年は、敗戦の年とその翌々年までの三年だけで、昭和二十三年から休んだことがない。つまり、仏を送る信心に休みがないということであって、本心は、敗戦の年まわりこそ、大勢の死者が広島や長崎にあふれ、爆災都市にも、たくさん焼死体がころがっていたのだから、京の町衆は送り火だけは焼きたかっただろう。ところが占領下であったために、遠慮しなければならなかった、とつたえられる。それにしても、この行事が、古くからの信者たちによって、手弁当で行われてきたことに私は心を打たれる。今は京の観光の目玉ともなり、どのホテルも満員の外来を迎えてほくほくだが、じつはその送り火そのものは、観光と無関係に、信心の証として、保存会の家々がうけついできている。

絵:水上 勉

そこで、思うのだが、私たちは、大文字といえば銀閣寺を頭にうかべ、左大文字といえば金閣寺を頭にうかべ、有名な相国寺派別格地の両寺が焼くように思いがちだ。そうではない。護摩木は観光客に売りはするけれど、山へぼって焼くのは、ほかの寺の信徒がやっていたのである。しつこいようだが、このことにこだわるのは、凡庸な俗界にあって、信心の火を観光寺院に見ることが出来なくなった、ということを、五山の火は教えたからである。伝によれば、如意ヶ嶽の大文字は、銀閣慈照寺を創建した足利義政がはじめたともいう。とすれば銀閣寺はやはり、火の元だったわけだが、いまは門前の浄土寺が、汗だくになって護摩木を背負いはこび、当夜は、弘法大師像を安置するカナオの堂前で、誦経をし、住職の合図で火がつけられる。

ことしの送り火はいろいろのことを考えさせられた。銀閣寺も金閣寺も古都税問題で、(つまりゼニのことで)門を閉めて人を入れなかったりした。ところが、どういう相談ができたか、急に市当局と握手して、門がひらかれた。門をひらくことは賛成だが、なぜ門をしめたのか、庶民にはよくわからなかった。法灯を守るというのが理由のようだった。だが十六日の法の火は、観光とない信心の徒をあつめる無名寺院が汗だくで焼いていたのである。送り火は死者を送るのだから、生者のよろこびだ。生者といっても、いつ朝霧の如き命を落とさねばならぬかわかったものではない。安全と信じた大型飛行機が、とつぜん五百名以上の乗客もろとも、山にぶっつかって燃えあがるこの頃である。

われわれはコンピューター文明の世を生き、平和だといっている。一億総中流だともいっている。寿命ものび、老後に年金も入り、ゲートボールも楽しめ、しあわせな国に生きている思いが国民の大半を占めている、ともいう。本当にそのように平穏だろうか。五山の送り火は、何百年と同じ火を燃やしてながら、新しい何かを私にささやいた。何をささやかれたかを語るには枚数が足りない。火を拝んで、私は今日つかのまを生きておれたことを感謝したとだけいっておく。
文中の浄土寺は浄土院(左京区銀閣寺町)法恩寺は法音寺(北区衣笠街道町)。これを読むと京都の五山送り火は、無名寺院の信徒、町衆の信仰によって守られてきた宗教行事であることがしみじみと理解できる。送り火を見物に大勢の観光客が京都にやってくるが、夏の夜空を彩る観光イベントではない。お盆にこの世に戻った精霊を再び冥府に還すため、静かに手を合わせる、あくまで宗教行事であることを忘れてはならない。

2017年8月13日

写真表現を広げたドローン

A woman harvests water lilies in a pond in the Mekong Delta in Vietnam by ©helios1412

DJI Phantom 3 Professional
どうも今更ドローン(遠隔操縦無人機)による写真について書くのは気が引けるのだが、ベトナムの写真家 helios1412 氏の作品『睡蓮』(クリックすると拡大)に出会って感動したので、ちょっと触れてみたい。これは第4回2017年国際ドローン写真コンテストの人物の部2位受賞作品で、英文の説明にある通り、ベトナムのメコンデルタで睡蓮を収穫する女性を捉えたものである。美しい色彩、計算された構図、そして何よりも女性が収穫した睡蓮を水面に浮かべたタイミングが素晴らしい。これは偶然では撮れない写真で、ベトナム在住の作者が女性と相談して撮影したものだと思われる。真上から垂直に俯瞰した写真は、有人ヘリコプターの場合、撮影できる穴や窓が床にある必要がある。騒音その他の理由で、このように低空から撮るのは困難である。それに第一、チャーター料が莫大である。その点ドローンは費用としては一般的撮影機材並だし、遠隔操作しながら狙い通りの写真が撮れる。それが従来の航空機を使った空撮写真を凌駕した理由ではないだろうか。21世紀に花咲いた写真表現である。なお使用したドローンは DJI社の Phantom 3 Professional だそうで、日本でも入手可能のようです。

2017年8月12日

ここは質問に答える場所ではない

手を挙げる記者を指す菅官房長官

菅義偉官房長官お得意の「問題ない」は質問を遮断する言葉である。それが崩れ始めたのは、東京新聞の望月衣塑子記者の鋭い突っ込みがあったからだ。返答に窮して狼狽したことが広く国民に知れ渡ってしまった。週刊文春の「私が菅官房長官に《大きな声》で質問する理由」で彼女はこんなことを語っている。
どなたかがツイッターで「壊れたラジオ」とおっしゃっていましたけど、同じ言葉を繰り返しているのも、ある種の決壊状態です。「問題ない」「私の担当ではない」と言い続けるしかないし、本当は答えられるようなことも「何か言ってはマズい」と防御反応が働くから同じ答弁を繰り返すしかないのかもしれません。この前、TBS『あさチャン!』で菅さんが「国会で総理が説明した通り」「国会でお答えした通り」と同じ内容の答えを同じ日の記者会見で計10回も繰り返していたと放送していました。
毎度お馴染みの「問題ない」にうんざりしていたが、ひとつ風穴を開けてもらった感じである。ところがさらにエスカレート、官邸での記者会見で「ここは質問に答える場所ではない」などと言って、説明を拒む場面が続くようになったという。一連の応答は安倍首相を庇ってのことなのだろうけど、これには流石に唖然とする。記者に「質問に答える場ではないと言ったら、会見自体が崩壊するのではないか」と問われると「全く違う」と反論したそうだ。何が違うのか不明。どうやら記者の背後に国民の目があることに気付いてないようだ。民主主義の終焉を彷彿とさせるが、そうなっては困る。壊れた菅官房長官は退陣すべきである。

2017年8月9日

大麻栽培復興の芽を摘んだ首相夫人

麻小路(京都市中京区御池通堀川西入る)

「週刊SPA!」2015年12月15日号(クリックすると拡大表示)
御池通の専門店で麻のロープを眺めていたら、安倍昭恵首相夫人のことを思い出した。なにかとお騒がせの夫人だが、こと大麻に関しては興味深い見解を披露している。扶桑社の『週刊SPA!』2015年12月15日号で「何千年もの間、日本人の衣食住と精神性に大きくかかわってきた大麻の文化を取り戻したい。私自身も大麻栽培の免許を取ろうかと考えたほどです」と公言しているのである。これにはどうやら首相も困惑したようだ。というのは一般的には大麻は法律で取締り対象になっている、麻を乾燥あるいは樹脂化した、所謂マリファナを連想すると思われるからだ。麻の繊維は、日本では古くから注連縄や祓い具など、神事に使われてきた。相撲の横綱も麻糸でできている。そういうわけで、昭恵夫人には何か霊的なものを感じたそうである。しかし勢い余って鳥取県智頭町の「大麻で町おこし」を応援したものの、その代表者が大麻不法所持で逮捕されてしまった。この顛末は産業用大麻の復興生産に水を差してしまったようだ。今でも夫人が同じ考えを持っているかは不明だが、智頭町の町おこしは、彼女が関わったゆえに話題になったのは確かである。大麻所持事件が発覚したとたん、鳥取県は県内での大麻栽培の免許を一切交付しない方針を表明した。また北海道は「道産業用大麻可能性検討会」を設置し、道の環境が大麻栽培に適するかを調べる試験栽培を公的研究機関で行っているが、煽りを食らって後退気味だという。森友、加計学園問題で露呈したように、首相夫人の肩書の影響力は絶大である。麻薬という誤った通念も加わり、逆風にさらされてしまった大麻栽培だが、その芽を摘む遠因を作ったことを当人は自覚していないようだ。

2017年8月7日

シンディ・シャーマンの仰天セルフィー

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Cindy Sherman (born 1954)
シンディ・シャーマンは写真家と紹介されることがあるが、正しくは写真を使ったアーティスト、写真芸術家と呼ぶべきだろう。彼女の作品を観たのは1996年夏、滋賀県立近代美術館での回顧展だった。巨大なカラー写真に圧倒されたことを憶えている。70年代後半、良く知られた映画のワンシーンを自ら演じた「アンタイトルド・フィルム・スティル」でデビュー、現代美術を語る上では欠かせない作家となった。92年以降は性の問題を手掛けた「セックス・ピクチャー」シリーズを展開し、常に時代の最前線で活躍している。その彼女がインスタグラムのアカウントを公表、ネット上に作品を展示しているというニュースが入ったので、早速アクセスしてみた。本人であることを示す水色のチェックマークが付いていないが、公式アカウントであることはほぼ間違いないようだ。夥しい数の作品が流れてきたが、上掲のコマが私には印象的である。酸素ボンベからの管が写っているが、彼女は呼吸器障害を患っているのだろうか。この点に関しては資料が見当たらず不明だが、病室のベッドを写したコマもあるので、何らかの体験による「変装」なのかもしれない。インスタグラムをはじめたのは5月中旬とのことだが、初期の作品に「セルフィー! ノーフィルター、ははは」というキャプションが付いているという。これは彼女一流のジョークだろう。セルフィー(自写像)はスマートフォンの落とし子だが、それを芸術の高みまで押し上げたセンスに脱帽する。是非フォローすることを勧めたい。

2017年8月6日

フランクリン・D・ルーズベルトのリトル・ホワイト・ハウス演奏会

Franklin D. Roosevelt (center) and daughter Anne (standing) at Warm Springs, Georgia, 'Little White House' in 1933 with Bun Wright's Fiddle Band.

Liner Note for "Songs from the Depression" by New Lost City Ramblers
左は1959年にフォークウェイズ・レコードからリリースされたニュー・ロスト・シティ・ランブラーズのLPアルバム「大恐慌からの歌」(FH5264)のライナーノーツの一部である。写真には「ルーズベルト大統領と隣人たち、ジョージア州ワームスプリングスにて」とキャプションがついているだけで、詳細は不明だった。このレコードを入手したのは1970年代だったと記憶しているが、フランクリン・D・ルーズベルト大統領はストリングバンドが好きだったのだろうか、このローカルバンドの名は、といった疑問を持ったことが思い出される。しかし資料入手が難しくて調べようがなく、月日が流れてしまった。私は「アメリカンルーツ音楽」というブログもを持っていて、様々な資料を掲載している。そこでふと思いつき、この写真をインターネットで探してみることにした。ふたつのサイトで見つかったものの、詳しい説明がない。そこで検索キ―に "WarmSprings" を加えたところ「ブルーグラス・スペシャル」というサイトに辿り着き、今まで見たことがなかった意外な写真に出くわしたのである。


Franklin D. Roosevelt hosts Bun Wright's Fiddle Band
ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズのライナーノーツに掲載されていたものと同時に撮られたと思われるが、背景が広く写り、後ろの女性の顔も切れずに写っている。同じ撮影者による写真のコマ違いなのか、それとも別の撮影者のものなのかは不明である。女性はルーズベルトの娘アンで、次期大統領に選ばれたルーズベルトが、1933年1月26日に地元のバン・ライト・フィドル・バンドを招待した際のものである。なおルーズベルトの向かって左に座っているプレーヤーが演奏している楽器はギブソンのハープギターである。ここまで分かれば後はまさに芋づる式に写真の詳細が解明できる。ルーズベルトは1921年にポリオに罹患、治療のため1924年にジョージア州ワームスプリングスを訪ねた。31℃の温泉プールによる療養が功を奏したため土地を購入、大統領に選ばれた1932年、別荘が完成した。しばしば通ったため、後に「リトル・ホワイト・ハウス」と呼ばれるようになり、1945年にここで死去した。アメリカ史に詳しい人にとっては先刻ご存知のこととは思うが、私にとっては新しい発見であった。ついでに YouTube で検索したところ、大統領を挟んで演奏するバン・ライツ・フィドル・バンドのビデオが見つかった。右隣のバンジョー奏者が「知事」と呼び掛けているので、別のサイトに1936年撮影とあるのが間違いであることを証明している。なお下記リンク先の英文ブログに、ジョージア州「ルーズベルトのリトル・ホワイト・ハウス歴史サイト」の解説を転載したので、興味あるかたは併せてお読みいただければと思う。

Blogger  Bun Wright's Fiddle Band at Franklin D. Roosevelt's Little White House

2017年8月5日

古写真動画で体現する時間旅行


ニューヨーク1931年

この "The Old New World" と題された3D動画は、ロシアのアニメ作家 seccovan 氏が制作したもので、歴史写真サイト Shorpy に掲載されている、1931年のニューヨークの街路の写真を素材にしている。6月下旬、当ブログに「モノクロ写真のカラー化で歴史が生き生きと蘇る」という記事を投稿したが、カラー化によって過去の時間との境界が突然なくなり、今ある世界と錯覚してしまう、という主旨だった。ところがこの動画はちょうどこれと逆で、時間が逆戻りしたような錯覚に陥る。過去の世界を舞台にした動画は星の数ほどあるが、そのような錯覚を普通は覚えない。それはあくまで「時代劇」であり、現代から過去を眺めるに過ぎなく、時間の垣根が存在する。それに対し "The Old New World" はタイムマシンによって時計が逆回りし、時間旅行に誘ってくれる。過去は異質なものという概念が、モノクロームの古写真に潜在しているような気がする。それが立体画像になり、しかも動くという仕掛けに私たちはまんまと騙されてしまうのである。

Movie Film  " The Old New World" (Photo-based animation project) from seccovan on Vimeo.

2017年8月4日

京都五条坂陶器まつり

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日 時:2017年8月7日(月)~10日(木)9:00~22:00
会 場:京都市東山区五条通川端~五条通東大路
主 催:五条坂陶器祭運営協議会 http://www.toukimaturi.gr.jp/

2017年7月24日

エリス島の移民の写真が捉えた民族の多様性

Photos by Augustus Sherman ca.1905-1914 Courtesy of the New York Public Library

エリス島と言っても日本人にとって馴染みが薄いかもしれない。しかし大多数のアメリカ人は、ニューヨークのアッパー湾内にある、自由の女神で有名なリバティー島から1キロほど離れた島であることを知っているに違いない。アメリカ合衆国移民局が置かれていたことで知られ、19世紀後半から60年余りの間、ヨーロッパからの移民は必ずこの島からアメリカへ入国したからである。1892年から1925年にかけて、移民局の事務官だったオーガスタス・シャーマンは、無数の記録文書を残した。とりわけ興味深いのは、彼が撮影した200枚以上の移民の写真である。プロの写真家ではなかったが、紛れもない才能を持っていたと言える。尋問のために拘留された被験者の写真は、アメリカが様々な国から移民を受け入れたという史実の証となっている。ヨーロッパからの移民というと、イギリスやアイルランドを連想しがちだが、北欧からロシア、地中沿岸諸国、果ては北アフリカまで、その範囲は広きに渡っている。とりわけ貴重なのは、移民が纏っている民族衣装である。アメリカは人種の坩堝(るつぼ)すなわち多民族国家であるが、そのルーツを写真が饒舌に語っている。

flickr
Ellis Island Photographs: Many photographers were drawn to Ellis Island by the general human

2017年7月21日

米国議会図書館が日本の木版画を無料公開

歌川芳虎『外國人物盡』亜米利加・南京(1861年)

米国議会図書館が浮世絵や錦絵など、1915年以前の日本の木版画2,500点を無料公開、非営利目的ならダウンロードして自由に使えるようになった。日本の木版画、特に浮世絵は大量に海外に流失した。その時期は明治初期と第二次世界大戦後の二度に分かれる。浮世絵は本来庶民の娯楽手段だったが、一部の好事家で浮世絵の技術を好んだ人が蒐集や保存していたものが、幕府崩壊で扶持を失うとか生活に困り、手なばしたものが海外に流失した。そして戦後は華族や有資産家の生活苦から資産の分売が起こり、この時も色々な文化財が流出したと言われている。まことに残念な歴史的事実だが、海外の公的美術館が保持、鑑賞でき、さらにデジタル化して公開しているのは不幸中の幸いかもしれない。そのデジタル画像アーカイブだが、ボストン美術館もそうなのだが、すべての解説が英文であることに戸惑う。日本語の説明をというのは土台無理な話だが、例えば「小林清親『百撰百笑』手酷い潰し形」は "Kobayashi, Kiyochika, 1847-1915, Tehidoi tsubushigata" となっている。研究者ならともかく、私のような素人には原題や作者名を探すのに一苦労する。さて米国議会図書館の画像アーカイブだが、その特長は圧縮形式 JPEG の他に、無圧縮の TIFF 形式も用意されていることである。ファイルサイズが大きくなるが、こちらのほうが汎用性が高いと思われる。

The Library of Congress  Library of Congress Fine Prints: Japanese, pre-1915

2017年7月18日

三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へ行かなくちゃ

イノダコーヒ本店(京都市中京区堺町通三条下る)

私はコーヒーが好きである。そして京都の古い喫茶店が好きである。四条河原町界隈の「フランソワ」「ソワレ」「築地」、西陣の「静香」、京大前の「進々堂」、そして三条通界隈の「六曜社」や「イノダコーヒ」など、それぞれ特徴があり、魅力的である。ところで最近、スターバックスが二寧坂の京町家を利用した店を出して話題になったが、行くつもりは毛頭ない。何故か。スターバックスは京都に何と26も店舗を有している。そのスタイルは、ある種、日本の喫茶店文化を浸食しているといっても過言ではない。そして遺伝子組み換え作物で悪名高いモンサント社をめぐり、2014年11月24日、ニール・ヤングが公開書簡で 「さようならスターバックス」と宣言、自らの公式サイトに「これまで毎日列に並んでラテを買ってきたが昨日が最後になった」と訴えて話題を呼んだ。尊敬するミュージシャンの排斥運動だけに、大いなる刺激と影響を受けたのは言うまでもない。それ以来、スターバックスから足が遠のいてしまった。
三条へ行かなくちゃ
三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね
あの娘に逢いに
なに 好きなコーヒーを少しばかり

お早よう かわい娘ちゃん
ご機嫌いかが?
一緒にどう 少しばかりってのを
オレの好きなコーヒーを少しばかり

いい娘だな
本当にいい娘だな
ねえ あついのをおねがい
そう あついのをおねがい
そう 最後の一滴が勝負さ
才レの好きなコーヒーを少しばかり

あんたもどう?
少しばかりってのを
これは亡き高田渡さんの名曲『珈琲不演唱』(コーヒーブルース)だが、残念ながら彼とイノダでコーヒーを飲んだことはない。東京に住んでいたころ、吉祥寺の「ボガ」によく一緒に行ったことを懐かしく思い出す。お酒とコーヒーが好きな人だった。イノダを歌った『珈琲不演唱』はずいぶん店の宣伝になったと思われるが、頼まれて作ったCMソングでは決してない。一番美味しいコーヒーいれ方と訊かれれば、迷わず片ネルで濾す、と答えることにしている。本店のすぐ近くにあるイノダ三条支店では、ドーナツ状の円形カウンターの内側で、片ネルのドリッパーを使って淹れている様子がよく見える。コクと香りがあり最高である。嗚呼、コーヒーが飲みたくなった、三条へ行かなくちゃ、三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね。

SoundCloud  高田渡『珈琲不演唱』(コーヒーブルース)1971年

2017年7月15日

生物多様性アクション大賞 2017活動募集


募集期間2017年7月15日(土)から9月18日(月)まで
募集対象日本国内に活動拠点がある団体・個人
応募資格日本国内を拠点とする活動であること
生物多様性の保全や持続可能な利用に貢献する活動であること
応募の段階で活動実績があること
継続性が見込まれること
特定の政党や宗教の布教を目的として活動する団体ではないこと
公序良俗に反する活動ではないこと
実施部門たべよう部門
ふれよう部門
つたえよう部門
まもろう部門
えらぼう部門
主催団体国連生物多様性の10年日本委員会
特設サイトhttp://5actions.jp/award2017/

2017年7月14日

第16回京都現代写真作家展 京都写真ビエンナーレ2017 作品募集

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応  募:2017年9月1日(金)~9月15日(金)消印有効
会  期:2017年12月13日(水)~12月17日(日)
会  場:京都文化博物館5階(京都市中京区三条通高倉角)075-222-0888
主  催:京都府・京都現代写真作家展実行委員会

PDF  応募案内(PDF 3.31MB) 表紙(PDF 2.10MB) の表示とダウンロード

2017年7月13日

ソーシャルメディア Google+ を活用する

目立たない Google+ だけど

インターネットマーケティング会社 DreamGrow の統計ページによると、2017年7月1日現在のソーシャルメディア(SNS)の世界ランキングは (1)Facebook (2)YouTube (3)Instagram (4)Twitter (5)Reddit だったそうである。Google+(以下 G+ と略)は11位だったが、国内では LINE が跋扈しているだろうし、もっと下位と想像される。当ブログは連動していて、ここに投稿すると、自動的に G+ に反映しする仕組みになっている。G+ のフォロワーは現在 1,219 人だが、最近調べたところ、積極的に活用しているユーザーは少ないようだ。Google のアカウントを所持してるだけの人が多いのかもしれない。ところがフォロワーに限定されないコミュニティ、例えば私が参加している Blogspot は 243,150人のメンバーを有している。Facebook で私が関わっている最大グループ Old Time Photos が 49,143人だから、世界レベルでは G+ はそれなりに健闘しているようだ。健闘しているだけではない、実は G+ が SEO 対策にも多大な影響があることを最近知ったのである。SEO 対策というのは、Yahoo や Bing ではなく、基本的には Google 検索に対するものと言って良いだろう。例えば1,000人のフォロワーがいたとして、その1,000人が Google 検索を使うと、その分だけ自分のコンテンツを上位に押し上げるらしい。さらに G+ への投稿がウェブページ扱いとなり、検索エンジンにインデックスされるという。これは個人ブロガーにとってはかなり大きなメリットなのかもしれない。ブログはアフィリエイト広告による収益を目的にしない限り、読者をいたずらに増やしても如何とは思う。しかし読者が増えることはブログ更新の励みにもなる。たいした手間ではないので、G+ にも投稿することをお勧めしたい。

2017年7月9日

祇園祭長刀鉾天王人形の謎

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左の絵は竹原春朝斎『都名所図会』安栄9(1780)年、右は二代歌川広重『諸国名所百景』安政6(1859)年に描かれた祇園祭長刀鉾である。竹原春朝斎の絵は比較のため右ページを省いたが、左上に「鉾に乗る人の競(きほ)ひも都哉」という榎本其角の句が見える。二代歌川広重の絵はおよそ80年後に描かれたのだが、大胆な構図になっている。仔細に観察すると、両者には共通点がたくさんある。町家一階の格子、提灯、二階から鉾をを見守る人々、いずれも非常によく似ている。記録によれば、巡行は四条通から寺町通を南下している。鴨川らしき光景が描かれているが、このアングルで本当に見えたか怪しい。漠然と疑いを持つようになったのはこの点からだった。私は浮世絵の研究家でないし、この二つの絵を比較検討した文献が存在するのか不明だが、二代歌川広重は、竹原春朝斎の絵を模倣した可能性があると想像している。つまりそれほどに都名所図会は、当時、ポピュラーだったと言えるのではないかと思う。

長刀鉾天王人形の部分拡大図
さらに注目すべきは、鉾頭の下にある天王台の人形である。これは鉾の守護神、和泉小次郎親衡(ちかひら)像である。小舟を操り、三条小鍛冶宗近作の大長刀を振るい、山河を縦横無尽に駆け巡ったといわれる、強力無双の源氏の武将である。小屋根の下に結いつけられているが、舟も真木に括られている。現在この人形は僅か23センチの木彫り、路上からは双眼鏡あるいは野鳥観察用望遠鏡などを使わないと観察できない。竹原春朝斎は鉾建て前にスケッチしたのだろうか。二代歌川広重の絵は若干描き込んでるものの、これまた両者は酷似している。ただ小屋根や台座はそっくりだが、長刀の刃の向きの上下が逆なのが気になる。武道に関しては不案内だが、太刀や長刀は突くか、振り下ろす武器だから、後者の構え方のほうが自然ではないだろうか。とすれば、気になる部分を修正したのではないか、というのが私の推論である。明日から山鉾建てが始まるのだが、何年か前に見物したけど、天王人形を撮ることができなかった。人形は最後に取り付けるのだが、作業の邪魔になるので近づけなかったのである。今年は時間を割いて見物したいと思っている。

松本元『祇園祭細見』より
天王人形は昭和61(1986)年に作り直された。京都新聞2009年7月12日の記事によると、人形を制作した有職御人形司十二世の伊東久重氏は、その祖父が新調した人形を参考に復原制作したという。祖先である桝屋庄五郎が享保11(1726)年に作ったものが元になっているという。侍烏帽子(えぼし)に直垂姿で、右手に大長刀を持ち、左肩に小舟を担いだ勇壮な姿をしてると語っているが、伊東久重氏の長男、建一氏が写真をウェブサイト「伊東建一御所人形の世界」に掲載している。これを見ると昭和52(1977)年に発刊された松本元『祇園祭細見』のさし絵の通りである。確かに肩に小舟を担いでいるが、都名所図会とは大きく異なる。実際に古い人形を手にし、復原した伊東氏の証言が間違いとは言い難い。桝屋庄五郎作の人形が意匠変更されず、そっくり継承されたのなら、竹原春朝斎や二代歌川広重が描いた絵が間違いとなってしまう。新聞を読んだ当時、この点が気になって、天王人形を制作した伊東久重氏に直接電話でお訊ねしたことがある。「享保11(1726)年に作られた人形の傷みが酷く、昭和29(1954)年に祖父が制作し直した。昭和60(1985)年の鉾建ての際に損傷、翌年に作り直すことになった。人形の目や口の筆跡がはっきり残り、装束も崩れてなかったので、これを参考に復原した」そうである。するとやはり竹原春朝斎や二代歌川広重が描写した天王人形の絵は正確なものではないということになるのだろうか。いや、違う。実際に見た竹原春朝斎がわざと違う像を捏造したとは考え難い。遥かなる時間の波に漂い、歴史が混沌と化してしまったようだ。

2017年7月8日

祇園祭函谷鉾の前掛けに描かれた旧約聖書の説話

松田元著『祇園祭細見(山鉾篇)』より(クリックすると拡大表示されます)

今月1日八坂神社で長刀鉾の稚児らの「お千度の儀」があり、一か月にわたって繰り広げられる祇園祭の幕が開いた。生身の稚児が乗るのは、祭のハイライト、7月17日の山鉾巡行の際に先頭を行く長刀鉾だけで、今年は京都市立御所南小学校4年の林賢人君が選ばれた。ずいぶん前のことになるが、ボランティアを確保できず、函谷鉾を曳く大勢の外国人を見て驚いたことがあるが、今でもそうだろうか。今年は久し振りに見物しようと思っている。函谷鉾といえば上掲のイラストがその前掛けのタペストリー(綴れ織り)で、旧約聖書創世記第24章の説話に取材したものだ。画面上部はアブラハム家の老僕エリエゼルが処女リベカに水を求めている光景だ。聖書によると、アブラハムの息子イサクは40歳となったが、嫁を生まれ故郷のハランから迎えたいと言い、エリエゼルに探してくるようにと頼む。ハランの町外れの井戸へたどり着いたエリエゼルは「水を飲ませてください」と頼んだときに「どうぞお飲みください。駱駝にも飲ませてあげましょう」と答えた娘がイサクの嫁になるよう祈る。そこにリベカがやって来て、祈った通りになったので、婚姻話が進む。画面下部はふたりの結婚式の様子で、駱駝に乗っているのはイサクである。蛇足ながら、このふたりが愛し合い抱擁する場面を描いたのがレンブラントの代表作「イサクとリベカ」である。函谷鉾の前掛けがどのようにして日本に来たか不明だそうだが「寺井氏菊居随筆に云。前まくは天竺織といふ。西域の人物甚見事なり。当町沼津宇右衛門旧家にてむかし繁昌たりし時唐物黒船物いろいろ渡る時分買置たりしといふ云々」と増補に記されているそうだ。祭の期間中は重要文化財の指定を受けた前掛けは二階に飾り、復元新調された前掛けが巡行時に鉾に掲げ披露される。

2017年7月4日

セオドア・ルーズベルト大統領はムースに乗っていなかった

Myths debunked: Theodore Roosevelt Never Rode A Moose ©Courtesy of the Houghton Library

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これは「ムース(ヘラジカ)に跨って川を渡るセオドア・ルーズベルト大統領 1908年」と題し、インターネット上で大量に拡散されているようである。確かに面白い写真で、ソーシャルメディア Facebook のページフィードに流れたときは、危うくそのままシェアするところだった。往々にしてよくあることだが、転載の必須条件とも言えるソースが書いてない。出処不詳ならそれはそれでいいのだが、そのことを記述すべきである。その点を調べるためネットを徘徊したところ、ハーヴァード大学ホートン図書館が2013年9月20日付のブログに「神話が暴かれた:悲しいことに、セオドア・ルーズベルト大統領はムースに乗ったことがなかった」という記事を書いているのを見つけた。共和党の議員が、当時のウィリアム・タフト大統領の保守化を懸念して、サードパーティ「進歩党(通称ブル・ムース党)」を結成、1912年の大統領選挙にはセオドア・ルーズベルト前大統領を擁立した。しかし結果的には民主党のウッドロウ・ウィルソンに勝利を許すこととなった。大統領選中、アンダーウッド写真商会が「ホワイトハウスのレース」と題し、動物に乗った候補者の風刺戯画を制作した。現職大統領ウィリアム・タフトは象、セオドア・ルーズベルトはムース、そしてウッドロウ・ウィルソンはロバで、9月8日付けのニューヨーク・トリビューン紙に掲載された。肝心のムースの写真だが、ホートン図書館のブログは、ルーズベルトの太ももの部分を拡大している。これを見ると、2枚の写真を貼り合わせた痕跡があり、アンダーウッドが写真を合成したと断言できそうだ。

2017年7月1日

航空写真を芸術の高みに誘ったアルフレッド・バッカム

Aerial view of Edinburgh ca.1920 National Galleries of Scotland

Alfred G. Buckham
上空に雲と複葉機、城を前景にロイヤル・マイル沿いに広がる古い街並み。1920年ごろ撮影された「エディンバラの空からの眺め」はスコットランドの航空写真家アルフレッド・バッカム(1879–1956)の代表作となっている。ロンドン生まれのバッカムは画家志望だった。ところが美術館で観たロマン主義の画家、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775–1851)の作品に打ちのめされ、画家になることを諦めた。代わりに写真に転向、1917年に英国海軍航空隊に偵察飛行士として入隊した。当初エディンバラの西に位置するターンハウスに配属になったが、後にフォース湾に面したロサイスを基地にした大艦隊に転任した。初期の偵察飛行は危険を伴った。バッカムは9回も危ない目に遭っている。ところで彼は二台のカメラを使用、一台は海軍の仕事、もう一台は彼個人が使用するための私用カメラだった。スコットランドの上空を飛び、雲の形態、丘陵や街の眺望、そしてしばしば天候の急変が演出する、光と影のドラマを好んでモチーフにしたのである。航空写真は地上で撮る写真とは異なる。しかしともすると、空から俯瞰することによって、地上の状況を記録あるいは説明するだけに終わる可能性がある。バッカムの偉大さは卓越した技術力を駆使、航空写真を芸術の高みに誘ったことではないだろうか。蛇足ながら、ウェブ検索したのだが、彼に関する日本語の資料を見つけることができなかった。どうやら日本では知られざる鳥人写真家なのかもしれない。

2017年6月30日

ソニーがアナログレコードの自社生産再開


レコードプレーヤー (クリックで拡大)
ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)が6月29日、アナログレコードの自社生産を約30年ぶりに再開すると発表した。SMEはCDの普及でレコード需要が減ったため、1989年にアナログレコードの自社生産を終了。その後は国内外のメーカーに生産を委託してレコードを販売してきた。しかし、最近再びレコードが注目されて需要が増え、委託先の生産が追いつかなくなり、自社生産を再開することになったそうである。拙ブログでもすでに2014年末に「アナログレコード奇跡の復活」という記事を掲載した。ウォール・ストリート・ジャーナル紙がその当時に報じた記事によると、アメリカではアナログレコードが奇跡の復活、前年比49%アップして約800万枚が購入されたという。ただプレス工場では一時間で約125枚しかプレスできず、生産が追いつかない状況にあるようだ。アナログレコードの魅力については今回は敢えて割愛するが、現在の世界のプレス工場の地図を紹介する。Total Sonic Media のデータを元に作成されたものだが、やはり米国が圧倒的に多く、日本では横浜にある東洋化成株式会社末広工場のみである。これにソニーが新たなプレス工場を作ることは、音楽ファンにとって掛け替えのない朗報である。

WWW  List of the Vinyl Record Pressing Plants in the Worls (Last Updated: April 5, 2017)

2017年6月27日

ザラ紙に印刷された写真の迫力

土門拳写真集『筑豊のこどもたち』(パトリア書店1960年)

書棚を整理していたら土門拳写真集『筑豊のこどもたち』が出てきた。1960年、パトリア書店が発行したもので、定価が僅か100円だった。当時の週刊朝日の定価が30円、その3冊分という安さだった。この価格を可能にしたのは、ザラ紙に凸版印刷だったからである。私はまだ高校生だったが、写真愛好家ばかりではなく、広く一般に売れ、大ベストセラーになったことを憶えている。無論当時でも上質紙にグラビア印刷は可能だったが、敢えて価格を低くするためだったようだ。土門もあとがきで「この体裁の本になったのは、まず百円という定価に押さえた〔ママ〕ぼくの責任である」と書いている。こんな本が出てきたとネットで紹介したところ「1977年版なら持っている」というコメントがいくつかあった。調べ直したところ1977年、築地書館から再版されたようだ。ダブルトーン印刷、ハードカバーで、2700円だそうである。いまさらザラ紙に凸版印刷という復刻は無理なのだろうけど、ちょっと考えさせられるものがある。2008年、京都国立近代美術館で開催されたユージン・スミスの写真展を観に行ったが、会場に展示されていた古い LIFE 誌に釘付けとなってしまった。彼の暗室作業をほんの少し手伝った経験があるのでよく知っているが、芸術家肌で、ファインプリントを志向する写真家だった。従って綺麗な作品が並んでいたのだが、何故かザラ紙に印刷された写真のほうに迫力を感じたのである。報道写真は多くの人の目に晒されてこそ意味がある。だから大衆的な媒体が相応しいし、タブロー化は避けたほうが良いのではないだろうか。フトそういう思いが脳裡を走るのである。

2017年6月26日

モノクロ写真のカラー化で歴史が生き生きと蘇る


How Obsessive Artists Colorize Old Photos (7:05)

歴史的な写真は普通、モノクロの世界である。カラー写真は1861年という早い時期に試みられたにも関わらず、20世紀の後半まで主流にならなかった。しかし現在では鮮やかな色彩に溢れているため、モノクロ写真は私たちと歴史の間に感情的な隙間を作っている。従って過去は異質なもので、現在との関連が難しい、あるいは完全に理解し難いものになっている。それでは過去をカラーで見たらどうだろうか? 写真のカラー化によって、時間の境界が突然なくなり、今ある世界じゃないかと錯覚してしまう。ロンドンに本拠を置く「ダイナミクローム」のジョーダン・ロイドは、カラー化で歴史を蘇えらせる、執拗な完全主義者のひとりである。「色が失われていると、構図全体を見るのですが、色を追加すると、やや異なったやり方で写真を見るようになる。細部に興味を持つようになるのです」とジョーダンは知覚の変化の理由を説明している。新しいデジタル技術は、アーティストが手作業で着色する従来の方法よりも、遥かに正確に画像を再構成することを可能にした。しかしジョーダンは「やることが多い」という。その時代の色やスタイルを忠実に表現するために、日記や回想録、政府記録と広告などの歴史資料を読み、歴史専門家に相談する。元の画像のダメージを修復し、数百の色のレイヤーが写真に追加され、ブレンドされる。 これは時間がかかり、骨が折れるプロセスである。一枚の写真を仕上げるため、最長一ヶ月近くもかかったことがあるそうである。

2017年6月23日

マグナム創立70周年「パリ・マグナム写真展」のご案内

Paris 2003, ©Christopher Anderson

会 期:2017年7月1日(土)~ 9月18日(月・祝)10:00~18:00
会 場:京都文化博物館4階展示室(京都市中京区三条通高倉)
料 金:一般1,000円(800円)高大生600円(400円)小中生300円(300円)()前売・20名以上の団体
詳 細:http://www.bunpaku.or.jp/exhi_special_post/paris_magnum/

1947年、ロバート・キャパ、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ジョージ・ロジャー、デビッド・シーモアによって「写真家自身によってその権利と自由を守り、主張すること」を目的として写真家集団・マグナムは結成されました。以後、マグナムは20世紀写真史に大きな足跡を残す多くの写真家を輩出し、世界最高の写真家集団として今も常に地球規模で新しい写真表現を発信し続けています。本展は、2014年12月から翌年4月までパリ市庁舎で開催され、大きな反響を呼んだ展覧会の海外巡回展として企画。マグナム・フォト設立70周年にあたり、60万点に及ぶ所属写真家の作品の中から、パリをテーマにした作品約130点あまりを選び展観するものです。芸術の都・パリは多くの歴史的事件の舞台でもあり、かつ、写真術発明以来、常に「写真の首都」でもありました。20世紀の激動を最前線で見つめ続け、現代においても現在進行形の歴史をとらえ続けるマグナムの写真家たちが提示する豊穣なイメージは、都市とそこに生きる人々の歴史にとどまらず、写真表現の豊かさをも我々に提示してくれると同時に、世界を発見する驚きに満ちた写真家たちの視線を追体験させてくれます。

2017年6月21日

高層住宅火災の犠牲になった若き女性写真芸術家

カディジャ・セイ「自写像」(第57回ヴェネチア・ビエンナーレ出展作品)

英国の「ブリティッシュ・ジャーナル・オブ・フォトグラフィー」誌によると、6月14日、ロンドンの24階建て高層公営住宅「グレンフェル・タワー」で起きた火災で、将来を有望視されていた若き女性写真芸術家が亡くなった。カディジャ・セイ(Khadija Saye)、24歳。カディジャはガンビア人の母親と20階に住んでいた。名門ラグビー・スクールの奨学金で16歳まで一般教育を受けた後、彼女はUCA芸術大学の写真コースに進み、そこで彼女自身のアイデンティと、ガンビアの文化遺産をテーマに制作するようになった。卒業後、トッテム地区出身の労働党政治家デイビット・ラミーと結婚した肖像写真家、二コラ・グリーンに師事する。そして彼女は今年の第57回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展ディアスポラ館出展のため、シリーズ「住居:私たちが呼吸するこの空間(Dwelling: in this space we breathe)」を選んだ。これはまさにグレンフェル・タワーの生活における、ガンビアの伝統的精神の具現化だったようだ。火災が起こる前の5月10日、カディジャは「本当の旅だった。ママ、私はヴェネチアで展示されてる芸術家よ」とツイートしたという。

2017年6月18日

ジュリアン・レノン写真展「CYCLE」京都で開催


期 間:2017年6月23日(金)~9月17日(日)11:00~19:00(月曜休館)
会 場:ライカギャラリー京都(京都市東山区祇園町南側)075-532-0320

イングランドのリヴァプールで生まれたジュリアン・レノン(ジョン・レノンと最初の妻シンシアの長男)は若い頃から芸術の道を進み始め、生まれながらの才能を音楽活動で発揮してきました。しかしその才能は音楽にとどまらず、映画やビジュアルアートまで多岐におよび、豊かな人生観をもとに、音楽活動、ドキュメンタリー映画の制作、慈善活動、そして写真にも、自分ならではの表現力を注ぎ込んでいます。2010年9月にマンハッタンで開催された、U2と絵画的な風景を捉えた初の写真展「Timeless」では、撮影者としての力量を余すところなく披露しました。それ以降もジュリアンは米国や欧州で「Alone」コレクションをはじめとした数々の写真展を開き、最近では写真と慈善活動を融合させた「Horizon」(きれいな飲料水を緊急に必要としているアフリカの各地域のために活動している「Charity: Water」と「ホワイト・フェザー基金」と協力)を展開しています。ジュリアンはケニアとエチオピアを巡ってさまざまな写真を撮影し、見る者が写真を通じてその土地固有の文化について学び、現地の窮状も認識できるような機会を提供しています。

2017年6月17日

東松照明さんと太陽の鉛筆

東松照明『太陽の鉛筆』(毎日新聞社1975年)

浅間山荘事件があった1972年、私は東京に移り中野に居を構えた。翌年、写真家の富山治夫さんがアパートを引き払うことになり、彼が作った暗室があったので、そこに移り住んだ。新宿のど真ん中、屋上に上がると天空を占拠した高層ビルが迫ってきた。近所に東松照明さんが住んでいて、その頃のメモにはこんな下りがある。
東松照明さんは籠から文鳥を出すと手のひらに乗せた。二眼レフというのはねぇ、おじぎカメラと言うんだ。亜熱帯をテーマにした『太陽の鉛筆』をカメラ雑誌に連載してるころだった。ふつうのカメラはファインダーを覗くと直視する形になるだろ。二眼だと下を見るから相手は安心する。おじぎ、そうなんだよね。おじぎをして撮らせてもらうのさ。ふーん。私は関心する。それにしても太陽の鉛筆ってうまい表現だなと私は思った。スタッフっていろいろたいへんらしいね、と東松さんは言う。この間、毎日新聞のカメラマンもぼやいていたよ。そうですか? そんなことありません、楽ですよ。(『私的写真論への覚え書き』より)
その『太陽の鉛筆』は1975年に毎日新聞社から「カメラ毎日別冊」として出版された。前半は沖縄で撮影された35ミリカメラによるモノクロ写真だが、後半はローライフレックスで撮影された台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシア、ベトナム、タイ、シンガポールなどの島々および沖縄のカラー写真である。モノクロも良いが、色鮮やかなカラー写真も素晴らしい。まさにアジアの色である。東松さんはこのシリーズで、沖縄は琉球ネシアであり、日本本土ではなく、むしろ東南アジアと「海上の道で」でつながっていると主張したかったのかもしれない。いずれにせよ、この写真集が東松さんの代表作となった。初版オリジナルを所持しているが、私にとっては強い影響を受けた、手放しがたい一冊である。

2017年6月15日

英国製釣り用バッグの魅力

Brady Ariel Trout Small Bag and Fujifilm Finepix X100

インナークッションボックス
釣りに使うのではない、カメラを持ち歩くためである。英国チャップマン社の Troutbeck 12" の傷みが酷くなったので、新しく買い替えることにした。キャンバス地のカメラバッグと言えば、やはりビリンガムが脳裡を走る。かつて Hadley を持っていたが、クッション材による着脱可能な中仕切りが特長である。ところが最近は様々なサイズのインナークッションボックスが市販されているので、好みのバッグがカメラ用に変身する。真鍮のリングが付いていないのも物足りないので、敢えてビリンガムを対象から外した。そこで頭に浮かんだのがハーディ社の Test Bag だった。大きさを見てみると、幅38cm x 高さ30cm x 奥行き10cmで、A4サイズの書類やノートパソコンなどを持ち歩くにはちょうど良い。ところがバッグというのは「大は小を兼ねない」のである。私がふだん携行しているのは、富士フイルムのコンパクトデジタルカメラと、ホルガのピンホールカメラくらいで、横幅38cmはちょっと大きい。ハーディ社は英王室御用達で、創業1872年、フライフィッシングの名門ブランドである。ところがどうやら身売りしてしまったらしく、日本ないし中国製である。この点が気になり、結局ブレディ社Ariel Trout Small に落ち着いた。大きさも幅35 x 高さ27 x 奥行き9cmとちょうど良く、素朴で田舎っぽいデザインも好ましかったからである。

2017年6月14日

悟ってない自分を痛感する断捨離

捨てがたい書籍が書棚に並んでいる

やや旧聞になるが、5月4日付けマイナビニュースによると、俳優の高橋英樹氏が、33トン分の断捨離実行したところ「ゴミ屋敷に近い量の物があった」という。彼は同じ中学校の同期生だが「70歳を超えたし、うちにある物を全部処分しよう」と思ったからだったという。断捨離とは必要もないもの、使わないものを手放すことで、やましたひでこ氏の登録商標だそうである。私も身の回りを整理して身軽になりたいという願望がある。じゃあ何を捨てるか。自分が撮影した写真が掲載されてる雑誌の切り抜き帳は捨てがたいが、ある程度コンパクトに纏めることができるだろう、問題はレコードと書籍である。古いLPレコードは惜しいけど、売却しても良いと思っている。CDのみにすれば、プレーヤーなども処分できる。さらにCDもNASにストレージ、ディスクそのものを処分するという手があるが、ちょっと躊躇われる。次に書籍だが、これを断捨離するのは厄介である。例えば2年間開かなかった書籍は、おそらく今後とも読む可能性がないだろう。だから売却しても良いような気がする。ところが不思議なもので、読まなくとも、その背が視界にあるだけで安らぐ。これらが消えたらきっと寂しくなるだろう。しかし本当に必要ない大型本は少しずつ処分しようと思う。文庫本の類は電子書籍に切り替えることも可能だが、紙の感触はこれまた捨てがたい。実に悩ましいが、すべてが手元から離れたら、ずいぶんすっきりするだろうと想像する。断捨離に躊躇、悟ってない自分を痛感する。

2017年6月12日

突然 Facebook にログインできなくなって


昨日の朝、ソーシャルメディア Facebook にアクセスしようとしたところ、ページのコンテンツが削除されたというメッセージが表示され、ログインできない状態になっていた。どうやら原因は、上掲の写真を投稿したためらしかった。これはマルチタレント、マドンナの無名時代、プロモーション用に撮影されたもので、その写真集の紹介のつもりだった。Facebook は利用規約に従っていないコンテンツを投稿すると、アカウントを一時凍結か、最悪の場合は剥奪されてしまうようだ。利用規約には次のような一項がある。
差別的、脅威的、またはわいせつ的なコンテンツや、暴力を誘発するようなコンテンツ、ヌードや不当な暴力の描写が含まれるコンテンツは投稿できません。
これを読むとヌード写真が、猥褻あるいは暴力を誘発するコンテンツと同列に扱われている。マドンナの写真はポルノグラフィーではないし、決して猥褻じゃないと私は思う。この写真集は日本国内でも堂々と市販されているものだし、その判断は不当だと感ずる。しかし「利用規約に反している」と指摘されれば、ユーザーは反論できない。しかし当該写真を削除した旨を伝えてくれるだけで良かったんじゃないかと思う。24時間後にログインできるようになったが、いきなりアクセス拒否する前に助言して欲しかった。

2017年6月5日

逆さにしてもドナルド


まさかさかさま

上のイラストを180°回転し、逆さにすると下のイラストになる。つまりドナルド・ダックの絵を逆さにするとドナルド・トランプの絵になるというわけである。このイラストはインターネットの多数のサイトに拡散されているが、ソース、つまり作者は不明。従ってクレジット表示はできないが、着眼点に感心する。余りにも傑作なので、ここに転載することにした。なお私がつけたキャプションの「まさかさかさま」は、右から読んでも「まさかさかさま」である。縦書きにすると上から読んでも下から読んで同じ回文である。

2017年6月3日

パリ協定離脱宣言した米大統領の愚挙

Climate Change Policies x Trump ©Carlos Amorim

ロイター通信日本語版によると6月1日、トランプ米大統領が選挙公約通り、地球温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」から米国が離脱すると発表したという。米国は温暖化ガス排出量が中国に次いで世界第2位で、世界の排出量の15%以上を占めるため、離脱の影響は大きいとみられる。つまり協定が形骸化する恐れがあるからだ。いわばポピュリズムがなせる業(ごう)なのだろうけど、当然のことながら国内外から強い反発の声が上がっている。ロイター通信は2日、米国の離脱決定は予想されていたが、これで気候変動に関する世界的取り組みの指揮が中国に移ったことが確認された、という見解を報じている。地球温暖化という差し迫った難題が、大国間の政治ゲームになっているのである。安倍晋三という男によって、この日本はどんどんオカシナ国になっているが、ドナルド・トランプという男によって、この地球がオカシクなりつつある。

2017年6月1日

カポエィラ・アンゴーラ@京都芸術センター

ブラジルの伝統芸能「カポエィラ」を体感する

日 時:2017年6月9日(金)10日(土)11日(日)13:00~20:00
会 場:京都芸術センター(京都市中京区室町通蛸薬師下る)
料 金:無料(事前申し込み不要​)
主 催:インジンガ京都 https://www.nzingakyoto.com/

この3日間、日本でカポエィラ・アンゴーラを支え続けてきた講師を招き、年齢、性別、人種を問わず愛され守られてきたこの異文化芸術を幅広く紹介するために、京都芸術センターにてレクチャー&ワークショップを行います。初心者、経験者、多くのカポエィラの同志が集まることによって産み出される「トランス(高揚感・一体感)」を体験してみませんか? この3日間を通して、ブラジルの歴史、身体・精神・音楽性について考え、その神秘を体感してください。

2017年5月27日

ネオパン100アクロス出荷終了予告の衝撃


今から3年前の2014年、富士フイルムからショッキングなアナウンスがあった。同社の黒白フィルム「ネオパン400プレスト」の135と120が出荷終了となるという告知だった。コダックやイルフォードも感度400の黒白フィルムを製造していたが、富士フイルムのそれはかなりお気に入りだったからだ。特に中判120はローライフレックスで多用していたが、同機を使う気が失せた記憶がある。ところがである、昨日、今度は「ネオパン100アクロス」の大判4x5と8x10も2018年5月に出荷終了となるというアナウンスがあったのである。私の常用黒白大判用フィルムであるだけに、これはショックである。最高住準の粒状性、優れた相反則不軌特性など、世界的に人気があるので、将来に渡って製造が続くと思い込んでいた。出荷終了が迫ったらまとめ買いし、冷凍保存するつもりだ。しかし購入資金が嵩むし、第一、冷蔵庫の容量に限界がある。従ってやがて在庫が尽きてしまうことは目に見えている。一番残って欲しいフィルムだけに、デジタルカメラ時代の残酷を痛感する。

PDF  ネオパン100アクロス(Sheet)技術仕様の表示とダウンロード(PDFファイル 635KB)

2017年5月25日

ブラウザ Microsoft Edge を再評価する


ITコンサルタント会社「ウェブレッジ」の調査によると、Webブラウザシェアランキング(2017年4月)トップ5は次のような結果になったという。
  1. Google Chrome 57 (27.45%)
  2. Internet Explorer 11 (22.82%)
  3. Mozilla Firefox 52 (11.13%)
  4. Google Chrome 56 (5.24%)
  5. Microsoft Edge 14 (5.24%)
Google Octane 2.0 Benchmark
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グーグルの Chrome が俄然強い。海外では人気衰退気味のマイクロソフト Internet Explorer だが、国内では相変わらず使われているようだ。ただ注目すべきは、同社の Edge が5位に食い込んでいることだ。Internet Explorer および Edge は Windows 10 に搭載されているブラウザで、そういった背景が反映していると想像される。Edge は当初、Chrome と比べると拡張機能に乏しく、にわかに使う気がしなかったが、最近になって再評価するようになった。というのは Edge は Internet Explorer の延長ではなく、違うレンダリング エンジンを搭載しているので、中身が全く違うシステムのブラウザーになっていて、スピードが速いと気づいたからである。最近、マイクロソフトは Windows 10 の大型アップデート Creators Update をリリースしたが、Edge 15 は Chrome 57 と Firefox 52 よりも高速だと、ベンチマークの結果を自画自賛している。確かにサクサク動くが、あくまで計測結果に過ぎなく、私が正確に速度差を体感できたかは定かではない。ただ、作成したウェブページやブログ記事を URL 短縮ツールを使わなくとも「共有」ボタンで Facebook や Twitter などのソーシャルメディアにシェアできるなど、十二分に使える軽快なブラウザだと再認識した。