2020年1月29日

N95マスクなら新型コロナウィルスを防げるか

SARS 流行の時に購入した 3M 8210 N95 防塵マスク

写真は物置から出てきたマスクで、SARS(重症急性呼吸器症候群)流行の時に購入したものだ。住友スリーエムの製品で、粒子捕集効率が95%以上なので N95 マスクと呼ばれているそうである。昨28日の朝日新聞デジタル版の記事「新型肺炎、コンビニのマスクで防げる? 専門家に聞いた」が目に止まった。中国のソーシャルメディア上では「N95マスクでなければ意味がない」といった書き込みが連日流れ、ネット通販サイト「タオバオ」では偽の高性能マスクが出回り消費者の混乱を招いているという。それではコンビニで売っている普通のサージカルマスクではだめなのだろうか。海外で働く人に医療とセキュリティーのアシスタンスサービスを提供する「インターナショナルSOS」の葵佳宏医師によると
N95は0.3マイクロメートルの粒子を除去できるフィルターがありますが、新型コロナウイルスは0.1マイクロメートルです。フィルターの穴を通過してしまい、吸引を防ぐことはできません。
という。「感染症を扱う頻度が高い医療従事者を対象に、N95とサージカルマスクを使って急性呼吸器感染症への罹患率を比較したデータがあります。両者に差はありませんでした。別の臨床試験でも、インフルエンザを含む罹患率の比較を行っていますが、N95が優位であったという結果はありませんでした。つまり、サージカルマスクをつけていてもN95をつけていても変わらないのです」という。結論から言えば、テレビなどでも報じられてるように、マスクに予防効果はない。くしゃみやせきで唾液の飛沫を周囲にまき散らさないため、他人を感染させないために着けると考えるべきだという。やはり手洗いを怠らないことが肝要なようだ。

health 住友スリーエムジャパン:呼吸用保護具に関するソリューション(マスクの知識)

2020年1月28日

野暮ったい L.L.Bean がお気に入り

L.L.bean Boat and Tote Open-Top

洋の東西に関わらず、人々が荷を背にするようになった。およそアウトドアとは縁がなさそうな年配のご婦人が、Patagonia や JanSport などのタグがついたリュック、あるいはデイパックを背に担いでいるのを見ると微笑ましくなる。私自身はブランド名が気になるが、多くの人が拘っていないのではないかと想像している。強いて拘りを感ずるのは North Face のランドセルのようなリュック、そして Sierra Designs のポケットのファスナーが斜めについてデイパックくらいだろうか。

L.L.bean Gum Boots
リュック類に限らず、ジャケットなど、アウトドア用品はデザインが大同小異、見分けがつき難い。ところが見て一発で分かる製品がある。L.L.Bean のトートバッグとガムブーツである。トートバッグはキャンプなどで、水をそのまま入れて運ぶことのできるキャンバスなどで作られた、丈夫な布地で大きな角型の手提げ袋である。開口部にファスナー付きの布を被せた製品もあるが、これはやはり邪道だと思う。コットンキャンバス地の英国製釣り用バッグを愛用しているが、無論、ファスナーを使っていない。つまり壊れる部分がないのが、伝統的なアウトドア用品なのではないだろうか。その点、L.L.Bean のトートバッグは心強く、ガラス瓶に入った炭酸水などの買物に重宝している。ところでガムブーツというのは要するにゴム長のことなのだが、L.L.Bean の象徴的製品である。作業用のゴム長靴にレザー・トップを縫い付けた靴で、私も雨天用に一足購入した。狩猟用なので、沼地などで抜群の性能を発揮しそうだが、重く、しかも履き心地に優れているとは言い難い。あくまでアウトドア用で、眺めているだけで自然に誘ってくれる。どちらかといえばいずれも野暮ったい、ダサいデザインだが、そこが実に良いのである。

YouTube  米国メイン州の自社工場で製造される L.L.Bean ボート・アンド・トート・バッグ(日本語字幕)

2020年1月25日

馬やら人やらわからない

新馬鹿の唄(啞蟬坊・赤春詞・啞蟬坊附曲)

添田知道(1902-1980)著『演歌の明治大正史』(岩波新書)が2018年11月20日に復刻されたのを最近知った。これまで所持していたのは、1963年10月21日発行の初版で、150円と書いてある。1970年代初頭に入手したと記憶しているが、傷みが酷く、表紙が黄ばんでいる。添田啞蟬坊(1872-1944)の歌のヴァイオリン弾き語りを試みたことがあり、歌詞を書き写すため、繰り返しなんべんもページをめくったものである。上掲写真の「新馬鹿の唄」を抜き書きしてみよう。
添田啞蟬坊(1903年ごろ)
九段坂から見下ろせば 人が車を曳いてゐる
馬も車を曳いてゐる 馬やら人やらわからない

議員議会で欠伸する 軍人金持と握手する
インフルエンザはマスクする 臭いものには蓋をする

金の腕輪に夜会服 帝国ホテルの舞踏会
昨日三越今日歌舞伎 わたしゃ風船風まかせ

雨がふるふる日は暮れる 工場帰りの女工さん
泥にはまって困ってる 二階ぢゃ芸者が笑ってる

労働問題種にして 本屋学者は繁昌する
活字拾ひの職工は 青くなって痩せている

かせぐに追ひつく貧乏は ないと思へよ労働者
廻る機械にひけとるな おれはその間に一眠り

政治屋地主をかつぎあげ 地主議員をかつぎあげ
せがれ親父をかつぎあげ 小作貧乏で鍬かつぐ
演歌というと艶歌ないし歌謡曲を連想するが、本来は「演説の歌」という意味である。集会条例で街頭演説が禁止されても、歌なら構わないだろうという発想だった。これは讃美歌の旋律を借り、街頭で労働組合運動を展開、フォークソングの礎を築いたジョー・ヒル(1879–1915)と酷似している。演歌は民権運動の思想を普及する意図で現れたが、明治から大正にかけて活躍した演歌師としては、添田啞蟬坊が傑出している。1972年に東京に転居した。確かその年の暮れだったと思うが、浅草で「啞蟬坊生誕百年祭」があり、図々しくもヴァイオリンを手に押しかけ、遊郭の女性を描いた啞蟬坊の「思ひ草」を歌ったのである。会場は奇しくも東京浅草組合の花街の検番で、芸妓さんが「むらさき節」を歌ってくれた。ここで啞蟬坊の子息で『演歌の明治大正史』の著者、作家の添田知道さんと知り合った。吉原遊郭跡、台東区日本堤の蹴とばし屋「中江」(馬肉料理店)に連れていただいたのも懐かしく思い出される。余談ながら知道さんによると、啞蟬坊はヴァイオリンは上手だったけど、街頭その他では無伴奏で歌ったそうである。

2020年1月23日

ケン・バーンズが見落としたモンロー・ブラザース

永遠のモンロー・ブラザース(日本ビクターRA-5281)1963年

Country Music by Ken Burns(2019)
ソーシャルメディア Facebook で私が管理しているページ「アメリカンルーツ音楽」にモンロー・ブラザースの『聖者の行進』をポストしたところ、このグループをケン・バーンズが見落としているというコメントがあった。ケン・バーンズ(1953-)はドキュメンタリー映画作家で、昨年の秋、米国の公共放送でオンエアされた "Country Music: A Film by Ken Burns" が話題になった。DVD もリリースされたのだが、5枚組 CD ボックスセットを購入した。米国フォーク音楽のコンピレーション "Anthology of American Folk Music" を編纂したハリー・スミス(1923–1991)に匹敵する選択作業と言えるかもしれない。合わせて108曲が収録されている。商業レコードが誕生して約100年、そこから約100曲余りを簡抜するのは、確かに至難の業だと思う。ビル・モンロー&ブルーグラスボーイズを取り上げているが、モンロー・ブラザースは抜け落ちているのはやはり気になる。1930年代に活躍、ブルーグラス音楽の土台を築いた兄弟デュオだ。南部アパラチア山系の伝承音楽にギターを取り入れたのはメイベル・カーターだったが、兄のチャーリーはブルーグラス音楽のギター奏法の基礎を作ったと言えそうだ。さらにマンドリンを導入した弟ビルの功績も大きい。というわけでケン・バーンズが見落としたという指摘に大いに納得した次第だ。下記リンク先の音楽ファイル共有サービス「サウンドクラウド」で彼らの『聖者の行進』を聴くことができる。

SoundCloud  モンロー・ブラザース『聖者の行進』1936年10月12日ノース・カロライナ州シャーロット

2020年1月18日

マイクロソフトの Edge がグーグルの Chrome を凌駕

ブラウザ Microsoft Edge の新しいロゴ

生まれ変わったマイクロソフトのブラウザ Edge が入手可能になった。更新サイトにアクセスしたところ、英文のタイトルと概要説明が展開してちょっと躊躇ったが、Download ボタンを押したら日本語のページに切り替わった。さっそくダウンロードしてインストールした。ブックマークは何もしないと旧 Edge のそれが引き継がれるようだが、現在メインに使っているグーグルの Chrome からインポート、同じ感覚で使えるようにした。起動して驚いたのが、実に動きが速いことだ。グーグルのオープンソースである Chromium エンジンを下敷きにしているのだが、本家より速いのではないかと思ったほどである。マイクロソフトの Windows Blog にアクセス、グーグルの Octane 2.0 と、アップルが開発した JetStream によるベンチマークテストの結果を見てみた。いずれもマイクロソフトの Edge が最速となっている。

画像をクリックすると拡大表示されます
アクセスしたことがないサイトからのトラッカーをブロックできる設定になっている点も注目に値する。新しい Edge で当ブログにアクセスしてみたが、4個のトラッカーをブロックしていることが分かった。デフォルトでトラッキングされないというのは Chrome を凌駕していると言えそうだ。昨日は阪神淡路大震災から25年目の日だったが、1995年に Windows 95 が発売されたことが脳内で連動している。その前の MS-DOS を加えると、マイクロソフトと何年付き合ってきただろうか。スティーブ・ジョブスを尊敬しているが、ビル・ゲイツは好きになれない。しかしその開かれたプラットフォームを評価している。

Microsoft  Windows 10 用 Chromium ベースの新しい Microsoft Edge のダウンロードとインストール

2020年1月14日

自衛隊の中東派遣に潜む憲法9条改悪の謀計

反戦ポスター「新しい戦争放棄」(A3BC: 反戦・反核・版画コレクティブ

政府は国会の承認が必要ない自衛隊法の「調査研究」を使って自衛隊を中東に送り出した。哨戒機2機と護衛艦を派遣しただけで「中東の海域が安全になる」とは考え難いが、安倍晋三はもしかしたら自衛隊が戦闘や攻撃に巻き込まれることを期待しているのかもしれない。自衛隊が国家に属する集団から攻撃を受け、武器を使用して反撃すれば、自衛隊は自衛権を行使することになる。そうなれば残り少なくなった任期中に、悲願の改憲へと勝負をかけることができるからだ。朝日新聞によると、今月7日、安倍晋三は自民党の仕事始めで
桃栗3年。お陰様で桃や栗は収穫することができた。国民のために8年間力を合わせて柿の収穫を行いたい。ゆずは9年の花盛り、このゆずまでは責任を持ち、大きな花を立派に咲かせていきたい
と挨拶したという。安倍晋三は来年9月に党総裁任期を迎えるが、それまでに改憲の発議はしないという発言に聴こえる。ところが、続けて「さらにその先も実はある。梅はすいすい13年、梨はゆるゆる15年。こういうものの収穫は、みなさん中心に収穫を得てもらいたい」と付け加えたそうだ。アなんのことはない、4選を果して改憲を進めるという宣言なのである。行政府の長なのに「私は立法府の長」などと虚言を繰り返しているが、憲法改正を「私の手で成し遂げる」と発言している。自分の権限も役職も理解していないのだが、嘘を嘘と自覚していない安倍晋三を首相の座から引き下ろすパワーがこの国に求められている。憲法9条を守ろう。

PDF  藤井正希:平和主義(憲法9条)の法解釈論(集団的自衛権を中心にして)の表示とダウンロード

2020年1月12日

電子書籍リーダー Doly を使ってみた

和辻哲郎「古寺巡礼」(Doly版)

電子書籍は様々な問題を含んでいるが、文字を大きくすることができるという点、老眼には誠に有難いメリットがある。また多量の書籍を持ち運べるという利点を感ずる人が多いと想像している。嵩張らないから書棚の必要がない。これは音楽 CD あるいはアナログレコードと、電子音源との関係に似ている。タブレットに2,000曲以上の楽曲を入れているが、ファイル形式が MP3 のせいか、ストレージを侵食しない。書籍データだが、アマゾンの Kindle paperwhite 32GB の場合、テキストのみの小説がなんと3万冊以上も入るそうである。紙の印刷物、例えば文庫本ならどのくらいの量になるだろうか、ちょっと想像がつかない。アマゾンの端末は持っていないが、Android タブレットに Kindle のデータを入れている。ヨドバシカメラも電子書籍を扱っているというので、試しに専用リーダー Doly をインストールしてみた。タブレットで購読した限りでは、Kindle アプリケーションと大差がないような感じである。この点は問題ないのだが、書籍数が圧倒的に少ないのがやや残念である。ただヨドバシカメラでのポイントが使える点は惹かれるものがある。英語の Doly はどんな意味があるのだろうか。私は Dolly すなわちカントリー歌手のドリー・パートンを連想してしまった。

android  ヨドバシカメラ電子書籍リーダー Doly のダウンロードとインストール(Android 4.1 以上)

2020年1月9日

商業レコーディング開始前後のカーター・ファミリー

Madge Addington and Sara Dougherty, ca. 1919.

この写真はノースカロライナ大学チャペルヒル校附属図書館の "Southern Folklife Collection" が所蔵する史料だが、ブログ "Field Trip South" に「サラ・カーター(バンジョー)と従妹のメイベル(オートハープ)1919年ごろ」という説明がついている。しかしこれは間違いである。メイベル・アディントン(1909-1978)は1919年の時点では、9歳ないし10歳だったからである。別の資料、米国の音楽におけるカーター・ファミリーのレガシーを記述した、マーク・ゾニッツァー著 "Will You Miss Me When I'm Gone?" によると、サラ・ダウアティー(1898-1979)は10代のころ、近所に住んでいた従妹のマッジ・アディントンと伝承音楽を演奏するグループを作っていた。マッジの生年月日が不明だが、28歳の若さで他界したという。ここまで書くとお分かりだろうか、メイベルはマッジの妹だったのである。サラはアルヴィン・プリーザント・デレーニー・カーター(A.P.カーター:1891-1960)と1915年に、そしてメイベルは A.P. の弟、エズラ・カーターと1926年に結婚した。写真を見るとサラがバンジョーを手にしているが、その録音は残っていない。マッジが膝に乗せているオートハープは、メイベルも使っていたオスカー・シュミット社の "Appalachian" かもしれない。

オリジナル・カーター・ファミリー
1927年、RCAの辣腕ディレクター、ラルフ・ピア(1892–1960)がテネシー州ブリストルでオーディションを行った。後に「ブリストル・セッション」と呼ばれるようになったヒストリカル・レコーディングで、2週間にわたって行われた。これに応募したのが、A.P.カーター夫妻と、ふたりに説得されて参加した妊娠中のメイベルだった。これをきっかけに一躍有名になった彼らは、ラジオとレコードとう新しいメディアを通じて文字通り一世風靡することになる。そして17年間に "Worried Man Blues" "Will the Circle Be Unbroken" などの名曲300余りを残すことになった。彼らの特長はメイベルとサラのコーラスにAPのバスないしバリトン・ハーモニーが加わった独特のヴォーカルにあるが、メイベルのギター奏法を見逃すわけにはゆかないだろう。楽器はギブソン L-5 だったが、低音絃でメロディを奏でるピッキングはその後のブルーグラスギター奏法の基礎となった。一家は1938年まで故郷ヴァージニア州クリンチマウンテンに留まったが、3年間テキサス州に住んだあとノース・カロライナ州チャーロットに居を構えている。グループによる最後のラジオ出演は1942年、以降メイベルが3人の娘と演奏活動を継続してカントリー音楽の女王と呼ばれるようになったのである。

radio  The Carter Family: Will the Circle Be Unbroken Image Gallery (PBS American Experience)

2020年1月7日

閲覧者が1,500人を超えた Facebook ページ

ページへの「いいね!」がやっと 1,500 に達した

ソーシャルメディア Facebook で私が管理しているページ「アメリカンルーツ音楽」の閲覧者が、きょう未明に1,500人を超えた。なぜ日本人がアメリカ音楽のページを、と不思議に思う人も多いと思う。同サイトには外国人が作っている「浮世絵」や「日本のヲタク文化」のページもあるし、そういう意味では別に不思議ではないと思っている。ページを「いいね!」した人の性別と年齢の集計データを見てみよう。ユーザーのプロフィールに記載されている情報に基づいて集計された推定値である。男女とも65歳以上の高齢者が一番多い。ソーシャルメディアは若者というイメージなので意外だ。高齢者ほど時間に余裕があるのか、それとも Facebook 特有のユーザー分布を反映しているのだろうか、どうもよく分からない。
管理人が日本人と知った人から「日本語で」というメッセージが届いたことがあるがが、外国人のほうが多いので、と返信したこともある。国別アクセスのベストテンは次の通りである。( ) 内は人数。
  1. アメリカ合衆国(888)
  2. 日本(108)
  3. イギリス(55)
  4. カナダ(37)
  5. オーストラリア(33)
  6. イタリア(32)
  7. フランス(23)
  8. ドイツ(18)
  9. インド(16)
  10. スペイン(16)
イタリアやフランス、ドイツなどのヨーロッパを除けば、英語圏からのアクセスが圧倒的に多いことがお分かりいただけると思う。閲覧者が1万を超えるページがざらにあるが、1,000人はマイルストーン、日本流にいえば一里塚だと思う。それでは1,500人は何と呼んだらいいのだろうか。創設が昨年の1月31日だから、1年の歳月を費やしたことになる。次のマイルストーンは2,000人だが、さて、いつ達成するだろうか?

2020年1月6日

千葉大学 C&W 研究会創設のころ

千葉大学C&W研究会編「Blue Grass」(1963年11月発行)

以下の文章は千葉大学C&W研究会のOB会員による「WEST CLUB」会報6号に寄稿したものです。なお、在学当時私が編纂した小冊子「Blue Grass」を同会事務局にPDF化していただいたので、閲覧可能にしました。
千葉大学に入学したのは1962年でした。軽音楽部を覗くと、1年先輩の井上博雄さんと加藤英夫さんがカントリーやブルーグラス音楽の曲を練習していました。私もギターを買って井上さんに教えて貰ったのですが、なかなか上達しませんでした。というよりブルーグラス音楽は高校時代にFEN(米軍極東放送)で知り、もっぱら聴くのが趣味で、まさか自分で演奏しようとは考えていませんでした。当時の軽音楽部はベンチャーズのコピーバンドが主流でした。練習するならやはり独自の部室があったほうが良いと考え、確か翌年の4月、学生自治会に申請をしました。単なる愛好会では部室を確保できず、予算も降りないので、正式のクラブとして申請したわけです。

顧問はたまたま一般教養課程で英語を担当していただいた先生がアメリカ文学が専門だったので、無理やり頼んだことを覚えています。学生自治会の新設検討会議でまず質問されたのは「軽音楽部があるのに何故作るのか」というものでした。「いえ、演奏だけが目的ではありません。音楽を通してアメリカ文化を研究するクラブです」と答えた記憶があります。C&W研究会という、一般には分かり難い名称にしたのも、一種のカモフラージュ作戦でした。創設時の部員は折山敏夫、関川靖、黒岩公洋、安間洋一、高田昌一君と私の6人で、安間君を除いて身近な同じクラス、工学部写真工学科の級友でした。高田君は喫茶店厨房でのバイト経験があったので、秋の文化祭でライブ喫茶を作るために誘ったといういきさつがあります。私以外はブルーグラス音楽を聴いたこともない人たちでしたが、バンド名をストーニー・リバー・ボーイズと決め、練習に励んだ結果、夏には千葉市内のビヤガーデンでバイト演奏するまでなりました。賞は取れなかったものの、学生バンド大会のラジオ番組にも出演しました。

部室を確保できたので、井上さんらに声をかけたところ、初代スモーキーマ・マウンテニアーズもC&W研究会に合流、秋の学園祭では軽音楽部のバンドと共にライブ喫茶に出演して貰いました。当時、私は個人的に他大学の学生バンドと接触、青山学院大学のブルー・マウンテン・ボーイズや、明治大学のブルーリッジ・マウンテン・ボーイズなどと知り合いになりました。早稲田大学の白井良幸、津川実、高木啓子さんらが中心になって作ったCBS(カントリー、ブルーグラス&セイクレッド)ファミリーのレコード鑑賞会(当時フォークウェイズなどのレコードは高価だった)に毎月参加、同会主催の「CBSファミリー・ジャンボリー」で、立命館大学のサニー・マウンテン・ボーイズを率いていた野崎謙二さんと知り合ったのも忘れられない思い出です。暮れの11月に小冊子「Blue Grass」を発行したのですが、今のネット時代と違って資料が少なかったため、各大学のバンドの間でかなり評判を呼んだようです。

1966年に私は卒業、朝日新聞社に入社、大阪に赴任しました。70年に神戸支局に転勤、野崎さんが店主だった「ロスト・シティ」に入り浸るようになり、神戸大学のジョッシュ大塚君が率いていた「ブルーグラス45」などと知り合いになりました。彼らのファーストアルバムの写真は私が撮影したものです。その年の夏、六甲山でブルーグラス・フェスが開催されることになり、野崎さんの依頼で5代目スモーキー・マウンテニアーズを呼ぶことになったわけですが、すでにこのころ「千葉の田舎のバンド」が全国のブルーグラス愛好家に知れ渡っていました。リーダーは故篠塚誠治君でした。なお私個人は1976年にケンタッキー州を中心にアメリカ東南部を音学旅行、フィドラーズ・コンベンションに出場と恥さらしをしたのも懐かしい思い出です。
PDF  千葉大学C&W研究会編「Blue Grass」1963年(PDFファイル 1.13MB)

2020年1月4日

大麻ビジネス考現学

大麻ビジネスに参入したマールボロ

バージニア州アレクサンドリアに本拠を置く、民間の金融および投資アドバイス会社「モトリー・フール・ジャパン」によると、世界レベルで大麻の合法化が進んでおり、大麻関連ビジネスは巨大な成長市場になるのではないかと予測されるそうである。昨日の経済誌「フォーブス」日本語版も、2020年の米大統領選で民主党の候補指名獲得を目指すアンドリュー・ヤンは、幻覚作用を持つキノコに関する規制を緩和すべきだと主張していると報じている。ヤンは主党議員の大半が賛成する大麻の合法化を推進してきた。民主党で大麻に批判的スタンスをとるのは現副大統領のジョー・バイデンや、前ニューヨーク市長のマイケル・ブルームバーグなどの一部の例外のみである。米国のタバコ会社は、大麻タバコの製造にいつでも対応できるように研究済みだと、ずいぶん昔に聞いたことがある。2018年末「マールボロ」ブランドなどを抱える米タバコ大手アルトリア・グループが、大麻の製造や販売を手掛けるカナダのクロノス・グループに18億ドル(約2千億円)を出資すると発表して話題になった。大麻タバコの商品化が進むと思われる。日本では「大学生に大麻汚染」などとマスコミは大騒ぎしているが、私にはこれが不思議でならない。マリファナ吸引で職を失った相撲力士の話も信じられない。確かに法を犯したのだろけど、処罰が重すぎないだろうか? 道端で立ち小便をしても法律に触れる。しかし立ち小便で職を失った話は聞いたことがない。日本では大麻は大麻取締法による規制を受けている。麻薬取締法とは別の法律だが、どうも世間では麻薬と勘違いしている人が多いと思われる。
大麻の合法化が進む米国の州(クリックで拡大)
なんとなく怖ろしいもの、あるいはその習慣によって健康に害があるのでは、と思われている。であるなら、何故タバコを規制しないのだろうかという疑問が残る。タバコは明らかにガンを誘発するし、健康にはなはだよろしくない。習慣性があるし、第一周囲が迷惑だ。米国の禁酒法は明らかに悪法だったと思う。規制したことによって密造酒が組織暴力団の資金源となった。身体に影響を及ぼす粗悪な酒が流通したことも見逃せない。おそらく現在日本で騒がれてる「大麻汚染」も、高価で取引され、なんらかの資金源となってることが想像される。大麻解禁により「資金源である覚醒剤の需要が低下してしまうことを恐れる暴力団関係者らの意見」がある。大麻を怖ろしいものと考えてる人々や、教育関係者などが規制強化を唱えるのは分からないわけでもないが、麻薬を資金源にしている暴力団関係者らが大麻規制に同調していることが面白い。大麻はウィキペディアにあるように、繊維として使われてきたし、医療にも用いられてきた。神具の注連縄や、相撲の横綱が締める縄は精麻と呼ばれる大麻の繊維で作られている。また大麻は二酸化炭素の吸収率が落葉樹の3、4倍と言われている。地球温暖化をストップさせる効果が期待される植物でもある。地図を開くと「麻」がつく地名がたくさんあることに気付くはずである。このような地域で古来から大麻が栽培されてきた名残りでもある。麻生も関係する人名である。まさかその麻生財務大臣が大麻規制緩和するとは到底考えられないが。

2020年1月1日

あけましておめでとうございます


昨年は話題がやや多方面に拡散してしまったきらいがあります。もう少し写真について熱く語ろうと思っていますが、やはり音楽にも手を伸ばしそうです。今年もどうぞ当ブログをよろしくお願いします。