2019年6月27日

茅の輪くぐりのカヤには災厄が宿っている

平野神社(京都市北区平野宮本町)

茅の輪のくぐり方
大祓は6月30日と12月31日に行われる除災行事である。罪や穢れを除き去るための行事だが、6月の大祓は夏越の祓(なごしのはらえ)と呼ばれ、各神社で茅の輪くぐりが行われる。茅の輪の中を「水無月の夏越の祓する人は千歳の命延ぶと云うなり」と唱えながら左まわり、「思ふことみな尽きねとて麻の葉を切りに切りても祓ひつるかな」と唱えながら右まわり、そして最後に「蘇民将来蘇民将来」と唱えながら左まわりと、8の字に3回くぐって穢れを祓う習わしになっている。熱帯低気圧接近の影響で、生憎の雨模様だったが、平野神社に出かけた。昨年の台風21号で倒壊した拝殿の復興は未だ手つかずのようだが、神門にはすでに夏越の祓の茅の輪が飾ってあった。明日の28日から30日にかけて茅の輪くぐりができるが、カヤは引き抜かないほうが良い。実は北野天満宮で一昨日この行事があったのだが、手が届く高さのカヤが全部抜き取られ、余りにも無残なので写真は撮らなかった。茅の輸のカヤを抜いて持ち帰り、家の入口に挿すと無病息災につながるという人がいるようだが、これは逆で文字通り風評に過ぎない。6月25日付け京都新聞電子版によると、北野天満宮は1970年代から、カヤを持ち帰る参拝者に悩まされてきたという。1989年6月26日付の同紙には「十数年前から茅の輪のカヤを自宅の門口に飾る風習が広まっており、この日もお参りの人たちはカヤを次々と抜き取った」という記事が載っているそうだ。智の輪とかけて、茅の輪のカヤを抜いて持って帰る人が後を絶たないようだ。しかし本来は罪や穢れ、災厄をカヤに移すことで無病息災を得るという風習だ。茅の輪のカヤを持ち帰ることは、他人の災厄を家に持ち帰ることになってしまう。

2019年6月25日

高額で売買される生け捕りのイルカ


ザ・コーヴ (2009年)
静岡新聞によると伊東市のいとう漁協が水族館などで展示飼育するための「生体捕獲」に限定した上で、本年度漁期(10月1日~来年3月31日)にもイルカの追い込み漁を再開する方針を固めたという。国内で追い込み漁を行うのは同市と和歌山県太地町の2カ所になる。いとう漁協には毎年、同庁からの捕獲枠が付与され、昨年はバンドウイルカ34頭、オキゴンドウ11頭などの捕獲が認められた。だが2004年を最後に、捕獲数ゼロが続いているそうだ。その追い込み漁だが、2015年、世界動物園水族館協会(WAZA)がを残酷だと批判、日本動物園水族館協会(JAZA)に除名勧告を行った。映画『ザ・コーヴ』(The Cove 2009)の影響が背景にある。

ピーター・シンガー(1986年)
これを受け JAZA は追い込み漁で捕獲されたイルカの購入を禁止した。会員資格がなくなった場合、希少動物の繁殖などで海外の情報を得にくくなる恐れがあるからだという。ところがこれに反発した新江の島水族館などが、JAZA を退会するという騒ぎに発展した。水族館ではイルカの人気が高く、イルカショーを目玉にしているところも多いようだ。追い込み漁で捕獲されたイルカは、国内ばかりではなく、中国などの水族館も購入しているという。朝日新聞によると昨年6月オープンした新潟県上越市の市立水族博物館は、シロイルカ2頭とバンドウイルカ4頭入手のため9325万円を投じたようだ。集客力を期待した投資なのだろう。いとう漁協のイルカ漁再開は、生きたイルカは水族館などから一定の需要が見込めるという計算があるようだ。イルカの飼育とそのショーに関しては「人工プ―ル飼育では野生状態より寿命が短い」「狭い水槽に閉じ込めるのは可哀そうだ」「イルカに芸をさせることは動物虐待だ」「そもそもヒトが他の動物を飼育展示するのはその権利を奪っている」などの意見があることを留意しておくべきだろう。動物の権利に関し指導的かつ先鋭的な役割を演じてきた、プリンストン大学のピーター・シンガー教授は、動物が痛みを感じたり、喜びを味わったりすることができるかが鍵だという。そして苦痛を感じる動物の範疇の中に魚を入れている。魚を食べるなと言われたらきっと困惑するだろうけど、看過できない警鐘だ。京都水族館で観たことがあるが、イルカショーは反対である。単なる娯楽に過ぎなく、水族館が持つべき本来の目的に反すると感ずるからだ。

2019年6月20日

月火水曜が5回の月は823年に1回という流言

月火水曜が5回の2019年7月のカレンダー

2012年10月のカレンダー
本格的な夏がやってきた。7月のカレンダーを見ると、月曜、火曜、水曜日がそれぞれ5回ある。珍しくもなんともないと思うのだが、インターネットを徘徊していたら Does This Month Repeat Only Every 823 Years?(今月は823年ごとに1回しか巡ってこない月なのか?)という記事が目に止まった。2014年に投稿されたもので、いささか旧聞に属するが、このような月は幸運をもたらすという噂が2012年10月(右図)に登場、以来たびたびインターネット上で流布されてきたという。こんな具合だ。
GOOD LUCK EVERYONE!! This year (2012) October has 5 Mondays, 5 Tuesdays and 5 Wednesdays. This happens once every 823 years. This is called money bags. So copy this to your status and money will arrive within 4 days. Based on Chinese Feng Shui. The one who does not copy, will be without money. Copy within 11 mins of reading. Can’t hurt so I did it. 🙂
2018年1月のカレンダー
曰く「皆さん幸運を! 2012年の今年の10月は月曜、火曜、水曜日が5回ある。これは823年に1回起こる。中国の風水に基づいたもので、財布と呼ばれている。だからあなたの彫像にこれをコピーすれば、4日以内ににお金が転がり込んでくる」云々。しかしなぜ823年に1回なのか、その根拠の出処は不明である。ただ「823年」と「風水」のキーワードで検索すると「金運アップ」のチェーンメールがかなり出回ったことが分かる。ちょっと調べれば分かることだが、大の月、すなわち日数が31日の月(1月、3月、5月、7月、8月、10月、12月)で、最初の日が月曜日なら5回の曜日が3連続する条件を満たす。月曜、火曜、水曜日が5回あったのは、直近では1年半前の2018年1月、そしてこの先は、2021年3月が該当する。従って823年に1回というのは大嘘である。少し気を利かせば怪しい情報と気づくはずだが、どうやら人は断定されると疑うことを忘れる動物らしい。誤情報を発信する側に問題が無い訳ではないが、まずは受信する側が全ての情報を鵜呑みにしないように努めるべきである。私たちの生活に密接に関連する、例えば政治的なフェイクニュースを、政党を含む大がかりな政治団体から個人に至るまで、意図的にたれ流す厄介な時代になってしまったようだ。そういう意味では、拡散作業には慎重さが必要であることは言うまでもない。

2019年6月18日

ウィンドウズ 10 アップデート顛末記


5月21日から Windows 10 バージョン 1903 の提供が始まったが、私のところにも通知が来たのでインストールした。1903 では「Windowsサンドボックス」「パスワードレスのサインイン」「不要なアプリケーションをアンインストール」といった新しい機能が加えられたが、なかでも私が興味を持ったのは「RAW 画像形式のサポート」である。Microsoft ストアから公式の Raw Image Extension をダウンロードしてインストールするだけで、RAW 画像のサムネイルとプレビューを表示できるようになった。この拡張機能は、一般的な RAW 画像フォーマットのほとんどをサポートしているようだ。表示されたサムネイルをクリックすると Windows 10 のアプリケーション「フォト」が起動、写真の整理や閲覧ばかりではなく、明るさや色味の変更、傾きの是正やトリミングなどの写真加工ができる。またプロパティダイアログには EXIF データも示される。撮影したカメラに適応したソフトを起動せずに、エクスプローラのみで作業できるのは便利で有難い。
アップデートして戸惑ったのは、サインイン時に背景画像がボケてしまうことだった。調べてみると、対処方法はレジストリの編集、または透明効果を無効にする、というふたつの方法があるという。レジストリの編集はいささかややこしい。せっかくの透明効果を無効にするのはもったいない。前者の方法については少し勉強してからにしようと思う。そこでサインイン時にロック画面の背景画像表示を「オフ」にして単色に変更。スポットライトと呼ばれる画像はなかなか素晴らしく愉しみだったが、ロック画面のみで我慢と割り切ることにした。どうやらこの変更により、画像の読み込みが省かれたので、起動が若干早くなったような気がする。[*]

Windows 10 言語バー
いくつかの点で、前バージョンの状態に戻ってしまった機能がある。そのひとつが IME 切り替え時に「あ」や「A」が再び一瞬出るようになったことだ。この入力モード切替の通知をオフにしたほうが生理的に好ましい。どうやるのか忘れてしまったのでネット検索したところ、インジケーター領域の言語バーの任意のアイコンを右クリックし、メニューから「プロパティ」を選択し「画面中央に表示する」のチェックを外せばよい、と解説されている。ところが「プロパティ」が出ない。試行錯誤の上、言語バーの一番右、ツールボックスのアイコンを右ではなく、左クリックしたら「プロパティ」が出た。極めて些細なことだが、意外と手こずってしまった。

[*] 再チェックしたところ、この不具合は修正され「サイイン画面にロック画面の背景画像表示する」をオンに変更しても画像がボケなくなりました。(6月28日)

2019年6月15日

ホルムズ海峡タンカー攻撃と安倍外交の破綻

6月15日午前7時30分(日本時間正午)のホルムズ海峡周辺の船舶

タンカーの消火にあたるイラン海軍艇
船舶追跡サイト VesselFinder でチェックした、現地時間6月15日午前7時30分現在のホルムズ海峡付近の様子である。オレンジ色がタンカーで、ペルシャ湾からオマーン湾にかけて夥しい数の船舶が航行している。13日朝、ホルムズ海峡を通ってアラビア海に向かっていた2隻の船が何ものかによって攻撃を受けた。アラブ首長国連邦のアブダビを出港したノルウェー所有のフロント・アルタイル号と、サウジアラビアのジュバイルを出港した、日本の国華産業が運行するコクカ・カレイジャス号で、現場はイラン南部のバンダルジャスク港沖25カイリ(約46キロ)だった。トランプ米大統領は、米FOXニュースとのインタビューで「イランがやった」と名指しで批判した。ポンペオ米国務長官も会見で「収集した情報や使用された武器などを総合的に分析した結果、イランに責任がある」と断言した。米中央軍はイランの最高指導者直属の精鋭部隊「イスラム革命防衛隊」の船舶が日本のタンカーに接近したとするビデオ映像を公開し「不発だった吸着型の水雷を回収している様子」と主張した。回収した「不発弾」をどの港に運んだかを明かせば、何処の国の作業船か判明する。当然追跡したと思われるので、主張を裏付けたいなら発表すべきだろう。日本経済新聞6月14日付け電子版によると、英政府も「イラン革命防衛隊の一派が2隻を攻撃したことはほぼ間違いない」と発表した。米国同様「独自の情報分析に基づき、確実にイランに責任がある」と結論づけたという。しかし決定的な証拠をまだ示していない。

ハーメネイー師(右)に仲介提言を一蹴された安倍首相
奇しくも安倍首相が「緊張緩和のため」と称してテヘラン訪問中に起きたわけだが、トランプ米大統領と親密であることはイランでもよく知られている。やすやすと提言を受けるはずはない。安倍首相と会談した最高指導者ハメネイ師は「トランプがメッセージを交換するに値する人物だとは思われない」「彼への返事はない。回答しない」と述べて、安倍首相のトランプに依頼された米国との関係修復のための特使としての務めを一蹴したのである。結局なんの外交成果を得られず帰国したが、きょう15日付けの米紙ウォールストリート・ジャーナル日本語版は「両国の対立が一段と不安定さを増すなど、中東和平の調停役としてのデビューは厳しい結果に終わった」と報道。首相の中東外交デビューが、痛い教訓になったと皮肉っている。井筒俊彦『イスラーム文化―その根柢にあるもの』(岩波文庫1991年)で、著者は「接近するイスラームと受け止めない日本、イスラームが歴史的現実としてわれわれに急に近づいてまいりました」と書いている。第2次オイルショックからホメイニー師のイラン革命、そして約8年間も続いたイラン・イラク戦争。これらによってイスラームの政治への関心が高まり、日本人、とりわけ経済人に影響を及ぼし、中近東への注目を促すものとなった。こうして培われた相互理解を、イランと敵対するトランプ米大統領の使い走りになり果てた、安倍首相自身の政治的延命あるいはレガシーのために、友好関係を台無しにして欲しくないと痛感する。

2019年6月13日

何故か妖しいハイブリッド楽器

Pipe Organ Guitar Accordion built by Sam Moore circa 1920 Courtesy of MMRF

Prosper Moitessier 1838
右の写真はヴァイオリンとヴィオラを背中合わせに合体させたハイブリッド弦楽器で、プロスパー・アントワン・モワテシエ(1807-1867)が製作した。フラン語版ウィキペディアによると、オルガン職人だったが、ヴァイオリン製作にも挑戦したという。1838年と記録されているこのヴァイオリン・ヴィオラは、フランスのアルザス・ロレーヌ地方のミルクールにある、ヴァイオリンと弓作りの博物館(Musée de la Lutherie et de l'Archèterie françaises)が所蔵している。極めて独創的な楽器だが、その後普及した痕跡はないようだ。ヴァイオリンは高い絃から順に EADG、ヴィオラは ADGC なので、ADG の3本は共通している。従ってGより5度低いCの絃を張ればもっと単純な、ヴァイオリンとヴィオラ音域をカバーする楽器、すなわち五弦ヴァイオリンができるからだろう。リュート属の弦楽器の場合だと、生涯にわたって評価が高かった、パリの楽器職人で弦楽器演奏家でもあった、ニコラス・アレクサンドル・ヴォボアムII世(1634/46–1692/1704)が製作した、ダブルネックギター(写真下)がユニークである。復絃5コースのバロックギターだが、小さいほうがおおきいほうより音程が五度高いと思われる。まるで母親が子どもを抱いているようだ。現代に引き継がれたダブルネック電気ギターが「双頭の鷲」なら、さしずめ「母子鷹」といった風情だろうか。

Alexandre Voboam 1690
19世紀半ばにウィーンで発達したコントラギターは、通常の6弦のフレット付きのネックに、サブベース弦を張ったフレットレスネックが付いている。これはハープギターとも呼ばれ、ギブソンも1930年代まで製作した。ザ・バンドの解散コンサートを記録した映画『ラスト・ワルツ』の中で、ロビー・ロバートソンが弾いていたのが鮮やかに脳裡に刻まれている。ところで上掲の写真だが、78回転レコードや蝋管の音源情報ブログ "78 Records, Cylinder Records & Vintage Phonographs" に投稿された「ギター・アコーディオン・パイプオルガン」である。写真を提供した音楽制作救援基金(Music Maker Relief Foundation)のアーロン・グリーンフッド氏によると、フロリダ州モンティチェロ出身のサム・ムーア(1887-1959)が1920年ごろ作ったという。ムーアは風変りな楽器を演奏したが、残念ながらこの楽器による演奏の録音は残っていないらしい。しかし、もっと残念なのは、この楽器の演奏法の解説がないことだ。アコーディオンを弾くには両手が必要だ。ギターを弾くにも両手が必要。合計4本の手が必要になる。ふたりで演奏するなら、それぞれ個別の楽器のほうがベターだ。実に不可解で妖しい楽器である。その妖しさゆえか、多くのハイブリッド楽器が歴史の彼方に消えている。弦楽器でかろうじて残ったのは、ダブルやマルチネックの電気ギターぐらいかも知れない。カテゴリ―を広げれば、ドラムスが思いつく。英語の Drums が明示しているように、複数の楽器が合体した打楽器である。一台で異なった楽音を合成、奏でることができる電子楽器がいろいろある。100年にわたる歴史を経て成熟、現在の形になったシンセサイザーは、やはり究極のハイブリッド鍵盤楽器と呼んでよいかも知れない。

2019年6月12日

豊田勇造 70歳記念 70曲フリーコンサート

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日 時:2019年7月6日(土)15:30~19:00
会 場:円山公園音楽堂京都市東山区円山町)075-255-5816
入 場:無料(雨天決行)
出 演:豊田勇造 YUZO BAND SPECIAL 筒井ケイメイ(harmonica)仲豊夫(guitar)山田晴三(bass)永見潤(percussion)続木徹(piano)長田タコヤキ(steel guitar)ドクター兼松(pianica)ダーリン高井(djembe)ユン・ツボタジ(percussion)羽栗唯明(guitar)ほかゲストあり
主 催:豊田勇造音楽事務所(http://www.toyodayuzo.net/

60 歳になった時に、レイ・チャールズの「ひとりのエンターティナーが30年も生き残っていられるなら、そのエンターティナーは聴衆になにか恩返しをした方がいい」という言葉に倣って、京都・円山音楽堂で「60 歳 6 時間 60 曲・フリーコンサートを開催しました。 この時からさらに10年間歌い続けてこれたことへのお礼の気持ちを込めて、今回の「70 歳記念 70 曲フリーコンサート」です。 前回と同じく日本中から、世界中から、聴きに、楽しみに、祝いに来てもらえたら嬉しいことです! フリーコンサートです。友達を誘って、気楽に好きな時間においでください。お待ちしています。(豊田勇造)

PDF  豊田勇造70歳記念70曲コンサートのフライヤーの表示とダウンロード(PDFファイル 286KB)

2019年6月10日

富士フイルムが黒白フィルムの開発を再開

ネオパン100 ACROS は 135から 中判 120 大判 4x5 8x10 まで揃っていた

新開発の ネオパン100 ACROS II
富士フイルムの6月10日付けニュースリリースによると、黒白フィルムの開発を再開し「ネオパン100 ACROS(アクロス)II」をこの秋にリリースするという。発売を予定されているのは、135および120の2種類。同社は黒白フィルムの需要の減少と、生産に欠かせない原材料が入手困難になったため、黒白フィルムの販売を昨2018年の秋に終了している。今回開発した「ネオパン100 ACROS II」は、感度ISO100の超高画質な黒白フィルムとして、世界最高水準の粒状性と立体的な階調再現、優れたシャープネスを備えており、風景・山岳写真、ポートレート、製品写真、建築写真から、長露光撮影の天体・夜景写真など、幅広い分野の撮影に適しているという。ニュースリリースによると特長は次の通り。
当社独自の「Super Fine-Σ粒子技術」[*]を採用することにより、感度ISO100の黒白フィルムとして世界最高水準の粒状性を実現。
当社従来品「ネオパン100 ACROS」に比べハイライト部の階調をメリハリのある設計とし、立体的な階調再現が可能。
世界最高水準のシャープネスにより、被写体の輪郭を強調した描写が可能。
長い間「ネオパン100 ACROS」を愛用してきた。非常に優れた製品で、世界的にも評価が高かったため、まさか生産中止になるとは思っていた。それだけに製造中止に強いショックを受けたたことが思い出される。富士フイルムは「イメージング分野におけるリーディングカンパニーとして今後も"アナログからデジタルまで"幅広い分野において多様化するお客さまのニーズにお応えし、より良い製品・サービスを提供し続けることで、一枚の写真の持つ力、素晴らしさを伝えつづけます」と誠に心強い宣言をしている。この勢いで大判用もぜひ復活して欲しいが、いささか無理な注文かも知れない。それはともかく、デジタル全盛の時代、唐突感は否めない。復活の理由は「フィルム愛好家をはじめフィルム独特の風合いによる写真を好むSNS世代の若年層を中心に、当社の黒白フィルムの販売継続を望む声が多く寄せられたことを受けて」だという。忘れかけていた懐かしいフィルムだが、若い世代の要求に応えたという点が二重に嬉しい。

[*] 写真フィルムに含まれるハロゲン化銀粒子のサイズと、その組成を精密にコントロールすることで、感度と優れた粒状性を両立させ、プリントの高画質化に寄与する技術。

2019年6月9日

ウッディとバズ・ライトイヤーが帰ってきた


玩具をボニーに託したアンディ(トイ・ストーリー3)
ディズニーの公式ウェブサイトによると、ピクサー制作のアニメ映画「トイ・ストーリー4」が今月21日に全米で劇場公開されるという。日本での全国ロードショウは7月12日からで、これは小中学校の夏休みを考慮したスケージュールかも知れない。監督はジョシュ・クーリー、脚本はステファニー・フォルソムとアンドリュー・スタントンが担当した。日本語吹き替えは、ウッディが唐沢寿明、バズ・ライトイヤーが所ジョージである。第1作がアメリカで公開されたのは1995年だが、翌年私はそれをを映画館で観た。フルCGの3Dアニメーションという興味からで、技術面に目を奪われ、肝心のストーリーをすっかり忘れてしまった。後に3作のDVDを購入、仔細を観察して理解できた。第3作では大学生になったアンディから玩具好きの女の子ボニー・アンダーソンに、ウッディやバズ・ライトイヤーを預ける。これはピクサーのCEOでもあったスティーブ・ジョブスの息子、リードが高校を卒業したこととオーバーラップする。この3部作はジョブスが大事に温めていたもので、最後は大きくなったアンディが実家を離れ、大学に進学するというものだった。だから続編制作はジョブスの遺志に反するし、まさか続編が作られるとは思っていなかった。
“おもちゃにとって大切なことは子供のそばにいること”―― 新たな持ち主ボニーを見守るウッディ、バズら仲間たちの前に現れたのは、彼女の一番のお気に入りで手作りおもちゃのフォーキー。しかし、彼は自分をゴミだと思い込み逃げ出してしまう。ボニーのためにフォーキーを探す冒険に出たウッディは、一度も愛されたことのないおもちゃや、かつての仲間ボーとの運命的な出会いを果たす。そしてたどり着いたのは見たことのない新しい世界だった。最後にウッディが選んだ“驚くべき決断”とは…?
果たしてどんなストーリーになるのだろうか。日本語版公式サイトにはこのような説明が掲載されている。小説もそうだが、過剰なあらすじ紹介は禁物であるので、この程度がほどほどだろう。公開が楽しみだ。

YouTube  日本語版予告動画「トイ・ストーリー4」ウッディ、バズ…そして、新しい仲間 "フォーキー" 登場!

2019年6月8日

開花した平野神社の斑入額紫陽花

平野神社(京都市北区平野宮本町)

雨が続いたので梅雨入りかと思ったが、目が醒めると曇り空で降っていない。5月下旬にポストした「夏草や君わけ行けば風薫る/正岡子規」で、平野神社の斑入額紫陽花(フイリガクアジサイ)について触れたが、散歩がてら、その後の様子を窺いに出かけた。青い実のようだった中心部の蕾が開花、周囲を取り巻く白い萼片(がくへん)も成長している。斑入額紫陽花は前回書いたように、葉に白い斑が入っているのが特長だ。花は花びらが主役なのに、葉に惹かれるという不思議な紫陽花だ。というか、開花前でも鑑賞できるから、人気があるとも言えそうだ。江戸時代に品種改良された園芸種で「恋路ヶ浜」の名がついている。何やら故事来歴がありそうなので調べてみたが、愛知県田原市の恋路ヶ浜とも関係ないようだし、その名の由来は不明である。

2019年6月7日

ウディ・ガスリーが過ごしたグレイストーンパーク精神病院

廃墟と化したニュージャージー州グレイストーンパーク精神病院(Photo by ©Julia Wertz

Ramblin' Jack Elliott & Woody Guthrie ©1961 John Cohen
左はランブリン・ジャック・エリオットが、ニュージャージー州モリス郡のグレイストーンパーク精神病院で、療養中のウディ・ガスリーを見舞ったときの写真である。ガスリーは1954年にハンチントン病と診断され、1956年にこの病院に入院した。写真は1961年1月29日にジョン・コーエンが撮影したもので、初対面の19歳のボブ・ディランも同行したようだ。グレイストーンパーク精神病院は1876年に開設されたが、ペンタゴン(米国防総省の本庁舎)が1943年に完成するまでは、米国で最大の建物だった。1953年のピーク時には7,674人の患者が収容され、礼拝堂、教室、歯科医院および独自の診療所があったという。病院は2003年に閉鎖されたが、解体については反対運動が起きた。というのは中心から外に広がる、多数の翼を収容するバットウィング様式のフロアプランを共通に有する、カークブリド計画に基づいて建設された病院だったからである。フィラデルフィアの精神科医、トーマス・ストーリー・カークブリド博士によって19世紀半ばに提唱された精神的庇護制度のシステムである。この歴史的なカークブリドを含む資産は、2007年10月に州の会計に超過資産として引き渡される。そして2013年8月、州財務省の州当局者は、カークブリドの本館を破壊する計画を発表したのである。2013年11月、写真家フィリップ・ビューラーとガスリーの娘、ノラの共著『ウッディ・ガスリーのワーディ40:グレイストーンパーク州立病院再訪』が出版された。未公開の手紙や歴史的な家族写真、そして珍しいインタビューを通し、ガスリーがグレイストーンパーク精神病院で過ごした5年間を探った本である。タイトルは病棟40区(Ward 40)の患者だったため、ガスリーがワーディ40(Wardy Forty)と呼んだことに由来する。話が前後するが、ガスリーは1961年から1966年まで、ニューヨークのブルックリン州立病院に入院、そして1967年10月3日にクイーンズのクリードムーア精神病院で亡くなった。

book  Woody Guthrie's Wardy Forty: Greystone Park State Hospital Revisited by Phillip Buehler

2019年6月6日

第47回 七夕コンサート


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日 時:6月29日(土)30日(日)開場 17:30 開演 18:30
会 場:ライブハウス「拾得」(京都市上京区大宮通丸太町上る)075-841-1691
出 演:豊田勇造/三浦久/中山ラビ/古川豪
料 金:予約 3,500円 当日 4,000円 2日間通し 2,000円増し 小中学生半額(飲食別)
照 会:七夕オフォス(京都市北区紫野上門前町21)f.go@titan.ocn.ne.jp

2019年6月2日

夏河を越すうれしさよ手に草履/与謝蕪村

愛宕念仏寺(京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町)

清滝隧道の手前「愛宕寺(おたぎでら)前」で京都バスを降りると、すぐ目の前が仁王門だった。門をくぐると夥しい数の羅漢が迎えてくれた。坂を上って本堂前に出ると、その数はさらに増し、山あいの斜面にまでびっしり並んでいる。五百羅漢という言葉は、釈迦の涅槃時に立ち会った弟子たちの数に由来するが、境内にはなんと1,200体の像が奉納されているそうだ。つまり千二百羅漢というわけだ。当初は500体だったが、後に700体が追加されたという。羅漢たちは、まさに1,200の顔を、1,200の心を持っている。怒りの表情はごく僅かで、みな和やかにほほ笑んでいる。1980年、仁王門の解体修理を機に、仏像彫刻家だった前住職の西村公朝氏が呼びかけ、一般の人々が彫ったものだそうだ。この石像群のことを教えてくれたのは、仕事仲間だった穴吹史士君だった。羅漢を奉納するために寄進、自ら彫るつもりだったが仕事に忙しく、どうやら友人に託したようだ。しかし迂闊にもどの石像か訊かず終いになってしまった。訊かず終いになったと過去形で書いた。すべてを追憶の過去に戻さねばならないが、1980年代初頭のことを明瞭に憶えているわけではない。

アンボセリ国立公園のサファリバス(1981年)
だから残った印刷物から組み立てるしかない。週刊朝日のグラビアページ編集を担当していた穴吹君と一緒に仕事をしたのは、1981年、東アフリカのケニア取材旅行だった。企画は彼の友人だった共同通信の岡崎記者から持ち込まれたもので、JTBのツアーに同行するものだった。アバーディア国立公園の樹上ホテル「ツリートップス」に泊まることができたのが印象的だった。一行と別れた私は、山崎豊子の小説『沈まぬ太陽』のモデルといわれた小倉寛太郎氏率いるサバンナクラブとタンザニアで合流した。その中にライオンなどの哺乳類に背を向け、ひたすら双眼鏡で鳥を観察し続ける人がいた。当時NHK文化センターに勤めていた松平康氏だった。母方の叔父が鳥類学の先駆者、蜂須賀正氏博士で、松平氏自身も大の鳥好きだったのである。この旅行の縁が、週刊朝日の新しいアウトドア企画に繋がったのである。「BE-PALも売れてるし、一般誌でもネイチャーを取り上げないと」というのが言い分だった。良いものは堂々と真似をしようという実利主義である。
朝日新聞社刊『名画日本史』より(クリックで拡大)

無論その場合、オリジナルにない工夫を怠らなかったのは言うまでもない。同じ年の秋に新潮社から写真週刊誌 FOCUS が刊行されたが、これが売れた後に、彼は週刊朝日に「アクショングラビア」を創設する。例によってやはり「真似しない手はない」という哲学であった。私も参画したが、彼の方法論を密かに「浪花のアナキズム」と呼んだことを思い出す。洒脱な彼は、実は典型的な大阪人だったのである。昭和天皇が崩御した1989年1月、私は京都に舞い戻り、穴吹君とは仕事場を分かつことになってしまった。西暦2000年のミレニアム、朝日新聞日曜版で『名画日本史』の連載が開始された。その取材キャップが穴吹君だった。再び彼と仕事を共にする機会が巡ってきた。一緒に雑誌の取材をした仲だったが、今度は新聞が舞台だった。ただ日曜版なので、文字通り週刊誌的な仕事、このシリーズの写真撮影が楽しみになったのはいうまでもない。その年の夏、私と穴吹君は筆者の森本哲郎氏と共に丹後への取材旅行に出た。与謝蕪村の足跡を辿る旅だった。蕪村がしばしば訪れたという与謝郡加悦町の施薬寺前の小川に立った私は、草むした小さな橋を撮った。もしかしたら「夏河を越すうれしさよ手に草履」と詠まれた小川かもしれないかと思ったからだ。天橋立の旅館に辿りついた私たちは、お酒をしこたま呑んだ。美酒に酔いながら「大腸ガンの手術をしてね」と穴吹君は笑った。そして時が流れ、2010年、風の便りに彼が他界したことを知った。ガンが転移したのだろう。あれから40年、愛宕念仏寺の羅漢たちは揃って苔を纏い、落ち葉を背にしている。どの石像か分かれば今度は花を手向けようと思う。

asahi こだわりの AIC 才人・穴吹史士が残した遺産(朝日新聞デジタル20周年特集)