2020年2月29日

続)新型コロナウイルス感染症 COVID-19 ワクチンの開発

インフルエンザの爆発的流行でマスクをした女性たち(1918年)

写真は第一次世界大戦中の1918年に始まったインフルエンザ・パンデミック下、マスクをつけた女性たちである。世界的な患者数、死亡者数についての推定は難しいが、患者数は世界人口の25-30%、あるいは、世界人口の3分の1の約5億人で、致死率は2.5%以上、死亡者数は全世界で4,000万人、一説には1億人ともいわれている。日本の内務省統計では日本で約2,300万人の患者と約38万人の死亡者が出たと報告されているが、歴史人口学的手法を用いた死亡数は45万人という推計もある。当時は抗生物質は発見されていなかったし、有効なワクチンなどは論外で、インフルエンザのウイルスが初めて分離されるのは、1933年まで待たねばならなかった。多くの人は人が集まる場所では、自発的にあるいは法律によりマスクを着用し、一部の国では、公共の場所で咳やくしゃみをした人は罰金刑になったり、投獄されたりしたという。

ミガル研究所の科学者
新型コロナウイルス SARS-CoV-2 を対象にしたワクチンの開発については、前エントリーに書いたように、米国マサチューセッツ州のモデルナ社が mRNA-1273 治験薬の最初のロットを出荷した。世界初の臨床治験が近く始まる見通しだ。ところでニューズウィーク誌によると、イスラエル科学技術省の資金提供を受けているミガル研究所(MIGAL Research Institute)が、鶏伝染性気管支炎ウイルスワクチンを新型コロナウイルス感染症 COVID-19 ワクチンに適合させるために必要な遺伝子調整を行っていることを発表した。ミガルの研究チームは、4年間、鶏伝染性気管支炎ウイルスワクチンを研究しており、鶏伝染性気管支炎ウイルスと新型コロナウイルスが高い遺伝的類似性を持ち、同じ感染メカニズムを使用していることが判明したとし、非常に短期間で効果的なヒトワクチンが得られる可能性が高くなっているとう。同研究所ウェブサイトによると、最高経営責任者のデヴィッド・ジグドンは「私たちの目標は、次の8〜10週間でワクチンを生産し、90日で安全性の承認を得ることです。これは経口ワクチンとなり、一般の人々が特に利用しやすくなります。私たちは現在、潜在的なパートナーとの集中的な議論を行っており、これにより人体試験段階を加速し、最終製品開発と規制活動の完了を促進することができます」と語っている。日本企業では、臨床治験支援大手のアイロムグループが、新型コロナウイルスの新規ワクチンについて、中国の復旦大学付属上海公衆衛生臨床センターと共同開発することで合意した。両者はセンダイウイルスベクターを使った結核ワクチンを共同開発しており、その経験を生かして新型コロナウイルスに対するワクチンの開発を目指すという。

coronavirus MIGAL Research Institute in Development of Corona virus (COVID-19) Vaccine

2020年2月27日

新型コロナウイルス感染症 COVID-19 ワクチンの開発


米国のモデルナ社が2月24日、新型コロナウイルス SARS-CoV-2 を対象に、開発中の新規ワクチン(開発番号:mRNA-1273)治験薬の最初のロットを出荷したことを明らかにした。同社は2010年に創業された、マサチューセッツ州ケンブリッジに本拠を置く、メッセンジャーRNA(mRNA)をベースとした治療薬やワクチンを開発している上場ベンチャー企業だ。プレスリリースによると、米国立衛生研究所(NIH)傘下の米国立アレルギー感染症研究所(NIAID)と協力してワクチンを設計した。mRNA-1273 は、膜融合前の安定化した形態のスパイク蛋白質を発現するように設計されているという。開発中の mRNA-1273 はウイルス表面に発現しており、ヒトの細胞への感染時に足がかりとなる、スパイク(S)蛋白質遺伝子をコードした mRNA(mRNA医薬)である。mRNA-1273 を接種すると、体内で mRNA からスパイク状蛋白質が発現する。被接種者の免疫が、スパイク蛋白質を抗原として認識し、スパイク蛋白質に対する液性免疫や、細胞性免疫が誘導されることで、新型コロナウイルスに感染しにくくなったり、重症化が抑えられたりする効果が期待されるそうだ。中国の研究チームが1月中旬、新型コロナウイルスのゲノム情報を解読・公表してから、ワクチンを設計し、臨床試験向けの治験薬を製造するまでかかった期間は、わずか40日程度だったという。4月末までに約20〜25人の健康なボランティアを対象に、臨床治験の第1フェーズを開始する予定という報道もある。実施されれば、新型コロナウイルスに対するワクチンの臨床治験としては、世界初になるとみられる。

PDF  Moderna Ships mRNA Vaccine Against Novel Coronavirus (mRNA-1273) for Phase 1 Study

2020年2月25日

マスクの品薄はいつ解消するのか

Cartoon by ©281_Anti nuke

マスクの品薄が騒がれ始めた1月下旬、某通販サイトを覗いたら、40枚入り770円の商品が見つかった。1枚当たり20円なので2箱申し込んだ。ところが待てど暮らせど送ってくる気配はない。今月20日「ご注文商品手配状況のお知らせ」というメールが届き「メーカー在庫も欠品しており、具体的な入荷予定日の回答を頂く事が出来ない状況です」とのこと。仕方ない、キャンセルせずに気長に待つことにした。外出した際にはドラッグストアに立ち寄っているのだが、いずれも棚は空っぽ、どうしようもない状態である。驚いたことに、除菌スプレーは無論、材料となるエタノールも売っていない。別のサイトに除菌スプレーを注文してあるが、これまたいつ届くか不明だ。折も折、鳩山由紀夫元首相が今月16日、以下のようなツイートをした。
翌日「中国に送るマスクは日本の市場に出ることのない製品ですので、送ることによって日本のみなさんには影響はありませんので、どうぞご安心ください」と弁解したが、案の定、大炎上したのはいうまでもない。これに先立つ今月12日の会見で、菅義偉官房長官は次のように宣言した。「マスクは中国からの輸入停滞などにより品薄状態でありますが、厚生労働省、経済産業省が強く増産要請をし、24時間生産の体制強化により、早ければ来週以降、例年以上の毎週1億枚以上が供給できる見通しであります」云々。これを真に受け、いずれマスクの品薄は解消され、市場に出回ると思っていたが、期待外れである。1月末、エントリー「N95 マスクなら新型コロナウィルスを防げるか」 で、N95 マスクは0.3マイクロメートルの粒子を除去するが、0.1マイクロメートルの新型コロナウィルスは通してしまうと書いた。テレビなどで報じられているように、くしゃみやせきで唾液の飛沫を周囲にまき散らさないために必要である。マスクで完全予防はできないようだが、安心感を与えてくれる心理効果が何よりだ。そういう意味でも一刻も早い品薄解消が待たれる。

2020年2月24日

百済観音:ガラスケースの中の仏像

国宝観音菩薩立像(百済観音)飛鳥時代・7世紀・飛鳥園撮影

平凡社(1969年)
古寺を巡るのが好きだ。特に大和路の仏像に惹かれ、名が通った寺院はおおむね参詣したと思う。斑鳩の法隆寺は何度か訪ねたが、なぜかこの20年以上ご無沙汰だ。考古学者浜田青陵(1881–1938)は、大正の末に同寺に伝わる観音像について『百済観音』に次のように記述している。「私が百済観音の像をはじめて見たのは、いまから二十余年前、まだその頃は法隆寺の金堂の土壇の片隅に置かれてあった時であった。そのヒョロ長い反り曲った像が高く玉虫厨子の上に突き出ていた姿は、よほど風変りであったので、私もこれを見落とすことができなかったが、私にはただプロポーションの悪い古拙な彫刻として印象を残しただけであった。しかるにその後年を経て奈良博物館の中で、この像の前に佇んで眺め入る度を重ねるにしたがって、ついにこのエウロジーめいた一篇をものにするにいたったことは、私一個として自分の鑑賞がいかに甚だしい変化をしたかに自分ながら驚くのである」。つまり元々は金堂にあったが優遇されていたわけではない。博物館のガラスケースの中で他の像と肩をつきあわさんばかり群居しているのは気の毒で、せめて小じんまりした部屋にただ一体、適当なバックの前に立たしたいと書いている。私が訪ねたときは百済観音は鉄筋コンクリートの宝蔵殿の中に安置されていた。この時の印象を私は寺院参詣日記『遊行記』に次のように書き残している。「ヒョロ長い観音像に再会しなければならない。大講堂を出ると雨はいよいよ本降りになっていた。回廊沿いに歩き、表に出ると東室の南妻を改造した聖霊院があった。ちょっと立ち寄ってみようと思ったが、心は百済観音に飛んでいる。東に進むと築地塀に囲まれた鉄筋コンクリートの宝蔵殿の入り口があり、その中に入った。おびただしい数の宝物群である。橘夫人の念持仏と言い伝えのある阿弥陀三尊像、悪夢を吉夢に転嫁させてくれるという夢違観音立像。ひとつひとつ丹念に鑑賞していたら時間がいくらあっても足りない。私は駆け足でこれらをやり過ごして、北倉東端に立つ百済観音の前に出た。八頭身の像がガラスケースの中に立っている。

水瓶を下げるしなやかな百済観音の手
余りにも痩身である。かつてミスコンテストが流行ったとき八頭身という言葉がもてはやされた。しかしどうだろう、私にとってそれは頭が小さ過ぎるような気がする。美の判断というのは難しい。その姿は厨子から出されて撮影された法隆寺夢殿の救世観音像と非常によく似ている。もしかしたら同じ仏師による彫刻かも知れない。ガラスケースに入っているので、その側面も子細に観察することができる。多くの仏像は正面から拝するようになっている。特に厨子に入っているとその側面はよくわからない。水瓶を下げた左手の曲線は実に微妙にできている。いや、そればかりではない。扁平ともいえる身体全体のカーブが横から見ると実に不思議な雰囲気を醸し出しているのだ」(1995年4月15日)。確かに小じんまりした部屋だったが、その長身が窮屈そうだったのを覚えている。この像は明治44(1911)年に金堂を出て奈良帝室博物館へ移された。和辻哲郎が『古寺巡禮』(岩波書店1919年)の中で「百済観音」と紹介、これによって多くの人々の関心を呼ぶようになったようだ。昭和16(1941)年に宝蔵殿が完成すると再び法隆寺に戻った。しかし浜田青陵の嘆きが届いたのだろうか、百済観音堂の建設計画があり、浄財の寄進をこの時募っていたことを思い出す。法隆寺のサイトによると、平成10(1998)年秋に完成、ようやく安住の地を得たようだ。百済観音の前に立つと、人は寡黙になるか、あるいは饒舌になるかのどちらかだと思う。井上政次(1902-1969)は『大和古寺』(日本評論社1941年)の中で「この像は16~17歳の処女の写実であり、開花を永遠の明日に待つ蕾」だと書いた。「その蕾の、内にをさめた活力は、すんなり下げた左手が、しかしだらけてゐない所にも見える。持たれた水瓶は處女の自らなる力を受けて尻を背ろにピンと跳ね上げてゐる。右の手は二の腕を素直に脇につけたのを直角にまげて前に突き出して乙女心の一筋なるを示しながら、柔らかに開いた掌は、裳下の素足と呼應して、蓮の蕾の彈力を想はせる」云々。仏像に対するこのような饒舌は和辻哲郎が元祖であろう。そもそもこの像を最初に書き記したのは他ならぬ和辻だ。彼もまた奈良博物館推古天平室でこの像に接している。「あの圓い清らかな腕や、楚々として濁りのない滑らかな胸の美しさは、人體の美に慣れた心の所産ではなく、初めて人體に底知れぬ美しさを見出した驚きの心の所産である」(『古寺巡禮』)。法隆寺に建設された百済観音堂はいかなるものであろうか。

フェノロサ(1890年)
写真を見ると外観はあの無粋な宝蔵殿よりかなりマシである。では内部はどのようになっているのだろうか。今日、文化財を抱えた多くの寺院が宝物館を建てている。火災に対する防護策が主眼であると思われるが、その多くが博物館と趣が同じと言って差し支えないだろう。明治時代、神仏分離令から派生した廃仏毀釈によって多くの仏教文化財が危機に瀕した。少なからぬ数の仏像や伽藍が破壊されたが、時間の流れの中で次第に納まっていった。その過程において、功労者として挙げることができるのが、米国の東洋美術史家アーネスト・フェノロサ(1853–1908)であった。フェノロサは仏教寺院に残された古美術を高く評価、その保護に貢献した。秘仏だった夢殿救世観音像の厨子を開けたフェノロサについて、和辻は次のように記述している。「彼は一八八四年の夏、政府の嘱託を受けて古美術を研究するためにこゝに來た。さうして法隆寺の僧に厨子を開くことを交渉した。が寺僧は、さういう冒涜を敢てすれば佛罰立ちどころに至って大地震ひ寺塔崩壊するだらうと云って、なかなかきなかった」(『古寺巡禮』)。フェノロサは信仰の対象としてではなく、芸術作品として仏像を見ていた。だから数世紀の時空を超えて、秘められた扉を開けることができたのである。そして彼は明治政府に「国宝」の制定を進言した。その指定第1号が京都太秦にある広隆寺の弥勒菩薩である。この像が霊宝殿という名の鉄筋コンクリーの博物館に安置されていることは、偶然ではないかもしれない。廃仏毀釈という狂気染みた暴力から多くの仏像が救われたが、それは国家の宝という新しいスタンスに拠ることが大きいのである。それゆえに、百済観音は長い間博物館に置かれていたといえるだろう。奈良国立博物館で「国宝法隆寺金堂展」が2008年に開催された。広目天、多聞天、増長天、持国天の四天王像四体が初めて寺外に勢揃いし、像を360°から拝観することができだ。仏像はガラスケースの中ではなく、仏教寺院の伽藍の中にあってこそ正しい姿だと私も思う。しかし仔細に観察するには博物館のほうが都合がよい。3月13日〜5月10日、東京国立博物館で特別展「法隆寺金堂壁画と百済観音」が開催される。

2020年2月20日

サン=テグジュペリ『夜間飛行』を読み返す


新潮文庫(1956年)
地球儀を眺めるのが好きだ。日本人は太平洋を真ん中にした世界地図を見慣れている。だから大西洋に対する感覚にズレが生ずることがある。フランスのパリ、セネガルのダカール、ブラジルのリオデジャネイロの三都市が、地球儀だとほぼ一直線で結ばれてることに気付くはずである。1930年、フランスの航空郵便会社アエロポスタルは南大西洋を横断する、最初の無着陸飛行に成功した。郵便飛行サービスは極めて危険な仕事だったが、作家アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリもアエロポスタル社の飛行士であった。サン=テグジュペリの『星の王子さま』について触れたばかりだが、郵便飛行をテーマにした堀口大学訳『夜間飛行』(新潮文庫)を読み返してみた。サン=テグジュペリは、1900年、南フランスのリヨンで生まれた。生家は名門貴族の家柄だったが、4歳のときに父親を亡くし、母方の親類の所有する城館で暮らしたという。21歳の年、兵役に志願して飛行機の操縦を覚えた1926年、アエロポスタル社に入社し、サハラ砂漠の中継基地や、ブエノスアイレスなどに着任した。だからこの小説は、彼の飛行士としての経験を元に書かれたものである。従って南米への郵便飛行開拓期の歴史的史料としての価値も高いという。主人公ファビアンの操縦する飛行機がパタゴニアからブエノスアイレスへと帰還するシーンから物語は始まる。待ち受ける支配人リヴィエールは冷厳な性格の持ち主で、部下に厳しく、時間の遅れや整備不良に対して厳格であった。表面は冷たいが、それは危険な任務を遂行する飛行士を陰から守る、そういった上司であった。案の定ファビアンの操縦するパタゴニア機が暴風雨に遭遇し、何とか脱出しよう雲の上空まで上昇する。燃料が尽き、やがて通信が途絶える。しかしファビアンを失ったリヴィエールは毅然とした態度を保ち続ける。

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(右)1935年
小説『夜間飛行』は1931年に発表されベストセラーになった。1933年にハリウッドが映画化、1934年に公開された。このビデオはそのサマリーである。監督はクラレンス・ブラウン、出演はジョン・バリモア、ヘレン・ヘイズ、クラーク・ゲイブルなどだった。サン=テグジュペリは第二次世界大戦中、志願して北アフリカ戦線の実戦勤務についた。着陸失敗により除隊処分を受けたが、紆余曲折を経て、古巣のオルコントに駐屯する偵察隊に復帰する。対ナチス戦での戦闘体験から書かれ、1942年に出版された小説『戦う操縦士』には「望遠レンズ附きの写真機が、ここ(偵察機)では顕微鏡の役に立つ。人間ではなくて、人間の存在を示す道路や、運河や、列車や、艀船を捕捉するにさえ顕微鏡が必要なのだ。人間に至ってはこの機械の目にさえとまらない。人間は顕微鏡のプレパラトの上に散らばっているのだ。僕は冷静な科学者だ、人間どもの戦争なぞは、僕にとっては、実験室に於ける研究に過ぎない」という印象深い記述がある。1944年7月31日、ナチス部隊のを写真偵察のためボルゴ飛行場から出撃したが、消息を絶った。本書には作家のアンドレ・ジッドが序文を寄せている。「僕は単に勇気があるというだけの男なら、絶対尊敬しないつもりです」と書きながら、哲学者キントンの書から次のような格言を引用している。「恋愛と同じく、人は自分が勇敢だという事実を隠したがる」または、もっと適切に「勇敢な人間は、金持ちがその慈善を隠すと同じく、その行為を隠す。彼らはその行為に変装させるか、でなければそれを詫びたい気分になる」云々。

amazon  サン=テグジュペリ (著) 堀口大学 (訳) 『夜間飛行』(1956年2月)『戦う操縦士』(1956年11月)

2020年2月18日

ロレッタ・リン:カントリー音楽は死んだ

Loretta Lynn performs onstage at Stubbs on March 17, 2016 in Austin, Texas ©Scott Dudelson

カントリー歌手マルティナ・マクブライドのポッドキャストで、ロレッタ・リンが「カントリー音楽は死んだ」と語ったことが話題になっている。ロレッタは1932年4月生まれの87歳。父親はケンタッキー州の炭鉱夫だったが、1970年にリリースされた "Coal Miner's Daughter"(炭鉱夫の娘)が彼女のシグネチャーソングになった。カントリー音楽とポップスとの境界線が曖昧であることに不満を持っているようだ。現在、多くの歌手がポップスやラップを歌に取り入れているが、それはカントリー音楽ではないというのである。実はカントリー音楽の定義はなかなか厄介である。インターネット百科事典ウィキペディア英語版は「アメリカのフォークミュージック(特にアパラチア音楽と西欧音楽)やブルースなどに根ざしたポピュラー音楽のジャンル。その大衆化されたルーツは、1920年代初頭の米国南部に由来する」と説明している。確かにルーツはその通りで、レコードとラジオというメディアによって、1920年代に東南部の伝承音楽が、商業化された新しい音楽だったと思う。その典型が1927年の「ブリストル・セッション」で、OKeh Records の辣腕ディレクター、ラルフ・ピアによって「発見」された、カーター・ファミリーとジミー・ロジャースだった。テネシー州ブリストルがカントリー音楽発祥の地と認証された所以である。しかしこの伝統を受け継いでいるのは狭義のそれであって、現在ではヒップホップ調、ファンク調やドゥーワップ調などのスタイルの曲も跋扈している。時代と言えば時代なのだが、カントリー音楽の神髄が失われ、自らその魅力を喪失させているような気がする。ドキュメンタリー映画のケン・バーンズが編纂したアンソロジー "COUNTRY MUSIC" を聴くと、やはり古い曲に魅力を感じてしまう。カントリー音楽は文字通リ田舎の音楽であり、土の、そして草の香りに私は惹かれる。ロックを聴きたければロックミュージシャンのそれに耳を傾けるのがベストだ。ロレッタ・リンの詠嘆が理解できる。

television  ケン・バーンズ監督ドキュメンタリー作品「カントリー音楽」PBS(米国公共放送)

2020年2月16日

星の王子さまと新型コロナウィルス

Le Petit Prince ©2020 Kianoush Ramezani

新型コロナウィルスの顕微鏡写真をを眺めていたら、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの小説『星の王子さま』(原題 Le Petit Prince 小さな王子)に登場する小惑星が思い浮かんだ。ソーシャルメディア Twitter で検索したところ、イラン人の風刺漫画家で、フランスに亡命中のキアヌーシュ・ラメザニの作品を見つけた。フランスのカトリック系新聞「ラ・クロワ(十字架)」に掲載した作品だそうで「新型コロナウイルスの発生によって人類は新たな課題に直面してい」という説明がついている。これを機会に河野万里子訳『星の王子さま』(新潮文庫2006年)を再読してみた。この本は子どもではなく大人に捧げられている。いや子どもだった大人に捧げられた、全人類への啓蒙書である。小惑星 B612 を出るとき、王子は薔薇の花に最後の水をやり、ガラスの覆いをかけてやろうとした。咳をしていたので心配したのである。「風邪は大したことはないわ…ひんやりした夜風はからだにいいし。わたし、花だもの」と薔薇は断る。「でも獣が…」と食い下がると「蝶々とお友だちになりたかったら、毛虫の二匹や三匹がまんしなくちゃね。とってもきれいなんでしょう。だってほかに誰か訪ねてきてくれるかしら? あなたは遠くに行っちゃうし。大きな獣も、ぜんぜんこわくない。わたしだって、爪があるわ」と薔薇がトゲを見せた。今や人間は咳が心配の的である。ウィルスを撃退するトゲも身に着けていない。体をすっぽり覆って、N95 マスクも突き抜けるウィルスを遮断してくれるガラスが欲しい。

2020年2月14日

浄土を夢見た庶民の願いが石仏に託された

清水寺(京都市東山区清水)

仁王門をくぐり、随求堂の前に出る。石の道標があり、右が舞台がある本堂、左は成就院と矢印が指し示している。観光客の流れは当然のように右に折れて行くが、左に逸れる。すると右手の斜面に突然石像の群れが現れた。大日如来、釈迦如来、阿弥陀如来、千手観音、地蔵菩薩、そして二尊仏とさまざまである。風雪で目鼻の輪郭が乏しくなったものが多く、かなり古いものも含まれているようだ。京都は地蔵信仰が厚い土地である。各町内の大日堂や地蔵堂などに石仏を祀って地蔵盆会を営んできた。ところが明治時代に吹き荒れた廃仏毀釈の嵐によって、その多くが紙屋川や鴨川に捨てられたという。それでは余りにも可哀想というわけで、この清水寺などにも運び込まれたようだ。庶民の信仰の深さが石仏たちを救ったのである。石仏は一般に「お地蔵さん」と呼びがちだが、前述の通り地蔵菩薩だけではなく、さまざまな像が彫られている。これまた当ブログで触れた記憶があるのだが、中世に於いて庶民は墓を造ることができなかった。だからこのような小石仏を彫って死者を弔ったのである。その典型が風葬の地、化野の念仏寺の賽の河原や、蓮台野の上品蓮台寺の境内に集積されている夥しい数の石仏だ。かろうじて残った石仏の凹凸の陰影に、来世に西方浄土を夢見た往時の庶民の願いが、時空を超えて伝わってくる。見上げると、斜面上の木々の間から細く美しい光線が漏れていた。

2020年2月12日

箱舟に戻った鳩はオリーブの葉をくわえていた

Dove Bearing Olive Leaf Returns to Ark, Artist Unknown.

このブログをはじめ、ソーシャルメディア Facebook などのプロフィール写真を、右の画像に変更した。オリジナルは著作権フリーのイラストで、鳩が黒だったので反転、くわえた葉に緑色を施した。この画像を Google のアカウントに使おうとしたら「この写真であなただとわかってもらえますか? 顔を認識できません」というメッセージが返ってきた。でも醜悪な自分の顔よりずっとマシということで登録した。アグネス・チャンが、日本に来たころ、鳩をみて「美味しそう」と言ったという有名なエピソードがある。鳩は中国に限らず、ヨーロッパやエジプトなどでも高級食材だそうだが、日本では鳥獣保護法の対象になっている。そのため、駆除のために殺傷することはもちろん、捕獲したり卵を捨てたりすることも禁止されている。ところで鳩は平和のシンボルとなっているが、これは聖書に由来している。日本聖書協会編「旧約聖書」(1955年)創世記第8章8~12節を引用してみよう。
ノアはまた地のおもてから、水がひいたかどうかを見ようと、彼の所から、鳩を放ったが、鳩は足の裏をとどめる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰ってきた。水がまだ全地のおもてにあったからである。彼は手を伸べて、これを捕え、箱舟の中の彼のもとに引き入れた。それから七日待って再びはとを箱舟から放った。はとは夕方になって彼のもとに帰ってきた。見ると、そのくちばしには、オリブの若葉があった。ノアは地から水がひいたのを知った。さらに七日待ってまた、鳩を放ったところ、もはや彼のもとには帰ってこなかった。
私はクリスチャンではないが、カトリック教会の聖書講座に1年間通ったことがある。旧約聖書は読み物としても面白い。アダムとイブの物語で神はこの世には悪が力を増したと告げる。アダムとイブの息子のカインは弟アベルを殺し人類最初の殺人事件が起きた。その後人間は増えていくが悪がこの世にはびこり神はそれらの悪を洗い流すため大洪水を起こされた。箱舟に戻ってきた鳩が、神の罰である洪水が終わったことを告げた。オリーブの枝を持つ鳩は、神と人間の和解のシンボル。人間が神との和解によって得た世界を共に築いていくという、平和を象徴するシンボルとなったのである。

2020年2月8日

ウィルス対策用消毒液を作る

無水エタノールと精製水

写真後方は市販の手指消毒用スプレーだが、使い切ってしまった。薬局で補充しようと思ったら、マスク同様品切れだった。仕方ないので無水エタノールを使ってウィルス対策用消毒液を作ることにした。無水エタノールも品切れ状態のようだが、カメラのレンズ清浄用の備蓄があったので流用することにした。無水エタノールはそのままだと刺激が強すぎるので水で薄める。水道水は不純物が含まれているので、比較的純粋な精製水を使う。精製水は500cc入りが薬局で100円程度で売っている。作り方は簡単で、無水エタノールの濃度が70~80%になるように薄めるだけである。私は無水エタノール「4」に対し精製水「1」の割合で混ぜ合わせた。

2020年2月6日

片眼を閉じると見えてくる病気がある


昨年の夏、左眼の視力が極端に落ちていることに気づいた。片方の眼が悪くなっていても、ある程度まではもう片方の眼が視野や視力を補い、普段の生活では初期症状に気づかなかったようだ。近所の眼科医で細隙灯顕微鏡による眼底検査と、網膜断層検査したところ黄斑性変性と診断された。放置すると失明する可能性があるという。医師の出身校である京大病院眼科を紹介してくれた。治療法はいろいろあるようだが、VEGF阻害剤による治療を施すことになった。アイリーアという薬剤を眼内に注射することにより、新生血管の増殖や成長を抑制する治療法だという。眼内に注射という説明を聞いてたじろいだが、覚悟を決めた。入院は3日間、2日目に注射したが、麻酔が効いていたので痛みもなく、あっという間に終わった。この処置を毎月1回、三カ月間行い、その後は二カ月に1回となり、現在に至っている。新生血管の増殖や成長を抑制する治療法で、眼の状態を完全に元に戻す治療法は現在ないという実に厄な眼疾患だ。下記サイトで黄斑性変性の発見方法から治療まで、詳しい情報を得ることができる。ただ自己判断は避け、眼科医の扉を叩くことを強く薦めたい。

health 加齢黄斑ドットコム:ノバルティスファーマ社の加齢黄斑変性症についての情報サイト

2020年2月5日

Google ドライブ「バックアップと同期」のアンインストール

アプリケーションのロゴも変更された

ブラウザからアクセスするので Google ドライブのアプリケーションを使ってこなかった。2017年秋に配布された新しい「バックアップと同期」も無視してきたのだが、パソコンのローカルデータや、スマートフォン、カメラ、SD カードなどにあるファイルを Google ドライブへ自動でアップロードツールということに、超遅ればせながら興味を持った。当該サイトからダウンロード、インストールしたら、デスクトップ上のアイコンに同期のマ―ク 同期 が付いた。しかも .temp.drivedownload という名の半透明のアイコンが勝手に現れた。作業ファイルのフォルダーなのでゴミ箱に捨てても再び再登場する。何となく気持ち悪いので、いろいろいじっていたら、今度はこの同期マークがチェック済みマーク チェック に変わった。これはアカン、駄目だ。元に戻すためアプリケーションをアンインストールすることにした。Google ドライブのヘルプファイルによると、同期を完全に停止するには、アカウントからログアウトして次の作業を行うとある。
  1. パソコンでバックアップと同期アイコン Backup and Sync をクリックします。
  2. その他アイコン > [設定] をクリックします。
  3. [設定] をクリックします。
  4. [アカウントの接続を解除] をクリックします。
  5. [接続を解除] をクリックします。
この作業の際、パソコンでバックアップと同期アイコン Backup and Sync の場所が分かり難かったが、タスクバーにあった。バックアップと同期を解除した後も、ファイルは drive.google.com で見つけられので、次にアプリケーションを削除する。手順は[スタート] メニューから [コントロール パネル] を呼び出して[プログラムのアンストール] をクリック。次に[バックアップと同期] のアイコン探してクリックしてお終い。何のことはない、元の木阿弥になった。写真と文書の保存にしか使っていないし、不用なファイルまで自動的にアップロードされては、かえって作業が増えてしまう。便利と思われる機能が、実は便利ではないという教訓を得た。

google  バックアップと同期による Google ドライブのファイルの同期を停止する(ヘルプファイル)

2020年2月3日

閲覧者が 2,000 人を超えた Facebook ページ


ソーシャルメディア Facebook で私が管理しているページ「アメリカンルーツ音楽」の閲覧者が昨日2,000人を超えた。なぜ日本人がアメリカ音楽のページを、と不思議に思う人が多いかもしれない。同サイトには外国人が作っている日本の浮世絵やヲタク文化のページもあるし、そういう意味では別に不思議ではないと思っている。ページを「いいね!」した人の性別と年齢の集計データを見てみよう。ユーザーのプロフィールに記載されている情報に基づいて集計された推定値でである。男女とも65歳以上の高齢者が一番多い。ソーシャルメディアは若者というイメージなので意外だ。利用者が Facebook プロフィールに入力した年齢や性別などのさまざまな要素に基づいて集計されたものだそうである。
管理人が日本人と知った人から「日本語で」というメッセージが届いたが、外国人のほうが多いので、と返信したこともある。国別アクセスのベストテンは次の通りである。( ) 内は人数。
  1. アメリカ (1,309)
  2. 日本 (121)
  3. イギリス (79)
  4. カナダ (51)
  5. イタリア (40)
  6. オーストラリア (39)
  7. フランス (31)
  8. ドイツ (23)
  9. スウェーデン (19)
  10. スペイン (18)
アメリカとイギリス、カナダの英語圏、そして英語を解する人が多いヨーロッパからのアクセスが圧倒的に多いことがお分かりいただけると思う。日本が2番目だが、これは私の Facebook フレンドが含まれているからだと思う。閲覧者が1万を超えるページがざらにあるが、2,000人は2マイルストーン、日本流にいえば距離は違うが、二里塚だと思う。それにしても創設がちょうど1年前の昨年の1月31日だから、この一里塚に達するまで意外と時間がかかったと思う。次のマイルストーンは2,000人だが、さて、いつ達成するだろうか?

2020年2月1日

所得税 2020 確定申告書の作成

分離課税は確定申告書Bを使用

譲渡所得の内訳書
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昨年、不動産を売却したのだが、確定申告の際に「譲渡所得の内訳書(土地・建物用)」が必要だと言う。国税局のサイトから書式をダウンロードしたが、最初のページに「税理士名」という項目があるくらいで、記述に自信がない。売却した土地や建物の所在地からはじまり、その明細、譲渡先、さらにかかった費用を記入。そして譲渡所得金額を計算する。半分ほど記入したところでお手上げ、税務署に相談に行った。さすが専門家、補足していただき、一応完成した。年が明けて、今度はパソコンで「医療費の一覧表」の作成にかかった。ソフトはマイクロソフトの Excel で、これまた国税局のサイトから書式をダウンロードした。保存してあった領収書を元に医療機関名、薬局、費用の分類、価格などを入力する。計算式などを自分で作るわけではないし、電卓も必要ないので、作業は比較的ラクである。滅多に使わないソフトだけど、このために持っているようなものかもしれない。申告書提出の締め切りはまだまだ先だが、いずれせねばならないので、作成することにした。申告書作成コーナーで2018年の保存データを読み込み、まず雑所得金額を入力する。次に分離課税の土地建物等の譲渡所得を入力するのだが、すでに作成した譲渡所得の内訳書の計算結果を画面を見ながら記入した。次に医療費のデータを読み込み、残りは保存データを援用して入力、これで作成はお終い。プリントアウトして税務署に提出した。自宅からインターネットを利用して確定申告、納税ができるシステムに e-Tax がある。税務署に足を運ばなくて済むが、それゆえにパソコンで数字を動かすだけで、確定申告、納税の実感が薄れるような気がする。だから今のところ導入は考えていない。ところで納税引き落としはずいぶん先で、4月21日だそうだ。どうやら私はかなりせっかちな人間らしい。やれやれ。

PDF  国税庁:令和元(2019)年分の確定申告においてご留意いただきたい事項(PDFファイル1.51MB)