2017年12月27日

来年もどぞよろしくお願いいたします

松尾大社(京都市西京区嵐山宮町)

元日に配達してもらうには25日までということで、一週間ほど前に年賀状を投函した。毎年のことだが、通信面は印刷なので、せめてもと思い宛名は万年筆で書いた。例年、干支の図柄は避けてきたが、今年は戌年にちなんで、子どもを災難から守る張子、犬筥(いぬばこ)の写真を使った。写真は今日27日、松尾大社拝殿に飾られただ大絵馬で、高さ3.2メートル、横5.5メートル、重さ90キロもある。大きさを実感していただくため、7歳の坊主に立って貰った。十二支は順序を表す記号であって動物とは関係がないそうだ。人々が暦を覚えやすくするために、身近な動物を割り当てたという説があるようだ。動物のイメージがあるからこそ現代までかろうじて残ったのだが、その顕著な例が年賀状の図柄なのだろう。生まれ年を干支で言いながら、生まれ月は星座というのも、日本的な和洋折衷で面白いと思う。私の場合だったら未年の双子座生まれということになる。ところで松尾大社の大絵馬にもある通り来年は平成30年。2019年4月30日に今上天皇が退位するので、再来年の正月が平成の最後の絵馬になる。昭和がますます遠くなってしまったことに深い感慨を禁じえない。暮もいよいよ押し迫り、残すところあと僅かとなってしまった。それではどうぞ良い年末年始をお過ごしください。


2017年12月26日

安倍首相の Instagram に暗雲が立ち込める

安倍昭恵首相夫人が Instagram に投稿した写真

安倍晋三首相がソーシャルメディア Instagram を開設したそうだ。12月19日、内外情勢調査会で講演し、政権が最重要策として掲げている政策について「地方活性化の鍵はSNSにあります。インスタ映えするとも言われています」と語ったという。参考のため公式アカウントにアクセスしてみたところ、なんと約8万人のフォロワーがついていて驚いた。Instagram には特に興味がないので、その動向を追うつもりはなかった。ところが昭恵夫人が半裸姿の男性が写ってる写真を投稿、これを巡って炎上騒ぎになったことを知り唖然、嫌でも興味を持ってしまった。男性の胸には「アキエ」「古賀」の文字が見える。調べてみたところ、今年1月10日に佐賀市のホテルニューオータニ佐賀で開催された「佐賀県農業法人協会20周年記念式典」の2次会で撮影されたものだった。ふにふにかめゆき氏のツイートによると、左胸の「古賀」は、式典にも出席していた東京のフランス料理店「シェ・イノ」の古賀純二氏で、半裸の男性は伊万里市にある喫茶店の店主だそうである。いわばプライベート空間の写真、自業自得とはいえ、まさか自分の醜態を世に晒されるとは思っていなかっただろう。酒席のバカ騒ぎを暴露された佐賀県農業法人協会も、さぞかし困惑してることだろう。とはいえ相手は式典に招待した首相夫人、苦情を漏らすのが憚れるのだろう。写真はすでに削除されたそうだが、ネット上には「魚拓」がたくさん残っているので、火消しは簡単ではない。地方活性化とは程遠い投稿で、昭恵夫人には社会常識が欠如していると言える。首相も出鼻を挫かれ、慌てているに違いない。投稿はまだひとつだけだが、来年から本腰を入れるつもりだったようだ。ところがいきなりケチがつき、俄に暗雲が立ち込めてしまった。身から出た錆、いや身内から出た錆である。なおプライバシー保護のため写真に「目隠し」を施した。

2017年12月22日

鹿苑寺金閣雪景色撮影異聞

鹿苑寺金閣(京都市北区金閣寺町)

雪景色だから雪が舞ってる最中でも確かに構わない。しかし小やみ、あるいは降りやむシーンも狙ってみようと思ったのはこの写真のせいだ。2005年12月22日は、今日と同じく冬至だった。西陣から衣笠に引っ越してきたばなかりだったが、雪が舞っていたのでコンパクトカメラを抱え、金閣で有名な鹿苑寺を訪れた。今から思えば偶然なのだが、一瞬小ぶりとなり、雲間から柔らかな太陽光線が差した。その一瞬を捉えたものだ。鹿苑寺がある市バスの停留所「金閣寺道」はひとつ北という近距離なので、その後何度か雪が降るとやや高級な一眼レフを持って出かけた。開門時間は午前9時、新聞やテレビのスタッフならこの時間より早く入苑できるが、私にはその資格がない。その日の天候によるが、午前中降り続けるのはごく稀で、屋根の雪がすぐに溶けてしまう。逆に降雪が続いても、背景の樹木に雪がなかったりする。だから未だにこれ以上の写真を撮れていない。

2017年12月17日

風刺画家アーサー・シックの鋭利な眼差し

The New Order by Arthur Szyk 1941 (Courtesy of the Library of Congress)

山本五十六(クリックで拡大)
イラストは画家アーサー・シック(1894–1951)が1941年に出版した「ニューオーダー」の表紙である。骸骨に左足をかけ椅子に座ったナチスのヘルマン・ゲーリング(1893‐1946)、その右肩には国家ファシスト党による一党独裁制を確立したイタリアのベニート・ムッソリーニ(1883-1945)、そして第40代内閣総理大臣兼陸軍大臣の東條英機(1884-1948)が活写されている。シュジクはロシア占領下のポーランド生まれのユダヤ人芸術家で、子どものころから絵画の才能を発揮、6歳のとき中国の清朝末期の義和団の乱(1900年)の絵を描いたという。1918年にポーランドが独立、そしてドイツ革命の影響を受け、詩人ユリアン・トゥヴィム(1894-1953 )との共著に政治的なイラストを寄稿している。1921年にシュジクと家族はフランスに移住、書籍のためのイラストを手がけるようになった。フルカラーのペン画、特に宗教画を見ると、非常に優れた画家であったことが分かる。その才能が世界に知られるようになったは、1940年にアメリカに移住し市民権を得て、戦争の風刺画を描き始めたことだった。シュジクの風刺画にはアドルフ・ヒットラー(1889-1945)が多く登場するが、ユダヤ人ゆえのナチスへの憎悪があったからに違いない。シックはポーランドばかりではなく、フランスやイスラエルでなどで作品展を開催、ヨーロッパで知られるようになったが、なんといてもアメリカでの人気が高いようだ。単に皮肉を仕掛けて揶揄する風刺画ではなく、人物の容貌を誇張することによって印象を増幅させる手法である。しかし残念ながら日本での知名度は低いようだ。右上は1941年12月22日号のタイム誌の表紙で、現地時間の同年12月7日午前7時55分、真珠湾奇襲攻撃を展開した山本五十六(1884-1943)連合艦隊司令長官の肖像画が使われた。日本の侵略者、山本海軍大将、という説明がついている。シックのイラストからはファシズムを憎悪する眼差しを感ずるが、東條英機をはじめ、旧日本軍の要人を容赦なく俎上に載せたため、その風刺画が広く日本に紹介され難かったのかもしれない。

2017年12月13日

吉野源三郎『君たちはどう生きるか』を再読する

大垣書店(京都市北区小山上総町)

書店を覗いてみたら吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫版)が平積みになっていた。帯には125万部と書いてあるが、他の出版社発行分を合わせると相当な数だろう。羽賀翔一の手になるマンガ版も空前の売れ行きのようだ。小学校だったろうか、中学校だったろうか、国語の教科書に一部が掲載されていたのを憶えている。主人公潤一君が「コぺル君」というあだ名がつく冒頭の下りだった。叔父さんと銀座の百貨店の屋上から地上を眺めているうちに心が沈んでしまう。そして「人間て、叔父さん、ほんとに分子だね。僕、今日、ほんとうにそう思っちゃった」と打ち明ける。その晩、叔父さんはノートに書き記す。昔の人は太陽や星が地球のまわりをまわっていると信じていたが、コペルニクスは地球のほうが太陽のまわりをまわっていると考えた。コペルニクス的転回である。つまり「発想や考えを逆転して根本から変えること、変えたことによって新たな道が見出されること」 という教えだが、これを機会に叔父さんは潤一君をコぺル君と呼ぶようになったのである。私にはこの書籍の神髄を語る力量がないので、内容に関するこれ以上の言及は避けたい。ただ1936年に執筆を開始され、それから80年余り経た今、ベストセラーになった今日的意味の大きさを強調しておきたい。岩波文庫版の巻末には、著者の没後追悼の意をこめて丸山真男が書いた「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」が復刻付載されているので、ぜひ手に取って欲しい。なお引退宣言を翻した宮崎駿監督が制作中の新作が、同名であると公表している。「この本が主人公にとって大きな意味を持つという話」だという。公開が待ち遠しい。

amazon  吉野源三郎『君たちはどう生きるか 』(岩波文庫) – 1982/11/16

2017年12月11日

サーロー節子さん2017年ノーベル平和賞記念講演全文


皆さま、この賞をベアトリスとともに、ICAN運動にかかわる類いまれなる全ての人たちを代表して受け取ることは、大変な光栄です。皆さん一人一人が、核兵器の時代を終わらせることは可能であるし、私たちはそれを成し遂げるのだという大いなる希望を与えてくれます。

私は、広島と長崎の原爆投下から生き延びた被爆者の一人としてお話をします。私たち被爆者は、70年以上にわたり、核兵器の完全廃絶のために努力をしてきました。

私たちは、世界中でこの恐ろしい兵器の生産と実験のために被害を受けてきた人々と連帯しています。長く忘れられてきた、ムルロア、インエケル、セミパラチンスク、マラリンガ、ビキニなどの人々と。その土地と海を放射線により汚染され、その体を実験に供され、その文化を永遠に混乱させられた人々と。

私たちは、被害者であることに甘んじていられません。私たちは、世界が大爆発して終わることも、緩慢に毒に侵されていくことも受け入れません。私たちは、大国と呼ばれる国々が私たちを核の夕暮れからさらに核の深夜へと無謀にも導いていこうとする中で、恐れの中でただ無為に座していることを拒みます。私たちは立ち上がったのです。私たちは、私たちが生きる物語を語り始めました。核兵器と人類は共存できない、と。

今日、私は皆さんに、この会場において、広島と長崎で非業の死を遂げた全ての人々の存在を感じていただきたいと思います。皆さんに、私たちの上に、そして私たちのまわりに、25万人の魂の大きな固まりを感じ取っていただきたいと思います。その一人ひとりには名前がありました。一人ひとりが、誰かに愛されていました。彼らの死を無駄にしてはなりません。

米国が最初の核兵器を私の暮らす広島の街に落としたとき、私は13歳でした。私はその朝のことを覚えています。8時15分、私は目をくらます青白い閃光を見ました。私は、宙に浮く感じがしたのを覚えています。

静寂と暗闇の中で意識が戻ったとき、私は、自分が壊れた建物の下で身動きがとれなくなっていることに気がつきました。私は死に直面していることがわかりました。私の同級生たちが「お母さん、助けて。神様、助けてください」と、かすれる声で叫んでいるのが聞こえ始めました。

そのとき突然、私の左肩を触る手があることに気がつきました。その人は「あきらめるな!(がれきを)押し続けろ! 蹴り続けろ! あなたを助けてあげるから。あの隙間から光が入ってくるのが見えるだろう? そこに向かって、なるべく早く、はって行きなさい」と言うのです。私がそこからはい出てみると、崩壊した建物は燃えていました。その建物の中にいた私の同級生のほとんどは、生きたまま焼き殺されていきました。私の周囲全体にはひどい、想像を超えた廃虚がありました。

幽霊のような姿の人たちが、足を引きずりながら行列をなして歩いていきました。恐ろしいまでに傷ついた人々は、血を流し、やけどを負い、黒こげになり、膨れあがっていました。体の一部を失った人たち。肉や皮が体から垂れ下がっている人たち。飛び出た眼球を手に持っている人たち。おなかが裂けて開き、腸が飛び出て垂れ下がっている人たち。人体の焼ける悪臭が、そこら中に蔓延していました。

このように、一発の爆弾で私が愛した街は完全に破壊されました。住民のほとんどは一般市民でしたが、彼らは燃えて灰と化し、蒸発し、黒こげの炭となりました。その中には、私の家族や、351人の同級生もいました。

その後、数週間、数カ月、数年にわたり、何千人もの人たちが、放射線の遅発的な影響によって、次々と不可解な形で亡くなっていきました。今日なお、放射線は被爆者たちの命を奪っています。

広島について思い出すとき、私の頭に最初に浮かぶのは4歳のおい、英治です。彼の小さな体は、何者か判別もできない溶けた肉の塊に変わってしまいました。彼はかすれた声で水を求め続けていましたが、息を引き取り、苦しみから解放されました。

私にとって彼は、世界で今まさに核兵器によって脅されているすべての罪のない子どもたちを代表しています。毎日、毎秒、核兵器は、私たちの愛するすべての人を、私たちの親しむすべての物を、危機にさらしています。私たちは、この異常さをこれ以上、許していてはなりません。

私たち被爆者は、苦しみと、生き残るための、そして灰の中から生き返るための真の闘いを通じて、この世に終わりをもたらす核兵器について世界に警告しなければならないと確信しました。くり返し、私たちは証言をしてきました。

それにもかかわらず、広島と長崎の残虐行為を戦争犯罪と認めない人たちがいます。彼らは、これは「正義の戦争」を終わらせた「よい爆弾」だったというプロパガンダを受け入れています。この神話こそが、今日まで続く悲惨な核軍備競争を導いているのです。

9カ国は、都市全体を燃やし尽くし、地球上の生命を破壊し、この美しい世界を将来世代が暮らしていけないものにすると脅し続けています。核兵器の開発は、国家の偉大さが高まることを表すものではなく、国家が暗黒のふちへと堕落することを表しています。核兵器は必要悪ではなく、絶対悪です。

今年7月7日、世界の圧倒的多数の国々が核兵器禁止条約を投票により採択したとき、私は喜びで感極まりました。かつて人類の最悪のときを目の当たりにした私は、この日、人類の最良のときを目の当たりにしました。私たち被爆者は、72年にわたり、核兵器の禁止を待ち望んできました。これを、核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。

責任ある指導者であるなら、必ずや、この条約に署名するでしょう。そして歴史は、これを拒む者たちを厳しく裁くでしょう。彼らの抽象的な理論は、それが実は大量虐殺に他ならないという現実をもはや隠し通すことができません。「核抑止」なるものは、軍縮を抑止するものでしかないことはもはや明らかです。私たちはもはや、恐怖のキノコ雲の下で生きることはしないのです。

核武装国の政府の皆さんに、そして、「核の傘」なるものの下で共犯者となっている国々の政府の皆さんに申し上げたい。私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい。そして、あなたたちの行動こそ重要であることを知りなさい。あなたたちは皆、人類を危機にさらしている暴力システムに欠かせない一部分なのです。私たちは皆、悪の凡庸さに気づかなければなりません。

世界のすべての国の大統領や首相たちに懇願します。核兵器禁止条約に参加し、核による絶滅の脅威を永遠に除去してください。

私は13歳の少女だったときに、くすぶるがれきの中に捕らえられながら、前に進み続け、光に向かって動き続けました。そして生き残りました。今、私たちの光は核兵器禁止条約です。この会場にいるすべての皆さんと、これを聞いている世界中のすべての皆さんに対して、広島の廃虚の中で私が聞いた言葉をくり返したいと思います。「あきらめるな!(がれきを)押し続けろ! 動き続けろ! 光が見えるだろう? そこに向かってはって行け」

今夜、私たちがオスロの街をたいまつをともして行進するにあたり、核の恐怖の闇夜からお互いを救い出しましょう。どのような障害に直面しようとも、私たちは動き続け、前に進み続け、この光を分かち合い続けます。この光は、この一つの尊い世界が生き続けるための私たちの情熱であり、誓いなのです。

YouTube  Nobel Peace Prize Award ceremony 2017. Norway, Oslo. 10 December 2017. (84 minutes)

2017年12月10日

大谷翔平選手の賢い選択

入団会見で17番のユニフォームを羽織った大谷翔平選手 Photo by ©USA TODAY Sports

米メジャーリーグのエンゼルスへの移籍を決めた大谷翔平選手が12月9日(日本時間10日)、カリフォルニア州アナハイムのエンゼルスタジアムで公開入団会見に臨んだ。いささか野球オンチの私だが、元気を貰える明るいニュースだった。ご存知、大谷選手は「二刀流」で知られる。二刀流は両手で刀または剣を持って戦う剣法で、巌流島で佐々木小次郎と決闘をした宮本武蔵のそれが馴染み深い。英語でもやはり同義の Dual Wield だが、西部劇の二丁拳銃を思い出す。投手と打者を兼任する野球選手を指す英語は Two-Way Player だが、最近では Dual Wield と表現する米メディアもあるようだ。大谷選手がエンジェルスを選んだのは、メジャーリーグでも「二刀流を続けたい」という気持ちだったからという。プロ入りした当初は、二刀流に対し野球関係者からは否定的な意見が多かったが、その後の活躍により次第に認めるようになったようだ。そういえば高校野球では投手で4番打者という選手が結構いる。センスがある選手は本来、投打に優れているのかもしれない。大谷選手が利用したポスティングシステムでは「25歳未満でプロ経験が6年未満の選手」の契約金の上限が抑えられるそうである。今季がプロ選手として5年目。来年オフの移籍であれば多額の契約金を得られる可能性があったのだが、あくまでメジャーリーグ挑戦の夢を早く叶えることに拘ったようである。この辺りが何とも清々しい。ヤンキースを蹴ったのは小気味が良かったし、気候が温暖なアナハイムを本拠地にするエンジェルスを選んだことは賢い選択だったと思う。おっと、これ以上書くとボロが出そうだ。来季開幕後の活躍を期待したい。

YouTube  MLB: Shohei Ohtani Press Conference at Angels Stadium, Anaheim, CA

2017年12月9日

なぜ NHK はスクランブルを導入しないのか

不可解な NHK の受信契約

最高裁が NHK 受信契約の義務規定を「合憲」と判断したニュースが大きな波紋を呼んでいる。私はテレビを見る習慣がないが NHK の受信料に関しては関心を持っている。ネット上での否定的な意見の典型は「契約自由の原則に反している」「NHK の番組を見なくても受信料を払うのはおかしい」というものである。今やテレビの画面は放送を映し出すだけではなく、DVDを見たり、ゲームの端末だったりする。インターネットが生活に浸透、とりわけスマートフォンの普及によって、テレビ放送というメディアは衰退の傾向にある。有料放送を維持しようとするなら、契約者だけが視聴するスクランブル放送に移行することが、もっとも利用者の負担という意味で平等である。これに対しなぜスクランブルを導入しないか、NHK は次の理由を上げている。
  1. NHKは、広く視聴者に負担していただく受信料を財源とする公共放送として、特定の利益や視聴率に左右されず、社会生活の基本となる確かな情報や、豊かな文化を育む多様な番組を、いつでも、どこでも、誰にでも分けへだてなく提供する役割を担っています。
  2. 緊急災害時には大幅に番組編成を変更し、正確な情報を迅速に提供するほか、教育番組や福祉番組、古典芸能番組など、視聴率だけでは計ることの出来ない番組も数多く放送しています。
  3. スクランブルをかけ、受信料を支払わない方に放送番組を視聴できないようにするという方法は一見合理的に見えるが、NHKが担っている役割と矛盾するため、公共放送としては問題があると考えます。
  4. また、スクランブルを導入した場合、どうしても「よく見られる」番組に偏り、内容が画一化していく懸念があり、結果として、視聴者にとって、番組視聴の選択肢が狭まって、放送法がうたう「健全な民主主義の発達」の上でも問題があると考えます。
これらの言い訳はすべて看破できる。例えば公共放送云々だけど、契約は個人の自由になっている電気や、ガス、水道などのライフラインより果たして公共性が高いのだろうか。受信できる設備を設置しただけで契約しなければならないというのは無理がある。また、よく見る番組だけに偏ると、健全な民主主義の発達の上でも問題があるという説明は不可解である。世の中には、中継料に多大な費用を支出している、大相撲や米メジャーリーグを見てない人は多いはずだ。私はニュースと天気予報、国会中継だけでいいと思っている。要するにスクランブルを導入すると収益がダウン、湯水のごとくお金を使えなくなることを恐れているのである。一歩譲って、現在の制度を維持したいなら、せめて経費を抑えて大幅に受信料を値下げすべきじゃないだろうか。

2017年12月7日

戦争の火種を撒き散らす日米首脳の危険


トランプ米大統領は12月6日、エルサレムをイスラエルの首都と認め、テルアビブから在イスラエル米大使館を移転する手続きを開始すると宣言した。東エルサレムには、ユダヤ教徒、キリスト教、イスラーム教の聖地があり、パレスチナ自治政府は東エルサレムを将来の独立国家の首都と位置付けている。いわば「宣戦布告」で世界各国が非難、中東和平がいっそう遠のき、緊張が高まっている。パレスチナ自治政府のアッバス議長は「地域の紛争を宗教戦争にしようとする過激派組織を助長する」とともに、米国が和平プロセスでの役割から「撤退を宣言する」に等しいと演説したという。この件に関し安倍首相の談話はまだないが、米国の動きに同調、テルアビブにある日本大使館を移転する可能性もある。ところで政府は、航空自衛隊の戦闘機に長距離巡航ミサイルを搭載するための調査費を2018年度当初予算案に計上する方針を固めたようだ。問題は射程が長いため「敵基地攻撃能力」としての転用も可能であることだ。第二次世界大戦後の日本で練られている軍事戦略は専守防衛である。従ってこのような攻撃型の保有はこの原則に反する。弾道ミサイルなどが発射される前に敵の基地をたたく敵基地攻撃能力について、政府は「自衛の範囲内」で憲法上可能との立場をとっているようだが、果たしてそうだろうか。安倍首相は先月22日の国会答弁で「国民の命と平和な暮らしを守るため」と検討に含みを持たせた。しかし軍事力を誇示することは紛争の抑止にならず、これは逆に「国民の命と平和な暮らしを破壊」しかねない。ホワイトハウス周辺では「トランプ大統領は病気だ」という診断に与する人が増えているとの報道があるという。上院外交委員会議長は「大統領の奇矯な行動は米国を第三次世界大戦への道に押しやりつつある」という懸念を表明したそうである。安倍首相は前言を簡単に翻すので、ホントに自分の発言を憶えてないのかもしれない。だから実は病気じゃないかとフト思うことがある。いずれにしても似た者同士の日米両首脳は、戦争の火種を撒き散らす危険な存在である。

2017年12月5日

レコードが有名にした砂嵐の写真

Farmer and sons walking in the face of a dust storm. Cimarron, Oklahoma, 1936

Woody Guthrie (New York 1943)
これは Folkways Records から1964年にリリースされた、フォーク歌手ウディ・ガスリー(1912–1967)の「砂嵐のバラード」のジャケットを飾った写真である。撮影したアーサー・ロススタイン(1915-1985)はコロンビア大学を卒業後、写真家のロイ・ストライカー(1893-1975)に誘われて、FSA(農業安定局)の写真記録プロジェクトに加わった。大恐慌時代の農民の生活を撮影することを目的に、フランクリン・D・ルーズベルト大統領(1882-1945)がニューディール政策の効果をアピールするため創設した組織である。エスター・バブリー、マージョリー・コリンズ、マリオン・ポスト・ウォルコット、ゴードン・パークス、ラッセル・リー、ウォーカー・エヴァンス、ジャック・デラノ、ジョン・バション、カール・マイダンス、ドロシア・ラング、ベン・シャーンといった、今から考えると錚々たる名を連ねたチームで、最大の業績はドキュメンタリー写真の礎を築いたことだった。この写真のプリントを所蔵している合衆国議会図書館のサイトには「《砂嵐に向かって歩く農夫と二人の息子》オクラホマ州シマロン(1936年)」という説明がついている。ウディ・ガスリーはボブ・ディランやブルース・スプリングスティーンなどに強い影響を与えたフォーク歌手として名高い。このレコードはウディの最初のアルバムで、フォークソング愛好家に広く浸透している。作家ジョン・スタインベック(1902-1968)は、開墾によって発生した砂嵐により流民となって、オクラホマからカリフォルニアに逃れる一家を描いた小説『怒りの葡萄』を1939年に発表、1940年にピューリッツァー賞を受賞した。ウディはオクラホマ州オキーマに生まれ、14歳の時に母親が他界、17歳で流浪の旅を始めた。農家にこそ生まれなかったが、その生活がスタインベックの小説とオーバーラップする。アラン・ロマックス、ウディ・ガスリー、ピート・シーガー共著の『酷い打撃を受けた人々のための痛烈な歌』にスタインベックは序文を寄せ、ウディについて「彼が歌う歌には甘いものは何もない。しかし聴く人々にとってはそれよりもっと重要なことがある」と書いている。このような背景で生まれたウディのレコードには、FSAプロジェクトの記録写真がマッチする。とりわけロススタインが撮影した砂嵐に見舞われた農夫の写真はぴったりする。ウィキペディア英語版は「おそらくロススタインの最も有名な作品で、砂嵐写真のアイコンのひとつ」と解説しているが、この作品を世に知らしめたのは、ウディのアルバムじゃないかと私は推測している。

YouTube  Dust Bowl Refugee: Woody Guthrie (guitar/harmonica/vocals)

2017年12月3日

木島櫻谷の幻の名画「かりくら」に痺れる

「かりくら」1910(明治43)年 櫻谷文庫蔵

昨日の12月2日、左京区鹿ヶ谷の泉屋博古館に出かけた。今日が木島櫻谷『近代動物画の冒険』展の最終日なので、文字通り駆け込み鑑賞だった。閑静な住宅街にある同館は旧財閥住友家が蒐集した美術品、特に中国古代青銅器を保存展示するために1960年に設立された美術館である。木島櫻谷(このしまおうこく1877-1938)は京都生まれの日本画家。徹底した写生を行い、透徹した自然観照と叙情あふれる画風で、明治後半から昭和初期にかけて活躍した。その画風は京都画壇に伝統的な運筆法を駆使しながら、明治末期からは油絵の技法をも研究した鮮麗な色彩と造形で新境地を開いた。大正末期頃からは南画風の表現に傾き、写実と瀟洒で詩情豊かな画風へと展開していった。今回の展示は得意とした動物画を集めたものである。最も有名な作品は「寒月」(京都市美術館蔵)で、一匹の狐が辺りの様子を窺いながら雪の竹林を歩む姿を描いている。かの夏目漱石が「兎に角屏風にするよりも写真屋の背景にした方が適当な絵である」と酷評した、いわくつきの作品だが、案に相違して文展で高い評価を受け、二等に選ばれている。ライオンを描いた「獅子虎図屏風」(個人蔵)も素晴らしい。緻密な描写だが、実際のライオンをモデルにしたのだろうか。一番印象に残ったのは「かりくら」(櫻谷文庫蔵)である。1910(明治43)年の第4回文展で三等となり、翌年イタリアで開催された羅馬万国美術博に出品後、長らく行方不明とされていた作品だった。没後3年の「大回顧展」に出されることもなく、専門家の間では消失してしまったのだろうと、諦められていたという。ところが2008年に衣笠の櫻谷旧邸で見つかり、修復されて蘇生した、いわば幻の名画である。題名は狩猟場、あるいは狩りの競争を指すが、疾走する狩人が描かれている。人馬一体という言葉があるが、三人の狩人と馬が一つになった、躍動感あふれる作品である。特に馬の描写は見事の一言に尽きる。今年は櫻谷生誕140年にあたり、京都文化博物館でも「木島櫻谷の世界」が12月24日まで開催されている。なお来年には港区六本木の泉屋博古館分館でも生誕140年記念特別展が開かれる。

2017年12月1日

ポインセチアは天然のフォギーフィルターがお似合い

京都府立植物園(京都市左京区下鴨半木町)

師走。京都府立植物園の温室で「ポインセチア展」が始まった。温室は湿度が高く、寒さで冷えたカメラを持ち込むとたちまちレンズが曇ってしまう。そこで真ん中の部分を指で拭い、円環状の天然のフォギーフィルターもどきに仕立てて利用した。カメラは富士フイルムのコンパクトデジタルで、直接レンズに細工した。高級一眼レフで、レンズに触れるのが憚れるなら、保護フィルターを使うほうが良いかもしれない。ポインセチアは、その名がアメリカ合衆国の初代メキシコ公使であったジョエル・ロバーツ・ポインセット(1779-1851)に由来するように、原産は中南米のメキシコである。なぜクリスマスとポインセチアが結びついたのだろうか。一般的には葉の赤が、十字架にかけられたイエズス・キリストの血にたとえられるからと説明されるようだ。西洋ヒイラギもクリスマスに飾られるが、葉はイエズスのいばらの冠、赤い実はイエズスの血を象徴したものだそうである。というわけで赤い色がイエズスの磔刑を連想させるため、この時期に苞葉が真っ赤になるポインセチアが飾りに使われるようになったらしい。北半球は真冬、草花の色が乏しい季節なので、以上のような謂われも何となく納得するが、さらに古い伝説が英語版ウィキペディア "Poinsettia" に載っている。16世紀、イエズスの誕生日に教会にお祝いのお供えをするには余りにも貧しい少女がいた。天使のささやき従って彼女は路傍の雑草を摘んで教会の祭壇の前に置いた。すると深紅色の「花」が雑草から発芽し、美しいポインセチアになったというのである。作り話かもしれないが、クリスマスらしい物語である。