2012年12月1日

遊びは羽根つき凧揚げ独楽回し

懐かしい羽子板  北野天満宮(京都市上京区馬喰町) Fujifilm Finepix X100

手描き金箔の羽子板( 田中彌)
師走。四条通の人形店「田中彌」のショーウィンドウを覗いたら、平安貴族の左義長祭の様子を描いた羽子板が目に飛び込んできた。手描き本金箔の豪華なもので、押絵のものと同様鑑賞用である。押絵羽子板は、明治初期から刺繍縫い取りなど凝ったものが登場し、大正末期に羽子板に使用する金襴、友禅等が織り染められ、上絵の技法が出るに及んで、一段と豪華さを加えるようになったという。無論これは遊戯用ではなく、床飾りあるいは女の子への贈り物である。羽子板は羽つきの道具、だから当初は簡単な絵が描いてあるだけの素朴なものだったが、やがて内裏羽子板が現れた。その後押絵が流行り、江戸後期から当たり狂言を取った役者の羽子板が喜ばれるようになったという。

ところで先月25日、北野天満宮の縁日「天神さん」で素朴な、決して豪華ではないが懐かしい羽子板を見つけた。見入っていたら、子ども時代の正月風景が突然フラッシュバックしてきた。小学校四年の春、一戸建ての家が並ぶ新興住宅街に引っ越したから、その前のことである。公営の共同住宅だったので棟と棟の間に空き地があったし、比較的大きな広っぱもあった。そこで凧揚げや独楽回し、竹馬、面子(めんこ)遊びをしたことが鮮明に想い出される。羽根つきは女の子のものだったが、何度か中に入れて貰って遊んだような記憶がある。羽子板は写真のようなものだったが、真ん中の「ジャックと豆の木」の図柄は記憶にない。一番左の絵は今の少女漫画に見られるキラッキラ星の瞳だが、いつ頃作られたものだろうか? 漫画の歴史を参照すると何か手掛かりが掴めるかもしれない。

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