2019年12月31日

アリソン・クラウスの歌を聴きながら年を越す

Alison Krauss performing "Amazing Grace" on the 2019 National Memorial Day Concert

アリソン・クラウス
大晦日。2020年へのカウントダウンが始まる。日本の政治状況を俯瞰すると、やはりというか、相変わらず残念な年だったと思う。米国のロナルド・トランプはトンデモナイ大統領で、その虚言に世界が振り回された。しかしもっとトンデモナイのが、トランプの太鼓持ちである安倍晋三だ。私はソーシャルメディア FaceBook に「アメリカンルーツ音楽」というページを作っている。今のアメリカの政治に憤りを感ずるが、やはり音楽は別だ。あらゆる意味で敬愛してやまないルーツ音楽の歌姫、アリソン・クラウスの "Amazing Grace" を聴きながら年を越すことにしよう。2019年5月26日、米国議会議事堂の西芝生で、第30回戦没将兵追悼記念式典のコンサートが開催された。米国公共放送サービス(PBS)が放映したが、その録画である。日本の国会議事堂は今や悪の巣窟だが、もしこのようなコンサートなら歓迎である。ただ11月9日に皇居前広場で開催され、芸能アイドルグループ「嵐」が出演した、天皇即位の「国民祭典」のような催事はお断りだが。

2019年12月29日

ねずみ年を子年と書く不思議

マトリョーシカ風ねずみの迎春カード

ご存知 2020 年の干支は子(ね)すなわちねずみが、なぜ「子」なのだろうか。十二支は中国最古の王朝、殷の時代に使われていた。天文学での星の位置や、暦での年や月、時刻などを示すものだが、庶民にも分かるように、戦国時代から漢の時代に動物が当てはめられたそうである。つまりねずみが、元々あった漢字「子」に当てはめられたのだが、なぜそうなったのか不思議である。私の親の世代は「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」(ね、うし、とら…)と空んでいた人が多かったように記憶している。現代でも「ねずみ年生まれ」という風に生年に干支が使われている。近年、干支が前面に出るのが正月で、年賀状の絵柄にわれたり、初詣の絵馬のモチーフになったりする。イラストはロシアの民芸品マトリョーシカ風のねずみの迎春カードで、フリー素材を使って作ってみた。中国と国境を接するロシアでも干支はよく知られている。年末はいつもにも増して、干支モチーフのグッズやカードが増えるのは日本と同じようだ。それでは皆様、どうぞ良いお年を。

2019年12月25日

安倍政権 2019 悪政記録

北野天満宮(京都市上京区馬喰町)

毎月25日は北野天満宮の縁日だが、今年最後のきょうは「終い天神」と呼ばれている。幸いなことに徒歩で行ける距離なので、散歩がてら出かけた。骨董は不案内だし、古着は縁がない。ここでよく古い人形の写真を撮らせてもらったが、骨董羽子板にレンズを向けた。天神さんが終われば、後は大晦日、年越しを待つばかりだ。毎年午前零時過ぎ、この北野天満宮と平野神社に初詣したものだが、今年の元旦は未明に出かけることをやめてしまった。寒さに勝てなくなってしまったからだ。来年は子(ねずみ)年だそうだが、歳を数えずに新春を迎えることにしよう。この1年を振り返り、安倍政権下の日本列島、悪政記録を書き出してしてみた。

1月5日自民党平沢勝栄議員の「LGBT ばかりだと国がつぶれる」発言に批判殺到
11日五輪招致を巡る贈収賄疑惑で JOC 竹田会長を仏当局が捜査へ
22日日露首脳が会談したが打開策提示できず共同声明では交渉の継続のみ発表
2月4日麻生副総理が「子どもを産まなかったほうが問題」発言を即日撤回
6日安倍首相「森羅万象すべて担当している」発言が Twitter トレンド入り
12日安倍首相「悪夢のような民主党政権」に元民主党議員ら応酬
16日安倍首相がトランプ大統領をノーベル平和賞に推薦
26日菅官房長官が「あなたに答える必要はありません」発言に野党反発
3月13日ワンセグ携帯にも NHK 受信料契約の義務ありと最高裁が命じる
25日夫婦別姓を求めた賠償請求訴訟で東京地裁が請求棄却
19日外国名から「ヴ」を排除する法案が全会一致で可決
4月3日自民党塚田一郎国交副大臣が「忖度」発言を陳謝は安倍首相は問題視せず
11日桜田五輪相が失言辞任し後任に鈴木俊一前五輪相
16日新5000円札の津田梅子肖像の反転指摘に菅官房長官は問題ないとの見解
28日日米首脳会談貿易交渉めぐり応酬トランプ大統領が農産品への関税撤廃求める
5月13日日本維新の会の丸山穂高議員が「戦争で北方領土を取り戻すのに賛成か反対か」と発言
6月11日麻生金融相が「老後の金融資産2000万円必要」報告書を受け取らず
29日安倍首相が大阪城にエレベーターを付けたことを「大きなミス」と夕食会で挨拶
30日日本が IWC(国際捕鯨委員会)を脱退し商業捕鯨再開へ
7月1日日本政府が韓国向け半導体材料の輸出規制強化し友好国である「ホワイト国」指定解除
8月3日慰安婦少女像はじめとした愛知県の国際芸術祭展示企画中止へ
15日政府が NHK 受信料について「契約者に支払い義務」との答弁書を閣議決定
17日東京五輪トライアスロン予定地の水質汚染がテストスイマーから不満相次ぐ
25日日米貿易交渉で大枠合意し農産品の関税を TPP 合意水準に引き下げへ
19日河野外相が駐日韓国大使に厳重抗議「極めて無礼」と語気強める
9月17日大阪市が科学的根拠あれば大阪湾での原発処理水放出を受け入れる方針示す
19日東京地裁が原発事故は「津波を予見できたとはいえない」と東電旧経営陣らに無罪判決
23日国連気候変動会議で小泉進次郎環境相の「セクシー」発言が話題呼ぶ
10月25日有権者への金品贈与疑惑で菅原一秀経済産業相が就任1ヶ月で辞任
27日大学入学共通テストの英語試験めぐり萩生田文科大臣の「身の丈」発言を野党追求
31日妻で参院議員の河井案里氏の公選法違反が報じられ河井法相が辞任
11月11日安倍首相の後援会関係者が多数招待された政府主催「桜を見る会」に私物化指摘
20日安倍首相の首相在任期間が通算 2887 日となり憲政史上最長に
21日福井県の職員ら 109 人が元助役から金品受け取ったと県調査委員会が発表
12月4日日米貿易協定が可決・成立し来年1月1日より発効へ
12日和泉首相補佐官に公費使った私的旅行疑惑を菅官房長官は問題ないとの認識示す
17日全国共通テストの記述式問題について文部省が見送り表明
18日元 TBS 記者の山口敬之による性的暴行を訴えた伊藤詩織さんが勝訴
25日IR 参入巡る収賄容疑で東京地検特捜部が自民党の秋元司衆院議員を逮捕 

なによりも気になるのは「桜スキャンダル」である。10月4日に召集された臨時国会は、桜を見る会の問題に終始した。野党は安倍首相に対する不信任決議案を提出できず、首相は一問一答の国会質疑に応じないまま、臨時国会は閉幕した。出席者名簿は野党が追及した日にシュレッダー破棄され、安倍首相の地元後援会の人々を多数招待。さらには、反社会的勢力とみられる人々が出席していたり、会計が不明瞭であることなど、疑惑は山積みで深刻な問題だ。明らかに公選法違反で、潔く退陣すべきだが、どうやら風向きが違うような気もする。安倍晋三にぶら下がっていれば現在の地位を守れると思ってる輩たちが、鬱陶しいことに「安倍4選」を画策している動きがあるからだ。どうやら本人もその気になっていて、悲願である改憲を目論んでいるようだ。

2019年12月18日

テネシー州議会の議事堂にドリー・パートンの胸像

フォレストの胸像の撤去を求める活動家たち(2017年8月)撮影者不詳

フォレストと南軍旗
米国テネシー州ナッシュヴィルの日刊紙 Tennessean の12月10日付電子版によると、州議事会議長で共和党のジェレミー・ファイソン議員(1976-)が、州議会議事堂に設置されているネイサン・ベッドフォード・フォレスト(1821–1877)の胸像を撤去して、誰か他の人の胸像を見たいと言い出したという。フォレストは南軍の退役軍人で、南部連合の奴隷商人だった。南北戦争のピロー砦の戦いで、北軍の武装していない黒人捕虜を虐殺した部隊を率いていた、として戦争犯罪で告発された。また白人至上主義の人種差別秘密結社として悪名高い、クー・クラックス・クラン(KKK)の結成者といわれている。1973年、民主党のダグラス・ヘンリー上院議員(1926–2017)が、議事堂にフォレストの胸像を設置する決議案を提案したが、これは1973年4月13日に通過して、1978年11月5日に設置された。反対運動が起こり、抗議団体が生まれたが、歴史の一部であり、そのままにしておくべきだと発言した。2017年になり、共和党所属のビル・ハスラム知事(1958-)が胸像を撤去するようにと呼び掛けたが、議会に拒否された。

ドリー・パートン
ファイソン議員は、メンフィス出身でアフリカ系米国人の民主党議員 G・A・ハーダウェイ(1954-)に、フォレストの著書を読んだことがあるかと訊かれた。これを機に歴史を探索、フォレストの胸像を撤去すべきだと考えるようになったようだ。そこで白羽の矢を立てたのが、カントリー音楽界の大御所、ナッシュビル在住の国民的人気歌手、ドリー・パートン(1946-)だった。テネシー州セビア郡ピッツマンセンターの貧しい家に生まれ育ったというドリーは『テネシーの山のわが家』(My Tennessee Mountain Home)と 題した歌を作っている。同性愛者コミュニティの支持者であるドリーは、彼女が故郷に建設したテーマパークの「ドリーウッド」で、ファンが非公式に「ゲイの日」を開催したため、KKK に脅迫されたことがあるという。州議会議事堂には7つのアルコーヴ(alcove)があるが、7つが白人の男で埋まっている。だから女性を登用したらどうかという提案だった。マスメディアの問い合わせに対し、ドリーの事務所はコメントを控えているようだ。フォレストの胸像を撤去するには州議会と、歴史委員会の両方による投票が必要になる。提案が採択されれば、民主党議員の発案でできた胸像が、共和党議員の提案で撤去されることになる。民主党はリベラルで、共和党は保守と思い込んでいた私にとって、これはまさにコペルニクス的転回だ。

YouTube  Group Demands Removal Of Nathan Bedford Forrest Bust From State Capitol (Aug. 2017)

2019年12月15日

モノクロ写真のカラー化で蘇ったロマノフ家最後の舞踏会

Princess Zinaida Nikolayevna Yusupova

Empress Alexandra Feodorovna
1903年2月11日から2日間にわたり、サンクトペテルブルクの冬宮(現エルミタージュ美術館)で、帝政ロシア最後の大がかりな仮装舞踏会が開かれた。ロマノフ家即位290周年を記念した、2日間にわたる祝祭だった。初日はコンサートと晩餐会で、仮装舞踏会は2日目に催された。その模様の写真は歴史的遺産として残されたが、アルバム制作のため、コライII世(1868–1918)の皇后、アレクサンドラ・フョードロヴナ(1872–1918)の希望で、サンクトペテルブルクの高名な写真師たちが撮影した。賓客は400人に近く、全員が17世紀ロシアの伝統的な衣装を身に着けたのである。その肖像写真を見ると、撮影技術の素晴らしさに驚嘆する。その一部が Russia Beyond The Headlines に掲載されているが、ジナイダ・ニコラエヴナ・ユスポヴァ公女(1861–1939)の写真が印象的だった。怪僧グリゴリー・ラスプーチン(1869–1916)を暗殺したと言われているフェリックス・ユスポフの母親で、ロシアの名門貴族ユスポフ家の女性相続人だった。彼女が頭にしているのは、ニワトリや雄鳥を意味する、スラヴ語のココシに由来する、ココシニクと呼ばれる頭飾りだ。ココシニクには絹、ビロード、錦などの高価な材料が使われ、真珠、レース、宝石や、金の糸を使った刺繍で装飾されていた。モノクロとカラーの対比写真を掲載したが、大きさを揃えるため、右上のモノクロ写真は、カラー写真を元に、私が画像処理した。2017年6月に「モノクロ写真のカラー化で歴史が生き生きと蘇る」という一文を当ブログに寄せたが、写真のカラー化は時間の境界が突然なくなり、今ある世界じゃないかと錯覚してしまう効果がある。

Guest of Costume Ball, Winter Palace, Saint Petersburg 1903 (Click to Larger Image)
Olga Shirnina
ロマノフ家最後の舞踏会の一連の写真をカラー化したのは、モスクワ教育学外国語研究所の元教授で、ドイツ語翻訳者のオリガ・シルニナである。歴史資料に目を通して衣裳の色などを時代考証、アドビ社の画像処理ソフト Photoshop で作成したという。写真を彩色するのに丸一日かかるそうだが、見事な出来栄えだ。モノクロ写真の彩色に関して、シルニナはアマチュアを自称しているようだが、かなり高度な技術を駆使している。ペテルブルク冬宮の大広間がこれほど荘厳に輝いたことはかつてなく、鏡がこれほど多量の宝石のまばゆい光を映したことは絶えてなかった。その雰囲気をカラー写真が再現している。なお舞踏会の翌1904年、日露戦争が始まり、1905年には第一次ロシア革命が勃発、帝政が崩壊した。さらに1917年には第二次革命が起こる。ニコライII世たちは臨時政府によって自由を奪われ、シベリア西部のトボリスクへ追放された。1918年、エカテリンブルクに移送されたいたニコライII世は、ウラル地区ソビエト執行委員会の命令により、ボリシェビキ軍により射殺された。そして家族全員が皇帝と同様に運命を共にし、帝室は完全に断絶したのだった。ペテルブルクの宮殿での仮装舞踏会が、その後再び開かれることがなかったが、豪華絢爛な衣裳をまとった帝政ロシアの貴族たちが、写真の中に生き続けている。

Large Format Camera  The splendor of the House of Romanov's final ball 1903 (Russia Beyond The Headlines)

2019年12月9日

ジョージ・オーウェル『カタロニア讃歌』『動物農場』『一九八四年』の系譜

ジョージ・オーウェルは1941年8月から1943年11月まで BBC で働いた

岩波文庫(1992年)
ジョージ・オーウェル(1903-1950)は1941年から43年の間にスタッフ番号 9889 としてBBC(英国放送協会)の従業員として勤務した。東洋部インド課のトークプロデューサーで宣伝番組の制作に従事した。1984年にオーウェル自身が作成したトークの原稿や番組台本や書簡などが収録されている『戦争とラジオ―BBC時代』が発見された。これは偶然だが『一九八四年』と重なる。この本には、戦時下の BBC の検閲がどういったものか、ということも書かれている。また『一九八四年』に出てくる、真理省のモデルとされている、ロンドン大学の総合図書館セネット・ハウス・ライブラリー(Senate House Library)の写真も載っている。オーウェルの作品の中で、最も著名な小説『動物農場』(1945年)『一九八四年』(1949年)がこの頃の体験をもとに創造されたことがわかる。1998年から2014年まで「BBCラジオ4」のプレゼンターだった英国人ジャーナリスト、マーク・ローソン(1962-)は「オーウェルの散文の平易、明快さは BBC に従事する前に培われたが、放送に課せられた時間制限と、読者の目と放送の聴取者の耳に引っ掛かるように、言葉と骨組みを簡略化することで完成した」と書いている。その下地になっているのは、ルポルタージュ『カタロニア讃歌』(1938年)ではないだろうか。アーネスト・ヘミングウェイ(1899–1961)の小説は、英語力が多少不足でも、原文でも読めるはずだと言われている。ジャーナリストとしての体験が、平易で簡潔な文章をもたらしてと言うのである。オーウェルの『カタロニア讃歌』はスペイン内戦での人民戦線義勇軍への従軍体験を描いたもので、マルセー・ルドゥレダ(1908–1983)の『ダイヤモンド広場』(1962年)は、夫をアラゴン戦線に送ったものの、主人公は戦場を知らない。一方は外国人ジャーナリストが英語で書き、一方はカタルーニャに生まれ育った作家がカタルーニャ語で書いた。その対照的とも言えそうなスタンスの差が興味深い。

radio
The Real George Orwell: A journey exploring the man Eric Blair and the writer George Orwell (BBC)

2019年12月7日

ヴァイオリンの f 字孔物語

ヴァイオリンの内部 ©2018 エイドリアン・ボルダ

マン・レイ(1924年)
エドワード・ウェストン(1886–1958)のヌード写真集 "Edward Weston: Nudes" のモデルになったカリス・ウィルソン(1914–2009)は、友人の言葉を引用して「この世には3つの完璧な形がある―艇体、ヴァイオリン、女性の体」と書いている。弦楽器はしばしば女性の体に喩えられるが、これをまさに具現化したのが、マン・レイ(1890–1976)の『アングルのヴァイオリン』だろう。これは彼が敬愛していた画家ドミニク・アングル(1780–1867)の裸婦作品『パンソンの浴女』に触発されたと言われている。f 字孔を付け加えたので、ヴァイオリンを連想させる写真に仕上がっている。上の写真はそのヴァイオリンの中を撮影したルーマニアの写真家エイドリアン・ボルダ(1978-)の作品だ。ボルダが住むルーマニアのレギンは、ヴァイオリンの街と言われている。サウンドホールからの光が f の字を投射しているので、ヴァイオリンやチェロの内部と想像がつく。修理中のチェロを開け、8mmの魚眼レンズを装着した Sony NEX-6 で撮影したのがきっかけだったそうだ。しかしこのカメラをヴァイオリンの f 字孔から入れるのは無理であるが、どのように撮影したのか分からない。ところでヴァイオリン属の弦楽器にはどうして f 字孔があるのだろうか。弦を弓で擦って音を出す、いわゆる擦弦楽器の起源に関しては諸説がある。

小さな円から細長く大きな f 字形に進化したサウンドホール(MIT News 2015

アントニオ・ストラディバリ
アジアの騎馬民族によってヨーロッパにもたらされ、各地方の民族楽器として浸透し、その後地域ごとに多種多様な発展をし多くの楽器群が出現したというのが定説のようだ。現在ではフィドル(fiddle)とヴァイオリン(violin)は楽器としては同じものを指すが、フィドルのほうが歴史的には古く、レベック(rebec)あるいはレバブ(rebab)などを経て、ヴィオール属、ヴァイオリン属の楽器に変遷したといわれている。そのヴァイオリンは改良を重ねて徐々に完成されたのではなく、1550年ごろ、突如として、最初から完全な形でイタリアに誕生した。マサチューセッツ工科大学の音響学者と流体力学者は、ボストンのノース・ベネット・ストリート・スクールのヴァイオリン製作者と一緒に、クレモネーゼ時代の数百のヴァイオリンの測定値を分析した。そしてヴァイオリンの音に影響を与える重要な要素は、空気が逃げる f 字型の開口部の形状と、長さであることを突き止めたのである。すなわち開口部が長くなればなるほど音が大きくなる。これは中世のレベックなど、ヴァイオリンの祖先の丸いサウンドホールよりも、音響効率が高いことがわかったのである。イタリアのアントニオ・ストラディバリ(1644-1737)やジュゼッペ・グァルネリ(1698-1744)などの名工が、サウンドホールを細長くし、裏板を厚くしたのは、あらかじめ設計したのではなく、偶然だった可能性があるという。余談ながら、細長い S に駒(bridge)の位置を示す刻みを入れたので、最終的に f 字形になったのではないかと私は推測している。

study  Power efficiency in the violin by Jennifer Chu | MIT News Office | February 10, 2015

2019年12月5日

何度か同じ女の子を追いかけたことさえあった

Edward Weston: Nudes by Charis Wilson (Author) Edward Weston (Photographer) 1977

晶文社(1988年)
写真に関する本を読むのが好きだ。とりわけポール・ヒルおよびトーマス・クーパー著『写真術―21人の巨匠』(晶文社)は近代写真史を考察する上で示唆に富み、座右の一冊と言っても過言ではない。登場するのはマン・レイ、ブラッサイ、アンリ・カルティエ=ブレッソン、アンドレ・ケルテス、ジャック=アンリ・ラルティーグ、ユージン・スミス、イモジェン・カニンガム、ポール・ストランドなど21人。彼らと実際に会い聞き書きしたインタビュー集である。写真との出会いから手法や思想、人生哲学にいたるまで、20世紀写真史の生きた証言集と言っても過言ではない。何よりも一般の歴史書が掬い取れそうもない、エピソードに溢れているのが最大の魅力になっている。ブレッド・ウェストンは父エドワードについて「いつも身近にいて、何年もの間、一緒に旅し、一緒に撮影した。何度か同じ女の子を追いかけたことさえあった」と述懐している。エドワード・ウェストンは私が最も敬愛する写真家のひとりだが、やはりこの下りは興味深い。ウェストンの名声は、たぶんにモデル兼助手となった作家のカリス・ウィルソンの功績が大だと私は想像している。カリスがモデルになったときは、ウェストンは結婚していたが、ふたりは一緒に住むようになる。1939年に出版された『エドワード・ウェストンとカリフォルニアを見る』のテキストはカリスが執筆した。この本によって財政的に救われたウェストンはカリスと結婚する。ウェストンは1958年に他界したが、彼女は写真集1977年に出版された『エドワード・ウェストン・ヌード』に素晴らしい解説文を寄せている。

Imogen Cunningham - Nude (1932)
マン・レイによると、ユジューヌ・アッジェに新式の印画紙でプリントするから乾板を貸して欲しいと頼んだ。ところが「長持ちさせるものではない」と断られる。アッジェのプリントは食塩水で定着、光に晒すと褪色するものだった。というのはいつまでも客に長持ちする写真を持っていては困るという理由だった。マン・レイによれば、アッジェは単純な男で、ほとんど世間知らずだったという。だから「神話を作るつもりはない」と断言している。ウェストンやアンセル・アダムスが結成した「グループf/64」について、イモジェン・カニンガムは「あれはそんなに素晴らしい展覧会ではなかった」と振り返っている。今日、伝説のグループとして名高いが、内部にいたカニンガムは、サンフランシスコで見た作品展を「あんまりいい気分になれなかった」と証言しているのである。斯々然々(かくかくしかじか)で話は尽きない。ところで私は見損なってしまったが、勅使河原宏監督作品『十二人の写真家』と題した映画がある。すでに廃刊になっているが、写真雑誌『フォトアート』創刊6周年を記念して制作された作品で、木村伊兵衛、三木淳、大竹省二、秋山庄太郎、林忠彦、真継不二夫、早田雄二、浜谷浩、稲村隆正、渡辺義雄、田村茂、土門拳の12人の仕事現場を捉えたドキュメンタリーだった。すでに全員が他界しているが、一時代を築いた日本の写真家の証言が、書籍として残されなかったことが惜しまれる。

2019年12月3日

写真作品 note 投稿事始め

写真ブログ「京都フォト通信」を閉鎖し note で作品公開を始めた。同サイトは「文章、写真、イラスト、音楽、映像などの作品を投稿して、クリエイターとユーザをつなぐことができる、まったく新しいタイプのウェブサービス」と位置付けているが、ウィキペディアは「配信サイト」と定義している。欧米では Medium といった、ブログから派生したコンテンツ・プラットフォームがトレンドとなっていたが、tumblr に近いようだ。私の経験では、個人のブログはユーザー獲得が容易ではく、やはり SNS の要素が多少あったほうが良さそうである。ただ note はあくまで作品投稿ツールであり、その点では、例えば日常会話だけでも許される SNS そのものとは違う。私は今のところ写真のタイトルと撮影場所しか記述せず、詳細な説明を省いているので、実に気楽に投稿できる。この点ではブログでもないし、SNS 的な使い方でもない。ブログは記事を書いて検索を待つシステムだが、すでに読者がいる場所にコンテンツを置くのが note である。しかし、すでにブロガーとして知名度のたかいクリーエータならともかく、細々とブログを運営して人は過度な期待をしないほうが良いだろう。画像記事にアップロードした写真は、表示サイズが自動調整される。アップロードした写真の横幅が620pxを超えた場合、横幅が620pxになるようにサイズが全体的に調整される。これは計量化によって表示をスムーズにする措置だと思われる。ただ写真をクリックすると拡大表示されるので、この点は特に気にする必要はないだろう。蛇足ながら私は写真のみだが、動画の他に音声ファイルも投稿できるのも、特長と言って良いだろう。楽曲を販売したいアーティストにおススメだ。ところで note は今年11月25日にサービス URL を 新しい note.com へ移行した。一般的な名詞を使った4文字のドメイン取得は、難易度が高いとされているが、前権利者との1年間にわたる交渉の末、昨年12月に取得したそうである。

2019年11月28日

権利幸福嫌いな安倍晋三に自由湯を飲ませたい

永島春暁『川上の新作 當世穴さがし おっぺけぺー歌』1891年(クリックすると画像拡大

川上音二郎の名は知らなくとも、明治時代に一世風靡した「オッペケペー節」という歌のタイトルを目にしたことがある人が、少なからずいると思う。自由民権運動高揚期に、川上は自らを自由童子と名乗り、自由党壮士として、政府攻撃の演説を行った。1880(明治13)年に、政府は警察の許可無く自由民権運動の集会や、団体の結成を禁止するばかりか、警察が集会を解散させる権限を有する集会条例を制定して、弾圧に乗り出した。そこで大阪の落語家・桂文之助の弟子となり、時局風刺の「おっぺけぺー歌」を作詞、ザンギリ頭に鉢巻、筒袖に陣羽織といった出で立ちで、日の丸の扇子片手に寄席で歌って人気を博した。
権利幸福きらひな人に自由湯をば飲したい
オッペケペ オッペケペッポ-ペッポーポー
堅い上下角とれてマンテルヅボンに人力志や
いきな束髪ボンネット貴女に紳士のいでたちで
外部の飾りりはよいけれど政治の思想が欠乏だ
天地の真理が解らない心に自由の種をまけ
オッペケペ オッペケペッポーポー

米価騰貴の今日に細民困窮省らす
目深に被ふた高帽子金の指輪に金時計
権門貴顕に膝を曲げ藝者たいこに金を蒔き
内には米を倉に積み同胞兄弟見殺しか
幾等慈悲なき慾心も餘り非道な薄情な 
但し冥土の御土産か地獄でゑんまに面會し
わいろ遣ふて極楽へ行けるかえゆけないよ
オッペケペ オッペケペッポーペッポーポー
添田知道著『演歌の明治大正史』(岩波新書)によると、ヤッツケロ節と同巧の、節あってなき朗読調を、いかめしく、生真面目な顔でやることで、おかしみ増すものだったという。川上は寄席で、壮士たちは街頭でこれをやったのである。演歌というと艶歌を連想するが、本来「演説の歌」という意味である。集会条例で街頭演説が禁止されても、歌なら構わないだろうという発想だった。これは讃美歌の旋律を借り、街頭で労働組合運動を展開、フォークソングの礎を築いたジョー・ヒルと酷似している。演歌は民権運動の思想を普及する意図で現れたが、明治から大正にかけて活躍した演歌師としては、添田啞蟬坊が傑出している。「あきらめ節」「虱の旅」などは今日でも通用する内容を持っている。その啞蟬坊の歌を昭和に蘇らせた、高田渡の功績も特筆すべきだろう。それはともかく権利幸福嫌いなファシスト、安倍晋三に自由湯(じゆうとう)を飲ませたい。

YouTube  川上音二郎一座パリ万博公演「オッペケペー節」明治33年(1900)英グラモフォン録音

2019年11月26日

ニール・ヤングが Facebook をブロック


ニール・ヤングの公式サイト Neil Young Archives によると、ソーシャルメディア Facebook を使わないことにしたという。連邦最高裁判所の判事指名に、ブレット・カバノーを後押しした右翼団体のフェデラリスト協会とコミットしたのが理由rたしい。「ソーシャルメディアは、政治の一方または他方に明らかなコミットを行うべきではないと感じています」「報道とメッセージの真実性に関して読者を混乱させている」という主張である。拙ブログのエントリ―「危険なエコーチェンバー現象」で触れたように、もしニュースフィードのアルゴリズムによって表示される記事が、エコーチェンバー現象の要因となるとすれば、その責任は Facebook にある。ソーシャルメディアは、政治的に偏った情報を選択、恣意的に流すことが可能であるからだ。Facebook は10月25日、キュレーションされたニュース記事を表示するタブのテストを米国で開始すると発表した。


フェイク情報の拡散防止に取り組み、より信頼性の高い報道機関の記事を前面に押し出す上で有用な手段となると謳っている。しかしどの報道機関を選ぶかが問題で、極めて危険な胚芽を含んでいる。政権寄りの情報を流す可能性があるからだ。ところでニール・ヤングは米国の市民権申請をしているが、過去のマリファナ使用を理由に、トランプ政権の司法長官が許可を遅らせているようだ。彼はスターバックスもボイコットしている。遺伝子組み換え作物(GMO)の使用を明記する制度を条例化したバーモント州に対して、モンサント社が条例を差し止める訴訟を起こした。この訴訟にスターバックスが加わっているという主張である。これに感化された私はスターバックスに足を踏み入れることをやめた。一方、マーク・ザッカーバーグは、孫正義などと共に、ビル・ゲイツが組織した「画期的エネルギー連合」に名を連ねている。原子炉の研究開発を行っている企業などに資金提供する投資ファンドだ。この点は大いに気になるが、利用しながら Facebook を見守ろうと思っている。それにしても、Microrosoft、Softbank、Facebook、そしてさらに Google、Amazon と、問題の多い米国の IT 関連企業のいずれの網からも逃れられない自分に、忸怩たる思いを禁じ得ない。

2019年11月23日

壮絶な秋に細川ガラシャ夫人を想う

大徳寺高桐院に出かけた。細い敷石道を通り抜け、唐門を右に折れて玄関へ。拝観料を払って庭園に面した縁側に出た。はっと息を飲む。壮絶な秋である。広い庭は一面の苔、そして計算され尽くした楓樹の配置は、なぜか樹木と苔をむしろモノトーンの世界に変質させているようにも見える。目をつぶると、ひらひらと赤い楓、黄色い楓が空を舞っている。やがてそれらは苔の上に舞い降り、絨毯を敷き始める。天空からの光束はあくまで細い。緑の領域は次第に衰微し、赤や黄色が拡散してゆく。この仕掛は誰が考えたものだろうか。時の流れが饒舌と静寂を綾織る世界。そのふたつが混在しているのは、武人にして茶人、細川幽斎の長子忠興の霊がここにまつられているからかも知れない。高桐院は細川家の菩提寺でもあるのだ。本堂西側の縁側に庭を散策するためのスリッパが入った箱があった。庭に降りると一角に細川忠興の墓所があった。

大徳寺高桐院(京都市北区紫野大徳寺町)

忠興とガラシャの墓塔
春日灯篭の墓石は忠興とガラシャのものでもある。ガラシャの最期を三浦綾子は『細川ガラシャ夫人』で次のように描写している。「奥方さま、では、お覚悟を。直ちにわれらこれより御供申しあげまする。しかしながら、このお傍に果てるのは余りにも恐れ多きこと故、われらは玄関にて御供させて頂きまする」「自害は許しませぬ。天主のみもとに行くのは、わたくし一人にとどめますように。では、早う、少斎どの。頼みまする」「奥方ごめん!」 真紅の血がさっと飛び散り、玉子の上体がぐらりと前に傾いたかと思うと、そのまま玉子は床に打ち伏した家臣に首を切らせたという異説もある。ガラシャが自らの意志で散ったのは1600(慶長5年)7月だった。遺骨は大阪の崇禅寺の境内に埋葬されたという。10月、夫である忠興はオルガンチノ神父と相談して盛大なキリスト教式葬儀を行った。忠興が高桐院を建立したのがその翌年になる。この塔頭建立とガラシャとの関係はどうなっているのだろうか。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人の武将の時代は、キリシタンの時代でもあった。キリシタン大名高山右近追放、ガラシャ受洗、キリスト教禁教令、三木パウロ殉教、秀吉の全国統一、家康江戸入城、そして長崎における二十六聖人の殉教と続く。1596(慶長元)年、千利休は秀吉によって自刃に追いやられている。利休の遺志によって灯篭「天下一」は忠興の手に渡った。5年後に建立したこの寺の庭に置いたのは間違いないだろう。この灯篭をもってすぐにガラシャの墓石にしたかどうかは歴史書は寡黙だ。夫人の死後、忠興は83歳で死ぬまで、45年も生きながらえた。亡き夫人を偲んで、生涯再婚はしなかったという。その間に、自らと、そしてガラシャの墓石にこの石灯篭を転嫁させたのだろうか。

小林清親『古今誠画 浮世画類考之内 慶長五年之頃 細川忠興室』(ガラシャ)1885年

茶室「松向軒」(しょうこうけん)
再び私は南庭の苔の前の縁側に立った。明智光秀の謀反によって玉子は一転「逆賊の娘」になってしまった。楓と混在した竹の階調に目をこらした私は、その玉子がなぜガラシャになったか、得も知れぬ興味が湧いてきたのに思わず身震いした。戦国時代を駆け抜けたキリシタンとはいったい何だったのだろうか。再び私は夢を見始めたようだ。あの灯篭はほんとにガラシャの墓石なのだろうか。この禅林は細川家の菩提寺だ。デウスに帰依したガラシャの痕跡はここにあるだろうか。細川家の紋は残っている。しかしここには十字架はない。ただあるのは利休好み、三斎好みの灯篭があるだけだ。宗教はひとつの方向性を持っている。信心がない人間には理解できない。キリシタンの殉教とはなんだったのだろうか。「教会側から言えばすばらしいこの聖女は、俗界側からみると、あまりにも薄幸な女でもあった」と遠藤周作は『切支丹時代』に書いた。信仰は他者に伝え得ないものなのだろうか。玉子の受洗は神の計画だったのだろうか。その自害ともいうべき死も神の計画だったのだろうか。私はそうは思わない。発端は夫である忠興の友人がキリシタン大名高山右近だったからと私は思う。書院の奥に茶室「松向軒」があった。三斎と号したように忠興は利休七哲に数えられる茶人でもあった。茶室の天井から小さな裸電球がぶら下がっている。その明かりを頼りに天井に目を注ぐ。実に質素なたたずまいだ。竹格子の残影が畳に落ちている。忠興はここでひとり静かに玉子を偲んだのだろうか。

2019年11月22日

汚れた手でもてあそぶ改憲論

戦争が死語になる日が待ち遠し

自民党は憲法改定に関する国民投票法改正案の成立について、今国会でも見送る方針を固めた。改憲は安倍晋三の悲願ということで、与党側は今の国会の最重要法案と位置付けているが、会期末まで3週間を切るなかで成立は厳しい情勢となった。安倍晋三は残りの任期が2年を切り、この法案が1年以上も足踏みし、憲法本体の議論に入れていないことに業を煮やしているようだ。2014年には歴史的な憲法解釈の変更を行い、第2次世界大戦以来、初めて自衛隊が海外で戦えるようになった。しかし安倍晋三は憲法9条を改悪し、自らのレガシーを仕上げることまではできないでいるのである。公表された自民党の憲法改正草案には「第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」と恐ろしいことが書いてある。自民党憲法改正推進本部は昨年3月、党本部で地方議員向けの講演会を開き、各党に示すたたき台素案として改憲項目の条文案を公表した。9条改定案も最終的な条文案が示され、戦力不保持を定めた9条2項を維持したうえで、新設しようとしている「9条の2」に
前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
と実力組織として自衛隊を明記した。現憲法下では自衛隊の存在は違憲である。この主張をすると「丸腰でいいのか」という答えが返ってくる。自衛は必要悪だが、国防費を最小限に抑える必要がある。そのためには、現9条を理想と捉え、目標として守るべき道なのである。軍靴の響きは止めなければならない。

PDF
自由民主党日本国憲法改正草案(2012年4月27日)の表示とダウンロード(PDFファイル 768KB)

2019年11月21日

諸説紛々:女の子はピンク男の子はブルー

ミネラルウォーター SULINKA のマッチ棒広告

これはスロバキアの広告代理店 JANDL 社が制作した広告で「胃の火災を防止します。SULINKA を定期的に飲むと、あなたの消化器系の問題を改善します」という意味のコピーがついている。ピンクのマッチ棒は女の子を指し、ブルーは男の子である。服装の好みもこの傾向が、日本のみならず欧米などでも共通してあるようだ。この謎を探るべため、英国ニューカースル大学の神経科学者、アニャ・ハーバートとヤズ・リンは「なぜ女の子はピンク、男の子はブルーを着るのか」という実験を行った。実験は、まず20~26歳の男女206人の被験者を対象に行われた。そのほとんどはコーカサス人(白人)だが、37名は中国人を先祖に持ち、中国で育った人たちだった。被験者に違う色のふたつの長方形が点滅しているパソコンの画面を見てもらい、直観で好きな色の方を選んでもらう。色のスペクトルはレッド系とブルー系のふたつに分けられ、長方形はこのふたつのカテゴリーのどちらかに分類されている。この実験からは、男女共、ブルー系が好きだということがわかった。次にさまざまなな色がまじったものから好きな色を選んでもらうことにした。男は色の好みがさまざまだったのに比べ、女性の好みは青から離れた赤系のスペクトラムに偏る傾向があったという。

ピンク一色の女の子の部屋とブルーの男の子の部屋 @JeongMee Yoon画像をクリックすると拡大します

トイレのピクトグラム
幼い自分の娘がピンクのものばかり欲しがるのを見て、韓国の写真家ユン・ジョンミは「ピンクとブルーのプロジェクト」と名付けた写真撮影プロジェクトを始めたという。10年以上前の話である。「見てもらいたいのは、意識していようがいまいが、子どもたちとその親たちは、広告やポップカルチャーから大きな影響を受けているという点です」とユンは言う。「ブルーは強さと男らしさ、ピンクは愛らしさと女らしさのシンボルになっています」というわけだ。衣服の歴史を研究している米国メリーランド大学教授のジョー・パオレッティによると、色と性別が結びついたのは、それほど古いことではないという。19世紀の欧米諸国では、淡い色彩のパステルカラーが人気で「服の色が性別を示すことはなく、肌をきれいに見せてくれる色が選ばれていました」とパオレッティは言う。性別によって身に着けるものの色合いに違いが出始めたのは20世紀前半で、1940年頃までに、ピンクとブルーがそれぞれ、女性と男性に結びついた色として認識されるようになったようだ。「女の子はピンク男の子はブルー」という傾向に、大きな影響を与えてきたのは米国だとパオレッティは話す。バービー人形やヒーロー映画、子ども向けの商品などによって助長されてきたという。トイレのピクトグラム(絵文字)も女性用がピンクで、男用がブルーである。この色分けをしたのはグラフィックデザイナーの道吉剛で、1964年の東京五輪の際に制作したそうである。トイレのピクトグラムは前からあったが、スコットランドのように、男がスカートを穿く国もあるので色分けすることにしたという。

book  Pink=Girl Blue=Boy: The Relatively Recent History of Gendered Baby Colors by Jason Reid

2019年11月18日

ビル・ゲイツは遺伝子組み換え技術の資金提供者

悪夢の遺伝子組み換え技術に肩入れするビル・ゲイツ

いささか偶然だったけど「ビル・ゲイツが世界中の小規模農家にGMO(遺伝子組み換え作物)を押し付けるキャンペーンに1,500万ドル(約16憶3,000万円)を寄付」という記事が目に止まった。過去4年間にビル&メリンダ・ゲイツ財団が、GMO栽培促進により「世界の飢饉を終わらせる」ことを目標に、ふたつの世界的な運動団体に寄付したという。ひとつは Alliance for Science(科学のための同盟)という組織で、GMOに関する議論を「脱分極」するために2014年に結成された。もうひとつは「2030年までに飢饉ゼロ」という国連の目標を達成できるようにと、2018年に結成された Ceres2030(セレス2030)という組織である。セレスはローマの神話に登場する農業の女神である。いずれもニューヨーク州のコーネル大学に本部を置いている。

アメリカ食品ラベルの読み方

ビル&メリンダ・ゲイツ財団は「アフリカの低収量作物であろうと、ロサンゼルスの低卒業率であろうと、私たちは耳を傾けて学びます」とウェブサイトで主張している。しかし Bioscience Resource Project(生物科学資源プロジェクト)のディレクターであるジョナサン・レイサム博士は、ゲイツ財団がこの目標を達成していないと指摘している。上記「科学のための同盟」は「世界中の農民が気候変動の壊滅的な影響に苦しんでいる。降雨パターンの乱れ、干ばつ、極端な気象現象、害虫の蔓延、植物病害、作物の損失、飢餓。遺伝子工学によって開発されたより良い種子は希望を与えます。しかし、規制の遅れにより、何百万人もの農民がこの命を救う技術にアクセスすることを妨げられている」とGMO推進のキャンペーンを展開しているという。そして何よりも注目すべきは、セレス2030のメンバーがビッグ・アグ(大型農業生産法人)に関わっているという指摘だろう。そのひとりであるコーネル大学教授プラブフ・ピンは、モンサントの役員であるエリック・サックス、および広報担当のベス・アン・マンフォードと深い繋がりがあるという。

news
Food Industry Enlisted Academics in G.M.O. Lobbying War, Emails Show (The New York Times)

2019年11月16日

危険なエコーチェンバー現象


就寝時にネットワーキングをしないことにしている。エコーチェンバー現象によって気が滅入り、眠れなくなる時があるからだ。エコーチェンバーとは音楽録音用の残響室のことだが、エコーチェンバー現象は限られたネット空間の中で同じ意見が反復され、増幅反響する効果を指す。これは同じ意見を持った同類の人々が集まり、信じたいものだけを信じるという危険を孕んでいる。例えばソーシャルメディア Facebook での私の友だちはおおむね安倍晋三に批判的だし、自公政権を支持していない。所謂ネトウヨ(ネット右翼)はいないと考えて良い。それゆえに、同じような心地良い意見がネットの中で反復され、こだまする。閉じたコミュニティのなかで、自分と同じ意見の人々だけの意見交換が繰り返されることで、世の人々の多くが「アベ政治を許さない」と考えてるのではないかと錯覚してしまう。ところが新聞や放送サイトに移動すると「内閣支持47%・不支持35%」といった、世論調査の結果が目に飛び込んでくる。その現実に直面すると、落差に落胆することになる。冷静に考えれば当然考えられることなのだが、どうして錯覚してしまうのだろうか。私見によれば、思考が二極化しているからだと思う。つまり2進法で、1と0だけで、間がないのである。ミレニアム世代の 60% 以上が Facebook を一次情報源として使っているという。この傾向は私たちを分断し、民主主義を破壊している懸念がある。例えば音楽に関して言えば、人々は政治的イデオロギーほど極端な意見を持ったり、二極化したりすることはない。しかし政治的なコンテンツは別である。Facebook で友だちがシェアするニュースに影響を受けるなら、それはユーザーに責任がある。しかし、もしニュースフィードのアルゴリズムによって表示される記事が、エコーチェンバー現象の要因となるとすれば、その責任は Facebook にあるだろう。

PDF  笹原和俊『エコーチェンバーの生成ダイナミクス』の表示とダウンロード(PDFファイル 669KB)

2019年11月12日

グーグル検索1回で7グラムの二酸化炭素排出というが

沈みゆくヴェネツィア:温暖化を警告する彫刻家ロレンソ・クイン制作の巨大な腕

二酸化炭素排出問題で批判されたグーグル
米国は4日、気候変動への国際的な取り組みを決めた2015年の「パリ協定」からの離脱を正式に国連に通告した。これにより世界で唯一、同協定に参加していない国となる。自分で決めたガス排出を減らす目標の取り消しや、発展途上国の対策を助けるための国際基金へお金を出すのをやめると明言したのである。二酸化炭素というと、火力発電所や工場などを想起するが、家庭からも排出されている。10年前、英国のザ・タイムズ紙が「グーグル検索の環境に及ぼす影響」という記事を掲載して話題になった。検索1回につき、7グラムの二酸化炭素を排出する。ヤカン一杯のお湯を沸かすと15グラム。だから2回で同じ排出量になり、明らかに環境に悪影響を与える、という物理学者のアレックス・ウィズナー=グロス博士(ハーバード大学研究員)の主張を取り上げたものだ。なにかと話題を振りまくグーグルだが、これに対する TechCrunch のジェイソン・キンケイド氏の論評が誠に興味深い。要約しながら紹介してみよう。本一冊がおよそ2,500グラムの二酸化炭素に相当するそうで、これはグーグル検索の350倍以上になる。またチーズバーガー1個の二酸化炭素排出量は3,600グラムだそうだ。これはグーグル検索500回以上に相当する。だから、食べるハンバーガーを減らして検索を控えめにすればいい。そうすれば体重も減らせるしと書いている。そしてその先が痛烈である。キンケイド氏は何かを調べるのに車で図書館に行くかわりにグーグルを使ったことは数知れないという。そのたびに車を使えば排出する二酸化酸素は、グーグル検索より桁違いに多いだろうとしている。これは一理あり、その通りだと思う。また乗り換え案内を使い、電車やバスの時刻を調べて車を使わずに済ませたことは何10回もあるという。それに炭素クレジットを買えるサイトを見つけるのにも検索エンジンが役立っているというのだ。

出典:国立環境研究所クリックで拡大
記事について氏が問題にしているのは、事実が誤っているかどうかというのではなく、グーグルに謎に包まれた邪悪な力のレッテルを貼り、みんながグーグルを使うたびに、環境問題を悪化させていると言っていることで、ある意味で人騒がせなアラーミストだという。つまりグーグルが今よりもエネルギー効率を良くする余地があるだろうが、この手の記事が人々にインターネットを敬遠させてしまうことをは恐れているという。ガソリンを大食いするスポーツ用多目的車と違って、インターネットは人々を繋ぎ、人間性を豊かにするものである。ウェブ企業には何をおいてもカーボンニュートラルになって欲しいが、エネルギーに関心のある消費者にブラウザーを怖がらせてはならないという主張である。環境問題は一筋縄で行かない側面があると私は思う。米国地理学会の「ナショナル・ジオグラッフィック」誌によると、地球には今後、数百万年に1度という深刻な氷河期がやってくるという予測結果が判明したという。ところが自動車や発電所から出る二酸化炭素などの温室効果ガスによって温暖化が促進されているため、この氷河期の到来は無期限に延期されているという研究結果があるそうだ。スコットランドのエディンバラ大学のトーマス・J・クローリー教授によると、温暖化が生じていなければ、1万~10万年のうちにカナダ、ヨーロッパ、アジアの大半がいま南極にあるような恒久的な氷床で覆われる可能性があるという。地球温暖化で氷河期が食い止められている、というのは何とも皮肉な話だが、本当なら米国を喜ばす説になるかもしれない。キンケイド氏の論評に戻すと、グロス博士は CO2Stats というベンチャーを共同設立した。これが単なる情報ウェブサイトではなく、営利企業であることをザ・タイムス紙は触れていない。商売がらみの可能性が高い、だから重要な偏見を生む可能性のあるものは、もっと詳しく取り上げるべきだろうと述べている。極めて興味深い記事だったので、かなり衆目を集めたようだが、グーグルが反論したのは言うまでもない。

google  ザ・タイムズ紙の「グーグル検索と二酸化炭素排出の関連性が明らかになった」への反論(英文)

2019年11月3日

オリンピックの腐敗を憂慮したクーベルタン男爵

古代オリンピックの短距離走(メトロポリタン美術館蔵)

オリンピックの起源には諸説ある。ヘラクレスがギリシャ南部のペロポネソス半島のエーリスを攻略、オリンピアにゼウス神殿を建て、4年に1度、競技会を行ったのが始まりというのが、そのひとつである。時代が大きく下った紀元165年、大観衆で埋まったオリンピック会場の近くで、哲学者ペレグリヌス・プロテウスが焼身自殺した。ヘラクレスの神話上の死をモデルにしたもので、人間世界の腐敗した富に対する抗議だったという。紀元前146年にローマがマケドニアを属州としたのを皮切りに、ギリシャはローマの一部と化した。古代オリンピックはギリシア人以外の参加を認めていなかったが、ローマ帝国が支配する地中海全域の国から競技者が参加するようになった。その変質に悲憤したプロテウスは自殺を予告、葬儀場の火炎に身を投げたのである。さらに392年、ローマ帝国のテオドシウス帝がキリスト教を国教と定めたことで、オリンピア信仰を維持することは困難となった。最後の古代オリンピックが開催されたのは、393年の第293回大会だった。

クーベルタン男爵(1925年)
そのオリンピックを再興したのがクーベルタン男爵ピエール・ド・フレディ(1863–1937)だ。1894年に国際オリンピック委員会(IOC)の設立が決定され、1896年にアテネで第1回近代オリンピックが開催された。有名な「オリンピックで重要なことは、勝つことではなく参加することである」は、英米両チームのあからさまな対立により険悪なムードだったロンドン大会(1908年)中の日曜日、礼拝のためにセントポール大寺院に集まった選手を前に、主教が述べた戒めの言葉だった。これを援用してクーベルタンは「勝つことではなく、参加することに意義があるとは、至言である。人生において重要なことは、成功することではなく、努力することである。根本的なことは、征服したかどうかにあるのではなく、よく戦ったかどうかにある」と述べたのである。彼はいわばある種の理想主義者で、オリンピックの出場者は「スポーツによる金銭的な報酬を受けるべきではない」と主張した。しかし現在は、オリンピック憲章から「アマチュア(リズム)」という単語は削除されている。世界的なスポーツ界の流れとしても事実上存在しないに等しい。2020n年東京大会のマラソン会場を巡る騒ぎで露呈したように、昨今のオリンピックの商業主義は目に余るものがある。クーベルタンは1927年に「もし輪廻というものが実際に存在し、100年後にこの世に戻ってきたなら、私は自分が作ったものをすべて破壊することでしょう」と演説した。金にまみれたオリンピックは解体すべきだろう。