2019年10月15日

エチオピア難民の南下ルート物語


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昨年新たに156万人が難民となったエチオピアは世界最大の難民大国だ。南アフリカ、リビア、および中東へのな移民を管理するEU 指令および IOM 行動計画の重点国である。多種類の難民密輸業者とブローカーを非合法化し、彼らのビジネスは地下に潜った。現在、密輸業者、非公式のブローカー、そして難民の国境管理をナビゲートする大規模な組織がある。難民と難民を仲介する人々との関係について解説したこのマンガは、英国サセックス大学国際学部と共同で、風刺画の国際プラットフォーム The Cartoon Movement が制作した。下記リンク先から PDF ファイルをダウンロードできる。

PDF  Stories from the Southern Route of Ethiopian immigrants by Maddo (PDF 4.17MB)

2019年10月13日

過激派組織 ISIS と戦ったクルド人女性戦闘員たち

クルド女性防衛部隊(YPJ)の戦闘員

クルド女性防衛部隊の旗
クルド人民防衛隊 YPG(Yekîneyên Parastina Gel)の写真記録チームが、写真共有サイト Flickr にアカウントを持ってることを最近知った。開設は2013年12月で、現在1,300点余りの写真がアーカイブされている。全てに目を通すには時間がかかりそうなので、拾い読みをしてみたが、目に止まったのはクルド女性防衛隊 YPJ(Yekîneyên Parastina Jin)のそれだった。この民兵集団には現在18歳から40歳までの7,000名の義勇兵である。可憐で美しい若き兵士が銃を手にしている姿を見ると、銃ならぬスマートフォンを手にした、日本の女性たちがいかに平和な世界にいるか痛感する。

2014年9月、過激派組織 ISIS はシリア北部、トルコ国境に接するクルド人の拠点都市コバニ支配を目的に包囲戦を行った。翌年1月、ISIS を迎撃していたクルド人民防衛隊が防衛に成功したが、YPJ の戦闘員たちが重要な役割を果たした。部隊の約40%が女性だったのである。女性の社会参画が進むアメリカでさえ、軍における戦闘任務に女性兵士の参加が解禁されたのは2015年12月のことだった。それはともかくコバニをめぐる攻防は、当時シリア内戦で最も注目される戦いだったのである。女性の社会参画が遅れがちな土地で、クルド人女性が最前線に立った理由は一様ではないようだ。YPJ の場合、その参加は自由意志に基づくもので、強制されたものではなかった。クルド人社会ではアラブ人社会と比べて、イスラームの戒律や男性優位の構造が弱く、これが女性戦闘員登場の一因になったようだ。トランプ米大統領はシリア北東部からアメリカ軍を撤退させるといきなり表明した。YPG を見捨てたわけだが、これによってトルコは10月9日、シリア北東部への軍事作戦を開始し、クルド人戦闘員277人が死亡したと発表した。トルコ政府は、クルド人民防衛隊 YPG をテロ組織と見做している。 YPJ の女性戦闘員たちがどのような状況になっているか気がかりだ。

flickr  Kurdishstruggle: The team of Kurdish Photographers & Fighters on Flickr

2019年10月11日

嘘で塗り固めた安倍政権のプロパガンダ


Shinzō Abe PM of Japan
安倍晋三首相は10月7日の衆院本会議で、立憲民主党の枝野幸男代表による代表質問に答え「アメリカとトウモロコシ購入で約束合意した事実はない」と述べた。しかしロナルド・トランプ大統領は「シンゾーはアメリカのトウモロコシを大量に買ってくれると約束してくれた。中国が買わなかったトウモロコシだ。これはビッグディールだ」と暴露していた。相変わらずだが、森友学園疑惑で「私や妻が関係していたということになれば、これはまさに私は間違いな、く総理大臣も国会議員も辞めるということは、はっきりと申し上げておきたい」という大嘘は忘れられない。嘘つきは泥棒の始まりという諺があるが、平気で嘘をつく彼は、盗みも平気でするようになった。素人外交で血税の浪費を繰り返しているからだ。最近「ハンナ・アーレントが《いかにしてプロパガンダは嘘を使って真実とモラルを蝕むか》解き明かす」という一文を読んだ。そして官房長官を含め、安倍政権は嘘で塗り固めるのがプロパガンダであることに最近気づいた。ハンナ・アーレント(1906-1975)はナチズムが台頭したドイツから、アメリカ合衆国に亡命した、ドイツ出身のユダヤ人哲学者、思想家である。1930年代にアドルフ・ヒットラー(1889–1945)が政権を握ったのは、嘘が真実であると大衆に受け入れられたからだと彼女は解いている。なぜ露骨な嘘をついたのか。それは部下を完全に支配する手段であり、それによって部下たちは誠実さのすべて捨てることになった。これは今の自民党内部の状況に酷似している。安倍晋三に歯向かう議員は皆無に近いのである。ハンナ・アーレントは政治はごまかしのゲームだと言う。そのゲームは言い換えると、ファシズムに繋がることになる。安倍政権はそのゲームを弄んでいる。

2019年10月8日

鳥寄せ小道具でアウトドア気分

英国製釣り用バッグにぶら下げたオーデュボン協会のバードコール

全米オーデュボン協会
通販サイトでアメリカの鳥獣保護団体オーデュボン協会のバードコールを見つけ、懐かしかったので取り寄せた。全長約5cmの小道具で、木筒と金属をこすり合わせると、小鳥の鳴き声が出る。さっそく釣り用バッグにぶら下げてみた。1980年代初頭、私は『週刊朝日』のアウトドア欄のフォトエディターをしていた。どちらかというとインドア派の私だったが、シェラデザインのデイパックを街中で背負い、アウトドア派を気取っていた。今でこそ老若男女、デイバックを背にしているが、何しろ30年以上前の昔、当時としては珍しいファッションだったと思う。バードコールに革ひもをつけ、ペンダントにしていた。試しに鳴らしてみたことはあるが、実際に屋外で鳥寄せをした記憶はない。通販サイトには「アメリカでは100年以上も前から狩猟に使われていた」と説明されている。しかしこれは間違いで、100年以上前というのはヨーロッパの話である。

製作中のロジャー・エディ(1983年)
コネチカット・エクスプロアード誌によると、オーデュボン協会のバードコールは、1952年にコネチカット州のロジャー・エディが発明したという。彼は第二次世界大戦中にイタリアの第10山岳師団に従軍したが、そこで猟師たちが使っていたバードコールを、アメリカに持ち帰ってオーデュボン協会に持ち込んだ。協会は狩猟に使うことには興味を示さなかったが、野鳥観察の道具として採用したようだ。ところで通販サイトのカスタマーレビューに「近所の公園でキュッキュと鳴らしていたら、その音を聞きつけて中年の女性が寄ってきました」「部屋でこっそり鳴らしたら、旦那が嬉しそうにベランダに見に行った」などとあり、吹き出してしまった。私も似たようなもので、アウトドア気分を味わうだけになりそうだ。ここで蘊蓄。小鳥がチッチッチと囀(さえず)ることを英語で Tweet と言うが、これがソーシャルメディア Twitter の語源になった。だから Tweet は「つぶやき」ではなく「囀り」と訳すべきだろう。オーディオの世界では、高音用スピーカーを Tweeter(ツイーター)と呼ぶ。そして低音用は Woofer(ウーファー)だが、こちらは犬の唸り声に由来する。ネーミングの妙に感心する。

2019年10月4日

近代畜産警告書『アニマル・マシーン』の復刻を

かれこれ二十数年前、アイルランド共和国の片田舎で出会った光景だ。牛の群れが道路を塞ぎ、私が乗っていたバスがストップした。よく見ると向こうからやって来た車が何台も止まっている。牛追いの男ふたりが、ゆっくりと放牧を終えた群れを牛舎に誘導しているのだが、家畜優先、車はじっと待つのみであった。牧畜には文字通り、このような牧歌的な雰囲気が連鎖し、時間が緩慢に流れているような気がする。スピードを求めないスローライフこそ、本来あるべき生活様式ではないかと私はイメージしている。

牛追い(アイルランド共和国クレア郡ドゥーリン村)

土佐ジロー(高知県畜産試験場)
栃木県にある宮内庁の御料牧場は、口蹄疫や豚コレラ、鳥インフルエンザなどの伝染病の侵入防止のため、抽選で制限した一般の見学会が行われているが、特別の許可を得て写真撮影をする機会があった。皇室専用の牧場で、さまざまな家畜や家禽が飼育され、牛乳・肉・卵および野菜などの生産を行っている。ここで得られた生産物は皇室の日常の食材、そして宮中晩餐や園遊会などに使われる。この牧場で一番印象に残ってるのが、広い敷地を脱兎のごとく走り回る豚で、その運動量ゆえか身が引き締まり痩せていたことである。狭い豚小屋を連想していた私にとって、その光景はまさに青天の霹靂(へきれき)であった。皇室の食材といえば、キッコーマンの御用蔵のしぼりたて生醤油を思い出す。御料牧場や御用蔵は、食の安全に対し最大級の配慮がなされてることは容易に想像できる。御料牧場のような、放し飼いの家畜といえば、高知県の「土佐ジロー」を思い出す。土佐地鶏とアメリカ原産のロードアイランドレッドをかけ合わせた、一代雑種の鶏だが、広い自然の運動場で飼育されている。このような養鶏法が世間に注目され、支持を受けているのは、自然ではない人工的な空間に、鶏たちが押し込めらている飼育環境が大半であることの証であろう。いわゆるブロイラー養鶏で、日本が最大の輸出国であることを忘れてはならない。

講談社(1979年)
ルース・ハリソン(1920–2000)著『アニマル・マシーン』は工業的畜産とはいったい何だろうか、集約的飼育とはどのようなものだろうかという問いかけを序章に、まずイギリスにおけるブロイラー・チキンの問題点から持論を発進、近代畜産を告発した最初の書となった。原著は1964年にロンドンで初版が発行され、翌1965年にはドイツ語版が出た。続いてオランダ語訳、ノルウェイ語訳、デンマーク語訳、そしてアメリカでも出版された。発売と同時に非常に大きな反響を呼び、ヨーロッパにおける畜産動物福祉の社会的、また法的、そして学問的取り組みを促す原動力となったのである。イギリス政府は科学者による技術諮問機関、ブランベル委員会(Brambell committee)に、家畜の飼育実態と福祉に関する調査を委嘱した。この委員会が、動物福祉の原則として最初の「5つの自由」を提言している。
  1. Freedom from Hunger and Thirst(空腹や渇き、栄養不良に陥らない自由)
  2. Freedom from Discomfort(不快な状態に置かれることのない自由)
  3. Freedom from Pain, Injury or Disease(痛み、危害、病気で苦しまない自由)
  4. Freedom to Express Normal Behaviour(明確で正常な行動を表現できる自由)
  5. Freedom from Fear and Distress(恐怖や苦痛からの自由)
日本では1971~72年に雑誌に抄訳が紹介された。そして本書が日本における初めての完訳出版となった。著者は日本語版への序文で次のように書いている。「私が本書のなかで論じているのは、家畜動物の取り扱いをどうするかの問題だけではない。むしろ私がほんとうに関心をもって論じたのは、私たち自身の生活の質が落ちてきており、これにどう対処すべきか、という点であった。(途中略)本書は動物の受難を扱っている。視力が落ちて見えなくなった目を彼らの受難に向けて、凝っと見て我が身を振り返り考えていただきたい。私たち人間自身もだんだん力が衰えてきたのではなかろうか。人間による人間の扱いの点でもいよいよ冷酷無情になっているのではなかろうか」と。ブロイラー・チキンの問題点を突いた2章に続いて、3章「ニワトリ処理場:<製品>となるための最後の恐怖」4章「ケージ養鶏:ニワトリ<工場>の狂気」5章「ヴィール・カーフ:貧血地獄にあえぐ幼い命」6章「家畜工場のいろいろ:他の動物の場合」7章「“たべもの”の質とは:<食品>ではなくてたべものを!」9章「食品の“質”を問う:毒物の洪水のなかで」と筆を進めている。すなわち「近代畜産」とその生産物の安全性に関し、鋭い警告を放っている。「何かが間違っている」と。

草なんだゾ、このバカ野郎! 食うはずなんだが……忘れたのか?(アニマル・マシーン)

ルース・ハリソン(1997年)
ハリソンは設立当初から土壌協会と自然保護協会の理事であり、王立動物虐待防止協会の活動、および人間の社会福祉活動にもたずさわってきた女性である。本書は「動物工場」の批判書であるが、その真髄は、9章「動物の虐待と法的規制:動物にも苦痛はある」の記述、すなわち家畜の福祉に言及していることだと思う。人間が家畜を飼うようになって以来、屠殺して肉を食べたりその皮革を利用することは当たり前のことだったが、それに対する新たなメスを入れたことだ。上述したようにブランベル委員会勧告により農務省に家畜福祉に関する審議会が設置されることになったわけだが、ハリソンはその委員となり、欧州理事会における動物保護に関する専門家会議の助言者として発言、また米国議会の公聴会で証言するなど、畜産動物の保護のために公的な発言を行った。日本語版への序文は「本書は動物の受難を扱っている。視力が落ちて見えなくなった目を彼らの受難に向けて、凝っと見て我が身を振り返り考えていただきたい。私たち人間自身もだんだん力が衰えてきたのではなかろうか。人間による人間の扱いの点でもいよいよ冷酷無情になっているのではなかろうか」と結んでいる。本書は70年代末から絶版のままである。口蹄疫や豚コレラ、鳥インフルエンザなどの家畜伝染病が猛威を振ってる今日、その問題点を探る上で意味深い一冊ではないだろうか。復刻を望みたい。

2019年10月3日

覚え書き:安倍首相の2013年 IOC 総会における五輪招致演説全文

安倍晋三は五輪招致で大きなウソをついた

2013年9月7日(土)10:30~11:40(日本時間 22:30~23:40)アルゼンチンのブエノスアイレスで開催された IOC 総会における招致演説全文とその日本語訳(首相官邸のアーカイブより

Presentation by Prime Minister Shinzo Abe at the 125th Session of the International Olympic Committee (IOC) Saturday, September 7, 2013

Mister President, distinguished members of the IOC. It would be a tremendous honour for us to host the Games in 2020 in Tokyo - one of the safest cities in the world, now... and in 2020. Some may have concerns about Fukushima. Let me assure you, the situation is under control. It has never done and will never do any damage to Tokyo.I can also say that, from a new stadium that will look like no other to confirmed financing, Tokyo 2020 will offer guaranteed delivery. I am here today with a message that is even more important. We in Japan are true believers in the Olympic Movement. I, myself, am just one example. When I entered college in 1973, I began practicing archery. Can you guess why? The year before, in Munich, archery returned as an Olympic event after a long time.

My love of the Olympic Games was already well-established. When I close my eyes vivid scenes from the Opening Ceremony in Tokyo in 1964 come back to me. Several thousand doves, all set free at once. High up in the deep blue sky, five jet planes making the Olympic rings. All amazing to me, only 10 years old.We in Japan learned that sports connect the world. And sports give an equal chance to everyone. The Olympic spirit also taught us that legacy is not just about buildings, not even about national projects. It is about global vision and investment in people. So, the very next year, Japan made a volunteer organization and began spreading the message of sports far and wide. Young Japanese, as many as three thousand, have worked as sports instructors in over 80 countries to date. And they have touched the hearts of well over a million people through their work. Distinguished members of the IOC, I say that choosing Tokyo 2020 means choosing a new, powerful booster for the Olympic Movement.

Under our new plan, "Sport for Tomorrow," young Japanese will go out into the world in even larger numbers. They will help build schools, bring in equipment, and create sports education programs. And by the time the Olympic torch reaches Tokyo in 2020, they will bring the joy of sports directly to ten million people in over one hundred countries. Choose Tokyo today and you choose a nation that is a passionate, proud, and a strong believer in the Olympic Movement. And which strongly desires to work together with the IOC in order to make the world a better place through the power of sport. We are ready to work with you. Thank you very much.

委員長、ならびにIOC委員の皆様、東京で、この今も、そして2020年を迎えても世界有数の安全な都市、東京で大会を開けますならば、それは私どもにとってこのうえない名誉となるでありましょう。フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません。さらに申し上げます。ほかの、どんな競技場とも似ていない真新しいスタジアムから、確かな財政措置に至るまで、2020年東京大会は、その確実な実行が、確証されたものとなります。けれども私は本日、もっとはるかに重要な、あるメッセージを携えてまいりました。それは、私ども日本人こそは、オリンピック運動を、真に信奉する者たちだということであります。

この私にしてからが、ひとつの好例です。私が大学に入ったのは、1973年、そして始めたのが、アーチェリーでした。一体どうしてだったか、おわかりでしょうか。その前の年、ミュンヘンで、オリンピックの歴史では久方ぶりに、アーチェリーが、オリンピック競技として復活したということがあったのです。つまり私のオリンピックへの愛たるや、そのとき、すでに確固たるものだった。それが、窺えるわけであります。いまも、こうして目を瞑りますと、1964年東京大会開会式の情景が、まざまざと蘇ります。いっせいに放たれた、何千という鳩。紺碧の空高く、5つのジェット機が描いた五輪の輪。何もかも、わずか10歳だった私の、目を見張らせるものでした。スポーツこそは、世界をつなぐ。そして万人に、等しい機会を与えるものがスポーツであると、私たちは学びました。

オリンピックの遺産とは、建築物ばかりをいうのではない。国家を挙げて推進した、あれこれのプロジェクトのことだけいうのでもなくて、それは、グローバルなビジョンをもつことだ、そして、人間への投資をすることだと、オリンピックの精神は私たちに教えました。だからこそ、その翌年です。日本は、ボランティアの組織を拵えました。広く、遠くへと、スポーツのメッセージを送り届ける仕事に乗り出したのです。以来、3000人にも及ぶ日本の若者が、スポーツのインストラクターとして働きます。赴任した先の国は、80を超える数に上ります。働きを通じ、100万を超す人々の、心の琴線に触れたのです。 敬愛するIOC委員の皆様に申し上げます。2020年に東京を選ぶとは、オリンピック運動の、ひとつの新しい、力強い推進力を選ぶことを意味します。

なぜならば、我々が実施しようとしている「スポーツ・フォー・トゥモロー」という新しいプランのもと、日本の若者は、もっとたくさん、世界へ出て行くからです。学校をつくる手助けをするでしょう。スポーツの道具を、提供するでしょう。体育のカリキュラムを、生み出すお手伝いをすることでしょう。やがて、オリンピックの聖火が2020年に東京へやってくるころまでには、彼らはスポーツの悦びを、100を超す国々で、1000万になんなんとする人々へ、直接届けているはずなのです。 きょう、東京を選ぶということ。それはオリンピック運動の信奉者を、情熱と、誇りに満ち、強固な信奉者を、選ぶことにほかなりません。スポーツの力によって、世界をより良い場所にせんとするためIOCとともに働くことを、強くこいねがう、そういう国を選ぶことを意味するのです。みなさんと働く準備が、私たちにはできています。有難うございました。

2019年10月1日

時代祭 2019 日程

巴御前に扮した祇園甲部の里美さん(京都御所)2018年10月22日

今年の時代祭は10月26日に実施される。例年の実施日となる22日に、皇居で新天皇即位の儀式「即位礼正殿の儀」が行われるので、同日となるのを回避する。雨天以外の理由で時代祭が延期されるのは、昭和天皇の京都訪問と重なった1933(昭和8)年以来です。

10月15日(火)13:30 時代祭宣状授与祭
行列の主な参役に選ばれた約500名の平安講社員が平安神宮のご神前に行列の無事執行を祈願し宮司より宣状が一人一人に授与される
15:00 時代祭奉祝踊り足固め
平安神宮境内で揃いの衣装の女性300名による民踊列が披露される
10月20日(日)9:00 鳳輦(ほうれん)祭具の倉出し
時代祭に先立って鳳輦・祭具などが倉から出される
10月21日(月)10:00 時代祭前日祭併献花祭
時代祭の無事執行を祈り献花などが平安神宮で行われる
10月26日(土)7:00 時代祭(雨天順延・当日早朝判断)
総長・奉行が参列し平安講社を代表して総長が祭文を奏上する
8:00 神幸祭
2基の鳳輦に桓武天皇・孝明天皇のご神霊をうつす
9:00 神幸列進発
神幸列が平安神宮を進発し10:00頃に京都御所の行在所に到着する
10:30 行在所祭
崇敬者と市民代表が参列し神饌講社より神饌が献じられ白川女の献花奉仕が行われる
12:00 行列進発
時代行列が京都御所の建礼門前を出発し平安神宮に向かい13時頃には御池寺町に14時頃には平安神宮前で奉祝踊りが披露される
16:00 大極殿祭並還幸祭
全行列が到着したあと鳳輦を大極殿へ奉安し延暦文官参朝列の三位が代表で祭文を奏上し続いて御霊代をご鳳輦より本殿に還して祭典を終了
10月27日(日)10:00 時代祭後日祭
祭典の無事終了を奉告し祭具を片付け格納される
京都観光NAVI  行列の解説や巡行コースなど時代祭詳報(京都市観光協会)

2019年9月28日

ビル・ゲイツの「画期的エネルギー連合」は原発推進ファンド

Bill Gates Wants to Fund Your Energy Breakthrough

2015年、パリで開かれた COP21 で、ビル・ゲイツが "Breakthrough Energy Coalition"(画期的エネルギー連合)の設立を発表した。これ自体は旧聞だが、一躍有名になったスウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリの主張と繋がりそうなので、再考してみた。温室効果ガスの「排出ゼロ」をめざし、ジェフ・ベゾス、リチャード・ブランソン、ジョージ・ソロス、メグ・ホイットマン、マーク・ザッカーバーグ、孫正義など、世界の富豪が新しいエネルギーの研究開発に数千億ドルを出資するファンドである。ゲイツは風力発電と太陽光発電が、二酸化炭素を排出しない未来にある程度の役割を果たすが、化石燃料がますます枯渇する中で世界の稼働を維持するという課題の規模を考えると「多数の異なる手段」を検討する必要があると述べている。今年の5月14日、ブログ Gates Notes に「気候変動を減らすための重要なステップ」という一文を寄せた。
MITの研究者による研究では、原子力および炭素回収貯蔵を含むクリーンエネルギーソリューションを組み合わせて再生可能エネルギーをサポートすると、再生可能エネルギーのみを使用する場合よりも最大62%安く炭素フリーの電力を節約できることがわかりました。原子力はすでに炭素を含まない電力源であり、世界の電力の約10%を生産しています。また、再生可能エネルギーを補完する非常に信頼性の高いクリーンエネルギー源としても機能します。しかし、高コストと安全性の懸念により、原子力発電の成長は鈍化しています。原子力の革新により、より安全で、廃棄物が少なく、低コストの新世代の原子力エネルギーを作り出すことができます。
ビル・ゲイツ「温暖化防止は原発が理想」
ゲイツは進行波炉と呼ばれる、次世代型原子炉の研究開発を行っているワシントン州の TerraPower に投資、筆頭オーナーになった。安全で増殖を防ぎ、ごくわずかな廃棄物しか排出しない原子力イノベーションだそうである。経済新興国で問題になっている、石炭火力による大気汚染を解決するためにも、火力発電を減らすことが重要だ。それには太陽や風力のようなエネルギーだけではだめで、24時間動く原子力が必要だというのが彼の主張である。クリーンエネルギーというのは、日本の原子力発電推進者の決まり文句だったが、ひとたび事故が起こればクリーンどころでないことは、福島の苛酷が立証している。グレタ・トゥーンベリは、地球温暖化、気候変動によって、人類および様々な生物が危険な状況に陥っていることを、改めて世界中の人々に知らしめた。その功績は大きい。しかしそれ故に、環境問題を金儲けに転嫁しようとする企業の「広告塔」として利用される危惧が潜んでいる。ところで元米副大統領のアル・ゴアは「原子力発電は地球温暖化の解決策にはならない」と発言していたが、2007年の連邦議会で「原発には反対しない」と発言、原発容認に豹変した。

ダボス会議:マーク・ベニオフ(左端)のグループ〔2019年1月〕
転向により巨額の環境ビジネスの投資マネーが転がり込んだのだろうということは容易に想像がつく。万が一「異なる手段」の選択を誤ると、地球の破滅に繋がる恐れがあることを忘れてはならない。グレタ・トゥーンベリは環境問題についてゴアと意気投合したようだ。今年の1月、ダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)がスイスのダボスで開催されたが、左の写真は3日目の1月24日に撮影された(左から)マーク・ベニオフ、ジェーン・グドール、ボノ、グレタ、クリスティアナ・フィゲレス、櫻田謙悟、ウィル・アイ・アムで、その繋がりに興味を覚える。ベニオフは2019年7月時点で65億ドルの純資産を持つ、アメリカのインターネット起業家、グドールはイギリスの動物行動学者、霊長類学者、人類学者で国連平和大使、ボノはアイルランドのロックグループ U2 のリーダー、フィゲレスは外交官で環境保護活動家、櫻田は SOMPO ホールディングスの取締役社長、アムはブラック・アイド・ピーズのオリジナルメンバーのラッパーで、慈善活動家である。ベニオフと櫻田以外は経済人ではない。グレタはここでもスター的な扱いを受けたようだ。ボノはかつてこのフォーラムを「雪の中に集う金持ちたち」と皮肉っていたらしいが、何をきっかけに心変わりしたのだろうか、と皮肉りたくなる。いずれにしても、地球温暖化と気候変動は深刻な問題であるが、これが原発ビジネスに利用される可能性があることに注視し、警戒する必要がある。こんなことを書きながら、マイクロソフト、アマゾン、フェイスブック、ソフトバンクと縁が切れない自分が情けない。

nuclear  ビル・ゲイツ "Breakthrough Energy Coalition"(画期的エネルギー連合)の投資家たち

2019年9月26日

グレタ・トゥーンベリ現象を巡るフェイク画像

Fake cover of the "People with Money" magazine

表紙偽造用テンプレート
ストックホルム出身のスウェーデン人環境活動家、グレタ・トゥーンベリの、地球温暖化と気候変動の阻止を求める運動を、面白くないと思ってる人が結構いるようだ。彼女が今月23日にニューヨークの国連本部で行った演説は大きな反響を呼んだ。ところがトランプ大統領に近いテレビ局として知られる米 FOX 番組に、評論家のマイケル・ノウルズがコメンテーターとして登場し、グレタについて「精神的に病んでいる。両親や国際的な左翼に利用されている」などと述べたという。FOX テレビはこの発言を受けて「ノウルズのコメントは不見識なものでした、以後出演させない」と謝罪したようだ。ファクトチェックを行う米国のオンラインサイト Snopes が昨9月25日、「グレタ・トゥーンベリは最高額報酬活動家か?」という興味深い記事を掲載した。それによると、グレタが脚光を浴びたので、ユダヤ人の投資家ジョージ・ソロスとのツーショットなる写真をツイートした輩がいた。ところがそれは前副大統領のアル・ゴアの偽造写真だったのである。さらに ISIS のメンバーと一緒という写真も現れたが、写っている少女は赤の他人だった。極め付きは Mediamass がでっち上げた雑誌 "People with Money" である。なんとグレタの写真が表紙になっている。世界には環境問題などの運動で所得を得るビジネスが存在するが、彼女はその「高額所得活動家」のひとりだというデマ情報である。どの程度インターネットで拡散されたかは不明だが、雑誌自体が存在しないことを知らない人たちは、まんまと騙されたに違いない。驚いたことに、表紙を偽造するためのテンプレートがあることだ。デジタル画像処理技術の向上により、専門家でも見抜けないフェイク画像が、今後も作られてゆくだろう。

WWW
Snopes: The Internet's Definitive Fact-checking site created by David and Barbara Mikkelson in 1994

2019年9月24日

漢字「青條揚翅蝶」を読めますか?

揚翅蝶(アゲハチョウ)と秋桜(コスモス)京都府立植物園

朝日新聞社(2019年)
夏のような日差しが続いているが、用事があって外出した。現像ラボにフィルムを預けっぱなしであることを思い出して寄ってみる。帰り際、民家の軒先の鉢に白い花が咲いているのが目にとまる。植物名を覚えるのが苦手な私でも、これはすぐにわかった。ネコノヒゲだ。漢字混じりに記述すれば、猫の髭、英名は全く同じ意味の cat's whiskers である。和名は英名を模したものかも知れない。というのは素人ながら、多くの植物名が、最近ではラテン語の学名、あるいは英名をそのままカタカナ表記したものが多いような気がするからである。植物名ばかりではなく、現代日本語を席巻しているのが、外来語の表記、しかもこれは前に指摘したように日本特有の短縮表記である。例えば「メタボ」なんて言葉は正直言って最初は分からなかった。メタボリック・シンドロームの尻尾を症候群と書くだけましかもしれない。もっと酷いのはアコースティック・ギターに対する「アコギ」という呼び方。まさに阿漕(あこぎ)の極まりである。同じ漢字圏の中国や台湾は、外来語を今でも漢字表記している。ところが日本はカタカナがあるので、それを安易に使ってしまうきらいがある。無論、適切な翻訳造語が間に合わないという事情もあるだろうが、こと動植物名に関しては新聞社などのメディアにも責任もあるような気がする。新聞社はそれぞれ「用語規定」を持っている。というのは記事の整合性を保つには、バラバラの表記があっては不味いからである。そこで例えば市販されてる『朝日新聞の用語の手引き』の旧版では「動植物名はカタカナ」という規定があった。最近はだいぶ緩和されたようだが、かつては紫陽花(アジサイ)や向日葵(ヒマワリ)、馬酔木(アセビ)などはおろか、桜や梅もカタカナ表記していたのである。

青條揚翅蝶(アオスジアゲハチョウ)
ついでに言えば、画数の多い人名もかつては、長嶋元巨人軍監督を「長島」と表記する乱暴があったし、当用漢字にないものは使えないことが多かった。永井荷風の『濹東奇譚』は「墨東」だと寂しい。それでもちょっとした漢字、例えば「釈迦」や「菩薩」もルビを振らないと使えないことを、新聞にコラムを連載したことで知った。画数の多い人名などが使えるようになったのは、パソコンのワードプロセッサ普及の影響だったと思うし、ルビを振れば制限外の字でも新聞で使えるようになったのは、漢字文化を守る上で評価したいと思う。もっとも画面が狭く、従って極端に短いセンテンスの「ケータイ小説」という名の「ケーハク小説」が一時流行ったことがある。動植物名に話を戻そう。「褄黒豹紋蝶」「黒揚翅蝶」「浅黄斑蝶」「青條揚翅蝶」…これらはいずれもチョウの和名であるが、読めますか? ツマグロヒョウモン、クロアゲハ、アサギマダラ、アオスジアゲハと読む。難解といえば確かに難解だが、先人の英知を感ずる。さらに台湾に残る繁体字を見ると、日本の漢字もさることながら、中国の簡体字に文化の喪失を感じざるを得ない。学習に有利で、識字率アップに貢献していると言われているが、実際の識字率は簡体字の中国本土よりも、繁体字を使う台湾や香港の方が高く、一概には言えないようだ。今さら元に戻すことはできないが。

2019年9月23日

やっと閲覧者が1,000人を超えた Facebook ページ


ソーシャルメディア Facebook で私が管理しているページ「アメリカンルーツ音楽」の閲覧者が昨日1,000人を超えた。なぜ日本人がアメリカ音楽のページを、と不思議に思う人も多いと思う。同サイトには外国人が作ってる日本の浮世絵のページもあるし、そういう意味では別に不思議ではないと思っている。ページを「いいね!」した人の性別と年齢の集計データを見てみよう。ユーザーのプロフィールに記載されている情報に基づいて集計された推定値でである。男女とも65歳以上の高齢者が一番多い。ソーシャルメディアは若者というイメージなので意外だ。高齢者ほど暇なのか、それとも Facebook 特有のユーザー分布を反映しているのだろうか、どうもよく分からない。
管理人が日本人と知った人から「日本語で」というメッセージが届いたが、外国人のほうが多いので、と返信したこともある。国別アクセスのベストテンは次の通りである。( ) 内は人数。
  1. アメリカ(587)
  2. 日本(100)
  3. イギリス(36)
  4. カナダ(25)
  5. イタリア(24)
  6. オーストラリア(24)
  7. フランス(18)
  8. インド(11)
  9. ドイツ(10)
  10. バングラデシュ(10)
イタリアやフランス、バングラデシュなどを除けば、英語圏からのアクセスが圧倒的に多いことがお分かりいただけると思う。閲覧者が1万を超えるページがざらにあるが、1,000人はマイルストーン、日本流にいえば距離は違うが、一里塚だと思う。それにしても創設が今年の1月31日だから、この一里塚に達するまで意外と時間がかかったと思う。次のマイルストーンは2,000人だが、さて、いつ達成するだろうか?

2019年9月22日

地球温暖化風刺画展の主役はモナ・グレタ

Die "Mona Greta" als Ausstellungsplakat von Bernd Pohlenz

政治に対する風刺画はおおむね「批判」を込めたものだが、このポスターに描かれたそれは「称賛」を意味していると言っても良いだろう。肖像画は「モナ・グレタ」と題されているが、スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリの化身であることは容易に分かると思う。ポスターはドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州ドルトムントで、地球温暖化をテーマに開催された国際風刺画展 "Cartoons for Future"(未来のための風刺画)用に制作されたもので、主催者のベルント・ポーレンツ自身が描いたものだ。

Cartoon by Marian Kamensky
過去の催事だが、日本では報道されなかったようなので、ポスターをここに掲載することにした。2018年8月の金曜日、グレタ・トゥーンベリは学校に行く代わりに国会前で座り込み始めた。この行動がソーシャルメディアで広がり、多くの若者が呼応し "Fridays for Future"(未来のための金曜日)と呼ばれるようになった。ドルトムントの学生たちも参加、この "Cartoons for Future" が開催されたのである。ドイツの放送局 Deutsche Well の記事によると「現在4歳の子どもはおそらく次の世紀まで生きるでしょう」と語るポーレンツには4人の孫がいる。彼は世界120か国、3,200人の作家による風刺画30万点近くを有するウェブサイト toonpool の管理者で、その中から展示用に100点選んだという。ぜひ日本でも開催して欲しい。優れた作家がいるのだが、日本のマスメディアは風刺画に関しては冷淡である。頑張っているのは英字紙ジャパン・タイムズくらいだろうか。ネットを徘徊して優れた作品に出会うと、私はソーシャルメディアでシェアするようにしている。まさに「1枚の絵は1,000の言葉に匹敵する」からだ。

2019年9月21日

カントリー音楽の誕生と多様性

Legends of the Early Country Music ©Paul Rogers/New York Times

Country Music Foundation (1991)
インターネット百科事典ウィキペディア英語版はアメリカのカントリー音楽を「1920年代初頭にアメリカ南部で始まった大衆音楽で、ルーツはアメリカの民俗音楽(特にアパラチアの民俗音楽とウェスタン音楽)やブルースなどのジャンルに由来する」と定義している。RCA の傘下にあった Okeh レコードの辣腕ディレクター、ラルフ・ピア(1892–1960)は1923年6月14日、フィドリン・ジョン・カースン(1868–1949)の歌を録音した。ジョージア州ファニン群の農家に生まれ育ったカースンは、すでに55歳になっていたが、7回にわたるジョージア・オールドタイム・フィドラーズ・コンベンションのチャンピオンに輝いていた。レコードは大ヒット、20世紀初頭の全く新しいメディアに乗った最初のカントリー音楽だった。1927年7月25日から、ピアはテネシー州ブリストルで2週間にわたる録音セッションを行った。そしてアーネスト・ストーンマン、カーター・ファミリー、ジミー・ロジャーズなどが「発見」された。南部アパラチア山岳地帯の伝承音楽が商業音楽に変身するきっかけとなった貴重な録音だった。1998年に米国連邦議会がブリストルを「カントリー音楽発祥の地」として承認している。アフリカ系アメリカ人、すなわち黒人奴隷の末裔、そしてヨーロッパからの移民たちの音楽が融合してカントリー音楽が生まれた。

Public Broadcasting Service (2019)
しかしカーター・ファミリーのメイベル(1927–1978)やジミー・ロジャーズ(1897–1933)まどは、いわば伝承音楽の改革者でもあった。9月15日よりアメリカのテレビ局 PBS でオンエアされ始めた、ドキュメンタリー番組 "Country Music - A Film by Ken Burns" が話題になっている。共同制作者のケン・バーンズ(1953-)とデイトン・ダンカン(1949-)が、ニューヨーク・タイムズ紙に "Country Music Is More Diverse Than You Think"(カントリーミュージックはあなたが考えるてるよりも多様です)という興味深い記事を投稿している。初期のカントリー音楽はヒルビリーと呼ばれたが、これはアパラチアやオザークなど、山岳地帯の貧しい人々を指す、偏見に満ちた俗語だった。バーンズは、チャーリー・プライドやレイ・チャールズを例にして、カントリー音楽に対するアフリカ系アメリカ人の影響を強調している。メキシコのミュージシャンとそのスタイルの多大な貢献も、長い間失われていた史実である。カロライナ・チョコレート・ドロップスの創設メンバー、リアノン・ギデンズ(1977-)が映画のナレーターのひとりであることも意義深い。彼女はカントリー音楽を再生しようとしているアーティストの最前線にいるからだ。

2019年9月19日

永井荷風『濹東綺譚』挿絵の寂寥

木村荘八『濹東綺譚』挿絵 8(東京国立近代美術館蔵

永井荷風(1879-1959)の小説『濹東綺譚』は1937年、木村荘八(1893-1958)の挿絵とともに「東京朝日新聞」に連載された後、岩波書店から単行本が刊行された。初版本の復刻版が2001年に出版され、ちょっと食指が動いたが、古書蒐集家でもないし、と自分に言い聞かせて見送った。玉の井の私娼街を描いた詩情豊かな随筆風の小説として、広く知られた名作だが、木村荘八の挿絵も評判を呼んだ。作者の分身と思われる、50代後半の小説家、大江匡が、26歳の玉の井の私娼、お雪と出合う場面は次のように描写されている。
復刻岩波文芸書初版本(2001年)
わたくしは多年の習慣で、傘かさを持たずに門を出ることは滅多にない。いくら晴れてゐても入梅中のことなので、其日も無論傘と風呂敷とだけは手にしてゐたから、さして驚きもせず、靜にひろげる傘の下から空と町のさまとを見ながら歩きかけると、いきなり後方うしろから、「檀那、そこまで入れてつてよ。」といいさま、傘の下に眞白な首を突込んだ女がある。油の匂においで結つたばかりと知られる大きな潰し島田には長目に切った銀糸ぎんしをかけてゐる。わたくしは今方通りがかりに硝子戸を明け放した女髪結の店のあつた事を思出した。
上掲の絵がそのシーンだが、これは東京国立近代美術館のデーターベースから拝借した画像ファイルである。着物の裾を膝まで持ちあげ、露出したお雪の素足が艶めかしい。背景の立て看板に「二十銭ハムライス」、暖簾に「和洋スタンド」とあるのが時代を反映していて興味深い。お雪は宇都宮で芸者をしていたが、お金が必要になり、玉の井にやって来た。大江が「馴れない中は驚いただろう。芸者とはやり方がつがうから。」と問うと「そうではないわ。初めッから承知で来たんだだもの。芸者は掛かりまけがして、借金の抜ける時がないもの。それに……身を落すなら稼ぎが結句徳だもの。」とお雪は答える。胸に迫る言葉だ。原画の寄贈者が木村初枝となっているが、親族だろうと想像する。しかし夫人なのかそれとも娘なのか、具体的な関係がはっきりしないのが不思議だ。木村荘八は挿絵を描くために玉の井に通ったそうだが、私娼街の夜の暗さと共に生きる、女と男の寂寥を見事に描き出している。永井荷風と同じく、東京下町の人情風俗に限りない愛着をよせていた東京人であったのだろう。それにしても私が所有している、岩波文庫の挿絵は余りにも小さく不鮮明だ。今からでも遅くない、やはり復刻初版本を買おうかなという気持ちに傾く。蔵書は断捨離すべき存在、困った性分である。

2019年9月17日

写真家ジョン・コーエンの死を悼む

John Cohen (1932-2019) Courtesy of Rufus Cohen

ソーシャルメディア Facebook を徘徊していたら、サングラスをかけた、ジョン・コーエンの珍しい写真が目に飛び込んできた。何事かと読んでみたら、息子のルーファスによる父親の死の報告だった。16日夕、リビングルームで息を引き取ったという。パソコンのマウスを握っていた手が凍り付いた。
My father John Cohen passed away this evening at home in his living room. David Amram had stopped by and played him Hoagy Carmichael's "Georgia" on the old out-of-tune piano. John was gone a couple of minutes later. Last week he said "Thank you everybody for making me who I was". -- Rufus Cohen
The High Lonesome Sound (1965)
最後の言葉の大意は「私の存在を認めてくれたみんなに感謝」だが、私には辞世の句に映る。親交があったロバート・フランク(1924–2019)が9日に他界したばかりだが、それを駆け足で追うような死であった。コーエンは写真家、映画制作者、音楽家、伝承音楽研究家として、多方面で活躍した才人だった。イェール大学で美術学修士号を取得した後、1950年代後半から1960年代初頭、ニューヨークで花咲いた芸術、文学、音楽のムーブメントに関わった。その業績すべてを列挙できないが、ロバート・フランクの映画 "Pull My Daisy" の制作に加わり、ビートジェネレーションの作品を記録したことは特筆に値するだろう。1958年にマイク・シーガー(1933–2009)トム・ぺイリー(1928–2017)とNLCR(ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ)を結成、古い SP 盤商業音楽レコードをソースに復元演奏、伝承音楽復興運動の一翼を担った。東南部のアパラチアを旅行、ケンタッキー州でロスコー・ホルコム(1912–1981)を「発見」して制作した映画『ハイ・ロンサム・サウンド』は画期的な作品だった。以来、コーエンはさまざまなテーマについて12を超える映画を制作している。写真集 "There Is No Eye: John Cohen Photographs" はペルーのアンデス、伝承音楽の宝庫アパラチア山系、ブルックリンのゴスペル教会、グリニッジビレッジのボブ・ディランやビートニクの文学者たちなど、50年間に撮影された作品の集大成となっている。

The Library of Congress
Treasures from the Archive Roadshow: Featuring the Down Hill Strugglers & John Cohen (LOC)

2019年9月15日

ハイボール 昔の名前で 出ています

ハイボールバー1923(京都市下京区四条通小橋東入る)

煙草はずいぶん昔に止めたが、酒とコーヒーは絶つことができない。日本酒が一番美味しいと思うけど、糖分が気になるので、晩酌はもっぱら焼酎である。沖縄で呑んだ泡盛は例外だけど、焼酎が美味しいと感じたことは余りない。味を誤魔化すため、烏龍茶で割ることが多い。炭酸水といえば、外出した際、ハイボールを嗜むことがある。学校を卒業、赴任地が大阪だったが、先輩が最初に連れていってくれたバーが、堂島の「サンボア」だった。氷無しの角ハイボールが絶妙だったのが今でも思い出される。サントリーの角瓶は高級ウィスキーとは言えないが、あの絶妙さはおそらく、炭酸水との混合比率に秘密があるのだろう。それに加えて温度コント―ロール、すなわちウィスキーと炭酸水、グラスの冷やし加減によるものだと確信する。サンボアは京都にも三店があるが、寺町と木屋町はなぜかサントリー角ではなくニッカウヰスキー竹鶴である。寺町店は創業1918年だから、100年の歴史を持つ老舗だ。先代のマスターが頑固オヤジだったことを思い出す。なにしろつき出しのピーナッツの皮を、床に落とさないと怒られたし、その落とし方まで指図されたものである。昔はカウンターだけのスタンドバーだったけど、客が芸舞妓を連れて来るようになったので椅子を置いた、と語っていたのが懐かしい。ウィキペディア英語版は Highball を「日本で人気がある」と紹介している。その人気ゆえに酒場のメニューに欠かせないし、京都にもハイボール専門のチェーン店が進出している。

WWW ウイスキーと炭酸水の黄金比とは? 極上ハイボールの作り方

2019年9月13日

大判 4x5 フィルムをタコ式で現像する

Taco Method Developing with DIC DSP-1F BK Tank

135から8x10まで揃っていたネオパン ACROS 100
富士フイルムが黒白フィルムの開発を再開し「ネオパン100 ACROS(アクロス)II」をこの秋にリリースするというアナウンスが6月にあったが、その後、具体的な情報がない。10月発売なら、そろそろ発表があってもおかしくないのだが。発売を予定されているのは、135および120の2種類だけである。フィルムの醍醐味は大判ほど顕著だと思うのだが、リストアップされていないのが残念である。デジタルカメラに不向きなジャンルに、ピンホール写真をあげることができる。やや専門的な話になるが、ゾーンプレート写真はレンズレス、すなわちレンズを使わずに結像するという点では、ピンホール写真と共通している。しかしゾーンプレート写真はデジタルカメラでも、それなりにソフトフォーカス効果があって面白いが、私の経験では、ピンホール写真は単にボケるだけで、際立った表現効果を期待できないと思う。やはり受光面積が大きいフィルムの登板が待たれるのである。ピンホール写真は大判ほど効果がある。長時間露光に対する特性が優れているので、ぜひ4x5以上の ACROS を発売して欲しい。

現時点では海外製品に頼ることになるが、イルフォードやコダックのフィルムが比較的入手しやすい。大判4x5黒白フィルムは自家現像がお勧めだ。7年前の2012年に「大判4x5シートフィルムの自家現像」という一文をポストした。JOBO の回転式現像タンクを使った方法だったが、リールにフィルム装填する場合、ミスが起こりがちであった。それにこの現像タンクは入手が困難で、余りお勧めできるものでなかったかもしれない。そこで今回はもっと安価で簡便な方法を紹介したい。ご覧のようにフィルムを輪ゴムで丸めて現像するという方法である。フィルムの形がメキシコのトウモロコシ料理のタコスに似るので、欧米ではこれを Taco Method(タコ式)と呼んでいる。タンクは DIC(旧大日本インキ化学工業)の小型密閉容器 DSP-1F BK で、なんと360円で市販されている。液量は約1,000ccで、1:1の希釈現像するにしても500ccの原液が必要である。図のように回転式にすれば、処理液の量を減らすことができる。なおステンレスタンクが好みの場合は、深さが4インチ強のサイズを探すと良いと思う。

2019年9月11日

巨星ロバート・フランク逝く

Men's Room, Railway Station, Memphis, Tennessee. From "The Americans" 1959

写真家ロバート・フランクの訃報を、昨日10日、CNNやニューヨーク・タイムズなどが一斉に報じた。朝日新聞電子版がニューヨーク・タイムズの記事を引用したが、同紙朝刊の訃報欄にも掲載された。
Robert Frank holds Leica (1954)
ロバート・フランク(米写真家)米紙ニューヨーク・タイムズによると、9日、カナダ・ノバスコシア州で死去、94歳。1924年、スイス生まれ。23歳で米ニューヨークに移住した。米国を横断した際の旅の模様を収め、58年にフランス、翌59年に米国で出版された写真集「The Americans(アメリカ人)」はその後の写真界に大きな影響を与えた。撮影する写真は「映画的」などと評され、一見無造作に見える一方、被写体の特徴をとらえた視点が注目された。
ロバート・フランクは写真愛好家の間では、よく知られた巨星だが、日本人一般には馴染みがあるとは思えない。そういう意味で死亡記事の掲載は、ニューヨーク・タイムズ紙の影響力を痛感する。ローリング・ストーンズ誌電子版は、ライカを手にした若き日のロバート・フランクの写真を掲載、1972年、彼によって監督されたストーンズのドキュメンタリー映画 "Cocksucker Blues" のエピソードを紹介している。飛行機の中での乱痴気騒ぎ、ホテルの部屋の破壊、コカインを吸うミック・ジャガーなどが記録されているという。裁判所命令により上映が禁止されているが、さまざまな海賊版が出回っているようだ。

The New Lost City Ramblers (1959)
ミック・ジャガーはこの作品について、インタビューに答えて「ライブの模様をもっと多く収めてほしかったのに、監督のロバート・フランクが勝手に編集したのが気に入らなかった」と語ったそうである。というわけで、ストーンズのファンの間ではフランクの名が浸透しているようだ。1950年代、フランクはニューヨークに住んでいた作家、画家、その他の写真家とも密接な関係を築いていた。そのひとりが写真家のジョン・コーエンだった。NLCR(ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ)のメンバーだったが、その縁でレコードジャケットのカバー写真を撮影している。ずいぶん昔にフランクの名がクレジットされているのに気づき、驚いたことが思い出される。NLCR は古い SP レコードに記録された伝承民謡を復元演奏したバンドだったが、フランクとの繋がりの意外性、あるいは所以には興味深いものがある。ジャック・ケルアックが写真集 "The Americans" に序文を寄せているが、ビートニクの仲間だったという時代背景に、私は羨望すら覚える。

cinema
The Rolling Stones documentary "Cocksucker Blues" by Robert Frank (Part 1) (Part 2) (Part 3)