2018年11月24日

ボブ・ディランがオートハープを弾いている

Bob Dylan with Mimi and Dick Fariña, 1964. Photo by ©Barry Feinstein

Poster for Bob Dylan at Gerde's Folk City 1961
1964年。フォーク歌手ジョーン・バエズ(1941-)のコンサートの楽屋でボブ・ディラン(1941-)がハモニカを吹きながら、オートハープを弾いている。真ん中の女性はバエズの妹、ミミ(1945–2001)で、右はその夫のディック・ファリーニャ(1937-1966)である。ファリーニャはキューバ人の父とアイルランド人の母の間に、ニューヨークのブルックリンで生まれた。コーネル大学卒業後、詩人やフォーシンガーたちが集まった、グリニッチ・ヴィレッジの居酒屋「ホワイト・ホース・タバーン」に足繁く通い、そこでキャロライン・へスターと(1937-)と出会い、わずか18日後に結婚した。へスターはフォークリバイバル運動の拠点となった、ニューヨークの「ガーズ・フォーク・シティ」の立ち上げに加わったひとりだった。その当時、ケンタッキー州カンバーランドの大学を卒業して、ニューヨークでソーシャルワーカーの仕事をしていた、ジーン・リッチー(1922-2015)と親交を持つ。都会に生まれ育ったディックにとっては、アパラチアに伝承されたバラッドを歌うリッチーとの付き合いは、非常に有益だったようだ。彼女からダルシマーの手ほどきを受けた可能性もある。

Dick Fariña & Eric Von Schmidt (1963)
ところがファリーニャは1962年の春、フランスのシャルトル大聖堂で17歳のミミと出会う。そして翌年の春、ふたりはパリで密かに結婚するのである。1963年1月、ファリーニャはエリック・フォン・シュミット(1931–2007)とロンドンのドーベル・レコード店で録音したが、ボブ・ディランがブラインド・ボーイ・グラントの名をかたってバックアップ・ヴォーカルとハモニカで参加している。ジャグバンド、ブルース、そしてアパラチアの伝承音楽などに根ざした選曲の LP アルバムで、その年にリリースされたが、今ではいわば幻の名盤となっている。1966年にファリーニャがオートバイ事故で他界する。残されたミミはサンフランシスコに移り、歌手、ソングライター、モデル、女優、運動家として活躍する。そして1974年に非営利団体「パンと薔薇」を組織、ピート・シーガーやポール・ウィンター、タジ・マハル、ジュディ・コリンズ、オデッタ、リリー・トムリン、カルロス・サンタナなどの協力を得て、500以上のコンサートを開催した。ところでディランのオートハープだが、デビュー当時の音楽活動はフォークリバイバル運動と不可分の関係だったので、ディック・ファリーニャとの友だち付き合いも自然だし、アパラチアの人々が使ってきた楽器に興味を抱いていただろう、ということは容易に理解できる。そして実はマルチプレーヤーでもあることが知られている。ビューグルやコンガ、キーボードなど、18種類の楽器をこなす才人だ。その多才ぶりに関しては下記リンク先に詳しく解説されている。

WWW The Instruments of Bob Dylan (18 Instruments) – A Great Talent (Need Some Fun)

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