仲源寺本尊地蔵菩薩坐像(京都市東山区四条通大和大路東入る)
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起き上がりミニ達磨 |
京都の祇園、南座の少し東にある仲源寺、通称目疾(めやみ)地蔵に寄ってみた。繁華街のど真ん中だが、桃山時代の唐門が歩道を覆うアーケードの屋根に隠れているので、うっかり見落とす人がいるようだ。ふだんは本堂の延命地蔵菩薩坐像の前に格子戸があるが、節分の季節になれば明け放たれる。木箱には一年間、各家庭に置かれていた無病息災祈願の小さな起き上がり達磨人形が返納され、人々は次々に新しい達磨を求めて行く。寺務所でいただいた参拝の栞には、大正時代に第21世説阿快善住職が記した目疾地蔵の略縁起が復刻されている。安貞二年(1228)の暴風雨で鴨川が氾濫したが、四条河原にあった小堂の地蔵菩薩のお陰で、溺れかかった人が水面に浮かび上った。そして「中原」の傍らに人と水を添えて「仲源寺」と名付けたという。以来人々は「雨止(あめやみ)地蔵」と呼ぶようになったという。
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無病息災祈願 |
この地蔵を熱心に信仰する宗円、妙昌という老夫婦が錦小路にいた。宗円が眼を患い盲目となった。ところが夢の中に地蔵が出てきて、身代わりになって病の苦しみを救ってくれるという。妙昌が仲源寺の水を汲んで目を洗うと視力が快復した。ところがその代わりに地蔵の目が赤くなってしまった。その跡が今でもあり、人々は「目疾(めやみ)地蔵」と称するにようになった。「あ」の一字が取れて地蔵の名が転じたという伝説である。医学が発達した現代だが、さまざまな眼病に悩む人たちの参拝が絶えないという。境内の一角の祠に千羽鶴が吊ってあった。病気快癒の願いが託されているのだろう。冷たい風が通り抜け、鶴たちが大きく揺れた。翼が羽ばたき、今にも飛び立ちそうに見えた。四条通の喧騒に戻り、振り返って唐門を見上げると、扁額に「雨奇晴好」とあった。雨もよし、晴れるもよし。人生は必ずしも順調ではない。しかし悲運、逆境にひしがれていては駄目だと諭したものだろう。
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