Dan Bryant (1833–1875) ca. mid-1800s
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Banjo built by William Boucher Jr., Baltimore Maryland, 1845 |
ウェブサイト
"Minstrel Banjo" に掲載されているミンストレル芸人、
ダン・ブライアント(1833–1875)の写真である。撮影年月の記述はないが、ブライアントがブロードウェイで初演をしたのが1857年だから、その前後だと思われる。注目すべきは、瓢箪バンジョーを手にしていることである。1785~1795年ごろに描かれた、サウスカロライナ州の農園で踊る奴隷の水彩画に、瓢箪バンジョーが描かれているが、それがそのままミンストレルに使われた証拠として興味深い。ミンストレルは黒塗りメイクの白人が演ずるショーだったが、黒人の楽器だったバンジョーを使ったのが特長だった。ミンストレルにバンジョーを取り入れたのは
ジョエル・スウィーニー(1810-1860)と言われている。瓢箪ではなく木製の円形リムに皮を張った、今のバンジョーに近い楽器だった。1847年の「スウィーニーズ・ヴァージニア・メロディー」に描かれているが、姪のために作ったものという説もあるようだ。その真偽はともかく、
ウイリアム・バウチャー(1822–1899)が1845年に製作したバンドジョーを使ったようだ。
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Earl Scruggs (1924–2012) |
これは現在
メトロポリタン美術館に保存されている。バウチャーはドイツ出身だったが、メリーランド州ボルチモアでドラム製造業を営んでいた。ギター製作家のヨハン・ゲオルグ・シュタウファー(1778-1853)とクリスチャン・フレデリック・マーティン(1796-1867)が使用したものと同様のスクロールペグヘッドを追加した。そして瓢箪のボディを、ドラムヘッドに使用されているのと同様の、ネジ締めブラケットで薄く曲げた、リム構造に置き換えたのである。バウチャーの革新は大量生産を可能にし、都会の音楽のテイストに適応、その後のバンジョーの世界的な普及に大きな役割を果たしたのである。黒塗りメイクのミンストレルは人種差別と批判され、20世紀初頭に姿を消したが、アメリカのショービジネスの礎になった。バンジョーがその後の音楽産業に果たした役割は大きい。大きな音とサスティンが得られるリゾネータが装着されるなど進化する。そしてアール・スクラッグス(1924–2012)が編み出したスリーフィンガー奏法により、ブルーグラス音楽の花形楽器となった。その一方、古い演奏スタイルも再評価され人気がある。さらにアメリカの民族楽器という範疇を超え、アイルランドやオーストラリア、そして日本など、バンジョーは広く世界中の人々に愛されるようになった。
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