2021年7月8日

スティーグリッツのモデルになった画家レベッカ・ソールスベリー

Rebecca Salsbury
Alfred Stieglitz "Rebecca Salsbury Strand" Lake George, New York, 1922
Alfred Stieglitz (1864–1946)

近代アメリカを代表する画家ジョージア・オキーフ(1887-1986)と、欧州の写真芸術をアメリカに導入した、写真史に欠かすことができないフレッド・スティーグリッツ(1864-1946)が紆余曲折の上、結婚したことは余りにも有名である。ところがアルフレッドの弟子ポール・ストランド(1890–1976)と三角関係だったことが、べニール・アイスラー著『オキーフ/スティーグリッツ(愛をめぐる闘争と和解)』(朝日新聞社1994年)に詳しいが、この件は余り知られていないかもしれない。そのポールは1922年に画家のレベッカ・ソールスベリー(1891–1968)と結婚する。レベッカは夫がメリーランド州で仕事をしている間、1922年の夏のほとんどをスティーグリッツが住むニューヨーク州北部のジョージ湖で過ごしていた。スティーグリッツはレベッカをモデルに実験的なヌード写真を撮影した。その作品は写真家とモデルの双方が感じている自由さが際立っている。長い年月をかけて撮影されたスティーグリッツのオキーフのポートレートと比べると、レベッカが水に入ったり出たりしている写真は、自然で軽やかな雰囲気を醸し出している。当時のスティーグリッツは「実験的なポートレート」と呼んでいた、これらの作品の出来栄えに疑問を抱いていたが、プリントを始めてみて初めて、これらの作品が「非凡なもの」であることを知り「目を見開かせるもの」と表現している。ではレベッカはどんな女性だったのだろうか。両親がバッファロー・ビル・ワイルド・ウェスト・ショーでロンドンを旅行していた間の1891年に生まれた。

Winter in Taos
Rebecca Salsbury James "Winter in Taos" 1948

父の死後、1902年に母と共にニューヨークに定住する。ポール・ストランドと知り合ったのは1919年ごろだったと思われる。ポールとジョージアを引き合わせたのは他ならぬアルフレッドで1917年だった。ポールとジョージアは肉体関係を持つのだが、その錯綜した人間関係に俗な好奇心を抱いてしまうのは私だけだろうか。レベッカは独学で絵画を学んだが、明らかにジョージアの影響を受けている。1930年にポールと離婚し、頻繁に訪問していたニューメキシコ州タオスに移る。1937年にはビル·ジェームズと結婚し、1968年に亡くなるまでタオスに住んだのである。上掲の絵は彼女が1948年に制作した『タオスの冬』である。一方、ポールはアメリカ合衆国で起きたマッカーシズムに追われ、1949年にフランスに移住する。27年間に渡る亡命生活を支えたのは、三人目の妻で写真家のヘイゼル・キングスベリー(1907–1982)だった。なお下記リンク先の PDF ファイルは、アルフレッド・スティーグリッツが1922年にレベッカ・ソールスベリーを撮影した写真を所蔵している、ワシントン DC のナショナル・ギャラリーの作品解説ファイルである。

PDF  Alfred Stieglitz: Rebecca Salsbury Strand ©National Gallery of Art, Washington (PDF 879KB)

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