2026年8月30日

音楽雑話(2)カタルーニャにおけるフラメンコの歴史

flamenco en Cataluña
Bailarina de flamenco de Cataluña

フラメンコと闘牛は、スペインで最もよく知られた伝統である。しかし今日では闘牛は以前ほど高く評価されておらず、時代遅れの伝統と見なされ、若い世代は興味を示していない。現代社会は動物虐待に対する意識が非常に高く、カタルーニャでは2012年から闘牛が禁止されている。スペインで最も有名な舞踊と音楽のスタイルであるフラメンコは2010年、ユネスコによって世界無形文化遺産に登録された。観光客や地元の人の中には「フラメンコはカタルーニャ発祥ではなく、アンダルシア発祥だから、バルセロナはフラメンコを見るのに適した場所ではない」と言う人がいる。しかし、それは実際には正しくない。より正確に言うと、現在ではカタルーニャよりもアンダルシアの方が、生のフラメンコショーを見られる場所が多いということに過ぎない。フラメンコの起源に関する専門家の調査に基づき、フラメンコがどのように、 いつ、どこで生まれたのかを簡単に説明したい。フラメンコは、14世紀半ばにインドからヨーロッパにやって来て、遊牧生活を送っていたため大陸全体に広がったロマ(ジプシー)と密接な関係がある。

flamenco
Una apasionada bailaora de flamenco catalaña

肌の色と当時の社会の無知のため、彼らはエジプト人だと信じられていた。「ジプシー」という言葉は「エジプト」という言葉の語源的変化である。彼らは15世紀初頭に、ヨーロッパの他の地域で見つけたよりも温暖な気候を求めてスペインにやって来た。一部は北アフリカからスペイン南部(アンダルシア)にやって来て、また一部はフランスからスペイン北部(カタルーニャ)にやって来てそこに定住した。フラメンコは実際には、ムーア人、ユダヤ人、ビザンチン人の聖歌、中世のグレゴリオ聖歌、そしてスペインの民謡が融合したものである。公式には、フラメンコのスタイルは19世紀後半にスペイン南部と北部の両方で生まれたとされている。それではフラメンコはアンダルシア発祥なの? 実際にはフラメンコはアンダルシア発祥だという考えは正しくない。ジプシーはスペインの南部と北部の両方に到達した。彼らはカタルーニャにもやって来た。したがって、フラメンコはカタルーニャの音楽でもあるのだ。

Carmen Amaya
Carmen Amaya (1918-1963)

19世紀末には、カタルーニャ地方にはスペインの他の地域よりも多くの「タブラオ」が存在していた。 また、エンリック・グラナドスやイサーク・アルベニスといった偉大な作曲家の中には、カタルーニャ出身者もいた。偉大なダンサー、カルメン・アマヤはカタルーニャ出身で、バルセロナ生まれだった。タブラオはフラメンコショーを専門とする小さな劇場のようなもので、非常に親密な雰囲気を提供している。興味深いことに、タブラオという 言葉は、英語で「木の板」を意味する tabla または tablón に由来している。舞台はタブラと呼ばれる板でできており、その板は演者の靴が叩く音を楽しむのに最適である。地中海沿岸の都市バルセロナは、地理的な立地が商業に開かれていたこと、アンダルシア地方からの人々の絶え間ない移住、あるいはあらゆる外国の芸術表現に開かれた居心地の良い都市であったことなどから、セビリアやマドリードと並んで、最初のシンギングカフェがオープンした都市の一つとなった。カタルーニャにおけるフラメンコの成功を想像するには、19世紀半ば、ロマン主義の時代に遡る必要がある。

Sabor de Gràcia
Sabor de Gràcia, un grup referent de la lamenco en Cataluña

1847年、バルセロナのオペラ劇場グラン・テアトル・リセウが開場した。セビリアでは最初の歌のカフェ、エル・ブッレーロが開場し、カタルーニャ人のナルシソ・ボナプラタとバスク人のホセ・マリア・イバラによって創設された最初の4月祭と同時期だった。世紀末までにバルセロナには 47 軒の歌うカフェがあり、その中でもカフェ・セビジャーノ、ヴィラ・ローザ、コンシエルト・バルセロネス、コンシエルト・セビリア、グラン・ペーニャ、コンシエルト トリアナが際立っていた。カフェ・デル・プエルトとカフェ・デ・ラ・アレグリアは、1887年からエデン・コンサートに名前を変えた。1908年には、ファイコ、マリア・パントハ、フアナ・オルテガ、エストレリータ・カストロ、そして初期のカルメン・アマヤや歌手のフェルナンド・エル・デ・トリアナもここで成功した。バルセロナの歴史を無視する人は、コルドベスがランブラ通りにあるのは観光地だから、あるいは観光施設だからだと勘違いするかもしれない。下記リンク先はラ食事ができるフラメンコ専用劇場エル・タブラオ・デ・カルメンによる「バルセロナのフラメンコ:19世紀におけるフラメンコ芸術の成功」です。

dance La historia del flamenco en Cataluña: el éxito del arte jondo en el siglo XIX | El TABLAO

2026年8月29日

多様性と混沌の大地インド素描 1978 年

hepherd
Shepherd on the road near Agra
アグラ近郊の羊飼い
Old Man
Old man, Chandni Chowk, Delhi
チャンドニー・チョークの古老
Chandni Chowk,
Chandni Chowk, Delhi
チャンドニー・チョーク
Greengrocery
Greengrocery, Chandni Chowk, Delhi
チャンドニー・チョークの八百屋さん
>Cinema
Cinema, Chandni Chowk, Delhi
チャンドニー・チョークの映画館
Rickshaw, OLd Delhi
オールド・デリーの人力車
Kitchen
Kitchen, Chandni Chowk, Delhi
チャンドニー・チョークの厨房
Rush Hour
Rush Hour,Chandni Chowk, Delhi
チャンドニー・チョークのラッシュアワー
farmers
Smiling people, Andhra Pradesh
アーンドラ・プラデーシュ州の笑顔の人々
Kindergarten students
幼稚園児たち(撮影場所不詳)
Kindergarten students
The Bus, Cape Comorin, Kanyakumari
カンニヤークマリ州コモリン岬のバス
Farmers in Kerala
Farmers in Kerala
ケララ州の農民たち
Fishermamen
Fishermamen, Cochin, Kerala
ケララ州コチンの漁師
Banana Shop
Banana Shop in South India
南インドのバナナ店

A large-scale concert titled “Rolling Coconut Review Japan,” held to support the conservation of marine mammals such as dolphins, took place from April 8 to 10, 1977, at the Harumi International Trade Center in Tokyo. I formed a group of photographers called "Fisheye ’77" and took photographs documenting the event. Through that connection, in April of the following year, I joined a group traveling to India—including Tadanori Yokoo and Haruomi Hosono as a photographer. After returning to Japan, the LP album "Cochin Moon*" featuring songs composed by Haruomi Hosono and performed by the Yellow Magic Band, was released; the album cover was a collage created by Tadanori Yokoo using photographs I had taken of Indian movie posters.

Cochin Moon

イルカなどの海洋哺乳類保護運動を支援する、大がかりなコンサート「ローリング・ココナッツ・レヴュー・ジャパン」が1977年4月8日~10日、東京・晴海国際貿易センターで開催された。私は Fisheye '77 という写真家グループを結成してその記録写真を撮った。その縁で翌年4月、カメラマンとして横尾忠則、細野晴臣らのインド旅行団に加わった。帰国後、細野晴臣が作った曲を、イエロー・マジック・バンドが演奏したLPアルバム「コチンの月(COCHIN MOON)」がリリースされたが、ジャケットは私が撮ったインド映画の看板を横尾忠則がコラージュした作品だった。

Blogger 写真少年漂流記「イエロー・マジック・オーケストラ結成前夜のコチンの月」印度旅行1978年4月

2026年8月27日

米国による ICC(国際刑事裁判所)赤根所長制裁問題を各メディアはどのように報道したか

Tomoko Akane

オランダのハーグを本拠にする ICC(国際刑事裁判所)赤根智子所長に対するトランプ米大統領による制裁問題を各メディアはどのように取り上げただろうか。この制裁措置をめぐり、ソーシャルメディア(特にXなど)では国内外で活発な議論や批判が展開された。主な論点とソーシャルメディア上の反応は以下の通りである。ソーシャルメディア上で最も大きな反響を呼んだのが、日本人である赤根諸島が米国の制裁対象となったことに対する日本政府の姿勢だった。髙市首相が初動として外務省の事務次官や国際法局長、北米局長らと首相官邸で相次いで面会。記者団に対応を問われると「大変残念に思っている。これからも米国を含む関係国と意思疎通を継続しながら対応する」と短く語った。「大変残念に思っております」と表現したこに対し、ソーシャルメディア上では「米国に対して一切モノが言えない」「弱腰な『お気持ち表明』に終始している」「国民として残念だ」といった批判や不満の投稿が相次いだ。 また鳩山由紀夫をはじめとする政治家や識者もソーシャルメディアを通じて米国の措置への憤りや、日本政府の対応の曖昧さを疑問視する声を上げ、議論に拍車をかけた。強固な日米同盟を最優先すべきだとする現実路線」と「国際法秩序や人権の観点から米国を明確に批判すべきだとする原則論」の間で意見が分かれましただだ二次情報や憶測に惑わされないために公式機関および国際機関の一次情報を根拠にしたか疑問も残る。いわゆるインフルエンサーによる誤情報もなかったと言えるだろう。それではテレビはいかに報道したか。テレビ各局(ニュース番組や報道番組)は以下のようなポイントを中心に大きく取り上げていた。トランプ政権による制裁発表と理由米政権が、ICCが「権限を乱用している」、あるいは米国の主権に対する脅威であるとして、赤根所長を資産凍結などの制裁対象に追加したニュースを速報および詳細な解説付きで報道した。

朝日新聞
大阪本社発行8月27日付朝日新聞朝刊第一面

日本人として初めて ICC の所長を務める赤根所長が制裁対象となったことに対し、日本政府が外務報道官談話で「大変残念だ」と表明したことを伝えたほか、米国務省が「日本政府に向けたものではない(ICCの権限行使に対するもの)」と釈明した経緯などもあわせて報じた。 赤根所長の反発と記者会見制裁発表後、彼女が国内外のメディアや読売新聞などのインタビューに応じ「心構えはあった、驚きはない」と冷静に受け止めつつも「組織潰しに本腰を入れている」と危機感を示したこと、さらに直近(8月26日)に行われたオンライン記者会見で「ICC は決して負けない。正義は常に優越しなければならない」と語り、米国の圧力に屈しない姿勢を鮮明にしたことを大きく取り上げた。BS-TBS の「報道道1930」のオンラインインタビューを視聴したが、テレビ特有の臨場感があった。では新聞はどうだったか。朝日新聞をはじめとする各紙は、米国による赤根所長への制裁に対して日本政府が「大変残念」と述べるにとどまっていることについて、欧米諸国等に比べて「反応が段違いに弱い」と厳しく報じている。超党派の議員連盟などが「『残念』は感想であって意思ではない。日本が送り出した所長を守り抜く意思を示すべきだ」と政府を批判する動きなどを大きく取り上げている。赤根所長のインタビューと「組織潰し」の本質報道読売新聞などの各紙は、制裁発表後に赤根所長が行ったメディア(読売新聞の電話インタビューなど)への発言を詳報している。赤根所長が今回の制裁を「自分個人が不自由を被ることは問題ないが、本気で ICC という国際司法機関をつぶそうという本腰を入れた動きだ」と指摘した点や、加盟国に対して「法の支配」の理念を堅持するよう訴えたメッセージを伝えている。上掲の画像は8月27日付朝日新聞第一面だが「3面=信念示す、9面=教え子発信」とあり、他メディアの追従を許さない。紙媒体は確かに厳しい状況だが、新聞は報道の王道を歩む存在だと私は思う今日この頃である。下記リンク先は ICC(国際刑事裁判所)の声明「米国による新たな制裁措置指定を強く拒否する」です。

裁判所  The ICC (International Criminal Court) strongly rejects new U.S. sanctions designations

2026年8月26日

ドリー・パートン:端切れを集めて作ったコートは色がバラバラだったけど

Dolly Parton
Rest in Peace Dolly Parton (1946-2026)

カントリー歌手、ソングライター、慈善家、女優、劇作家、作家、そして世界的なアイコンであり人道主義者でもあったドリー・パートンが、8月25日、テネシー州ナッシュビルで安らかに息を引き取った。享年80歳。ドリーは、59年間連れ添った最愛の夫カール・トーマス・ディーン(1942-2025)母エイヴィー・リー・キャロライン・オーウェンズ(1923-2003)父ロバート・リー・パートン・シニア(1921-2000)に先立たれて亡くなった。世界中に輝きを放った、まるでラインストーンのような人生を送ったドリーは、時代を超越した音楽と多作な作詞作曲だけでなく、機知に富み、温かく、そして優しさにあふれた人柄で、人々を家族のように温かく迎え入れ、永遠にインスピレーションを与え続けるだろう。ドリー・パートンの遺産は、愛、優しさ、そして不屈の精神に満ちている。70年にも及ぶキャリアの中で、彼女は音楽と、世界をより良い場所にしようという揺るぎない信念によって、何世代にもわたるアーティストやファンにインスピレーションを与えてきた。彼女の歌は、あらゆる年代の人々の心に響き続け、彼女の慈善活動は、永続的な影響を与えることだろう。私はずいぶん前からのファンで、彼女の話題を当ブログに4回も書いている。以下に10年前の2016年7月27日にポストした「端切れを集めて作ったコートは色がバラバラだったけど」を「復刻」してみた。

Coat of Many Colors

インターネット通販アマゾンに注文していたカントリー音楽のシンガー&ソングライター、ドリー・パートンのアナログ LP レコード "Coat Of Many Colours" が届いた。オリジナルは1971年にリリースされた8作目のスタジオアルバムで、2007年に CD 復刻盤が出た。そして今年の2月にこのLPが復刻され、気になっていたものである。在庫は日本になく、本国米国からの取り寄せることになるので3~5週間かかるという通知があったが、わずか10日余りで届いた。昔はカタログを取り寄せ、銀行で米ドルの送金小切手を作って貰ってレコード会社に送って取り寄せたのだが、船便なので一か月以上とかかかったものである。手間がかかったし、郵送途中に破損するというリスクもあった。外資系のネット通販には若干の抵抗があるが、洋書や輸入盤入手にはやはり便利である。さてこのアルバムのタイトルだが「色がいっぱいのコート」という意味である。

アリービア・アリン・リンド主演の NBC 放送局制作のTVドラマ
色がいっぱいの私のコート
私のママが私に作ってくれた
端切れだけから作られた
でも私は誇らしげに身に着けていた
私たちはお金を持っていなかったけど
私はとても豊かだった
色がいっぱいの私のコート
私のママが私に作ってくれた

ドリー・パートン(1946年生まれ)はテネシー州の「極貧」の家庭に生まれ育ったという。既製のコートを買うお金がなかったので、母親が端切れを集めパッチワークで作ってくれた。半ズボンも継ぎが当たり、靴も穴が開いていた。端切れで作ったコートを着て学校行ったらみんなに笑われたけど、どうしてか分からなかった。母親が一針一針縫ってくれたんだから自分は大切にされている。だから色もバラバラだけどこのコートにはみんなが着てるものより値打ちがあるって教えてやったんだと歌っている。貧しいけど、母親の愛情がこもったコートに誇らしげな子ども心が伝わってくる。2015年、米国 NBC 放送局はこのエピソードをドラマ化した。下記リンク先のサイトでそのトレーラーなどを視聴することができます。

NBCDolly Parton's Coat Of Many Colors - Extended NBC Movie Trailer premiered on Dec., 2015

2026年8月25日

音楽雑話(1)アルゼンチンタンゴの魔力

tango argentino
Un baile de Tango Argentino sensual

アルゼンチンという国名から人は何を想起するだろうか。多くの日本人は FIFA ワールドカップ 2026 で準優勝したサッカーチームの得点王リオネル・メッシ選手かもしれない。私は大草原パンパの思い出を綴った、作家で鳥類学者のウィリアム・H・ハドスンがまず脳裡をかすめる。さらに南部の荒涼とした美しい地域で、氷河や壮大な山々フィッツロイやペリト・モレノ氷河などが広がるパタゴニアだろうか。そして、煽情的な旋律を奏でるヴァイオリン、哀愁を帯びたリズムを刻むバンドネオン、詩情豊かなタンゴ・カンシオン。情熱と切なさが同居する音楽、タンゴである。タンゴは アルゼンチンを代表する音楽ジャンルの一つだが、その歴史は想像以上に奥深く複雑である。長年にわたり、タンゴはブエノスアイレスの街角で人気の音楽ジンルから、世界中で高く評価される芸術形式へと進化を遂げてきた。タンゴはアフリカのカンドンベ、キューバのハバネラ、アルゼンチンのミロンガなど、様々な音楽ジャンルや文化の融合にルーツを持つ。

Carlos Gardel
Carlos Gardel (1890-1935)

19世紀後半、タンゴはブエノスアイレスのラ・ボカやサン・テルモといった貧困地区の路上やバーで演奏されるようになった。こうした場所で、独自の社会規範や行動様式を持つタンゴ文化が発展していったのである。タンゴは初期の頃、アルゼンチンの上流階級から下品で危険なジャンルとして敬遠されていた。しかし時が経つにつれ人気が高まり、より格式の高い会場で上演されるようになった。1910年代にはタンゴはパリをはじめとするヨーロッパの都市で流行し、アルゼンチンのダンサーやミュージシャンはエキゾチックで刺激的な存在として見なされるようになった。黄金時代(1935年から1955年)には芸術的な頂点を迎えた。この時期、タンゴは大規模なオーケストラによって演奏され、劇場やコンサートホールで上演された。

Astor Piazzolla
Astor Piazzolla (1921-1992)

カルロス・ガルデルやアストル・ピアソラといった当時の最も有名な歌手や音楽家たちが、タンゴを代表する数々の名曲を生み出した。しかし1950年代後半になると、アルゼンチンではロックやポップスといった他の音楽ジャンルの台頭により、タンゴの人気は衰え始めた。ただヨーロッパや日本をはじめとする他の国々では、タンゴは依然として非常に人気が高かった。近年、タンゴはアルゼンチンをはじめ世界各地でルネサンスを迎えている。新世代の音楽家やダンサーたちがこのジャンルを再解釈し、他の音楽スタイルと融合させ、新たな表現形式を生み出している。今日でもタンゴはアルゼンチン文化の重要な一部であり、世界中の人々に愛されている。タンゴの音楽とダンスは、国とその国民の歴史、情熱、そしてアイデンティティを映し出す、他に類を見ない芸術形式である。下記リンク先の La 2x4(ラ・ドス・ポル・クアトロ)は、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスを拠点とする、世界的に有名なタンゴ専門のインターネットラジオ局です。画面右上の「EN VIVO(ライブ)」ボタンをクリック(タップ)すると放送を聴くことができます。

broadcaster La 2x4 es parte del Sistema de Medios Públicos de la Ciudad Autónoma de Buenos Aires.

2026年8月24日

アフリカの日々 Days in Africa

Girls at Festival in Sahara
Girls at Festival in Sahara,Tunisia, 1980
サハラ砂漠の祭りの少女たち(チュニジア)1980年
Kid Wearing a yellow belt, Tunis, Tunisia, 1980
横帯を着けた少年(チュニジアのチュニス)1980
A mosque in Tunisia after prayers, 1980
礼拝を終えて(チュニジアのモスク)1980年
A kid at market, Tunisia,1980
市場の少年(チュニジア)1980年
Waiting for the Catch, Kayal Coast, Senega, 1976
水揚げを待つ(セネガルのカヤール海岸)1976年
Dance of Initiation, Ivory Coast, 1976
通過儀礼の踊り(コートジボワール)1976年
The nomad, Ivory Coast, 1976
遊牧民(コートジボワール)1976年
Masai Women, Nairobi, Kenya, 1981
マサイの女性たち(ケニアのナイロビ)1981年

I traveled around Africa several times. To make my memories established, this smllset was made. All photographs were taken by LeicaM4 and NikonF3 using Kodachrome. [Senegal][gambia][Ivory Coast] 1976 LeicaM4 Kodachrome64 [Tunisia] 1980 LeicaM4 Kodachrome64 [Kenya] 1981 NikonF3 Kodachrome64

africa

私はアフリカを何度か旅行しました。その思い出を形に残すために、小さな写真セットを作りました。写真はすべて、ライカM4とニコンF3でコダクロームフィルムを使用して撮影しました。[セネガル][ガンビア][コートジボワール] 1976年 ライカM4 コダクローム64 [チュニジア] 1980年 ライカM4 コダクローム64 [ケニア] 1981年 ニコンF3 コダクローム64 です。

アフリカ  社団法人アフリカ協会 | 協会の情報公開 | アフリカ協会の活動 | アフリカ情報 | 支援基金 | 機関紙

2026年8月23日

リアルな日常をとらえたスナップショット写真で知られるカルロ・バヴァニョーリ

Giant sable antelopes
Giant sable antelopes roaming the Luanda game preserve
 Carlo Bagnoli

カルロ・バヴァニョーリは、主に国際的なフォトジャーナリズムに焦点を当てた写真家だった。アメリカのグラフ誌『ライフ』(1963年-1972年)のチームの常任メンバーであった、唯一のアメリカ人以外の写真家だった。1932年5月5日、イタリアのピアチェンツァに生まれた。1951年にピアチェンツァで学業を終えた後、弁護士を目指してミラノの法学部に入学した。この頃、ミラノのスカラ座で伝説的な『ライフ』誌の写真家、デビッド・ダグラス・ダンカンと出会った。ダンカンはバヴァニョーリに写真の技術を説明し、バヴァニョーリは「新しい表現手段、世界を見るための新しい手段」に魅了された。当時芸術家や知識人の集いの場であった「ミラノのボヘミアン」のバー、ブレラ通りのジャマイカによく通い、ウーゴ・ムラス、アルファ・カスタルディ、マリオ・ドンデロといった、いずれも20歳で初めて写真家としての道を歩み始めた若者たちと出会い、交流を深めた。こうした出会いが彼の写真への決意と興味に影響を与え、1955年にはミラノに永住することになり、友人であるムラスとドンデロ、そしてルチアーノ・ビアンチャルディと共にソルフェリーノ通りの部屋をシェアするようになった。作家のピノ・コリアスはその時代の目撃者として、著書の中でバヴァニョーリ、ムラス、ドンデロといった「3人の不可分な人物」のグループの希望と目標について語っている。

Ferrari
Tony Parravano observing Ferrari under construction, Modena, 1950s

彼らは厳しい見習い期間や「非常に疲れる生活」にもかかわらず60年代初頭にはすでに確立された写真家であった。そして、バヴァニョーリ(当時ビアンチャルディによる皮肉と示唆に富んだ記事で「カルローネ」「フォトジャーナリスト」と呼ばれた人物の白昼夢の物語を語っているのもまた、その目撃者である。彼は『ライフ』誌に執着」しており、ミラノの新聞社である『コリエレ・デッラ・セラ』『レウロペオ』『エポカ』などに写真を提供する報道写真代理店「インターピックス」でデビューした。フリーランスとしてさまざまな新聞に写真が掲載され続けたおかげで、当時すでに有名になっていたバヴァニョーリは、1956年に週刊誌『エポカ』に採用された。

Praying
People Praying in a Church, Geneva, 1955

この雑誌は、出版者アルベルト・モンダドーリが創刊し、当時エンツォ・ビアージが編集長を務めていた、テキストよりも写真が圧倒的に多い雑誌だった。この雑誌は、ピアチェンツァ出身の写真家が『エポカ』のスタッフの一人である写真家マリオ・デ・ビアージに採用されたのと同じ年に、1956年のハンガリー革命に関する的確な報道記事などのおかげで、当時としては異例の成功と発行部数を達成した。その採用はバヴァニョーリのキャリアの出発点となり、ローマの編集スタッフに配属された彼は、トラステヴェレに関する長期にわたる記録作業を開始し、そのおかげでアメリカの雑誌『ライフ』誌との最初の接触を得て、彼の写真の一部を掲載した。

vegetable market
Men at work in the fruit and vegetable market, Palermo, 1956

第二バチカン公会議の開会、その後の教皇ヨハネ23世の死去、そして教皇パウロ6世の選出に関する出来事を撮影するよう依頼したのは、やはりアメリカの雑誌『ライフ』だった。1964年に 『ライフ』誌はバヴァニョーリを雇い、彼はニューヨークの中央編集局での最初の仕事でアメリカに移住し、こうして権威あるフォトジャーナリズム雑誌と直接契約を結び「スタッフの一員」となった最初で唯一のアメリカ人以外の写真家となった。ニューヨークでの任務に続いて、パリにある『ライフ』誌のヨーロッパ本社に赴任したが、その時期を同誌の効率的な組織力に驚かされた時期として語っているのはバヴァニョーリ自身である。

jacket
Angelo Litrico cutting fabric for a jacket, 1957

その組織力のおかげで、最も重要な記事のために非常に短い時間で「出向く」ことができたのだ。費用は惜しまなかった。チャーチルの葬儀のことを考えてみてほしい。時間通りに締め切るために、彼は巨大なボーイング機をレンタルし、完全に飛行新聞に改造した。編集者は記事を書き、ロールフィルムは飛行中に現像され、グラフィックデザイナーはページをレイアウトした。印刷工場のあるシカゴに到着すると、締め切りに間に合うように準備されていた。週刊誌としての『ライフ』誌の廃刊後、バヴァニョーリは数冊の写真集の出版、作品展の開催、テレビドキュメンタリーの制作に専念した。写真アーカイブ全体は現在、ブッセートのカリパルマ財団の歴史図書館に保存されている。カルロ・バヴァニョーリはヴィテルボで死去、91歳だった。

LIFE  LIFE Magazine's visual record of 20th century by exploring the most iconic photographs

2026年8月22日

写真術における偉大なる達人たち

New Mothers
Sally Mann (born 1951) The New Mothers, Lexington, Virginia, 1989

2021年の秋以来、思いつくまま世界の写真界20~21世紀の達人たちの紹介記事を拙ブログに綴ってきましたが、2026年8月12日現在のリストです。右端の()内はそれぞれ写真家の生年・没年です。左端の年月日をクリックするとそれぞれの掲載ページが開きます。

21/10/06多くの人々に感動を与えたアフリカ系アメリカ人写真家ゴードン・パークスの足跡(1912–2006)
21/10/08グループ f/64 のメンバーだった写真家イモージン・カニンガムは化学を専攻した(1883–1976)
21/10/10圧倒的な才能を持ち現代アメリカの芸術写真を牽引したポール・ストランド(1890–1976)
21/10/11何気ない虚ろなアメリカを旅したスイス生まれの写真家ロバート・フランク(1924–2019)
21/10/13作為を排した新客観主義に触発されたストリート写真の達人ロベール・ドアノー(1912–1994)
21/10/16大恐慌時に農村や小さな町の生活窮状をドキュメントした写真家ラッセル・リー(1903–1986)
21/10/17日記に最後の晩餐という言葉を残して自死した写真家ダイアン・アーバスの黙示録(1923–1971)
21/10/19フォトジャーナリズムの手法を芸術の域に高めた写真家ユージン・スミスの視線(1918–1978)
21/10/24時代の風潮に左右されず独自の芸術観を持ち続けたプラハの詩人ヨゼフ・スデック(1896-1976)
21/10/27西欧美術を米国に紹介した写真家アルフレッド・スティーグリッツの功績(1864–1946)
21/11/01美しいパリを撮影していたウジェーヌ・アジェを「発見」したベレニス・アボット(1898–1991)
21/11/08近代ストレート写真を先導した 20 世紀の写真界の巨匠エドワード・ウェストン(1886–1958)
21/11/10芸術を通じて社会や政治に影響を与えることを目指した写真家アンセル・アダムス(1902–1984)
21/11/13大恐慌を記録したウォーカー・エヴァンスの被写体はその土地固有の様式だった(1903–1975)
21/11/16写真少年ジャック=アンリ・ラルティーグは個展を開いた 69 歳まで無名だった(1894–1986)
21/11/20ハンガリー出身の世界で最も偉大な戦争写真家ロバート・キャパの短い人生(1913–1954)
21/11/25児童労働の惨状を訴えるため現実を正確に捉えた写真家ルイス・ハインの偉業(1874–1940)
21/12/01マグナム・フォトを設立した写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンの決定的瞬間(1908–2004)
21/12/06犬を人間のいくつかの性質を持っているとして愛撮したエリオット・アーウィット(1928-2023)
21/12/08リチャード・アヴェドンの洗練され権威ある感覚をもたらしたポートレート写真(1923–2004)
21/12/12デザインと産業の統合に集中したバウハウスの写真家ラースロー・モホリ=ナジ(1923–1928)
21/12/17ダダイズムとシュルレアリスムに跨る写真を制作したマン・レイは革新者だった(1890–1976)
21/12/29フォトジャーナリズムに傾倒したアラ・ギュレルの失われたイスタンブル写真素描(1928–2018)
22/01/10ペルーのスタジオをヒントに自然光に拘ったアーヴィング・ペンの鮮明な写真(1917-2009)
22/02/25非現実的なほど歪曲し抽象的な遠近感を生み出した写真家ビル・ブラントのカメラ(1904–1983)
22/03/09男性ヌードや花を白黒で撮影した異端の写真家ロバート・メイプルソープへの賛歌(1946–1989)
22/03/18ニューヨーク近代美術館で写真展「人間家族」を企画したエドワード・スタイケン(1879–1973)
22/03/24公民権運動の影響を記録したキュメンタリー写真家ブルース・デヴッドソンの慧眼(born 1933)
22/04/21社会的弱者に寄り添いエモーショナルに撮影した写真家メアリー・エレン・マーク(1940-2015)
22/05/20早逝した写真家リンダ・マッカートニーはザ・ビートルズのポールの伴侶だった(1941–1998)
22/06/01大都市に変貌する香港を活写して重要な作品群を作り上げたファン・ホーの視線(1931–2016)
22/06/12肖像写真で社会の断面を浮き彫りにしたドキュメント写真家アウグスト・ザンダー(1876–1964)
22/08/01スペイン内戦取材で26歳という若さに散った女性戦争写真家ゲルダ・タローの生涯 (1910–1937)
22/09/16カラー写真を芸術として追及したジョエル・マイヤーウィッツの手腕(born 1938)
22/09/25死と衰退を意味する作品を手がけた女性写真家サリー・マンの感性(born 1951)
22/10/17北海道の風景に恋したイギリス人写真家マイケル・ケンナのモノクロ写真(born 1951)
22/11/06アメリカ先住民を「失われる前に」記録したエドワード・カーティス(1868–1952)
22/11/16大恐慌の写真 9,000 点以上を制作したマリオン・ポスト・ウォルコット(1910–1990)
22/11/18人間の精神の深さを写真に写しとったアルゼンチン出身のペドロ・ルイス・ラオタ (1934-1986)
22/12/10アメリカの生活と社会的問題を描写した写真家ゲイリー・ウィノグランド(1928–1984)
22/12/16没後に脚光を浴びたヴィヴィアン・マイヤーのストリート写真(1926–2009)
22/12/23写真家集団マグナムに参画した初めての女性報道写真家イヴ・アーノルド(1912-2012)
23/03/25写真家フランク・ラインハートのアメリカ先住民のドラマチックで美しい肖像写真(1861-1928)
23/04/13複雑なタブローを構築するシュールレアリスム写真家サンディ・スコグランド(born 1946)
23/04/21キャラクターから自らを切り離したシンディー・シャーマンの自画像(born 1954)
23/05/01震災前のサンフランシスコを記録した写真家アーノルド・ジェンス(1869–1942)
23/05/03メキシコにおけるフォトジャーナリズムの先駆者マヌエル・ラモス(1874-1945)
23/05/05文学と芸術に没頭し超現実主義絵画に着想を得た台湾を代表する写真家張照堂(1943-2024)
23/05/07家族の緊密なポートレイトで注目を集めた写真家エメット・ゴウィン(born 1941)
23/05/22欲望やジェンダーの境界を無視したクロード・カアンのセルフポートレイト(1894–1954)
23/05/2520世紀初頭のアメリカの都市改革に大きく貢献したジェイコブ・リース(1849-1914)
23/06/05都市の社会風景という視覚的言語を発展させた写真家リー・フリードランダー(born 1934)
23/06/13写真芸術の境界を広げた暗室の錬金術師ジェリー・ユルズマンの神技(1934–2022)
23/06/15強制的に収容所に入れられた日系アメリカ人を撮影したドロシア・ラング(1895–1965)
23/06/20劇的な国際的シンボルとなった「プラハの春」を撮影したヨゼフ・コウデルカ(born 1958)
23/06/24警察無線を傍受できる唯一のニューヨークの写真家だったウィージー(1899–1968)
23/07/03フォトジャーナリズムの父アルフレッド・アイゼンシュタットの視線(1898–1995)
23/07/06ハンガリーの芸術家たちとの交流が反映されたアンドレ・ケルテスの作品(1894-1985)
23/07/08家族が所有する島で野鳥の写真を撮り始めたエリオット・ポーター(1901–1990)
23/07/08戦争と苦しみを衝撃的な力でとらえた報道写真家ドン・マッカラン(born 1935)
23/07/17夜のパリに漂うムードに魅了されていたハンガリー出身の写真家ブラッサイ(1899–1984)
23/07/2020世紀の著名人を撮影した肖像写真家の巨星ユーサフ・カーシュ(1908–2002)
23/07/22メキシコの革命運動に身を捧げた写真家ティナ・モドッティのマルチな才能(1896–1942)
23/07/24ロングアイランド出身のマルクス主義者を自称する写真家ラリー・フィンク(born 1941)
23/08/01アフリカ系アメリカ人の芸術的な肖像写真を制作したコンスエロ・カナガ(1894–1978)
23/08/04ヒトラーの地下壕の写真を世界に初めて公開したウィリアム・ヴァンディバート(1912-1990)
23/08/06タイプライターとカメラを同じように扱った写真家カール・マイダンス(1907–2004)
23/08/08ファッションモデルから戦場フォトャーナリストに転じたリー・ミラーの生涯(1907-1977)
23/08/14ニコンのレンズを世界に知らしめたデイヴィッド・ダグラス・ダンカンの功績(1907-2007)
23/08/18超現実的なインスタレーションアートを創り上げたサンディ・スコグランド(born 1946)
23/08/20シカゴの街角やアメリカ史における重要な瞬間を再現した写真家アート・シェイ(1922–2018)
23/08/22大恐慌時代の FSA プロジェクト 最初の写真家アーサー・ロススタイン(1915-1986)
23/08/25カメラの焦点を自分たちの生活に向けるべきと主張したハリー・キャラハン(1912-1999)
23/09/08イギリスにおけるフォトジャーナリズムの先駆者クルト・ハットン(1893–1960)
23/10/06ロシアにおけるデザインと構成主義創設者だったアレクサンドル・ロトチェンコ(1891–1956)
23/10/18物事の本質に近づくための絶え間ない努力を続けた写真家ウィン・バロック(1902–1975)
23/10/27先見かつ斬新な作品により写真史に大きな影響を与えたウィリアム・クライン(1926–2022)
23/11/09アパートの窓から四季の移り変わりの美しさなどを撮影したルース・オーキン(1921-1985)
23/11/15死や死体の陰翳が纏わりついた写真家ジョエル=ピーター・ウィトキンの作品(born 1939)
23/12/01近代化により消滅する前のパリの建築物や街並みを記録したウジェーヌ・アジェ(1857-1927)
23/12/15同時代で最も有名で最も知られていないストリート写真家のヘレン・レヴィット(1913–2009)
23/12/20哲学者であることも写真家であることも認めなかったジャン・ボードリヤール(1929-2007)
24/01/08音楽や映画など多岐にわたる分野で能力を発揮した写真家ジャック・デラーノ(1914–1997)
24/02/25シチリア出身のイタリア人マグナム写真家フェルディナンド・スキアンナの視座(born 1943)
24/03/21パリで花開いたロシア人ファッション写真家ジョージ・ホイニンゲン=ヒューン(1900–1968)
24/04/04報道写真家として自活することに成功した最初の女性の一人エスター・バブリー(1921-1998)
24/04/20長時間露光により時間の多層性を浮かび上がらせたアレクセイ・ティタレンコ(born 1962)
24/04/2820世紀後半のイタリアで最も重要な写真家ジャンニ・ベレンゴ・ガルディン(born 1930)
24/04/30トルコの古い伝統の記憶を守り続ける女性写真家 F・ディレク・ウヤル(born 1976)
24/05/01ファッション写真に大きな影響を与えたデヴィッド・ザイドナーの短い生涯(1957-1999)
24/05/08社会の鼓動を捉えたいという思いで写真家になったリチャード・サンドラー(born 1946)
24/05/10直接的で妥協がないストリート写真の巨匠レオン・レヴィンシュタイン(1910–1988)
24/05/12自らの作品を視覚的な物語と定義している写真家スティーヴ・マッカリー(born 1950)
24/05/14多様な芸術の影響を受け写真家の視点を形作ったアンドレアス・ファイニンガー(1906-1999)
24/05/16芸術的表現により繊細な目を持つ女性写真家となったマルティーヌ・フランク(1938-2012)
24/05/18ドキュメンタリー写真をモノクロからカラーに舵を切ったマーティン・パー(born 1952)
24/05/21先駆的なグラフ誌『ピクチャー・ポスト』を主導した写真家バート・ハーディ(1913-1995)
24/05/24グラフ誌『ライフ』に30年間投稿し続けたロシア生まれの写真家リナ・リーン(1914-1995)
24/05/27旅する写真家として20世紀後半の歴史に残る象徴的な作品を制作したルネ・ブリ(1933-2014)
24/05/29高速ストロボスコープ写真を開発したハロルド・ユージン・エジャートン(1903-1990)
24/06/03一般市民とそのささやかな瞬間を撮影したオランダの写真家ヘンク・ヨンケル(1912-2002)
24/06/10ラージフォーマット写真のデジタル処理で成功したアンドレアス・グルスキー(born 1955)
24/06/26レンズを通して親密な講釈と被写体の声を伝えてきた韓国出身のユンギ・キム(born 1962)
24/07/05演出されたものではなく現実的なファッション写真を開発したトニ・フリッセル(1907-1988)
24/07/07スウィンギング60年代のイメージ形成に貢献した写真家デイヴィッド・ベイリー(born 1938)
24/07/13著名人からから小さな町の人々まで撮影してきた写真家マイケル・オブライエン(born 1950)
24/07/14人々のドラマが宿る都市のカラー写真を制作したコンスタンティン・マノス(born 1934)
24/08/04写真家集団「マグナム・フォト」所属するただ一人の日本人メンバー久保田博二(born 1939)
24/08/08ロバート・F・ケネディの死を悼む人々を葬儀列車から捉えたポール・フスコ(1930–2020)
24/08/13クリスティーナ・ガルシア・ロデロが話したいのは時間も終わりもない出来事だ(born 1949)
24/08/30ドキュメンタリーと芸術の境界を歩んだカラー写真の先駆者エルンスト・ハース(1921–1986)
24/09/01国際的写真家集団マグナム・フォトの女性写真家スーザン・メイゼラスの視線(born 1948)
24/09/09アパルトヘイトの悪と日常的な社会への影響を記録したアーネスト・コール(1940–1990)
24/09/14宗教的または民俗的な儀式に写真撮影の情熱を注ぎ込んだラモン・マサッツ(1931-2024)
24/09/23アメリカで最も有名な無名の写真家と呼ばれたエヴリン・ホーファー(1922–2009)
24/09/25自身を「大義を求める反逆者」と表現した写真家マージョリー・コリンズ(1912-1985)
24/09/27北海道の小さな町にあった営業写真館を継がず写真芸術の道を歩んだ深瀬昌久(1934-2012)
24/10/01現代アメリカの風変わりで平凡なイメージに焦点を当てた写真家アレック・ソス(born 1969)
24/10/04微妙なテクスチャーの言語を備えた異次元の写真を追及したアーサー・トレス(born 1940)
24/10/06オーストリア系イギリス人のエディス・チューダー=ハートはソ連のスパイだった(1908-1973)
24/10/08映画の撮影監督でもあったドキュメンタリー写真家ヴォルフガング・スシツキー(1912–2016)
24/10/15芸術のレズビアン・サブカルチャーに深く関わった写真家ルース・ベルンハルト(1905–2006)
24/10/19ランド・アートを通じて作品を地球と共同制作するアンディ・ゴールドワージー (born 1956)
24/10/29公民権運動の活動に感銘し刑務所制度の悲惨を描写した写真家ダニー・ライアン (born 1942)
24/11/01人間の状態と現在の出来事を記録するストリート写真家ピータ―・ターンリー (born 1955)
24/11/04写真を通じて現代の社会的状況を改善することに専念したアーロン・シスキンド(1903-1991)
24/11/07自然と植物の成長にインスピレーションを受けた写真家カール・ブロスフェルト(1865-1932)
24/11/09ストリート写真で知られているリゼット・モデルは教える才能を持っていた(1901-1983)
24/11/11カラー写真が芸術として認知されるようになった功労者ウィリアム・エグルストン(born 1939)
24/11/13革命後のメキシコ復興の重要人物だった写真家ローラ・アルバレス・ブラボー(1903-1993)
24/11/15チリの歴史上最も重要な写真家であると考えられているセルヒオ・ララインの視座(1931-2012)
24/11/19イギリスのアンリ・カルティエ=ブレッソンと評されたジェーン・ボウン(1925-2014)
24/11/25カラー写真の先駆者ソール・ライターは戦後写真界の傑出した人物のひとりだった(1923–2013)
24/11/25サム・フォークがニューヨーク・タイムズに寄せた写真は鮮烈な感覚をもたらした(1901-1991)
24/11/29ゲイ解放運動の活動家だったトランスジェンダーの写真家ピーター・ヒュージャー(1934–1987)
24/12/01複数の芸術的才能に恵まれていた華麗なるファッション写真家セシル・ビートン(1904–1980)
24/12/05ライフ誌と空軍で活躍した女性初の戦場写真家マーガレット・バーク=ホワイト(1904–1971)
24/12/07愛と美を鮮明に捉えたロマン派写真家エドゥアール・ブーバの平和への眼差し(1923–1999)
24/12/10保守的な政治体制と対立しながら自由のために写真を手段にしたエヴァ・ペスニョ(1910–2003)
24/12/15自然環境における人間の姿を研究することに関心を寄せた写真家マイケル・ぺト(1908-1970)
24/12/20ベトナム戦争中にナパーム弾攻撃から逃げる子供たちを撮影したニック・ウット(born 1951)
25/01/06記録映画の先駆者であり前衛映画製作者でもあった写真家ラルフ・スタイナー(1899–1986)
25/01/10アメリカ西部を占める文化の多様性を反映した写真家ローラ・ウィルソンの足跡(born 1939)
25/01/15フランスの人文主義写真運動で活躍したスイス系フランス人ザビーネ・ヴァイス(1924–2021)
25/02/03サルバドール・ダリとの共作でシュールな写真を創出したフィリップ・ハルスマン(1906–1979)
25/02/06ベトナム戦争に対する懸念を形にした写真家フィリップ・ジョーンズ・グリフィス(1936-2008)
25/02/18芸術に複数の糸を持っていたシュルレアリスムの写真家エミール・サヴィトリー(1903-1967)
25/03/19シュルレアリスムの先駆的な写真家でピカソのモデルで恋人だったドラ・マール(1907-1997)
25/03/25ホロコースト前の東欧のユダヤ人社会を記録した写真家ローマン・ヴィスニアック(1897-1990)
25/04/01ソーシャルワーカーからライフ誌の専属写真家に転じたウォレス・カークランド(1891–1979)
25/04/04写真家ビル・エプリッジは20世紀で最も優れたフォトジャーナリストの一人だった(1938-2013)
25/04/25ロバート・キャパの弟で総合施設国際写真センターを設立したコーネル・キャパ(1918-2008)
25/05/01激動1960年代の音楽家たちをキャプチャーした写真家エリオット・ランディの慧眼(born 1942)
25/05/23生まれ故郷ブラジルの熱帯雨林アマゾン川流域へのセバスチャン・サルガドの視座(1944-2025)
25/06/22風景への畏敬の念と激動の気象現象への驚異が伝わるミッチ・ドブラウナーの写真(born 1956)
25/07/26ティンタイプ写真でアパラチアの伝承音楽家に焦点を当てたリサ・エルマーレ(born 1984)
25/08/03色彩の卓越した表現を通して写真というジャンルを超越したデビッド・ラシャペル(born 1963)
25/08/20ヨーロッパ解放やコンゴ紛争などでの勇敢な取材で知られるドミトリ・ケッセル(1902–1995)
25/08/25長大吊り橋を撮影したピーター・スタックポールはライフ誌創刊の写真家になった(1913-1997)
25/09/08アパラチアや南東部の農村地帯の人々の肖像写真で知られているドリス・ウルマン(1882-1934)
25/08/25長大吊り橋を撮影したピーター・スタックポールはライフ誌創刊の写真家になった(1913-1997)
25/09/15指導者であり預言者であり歴史家であり学者だった写真家ジョン・ローエンガード(1934-2020)
25/09/17女性を客体ではなく主体として描写した写真家エレン・フォン・アンワースの視線(born 1954)
25/09/22精巧に演出された赤ちゃんたちの愛らしい写真で世界的に評価されるアン・ゲデス(born 1956)
25/09/26エロティックで都会的なスタイルの頂点を極めた写真家ヘルムート・ニュートン(1920-2004)
25/10/06モデルからファッション写真家に転じたスリランカ系英国人ナイジェル・バーカー(born 1972)
25/10/15ヴィクトリア朝イギリスで最も有名な写真家ジュリア・マーガレット・キャメロン(1815-1879)
25/10/17革新的手法を用いたドイツ系ユダヤ人写真家エーリッヒ・ザロモンの悲劇的な運命(1886-1944)
25/10/20地球の環境破壊と気候変動の壊滅的な影響を明瞭に伝える写真家ニック・ブラント(born 1964)
25/10/23政治家や作家など世界の重要人物の精緻な肖像写真を撮影したユーサフ・カーシュ(1908-2002)
25/10/26直面する不正義と対峙するパレスチナ系オランダ人写真家サキル・カデルの眼差し(born 1990)
25/11/12目に見えない鳥の飛行経路を可視化した作品で知られる写真家シャビ・ボウの秘技(born 1979)
25/11/18自身の文化的環境を探求したメキシコを代表する写真家グラシエラ・イトゥルビデ(born 1942)
25/11/25フォトルポルタージュの新たな時代を築いたスペインの写真家ラモン・マサッツ(1931-2024)
25/12/10畏敬の対象となる自然風景および聖なる場所を崇拝した風景写真家リンダ・コナー(born 1944)
25/12/23インド初の女性報道写真家で独立国家への変遷を記録したホマイ・ヴィヤラワラ(1913-2012)
26/01/04モデルから転身した写真家サラ・ムーンの雰囲気により際立った印象派的な作品(born 1941)
26/01/07音楽に合わせた写真「ドリーム・ピクチャーズ」で知られるブランソン・デク―(1892-1941)
26/01/22技術者の客観性と技術的志向を写真撮影に反映させたエミール・ハイルボルン(1900-2003)
26/01/26芸術的側面と社会的な側面の二つの特質を最適に供えた女性写真家アタ・カンドー(1913-2017)
26/03/05戦争や貧困など社会の底辺を記録して世界的な評価を得た写真家ドン・マッカラン(born 1935)
26/03/22カメラで芸術的インスピレーションを追求した写真家リオ・ディジローラモの軌跡(1934–2019)
26/05/05写真界では神童のような存在と見なされた巨匠ハロルド・ファインスタイン (1931-2015)
26/05/22形式と感情の巨匠:ドイツ人写真家トニ・シュナイダース不朽の遺産(1920-2006)
26/06/07スコットランド出身の華麗なるプリントのレジェンド写真家アルバート・ワトソン(born 1942)
26/06/11目撃者であることだけで十分かと自らを問いつめた夭折の報道写真家ジル・カロン(1939-1970)
26/06/23困難な状況下での撮影のための新しいツールを開発した写真家 J・R・アイヤーマン(1906-1985)
26/06/25イメージを通じて抽象的な科学的概念を幅広い層に伝えた写真家フリッツ・ゴロ(1901-1986)
26/07/05フランスにおけるピクトリアリズム運動の主な提唱者だったコンスタン・ピュヨー(born 1979)
26/07/16忘れ去られたものの転生としてのヌード作品を制作する写真家ルスラン・ロバノフ(born 1979)
26/07/21スノードン卿が「イギリスのカルティエ=ブレッソン」称えたジェーン・バウン(1921-2014)
26/07/31ピクトリアリスムからストレート写真に移行する日本の写真界を牽引した野島康三(1889-1964)
26/08/01北海道の小さな町にあった営業写真館を継がず写真芸術の道を歩んだ深瀬昌久(1934-2012)
26/08/04芸術を通して時代の記憶を構築したアルゼンチンを代表する写真家サラ・ファシオ(1932–2024)
26/08/05根源的な問いに向き合う日本を代表するストリート写真のレジェンダリー森山大道(born 1938)
26/08/08時間が日常の物や表面にどのような痕跡を残すのかを探求し続けてきた石内都(born 1947)
26/08/09若くして自死した写真家フランチェスカ・ウッドマンの脆くも美しい作品たち(1958-1981)
26/08/12影響力のある雑誌で女性写真家として活躍したドイツ系アメリカ人リサ・ラーセン(1925-1959)
26/08/17写真家としての直感と創造性を示す数々の写真を後世に残したマーサ・ホームズ(1923-2006)
26/08/22写真家としてのリアルな日常をとらえたスナップで知られるバヴァニョーリ(1932-2024)

子供の頃「明治は遠くなりにけり」という言葉を耳にした記憶がありますが、今まさに「20世紀は遠くなりにけり」の感があります。掲載した作品の大半がモノクロ写真で、カラー写真がわずかのなのは偶然ではないような気がします。20世紀のアートの世界ではモノクロ写真が主流だったからです。しかしデジタルカメラが主流になった21世紀、カラー写真の台頭に目覚ましいものがあります。ジョエル・マイヤーウィッツとサンディ・スコグランド、ジャン・ボードリヤール、 F・ディレク・ウヤル、マーティン・パー、コンスタンティン・マノス、久保田博二、ポール・フスコ、エルンスト・ハース、エヴリン・ホーファー、アレック・ソス、アンディ・ゴールドワージー、ウィリアム・エグルストン、ソール・ライタ、フリッツ・ゴロなどのカラー作品を取り上げました。

photography  Famous Photographers: Great photographs can elicit thoughts, feelings, and emotions.