2018年10月20日

ブリューゲル『婚宴の踊り』に込められた意味

ピーテル・ブリューゲル『婚宴の踊り』1566年頃(デトロイト美術館蔵

ホームページ作成サービス Yahoo! ジオシティーズが、2019月3月31日に終了するので、引越し作業を行ったが、内容を若干手直しした。4年間も放置してあったので、気になる部分があったからだ。ウェブサイト「フィドル音楽」の表紙に、イーストマン・ジョンソンが描いたフィドラーの絵を流用していたが、ややイメージが暗く、変更することにした。そこで目に止まったのがピーテル・ブリューゲル(1525/1530頃–1569)の『婚宴の踊り』(1566年頃)だった。サイト自体の内容は、主としてアイルランドとアメリカのフィドル音楽について解説したものだが、ブリューゲルはブラバント公国出身の画家である。結婚式に招待された農民125人が、人数が多いせいか納屋の中ではなく、戸外で踊る様子を描いている。中央に黒色のドレスを着た花嫁と花嫁の父親が描かれているが、踊りは当局と教会から卑猥な行為として禁じられていた。女性のお尻に手をまわす男も描かれているが、当時の社会基準を遵守しないことによる、上層階級の厳格な境界からの解放を表現したもので、歴史的資料としても貴重なものである。私が注目したのは画面右下、二人のミュージシャンが演奏している楽器 pijpzak(バグパイプスを意味するオランダ語)である。バグパイプスというと日本ではスコットランドのものが有名であるが、同類の楽器がヨーロッパの広い範囲に存在している。アイルランドのイリアンパイプスは、バグパイプと異なり、肘に取り付けられた鞴(ふいご)で皮袋に空気を送り込む。英国の支配によって苦しめられたアイルランドの農民にとって、最大の愉しみであった Barn Dance(納屋の踊り)の伴奏に使われた。一晩中演奏するので疲れるためだったかのか、次第にフィドルが使われるようになる。製作技術の向上により安価で手に入るようになったこと、そして比較的小型の楽器だったので、持ち運びに便利だったことも大きな理由になったと想像される。アイルランドのフィドルチューンにはパイプのそれを原曲にしたものが多い。このような歴史的背景を踏まえながら、フィドルとは一見関係ないような絵を表紙に流用してみた。

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