2019年4月13日

銀塩モノクローム写真の魅力

Harman Titan 4x5 Pinhole with Ilford Delta 100 Professional Film
桂川(京都市右京区嵯峨天龍寺造路町)ピンホール写真

ライカMモノクローム(Typ246)
写真術がカラーで始まっていたなら、モノクローム写真は生れていただろうかと考えることがある。この場合のモノクロームとは黒白と同義と解釈していただければ結構である。写真と同根の映画は無論だが、テレビも最初はモノトーンだった。ミュージシャンのプロモーションビデオで、一時モノトーンが流行った記憶があるが、一般にはビデオの世界はカラーがメインだと思う。映画の場合でも『コーヒー&シガレッツ』のような例はあるが、やはりマイナーな感じは拭えず、一般に知られてる作品はカラーが主体だと想像する。映画やビデオと比べると、写真の世界ではモノトーンが依然盛んではないだろうか。「ライカMモノクローム」(Typ246)といった例外もあるが、デジタルカメラによるモノトーン作品はカラー情報を破棄したものだと思う。無彩色に変換したものなら、これは銀塩写真におけるそれとは根本的に違うと言える。フィルムの感光乳剤は今日ではハロゲン化銀が使われている。ハロゲン化銀というのは、臭素や塩素などのハロゲン族元素と銀を化学的に結合させたものだ。これはモノクロームもカラーも同じである。モノクロームの場合、光が当った部分が現像によって目に見える銀粒子となる。一方カラーの場合は、現像主薬がカプラーと反応して三層に不溶性の色像を生成させる。そして銀は漂白されて消えてしまうのである。つまりモノクローム写真は銀粒子による像、カラーは色素による像で、両者は根本的に違う。写真は最終的に印画紙にプリントされるが、大雑把にいえばフィルムと同じ原理である。

カラー写真の彩度をゼロにしてモノトーン化してみた
京都御所(京都市上京区京都御苑)
時代祭平安婦人列の巴御前に扮した祇園甲部の芸妓里美

だから従って、モノクローム写真の美しさは、銀粒子の美しさなのである。仮にモノクローム写真を銀粒子による画像と定義すれば、染料や顔料によるプリントはモノクローム写真になり得ない。突き詰めれば、モノクローム印画をスキャナで取り込んだデジタル画像もモノクローム写真ではないということになる。つまりパソコンのディスプレーで「鑑賞」するのはモノトーンの画像ではあるが、写真ではない。デジタルカメラで撮った画像からネガを作り、モノクローム印画紙に焼いたものはどうだろう。これはちょっと微妙でなんとも言い難い。ただそんなことをするくらいなら、私だったら最初からフィルムで撮るに違いない。ではフィルムで撮り、デジタルプリンタで銀塩ペーパーに伸ばしたものは、どのように解釈したらいいのだろうか。これも判断に窮するが、大型プリント制作の例外的現実として私は視野に入れてはいる。とはいえ、いずれにしても、モノクローム写真の王道は、モノクロームのフィルムで撮り、モノクローム印画紙、特にバライタ紙に焼くことだと私は信じている。しかし現実的には、暗室作業を伴うモノクローム作品の制作は、次第に視界から消えつつある。石内都さんは「いかなる色彩もモノクロームにあっては、黒と白に近づく為だけの仮の色」と『モノクロームーム』(筑摩書房1993年)の中に書き残している。なおモノクロームを短縮した「モノクロ」は和製英語である。英語圏では black & white あるいは B&W すなわち「黒白」と呼ばれている。

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