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文春文庫(1978年) |
釣りはしないけど、私は釣り文学が好きだ。世の中には結構そういう人がいるのではないかと想像している。そして釣り人以外の間でも、ポピュラーな釣りの本が世の中に存在する。その典型がアイザック・ウォルトンの『釣魚大全』である。原題が「完全なる釣り師」とあるので一見釣りの指南書に見える。しかし「瞑想する人のレクレーション」という副題が続く。不可思議な本で、釣りの話以外に多くの詩や博物的な知識が盛り込まれている。ゆえに釣り人であるなしに関わらず、17世紀に出版されて以来、360余年に渡って綿々と読み継がれてきたのだろう。タイトルをもじった開高健『私の釣魚大全 』は傑作中の傑作だと思う。井伏鱒二『川釣り』『釣師・釣場』も渋い釣り紀行集で秀逸だが、とりあえず開高さんの本をお持ちでないかたには手にとることをお勧めしたい。とにかく「タナゴはルーペで釣るものであること」「タイはエビでなくとも釣れること」など、タイトルだけでも引きずり込まれてしまう珠玉の作品が並んでいる。開高さんの軌跡を辿ると、アーネスト・ヘミングウェイの残像が浮かび上がってくる。ジャーナリストとしてスペイン内戦に従軍、この体験を元にして『誰がために鐘は鳴る』を著した。また『武器よさらば』は第一次大戦のイタリア戦線従軍の経験が元になっている。ノーベル賞を受賞した作品『老人と海』は晩年を過ごしたキューバの漁師に取材したものだが、明らかに海釣りの体験が投影されている。ここで自伝的な影が落ちている『ニック・アダムズ物語』に触れたことがあるが、私は若き日の鱒釣りを綴ったこのシリーズが好きである。
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新潮文庫(1974年) |
さて開高さんだが、釣りは運動不足を補うために始めたという。勧められるまま月刊誌『旅』に釣り紀行を連載したが、文藝春秋の目にとまり、この本となったという。開高さんは朝日新聞の特派員としてベトナム戦争に従軍した。そのときの「戦友」であった「秋元キャパ」こと秋元啓一さんと釣り旅行をし、それが『フィッシュ・オン』という一冊に結実する。つまり、この辺りがヘミングウェイとオーバーラップするのである。その開高さんが亡くなる前、一緒にお酒を飲む機会があった。誘ってくれたのは、南北両アメリカ縦断釣り紀行南米編に同行した、週刊朝日の森啓次郎記者だった。いつ頃だったろう、松茸を食べたのを覚えているから、秋であったことには間違いない。最後に繰り込んだのは、大阪・道頓堀のおでん屋『たこ梅』だった。ここには鯨の舌を煮しめた「サエズリ」という絶品がある。開高さんは他のものには目もくれず、錫製のおちょこを片手にこの絶品を注文し続けていた。「なぜ大物狙いの釣りばかりなんですか。ウォルトンに倣ってフライ・フィッシングの本場、英国へ鱒釣りに行きませんか」と私。すると「いいねぇ、鱒釣り。ただね、大物釣りは写真のために始めたんだ」という返事。その時は訊かなかったけど、私はてっきりヘミングウェイの影響かと密かに思っていたので、これは意外な答えだった。そういえば作家であるが、サントリーの宣伝部に在籍していたこともあり、人の目を引く編集に長けたかたである。そのノウハウは集英社の『オーパ!』シリーズに引き継がれたが、私との英国行きの約束は今は夢と化してしまった。
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