Princess Zinaida Nikolayevna Yusupova
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Empress Alexandra Feodorovna |
1903年2月11日から2日間にわたり、サンクトペテルブルクの冬宮(
現エルミタージュ美術館)で、帝政ロシア最後の大がかりな仮装舞踏会が開かれた。ロマノフ家即位290周年を記念した、2日間にわたる祝祭だった。初日はコンサートと晩餐会で、仮装舞踏会は2日目に催された。その模様の写真は歴史的遺産として残されたが、アルバム制作のため、コライII世(1868–1918)の皇后、アレクサンドラ・フョードロヴナ(1872–1918)の希望で、サンクトペテルブルクの高名な写真師たちが撮影した。賓客は400人に近く、全員が17世紀ロシアの伝統的な衣装を身に着けたのである。その肖像写真を見ると、撮影技術の素晴らしさに驚嘆する。その一部が
Russia Beyond The Headlines に掲載されているが、
ジナイダ・ニコラエヴナ・ユスポヴァ公女(1861–1939)の写真が印象的だった。怪僧グリゴリー・ラスプーチン(1869–1916)を暗殺したと言われているフェリックス・ユスポフの母親で、ロシアの名門貴族ユスポフ家の女性相続人だった。彼女が頭にしているのは、ニワトリや雄鳥を意味する、スラヴ語のココシに由来する、ココシニクと呼ばれる頭飾りだ。ココシニクには絹、ビロード、錦などの高価な材料が使われ、真珠、レース、宝石や、金の糸を使った刺繍で装飾されていた。モノクロとカラーの対比写真を掲載したが、大きさを揃えるため、右上のモノクロ写真は、カラー写真を元に、私が画像処理した。2017年6月に「
モノクロ写真のカラー化で歴史が生き生きと蘇る」という一文を当ブログに寄せたが、写真のカラー化は時間の境界が突然なくなり、今ある世界じゃないかと錯覚してしまう効果がある。
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Olga Shirnina |
ロマノフ家最後の舞踏会の一連の写真をカラー化したのは、モスクワ教育学外国語研究所の元教授で、ドイツ語翻訳者のオリガ・シルニナである。歴史資料に目を通して衣裳の色などを時代考証、アドビ社の画像処理ソフト Photoshop で作成したという。写真を彩色するのに丸一日かかるそうだが、見事な出来栄えだ。モノクロ写真の彩色に関して、シルニナはアマチュアを自称しているようだが、かなり高度な技術を駆使している。ペテルブルク冬宮の大広間がこれほど荘厳に輝いたことはかつてなく、鏡がこれほど多量の宝石のまばゆい光を映したことは絶えてなかった。その雰囲気をカラー写真が再現している。なお舞踏会の翌1904年、日露戦争が始まり、1905年には第一次ロシア革命が勃発、帝政が崩壊した。さらに1917年には第二次革命が起こる。ニコライII世たちは臨時政府によって自由を奪われ、シベリア西部のトボリスクへ追放された。1918年、エカテリンブルクに移送されたいたニコライII世は、ウラル地区ソビエト執行委員会の命令により、ボリシェビキ軍により射殺された。そして家族全員が皇帝と同様に運命を共にし、帝室は完全に断絶したのだった。ペテルブルクの宮殿での仮装舞踏会が、その後再び開かれることがなかったが、豪華絢爛な衣裳をまとった帝政ロシアの貴族たちが、写真の中に生き続けている。
The splendor of the House of Romanov's final ball 1903 (Russia Beyond The Headlines)
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