2019年11月3日

オリンピックの腐敗を憂慮したクーベルタン男爵

古代オリンピックの短距離走(メトロポリタン美術館蔵)

オリンピックの起源には諸説ある。ヘラクレスがギリシャ南部のペロポネソス半島のエーリスを攻略、オリンピアにゼウス神殿を建て、4年に1度、競技会を行ったのが始まりというのが、そのひとつである。時代が大きく下った紀元165年、大観衆で埋まったオリンピック会場の近くで、哲学者ペレグリヌス・プロテウスが焼身自殺した。ヘラクレスの神話上の死をモデルにしたもので、人間世界の腐敗した富に対する抗議だったという。紀元前146年にローマがマケドニアを属州としたのを皮切りに、ギリシャはローマの一部と化した。古代オリンピックはギリシア人以外の参加を認めていなかったが、ローマ帝国が支配する地中海全域の国から競技者が参加するようになった。その変質に悲憤したプロテウスは自殺を予告、葬儀場の火炎に身を投げたのである。さらに392年、ローマ帝国のテオドシウス帝がキリスト教を国教と定めたことで、オリンピア信仰を維持することは困難となった。最後の古代オリンピックが開催されたのは、393年の第293回大会だった。

クーベルタン男爵(1925年)
そのオリンピックを再興したのがクーベルタン男爵ピエール・ド・フレディ(1863–1937)だ。1894年に国際オリンピック委員会(IOC)の設立が決定され、1896年にアテネで第1回近代オリンピックが開催された。有名な「オリンピックで重要なことは、勝つことではなく参加することである」は、英米両チームのあからさまな対立により険悪なムードだったロンドン大会(1908年)中の日曜日、礼拝のためにセントポール大寺院に集まった選手を前に、主教が述べた戒めの言葉だった。これを援用してクーベルタンは「勝つことではなく、参加することに意義があるとは、至言である。人生において重要なことは、成功することではなく、努力することである。根本的なことは、征服したかどうかにあるのではなく、よく戦ったかどうかにある」と述べたのである。彼はいわばある種の理想主義者で、オリンピックの出場者は「スポーツによる金銭的な報酬を受けるべきではない」と主張した。しかし現在は、オリンピック憲章から「アマチュア(リズム)」という単語は削除されている。世界的なスポーツ界の流れとしても事実上存在しないに等しい。2020n年東京大会のマラソン会場を巡る騒ぎで露呈したように、昨今のオリンピックの商業主義は目に余るものがある。クーベルタンは1927年に「もし輪廻というものが実際に存在し、100年後にこの世に戻ってきたなら、私は自分が作ったものをすべて破壊することでしょう」と演説した。金にまみれたオリンピックは解体すべきだろう。

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