墓参りと針孔写真撮影を兼ねて、真宗大谷派東本願寺の大谷祖廟に出かけた。私は東京の福生市生まれだが、千葉市で育っている。京都に移り住んで最初に奇異に思ったのが、正月に墓参することだった。私の体験では、墓参はお彼岸やお盆が一般的で、正月は経験がなかったからだ。でも郷に入っては、というわけで三が日の墓参りに慣れてしまった。表題の句は第二十三世法主の彰如上人が詠んだもので、親鸞聖人の廟に上る石段の横にある石碑に刻まれている。廟は木製で、見事な浮き彫りが施してある。扉の両脇にはおびただしい数の仏花が供えられている。この廟と隣接する東大谷墓地を訪れた人々が供えたものである。多数の参詣客に供花台があっという間に満杯になってしまう。境内の一角に、臨時の花壇がある。水が張ってあり、ここに廟の前から下げた花が再び生けられているのだ。花壇は正月やお盆に花文字がデザインされるが、今年は「如来」だった。美しく、おごそかに飾ることを仏教では荘厳(しょうごん)というが、このような花の再利用を再荘厳と呼ぶそうだ。束から解かれた仏花たちは混じり合い、別の命を与えられたように美しさを競っていた。
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