2011年12月1日

羽子板の重きが嬉し突かで立つ

羽子板 田中彌(京都市下京区四条通柳馬場東入る)Fujifilm Finepix X100

天神さんで見つけた羽子板(北野天満宮) Fujifilm Finepix X100
なぜか今年は時の流れが早いような気がする。遅々として復興が進まない東北、不安的なままの福島原子力発電所の原子炉。進まない故に、待つが故に時間の労費を感ずるのかもしれない。師走。四条通の人形店を覗いたら羽子板が飾ってあった。羽子板は羽突きの道具、だから当初は簡単な絵が描いてあるだけの素朴なものだったが、やがて内裏羽子板が現れた。その後押絵が流行り、江戸後期から当たり狂言を取った役者の羽子板が喜ばれるようになったという。標題は角川書店編『俳句歳時記』に収録されてる長谷川かな女の句だが、中村吉衛門の句にこんな句がある。
        看板の大羽子板の歌右衛門
押絵羽子板は、明治初期から刺繍縫い取りなど凝ったものが登場し、大正末期に羽子板に使用する金襴、友禅等が織り染められ、上絵の技法が出るに及んで、一段と豪華さを加えるようになったという。無論これは遊戯用ではなく、床飾りあるいは女の子への贈り物である。写真の羽子板は押絵ではないが、手描き本金箔の豪華なもので、やはり鑑賞用である。題材は平安貴族の左義長祭の様子である。ところで先月25日、北野天満宮の縁日「天神さん」で素朴な、決して豪華ではないが懐かしい羽子板を見つけた。見入っていたら、子ども時代の正月風景が突然フラッシュバックした。

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