2011年12月3日

生まれては死ぬるなり釈迦も達磨も猫も杓子も

モミジ 酬恩庵一休寺(京田辺市薪里ノ内)Sony NEX-5 E18-55mm F3.5-5.6

紙本淡彩一休和尚像(東京国立博物館蔵)
京都市営地下鉄から近鉄に乗り継ぎ、新田辺駅で降りた。一瞬歩こうかと思ったが、今年の一月に骨折した足首が未だに痛むので、酬恩庵、通称一休寺までタクシーに乗った。過去に何度か参詣しているが、いずれもサツキが咲くころ、初夏だったと記憶している。新緑の見事さから紅葉を想像、秋に一度訪ねようと考えていた。今年は京都の紅葉が惨憺たる有様なので、市外に出れば違うかもという思惑もあった。期待通りの色づきとは言い難いが、部分的に美しい木があったという表現に留めておこう。酬恩庵は一休宗純が晩年を過ごした寺で、盲目の女性、森女(しんじょ)とのことを旧ブログに「盲森夜々伴吟身被底鴛鴦私語新」と題して二年半前に書いた。一休の『狂雲集』にある漢詩で「盲目の森伴者は毎夜詩を吟ずる私に寄り添い、夜具の中でオシドリのごとく、睦まじく囁き合う」という意味である。その時もも触れたことだが、日本人に刷りこまれた「一休さん」のイメージは、江戸時代の『一休咄』などに遡るそうだが、決定的になったのはテレビ朝日系で放映されたアニメだと思う。しかし「紙本淡彩一休和尚像」を見ると、そのイメージはガラガラと崩れ落ちるに違いない。つるつる頭の「トンチの一休さん」は虚像であり、無精髭、ボサボサ頭の宗純が実像なのだ。森女は旅芸人だった。身分の低い女性であったが、10年にわたり死ぬまで愛し続けた。臨終の際に「死にとうない」と残したと余りにも有名な言い伝えがあるが、「朦々淡々として六十年、末期の糞をさらして梵天に捧ぐ。借用申す昨日昨日、返済申す今日今日。借りおきし五つのものを四つ返し、本来空に、いまぞもとづく」が辞世の言葉だった。地水火風空の五大のうち、地水火風はお返しするが、残りの空だけは本来のところに帰るまでのこと、という意味であろう。いかにも一休である。

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