2011年12月20日

見仏者たちは野の仏を見逃してはいないだろうか


童形地蔵 誓願寺(京都市中京区新京極通三条下る)Sony NEX-5 + Zoneplate

長岡和慶「石仏を彫る」
和泉式部と一遍上人が主な役となって縁起と霊験を物語る、世阿弥作の謡曲で知られる誓願寺は、京都の繁華街、三条通りから新京極を南に下がったところにある。山門には新選組隊士と舞妓の図柄をデザインした、記念撮影用の顔出しパネルが置いてある。石段を登り、本堂に入ると、丈六の本尊の阿弥陀如来座像を拝することができる。丈六といのは釈迦如来の身長が1丈6尺(約4.85メートル)あったというところから、このサイズの像を表す言葉である。かなり大きいので、至近から見る感じがする。狭い境内の片隅に童形の地蔵が安置されている。かなり新しいものと一目で分かる。それもそのはずで、作者は愛知県岡崎市に工房を持つ長岡和慶師。滋賀県三井寺、京都三千院から大仏師の称号を受けている現役の石仏彫刻家である。これまで何回か石仏について触れたが、石仏は野の仏、風雪にさらされる彫刻である。多くは無名の石工によって彫られてきたものだが、大仏師の称号を受けた作家が現存することは実に頼もしい。寺院の堂内に安置された仏像は、信仰の対象であると共に、文化財という側面も持っている。だから古いものほど、そして国宝などの文化財指定を受けたものほど注目されるようだ。ここ数年の仏像ブームの追従者にそれを伺うことができる。京の街角にはたくさんの地蔵の祠があり、人々は仏花を絶やさない。しかし果たして「見仏者」たちはいかがなものだろうか、野の石仏を見逃してはいないだろうか。新しいものだったら尚更ではないだろうかと思うのだが。

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