William Henry Hudson |
ウィリアム・ヘンリ―・ハドスン『ラ・プラタの博物学者』(講談社/長沢純夫・大曽根静香訳)はなにしろ500ページの分厚い文庫本。半ば放置状態、途中で何度か挫折しそうになったが、一念発起やっと読み終えた。人間に対して臆病なピューマ、スカンクに太刀打ちできない犬の話など、パンパの興味深いエピソードが満載されている。表向きは文学作品だが中身は博物誌、学術書である。著者のハドソン(1841-1922)はアルゼンチン出身の作家、博物学者、鳥類学者。英国王立鳥類保護協会の創立メンバーのひとりであり、日本では小説『緑の館』(1904年)そして映画化もされた『はるかな国とおい昔』(1918年)で知られる。 私は彼の『鳥と人間』(1901年)『鳥たちをめぐる冒険』(1913年)など、野鳥の本が好きだ。少年時代は地元の動植物を研究し、当時無法地帯であった辺境で自然と人間のドラマを観察し、鳥類学の研究を "Proceedings of the Royal Zoological Society"(英国王立動物学会予稿集)に発表した。1874年に英国に移住し、ベイズウォーターのセント・ルークス・ロードに居を構えた。そしてその後『ハンプシャーの日々』(1903年)『イングランドで進行中』(1909年)『羊飼いの生涯』(1910年)など、英国の田園風景を題材にした著書で名声を得た。ハドソンはラマルク進化論の提唱者でダーウィニズムを批判し、生命論を擁護した。ハドソンの『ラ・プラタの博物学者』は1892年に上梓された。パンパスとよばれる大草原が広がる南米のラ・プラタ地域は、ハドスンが青少年期を過ごした土地である。その地をこよなく愛し、自然や野生生物の観察に明け暮れた彼の熱情は、やがて当地の大自然を美しく歌い上げた本書となって結実し、博物学者としてのハドスンの名声を不動のものとした。原典にちりばめられた博物画家スミットによる味わい深い挿画を完全収録し、待望の新訳で蘇った博物誌の珠玉の名品である。前置きが長くなってしまった。本邦訳書は以下のように野生動物名を漢字表記をしている。
蟇蛙(ひきがえる)川獺(かわうそ)箆鷺(へらさぎ)雲雀(ひばり)鷸(しぎ)駝鳥(だちょう)蝗虫(ばった)蟋蟀(こおろぎ)蜥蜴(とかげ)椋鳥(むくどり)蚯蚓(みみず)沢鵟(ちゅうひ)蝙蝠(こうもり)鼬(いたち)蠍(さそり)蜻蛉(とんぼ)鷦鷯(みそさざい)鶸(ひわ)蚋(ぶゆ)鶲(ひたき)田鳧(たげり)水鶏(くいな)鸚哥(いんこ)竈鳥(かまどどり)鬼木走(おにきばしり)翡翠(かわせみ)啄木鳥(きつつき)大杓鷸(だいしゃくしぎ)鶺鴒(せきれい)鶫(つぐみ)螽斯(きりぎりす)戴勝(やつがしら)香雨鳥(こううちょう)真似師鶫(まねしつぐみ)歩行虫(おさむし)吼猿(ほえざる)左官蜂(かべぬりばち)蜚蠊(ごきぶり)大蚊(かがんぼ)雲雀(ひばり)椋鳥(むくどり)
幸いなことに(?)本書ではルビを振ってあるが、大部分が難読漢字と言っても差支えがないだろう。かつて私が勤めていた新聞社では、動植物名をカタカナで書くことになっていた。例えば赤啄木鳥(あかげら)はキツツキ目キツツキ科アカゲラ属アカゲラといった具合である。ツマグロヒョウモンはタテハチョウ科ヒョウモンチョウ族に属するが、その形態が和名の「褄黒豹紋」のほうがイメージしやすい。昆虫の和名が漢字で表記されることが多いのは、歴史的な背景と、漢字が持つ特徴が大きく影響されているようだ。人々が自然と深く関わっていた時代から、その特徴や生態に基づいて名付けられてきた。漢字はその特徴を簡潔に表すことができるため、昆虫の命名に用いられてきた。ハドソンの『ラ・プラタの博物学者』の訳者である長澤純夫博士(1919-?)は元島根大学農学部教授で、応用昆虫学が専門だった。その経歴からから漢字表記に拘ったのかもしれない。下記リンク先はブリタニカ国際大百科事典によるハドソンのバイオグラフィ(英文)である。
William H. Hudson (1841-1922) | British author, naturalist, and ornithologist | Britannica
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