2021年8月23日

ロマン派写真家エドゥアール・ブーバの平和への眼差し

Lella
「ボートに乗ったレラ」フランスのブルターニュ(1947年)

フランスで最も有名なロマン派写真家であるエドゥアール・ブーバ(Édouard Boubat)は、1923年、モンマルトルのシラノ=ド=ベルジュラック通りで生まれた。コックとして従軍した父親から第一次世界大戦の話をたくさん聞いた。エスティエンヌ美術学校でタイポグラフィとグラフィックアートを学び、印刷会社で働く。

「枯れ葉を持つ少女」1947年

1943年に召集され、ドイツ・ライプツィヒの工場で2年間の強制労働に従事することになった。1946年にパリに戻ってきたブーバは、6冊の辞書を売って、最初のカメラである6x6のローライコードを購入する資金に充てた。リュクサンブール公園で撮影した「枯れ葉を持つ少女」をフランス国立図書館が主催する国際写真サロンにこの写真を出品し、コダック賞を受賞する。驚くべきスタートを切ったのである。ローライコードを購入した同じ年に、ブーバは後に妻となるレラと出会い、彼女のために20世紀を代表する美しい写真を撮影する。ブーバの写真への取り組みは、第二次世界大戦の影響を強く受けている。「戦争を知っているから、恐ろしさを知っているから戦争を増やしたくないから。戦後、私たちは人生を祝福する必要があると感じた。私にとって写真はそのための手段だった」と述懐している。1950年、1950年、ブーバの作品はスイスの『カメラ』誌に掲載されたが、その後、フランスのニュース雑誌『リアリティーズ』のアートディレクターと知り合いになった。それ以来、ブーバはこの雑誌のために世界中を旅した。貧しい地域や荒涼とした地域での撮影が多かったが、愛と美だけはしっかりと捉えていた。フォトジャーナリストとしての彼の特別な才能は、世界中の人々の日常生活をつなぐ共通の糸を見つけることだった。

 Zen Garden in Kyoto
「石庭で瞑想する禅僧」京都(1974年頃)

ブーバにとって、写真とは同胞との出会いであった。彼は人間を撮影することを愛していた。彼の写真は彼が被写体との間に持っていた特別な関係を物語っているのである。「我々は生きた写真である。写真は私たちの中にあるイメージを明らかにする」とコメントしている。1968年にブーバは『リアリティーズ』誌を離れたが、その後も独立して活動を続けた。彼は人生の感動と美しさを私たちの視線に届けるために、たゆまぬ努力を続けた。アンリ・カルティエ=ブレッソン(1908–2004)の「決定的瞬間」の後継者と言われるブーバは、真の巨匠の確信に満ちた眼によってのみ不滅のものとなる、一瞬の魔法のような瞬間をとらえる稀有な才能を持っていた。

Hommage au Douanier Rousseau
「ドゥアニエ・ルソーへのオマージュ」パリ(1980年)

1999年にパリで亡くなったブーバは、素晴らしい写真集を残しているが「一生の間に、すべては偶然の出会いと特別な瞬間によって織り成されていることに気づいた。写真はその瞬間を深く洞察し、世界全体を思い起こさせてくれる」語っている。フランスの詩人ジャック・プレヴェール(1900–1977)は、ヒューマニストであり、非政治的であり、高揚感のある被写体を撮影することから彼を「平和特派員」と呼んだ。

gallery  Photography and Works by Édouard Boubat | Holden Luntz Gallery Palm Beach, Florida

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