2023年5月1日

震災前のサンフランシスコを記録した写真家アーノルド・ジェンス

Vegetable Peddler
Vegetable Peddler, Old Chinatown, San Francisco, 1895-1906
Arnold Genthe

アーノルド・ジェンス(1869–1942)はドイツ系アメリカ人の写真家で、サンフランシスコのチャイナタウンや1906年のサンフランシスコ地震の写真、政治家や社会人、文学者や芸能人など著名人のポートレートで知られる。プロイセ・ゾーバーと、ベルリンのグロース・クロスター(灰色の修道院)でラテン語とギリシャ語の教授をしていたヘルマン・ゲンテの間に、プロイセのベルリンで生まれた。1894年、イエナ大学で言語学の博士号を取得したジェンスは、母の従兄弟である画家のアドルフ・メンツェルと知り合いだった。1895年にサンフランシスコに移住し、J・ヘンリッヒ・フォン・シュローダー男爵夫妻の息子の家庭教師として働いた後、独学で写真を学んだ。街の中国人街に興味を持ち、子どもから麻薬中毒者まで、その住民を撮影した。また必要に応じて西洋文化の痕跡を切り取ったり消したりすることもあった。中華街の写真は約200枚が現存し、1906年の地震前の中華街を撮影した唯一の写真として知られている。

San Francisco earthquake
San Francisco earthquake and fire, April, 1906

1890年代後半に地元の雑誌に写真が掲載されると、彼はポートレートスタジオを開設した。サンフランっシスコの裕福な女性たちと知り合い、評判が高まるにつれ、ナンス・オニール、サラ・ベルナール、ノラ・メイ・フレンチ、ジャック・ロンドンらを顧客に持つようになった。1904年には、有名な水彩画家フランシス・マコマスと西ヨーロッパとタンジールを旅した。1906年、地震と火災により、スタジオを消失したが、ジェンスは再建した。地震の余波を撮影した "Looking Down Sacramento Street, San Francisco, April 18, 1906"(1906年4月18日のサンフランシスのコサクラメント通りを見下ろす)は彼の最も有名な写真である。

imperial costume
Two children in imperial costume in Chinatown, early 1900s

カーメル・バイ・ザ・シーのアート・コロニーに短期間参加したジェンスは、ジョージ・スターリング、ジャック・ロンドン、ハリー・レオン・ウィルソン、アンブローズ・ビアース、メアリー・オースティンといった文豪たちと交友を深めた。ここで彼はカラー写真の仕事を追求することができた。1906年、イーストサイドのカミノ・レアルと、11番街に位置する大きなクラフツマン様式のコテージの設計図をデザインした。 新しい住居について彼は「ロボス岬の糸杉と岩、常に変化する夕日、砂丘の興味津々の影は、色の実験の豊かなフィールドとなった」と記している。 カーメルでの滞在は比較的短かった(1905-07年)が、1907年にモントレーの高級ホテル・デルモンテのアートギャラリーの理事に任命された。

Isadora Duncan's dances
Isadora Duncan's dances, 1919

ローラ・アダムス・アーマーやアン・ブリグマンといった地域の重要な芸術写真家の作品が自身のプリントとともに展示されることになった。1911年、ニューヨークに移り住み、1942年に心臓発作で亡くなるまで、その地で過ごした。主に肖像画を手がけ、セオドア・ルーズベルト、ウッドロウ・ウィルソン、ジョン・D・ロックフェラーらが彼のもとで撮影を行った。グレタ・ガルボを撮影した写真は、彼女のキャリアアップにつながったと言われている。また、アンナ・パブロワ、イサドラ・ダンカン、オードリー・マンソン、ヘレン・モラーニなどのダンサーを撮影し、その写真は1916年の書籍 "The Book of the Dance"(舞踏の本)に掲載された。

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