Ida Halpern |
民族音楽学者アイダ・ハルパーンは1910年、オーストリアのウイーンに生まれた。北アメリカ大陸西海岸の先住民の音楽はないという単純な思い込みを否定するために、クワキウトル、ハイダ、ヌートカ、コースト・サリッシュ族などの音楽300曲以上を録音し、1967年から1987年の間に彼らの音楽を収録した4枚のアルバムを出版した。彼女はカナダのブリティッシュコロンビア州沿岸の先住民ニの音楽を本格的に研究した最初の人と言われている。彼女が初めて音楽を録音したのは、クアドラ島のケープ・マッジ保護区に住むビリー・アスー族長が70歳を過ぎた頃だった。1940年代後半、彼の歌を88曲録音したが、そのうちの1曲も彼の3人の息子には伝えられていなかった。「人生で最もエキサイティングな時期でした」と彼女は言う。次に録音したのは、フォートルパート出身のクワキウトルの彫刻家マンゴ・マーティンで、彼は1950年代初頭にブリティッシュ・コロンビア大学のキャンパスに招かれ、彫刻の仕事に従事した。彼は妻のアバヤとともに、大学近くの西37番街にあるアイダとゲオルク・ハルパーンの家を頻繁に訪れるようになった。マンゴ・マーティンはハルパーンのもとで、1年間で124曲を録音した。1974年には、スコーミッシュの長老ルイス・マランダが自分の音楽を教えてくれた。
1977年から1980年にかけては、ブランデン・ハーバーとホープ島のクワキウトル族のトム・ウィリーから曲を蒐集した。ハルパーンは、他の権威や二次引用を参照することを避けた。「私は族長らから得たままのデータを提示する」と彼女は言っていたが、の分野のパイオニアであったとは言いがたい。彼女より前に歌を集めていたのは、フランツ・ボース、リビングストン・ファーランド、フランシス・デンスモア、エドワード・サピア、マリウス・バルボー、メルヴィル・ジェイコブズらである。ハルパーンのコレクションは、1956年にバンクーバー国際芸術祭で上演されたリスター・シンクレアの "The World of the Wonderful Dark" の資料として使用された。また1962年、アラン・ロマックスが作成した米国議会図書館の14巻のコレクションに初めて3曲が掲載された。 1910年7月17日、ウィーンに生まれ育ったアイダ・ハルパーンの人生と作品に関する幅広い評価はダグラス・コールおよびクリスティン・マリンズ著 "Haida Ida"(ハイダ・アイダ)で読むことができる。
ユダヤ人であった彼女は、1938年末にヒトラーのオーストリアから逃亡した。彼女はウィーンに滞在して音楽の博士号を取得した後、新しい夫とともに、彼の妹ファニーが精神科医として働いていた上海に逃亡した。サイモン・フレイザー大学のスペシャルコレクションによると「1939年8月にバンクーバーに到着したハルパーン夫妻は、当初は強制送還の命令を受けていた。しかし上海のインド・オーストラリア・中国銀行の支店長 R・D・マレーの仲介で、土地付き移民の資格を得ることに成功した。マレーはハルパーンの提案する事業について、資金保証を申し出たのである。彼女の夫であるジョージ・ロバート・ハルパーンは、1902年5月11日にポーランドのクラクフで生まれた。1936年にアイダと結婚する前に、化学で博士号を取得し、製薬業界で働いていた。カナダに移住した後、G・R・ケミカルズ社を立ち上げ、起業家として成功し、慈善活動家としても知られ、地域活動家としても活躍した。アイダ・ハルパーンは1987年2月7日、76歳で亡くなった。
Haida: Indian Music of the Pacific Northwest | Folkways Records FE 4119 Released 1986
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