写真術が生まれて間もなくソフトフォーカスが流行り始めた。後にピクトリアリズム(絵画主義写真)と呼ばれるようになったのだが、ふたつの理由があった。写真は芸術かという論争を経て、後期印象派の真似をして芸術らしくしようした。それからディテール描写への拒否という感覚から流行したものだ。その旗手は米国ではアルフレッド・スティーグリッツ(1864-1946)そして日本では野島康三(1889-1964)だった。しかし後年ふたりともストレート写真へ回帰した。1910年から1930年代前半までは、米国の東海岸ではピクトリアリズムが主流だった。後期印象派の絵画を模倣することが目的で、紗やガーゼを使って被写体を撮影し、意図的に画像をぼかしてソフトフォーカス効果を出していた。しかし西海岸では1930年代から写真が絵画の模倣ではなく、独立した芸術として発展してゆく。そのひとりアンセル・アダムス(1902–1984)は、自伝の中でストレート写真と純粋写真という言葉を使っている。純粋写真とは「他の芸術形式から派生した技術、構成、アイデアの質を持たないものと定義される」と述べている。
戦後といっても1970年代後半だが、ヨーロッパにおいてトイカメラブームが勃発した。後年、日本には商業主義と絡んだカタチで輸入されて販売されたが、ダイアナ、ロモ、ホルガといったB級カメラを使った新たな表現であった。そこには写り過ぎるカメラへのアンチテーゼが潜在、写真はブレていてもよい、不鮮明でもよい、という一種の芸術運動であった。別の潮流にピンホールやゾーンプレート写真があったが、私はこれらを一緒に第2次ピクトリアリズムと呼んでいる。ところが昨今、デジタル画像処理によって、さらに新たな写真表現が生まれつつある。職業写真家向けに処理するアドビ社のフォトショップという画像処理ソフトがある。ところが同社は「フォトショップ・カメラ」というアプリケーションを配布している。自動的に被写体を分析し、適切な写真フィルターやエフェクトを判断してくれる、インテリジェントなスマートフォン向け無料カメラアプリケーションである。これは所謂「インスタ映え」を狙う人が少なからずいるという背景がある。電子フィルターによって作られる映像群は、トイカメラ写真同様、ストレート写真から離れた表現になっている。私はこれをさらに第3次ピクトリアリズムと呼ぼうと思っている。
伊奈信男写真論集『写真に帰れ』(平凡社2005年)が書棚にあることを思い出した。評論家の伊奈信男(1898-1978)が1932年5月、写真同人誌『光画』創刊号に寄せたものの復刻で、日本における近代写真批評の嚆矢(こうし)となった論文である。写真の独自性を主張する内容となっており、芸術写真と絶縁せよと迫った。名取洋之助(1910-1962)が立ち上げた日本工房に参加した木村伊兵衛(1901-1974)も同人であったが、報道写真に傾斜していた。同誌の出版費用を負担した野島康三は、芸術写真にこだわり、従って必ずしも『光画』の論調に同調したわけではなかったようだ。しかし彼もストレート写真に回帰、一世風靡していたピクトリアリズムの衰退を招いたのである。歴史は繰り返すという諺があるが、遥か昔に「ストレート写真に帰る」雪崩現象が起きた。しかしそれはあくまでフィルム時代の話であった。今やデジタル処理技術が写真の世界を席巻している。デジタル加工でソフトフォーカス写真を作ることができるようになって久しい。そればかりではない、画像そのものを歪ますこともできる。鼻を長くしたり、目を細くしたり、唇を小さくしたりとフォトショップで特徴を誇張した、シンディ・シャーマンのインスタグラム写真がその典型ではないだろうか。
Pictorialism | When Photographs looked like Paintings 1880-1915 | Bosham Gallery
0 件のコメント:
コメントを投稿