2021年10月16日

大恐慌時に農村や小さな町の生活窮状をドキュメントした写真家ラッセル・リー

Child waiting farther
Child of farmer sitting in automobile waiting for father, Jarreau, Louisiana, 1938

Russell Lee

ラッセル・リーの初期の作品には、人間の窮状や社会経済的な力学に対する感受性と、写真の持つ独特の表現力が反映されており、フランクリン・ルーズベルト米大統領(1882–1945)が大恐慌を克服するために行った、ニューディール政策の一環であった FSAプロジェクト(Farm Security Administration=農業安定局)の有能な人材となった。FSA は1937年までは Resettlement Administration と呼ばれていた。その情報部門の責任者であるロイ・ストライカー(1893-1975)は、大恐慌時に農村や小さな町の窮状を広報することで、連邦政府の支援策への支持を集めるため、写真家と契約した。FSAに採用された写真家たち、ジャック・デラーノ(1914-1997)ウォーカー・エヴァンズ(1903-1975)ラッセル・リー(1903-1986)セオドア・ヤング(1906-1996)ドロシア・ラング(1895-1965)カール・マイダンス(1907-2004)ゴードン・パークス(1912-2006)アーサー・ロススタイン(1915-1986)ベン・シャーン(1898-1969)マリオン・ポスト・ウォルコット(1910-1990)エスター・バブリー(1921–1998)ジョン・ヴェイション(1914-1975)アルフレッド・T・パーマー(1906-1993)ジョン・コリアー・ジュニア(1913-1992)などは、政策立案者と一般市民の間で大恐慌の理解に大きな影響を与えるイメージを生み出した。

Ray Allen family
Ray Allen family near Black River Falls, Wisconsin, 1937

そして公共インフラや自然災害を日常生活の描写で取り上げ、国家の複雑な課題をよりわかりやすく表現したのである。写真「イリノイ州ショーニタウン近郊のテント・シティで昼寝をする洪水難民の子供」(1937年)は、仮設シェルターで眠る小さな男の子に焦点を当て、オハイオ川大洪水の大惨事を表現している。傍らに置かれた人形のように、無力で無邪気な表情をしている子供の清潔な空間は、彼と彼の仲間の難民の尊厳を表している。一方で、彼が毛布として使っているコートとベッドの下にある一足の靴は、洪水被害者が一般的に資源を持っていないことを物語っている。当時、室内を撮影することは珍しく、感度が低いフィルムには照明が必要だった。リーは、カメラにフラッシュガンを取り付けて撮影した。

Child flood refugee
Child flood refugee taking a nap, Tent City, Illinois, 1937

これにより、厳しい光と影の部分が生まれ、シーンに親近感を与えることができたのである。リーは、小さくて静かな 35mm のコンタックスカメラを使って、被写体との距離を縮めていた。しかし撮影の前にもしばしば彼らと会話し、日常生活について尋ねることで、信頼関係を築いていた。例えば、若い難民のポートレート「ミネソタ州エフィー近郊のキャンプで夕食をよる木樵たち」(1937年)のように、リーは撮影した地域と積極的に関わっていたようだ。こリーはロングショットと少し高めのアングルで、大きな食卓の周りに座っている木樵たちの直線的なフォーメーションを強調している。

Secondhand tires
Secondhand tires displayed for sale, San Marcos, Texas, 1940

この視点から見ると、男たちの微妙な食事の動きがほとんど同期しているように見える。この中西部の労働者たちは、世界大恐慌の影響を受けた層であるが、彼らの整然さを強調することで、彼らの仕事の可能性と共有する礼儀を暗示している。このように共感と細心の注意を払った作品は、さまざまな立場のアメリカ人がお互いを思いやることを促す、ひとつのモデルとなるである。ラッセル・リーは、1903年7月21日にイリノイ州オタワで生まれた。ペンシルバニア州ベツレヘムのリーハイ大学で化学工学の学士号を取得(1921年)した。

after evening meal
Farm Family after evening meal, Pie Town, New Mexico, 1940

サンフランシスコのカリフォルニア美術学校(1929年~31年)、ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグ(1931~1935年)でジョン・スローン(1871–1951)が指導する美術クラスに参加。写真家として、航空輸送司令部(1943年)、米国内務省(1946-1947年)などの政府機関や商業団体で活躍した。また、ミズーリ大学(1949-1962年)、テキサス大学オースティン校(1965-1973年)で教鞭をとり、写真プログラムを開発した。石炭鉱山管理局からの決議(1947年)、ミズーリ大学ジャーナリズム学部ワークショップディレクターからのフォトジャーナリズム賞(1954年)を受賞した。1986年8月28日、他界、83歳だった。

ICP  Russell Lee (1903–1986) Archived Photographs | International Center of Photography

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