2020年8月21日

なぜ南部連合将軍の銅像が撤去されるのか

ロバート・E・リー将軍の銅像を調べるヴァージニア州のスタッフ

ロバート・E・リー将軍
米国ヴァージニア州のラルフ・ノーサム知事が、2020年5月25日のジョージ・フロイド殺害に対し続く抗議行動に応じて、リッチモンドのモニュメントアベニューにあるロバート・E・リー将軍(1807–1870)の記念碑を撤去すると発表したのは、6月4日だった。これに対しウィリアム・C・グレゴリーが撤去反対訴訟を起こした。1890年にこの像がある土地がヴァージニア州に併合された際に、周辺地域を「永久に神聖なもの」とみなし「忠実に守る」と「愛情を持って保護する」ことを州は約束していると主張した。グレゴリーはその証書の署名者のひ孫である。6月8日、リッチモンド巡回裁判所の判事は、訴状を元に記念碑の撤去に対して一時的な差止命令を下す。7月23日に公聴会が開かれたが、記念碑の将来に関する判決なしに終結してしまう。その後、提起された新たな訴訟に対し裁判所は8月3日、90日間の差し止め命令を言い渡したのである。拙文「ドリー・パートン BLM 抗議運動支持と表明」で紹介したように、米国では Black Lives Matter 抗議運動によって多くの彫像が破壊ないし撤去されている。ロバート・E・リー将軍の銅像も同じ運命を辿る可能性が高い。それではどうして南部連合軍の将軍たちの銅像でもめるのだろうか。南部連合の記念碑のほとんどは、南北戦争が1865年に終わった数十年後に建てられた。戦後復興期の資金不足が主な原因だった。

リッチモンドのモニュメントアベニューにあるリー将軍の記念碑
解放されたばかりの奴隷から平等な市民権を奪うため、南部の州で様々な黒人差別法が施行される時代になると、南部連合軍の記念碑が公共の場に次々と設置されるようになったのである。擁護派は、南部連合軍は奴隷制維持のために戦ったのではなく「州の権利」を守り、連邦制に反対するための戦争だったと主張する。しかし歴史家のほとんどは、南北戦争の原因が奴隷制度だったと一致している。人種的少数派、特に黒人の米国人は、公共の場にそのシンボルが存在するのは、不快だし侮辱的だと感じている。2015年に南北戦争の終戦150周年を祝ったわずか数日後、サウスカロライナ州の黒人教会で白人男性が信者9人を殺害する事件が起こった。南部連合旗の前でポーズを取る犯人の写真は、多くの米国人の見方を変えたのである。そして冒頭で触れたように、黒人容疑者が白人警官から首を圧迫され死亡した、ミネソタ州ミネアポリスの事件がきっかけとなり、記念碑撤去の第2波が起きている。

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