2020年8月29日

安倍晋三辞任表明異聞

高校時代の私は写真少年であり、文学少年でもあった。夏休みに読破したマルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』に刺激されて、近未来小説を書いた。確か英国だったような気がするが、原子力潜水艦ノーチラス号寄港反対運動のニュース映画を観て、東京湾にもやって来るのではないかという短編小説だった。校舎の2階から東京湾が一望できたことから思いついたものだった。主人公の少年はゴムボートを駆って入港阻止を計ろうと考えるが、遥か手前で捕まってしまう。1960年1月19日に米国で岸信介首相が改定した新安保条約に調印した。6月15日、全学連主流派が国会に入り、警官隊と衝突。東京大学4年生の樺美智子さん(当時22歳)が亡くなった。この日であったかは不明だが、私もデモに参加しようとしたが、地下鉄の駅を降りた瞬間、屈強な警察隊の姿を見ておののき、何もできずに帰宅したことを憶えている。

祖父の岸信介に抱かれた晋三少年(右)1957年2月 ©毎日新聞社

当時6歳だった安倍晋三少年は祖父の岸信介に可愛がられ、渋谷区南平台の家によく遊びにいったという。ところがそこにもデモ隊が押し寄せ「アンポハンターイ!」のシュプレヒコールが繰り返された。これがトラウマになって安倍晋三は後にデモを嫌悪するようになったようだ。60年の年月が流れた昨8月28日、8年弱の暴政を敷いた安倍晋三首相が記者会見に応じた。私はてっきり続投表明をするものと思っていた。というのは最側近の今井尚哉首相秘書官兼補佐官が「病室で執務するから大丈夫だ!」と言い放っていたからだ。ところが会見の直前に、辞任するという速報が流れた。潰瘍性大腸炎の再発が確認されたので、政治判断を誤る可能性があるので辞任するという。気になったのは「治療によってなんとか体調を万全とし、新体制を一議員として支えてまいりたいと考えております」と結んだことである。医師でないせいか、自身の病状の説明がやや曖昧で、本当に逼迫しているのか不明である。度重なる失政への批判から逃れるための辞任劇ではないだろうか? 政界から引退はせずに議員として残り、どうやら「院政」を敷くつもりらしい。悲願だった「改憲」はいったん大きく遠のいたが、完全に諦めたわけではなさそうだ。執念深くぶり返そうとするかもしれない。

官邸  首相官邸:安倍内閣総理大臣記者会見全文および動画(2020年8月28日)

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