2020年8月27日

大英博物館創設者の胸像が撤去される


ブルームズベリーにある大英博物館
英国デイリー・テレグラフ紙8月24日付けデジタル版によると、奴隷制度とのつながりを持っていた、ロンドンの大英博物館の創設者、ハンス・スローン準男爵(1660–1753)の胸像が撤去された。スローンはアイルランド王国のアルスター出身の医師で蒐集家だった。1687年、医学校のフェローとなり、ジャマイカに向かう第2代アルベマール公爵クリストファー・マンク(1653–1688)の船団に医師として同行した。ジャマイカは植物学者が訪れたことのなかった土地で、その間に彼は800種もの新種の植物を記録している。ジャマイカでココアと出会ったが、原住民はそれを水と混ぜて飲んでいた。ココアに牛乳と混ぜて飲むこと発見したスローンは、チョコレートミルク飲料をイングランドに広めことになる。1753年1月11日に亡くなると、蔵書、手稿、版画など、71,000点の蒐集品が遺産として議会に引き取られた。

ロンドン自然史博物館の植物標本室
これを核にロンドンのブルームズベリーに大英博物館が開館した。この当初の蒐集品の大部分が後にサウスケンジントンのロンドン自然史博物館の基盤となった。それでは大英博物館が問題にしたスローンの履歴とは何だったのだろうか。彼はジャマイカの砂糖農園の経営者の娘と結婚している。そして反乱を起こした奴隷に対する「地面に釘付けにしてから、足と手から少しずつ火をつけ、徐々に頭まで燃やし、その痛みは物凄かった」「去勢や足の半分を切り落とす」「皮膚が剥きだしの状態になるまで鞭打ちし、それに胡椒と塗り、火で溶かした蝋を皮膚に垂らす、物凄い拷問」といった残虐な処罰を記録している。しかし制度としての奴隷制については否定していない。つまりアフリカとの三角貿易にで運ばれた黒人奴隷の労働力を使った農園の経営で莫大な富を得ていたからである。大英博物館のハートウィグ・フィッシャー館長は、創設時の蒐集品が奴隷の労働と奴隷経済によって賄われていたことを認めるものだと述べている。曰く「スローンは医師であり、蒐集家であり、学者であり、奴隷の所有者であった」と。同じ6月にロンドン・ドックランズ博物館から奴隷商人ロバート・ミリガン(1746–1809)の銅像、そしてオックスフォード大学の建物外壁に設置されていた、植民地政治家セシル・ローズ(1853–1902)の石像も撤去されている。奴隷制度や植民地主義など、歴史的な負のレガシーに対する Black Lives Matter 抗議運動が続いている。

PDF   Slavery and the Natural World Chapter 1 - 10: The Natural History Museum London

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