2020年3月24日

つらい時代はもう来ないで


Stephen C. Foster
遥かなる昔、まだ子どもだった頃、アメリカ人と結婚して渡米した叔母が一時帰国したとき、お土産にとプレゼントしてくれたのが、ギターの形をした手回しのオルゴールだった。曲はスティーブン・フォスター(1826–1864)の『おおスザンナ』だった。無論、よく知っているメロディだった。今は音楽の教科書から姿を消してしまったようだが、小学校、中学校と、フォスターの曲を教室で何曲歌わされただろうか。『草競馬』『故郷の人々(スワニー河)』『主人は冷たい土の中に』『懐かしきケンタッキーの我が家』『オールド・ブラック・ジョー』『夢路より』などなど、よく憶えている。ところがボブ・ディランをはじめ、ブルース・スプリングスティーン、ジョニ-・キャッシュ、エミルー・ハリス、ナンシー・グリフィス、ジェイムス・テイラー、そして日本の矢野顕子など、多くのシンガーが取り上げてるにも関わらず、かつて学校などで聴いた記憶がない名曲がある。パーラーソング "Hard Times Come Again No More"(つらい時代はもう来ないで)で、黒人教会で聴いた歌が元になったと想像される。貧困生活に疲れ果てた人たちのため息を歌ったものだが、後半のフレーズ「声は陽気だけど、青ざめうなだれる娘」がキーワードとなって歌のイメージを模っている。しみじみとした、心に響く素晴らしい歌である。
Sheet Music (LOC.gov)
Let us pause in life's pleasures and count its many tears,
While we all sup sorrow with the poor;
There's a song that will linger forever in our ears;
Oh! Hard times come again no more.

人生の喜びをちょっと止め たくさんの涙を数えよう
貧しい人たちと共に悲しみを嘆いてる間に
いつまでも私たちの耳に残って離れない歌がある
おお つらい時代はもう来ないで
フォスターが作った曲の多くは、ミンストレル・ショーで演奏するためのものだった。ミンストレル・ショーは白人が顔を黒く塗り、アフリカ系アメリカ人の格好を真似て歌い踊るエンターテイメント形態だった。南北戦争が始まると、ミンストレル・ショーが行われなくなり、フォスターの曲が人々に触れる機会が徐々に減っていったという。この歌は『金髪のジェニー』と同じ年、1854年に作られたもので、後の大恐慌時代にも歌われたという。カーター・ファミリーが1928年に録音した "Keep On the Sunny Side"(陽が当たる方にとどまろう)はまさにその「つらい時代」のトピカルソングであった。レコードとラジオという新しいメディアに乗ってヒットしたが、フォスターの時代にはまだそれがなかった。1864年、37歳の若さで非業の死を遂げたが、エジソンが蝋管式蓄音機を実用化したのはその13年後の1877年である。そしてこの歌が初めて録音されたのは1905年だった。下記リンク先で「エジソン男性四重唱団」の合唱を聴くことができる。フォスターの祖先はアイルランドからの移住して来たが、何故かそのルーツを彷彿させるものが希薄である。教科書に載っていたこともあるだろうけど、結局、彼自身が残したのは楽譜だけだったからかもしれない。

SoundCloud
"Hard Times Come Again No More" Sung by Edison Male Quartet in 1905 (Wax Cylinder Recording)

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