2020年3月3日

粟嶋へ はだしまゐりや 春の雨

粟嶋堂(京都市下京区岩上通塩小路上る)

今日は雛祭り。うちには女の子がいないからと呟いたら、弘徽殿に叱られた。雛祭りはなにも子どものためばかりではないというのだ。和歌山市加太の淡嶋神社では毎年正午、雛人形を乗せた白木の船が春の海を沖へと向かう。雛祭りがこの日になったのは、友ヶ島から対岸の加太へのご遷宮が、仁徳天皇五年三月三日であったことからだという。自分の災厄を、代わりに引き受けさせた人形を、川や海に流すのが流し雛である。新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐため、人が集まる催事が次々と中止になっている。淡嶋神社も今年は本殿と桟橋での神事のみで、女性らが神社から桟橋まで人形を乗せた舟を担いで歩く「雛舟の渡御」は中止したようだ。

平野神社(京都市北区平野宮本町)
その淡嶋神社の粟嶋明神を分祀したと伝わる市内の粟嶋堂に出かけてみた。人形供養の寺としても知られている。寺と書いた通り粟嶋堂は通り名で、正式には宗徳寺、西山浄土宗に属している。山門をくぐると「粟嶋へはだしまゐりや春の雨」と刻んだ与謝蕪村の句碑があった。娘の病気快復祈願にお参りした際に、雨に濡れ、裸足のまま祈る女性の姿を詠んだものだという。粟嶋明神は、女性を護る神で、病気の治癒や安産、子授け、良縁などの願いに御利益があるという。だから蕪村もきっとここに参詣したのだろう。境内には朱色に塗られた人形舎が三つあり、それぞれに雛人形、御所人形、武者人形、市松人形、フランス人形など、夥しい数の人形たちが飾られている。さまざまな理由で手放され、ここに落ち着いたのだろう。人形たちがガラス越しに、無言のまま、じっとこちらを見ている。その視線にいささかたじろいだ私は、かつて良家にあっただろう雛人形をカメラに収めると、早々に寺を辞した。帰路、立ち寄った自宅近くの平野神社の唐実桜が満開だった。いわゆるモモザクラだが、桜ではなく桃の花である。そうだ、雛祭りは桃の節句なのだ。

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