2020年3月30日

招福おかめは賢女で美しい

千本釈迦堂(京都市上京区七本松通今出川上る)

比較的近所にある千本釈迦堂(大報恩寺)に出かけた。京洛最古の建造物である寝殿造りの本堂や、本堂来迎板壁仏画が国宝に指定されているのをはじめ、行快作本尊釈迦如来像(秘仏)など、多くの重要文化財を所蔵している。霊宝館に安置されている、快慶作十大弟子像、定慶作六観音菩薩像などの仏像群は、弥勒菩薩半跏像など、多数の仏像を擁する太秦広隆寺の新霊宝殿に勝るとも劣らない迫力がある。師走の風物詩「大根炊き」は有名で、夥しい参詣客で境内は溢れるが、案外この仏像群を見落としてる人が多いかもしれない。

青銅造阿亀多福像
仏像よりむしろ境内東側にある阿亀多福像に親しみを感ずるのではと想像する。この像は1980(昭和55)年の「おかめ招福祭」を記念して寄進されたものだ。その右隣に宝篋印塔が立っているが、これが本来の「おかめ塚」である。石塔の背面に1718(享保3)年に建立、施主は三条通菱屋町の池永勘兵衛とある。寺伝によると、本堂造成の際、棟梁である高次がかけ替えのない柱の寸法を間違って短く切ってしまった。夫の心痛を知った妻のおかめ(阿亀)は「いっそ斗栱を施せば」と助言する。1227(安貞元)年12月、上棟式が行われたが、この日を待たずして、おかめは自刃して果ててしまった。妻の助言で棟梁としての大任を果たした高次は、妻の名おかめに因んだ福面を扇御幣につけて飾り、その冥福と釈迦堂の無事完成、永久を祈ったという。京都を中心に上棟式に上げられるおかめ御幣は、このおかめの徳を偲ぶものだという。鼻が低く頬が丸く張り出したおかめの面は、不美人の象徴のように扱われている。しかしおかめは日本書紀に登場する天鈿女命(アマノウズメノミコト)のことであり、当時の美女に当たるのではないかという説がある。また「源氏物語得絵巻」などを一瞥すると、少なくとも平安時代までは、頬がふくよかな女性のほうが美人であったことが窺える。それに光源氏そのものがメタボ気味で、現代のイケメンとは落差があるような気がする。話は飛ぶが、インド映画を観るとスターが太り気味であることに気づく。かの国では福々しい体躯の女性のほうが美人として扱われると聞いたことがある。痩せているのは貧困のせいだから、という説も伺ったことがあるが、真偽は定かではない。テレビや映画に登場する「美人たち」は、どちらかといえば、細面の女性が多いような気がする。おかめは「お多福」とも呼ばれるが、福を呼び、美人の象徴であったおかめが、なぜ時代と共に醜女(しこめ)のシンボルと化し、蔑視されるようになったのだろうか? おかめは賢い美女だと思う。

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