2017年12月17日

風刺画家アーサー・シックの鋭利な眼差し

The New Order by Arthur Szyk 1941 (Courtesy of the Library of Congress)

山本五十六(クリックで拡大)
イラストは画家アーサー・シック(1894–1951)が1941年に出版した「ニューオーダー」の表紙である。骸骨に左足をかけ椅子に座ったナチスのヘルマン・ゲーリング(1893‐1946)、その右肩には国家ファシスト党による一党独裁制を確立したイタリアのベニート・ムッソリーニ(1883-1945)、そして第40代内閣総理大臣兼陸軍大臣の東條英機(1884-1948)が活写されている。シュジクはロシア占領下のポーランド生まれのユダヤ人芸術家で、子どものころから絵画の才能を発揮、6歳のとき中国の清朝末期の義和団の乱(1900年)の絵を描いたという。1918年にポーランドが独立、そしてドイツ革命の影響を受け、詩人ユリアン・トゥヴィム(1894-1953 )との共著に政治的なイラストを寄稿している。1921年にシックと家族はフランスに移住、書籍のためのイラストを手がけるようになった。フルカラーのペン画、特に宗教画を見ると、非常に優れた画家であったことが分かる。その才能が世界に知られるようになったは、1940年にアメリカに移住し市民権を得て、戦争の風刺画を描き始めたことだった。シュジクの風刺画にはアドルフ・ヒットラー(1889-1945)が多く登場するが、ユダヤ人ゆえのナチスへの憎悪があったからに違いない。シックはポーランドばかりではなく、フランスやイスラエルでなどで作品展を開催、ヨーロッパで知られるようになったが、なんといてもアメリカでの人気が高いようだ。単に皮肉を仕掛けて揶揄する風刺画ではなく、人物の容貌を誇張することによって印象を増幅させる手法である。しかし残念ながら日本での知名度は低いようだ。右上は1941年12月22日号のタイム誌の表紙で、現地時間の同年12月7日午前7時55分、真珠湾奇襲攻撃を展開した山本五十六(1884-1943)連合艦隊司令長官の肖像画が使われた。日本の侵略者、山本海軍大将、という説明がついている。シックのイラストからはファシズムを憎悪する眼差しを感ずるが、東條英機をはじめ、旧日本軍の要人を容赦なく俎上に載せたため、その風刺画が広く日本に紹介され難かったのかもしれない。

0 件のコメント: