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サブサハラアフリカ(クリックで拡大) |
読売新聞
11月25日付け電子版によると、自民党の山本幸三衆院議員が、北九州市内で今月23日に開かれた三原朝彦衆院議員の政経セミナーの来賓あいさつで、三原氏が長年続けるアフリカとの交流について触れ「何であんな黒いのが好きなんだ」と発言していたことがわかったそうだ。山本氏の事務所は「アフリカを表現する言葉として使われた『黒い大陸』という意味で言ったと話している」と説明したという。これは探検家ヘンリー・スタンリー(1841–1904)の著書名「黒い大陸」はではなく「暗黒大陸」のことだと思われる。かつてヨーロッパ人は未開の地としてアフリカをこのように呼んだが、さて、今はどうだろうか。私はまず「黒アフリカ」という言葉が頭に浮かぶ。フランス語で Afrique Noire 英語で Black Africa である。文字通り黒い肌の人が多く住む地域で、サブサハラアフリカ(サハラ以南のアフリカ)と同義とみなすこともある。かつて私は西アフリカのセネガル、ガンビア、象牙海岸を旅したが、今思えばマリに行かなかったことが悔やまれる。というのは13~16世紀に栄華を誇ったマンディンカ族のマリ帝国の歴史に興味を持ったことがあるからだ。支配地のニジェール川上流域では黄金が大量に算出されたため、サハラ砂漠を越えてやってくるイスラーム商人との黄金貿易で繁栄した黒人国家だった。ヨーロッパより進んだイスラームの文化を取り入れることでさらに発展、九代目のマンサ・ムーサ王(在位:1312年-1337年?)の時代、マリ帝国は最盛期を誇るようになる。なんと現在の貨幣価値にして約4000億ドル(約44兆円)という人類史上最高の総資産を保有したと言われる。冨の蓄積によって建築や学術は無論のこと、絵画や音楽などの芸術も花開き、いわば「黒アフリカ文化」を醸造したのである。しかしヨーロッパの列強によって19世紀末からアフリカ諸地域が植民地化されてしまった。これによってヨーロッパ中心主義が生まれた。従って「暗黒大陸」は植民地支配した宗主国の帝国主義の視線から作られた用語と言って良く、この地域や民族に対する蔑視や差別もそこから生まれたと想像する。奴隷商人の暗躍が拍車をかけたのは言うまでもない。おや、山本氏の発言から大きく脱線してしまったようだ。ただ過去の山本氏の発言から、胡散臭いものだったとおおよそ推測できる。わざわざ肌の色を引き合いに出したのは余りにも軽率で、それがアフリカ人に対する「差別発言」と揶揄されても仕方ないだろう。続報を待ちたい。
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