2017年11月14日

フライドチキンではないケンタッキー・カーネルズ

The Kentucky Colonels at the Ash Grove, Los Angeles, California, 1966

米国ケンタッキー州から何を連想するだろうか。首府ルイヴィルのケンタッキーダービーを思い浮かべる人がいるかもしれない。しかし何と言っても日本人に馴染みがあるのはKFC(ケンタッキーフライドチキン)ではないだろうか。その象徴であったカーネル・サンダースの像がずいぶん前に大阪・道頓堀川から救い出されて話題になったことがある。KFCのウェブサイトによると、この像の原型はカナダのあるフランチャイズ店舗で作られたもので、イベントで使用された後は倉庫で眠ったままになっていたという。日本KFCの幹部がその立像をみつけて、日本に持ち帰り、店頭に置かれた。だから日本だけのものだという。私は1970年代、ケンタッキーの本店前を通り過ぎたことがあるが、像があったか憶えていない。日本にKFCができた1970年だそうだが、確かこの年、神戸のトアロードにできたばかりの店を取材した。連れて行ってくれたのは、新しがりやの女子高校生だったが、これまた像があったかどうか記憶にない。カーネルは大佐を意味するが、一種の名誉称号で、州に貢献した人に贈られるようだ。ケンタッキー州と言えば、私ならブルーグラス音楽がまず頭に浮かぶ。州のニックネームがブルーグラスで、ビル・モンローが率いたバンド名がブルーグラス・ボーイズというのがその謂われである。同じケンタッキー・カーネルでも、こちらは「S」が付いた複数形になっている。フランス系カナダ人のエリック・ホワイト・シニアの3人の息子、ローランド、エリック、クラレンスと娘のジョアンが1954年に西海岸のロサンジェルスで結成した "Three Little Country Boys" がケンタッキー・カーネルズのルーツだ。

Shikata Records SRCD-1002 (1999)
ローランドがビル・モンローに傾倒、フラットマンドリンを手にしたことからブルーグラスバンドに変身、1957年には地元局でレギュラー番組を持つようになる。1963年にファーストアルバムを出すが、このときからケンタッキー・カーネルズを名乗るようになった。上記ケンタッキー州の名誉称号を意識したものであろう。徴兵で抜けていたローランドが戻り、フィドラーのボビー・スローンが加わり、グループは全米ツアー敢行する。1964年にはUCLAとニューポートのフォークフェスティバルに足跡を残している。その後、天才フィドラーであったスコッティ・ストーンマンを迎えたが、1965年に解散する。ケンタッキー・カーネルズが今日でも強い支持を得ているのは、なんと言ってもクラレンス・ホワイトの技巧を凝らした、華麗なギターテクニックの魅力によるものだろう。ジョージ・シャフラーやドン・レノの奏法を基に、彼独自の発想が加わった革命的奏法である。フラットピックによる早弾きは、古くはアルトン・デルモア、その影響を受けたドク・ワトソン、そしてトニー・ライスが有名だが、いずれも演奏スタイルは微妙に違う。クラレンスは、1968年にザ・バーズに参加、フォークロックの礎を築いたひとりだが、 1973年に交通事故でこの世を去った。弱冠29歳だった。左のアルバムは1965年録音の音源を、1999年に Shikata Records の故・四方敬士氏の尽力でCD化されたもので、パーソネルはクラレンス・ホワイト(ギター)ローランド・ホワイト(マンドリン)ビリー・レイ(バンジョー)ロジャー・ブッシュ(ベース)の4人。スコッティ・ストーンマンとの共演など、何枚かのCDが出ているが、録音状態も良く、彼らのベストアルバムだと思う。

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