Farmer and sons walking in the face of a dust storm. Cimarron, Oklahoma, 1936
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Woody Guthrie (New York 1943) |
これは
Folkways Records から1964年にリリースされた、フォーク歌手ウディ・ガスリー(1912–1967)の
「砂嵐のバラード」のジャケットを飾った写真である。撮影したアーサー・ロススタイン(1915-1985)はコロンビア大学を卒業後、写真家のロイ・ストライカー(1893-1975)に誘われて、
FSA(農業安定局)の写真記録プロジェクトに加わった。大恐慌時代の農民の生活を撮影することを目的に、フランクリン・D・ルーズベルト大統領(1882-1945)がニューディール政策の効果をアピールするため創設した組織である。エスター・バブリー、マージョリー・コリンズ、マリオン・ポスト・ウォルコット、ゴードン・パークス、ラッセル・リー、ウォーカー・エヴァンス、ジャック・デラノ、ジョン・バション、カール・マイダンス、ドロシア・ラング、ベン・シャーンといった、今から考えると錚々たる名を連ねたチームで、最大の業績はドキュメンタリー写真の礎を築いたことだった。この写真のプリントを所蔵している
合衆国議会図書館のサイトには「《砂嵐に向かって歩く農夫と二人の息子》オクラホマ州シマロン(1936年)」という説明がついている。ウディ・ガスリーはボブ・ディランやブルース・スプリングスティーンなどに強い影響を与えたフォーク歌手として名高い。このレコードはウディの最初のアルバムで、フォークソング愛好家に広く浸透している。作家ジョン・スタインベック(1902-1968)は、開墾によって発生した砂嵐により流民となって、オクラホマからカリフォルニアに逃れる一家を描いた小説『怒りの葡萄』を1939年に発表、1940年にピューリッツァー賞を受賞した。ウディはオクラホマ州オキーマに生まれ、14歳の時に母親が他界、17歳で流浪の旅を始めた。農家にこそ生まれなかったが、その生活がスタインベックの小説とオーバーラップする。アラン・ロマックス、ウディ・ガスリー、ピート・シーガー共著の
『酷い打撃を受けた人々のための痛烈な歌』にスタインベックは序文を寄せ、ウディについて「彼が歌う歌には甘いものは何もない。しかし聴く人々にとってはそれよりもっと重要なことがある」と書いている。このような背景で生まれたウディのレコードには、FSAプロジェクトの記録写真がマッチする。とりわけロススタインが撮影した砂嵐に見舞われた農夫の写真はぴったりする。
ウィキペディア英語版は「おそらくロススタインの最も有名な作品で、砂嵐写真のアイコンのひとつ」と解説しているが、この作品を世に知らしめたのは、ウディのアルバムじゃないかと私は推測している。
Dust Bowl Refugee: Woody Guthrie (guitar/harmonica/vocals)
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